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    寂寞の夜に恋願う ――よく、眠れない。

     ごうん、ごうんと唸っている風の音が耳障りなわけではない。体力が有り余っているというわけでもない。ビィの寝言もうるさくない。毛布が薄くて冷えるでもない。けれど、布団に潜って目を閉じて、そこからどうして、眠りが来ない。
     仕方なく立ち上がり、もぞもぞと毛布を引っ掛けて、食堂のほうへ足を伸ばす。酒盛りをしている大人達でもいるだろうかと思ったら、今日はやたらに静まり返っていた。いま、一体、何時頃だろう。明日の朝食の仕込みも、すっかり終わっているらしい。薄らとした闇の中で、ランプの明かりがやけに眩しく感じられた。
     厨にも当然人の気配はなく、蛇口から滴るしずくもない。冷たい空気の匂いの中、微かにコンソメの香りだけが漂っている。
     コンロの上に、大鍋一つ。開けてみようと蓋を掴むと、びくともしなくて驚いた。もうこれも、冷めきってしまっているのだろう。無理矢理開けられなくもないが、万一ひっくり返してしまったときのことを考えると、下手なことはしないほうがいい。深夜厨に忍び込んで、スープをぶちまけただなんて、口煩い大人たちに知れたら、大事だ。
     諦めて冷蔵庫を開けると、でかでかと名前が書かれたプリンがまず視界に飛び込んできた。そういえば以前、大喧嘩をしていた二人がいたっけ。思わず頬がゆるむ。その隣には常備菜としてローアインたちが仕込んでいた蒸し鶏が、下にはすぐに使えるようにと切りそろえられた野菜が、迷わず取り出せるように整列していた。
     勝手に触ったら、たぶん、ばれてしまう。なんとなくお腹が空いたような気がするのを知らぬふりして、牛乳を手に取った。たっぷりとした瓶はずしりときたけれど、これくらいはなんてことない。
     小さな鍋にコップ一杯分注いでから、小さく火をつける。しばらくしたら、湯気が立った。やさしい匂いを纏ったそれは、吸い込むとどこかほっとした。ぶくぶくと沸き始める前に、火からおろしてマグカップに注ぐ。このままでも悪くはないけれど、物足りないはずだから、少しだけ。
     戸棚から取り出した瓶は金色で満たされている。これならきっと、少し贅沢をしたって気づかれやしない。スプーンでたっぷり掬って、こぼさないようにマグカップに入れる。かき混ぜて、完成。
     ランプを持って食堂の隅、窓際に腰掛ける。外は明かりが少ないから、世界はすっかり藍に染まって、月がよく目立っていた。雲の少ない、鮮明な夜だ。なんとなくぞっとして、もしかしたら寒かったのかもしれないと身震いしながら、マグカップに口をつける。
     やわい熱にやさしい甘みが舌を滑って、喉を通り、胃袋へと落ちる。ただそれだけをゆっくり噛み締めるように追いかけていると、ああ、やっぱり、自分は疲れているらしいことを思い出せた。とろりと、瞼に睡魔が触れてくる。瞬きはわずかに重くなり、呼吸は意図せず深くなった。
     指先から、胃袋から、じんわりと広がるぬくもりに、もれたため息は安堵となり、続いて息を吸おうとしたら、大きな欠伸がこぼれていた。
     いま、ベッドに戻って目を閉じれば、きっと眠れることだろう。けれどまだ、マグカップの中は淡い金を宿した白で満たされている。これをひと息にあおってしまうのは、あまりにももったいない気がした。残して捨ててしまうのも、当然ながら気分がよくない。せっかくならもっとじっくり、熱が冷めていくのと同じ速度で、味わっていたいと、そう、思う。
     そうしていたらなんとなく、きせきみたいな、まほうのような、幸福に出逢える、そんな気がする。
     果たして、期待をするだけ無駄だと知って、それでも信じてしまうのは、自分が子どもだからだろうか。夜に濁されるように、なんとなく、感情は下を向く。
     ことん、と壁に頭を預けて、もうひとくち。あとひとくち。さらにひとくち、今度はふたくち。段々とぬるくなっていくのがさみしくて、かなしくて、ぼんやりと、泣きたいような心地になった。
     ああどうして、どうして僕の隣にはいま、誰もいてくれないのだろう。
     持っているだけで温かかったマグカップと自分の指先の温度はもうすっかり混ざり合って、そろそろ、冷たく感じられた。
     そもそも僕は、誰かに会いたくてここに来たのだったか。それとも、一人でいたくてここに来たのだったか。そんなことすらわからないまま、毛布をたぐって身を縮こまらせる。ミルクを飲もうと思ったのは、眠りたかったからであることは間違いはないはずなのに、それすらも、なんとなく、嘘のような気がした。
     思っていた以上に急速に冷えていくミルクを飲み干して、数秒空を見て、ゆっくりとした瞬き一つ。
     さあ、眠ろうじゃないか。きっと、大丈夫。もう、眠れないなんてことはない。僕は確かに疲れていて、眠たくて、そうして明日も、依頼があるのだ。こうしてぐずぐずしている猶予は、ほんとうは、どこにもない。
     その、はずなのに。どうしたって、足に力が入らなかった。まるでそう、床に縫い止められたみたいに、あるいは壁に貼り付いたみたいに、身じろぎひとつ、うまくいかない。
     もう少しだけ、あと少しだけ、できれば夜が終わるまで。本音はあまりに単純で、故にあまりにばかばかしくて。ついつい笑おうとして、なんとなく失敗する。泣き方を忘れたみたいに涙は出ないのに、胸中はさめざめとしてずんと痛い。
     ぬるいため息は渦を巻き、まるで耳を塞ぐように、まとわりついて不快だった。
     そう、僕はずっと、慟哭する風の向こう側に、足音を探していた。聞こえやしないたったひとつを、どうしてずっと、拾い上げたくて。もしかして目を閉じれば、どんなに小さくても聞き取れるかもしれないと思いついたとき、たぶん僕は正気でなかった。
     だってほら、聞こえてしまったのだ。甲冑がぶつかる独特の硬い足音が。
     夢に溺れた、かなしい音が。


     肩を揺すられて目を開けた。僕の顔を覗き込んでいたのは、トモイだった。すぐ傍には、ローアインとエルセムもいる。想像するに時刻は早朝であろう。朝食の支度に来た彼らに、僕は見つけられたのだ。「何してんスか、ダンチョ」問いかけは優しい。「こんなところで寝落ちてたら風邪引いちゃう的な」こちらの身を案じてくれていることがよくわかる。
     振る舞いはどことなく軽薄にも思われるが、彼らが仲間思いのいい奴らであることは、十分すぎるくらい知っている。念のためと額に手を当てて熱を見てくれたり、温めたばかりのスープを持ってきてくれたり、甲斐甲斐しく世話を焼かれていると、どうにもくすぐったくていけない。
     スープを飲み終えると、追い出されるように部屋まで連行されてしまった。曰く、朝飯までまだ時間もあるし、眠れるうちにしっかり眠っておけ、とのこと。子ども扱いされているようでどうにも癪だったけれど、彼らの言い分はもっともで、僕はしぶしぶビィの眠るベッドに入った。
     変な体勢で寝落ちてしまっていたせいか、どことなく節々が痛い。なんともこれは、ちょっと、よくない。仮にも騎空団を率いる団長として、自分はいつだって万全でなければならないのに。まったく、ほんとうに、どうかしている。
     僕は、確かに知っていたのだ。いくら待ってみたところで、きせきなんて訪れないことくらい。まほうなんて起こらないことくらい。それなのに、ぐずついて、後先も考えられなくなって、結局、落ちて。こうして体に疲労を溜めたまま、迎えた朝は爽やかに晴れ渡っているのに、僕はひどく、落ち込んだ。
     今日の依頼は、荷を運ぶ峠道に魔物が出るから護衛をしてくれというものだったはずだ。気をつけていればきっと問題なく終えられるものだろう。けれどどうにも、不安になる。いまの自分は、少し、否、だいぶ、おかしい。こんなとき、普段なら絶対にしないような失態を犯してしまう、なんてことはよくある話だ。これは、いつも以上に気を引き締めて挑まなければならない。慢心は、それだけで危険だ。
     とにかく、依頼は昼からだ。朝食を準備してくれているローアイン達には悪いが、少し朝寝をさせてもらおう。体をしっかりと休めて、せめて体調だけは万全に。心はひとまず、置いていく。
     コンソメスープが効いたのか、寝ようと意識した途端、あっさり眠りは訪れた。


     グランサイファーに乗る者たちは、それぞれがそれぞれに目的を持って行動している。騎空団の一員として力を貸してくれてはいるが、あくまでも仮の宿として艇に乗っている者は、決して少なくない。
     僕にはイスタルシアに行くという、いっそ途方もない夢があるけれど、みんながみんな、それに付き合ってずっと艇に乗り続けてくれるわけでは、当然、ないのだ。彼らにはそれぞれの事情がある。艇を長く離れる者がいても、僕に引き止める権利はない。けれどそれでいい。一度繋がった縁というのは、そう簡単に切れないのだから。
     わかっている。そんなこと、いまさら噛み締めなくともよく理解している。この騎空団を、そういうふうにしたのは紛れもない、僕自身だ。それに対する後悔だってこれっぽっちも持っていない。そう、それは、胸を張って言える。言える、のに――……
     今日も夜更けの食堂で、ミルク片手に空を見る。シェロカルテから受けた次の依頼のために、明日にはこの島を出発しなければいけなくなった。だから、ここから見える空は、しばらく見納めだ。
     胸に空いた穴を、ゆっくりとぬくい白が満たすように落ちてくる。本当は胃袋に溜まっているとわかっていても、じゅんわりとした温暖は、やっぱり胸のうちに広がっているような気がした。だからどうにも、空しさが加速する。
     僕は、たぶん、いま、寂しいのだ。そう、とても、寂しいのだ。この艇にはたくさんの仲間がいて、決してひとりぼっちではないというのに。たった一人が欠けただけで、ずいぶんとまあ、大きな穴が空いたような、そんな心地がしているのだ。
     どうしてなのかは、よく、わからない。例えばビィが遠くに行ってしまうことを想像してみて、その強烈な寂しさと悲しさを現在と比べてみても、色も形も温度も味も、それからにおいも。何もかもが、違っている。同じ寂しい、のはずなのに。感情というやつは複雑怪奇で困ったものだと、思わず苦笑がもれ落ちる。
     僕は、この寂しいの出所を知らない。こんなもの、これまでの人生の中で一度も抱いたことがないから。けれど一つだけ、確信している。これは、ビィやルリアたちに向けている、パステルカラーで彩られた、綿菓子のような甘さと温暖を所有したやわらかいものではなくて。暗く澱んだ色の中に時折醒めるような極彩色を孕んだ、甘苦くて冷たい灼熱。矛盾ばかりで苦しくて、かなしくて、そしてとても、とても、
    「こんな時間に何をしている」
     ふっと。現実に引き戻されて、心臓が強く打った。声のしたほうに顔を向けると、パーシヴァルが腕組みして眉根を寄せていた。
     ああ、これは、怒っている。それもそうだ、こんな夜更けに、いくら明日は依頼がないとはいえ起き出して、こんな場所で、薄着で、ぼうっとしているのだから。団を率いる者としての自覚がないのか、こちらを射抜く瞳が言外に伝えてくる。
     堪えられなくて目を逸らすと、盛大なため息が聞かれた。
    「風邪を引く。早く部屋に戻れ」
    「……怒らないの?」
    「自覚がないわけではないんだろう。なら、あえて言うこともない」
    「やさしいね、パーシヴァル」
     さっさと行かないなら怒るぞ。脅しをかけられて慌てて立ち上がる。幸い、マグの中はもう空だった。
     手早くマグを洗いながら、ちら、とパーシヴァルを見やる。僕が座っていた場所で、ぼんやり月を眺めるその姿は完成にされた絵画にも思われた。
     そういえば彼は、どうしてこんな夜更けに、こんな場所に足を運んだのだろう。尋ねてみたかったが、本当に怒られてしまってはかなわない。疑問は胸に押し込んで、朝、目が覚めたときに覚えていたら、朝食ついでに訊いてみよう。
    「おやすみ、パーシヴァル」
    「ああ。ゆっくり休むといい」
     厨から、小さな水音が落ちていた。


     今日は、先客がいた。とは言っても、酒を飲み、賭けに興じる騒がしい大人たちではなかった。パーシヴァルだ。小さなランプをぽつりと灯して、いつも、僕が腰かけていたその場所で、彼は無防備に本を読んでいた。小さい月明かりとランプだけでは、少々暗いだろう。目に悪そうだと思いながら、僕はなんとなく、バツが悪くて逃げ出したくなった。
     僕に気づいたのか、パーシヴァルが本を閉じる。それから数秒こちらを見て、どこか冷たい息を吐いた。反射的に、毛布をたぐる手に力がこもる。叱られる、そう思った。
    「また、夜更かしか?」
     どう、答えたものだろう。頷くのも違う気がして、顔を明後日の方向に背けると、もう一つ、ため息が聞かれた。
    「情けをかけられたくないというのなら、そうしてやるが?」
     肩が震える。ここできちんと向き合わなければ、本当に、彼は容赦なく僕を叱るのだろうか。わからない。けれど、たぶん、パーシヴァルは僕の身を案じてくれている。寝不足が続くことを、気にしてくれている。そう、彼は何も、理不尽に僕を責め立てようというわけではないのだ。彼は、やさしさでもっていま、僕の前にいるのだ。
     ゆっくりと目を合わせると、パーシヴァルが手招きした。すごすごと寄っていき、勧められるままに隣に腰を下ろす。僕と彼の間には、彼が先ほどまで読んでいた本と、ほのり湯気の立つマグカップが二つ、置かれていた。
     片方のマグを、パーシヴァルの手が取るのを合図にして、僕ももう片方のマグを掴んだ。ぬくい感触が掌に伝わって、少しだけ緊張がほぐれてくれる。
    「大方原因は、あいつが留守にしているせいだろうが……」
    「な、何で知って……」
    「むしろ、気づかないと思っていたことのほうが驚きだ。時期から考えても明白だろう。察しのいい連中には気づかれていると思っておいたほうがいいだろうな」
     思わず顔から火を噴いた。嘘だ、と思いたかった。けれど、パーシヴァルが僕に嘘を吐くことなんて絶対にないと言い切れる。それくらい、僕は彼を信用している。だからこそ、息が詰まるほど恥ずかしかった。
     みんなが、気づいている――? そんなあからさまに、表に出したつもりはなかったというのに。僕は僕なりに、必死になって隠していたはずなのに。ああでもそうか、いくら騎空団を率いて幾多の困難に打ち勝ってきたとはいえ、僕なんて、所詮は経験の浅い子どもだった。忘れて驕ったつもりはなかったけれど、そうだ確かに、人生経験豊富な者たちにとってしてみれば、僕の隠し事なんて隠し事として成立していなくてもおかしくない。
     いっそ泣いてしまいたいくらいの羞恥で、全身を急速に熱が駆ける。どうにもすぐには引いてくれそうにない。ぬくいマグカップすら鬱陶しくて手放したくなるほどに、とにかく熱くて、あつくて。ズッと洟を啜る。
    「いまここに、意地の悪い連中がいたら、それはもう盛大にからかい倒されているぞ」
    「う、うるさいなあ」
    「まあしかし、お前の様子がおかしいことに気づいている連中は実際何人かいたが、さすがに夜な夜な起き出すくらい恋しがっていることまでは知られていないから、安心するといい」
    「そんな、別に、こ、恋しがってなんか……」
     ない、と言ったら嘘になる。萎んだ語末は結局言葉としては成立せずに、隣でパーシヴァルが笑うのがわかった。
    「笑わないでよ。本当に恥ずかしいんだから」
    「悪かった。なら、本題に入ろう」
    「……本題って?」
     わかっていて、訊き返した。
    「ひとまずは、お前がよく眠れるようになるためにどうするか、だな」
     パーシヴァルは、そんな僕に特別小言をいうでもなく、ただ素直に想像どおりの言葉を投げてきた。
     どきりともしない。けれど、気まずくはある。落ち着きたくて一口含んでみたミルクは、僕が作るものよりも少しだけ甘くて、ほんのりシナモンの香りがした。
    「眠れてはいるよ」
    「どの口が」
    「嘘は言ってない」
    「疲れを残して翌日に響いているようでは、休めているとは言えないだろう」
     当然、反論はできなかった。みんなに迷惑をかけないように努めてはいるものの、そろそろ限界であることは、自分でも明確に自覚するところであった。
    「行くなと、言ってみたらよかっただろう」
     パーシヴァルが、何でもないことのように、言う。僕だって、そうできたらと、思わなかったわけではない。けれど、それは、いけないことだ。頭を振って、僕は口を開く。
    「そういうことはしたくない。第一、大事な用事だったらどうするの」
     僕としては至極真っ当なことを言ったつもりだった。だのに、しばらくパーシヴァルは言葉を返してくれなかった。不思議に思って目線をやる。眉間に手を当て、何やら唸っている彼と視線はぶつからない。
     そんな顔をされるほど、おかしなことを言っただろうか。この騎空団の人の出入りが自由なことは、彼だってよくわかっているはずなのに。
     困惑を飲み干すようにシナモンミルクを胃に落として、パーシヴァルの返事を待つ時間は、どうにも落ち着かなかった。まるで僕が間違えたような気分にさせられる。そんなことないと自信を持って言えるのに、待たされるほど嫌な不安は喉もとにせり上がってこようとする。
    「パーシヴァル……?」
     たまらず声をかけると、彼は盛大なため息を、まず、くれた。それからこちらにきちんと目を合わせて、
    「正直、教えてやるのも癪だが、」
     前置きのあと、また数秒沈黙。パーシヴァルは自分をなだめるようにマグカップに口をつけた。
    「――…、あーいや、そうだな……。行先は聞いたのか?」
    「え?」
    「だから行先だ。あいつは、どこへ行くと言っていた?」
    「あ、えと……、少し遠出するから、遅くとも半月以内には合流できるようにするとだけ」
     パーシヴァルの眉がぴくりと跳ねる。僕はまた、嘘は言っていないのに不安にさせられた。明らかに、苛立っている。僕にではない、あの人に。
     ――けれど、どうして?
    「呼び戻せ」
     短く、低く、ひそめるように。パーシヴァルが呟いた。
     一瞬、言葉の意味を理解できずに、僕は首を傾げる。
    「明日、すぐにでもあいつを呼び戻せ。そうだな、よろず屋あたりを介せば可能だろう。いいか、明日、朝一番、できるだけ早くだ。理由なんて何でもいいこじつけろ。いっそ、お前に会いたいからいますぐ帰ってこいと、それでいい。むしろそれが効果的だな。いいか、とりあえず、呼び戻せ」
     まくしたてられる。わけがわからない。困惑はそのまま素直に顔に出て、パーシヴァルのしかめ面とぶつかり合う。
     僕は目だけで訴えた、何を言っているのかと。パーシヴァルも目だけで返してきた、いいからやってみろと。
     きっといま、僕の周囲には疑問符が大量に浮かんでいることだろう。そのくらい、彼の言葉は突飛だった。だって、呼び戻せだなんて。そんな強引なこと、できるはずがない。あの人が艇を降りたのは、それだけの理由があったから、で、あるはずなのだ。僕の勝手な都合で呼び戻すなんて。無茶だ。どう考えてもできっこない。それなのに、パーシヴァルはいいからやれと聞く耳を持ってくれない。
     もうわけがわからなかった。僕は確かに、僕の都合で、僕のわがままで、あの人を縛るようなことはしたくないと言ったはずなのに。どうしてパーシヴァルは、そんな僕の気持ちをすべて無視するようなことを、言うの、だろう。
    「いいからやってみろ。どうせ、本当にお前のいうところの大事な用事で戻ってこられないのなら、そう言ってくるはずだから、少しのわがままくらい気にしなくていい」
    「でも――!」
    「でもも何もない。いいから呼び戻してみるといい。俺の思うとおりなら、どんなに遅くとも夜には帰ってくるはずだ」
    「そんな、まさか……」
     パーシヴァルはそれ以上の問答を拒否するように目を逸らし、マグを持って厨のほうへ歩いていってしまった。強制的な打ち切りに、僕はいっそ憤慨したけれど、まだ半分ほど残っている少し冷めたミルクを飲むと、わずかだけ気持ちが落ち着いた。厨のほうから聞こえてくるやわらかい水音も、たぶん、一役買っている。
     ここは、おそらく、僕が、大人のふりをしなければいけないらしい。
    「明日にそなえて、今日はもう寝るといい。そして朝一で、よろず屋に向かえ。わかったな」
     僕がミルクを飲み終えたころ、パーシヴァルが再びやって来て、僕の手からマグを取り上げた。ずいぶんと、できすぎなくらい、上等なタイミングだと思った。
    「わか、った」
     言葉が喉でつっかえる。大人のふりをするにしても、やっぱり納得ができないのだから、もう仕方がない。
     けれど、少しだけ、わがままを言ってみたい気持ちは、確かに僕の中に、あった。


     起きたら部屋の前にパーシヴァルがいて、大慌てで身支度を整わされて、朝食も食べさせてもらえないまま艇から追い出された。朝の陽はやわく、人もまばらな街の空気は少しだけ肌に冷たい。
     突っ立っていても仕方がないので、とりあえず向かったシェロカルテの店は当然ながら閉まっていた。出直そうか、どうしようか。一応、戸を叩いてみる。
     出てこなければ、また朝食後に出直せばいい。なんとなく出てこないことを期待していたら、いつもののんびりとした声を発しながら彼女は顔を出した。こんな時間に急ぎの御用ですか~? 問う声はただただ柔らかい。
     一瞬、どうにも気恥ずかしくなった。自分のわがままで、あの人を呼び戻すためだけに、こんなに朝早くに訪ねるなんて、なんだかすごく子どもっぽい気がした。別に自分は大人というわけではないのだから、子どもっぽくてもいいのだろうけれど。それでも、どうしても。じわりと首筋に熱がこもる。
     だが、ここまで来てしまっておいて、逃げるのもまた同じくらい恥ずかしい。深呼吸をしてから、意を決して用件を伝える。あの人に、艇に戻ってくるように伝えたいのだが、可能だろうかと。シェロカルテは数秒思案してみせて、やはり独特な間延び調子でお安い御用です、と笑んでくれた。
    「けれどまた、どうして戻って来てもらいたいんですか~?」
     何気なく、彼女が発した言葉に、どきりとする。彼女が悪意でもって詮索しているわけではないことはもちろんわかっていた。ただ、僕は、痛い腹を探られているような心地がしていた。
    「いや、その、えっと……」
     思わず、口ごもる。たぶん、顔が赤くなっている。
     煮え切らない僕の態度に、怒るでもなく、急かすでもなく。シェロカルテはにこにこ表情を変えないまま、やがて得心がいったようにポン、と手を打ってみせた。
    「ああなるほど~。そういうことですね~」
     何が、なるほど、なのか。僕は、何も、言っていないのに。それじゃあ、ちゃんと、伝えておきますから、と扉の奥に消えた彼女を見送りながら、背中を這う冷たい汗の感触に僕は震えた。
     目は口ほどに、とはよく言ったものである。僕の場合、目どころか顔色から仕草から、あちこちから、それはもう心のうちが滲み出ていた。
     ため息が落ちる。それがあまりに湿っぽくて、おかげで顔の熱が引く。と、ついでに腹が鳴ったので、気分転換ついでに食堂で朝食を摂ってから、艇へと戻った。
     今日は依頼もないから、少しゆっくりしていよう。本を読むのもいいかもしれない。でも鍛錬は、ちょっと、やめておこう。


     あっさりと訪れた夜の底を引っかき回すように、毛布をたぐって身を丸める。ビィは、ルリアの部屋に行ったきり戻ってこないから、きっとあちらで眠りについてしまったのだろう。誰の寝息も聞こえない室内には、自分の立てる物音と、風の音がやたらに大きく聞かれた。ひとりぼっちは、どうにも落ち着かない。
     結局あの人からの沙汰はなく、帰ってくることもなかった。期待した分、口の中が苦い。うそつき、なんてパーシヴァルを責めたくもなったものの、もっと空しくなりそうでやめにした。
     今日も、眠れない。否、今日はいっそ本格的に眠気が来ない。たぶん一日、本を読むか、お喋りするか、そんなことばかりで、あまり体を動かしていなかったせいだ。鍛錬を、さぼったせいだ。普段なら、気がつけば剣を握ったり、槍の扱いを習ったり、誰かと手合わせしたりとせわしなく動き回っているところ、今日は、まったく、剣に触っていない。武具の手入れすら、やらずに終わった。
     だって、どうしたって、想い、出す、から。我ながら情けない理由だと思う。けれど疑いようもない真実は、自覚するといっそ笑うことしかできない。
     今日の食堂には誰かいてくれるだろうか。また、パーシヴァルが待っているなんてことはあるのだろうか。ぐるぐると体に毛布を絡ませながら思案する。
     どうせなら、今度こそ酒盛りをしている大人たちがいてくれると嬉しい。騒がしさの中にぼんやり身を置いて、ついでにポーカーにでも付き合ってもらったら、だいぶ気が紛れるに違いない。
     まあ、いらない期待はしないでおこう。連日の静まり返った薄闇の食堂を瞼の裏側に浮かばせて、絡まった毛布から強引に抜け出す。ぐちゃぐちゃになってしまったそれはベッドの上に残して、僕はランプを掴んだ。
     と、廊下に出てすぐ、やっぱり毛布を持ってきたほうがよかったと後悔した。だいぶ、冷える。けれどいまさら、部屋に戻るのも決まりが悪くて、自然、歩みは早くなった。
     寝静まった艇内では、ひそめた足音すらよく、響く。なんだかうるさい心音も、実は周りに筒抜けなのではないかと、つい、錯覚してしまいたくなるほどだ。
     ようやく、といった心持ちにさせられながら辿り着いた食堂からは、人の気配が感じられた。けれど、大きな声も、強い明かりも、もれてはいない。とても静かで、誰もいないかのように薄暗い。
     最初に思い出したのは昨夜のパーシヴァルの顔だった。
    「あっ……」
     思わず、一音、こぼれる。
    「ただいま、グラン」
     窓の月を背にしているせいで、その表情は判別できない。それなのに、その人の頬笑む顔が、僕の頭の中には明確に浮かんでいた。やわらかく、あたたかく、冷えた肩口に触れるようにして届けられた声が、その人の表情を教えてくれていた。
     ぐっと、ランプを握る。おかえりなさいと言えばいいのに、どうしてだか声が喉でつっかえて、はく、はくと唇だけが動いた。
     ――ごめん、パーシヴァル。あなたの言うとおりだった。
     黙りこくった僕が不思議だったのか、逆光のシルエットが、ことん、と首を傾げる。その所作がなんだかあまりにいとけなく思われて、肩の力が抜けた。
    「おかえりなさい、ジークフリートさん」
     するりと落ちた言葉とともに、僕は、彼のほうへと歩を、進めた。

         *

     ――これは、確認だったのだ。

     ジークフリートは窓辺で月を眺めながら、グラスに注いだ酒を舐めた。じんわりと、罪悪感を忘れさせる強いアルコールが胃に落ちる。いっそ酔えたらどれほど心地がいいのだろう。ワクだなんだと散々揶揄された己では、その感覚を想像することすら易くない。
     とかく、今日の月は格別に美しく、彼はとても気分がよかった。
     傍らでは、話疲れて眠りに落ちた少年が、身を丸めて寝息を立てている。少し冷えるからと掛けてやった毛布が静かに上下する光景が、視界の端にあるだけで、彼はとても満たされていた。――いまは、まだ。
     いずれこれだけでは足りなくなることくらい、当然自覚するところであり、彼はむしろそれを歓迎していた。竜の血を浴び、随分と人から遠ざかったと思われていた自分が、まったくどうして、これほど人間らしい感情の持ち合わせがあったのかと。ゆるりと弧を引く口もとは、獲物を狙う獣のそれだ。
    「お前はきっと、自分が我儘を言ってしまった、くらいに思っているんだろうが――」
     不意に、パーシヴァルの顔が浮かんだのは、たぶん明日の早朝寝起きに、彼が自分を叱り飛ばしにやって来ることを予見したせいだ。
    「離してやれるうちに、逃げてくれればよかったんだがな」
     望みもしないそんなこと。つらりと唇に乗せてみて、もう一口、酒をあおる。
    「できるかぎり我慢はするさ。が、俺はたぶん、あいつほど良識的じゃない」
     ゆりかごの真似をした檻の中に、自ら足を踏み入れてしまった少年の頬を撫でてやる。くすぐったいのか身じろぎしたが、よほど疲れていたらしい、目覚める気配はどこにもなかった。
     あるいは。薄らと見える目の下の紫を注意してなぞる。背筋が、ぞくりと震えた。
    「我慢……我慢、か……」
     酒気を孕んだため息は、ひどい熱を、帯びていた。
    槻宮 Link Message Mute
    2018/06/17 17:33:20

    寂寞の夜に恋願う

    ##グラブル #ジクグラ #腐向け

    ――少年の想いはいまだ淡く、男の想いはいっそ執着であった。

    支部からの移動。テスト。
    ジークフリートがしばらくグランサイファーを離れることになったのが、なんとなく寂しくて夜な夜なベッドを抜け出すグランくんの話。

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    • 雨はまだ止まない——朝食に菓子パンはよくないって言うでしょう?
      元の姿に戻った名探偵と、果たして今何をしているのかわからないとある男の話。
      長編になるはずの話の第一話あるいはプロローグです。
      事件が起こることはないまま、二人が時間を共有するだけの話。ときどき時系列が過去に戻ります(予定は未定)

      #腐向け #降新
      槻宮
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