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    幼心の君 The Winter War 俺の主は女の子だ。現世のことはよくわからないけど、「中学校」で「義務教育」を修了して、すぐに審神者になったらしい。
     顕現されたときに驚いたというか、がっかりしなかったと言うと嘘になる。だって女の子だもん。俺のこと、ちゃんと使えんの?って。
     歳は十五とか言ってたけど、俺が安定と一緒に沖田君のところにいた頃の十五歳よりも、よっぽど子供っぽくて頼りない。
     まぁ、実際に刀を振るうのは、この子じゃなくて俺達自身だってことだから安心した。その子に武術の心得なんてないのは身のこなしを見れば一目瞭然ってヤツで、さすがに本体なんて預けられない。危なっかしい。
     じゃあ俺達を指揮するための戦術の知識があるのかと言ったら、それも実用には程遠かった。話を聞いたら、審神者になると決めてから数カ月だけ、本来の勉学の片手間に研修を受けたんだって。いや、そんなん無理でしょ。
     要するに、彼女に出来ることは刀剣男士の顕現と手入れのみ。いいんだけどね。審神者の役目ってほとんどそれだし。
     そんなことを考えながら初陣に出たけど、そりゃボコボコにされるよね。初めてなのに真剣必殺までしちゃったよ。
     で、ボロ雑巾みたいになって帰還したらさ、あの子が悲鳴を上げるわけ。真っ青な顔して。血だらけだしね、無理ないよね。
     正直さ、また捨てられるんだって思った。手入れしてもらえたけどね。付喪神って単純だから、あんなふうに必死に手入れしてもらえると、まぁこの子とやっていくのも悪くないかなって。頼りないけど、そこは俺達が支えてあげればいいじゃんって考え直したんだ。

     それからいろいろあったけど、頑張ってるよね。さすが俺の主。
     読めない漢字があったり、公文書の言い回しが理解できなかったり、書類仕事も得意ってわけじゃないけど、俺達に丸投げしたりしないで、出来る限り自分でやろうとしてる。それでも俺達に手伝ってもらう部分が多いからってんで、本丸内の雑務もちょこちょこやってる。
     主は「未成年」ってやつなんだ。元服前ってことかな。ときどき現世に帰って「研修」を受けたり、何だかんだ忙しそうだよ。
     刀剣男士の数も結構揃ってきてさ。まあ、あんま珍しい奴らはいないけど、頭数は揃ってきて、部隊編成にも不自由しない感じ。最近、主は戦術の勉強も始めた。本丸の戦績は中の下か、下の上くらいかな。でも、戦争中にこんなこと言うのはおかしいけど、割と平和にやってるわけ。
     私は中学校を卒業して、すぐに審神者になった。
     理由は二つ。
     一つ目は、我が家の事情。築三十余年の公営団地に、両親と兄二人と私と弟二人。一番上の兄は大学生。二番目の兄は高校生。弟二人は中学生と小学五年生。まだまだ食費も学費もかかる。
     二つ目は、私の学力。中学三年生の健康診断で審神者の資質有りと診断されると、将来的に審神者になると契約すれば高校と大学の学費は免除されるらしい。しかし、哀しいかな私の頭では大したとこに行けるわけもなし。元々そんなに勉強が好きでもない。それなら、さっさと就職してしまおうと思った。

     甘かった。
     卒業までの半年間、学校の合間に研修や訓練を受けたけど、それは審神者としての基礎中の基礎の基礎くらいだったらしい。
     初陣で初期刀に大怪我をさせ、その後も陣形も戦術もわからないまま刀装も着けずに出陣させ、初期刀と初鍛刀の短刀にまた大怪我をさせた。

     政府や本部からの文書に書いてある言葉は難しくて、何度も読み返さないと理解できない。ときどき読めない漢字がある。辞書を引いたり、近侍の刀剣男士に教えてもらいながら、何とか書類仕事をこなす毎日だった。
     あとは出陣や遠征の指揮。これもかなり刀剣男士達に助けられている。
     初めは、私の頭越しに行われる皆のやり取りを聞いていただけだったが、これでは何のための主人かわからない。そこで私は初期刀の加州清光に相談した。
    「え?戦術の勉強?」
    「うん、みんな忙しいのはわかってるんだけど、何か方法ない?」
    「う~ん、俺もきちんと勉強したわけじゃないからなあ。こういうのって、やっぱり武将のとこにいて戦に出たことがある刀が詳しいんだよね」
    「じゃあ、太刀の誰かかな」
    「いや、刀種は何だっていいけど、大名の持ち物だったような奴とかさ」
    「できれば優しい人がいいなあ……」
     廊下で立ち話をしていると、後ろから声をかけられた。
    「ほら、危ないよ」
    「あ、燭台切。ちょうど良かった。主の話を聞いたげてよ」
    「あれ、僕に用事なの?」
     燭台切は膝を屈めて私に視線を合わせた。
    「みっちーに用事というか、戦術の勉強がしたいの」
    「戦術?」
     燭台切は私と加州の話を聞き終わると、顎に手を当てて少し考えるような仕草をした。
    「主の心意気は立派だと思うけど、実用まで持っていくのは大変だよ?」
    「勉強は苦手だけど、頑張るから!お願い!」
     私は両手をパンッと合わせて拝んだ。加州も燭台切に手を合わせる。
    「ね、俺からも頼むよ」
    「……初期刀の加州君にまで言われちゃね。オーケー、何人かにお願いしてみよう」

     こうして、歌仙兼定や厚藤四郎、薬研藤四郎などの何振りかが、時間があるときに私に戦術を教えてくれることになったのだった。
     その日のうちに、厚藤四郎は私の自室に何冊か本を運んできた。
     畳の上に置いたパイプベッドに寝転がって雑誌を読んでいた私は跳ね起きた。
    「ちょっと!あっちゃん、何!何!」
    「何って、戦術の勉強するんだろ、大将」
    「するけど!」
    「だからさ、『六韜』『三略』あと『孫子』くらいは基本だろ?」
    「何それ!!」
    「兵法書。あと、こっちは歴史書な。俺達も教える時間は限られてるからさ。とりあえずは自分で読んどいてくれよな」
    「え?え?これを?」
    「あとさ、歌仙が兵棋を買おうかって言ってたぜ」
    「何て?」
    「へ・い・ぎ」
     厚が一音ずつ区切って発音してくれたが、結局わからなかった。厚は腰に手を当てて、ぽかんとしている私を見ていたが、こてんと首を傾げて言った。
    「……ま、最初は知識をつけなきゃな。頑張れよ、大将!」


     一旦仕事を離れれば、本丸での生活はとても楽しい。
     刀剣男士達の年齢層は、ちょうど私の兄弟達と重なっていたので、彼らとコミュニケーションをとることを負担に感じたことはない。
     特に初期刀の加州清光とは、メイクやファッションの話もできて、まるで学校の友達みたいだ。
     短刀には、携帯ゲームやカードゲーム、ボードゲームなど、弟達と遊んでいたような遊びの受けが良かった。
     打刀や太刀には将棋や囲碁を好む者が多い。私は父親や兄達に揉まれて育ったので、実は少し自信があった。実際、同級生の男子よりも強かったのだ。
     でも刀剣達はこの手のゲームに凄く強かった。将棋は駒を落としてもらい囲碁は置石をさせてもらっても、なかなか勝てない。燭台切なんかは優しいから、途中でヒントをくれたり、ときにはわざと負けてくれる。しかし、それはそれでおもしろくない。
    「もう!手加減しないでって言ったでしょ!」
    「してないよ」
     私達は縁側に将棋盤を持ち出して遊んでいた。
     季節はだいぶ秋めいていて、空はかなり高く、日射しは明るいが強くはない。
     燭台切に笑顔で言われても納得できない。座敷で寝転がっていた鶴丸がにやにやと笑う。
    「おいおい光坊。本物の上手はバレないように手を緩めるもんだ」
    「ほら!鶴ちゃんもこう言ってるじゃん!」
    「鶴さん、余計なこと言わないでよ」
    「やっぱり!!」
     鶴丸はひょいと畳から上半身を起こした。
    「光坊はこないだ長谷部に勝ってたからな。長谷部だって弱くはないだろう」
    「長谷部くんは強いよ。僕が勝てたのはまぐれだよ」
     その名前を聞いて私はどきりとする。当たり前だけど、それは恋愛感情からじゃない。少し前に顕現したその刀剣はどうやら私とは合わないタイプのようで、こちらから話しかけても必要最低限の短い返事しか返ってこない。でも今の話では、他の刀剣男士とは遊ぶこともあるようだ。
    「どうしたの?ごめんね、もう一回やる?」
     ついつい暗い表情をしていたらしい。燭台切が気遣って声をかけてくれた。私は慌てて首を左右に振った。
    「よし、今度は俺と勝負するとしよう」
     鶴丸は立ち上がると縁側に出てきて、燭台切に場所を代わるよう促した。
    「そう?じゃあ僕は失礼するよ。また遊ぼうね」
     燭台切はそう言って席を立った。代わりに鶴丸が座布団に座る。
     私と鶴丸は一旦盤上の駒を除けた。
    「六枚落ちにするか」
    「四枚!!」
    「六枚落ちにしてもらえ」
     静かな声がかかる。先ほどから縁側に座って静かに茶を楽しんでいた鶯丸だった。私の場所から見ると、彼はちょうど鶴丸の後ろに見える。
    「うぐちゃんまで!」
     私はふくれながら駒を並べていく。並べながら、そう言えば将棋は軍隊を模しているなと思った。
    「そっちは大駒がないのに、何で勝てないんだろ」
    「歩兵は囮だけじゃなくて、ちゃんと活かしてやれ。戦は一人でするもんじゃない。歩のない将棋は負け将棋、だ」
    「やっぱりさ、戦国武将とかって、こういうゲーム強かった?」
     特に深くは考えずに口にした。
    「さあなあ」
     鶴丸はもう駒を並べ終わって、胡坐をかいた膝に頬杖をついていた。
     鶴丸の後ろで茶を啜っていた鶯丸がこちらを向いた。
    「駒を一つ動かすたび、敵味方合わせて数十から数百の人間が死ぬ。それがわかっていて駒を動かせる者が将に向いている」
    「え?」
    「駒を一つも犠牲にしないなんてことはできない。きみも考えるだろう。玉を守るためにどこを切り捨て、どこを残すのか」
     鶯丸の声を聞きながら、私の目は盤面に釘付けになった。
     何だか、とっても怖いことを言われたような気がする。
    「やらないのか?」
     そう言われて顔を上げると、鶴丸の金眼と視線がぶつかった。鶯丸はもうこちらを向いていない。
    「あ、うん、ちょっと疲れちゃったみたい。……また今度でいいかな?」
    「ああ、いいさ。おっと、将棋はこのままでいい。俺が片づけてやろう」
     私は鶴丸にお礼を言うと、逃げるようにその場を立ち去った。


     審神者の足音が聞こえなくなったのを確かめて、鶴丸は肩越しに鶯丸に声を掛けた。
    「おいおい、あんまりあの子を怖がらせてくれるなよ」
    「何の話かな」
     鶯丸は澄ました顔で茶を啜っている。鶴丸は視線を遠くにやって庭を眺めた。
    「雅な景趣に清浄な空気。結構なことじゃないか。俺は気に入ってるんだ」
    「まさか本気で言っているのじゃあるまいな、鶴丸国永」
    「驚いたか?冗談だよ。まだ耄碌はしていないつもりだ」
     鶴丸は将棋盤から何かを摘み上げた。それは小さな歩兵の駒だった。
    「ここは戦線さ。俺達の本丸はこれだ」
     時間遡行軍と拮抗して睨みあう、いわば境界線の近くに本丸は配置されている。それはどの本丸も同様だ。紛争地帯においては、大きな戦闘はなくとも両軍による小競り合いは日常茶飯事だ。
     鶯丸は微笑んで、湯呑みの中を見る。
    「前線基地を”本丸”と名付けるとは、審神者を使っている政府とやらも、なかなか皮肉を効かせるじゃないか。大包平なら何と言うだろうな」
     戦闘員は付喪神、人間は審神者一人。いざとなれば審神者一人を逃がせば人的損害はない。鶴丸は歩兵を盤上に戻すと、鶯丸を見た。
    「あの子に気付かせようとしたんだろう。気付いたと思うかい?」
    「どうだろうな。あんなに幼くては」
    「むごいことだ」


     鶴丸達のところから離れた私は、自室のある棟に向かって縁側を走っていた。
     本丸内は意外と曲り角が多い。前に蜂須賀虎徹が「侵入してきた敵が進みにくいようにだよ」と教えてくれた。見通しが悪くて危ないから走らないように、とも。
     私は駆け足で縁側の角を曲がった。
     そして誰かにぶつかった。
     ちなみに刀剣男士はとても頑丈だ。たとえ短刀でも、私とぶつかって転ぶようなやわな刀はいない。初期の頃に短刀達と相撲を取ろうとしたが、なよなよして見える五虎退でさえ、押しても引いてもぴくりとも動かなかった。もしかして見かけによらず重たいのかと、現世から持って来た体重計に乗せてみたが、同じくらいの体格の人間と変わらない数値だった。不思議である。
     何が言いたいのかというと、この本丸内で私とぶつかる相手は刀剣男士しかおらず、且つ当たり負けするのはこちらだということだ。
     衝突地点が縁側の角だったため、弾き飛ばされた私は縁側から庭に転げ落ちてしまった。
    「おい!大丈夫かよ!」
    「いってて……」
     非番の恰好をした獅子王が、裸足のまま庭に飛び降りてきた。
    「あ、しーちゃん、ごめんね」
    「いや、ぶつかったのは俺じゃねえんだけど」
     獅子王はしゃがんで私を助け起こしながら、縁側を見上げた。
    「おい、長谷部!お前も気を付けろよな!」
     縁側には長谷部が呆然と立っていた。両手で野菜の入った籠を抱えていて、床にも籠と野菜が転がっている。獅子王と二人で厨に運ぶ途中だったのだろう。
     獅子王に怒鳴られて、長谷部ははっとしたように籠を置き、縁側から飛び降りてきた。
    「申し訳ありません。お怪我は」
    「あ~大丈夫、大丈夫。ちょっと擦りむいただけ」
    「手当てしとくか?」
    「こんなの洗っとけば平気。それより二人とも足が汚れちゃってるよ。歌仙に怒られても知らな…うわっと」
     獅子王がひょいと私を持ち上げて縁側に座らせてくれた。やっぱり刀剣男士は信じられないくらい力持ちだ。
    「すごいね、しーちゃん」
    「おう」
     獅子王はそう言って、自分も身軽な動作で縁側に飛び乗った。
     長谷部はいつもと変わらず険しい表情のまま、私の目の前に立って深々と頭を下げた。
    「俺の不注意です。申し訳ありません」
    「だから、いいって。元はと言えば走ってた私が悪いんだし」
    「しかし」
     そこで言葉を止めると、長谷部は少し屈み込むようにして、私の顔に手を伸ばしてきた。
    「え?うわ!何!」
     私は反射的に悲鳴を上げてのけ反った。長谷部も驚いたように手を引く。
    「すみません、御髪に草の葉がついておりましたので」
    「あ?え?そ、そうなの?落ちた時かな?」
    「んー?あ、ホントだな。ほれ、取ったぜ」
     獅子王がすっと手を伸ばして私の髪から何かを取ると、ふっと吹き飛ばした。
     籠から落ちてしまった野菜を拾い、その場を去っていく二人の背中を見ながら、私は長谷部が本丸に来た頃のことを思い出していた。


     長谷部が顕現した日、私は近侍のにっかり青江と日課の鍛刀を行っていた。
     刀鍛冶の精霊が打ち出したのは、落ち着いた金色の鞘と柄巻の下に見える朱色が印象的な打刀だった。
    「初めて見る刀だ!」
    「かわいい子だといいねぇ」
     私はうきうきと刀を両手に持ち、霊力を注ぎ込んだ。
     刀が白く輝き、手に感じていた重さがなくなる。光は人の形をとり、どこからともなく舞い始めた桜吹雪を纏って、一人の青年が現れた。
    「へし切長谷部、と言います。主命とあらば、何でもこなしますよ」
    「わぁ!やっぱりイケメン!」
    「おやおや、君はこういうのが好きなのかい?」
     ちょうどそこに五虎退が私を呼びにやって来た。
    「あ、あるじさま、遠征部隊が帰還しました。怪我はなさそうです」
    「オッケー!すぐ行くね!じゃエッちゃん、新入り君のことよろしく!」
     私は五虎退と一緒に鍛冶場を後にした。

     その後もバタバタと忙しく、私は新入りの刀と顔を合わせないまま、次の日になった。
     朝、近侍に声を掛けられた私は、もそもそと布団から這い出ると、眠い目を擦りながら襖を開けて廊下に出た。
     自室のある階で洗面を済ませると、朝食を摂るため大広間へ向かう。
     私はどうも浴衣で寝ることに慣れないので、私物のパジャマを着用している。このまま広間に行けば、また歌仙や燭台切から「寝巻きのままなんて、みっともないよ」と小言を言われるだろうな、などと考えながら刀剣達の寝室棟との渡り廊下に差し掛かった。
     九月に入り、朝夕の涼しさに、季節が少しずつ秋になっていくのがわかる時期だ。私は渡り廊下から縁側を歩き、角を曲がった。そこで昨日顕現したばかりの刀剣男士と出くわしたのだ。
     確か名前は、へし切り長谷部。
    「おはよ!へっしー!」
    「長谷部です」
     語尾に被さるくらい素早く、そして何だか冷ややかに返された。
     長谷部は会釈をすると、私の横をすり抜けて、縁側の角を曲がって行ってしまった。
     私はというと、少し驚いたものの深刻には捉えていなかった。素っ気ない態度をとる刀剣としては、既に大倶利伽羅が顕現していたし、私の兄達も一時はあんな感じだった。刀剣男士の見た目年齢が精神年齢と釣り合っているものなのかは知らないが、そう外れてもいないだろうと考えていた。
     ためしに近侍にしてみると、とてもよく働いてくれた。でも自分からは私に話しかけてこないし、こちらから呼びかけると眉間に皺を寄せるし、ちょっと取っ付きにくい刀だった。
     だが、本来のへし切り長谷部という刀剣男士は違うらしい。私がそのことに気付いたのは、政府の定めた定期面談の日だった。

     私は審神者として就職しており、その身分は社会人なのだが、同時に十八歳未満の未成年者だ。そのため担当部署の事務官が監督者として配属されている。
     彼らは本丸に踏み入ることができないため、一週間に一度、私の方から現世に赴き面談を受けているのだ。
     その日も、約束の時間に合わせてゲートを通り、施設の中にある小さな部屋のドアをノックした。
    「こんにちは、先生」
    「はい、こんにちは」
     髪を纏めメガネをかけたスーツ姿の女性が、パイプ椅子に腰掛けている。彼女は折り畳みの長机の向かい側を掌で示して、私に着席を促した。
     監督者は二十代後半くらいの女性だ。本当は初めて会った時に名刺を貰ったのだけれど、たとえ「さん」付けでも年上の人を名前では呼び辛い、と私が言ったため彼女の呼び名は「先生」になった。
    「じゃあ、いつものように質問シートに回答してくださいね。その間に報告書を読ませてもらいますから」
     先生はにこやかに話しながら、タブレット端末を差し出してきた。
    「はーい」
     大した内容ではない。体調や精神面に関する代わり映えしない質問が二十個ほど並んでいる。
     私がポンポンと回答をタップしていく間、先生は私が書いた業務日誌を読むというのが決まった流れだった。
    「順調そうですね」
     質問シートへの回答が終わり、タブレットを先生に返すと面談が始まる。
    「少し寒くなってきたけど、本丸はどうですか?」
    「う〜ん、やっぱり秋って感じになってきたかなあ。皆、畑のお芋ができるのを楽しみにしてるみたい」
    「刀剣男士とは仲良くしてるのね」
    「えへへ、皆優しいから。中学の男子とは大違い」
    「今週も一振り顕現できていますね。ええと、へし切り長谷部」
    「はい」
    「どう?何か変わったことや困ったことはあるかしら?」
    「特に無いかなぁ。真面目だし」
    「貴方の世話を焼きたがって、他の刀剣男士と衝突するようなことはない?」
    「ええ!?長谷部が!?」
    「え?」
     びっくりした私を見て、先生も驚いていた。彼女は縁無しのメガネの蔓を摘んで少し持ち上げ、私に向けて笑顔を作った。
    「そんなに意外な質問ですか?」
    「私の世話なんか焼きたがらないし、どっちかって言うとツンツンしてるんだけど。でも、倶利ちゃん系とはちょっと違うかなあ」
    「え?」
    「私とはあまり目を合わさないし、近侍にしても無口だし……何かいつも怒ってるみたいな」
     今度は少し焦ったように、先生は手元のタブレットをスワイプした。彼女は何かを読んでから、再び私を見た。
    「……あの、確かにへし切り長谷部なんですよね?」
    「多分」
     改めて問われると自信がなくなりそうだが、本人がそう名乗ったのだし間違いはないと思う。
     そう答えると、先生は軽く握った拳を口元に当てて何か考えているようなポーズをした。
    「へし切り長谷部と何かあったわけではないのね?」
    「何も無かったと思うんだけどなあ」
    「そう言えば、へし切り長谷部のことは何て呼んでます?さっき長谷部って呼んでたように思うけど」
    「そう呼んでる。長谷部って」
    「他の刀剣男士みたいに、あだ名は付けてあげなかったの?」
    「最初はへっしーって呼んだんだけど、嫌がったから」
     先生はふむふむと頷きながらタブレットに専用ペンで何か書き込んでいる。
    「貴方自身はどうですか?へし切り長谷部の態度で、辛いと感じることはある?」
    「う〜ん……今のところは無い、けど」
    「けど?」
    「ねえ先生、もしかして、うちの長谷部って変なの?」
     そこで話し辛そうにしている先生に食い下がって、所謂「普通のへし切り長谷部」について教えてもらった。
     そもそも、へし切り長谷部は珍しい刀剣男士ではなく、刀種も打刀であるため、割と早くに審神者の元にやって来るのだそうだ。私は春から審神者を始めていて、今はもう秋である。私の本丸には鶴丸国永や鶯丸がいるが、長谷部より先にそれらの太刀が来ることはほとんどないらしい。そのくらい早く来る。
     そして、へし切り長谷部は「忠誠心に篤く、いつでも主の一番の臣となるべく仕える性質」を持った刀であるということ。
     それなのに私の本丸に来るのは遅く、私への態度は好意的とは言い難い。つまり
    「それ、魂レベルで嫌われてね?」
     思わず声に出して言ってしまった。さすがに先生も苦笑いする。
    「まぁ、あくまで刀剣男士の顕現は確率ですから、絶対ないとも言い切れないわ」
    「性格は?」
    「それもまぁ、へし切り長谷部に限らず、本丸ごとに多少の違いはあると聞きます」
    「えー?」
     その日の面談はそれで終了になった。先生は面談の最後に「何かあったら、すぐにこんのすけを使って連絡をください。どんな小さなことでもいいからね」と言った。
    「そう言やぁ長谷部、大将に怪我させたんだって?」
     薬研藤四郎がへし切り長谷部に話を振った。
     すでに一日の仕事は終わり、めいめい好き勝手に過ごしている時間である。
     そこは燭台切光忠と大倶利伽羅が私室として使っている部屋だった。別に用事はないのだが、昔馴染みの刀達が何となく集まるときがある。今夜はそうだった。今この部屋にいるのは部屋の持ち主である二振りと、宗三左文字、薬研藤四郎、へし切り長谷部だった。
    「獅子王か」
     長谷部は眉間の皺を深くした。
    「いや、加州だ。縁側から落ちたらしいな」
    「へし切り、貴方、まさか突き落としたんですか」
     宗三が本気とも冗談ともつかぬ口調で尋ねた。
    「誰がそんなことするか。曲がり角でぶつかったんだ。まさかあんなに吹っ飛ぶとは思わなかった」
    「主、大丈夫だったの?」
     長谷部のすぐ後ろで、大倶利伽羅と碁盤を挟んでいた燭台切が振り返る。薬研が右手を立てて左右に振った。
    「大したことはねえよ。擦り傷と軽い打撲だそうだ」
    「彼女も怖かったでしょう。へし切りは彼女を嫌ってますからねえ」
     宗三がどことなく上機嫌に、歌うように言った。
    「別に嫌ってなどいない」
    「では、貴方の方が嫌われている?」
    「どういう意味だ」
     長谷部が宗三を睨みつけた。宗三は「おお怖い」と袖で顔を覆う真似をした。
    「だってそうでしょう。あの誰にでもあだ名をつけて懐いてまわる子供が、貴方だけは長谷部呼びなんて」
     ねえ、と宗三は薬研を見た。長谷部はふんと鼻を鳴らした。
    「お前たちこそ、よくあんな奇妙な名で呼ばれて平気だな」
    「名前の奇妙さについて、貴方にだけは言われたくありません」
     宗三がそう言うと、横にいた薬研がぶはっと噴き出した。
    「宗三左文字!貴様!」
    「ちょっと、僕らの部屋で喧嘩しないで」
    「暴れるなら他所へ行け」
     気色ばんだ長谷部を燭台切が宥め、大倶利伽羅が溜め息をついた。
     長谷部は二人のことも睨みつける。
    「貴様らだって、普段は恰好がどうとか馴れ合いがどうとか言っているだろうが。あの珍妙な呼び名は構わないのか」
     完全な流れ弾だったが、伊達家所縁の二振りは平然としている。
    「……呼び名なんてどうでもいい、俺は無銘刀だからな」
    「女の子が考えてくれたあだ名を断る方がカッコ悪いよ」
     ぐっと押し黙ってしまった長谷部を見て、宗三は愉快そうに笑ってみせた。
    「僕はにっかり青江から聞きましたよ。貴方、初日にずいぶんとがっかりしていたそうですね。もうこの本丸には、だいぶ刀が揃っていますからね。彼女もそうそう、新入りばかり構っていられませんよ?」
    「……」
    「長谷部よぅ」
     薬研が静かな声で長谷部を呼んだ。
    「昔の俺達は口がきけなかった。と言うか、俺達の言葉は人間には伝わらないんだから仕方がない。でも、だからこそアンタはいろいろ抱え込んじまったんだろうが」
    「……何が言いたい。薬研通し」
    「人というのは言葉にせんと理解できない生き物らしいぜ。それどころか二心を疑ったりもする」
     長谷部が黙り込んでしまったので、部屋には気まずい沈黙が訪れた。
     まあまあ、と穏やかな調子で口を開いて沈黙を破ったのは燭台切だ。
    「お節介かもしれないけど、薬研くんの言うとおり、その手の誤解は早めに解いておくのがいいと思うよ。主と刀の間がギクシャクすると、全体の士気に影響が出るからね」
    「どうでしょうね」
     宗三左文字は皮肉っぽく笑ったが、やはりどこか楽しんでいるようにも見える。
    「貴方のように口が上手い刀ならそれも可能でしょうけど。この男にそんな器用なマネができると思いますか?」
    「どういう意味だ」
    「余計こじらせるのがオチ、という意味ですよ」
     長谷部はムッと眉間に皺を寄せたが反論はしなかった。審神者に怖がられているという他の刀の指摘が正しいとしても、ならば自分はどうするのが正解なのか、それがわからないのは事実だからだ。
    「長谷部くんは何か主に不満があるの?」
    「不満など……癪ではあるが、確かに宗三の言うとおりだ。この本丸にはすでに多くの刀剣がいる。俺は顕現したてで練度も低い。早く強くなりたいが、今のところ近侍を一回やっただけで、あとは内番ばかりだ」
    「慣れるまではそんなものだろう」
     珍しく大倶利伽羅がフォローとも取れる発言をした。薬研が顎に手を当てて、少し上を見上げるようにして喋る。
    「そうだなあ。頭数が少ない頃ならともかく、最近になって来る奴らはまず内番、その次は遠征。それから出陣って流れだな」
    「遠征でも練度は上がるからね。もちろん出陣の方が上がるけど、刀装のこととか考えるとそうなっちゃうよね」
    「でもそれでどうして、へし切りは彼女に素っ気ない態度をとるんです?」
     宗三が肝心の疑問をぶつけた。四振りの視線が長谷部に向かう。
    「それは」
     長谷部の視線が畳の上を這う。
    「それが、俺にもよくわからん。何というか……主にこんな思いを抱くのは……」
    「長谷部くん……」
     燭台切が何かを察したように長谷部の肩に手を置こうとした。
    「見ていられないんだ」
    「は?」
     長谷部の言葉にぴたりと手が止まる。
    「その、いろいろ危なっかしくて……理解してはいるんだ。今の主は審神者であって武将ではないと。いやしかし、あんなに頼りない……いや何を言っているんだ俺は、仮にも主に」
     ああ、と部屋の中に溜め息のような複数の相槌が響いた。
     刀剣達から見れば、あまりに規格外の頼りない主。長谷部の抱いている感想は、ここにいる皆に心当たりがあった。
     薬研がいかにも笑いを堪えている顔で言った。
    「お前さんの気持ちはわかる。だが、あの御方もあの御方なりに頑張ってるんだぜ」
    「ああ、まったく。相変わらず笑わせてくれますね、へし切り」
    「……」
    「まあ、確かに子供だよね。でも一所懸命なのは確かだよ。こないだから戦術を学びたいとか言い出してね。皆で少しずつ教えてるんだ」
    「何?」
     燭台切の言葉を聞いて、長谷部が眉を吊り上げる。
    「何だそれは、正気か」
    「少なくとも主は本気だよ」
    「俺が問うているのは貴様らの正気だ。生兵法は大怪我のもとだ。知らんとは言わせんぞ」
     長谷部は燭台切に向き直った。
    「落ち着け。俺達だって大将が戦事に向いてない御仁だってことくらい理解してる」
     薬研が執り成したが、長谷部は燭台切を睨みつけたままだ。燭台切は涼しい顔をして長谷部を見返した。
    「ねえ、長谷部くん。確かに主は僕達を纏め上げるには頼りない。僕達が人間なら、きっとあの子には従わない」
    「……」
    「戦術云々の話だけど、僕も断ろうと思ったんだよ。でもね、そのとき主と一緒にいた初期刀の加州くんまでが僕を拝んで頼むんだもの。あの加州くんの表情を見たら断れなかった」
    「過保護だな」
     ぼそりと大倶利伽羅が呟いたが、その声は優しかった。
    「伽羅ちゃんの言うとおりだよ。僕ら皆、あの子に甘いのかもしれないね。まあ、出陣については主が一人で作戦を決めることはないから、あまり心配はしなくてもいいかなって」
    「しかし」
    「長谷部くんの心配もわかるよ。刀剣が増えてきて、君も含めて練度が低いままの子が何振りかいるからね。だから今度、本丸全体の練度を上げた方が良いよって、主に進言しようかと思っていたんだ」
     ぱあっと長谷部の表情が明るくなった。
    「燭台切!お前はいい奴だな!」
    「長谷部くんは少し現金だよね」
     燭台切は軽く肩を竦めながら、器用に首を傾げてみせた。
    「何か忘れちゃいませんか、貴方達」
     宗三が呆れたように言った。
    「彼女とへし切りの間の誤解はそのままでしょう」
    「それは、そうかもしれんが……」
     ううっと長谷部が唸った。
    「要するに、長谷部が大将を嫌っちゃいないってわかってもらえればいいんだろ。よし!俺が取り計らってやる」
     薬研が長谷部の肩をどんと叩いて、不敵に笑ってみせた。
     溜め息をついて、メガネを外し、椅子を自分の背中で押すようにしながら上を向いて首を伸ばした。
     時刻は夜の十時。
    「疲れたなあ」
     目の前の席の男が、釣られたように伸びをして言った。二人の机の間には、それぞれの仕事のファイルが並んでいて、お互いに見えるのは首から上だけだ。伸びのついでに部屋を見渡せば、自分達以外にも残業している者が何人かいる。皆、黙々と己の作業に集中しているようだ。
    「コーヒー飲んでくるわ。お前は?」
    「行きます」
     二人は同じフロアの端にある休憩スペースに行くため、連れ立って部屋を出た。
     センサーが人間を感知して、廊下の電灯が点った。まだ暗い廊下の先に、自販機がぼうっと白く浮かび上がって見える。
     自販機で缶コーヒーを買い、併設されたスペースに座って休憩する。
    「煙草吸ってもいいか?」
    「どうぞ」
     どことなく薄汚れた休憩スペースには灰皿も設置されているが、百年前ならいざ知らず、この時代に紙巻煙草を嗜む人間は少ないだろうと思う。
     男は電子タバコを取り出して吸い始めた。彼は未成年審神者男子を担当している。諸々の事情を考慮して、未成年審神者の監督は同性が行う。
    「そっちはどうだ。気になるケースはあったか?」
    「あると言えばあるし、無視できる程度とも言えるレベルのものがちらほらとありますね」
    「こっちは一人すっぽかしだ」
    「それは」
    「まだわからん。何せ子供だからな、楽しいことがあって予定を忘れているだけかもしれん」
    「報告しないんですか?」
    「上には言う。その後のことは俺には何とも言えんね。報告ついでに相談して決めることになるだろう」
     自分達の職務は『未成年審神者の監督』であって保護ではない。保護以前に事態を未然に発見・防止するのが仕事だ。だから自分達には最低限の情報しか与えられていない。渡されている刀剣男士についての資料も、画像無し文字のみの通り一遍なものだった。
     もっともそれは少年少女の審神者達も同様で、彼らには審神者独自のネットワークへのアクセスに制限が設けられていると聞いている。一つは、精神的に未熟な彼らが刀剣男士の特徴などの情報を顕現前に手に入れ、先入観を以て刀剣男士に接することがないよう。そしてもう一つ、入手困難な刀剣男士の情報を目にした結果、その顕現に血道を上げるようなことのないようにだ。
    「未成年者を審神者にするのは勘弁してもらいたいよなあ。どんだけ手がかかると思ってんだか」
    「それは私も同感です」
     彼女は缶コーヒーを一口飲んでから、メガネを押し上げた。
     未成年の審神者の扱いは、とにかく手間がかかるの一言に尽きる。
    「自衛官でも十八歳以上からだと言うのに、十五歳以上から採用だなんて……。そもそも、彼らには圧倒的に訓練が足りていないでしょう」
    「そりゃあ、例えば軍人でも大卒の士官学校出身者と一般公募採用じゃあスタートラインが違うだろ。後者はある程度は採用後に実戦で学んでいくんだろうしな。でもまあ、審神者の仕事っつうのは額面通りに受け取れば安全なもんだからな」
    「多感な時期に特殊な空間に隔離されて過ごすことの弊害は、既に指摘されています」
     無意識に語気が強くなった。
     義務教育を修了する歳に審神者に適性有りと診断された者のうち、卒業後すぐに就職する者は一割にも満たない。
     理由は単純で、未成年のうちは保護者の意見が何より重要視されるからだ。つまり、すぐに審神者になる子供達は何らかの事情を抱えている者が多いということでもある。
     少ない資料からでも、刀剣男士が人格を持ち、その上でほぼ無条件に審神者を敬愛する存在であることは読み取ることができる。そんな彼らと日常生活を共にするということが、一般的な十代の若者が重ねるであろう経験と、どれほど乖離したものであるか。
    「そのために週一の面談なんて、面倒臭いことしてるんだろうが」
     彼の言う通り、未成年審神者に義務付けられている週一回の面談には、そういった意味もある。こちら側の社会の存在を常に意識してもらうこと、いずれ帰る場所があるということを、彼らには覚えていてもらいたい。
    「……強制力はありませんけどね」
    「わかってる。わかってるが、俺達じゃどうもならん。保護にせよ、アクションを起こすなら委員会を無視できんだろ」
     委員会というのは、政府の関係省庁の内部に構成された一組織である。審神者達が一般的に「本部」と呼んでいるのがこの委員会で、政府は本部に依頼もしくは通知する形で審神者達に任務を知らせている。
     これは別に審神者に限ったことではなく、組織の硬直化を避けるために、こういった組織が結成されること自体は自然な成り行きだ。
     現在、本部はあくまで本庁の下部組織であるが、将来的に政府と本部の方針が食い違う可能性も十分にある。
     付喪神云々はさておき、政府による刀剣男士の正式な取扱いは「兵器」である。つまり審神者達とそれを統べる組織は武力を持ち、それを行使する権限を持っているという事実がある。
     権力は腐敗する、絶対的権力は絶対に腐敗する。とは誰の言であったか。腐敗しない権力などないからこそ、こうやって見張り合う。そこには好き嫌いも善悪もない。互いに手を取り合って、足を踏みつけ合いながら、そうやって回っていく世界なのだ。
    「面倒臭えよ。頭も痛え」
     彼は溜め息を付きながら、髭の伸び始めた顔を乱暴に撫で回した。
    「やっぱり嫌味の一つも言われちゃいますかね」
    「そりゃお前、未成年者が定期面談をすっぽかしたから鍵を開けてくれなんて言ったら、まず責められるのはこっちの落ち度だろ」
     本丸というものが、どこにどんなふうに存在しているかなど、自分達は知らない。知ったところで理解できないかもしれない。
     わかっているのは、そこには審神者の資質を持たない者は踏み入ることができないということ。未成年審神者に限っては、その空間に出入りするための鍵となる何かを委員会が管理しているということだけだ。未成年の彼らを管理・監督しているのは政府だけではない。
    「さて、そろそろ戻るか?」
     彼の言葉に頷いて、缶をゴミ箱に放り込む。
     未成年審神者は大抵戦績も奮わない。これは何年ものデータの蓄積により明らかな事実だ。未熟な彼らには端から大した任務が与えられていないという理由もあるが、それだけではないだろう。それにも関わらず、年少者の採用を止めないということは、戦況がそれだけ逼迫しているのか。質など関係なく、一振りでも多くの刀剣男士を揃えたいのか。
     自分のような木っ端役人がお上の意向など知る由もないが、やるべき仕事ははっきりしている。
    「さあ、もうひと頑張りしますか」
     この戦争が終わった時、一人でも多くの若者が道を違えず「こちら側」に帰って来られるように。
     長谷部は審神者の自室の前に立ち、そわそわと中の様子を伺った。
     中から気配がするので彼女は自室にいるはずだ。カソックの内ポケットから懐中時計を取り出して時刻を確認すると、予定を五分ほど過ぎている。声をかけても問題はないだろう。
    「主、長谷部です。ご準備はよろしいですか?」
     あまり感情を乗せず、事務的に言った。
    「あ、入ってもいいよー。でもちょっと待ってー」
     どっちだ。これが戦場での指揮なら大混乱だぞ。
     そう思ったが口には出さなかった。少し迷って、襖を開けることにする。
    「失礼します」
    「うん」
     審神者の自室に入るのは初めてだった。
     雑然としている、というのが第一印象だ。本来一人で使用するには十分な広さである十二畳ほどの部屋には幾何学模様の敷物がひかれ、その上に寝台と、背の低い白い座卓が置かれている。座卓の上には何かの本や化粧品がごちゃごちゃと出しっぱなしになっていた。その横には赤い生地で作られた大きな丸い座布団のようなものがある。
     壁際には白い棚が置かれており、薄い冊子がいくつか並んでいるが書棚というわけでもないようで、何かの動物を象った置物や機械の類も置かれていた。
     反対側の壁際には西洋風の書物机があり、パソコンと呼ばれる端末が載せられている。
     審神者は寝台に座り、携帯端末をいじっていた。彼女の横にはこんのすけがちょこんと座っている。
    「ごめん、そのへんのクッション使っていいからさ、適当に座っといて」
    「……はい」
     彼女が指した大きな赤い座布団に腰を下ろす。深く身体が沈み込んで、ひどく落ち着かなかった。
    「楽でしょ、それ」
    「ええ、まあ」
    「……よしっと。こんちゃん、これでいい?」
     彼女は持っている端末をこんのすけに見せた。こんのすけがお手をするように画面に触れる。
    「大丈夫なようです。審神者様」
    「オッケー。これさ、毎回メンドクサイよね。一回やったら次からピュッといけるようにしてよ」
    「善処いたします」
    「毎回そう言ってるじゃん。エラーメッセージでしょ、それ」
     審神者はぴょんと寝台から立ち上がり、柔らかそうな素材でできた鞄を持った。
     彼女はいつも安っぽいぺらぺらした派手な洋服を着ている。長谷部には現世の服の事情などわからないが、あんなに足を出していて寒くないのかとは思う。他の刀剣の話を聞くに、どうやらこの若い審神者は着物が苦手らしい。
    「お待たせ。じゃ、行こっか」
    「はっ」
    「いや、そんな気合い入れなくても。買い物だよ?」
     そう、長谷部は審神者と万屋に行くことになっていた。
     これは薬研の計らいによるものだ。話は驚くほど簡単で、薬研が審神者と買い出しの約束をし、急用ができたからと言って長谷部と交代するという単純なものだった。
     そこで審神者に否と言われればそれまでだったのだが、彼女も上に立つ者の端くれ、そこまで私情に振り回されることはないようだ。
    「何かね、通販じゃ手に入らない食玩?のついたお菓子が欲しいんだって。まだまだお子様だよねー、薬研っちも。ま、私も欲しいお化粧あったからさ、ちょうどいいんだけど」
     薬研から渡された書付けをひらひらさせながら、彼女は言った。
    「そうですか」
     他に何とも返答のしようが思い浮かばず、長谷部はそれだけ言った。長谷部の少し前を歩いていた審神者は、ちらっと彼を振り返ったが、立ち止まることなく歩いていく。
     ゲートを通り抜けると、道の向こうに塀に囲まれた街が見えた。万屋街といって、刀剣男士達のための特殊な商品から人間も使える日用品まで、おおよその物がそこで買える。甘味処や遊技場などもあり、審神者や刀剣男士にとっては貴重な息抜きの場でもあるため、いつでも賑わっている。
    「長谷部は来たことなかったよね?」
    「は、はい」

     そして、長谷部は人酔いした。
     くらくらと眩暈を堪えていたが、審神者が長谷部の不調に気付き、喧騒から少し離れた木陰のベンチに連れて行ってくれた。
    「……申し訳ありません」
    「大丈夫、大丈夫。前にもなった子いたから。あっちゃんとか五虎ちゃんとか。初めてだとびっくりするみたい。自分と同じ顔とすれ違うのって変な感じだもんね」
     実際の年齢はともかく、子供の形をした短刀を引き合いに出されるとは不甲斐ない。
     彼女は「ちょっと待ってて」と言って離れて行った。
    (我ながら情けないな……)
     長谷部が項垂れていると、ぺとっと冷たい物が額に当てられた。
     驚いて顔を上げると、審神者が何か液体の入った容器を持って立っている。
    「はい。冷たい水、飲むといいよ」
    「は、いえ、ご迷惑をおかけした上にこのような物、いただけません」
    「いいから、いいから。ほら、前に聞いたんだけどね、何か車酔いとかってさ、何とか神経がアレだから、冷たい物とか食べて何とか神経を何とかするといいとか」
     さっぱりわからなかった。多分、彼女もわかっていないのだろう。
     でも、彼女が自分のためを思ってこれを買ってきてくれたのだということはわかった。
    「……ありがたき幸せ」
    「うっわ、固」
    「え?」
    「んー、何でもないよ」
     彼女は張り付いた笑顔でふるふると首を振った。
     また自分は険しい顔をしていただろうか。

     買い物を済ませ、万屋街を離れてゲートまでの道を歩く。
     薬研に頼まれた大量の食玩付きの菓子が入った袋を長谷部が抱え、審神者は自分用に買った化粧品の袋を提げている。
     秋の空は高い。道の両脇には枯草がさらさらと風に鳴らされていた。
    「あ」
     ゲートの設置された門構えの前まで来たとき、審神者が声を出した。
    「柿がなってる」
     何事かと身構えた長谷部だったが、彼女の言葉を聞いて力を抜いた。
     彼女の視線を追って見上げると、道の脇に植わっている柿の木のてっぺん近くに橙色の実がなっていた。行きは万屋の方角ばかりに気を取られていたので見落としていたのだろう。
     他の実は誰かに採られたのか落ちてしまったのか、残っているのは一つだけのようだ。秋も深まり、ほとんど葉が散ってしまっているので、余計に目立つのだ。
    「採れるかなー?」
     審神者は木の幹に手をかけた。
    「いけません」
     長谷部の厳しい声に彼女はびくっと振り返り、ぱちぱちと瞬いてから笑った。
    「えー?大丈夫だよ、私、木登り得意なんだからさ」
    「得手不得手の問題ではなく、柿の木はいけません」
    「何でよ」
    「柿の木は脆くて折れやすいのです。登っては危険です」
    「そ、そーなの?」
     彼女は柿の木と長谷部を交互に見て、木の幹から手を離した。
     燭台切の言うとおり子供だ。まったく目が離せない。
    「そっか。小夜ちんが柿が好きみたいだからさ、採って帰ったら喜ぶかと思って」
     長谷部の脳裏に痩せっぽちの短刀の姿が浮かぶ。そう言われれば、懐に柿を入れていたのを見たことがあった。
    「仕方ないですね」
     持っていてください、と荷物を彼女に押し付ける。
     どうせ渋柿だ。まだ固そうだし、下の草むらに落ちれば潰れたりはしないだろう。
     木の真下からでは難しいので、長谷部は柿の木から距離を取った。適当な大きさ石を拾って、振り被った状態で腕を何回か軽く振り、軌道を確かめる。

     ぱしん、と音がして柿の実がついた枝が草むらに落ちた。

     審神者が歓声を上げて草むらに駆け寄っていく。
    「すごーい!長谷部、すごいじゃん!」
    「大したことではありません」
     これは先ほど買い物中に水を貰ったことに対する埋め合わせだ。
     嬉しそうに柿の実を拾い上げる彼女を見て、そう考えた。
    「いつ練習したの?」
    「え?」
    「だってさ、いきなりはできないでしょ?こないだ顕現したばっかじゃん?」
    「それは」
     確かに内番で手合せの合間に投石の練習もした。
     武術の手合せというのは何も剣術だけではない。武芸十八般、全てに通じる必要はもちろんないが、たとえば剣術と柔術は併せて習得するものであるし、弓や乗馬もそうだ。
     合戦の際に投石を行うのは投石兵であるが、指揮をする自分も基本くらいは修めるべきだろうと考え、長谷部は投石の練習もしていたのだが、そのようなものは謂わば陰の努力であって、それを殊更に言い立てるのは何だか気恥ずかしい。
    「まあ、多少は。合戦において投石等の遠戦は要ですから」
    「へえ、そうなの?戦争に石って使えるんだ」
     彼女は緊張感のない顔で言った。
     長谷部は彼女の顔から視線を逸らした。きっと不機嫌そうに見えるに違いない。だが、いくら相手がものを知らないとはいえ、自分が作られた時代であれば童でも知っているようなことを説明するのは、自慢をしているようで居心地が悪かった。
    「無論です。印地打ちと言って、手練れが投石紐などを用いて上手く当てれば、甲冑を着た敵でも昏倒させることができます」
    「投石紐?」
    「……刀装の投石兵をご覧になったことは?」
    「あ、あれ可愛いよね」
    「刀装に込めるときは可愛らしい姿ですがね」
    「そう言えば、何か紐みたいなもの持ってたねー。あれか。振り回して投げるんだね」
    「はい。だいたい拳ほどの大きさの石です。投げずに振り回せば近接戦でも有効です」
     投石と弓や鉄砲の違いはそこなのだと、長谷部は説明した。
    「うわ、そう考えるとエグいわ。投石隊とか作っちゃおうか」
     彼女は苦笑いをしている。このような話は苦手なのかもしれない。
    「投石を専門にしていた連中は、昔もいましたね」
    「ふーん」
     かさかさと枯草を鳴らして冷えた風が吹き始めた。秋の日は釣瓶落としとはよく言ったもので、いつの間にか辺りは夕暮れの風情だ。
    「主」
     長谷部が改まって呼んだので、彼女は少し驚いたようだ。
    「ん?」
    「投石隊と先ほどおっしゃいましたが、軍を運用するうえで重要なことはご存じですか」
    「ええっと、上に立つ者が早く判断して、明確に指示するとか、そういうの?」
    「まあ、それも大事なことですが」
    「う~ん、頭の良さ?こう、すごい作戦とか思いつくような?」
    「あるに越したことはないでしょうね。今、主が挙げられたのは将としての能力です。しかし、作戦を実行するのは誰でしょうか」
    「それは、う~ん、現場ってこと?」
    「作戦を実行する上で欠かせないもの。それは兵の練度です。訓練と実戦経験の繰り返しですよ。兵は場数を踏まなければ、いざというときに動けません」
    「それって」
    「差し出がましいことを申し上げました」
     長谷部は恭しく一礼した。
    「……それってさ、こないだ、みっちーにも言われた」
     ぽつりと彼女は言った。
     あの夜に言っていたことを、燭台切は実行したようだ。
    「やっぱりさ、皆、戦いたいのかな……?」
    「そのために、ここに居るのです」
    「うん、そっか。そうだよね」
     彼女は手を後ろに組んで、身体を左右にゆらゆらと揺らした。長谷部には全く意味不明の仕草だが、彼女はこういうことをよくやる。
    「帰ろっか。その話は、また今度ね」

     本丸に帰ると、ちょうど小夜左文字が竹箒を持って歩いているのに出会った。庭の落ち葉を掃除していたのだろう。
    「たっだいま~、小夜ちん」
    「おかえりなさい」
     表情を変えず静かに喋る小夜の目の前に、審神者は柿の実を差し出した。
    「じゃーん!お土産!」
    「柿だね。ありがとう」
     小夜は素直に礼を言って受け取った。
     審神者は長谷部から荷物を受け取ると、それを薬研のところに持って行くため短刀部屋の方へ歩いて行った。
    「渋柿だね、これ」
     短刀が呟いたので、長谷部がそちらに視線を落とすと、ほんの僅かだが小夜左文字の口元に笑みが浮かんでいる。
    「ああ、そのまま食べるなよ」
    「……ありがとう。貴方が採ってくれたんでしょう」
    「主に怪我をさせるわけにはいかないからな」
    「歌仙に頼んで、干してもらいます」
     小夜左文字は柿と竹箒を抱え直すと、礼儀正しく一礼して去っていった。
     審神者は自分や燭台切の進言を聞き入れ、出陣と遠征そして演練の回数を増やしてくれた。低かった自分の練度が上がるにつれ、投石兵の精度も上がってきた気がする。「元気なのは良いことだよね」と、にっかり青江に声を掛けられたほどだ。
     最初のうちは己の練度が上がっていくことに夢中で、長谷部は気が付かなかった。
     そのことに気が付いたのは、二回目の近侍を務めていたときだ。

     一日一回、本丸の戦績データが転送されてくるのだが、戦績表は執務室の空間に展開されるため、自然と近侍を務める刀剣男士には内容が見える。
     この本丸の戦績はあまり良くなかった。ざっと見て、中の下か下の上といったところだ。
     審神者はふうっと溜め息をついて室内に広がった映像を消し、長谷部が彼女を見ているのに気付くと、きまり悪そうに笑ってみせた。
    「あっちゃ~って感じだねえ。やっぱ厳しいわ」
     その場はそれで仕舞いになったが、その後しばらくの間、自身を含めた任務の進め方を観察して、長谷部は「それ」に気が付いた。

    ――諦めが早過ぎる。

     例えば出陣中、部隊の誰かが軽傷になると、彼女はすぐに撤退命令を出す。
     演練では相手の部隊の練度を確認し、勝てそうにもない相手なら棄権する。
    (確かにこれでは駄目だな)
     長谷部はそう思った。
     作戦は刀剣男士達が知恵をつけてやれる。実際に戦うのも自分達だ。
     だが最終的な判断、即ち部隊の進退を決して命令を下すのは、審神者である彼女だ。
    (しかし新入りの俺が気付くことを、他の刀剣が気付いてないとは思えない)
     つまり皆、彼女の指揮官としての欠点は承知のはずなのだ。わかっていて放置している。
    (それに、主は何をそんなに恐れておられるのか)
     長谷部は白い手袋に包まれた指を口元に当て、しばし考え事をすると、審神者の元へ向かったのだった。


     私は毎週恒例の面談を受けていた。
     いつも通りタブレットで質問に答えてから、この一週間の報告と面談を済ませ退室する間際に、先生が私を呼び止めた。
    「ご両親から伝言を預かっているわ。ほら、もうすぐ年末でしょう?帰省の予定はどうなってるのかって」
    「お正月かあ、帰ってもいいのかな」
    「もちろんよ。問題ありません」
    「うーん、でもね研修で言われたんだよね。刀剣男士達はお正月とか季節の行事を大事にするから、できるだけ一緒にいてやった方がいいって」
    「そうかもしれないけど、ご両親も心配なさってますよ」
    「時期をずらして帰ってもいいんでしょ?」
    「それはそうですけど」
    「すぐに決めなくてもいいよね?もう少し考えてみる」
     私は正月休みの帰省を保留にして、面談の部屋を出た。

     カウンターの機械から面談終了と本丸に戻るための手続きをして、転送ゲートを起動する。成人している審神者なら、ここまでの手続きは必要ないらしい。私達のような未成年者は、現世に帰るときや万屋街に行く際などにも、自身のスマホをこんのすけと同期して携帯しなければならない。
    「もしもーし、こんちゃん?今から帰るからー」
     スマホ越しにこんのすけに指示を出し、ゲートを潜り抜けた。
     本丸の正門に設置されたゲートの前に、こんのすけが座って待っていた。
    「おかえりなさいませ。審神者様」
    「ただいま」
     こんのすけはふわりと身を翻して歩き出す。ふさふさとした綺麗な毛が日光を反射して輝いていた。砂利の上を歩いているにも関わらず、足音は私一人分だけだ。
    「あのね、お正月に現世の実家に帰っても大丈夫なのかな」
    「大丈夫、とは?」
    「刀剣男士の皆と一緒に過ごせなくっても、大丈夫かって意味なんだけど」
    「規則には抵触いたしません」
    「うーん、そうなんだけど、そうじゃないんだよなー」
    こんのすけがぴたりと足を止めて、犬が高いところの空気を嗅ぐように鼻を上げた。
    「刀剣男士がこちらに向かってきますね。へし切り長谷部です」
    「へ?どこ?」
    「もう間もなく」
     玉砂利を踏む音がして、ツツジの植え込みの向こうからへし切り長谷部が現れた。
    「主、こちらにいらっしゃったのですか」
    「うん、今日は現世に行く日。あ、もしかして探してた?」
    「はい。少しお話があります」
    「話?えっと、立ち話じゃない方がいいよね?」

     私はこんのすけを伴って、長谷部を連れて庭の池に張り出すように作られた小さな和室に入った。長谷部は今日の近侍ではないし、執務室では話しにくいことかもしれないと思ったからだ。
     雨戸が開け放たれているので部屋の中は明るいが、もともと納涼のための水殿は寒い。
     私の隣にこんのすけが座り、長谷部は本体を私に渡してから畳の幅を隔てて私と向かい合って座った。
    「どうしたの?改まっちゃってさ」
    「出陣のことについて、俺の考えを申し上げたいと思いまして」
    「うん」
    「畏れながら、主には俺達のことを信用していただけていないのかと」
    「はあ?」
     びっくりして大きな声が出た。
    「え?え?何それ?待って待って。何でそうなるの?皆の言うとおり出陣も増やしたじゃん?練度だって……」
    「ならば何故、手控えるのです」
    「手控える?」
    「いつもあと一歩のところで撤退の命令をなさる」
    「や、だって怪我してるじゃん?」
    「軽傷です。仮に進軍して重傷となっても、手入れをすれば直ります」
    「し、知ってるよ!でも痛くないわけじゃないでしょ!そ、それに!折れちゃったりしたらどーすんの!」
    「主」
     長谷部は険しい顔をして片膝を立て、距離を詰めてきた。
     こんのすけが私と長谷部の間に入った。
    「へし切り長谷部様。お下がりください」
    「下がれ、こんのすけ。無体なことはしない」
     長谷部は睨んだが、こんのすけが動く気配はない。長谷部は小さく息を吐いて、その場に正座すると、こんのすけの頭越しに私の横に置かれた己の本体を示した。
    「それを」
    「これ?日本刀?本体でしょ?」
     私は金色の鞘に包まれた刀を持ち上げた。
    「抜いてください」
     顕現は鞘に入ったまま行うし、手入れは手入れ部屋に刀剣男士を入れるだけなので、審神者が彼らの本体を抜く機会はほとんどない。
    「え、何で?」
    「抜き身をご覧になったことはないでしょう」
     私は刀の扱いなど知らないので、どうすればよいのかわからない。とりあえず鞘から出せばよいのかと、恐る恐る刀の柄と鞘を持ち、それを左右に開いた。
     くんっと微かな手応えと音がして、金色のハバキが現れた。そのまま十センチほど開く。
     白く輝く鋼の刃。きらきらと輝いて、いっそ華奢なほどの美しさなのに。
    「お、思ってたより迫力あるね……」
     人の血を吸った謂れのある刀身は、どこか雄々しく不吉さを孕んでいる。
     どうしよう。抜けと言われたのだから、全部を鞘から出してみるべきなのだろうか。
     でも、怖い。
    「お気をつけて。誤って落とせば、足が無くなりますよ」
    「ひぃ!得意げに言うことじゃないでしょ!」
     もう抜けない。無理。手が動かない。身体も震えている。
     長谷部は座っている私の背後に移動して肩を包み込むように腕を回し、柄と鞘を持つ私の手に自分の手を重ねた。
     とりあえず危険はないと判断したのか、こんのすけは見ているだけだ。
     するすると刀身が現れる。
    「いかがです」
    「い、いかがって……そりゃ、綺麗だけどさあ」
    「綺麗なだけですか?」
    「……お、怒んないでよ」
    「怒りませんとも」
    「思ったより、ゴツくて、その、やっぱり怖いよ……」
    「そうでしょう」
     頭の上から降ってくる長谷部の声は誇らしげだ。彼の表情は見えない。
    「こうして刀身をご覧になっても、俺達がそう簡単に折れると思われますか」
    「そ、それは……」
     私が答える前に、バタバタと足音がして誰かが部屋に乱入してきた。
    「何やってんの!!」
    「きよみー?」
     長谷部はぱちんと本体を仕舞うと立ち上がって乱入者と向かい合った。
    「長谷部!俺は主に何やってたのかって聞いてんだよ!」
    「騒がしいぞ、加州清光。何もしていない。刀身をご覧に入れていただけだ」
     騒ぎを聞きつけて、本丸のあちらこちらから刀剣達が集まり始めた。
     加州はそれを見て、少し冷静になったようだった。それでも冷たく長谷部を睨みつけて、彼は言った。
    「……場所を変えて、事情を聴かせてもらうよ。主はこんのすけと部屋に戻ってて」
     部屋の中のいたたまれない空気に、五虎退はすぐにも退散したかった。
     初鍛刀の短刀であるというだけの理由で、自分はこの場に呼ばれているのだ。戦も嫌いだが、本来安心して過ごすことができるはずの本丸で、こんなギスギスした空気の中にいるのは耐えられない。きっと自分はひどく青褪めているに違いない。
     隣には自分の次に来た脇差のにっかり青江が座っている。どこか掴みどころがない脇差は、この状況でもいつもと変わらぬ様子だ。
     自分とにっかり青江の前で、正座をして睨みあっているのは加州清光とへし切り長谷部だ。
     加州清光は主の初期刀で、軽薄そうな見た目によらず優しく面倒見の良い刀だった。
     一方のへし切り長谷部。実は五虎退は彼が苦手だった。特に何かされたわけではないが、いつも剣のある表情をしていて、物言いも厳しい。小心者の自分は、彼の声を聞くだけでビクビクしてしまう。それでも同じ粟田口の兄弟の薬研藤四郎などは気安く彼に話しかけているし、悪い刀ではないのだろうとは思っている。

     加州清光が縁側を歩いていると、池の向こうの水殿でへし切り長谷部が主に本体を突き付けているように見えた。それで騒ぎになったのだそうだ。
     本体を突き付けていたというのは加州の誤認だったようだが、では何故、長谷部は主である審神者の前で本体を抜いて見せたのか。審神者は戦闘員ではなく、特にこの本丸の主は刀剣の扱いについては素人だ。抜き身の日本刀を触らせるなんてとんでもない、と五虎退でも思う。うっかり刃に触れて指でも落ちたらどうするのだ。

    「何で主に本体なんか持たせたの。一体何やってたわけ?」
     加州が口を開いた。長谷部は悪びれた様子もなく、腕を組んで加州を見返した。
    「主が俺達をいまいち信用してくださっていないようだったからな」
    「……?どういうこと?」
     加州は怪訝そうに言ったが、五虎退にも意味がわからなかった。
    「お前達も気付いているだろう。主は戦における諦めが早過ぎるんだ。軽傷でも撤退命令を出される。どうも俺達がすぐに折れると思われているのではないかと、そう思って」
    「ああ、そういうことかい。長谷部くんのは立派だもんねえ」
    「にっかり青江、ちょっと黙っててくんない?」
    「にっかり青江の言い様は気に食わんが、まあ概ねそのとおりだ。主を戦場にお連れして、俺達の働きぶりをご覧いただくことはできない。ならば俺達がちょっとやそっとでは折れないということを理解していただくためには、本体をお見せするのが手っ取り早かろうと思ったんだが」
     長谷部は言葉を切って加州を見た。加州は金魚のように「ば、ば、ば」と言いながら口をぱくぱくさせている。ああこれはまずい、五虎退は心の中で頭を抱えた。
    「何だ加州。どうした」
    「バッッッッッッッカじゃないの!!いい加減にしなよね!!この唐変木!!!」
     部屋の中に鈍い衝撃音が響き渡った。


     私は加州に言いつけられたとおり自室に戻るため、こんのすけを抱きかかえて廊下を歩いていた。
    「よ、大将!」
    「あっちゃん」
     厚藤四郎が後ろから追いかけて来た。彼は私と並んで歩き始める。黒い髪を短く刈り込んだスタイルは刀剣男士の中では珍しい。彼の持つ雰囲気は私に兄弟達を思い出させる。
    「何か騒がしかったけど、大丈夫か?」
    「ああうん、長谷部ときよみーがね、ちょっと行き違いがあったというか」
    「へえ、珍しい組み合わせだな」
    「うん……もしかしたら、私が原因かもしれなくってさ」
    「大将が原因?」
    「あっちゃん、時間ある?」

     私は厚藤四郎を連れて自室に行った。
     厚は置かれている「人をダメにするクッション」に歓声を上げながらダイブした。
    「すっげえな!これ!」
    「楽でしょ?長谷部はビミョーな顔してたけどさ」
    「あー、アイツはなあ。ああいう堅物はこんな物は苦手だろ」
     厚はクッションの上からローテーブルの上に置かれた本を眺めた。
    「何だこれ。しゃ、社」
    「あ、それね。中学の社会科の教科書と資料集」
    「ふーん」
     彼は資料集をぱらぱらと捲っている。
    「あっちゃんが貸してくれた本、私には難しくってさ。歴史の本もね、すぐに眠たくなっちゃって。結局、学校で使ってたコレが、私には一番合ってるわけ」
    「でも、これじゃあ内容が薄いだろ」
    「その薄い内容さえ、私の頭には入ってないってことなんだよねー」
     苦笑いしか出てこない。審神者になって思い知ったのは、とにかく自分の知識のなさだと言ってもいい。
    「あの二人の喧嘩もさ、原因は私が頼りないせいだと思うんだ。長谷部は真面目だから、この本丸の戦績が悪いこと、気にしてるんじゃないかな。多分」
    「う~ん」
     厚はクッションに身を沈めながら、腕を組んで天井を見ている。
    「そうか?確かに長谷部はクソ真面目だけど、アイツは他所の本丸とうちの本丸を比べたりするような奴じゃないぜ」
    「え、そ、そうかな?」
    「そ!だからアイツが気にしてるんだとしたら、それは戦績が悪いことじゃなくて……」
    「悪いことじゃなくて?」
    「……やーめた!」
    「は?あっちゃん?あ、厚さん!?すっごい気になるんですけど!」
    「んなことより、大将。大将自身はどうなんだよ」
     がばっと厚は起き上がり、クッションから飛び降りて胡坐をかいた。
     意志の強そうな吊り目が真っ直ぐに私を見ている。
    「私自身って?」
    「本丸の戦績だよ。そんなにうじうじ言うほど、気にしてんのは大将の方だろ。はっきり言って、うちの本丸の戦績だけで戦局は左右されねーよ。超が付くほど弱小なんだから、期待だってされてねえだろうし」
    「う、確かに」
    「だから、大将がこのままでいいってんなら、俺達はこのままさ」
     どうなんだ、と厚は言った。
    「長谷部がね」
    「また長谷部か。アイツが何だって?」
    「何で軽傷で撤退するんだって、自分達を信用していないのかって」
    「ああ……」
    「それで、長谷部が本体を抜いて見せてくれたの。そんなに簡単に折れるように見えるのかって」
    「なるほどな。それで?」
    「刀ってゴツいんだね。厚みもこんなにあって。重さは、まあ知ってたけど」
    「へっへーん。厚みなら俺のが凄いぜ!名前にもなってんだからな」
     厚は胸を張ってみせた。
    「でもさ、それで斬られたり刺されたりしたら痛いよね?」
    「ま、そりゃあな。戦なんだから当たり前だろ?同田貫じゃねえけど、俺達は武器なんだからさ」
    「手入れで直るし?」
    「折れさえしなきゃな」
    「重傷になっても勝ちたい?」
    「それを決めるのは大将だぜ」
    「私は勝つことよりも、皆が私のせいで怪我するのが怖いよ」
    「怪我は大将のせいじゃねえよ。怪我しても勝てりゃいいとは思えねえ?」
    「……私の命令で進軍して、重傷になって、ボロボロになって、それで勝てなかったら?大怪我した上に、負けちゃったら?」
     厚は溜め息をついて、社会科の資料集をぱらぱらと捲り、戦国時代のページを開いた。
     小学生でも知っているような有名な戦国大名の肖像と名前が並んでいる。
    「大将。ここに載ってる大名で、負け戦の経験がない大名がいると思うか?」
    「え、えっと、ごめん、よくわからないけど……徳川家康とか?」
     何となく私の中のイメージでは、戦国時代は武将がトーナメント形式のような感じで戦い、敗者は死んで、生き残った者が天下を獲ったというような漠然としたものだった。
    「負けてるな。有名なところだと三方ヶ原で武田信玄に負けてるぜ」
    「負けてるの?私、戦国時代って戦に負けたら死ぬんだと思ってた」
    「そりゃ命がけで戦ってるんだから、運悪く死ぬことだってあるさ」
    「ええ……そんな身もフタもない……」
    「有名な武将ほど戦の経験が多いからな。その分、負け戦も経験してるもんだ。それでも名を成した。何故だと思う?」
     厚は資料集を閉じて、真っ直ぐな瞳で私を見た。
    「答えは単純だ。名を成すまで、生き残ったからさ」
    「生き残る……」
    「当然!人間は死んだら終わりだもんな。まあ、俺達は人間よりちょっとばかし丈夫だし、怪我も手入れでちゃちゃっと直る。重傷で負け戦でも、大将を恨んだりする刀はいねーよ」
     薬研藤四郎は長谷部の左頬に湿布を貼りながら「後から腫れるかもしれないぞ」と言った。
     長谷部は叱られたやんちゃ坊主のように憮然としている。
    「それとも、大将に頼んで軽傷で手入れ部屋に入れてもらうか?」
    「……こんなことに資材を使えるか。これでいい」
     助かった、と長谷部は薬研に礼を言った。
    「まあ、一発くらい殴られるべきですよ、貴方」
     今まで治療の様子を黙って見ていた宗三左文字が口を開いた。
     口調はいつものとおりだが、加州が長谷部を殴りつけた時、五虎退の悲鳴を聞いて真っ先に駆け付け、さらには加州を殴り返そうとする長谷部を取り押さえたのは彼だった。
     長谷部は痛む左頬をさすりながら宗三を見た。
    「俺は主のためを思って」
    「加州清光はここの初期刀ですよ。彼だって主のためを思っているでしょう」
    「それはそうだが」
    「実際、貴方は顕現してからしばらく彼女と距離を置いていたでしょう。加州清光はあれでいて気の回る刀です。貴方と彼女の関係が悪くならないよう、彼なりに気を使っていたはずですよ」
    「長谷部。一人で全部抱え込んで、思い込みだけで突っ走っちまうのは、アンタの悪い癖だ」
     二振りからそう言われて、長谷部は言葉に詰まった。
     彼らの言いたいことはわかる。独断で動かず必ず仲間に相談しろ。特に審神者のことについては初期刀を立てるべきだと言っているのだ。
    「……俺は加州に謝るべきなのか?」
    「謝る必要があるかどうかは知りませんけど、戦績については初期刀を通すべき事案だったと思いますよ」
     その点については貴方に非があります、と宗三は言い切った。


     長谷部は加州清光の自室を訪ねた。
     訪ねた時には相部屋の大和守安定もいたが、雰囲気を察して部屋を出て行った。
     加州は何も言わずに長谷部を見ていたが、長谷部は彼の前に正座し、深々と頭を下げた。
    「すまなかった。主のことについて、初期刀のお前に先に相談するべきだった」
     加州は慌ててしどろもどろになりながら、謝罪する長谷部に頭を上げさせた。
    「あ、あの、頭上げてよ。俺もいきなり殴っちゃったし、どんな理由があってもアレはしちゃいけなかったと思う。その、新撰組でも私闘は禁じられてたしさ。さっきまで安定にも怒られてて……」
    「ああ、なかなか効いた」
     長谷部は苦笑しながら左頬の湿布に触れた。

     話は自然と、主である審神者のことになった。
     加州清光は初期刀として顕現され、そのすぐ後に単騎出陣により重傷帰還したことを話した。
    「正直、あれは主のせいじゃないよね。悪いのはこんのすけでしょ。あの管狐。普通、顕現したての刀剣をいきなり戦場にぶち込むかっての」
     くしゃくしゃとした笑顔で加州は言って、すっと笑いを収めた。
    「でも、主は動転してた。こんのすけに言われるままに俺を手入れして、次に鍛刀をしたんだ」
     それでやって来たのは五虎退だった。
    「五虎退はさ、いい子だと思うよ。小心者だけど一所懸命じゃん。気が優しいから戦が嫌いなだけで、実力だってあるし。でも巡り合わせというか相性というか。俺らの主は戦についてはまるで素人なわけで、俺と五虎退の二度目の出陣、結果はわかるでしょ?」
     審神者は出陣の様子を端末で見ていたらしい。
     二振りの出陣。そして重傷。
    「し、死にそう……!」
     弱々しく五虎退が悲鳴を上げた。
     彼女はすぐに二振りを転送して帰城させた。
     迎えに出た彼女は、血だらけの二振りを見て真っ青になったが、何とか彼らを手入れ部屋に入れた。手入れ部屋の出入り口の障子を閉め、柱に手伝い札を掛ける。
    「よかった……痛かったんです」
     五虎退の安心したような、べそをかいているような声が、襖を隔てて隣室に入っている加州にも聞こえた。
    「……多分、主にも聞こえてたんだろうね。それ以来、うちの本丸では重傷者は出ていない。わかった?」
    「ああ」
     長谷部は審神者の言葉を思い出す。
     痛くないわけではないだろう、折れてしまったらどうする、と彼女は必死に訴えていた。
    「つくづく、俺達の主は戦に向いておられないようだな」
    「長谷部お前、今の俺の話を聞いて感想がそれなわけ?」
    「いや……」
     長谷部は軽く咳払いをした。
    「まあ、上に立つ者として情け深いのは美徳……と言えなくもない」
    「素直じゃないよね」
     長谷部を軽く小突いて、加州はくつくつと笑った。
     十二月になり季節はすっかり冬になったが、雪はまだ降らない。もっとも私が育ったのは比較的街中で、雪が積もるなんてことは年に数回、片手で足りる日数だった。
     先延ばしにしていた年末年始の休暇の予定についても、そろそろ決めなければならないと思っていた矢先、「それ」が来た。

    『作戦命令 本丸ID:14SA75401』

     こんのすけを通じてそれを受け取った私は、すぐに加州清光を呼んだ。
     近侍を下げ、執務室で加州清光と二人でデータを開く。中には作戦計画を始めとした大量の情報が入っていた。加州は資料にざっと目を通して、緊張した表情で私を見た。
    「これは俺だけじゃ決められないな。そうだな……とりあえず刀種ごとに代表を出してもらって相談しよう。主、刃選をお願い。なるべく練度の高い奴」
    「わかった。でも、どうして?」
    「この任務は連隊戦になるんだ。だからまず代表で作戦の情報を共有する。それから適切な部隊を編制して、戦闘の準備に入る。いい?」
    「うん」
    「打刀の代表は俺が出るよ。話し合いも、俺が引っ張れると思う。主はこのエリアの隊長さんに連絡を取って。もしかしたら審神者同士で連携があるかも」
    「わかった。じゃあ、話し合いの準備はよろしくね」
     審神者の所属は国と呼ばれる区分に分かれているが、その中はさらに細かく区分されている。審神者の組織はピラミッド構造で、中堅からベテランの審神者は五、六つの本丸をまとめるリーダーとなる。これは更に上に統括され、上にいくほど人数は少なくなっていく。


     加州が執務室を出た後、私は通信のためのシステムを立ち上げた。システム認証は登録されている私の霊力で行われる。
     二十秒ほどで、私の目の前にモニターが展開された。
    「命令は届いたか?」
    「はい」
     モニターには一人の男性の肩から上が映されている。向こうには同じように私の顔が見えているはずだ。私は大人の年齢はよくわからないが、三十代から四十代だと思う。兄達より年上で、父親よりは若いだろう。
     報告などでモニター越しに顔を合わせるだけで直接会ったことはないけれど、厳しい言葉の割に口調は優しい人だ。
    「そうか。うちのエリアには新人の未成年者きみがいるから、全隊が出なければならない任務は控えてもらっていたんだが……君の本丸の刀剣男士も数が揃ってきたし、最近は全体的に練度も上がってきている。そのあたりの条件を考えれば参加しない理由はない」
    「はい」
    「連絡をしてきたということは、何か質問があるのかな?」
    「いえ、質問というか……何か情報があるかも、と」
     彼は口の端だけで僅かに笑った。
    「上に聞いてみろ、と初期刀に言われたのか?」
    「は、はい」
     きよみーゴメン、と心の中で呟いた。
    「今回の作戦について詳しい内容は通信では言えない。渡したデータに全て入っている。だが君にとっては初の連隊戦だ。アドバイスが必要かね?」
    「お願いします」
    「作戦が終わるまでは日課の任務を控えなさい。刀剣男士に連隊戦のための訓練をさせるように。君も含めて、連絡と連携の取り方を何度でも確認すること。刀装の準備も怠るな」
    「あの、戦略とかはどうすればいいですか?」
    「戦略?」
     彼は二、三度瞬きをして、にこりと笑った。
    「刀剣男士の言うことをよく聞いて話し合いなさい。それが審神者の仕事だ」
    「それじゃ、私はいつまでたっても……」
    「彼らに子ども扱いされるのは不満かね?それは無理というものだ。彼らと我々では経験した時間も、寿命も違う。かく言う私も彼らから見れば庇護すべき対象のようだよ。いつも歌仙に叱られる」
     彼はそこで一旦言葉を切ると「これは私見だ。聞き流しても構わない」と前置きをして続けた。
    「審神者と刀剣男士との関係に正解はない。だが先輩として君に一つ助言をするなら、彼らに支えてもらいながら、彼らの主であり続けること。これに尽きる」
    「よし、揃ったね」
     加州清光は執務室の隣にある八畳間に入り、中を見渡した。
     太郎太刀、蜻蛉切、岩融、鶯丸、にっかり青江、薬研藤四郎。打刀の自身を含め、現在この本丸に顕現している刀種の中で最も練度が高い刀剣達だった。もっとも、槍と薙刀については他の者は顕現していない。
    「とりあえず、これを見て」
     部屋の真ん中に置かれた小さめの卓袱台に、審神者から預かった小さな記憶媒体を置く。
     青白い光が上に向かって伸びて、座っている加州の目の高さのやや上の高さに、いくつかの画面が展開された。
     一振りも声を発することなく、目の前に展開された情報を読み取っている。
     すっと襖を開けて、主である審神者が入室してきた。加州は少し場所をずれて、彼女を自分の隣に座らせた。

    「そろそろいいかな」
     加州が軽く手を挙げてから発言した。
    「主もいるし、簡単に説明するよ。まず地図。ここの拠点に遡行軍が入り込もうとしているって情報が入った。奴らを退却させることが今回の任務だね」
     加州は宙に浮かんだ画像に手を触れ、地図を大きく映した。
    「拠点は山城だから守る側に有利なんだけどね。入り込む遡行軍は先遣隊みたいなものらしいから、そっちはメインの部隊で何とかなる規模だと思う。問題は背後ね」
    「先遣隊ということは、いずれ本隊を呼ぶということか」
     岩融が大きな口の端を吊り上げるようにして笑った。蜻蛉切が頷く。
    「それで複数の部隊が必要なのですな」
    「第一はその本隊をおびき出すことだな。一度おびき出せば、存在が時代に固定される」
     鶯丸が資料に目を走らせながら言った。
    「鶯丸の言うとおりだね。実際に出現するまでは遡行軍の存在は可能性でしかないけど、おびき出してしまえば作戦中は敵の座標を把握できるようになる」
    「問題はどこに敵が出てくるか、もしくはどこに出てくるように誘導するかってことだね」
     にっかり青江が審神者に向かって微笑んだ。
    「きっと狙いやすいところを狙うよ。ね?」
     蜻蛉切は再び資料に目を通しながら言った。
    「敵の出現予想時期は大体二ヶ月後ですな。その間に兵の訓練もできましょう」
    「暮れと正月は返上だなあ。いいのか、大将」
    「え?」
    「あちらに、ご家族がいらっしゃるのでは……?」
     太郎太刀が静かに言う。加州は審神者の顔を覗き込んだ。
    「主。俺達のことは心配しないで。何日かだったら、主がいなくても俺が何とかするから」
    「い、いいの!うちの親だって、こういう仕事だってわかってるはずだし!それに私も連隊戦の実戦は初めてだからさ、訓練しないと!」
    「後顧の憂いはないほうがよいぞ」
     岩融が審神者の頭を撫でた。「ありがと、ガンちゃん。大丈夫」と彼女は答える。
    「そんなことより部隊編成!しっかり考えようね!」
    「……わかった。続けようか」
     加州は部屋の中に新たな資料画面を展開した。


     次の日の朝、本丸の全刀剣が大広間に集められ、加州清光から今回の作戦について説明が行われた。
    「以上が作戦全体の説明。じゃあ次、主から部隊編成を発表してもらうね。今回は連隊戦だから四つの部隊全部に出陣してもらうことになる」
     加州は審神者に部隊編成の書かれた巻物を差し出す。彼女は緊張した面持ちでそれを受け取った。
    「しっかりして、主。名前を読み上げるだけでしょ」
     加州がひそひそ声で言う。
    「う、うん。でも日課の出陣ではこんなことしてなかったじゃん?何か変じゃない?」
    「ケジメだよ。変じゃない。ほら、読んで。最初は各部隊の隊長から」
     彼女は頷いて巻物の紐を解き、それを広げた。
    「じゃあ読みます。……第一部隊長、鶯丸」
    「拝命する。まあ、せいぜい期待に添えるようにしようか」
    「第二部隊長、鶴丸国永」
    「ああ。驚きの結果をきみにもたらそう」
    「第三部隊長、厚藤四郎」
    「よーし、頑張るぞ!」
    「第四部隊長、へし切り長谷部」
     自分の名が読み上げられ、へし切り長谷部は驚いたように審神者を見たが、すぐに頭を垂れて返答した。
    「……主の、思うままに」

     その後、各部隊の副隊長と隊員が発表された。
     部隊編成は以下のとおりだ。

     第一部隊
     隊長  鶯丸
     副隊長 平野藤四郎
         太郎太刀
         獅子王
         山伏国広
         歌仙兼定

     第二部隊
     隊長  鶴丸国永
     副隊長 薬研藤四郎
         蜻蛉切
         燭台切光忠
         宗三左文字
         蛍丸

     第三部隊
     隊長  厚藤四郎
     副隊長 今剣
         前田藤四郎
         秋田藤四郎
         愛染国俊
         小夜左文字

     第四部隊
     隊長  へし切り長谷部
     副隊長 にっかり青江
         蜂須賀虎徹
         鳴狐
         鯰尾藤四郎
         骨喰藤四郎
     年の瀬も押し迫ったある日、燭台切光忠が控えめに提案した。
    「作戦準備で忙しいけれど、人の身を得て初めて迎えるお正月だからね、やっぱりけじめとして済ませたいんだ。訓練の合間に手の空いた人でいいから、厨の掃除を手伝ってもらえないかな」
    「そうだね。僕も少し気になっていたところだ。大掃除とまではいかなくても、少しは気持ちが切り替わるだろう」
     歌仙兼定も同意する。
     そうすると元々付喪神である刀剣男士達は口々に「それなら年越し蕎麦も用意しましょうか」「たくさんじゃなくていいから、餅もついたほうがお正月らしいね」と話し始めた。
     私は研修で教わった「彼らは季節の行事を大事にする」という内容を思い出していた。あれは本当だったようだ。この調子だと節分もやりたがるかもしれない。男性ばかりだけど雛祭りとか言い出すんだろうか。
     結局、無理のない範囲で本丸の掃除、餅つき、大晦日の年越し蕎麦の準備をすることになった。燭台切と歌仙は「来年はお節にも挑戦したいな」「ああ、今から器を考える楽しみが増えたよ」と語り合っていた。

     私も訓練の合間に本丸の掃除を手伝うことにした。
     本丸の冬は現世の街のそれよりも寒いが、建屋の中は不思議とほんのり暖かい。それでも典型的な日本家屋の構造をしているので、雨戸や障子を開け放てば冷たい風が入ってくる。
     そこで各部屋に炬燵や火鉢が置いてあるのだが、炬燵はともかくとして火鉢はどうしても周りに灰が散る。火鉢本体もなんとなく薄汚れているような気がしたので、雑巾を絞って火鉢を磨いてまわることにした。
     刀剣男士達の私室に置いてある分は自分達でやってもらうことにして、共用部分に置かれた火鉢を磨いていく。
     本丸がやたら広いせいもあるが、なかなかの運動量だ。最後に広間に置かれた火鉢を磨き、伸びをして立ち上がると、いつの間にやって来たのか鶯丸が縁側に腰を下ろして茶を啜っていた。
    「うぐちゃん、またサボってる」
    「主は精が出るな」
     鶯丸は澄ました顔でこちらを見た。私は腰に手を当てて彼を睨む。
    「第一部隊長は総隊長なんだから、しっかりしてよね」
    「うちの本丸の長は君だ」
    「う、確かにそうだけど」
     私は鶯丸の横に腰を下ろした。鶯丸と同じ庭を見ている。私ならすぐに退屈してしまう景色を、彼はいつもずっと眺めている。本当に庭を見ているのか疑問に思うくらいだ。
     鶯丸は優しい刀だと思う。出陣中も敵に向かって退却を促すような発言をするし、あまりギラギラしたところがない。それでも戦を嫌がるようなことはないし、たびたび誉を獲るほどの活躍をする。
     彼は戦うのが好きなのか、それとも本当は嫌なのか。
    「ねえ、うぐちゃん」
    「何だ」
    「うぐちゃんも、戦いたいの?」
    「戦いたいかどうかは、あまり考えたことがないな」
    「ないの!?」
    「勝ちたいとは思う」
     けろりとした顔で鶯丸は言い放つ。
    「でも、勝つためには敵を倒さなきゃいけないし、もしかしたら自分も大怪我するかもしれないんだよ?」
     鶯丸は私の顔を見て、少し首を傾げて「ああ、そうか」と呟いた。
    「君の迷いは俺のものじゃない。答えはやれないな」
    「答えを教えて欲しいんじゃなくて、うぐちゃんはどうやって折り合いをつけているのか知りたいだけだよ」
    「折り合いをつけるというのとは違うな」
     ふむ、と鶯丸は考え込んだ。
    「そうだな。俺は戦うときには仲間のことを考える」
     しばらくして私の方を向くと、彼は話し始めた。
    「ここにいる刀剣は皆、同じ目的で呼び出されている。目的と言うのは”時間遡行軍に勝利すること”だな。俺達はこの共通の目的があって互いに背中を預けて戦っている。つまりここにいる以上、勝利を目指すことは仲間への礼儀だ。……俺達と本丸で過ごすのは楽しいか?」
    「た、楽しいよ!当たり前じゃん!皆のことは大事だし、だから傷付いて欲しくないし」
    「何事も楽しむことは良いことだ」
    「え?いいの?」
     てっきりそういう軟弱な考えはいけないことかと思っていたので、私は少し拍子抜けしてしまった。
    「だが、楽しければ負けてもいいと勝利に執着しないのは、仲間への礼儀に反してはいないか。もちろん礼儀は義務ではないから、そう気負うものでもないがな」
    「……」
     私は鶯丸の言葉を何度も自分の中で繰り返した。
     どうして長谷部が私に苛立っていたのか、その理由がわかった気がした。
     長谷部が私に直接意見してきたのは、たまたま彼があのような性格だったからだ。
     他の刀剣達は直接は言わないけれど、私の覚悟が成っていないことなど、とっくに皆はお見通しだ。それは私を気遣う彼らの言動の端々に感じていたことだった。
    「茶を淹れてやろう。飲むか?」
     鶯丸が横の急須に手を伸ばしながら優しく尋ねた。
     刀剣男士達の言ったとおり、年末年始はそれらしいことはほとんどないまま通り過ぎ、刀装作りや訓練で忙しく過ごしているうちに、あっという間に暦は一月下旬に差し掛かった。
     時間遡行軍の出現予定時期は射程内に入り、本丸ではいつ出陣があっても良いよう準備がされている。

     連隊戦では部隊同士の連絡が不可欠となるが、刀剣男士達が赴くのは過去の世界だ。当たり前だが電波設備などはない。戦場は広く地形は複雑であり、部隊の移動もあるため無線の使用も現実的ではない。
     ただ、刀剣男士達は過去へ飛んでいる間も霊力を通じて審神者と繋がっている。審神者の霊力は刀剣男士にとって海へ潜るダイバーの命綱のようなものだ。そのおかげで、遠く時空を隔てても刀剣男士は審神者の指示を仰ぐことができ、同時に審神者側でも刀剣男士の様子がモニターできる。
     この仕組みを利用し、審神者が中継地点となって部隊同士の連絡を繋ぐのだ。当然、審神者への負荷は普段の出陣の比ではなくなる。戦況が目まぐるしく変化する中でも集中力を保ち、力を使用し続けなければならない。
     同時に、各部隊の損害や全体の戦闘状況などを把握し、進軍や撤退の命令を下す必要がある。

     出陣部隊に加州清光が選ばれなかったのは、本丸に残り審神者である私のサポートをするためだ。必要であれば私に代わり情報の分析や指揮の補佐をする。初鍛刀である五虎退も、私の指示を本丸にいる後方支援部隊に伝達するため執務室の前で控えておく手筈になっていた。

    「来たよ、主。時空のゆらぎの報告だ」
     作戦命令が下された日から近侍に固定していた加州清光がモニターを見て言った。
    「作戦の開始は明日。すぐに皆を集めて」

     大広間に皆を集めても、今更新しい作戦などはない。加州は淡々と出陣の予定を伝えただけだった。
     それ以降は変わった様子はなかったが、いつもなら夕食が終われば好きに遊んでいる刀剣達が、今夜はやけに静かに各々の部屋に籠っている。

     私も自室に戻りベッドに入ったものの、緊張してしまって眠れなかった。明日は集中しなければならないと考えれば考えるほど、目がさえてしまう。
     何か温かいものでも飲んで落ち着こうと、パジャマの上にカーディガンを羽織ると灯りは点けずに廊下に出た。
     冷え切った廊下を歩くと、昼間は気にならないが意外と大きな音がする。刀剣達、特に短刀達は偵察能力に優れているから、誰か起き出してしまうかもしれない。
     そう考えた私は、階段を降りて一階に着くと、刀剣男士の寝室棟との間の渡り廊下から庭に降りた。靴は置いてあったサンダルを履いた。防寒用のもこもこした靴下のせいで少し窮屈だが仕方がない。
     庭を歩いて行けば誰かを起こしてしまうこともないはずだ。本丸では泥棒を警戒する必要がないので勝手口に鍵はかかっていない。

     外はちらちらと雪が舞っていた。
     庭は奥行きを感じない不思議な明るさだった。うっすらと植木や地面に積もった雪が白く浮かび上がって見えるせいだ。
     私はカーディガンの前をきゅっと握り締めた。冷気は簡単に服をすり抜けて、早くも私の体は冷え切っていた。コートを着てくれば良かった。
     小走りに庭を抜けて勝手口に回った。
     勝手口の扉に手をかけるが、指がかじかんでしまって上手く力が入らない。ただでさえ少し建付けの悪い木戸である。
     寒いこともあって、少し焦って戸をがたがたと揺すっていると、ふいに手元が暗くなり戸の揺れが止まった。
     誰かが私の後ろから腕を伸ばして木戸を押さえている。
    「主?」
    「ひっ」
     変な悲鳴が出た。びくりと跳ね上がった勢いで振り返る。
    「は、長谷部……」
     そこに立っていたのは長谷部だった。ジャージ姿でも普段のカソック姿でもない。寝巻きの上に羽織を羽織った姿だった。
    「何でここに?」
    「それはこちらのセリフです。庭を走る気配がしたので出てきてみれば……」
     はあ、と長谷部は溜め息をついた。
     彼は扉の取っ手に手をかけて、器用にそれを開いた。私はそそくさと中に入る。
    「ああああ、寒かったあ」
    「当たり前です。そのような格好で」
    「うう、寒。何か温かいもの作ろうっと」
     私は土間から厨に上った。棚を探ってみたがココアなどはないようだ。次に冷蔵庫を開けると牛乳があった。本当はココアが良かったけれどホットミルクにしよう。
     食器棚からマグカップを二つ取り出して牛乳を注ぎ、電子レンジに入れた。燭台切ならミルクパンで温めてくれるかもしれないが、私はこれでいい。
    「のどが渇いておられたのですか?」
     長谷部は土間から上がらずに、上がり框に腰を下ろした。
    「ううん、何か眠れなくってさ。お腹が温かくなったら眠れるかもって思って」
     温め完了を告げる電子音が鳴った。
     私はマグカップを取り出すと、それを持って長谷部の側に戻った。マグカップの片方を長谷部に渡す。
    「はい」
    「ありがとうございます」
     長谷部は素直に受け取った。私は彼の隣に座った。
     足元を見ると、彼は素足に雪駄履きだった。本当に急いで出てきたのだろう。白い肌が余計にひんやりと寒そうに見える。
    「寝てたのにびっくりさせちゃったね。ごめんね」
    「全くです。少しは自重してください」
    「長谷部には怒られてばっかりだなあ」
    「俺が主に怒ったことがありますか?そう言えば、先日もそのようなことを仰っていましたね」
    「え?そうだっけ?」
    「俺の本体をお見せしたときに、怒らないでくれと」
    「あ、ああ、そう言えばそうね。ん?長谷部、怒ったことない?」
    「主に怒ったことはありません」
    「ええ、そうだったかなあ。何かあったぞ。ええっと」
     私は必死に記憶を手繰り寄せた。
     確かに顕現した当初、長谷部には距離を置かれていたと思う。いつの間にかこうやって話ができるようになっていた。でも私が彼に対して「怒っている」と感じていたのは事実であって、それは単なる私の勝手な思い込みだったのだろうか。いや待て。
    「怒ったじゃん!初めに!」
    「そ、そうでしたか?」
    「そうだよ!」
     私は思い出した。
     顕現した翌朝、廊下ですれ違ったときだ。
    「あだ名!嫌がったでしょ?嫌なことしたのは謝るけどさあ」
    「ああ、あの珍妙な呼び名のことですか」
    「珍妙って……そんな風に思ってたの!ひっどい!」
    「まあ、元の名前が名前ですからね。あのまま呼ばれ続けなくて良かったと思ってますよ」
     そう言って長谷部は笑った。
     今までに見せていた皮肉な笑みとは違う。
     眉間をやや広げて、いつも吊り上っている眉が下がると少し垂れた目尻が甘くなる。昼間は少し持ち上げている前髪が下りているため、印象がかなり柔らかい。
    「……長谷部って、もしかして結構若い?」
    「すみません、それはその……どういう意味でしょうか?」
     本気で困ったように聞き返す長谷部を見て、私は自分が馬鹿な質問をしてしまったことに気付いた。付喪神に外見年齢の話など意味不明だろう。
    「あ、いや、刀としての話じゃなくて。その、いつも眉間に皺寄せてるからさ」
    「そうですか?」
    「うんうん。だからさ、いつも今みたいに笑ってればいいのになって」
     長谷部は少し上目遣いになって、自分の額を触っている。
    「……そうですね。主が望まれるのでしたら努力いたしましょう」
     眉間のあたりに手を翳したまま、長谷部は私に向けて微笑んだ。
     急に彼の顔を見てはいけないもののように感じて、私は慌ててマグカップに口を付けると、残りのミルクに集中することにした。

     厨を出ようとすると、長谷部は私を部屋まで送ると申し出た。私は軽く断ったのだが、彼がそんなことで退くような性格ではないことはわかっている。廊下で押し問答をするくらいなら早く部屋に戻った方が良い。
     私は長谷部と一緒に廊下に出た。屋外よりはマシだが、廊下も十分に寒い。私がカーディガンの首元を手で閉めて歩き出すと、長谷部が自分の羽織を脱いで私の肩に掛けた。
    「え、いいよ。長谷部も寒いでしょ」
     廊下に声が響いてはいけないので、ひそひそ声で話す。
    「俺は平気です。行きましょう」
     刀剣男士に風邪をひかせるわけにはいかない。これは急いで部屋に戻り、彼に羽織を返すべきだろう。私はそう考えて、廊下を歩くスピードを上げた。

     無言のまま、やや早足で本丸内を歩いて自室の前に着いた。
     私は部屋に一歩入ったところで振り返った。
     光源は廊下の明かり取りの窓から差し込む月明かりだけで、雪の光を反射しているのか、世界は青味の強いモノトーンに見える。
    「ありがとう、長谷部。明日は部隊長なんだから、しっかり休んでね」
    「はい、ありがとうございます。ところで主、明日の出陣について一つお願いが」
    「お願い?何?」
    「……作戦は主もご存じですから、今更ここで申し上げることはいたしませんが、おそらく主にとってはお辛いものになるかと思います」
    「うん……」
    「貴方が辛いことがわかっていて、このようなお願いをするのは、貴方の負担になるかもしれません。でも」
     長谷部は私の両肩に手を乗せ、耳元に顔を寄せた。
     心臓が跳ね上がりそうになって、私は自分のカーディガンの胸のあたりを掴んだ。
    「どうか俺達を信じて、戦わせてください」
     私は目を横に動かして、彼の表情を見た。
     紫色の宝石のような瞳と至近距離で目があった。
     彼は私と目を合わせたまま、私からゆっくりと離れた。
    「……わかった。信じてるよ、長谷部」
    「ありがとうございます、主」
    「おやすみ」
    「おやすみなさいませ」
     長谷部は襖に手を掛けたまま、ほんの数秒、こちらを見ていた。
     軽やかな音を立てて襖が閉じられる。
     離れていく足音を聞きながら、私は溜め息をついた。

     ぼすんとベッドに倒れ込む。
     そこで長谷部の羽織を着たままだということに気付いた。
     私は起き上がって羽織を脱ぎ、それを畳んだ。和服の畳み方はわからないけれど、とりあえず皺にならなければ大丈夫だろう。
     畳んだ羽織をテーブルに置き、今度こそ私は眠りに落ちたのだった。


     翌朝、朝食を摂るために大広間に行くと、すでに多くの刀剣男士達が起き出していた。配膳はほとんど終わり、多くの刀剣は席について食事を摂っている。
     次々に掛けられる挨拶に応えながら、私は彼の姿を探した。
     長谷部はすぐに見つかった。彼はまだ席についておらず、配膳係のところで味噌汁をよそってもらっているところだった。
     私は席の間を縫って、彼のところに近付いていく。
    「おはようございます、主」
     長谷部がこちらに気付いて声を掛けてきた。
    「おはよう、長谷部。あのこれ、昨日、羽織を借りっぱなしで寝ちゃって、ごめんね」
     私は畳んで抱えていた彼の羽織を差し出した。

     しん、と水を打ったように賑やかだった周囲が静まった。

     少し離れたところにいた刀剣男士達も、大広間の一角の不自然な静寂に気が付いて会話や食事を止めた。
     とても何十人もの男性がいる空間とは思えない静けさだ。
     ざあっと、どこかで雪が落ちる音がした。
     長谷部は挨拶をしたままの体勢で固まっている。

    「ええっと」
     長谷部の目の前で、味噌汁の配膳をしていた燭台切が気まずさに耐えかねたように口を開いた。彼は私に向かって微笑みながら優しい口調で問いかける。私の頭には何故か「小児科の先生」という言葉が浮かんだ。
    「主、その羽織は長谷部くんが貸してくれたんだね。昨日?昨日の……いつ?」
    「夜だけど」
     燭台切は何だか怖い笑顔で長谷部を見た。

    「こいつは驚きだ」
     箸で里芋の煮物を抓んだまま、鶴丸がぼそっと言った。

     それを聞いて、長谷部の顔が真っ赤になる。

     誰かが囁き始め、それ引き摺られてざわざわと隣と話す声、だんだんと声は大きくなり、中には肩を震わせて笑う者もいる。

    「お、お前達!誤解するなよ!俺は何もしていない!!」
     長谷部は大広間に向かって叫んだ。
    「落としたやら忘れたやらまた来ようとて置いたやら、だぜ。長谷部」
     薬研藤四郎がにやにやと笑いながら大きな声で言った。
     刀剣男士達がどっと笑う。
     皆が何をそんなに騒いでいるのかわからなかったが、何となく釣られて私も笑ってしまった。
    「あ、主!貴方って御人は……!意味がわかってるんですか!!」
    「おや、主が意味を知らない方が、君にとっては好都合じゃないかな」
     燭台切の隣に座っている歌仙が涼しい顔で言った。長谷部は頭を抱える。

     私は反対側にいた鯰尾藤四郎に話しかけた。
    「ね、薬研っちが言ったのって、どういう意味?」
    「ふふ、主さんはそんなこと知らなくていいんですよ」
     加州清光は審神者と共に執務室に入った。
     執務室の前の廊下には五虎退が控えているはずだ。
     室内の空間にはいくつもの画像が宙に表示され、審神者の執務机には左右に手の平ほどの大きさの装置が置かれている。二つの装置にはそれぞれ五つ、小さな輪がついていた。審神者は席に着くと、その装置に手を置いて輪に指を通した。
    「こんちゃん、おいで」
     審神者が言うと、こんのすけが進み出て彼女の隣にちょこんと座った。彼女はモニターに向かったまま言った。
    「MCU(多地点接続装置)から順次接続」
    「了解しました。各地点との接続を確認」
     新たに画面が表示され、そこに各部隊の配置が映し出された。
    「こんちゃん、次、本部に繋いで」
    「本丸ID:14SA75401。作戦司令部にアクセスしますか?」
     こんのすけが無表情に言う。
    「アクセス」
     彼女が短く言った。
    「了解しました。実行します」
    『――本丸ID:14SA75401。アクセスを確認しました』
     執務室に無機質な女性の声が響く。作戦司令部のシステムによる人工音声だった。
    「豊三号作戦、部隊を展開します。記録願います」
    『了解しました。豊三号作戦、記録を開始します』
     彼女は加州を見た。
    「始まるね」
    「そうだね。でも大丈夫だよ。俺がついてるからね」
     加州は審神者の隣に座り、左耳に装着したカフス状の通信機に触れた。
     ざりざりと雑音が聞こえる。
    「うん、繋がってるみたいだね」
     時空を超えて審神者の霊力が刀剣男士達と繋がっている。耳に装着する形式なのは脳に近い部位だからだ。指でカフスに触れることで通話が可能になる。
    「こちら加州清光。鶯丸、聞こえる?」
    『聞こえているぞ』
     執務机に置かれた小型のスピーカーから鶯丸の声が聞こえた。この会話はこの部屋以外では、合戦場で通信機を装着している者全員に聞こえているはずだ。
    「よし、布陣開始だ」


     鶯丸は遡行軍の先遣隊が拠点としている山城の前に布陣していた。
     城と言っても、あくまで戦闘の一拠点であり、持ち主の権威を示すための天守閣などはなく、浅い堀と木の塀と柵に囲まれた陣屋である。
     斥候によると山城の中にいる敵の兵力は少なく、本丸の精鋭で固めた第一部隊が鎮圧することは容易であろうと思われる。こちらには平野藤四郎が率いる銃兵隊もある。
     問題はこれから出現する遡行軍の本隊である。政府側の間諜による事前情報では、本隊を率いる敵将は等級で言えば「甲種」の可能性もあるという。そうなると第一部隊だけでは荷が重い。複数の部隊で当たっても、まともに正面からぶつかるのでは勝算が薄いだろう。
     鶯丸の左耳に装着された小さな通信機から声が聞こえた。
    『こちら第二部隊。布陣完了だ』
    「周りの様子はどうだ」
    『今のところは何も見えんな。河原はきれいなもんだ。さすがに寒いけどな』
    「こちらも動きはない。本隊が到着するのを待っているんだろう」
     通信機は各部隊の隊長と副隊長がそれぞれ左耳に装着している。
     これは本丸にいる審神者の執務室と繋がっていた。この会話も聞こえているはずだ。
    『まさか俺達と第一部隊の間に現れたりはしないだろうな』
     通信機の向こうで鶴丸が笑った。
    「俺達もお前達も姿を見せて布陣しているんだ。わざわざ挟み撃ちされには出てこないさ」
     山城の前は見通しをよくするために木が切られている。
     鶯丸が率いる第一部隊はそこに陣を張り、山城にいる敵からもその姿は見えているはずだった。第一部隊の後方は林になっており、その先は山に挟まれた長い切通しとなっている。
     切通しと言っても幅は三間ほどもあり馬で進むことも可能だった。そこを抜けたところには河原が広がり、そのさらに先は広い川だ。

     第二部隊はその切通しを抜けたところに布陣し、太刀と大太刀は馬に騎乗していた。
     季節は冬。雪こそ降っていないが、川面を渡って吹く風は身を切るような冷たさだ。馬の息も白い。
     河原の周辺の草むらはすっかり枯れてしまっていて、おかげで見通しは良い。川の向こう岸の様子までよくわかった。
    「向こう岸に出てくると思うか?」
     鶴丸は馬上から薬研藤四郎に声をかけた。
    「先遣隊の目の前に第一部隊が陣取っているからな。相手も援護を急ぎたいだろう」
     逆に向こう岸に敵が現れた場合、敵はかなり慎重に事を構えるつもりだということだ。冬の川を渡って進軍することは、たとえ遡行軍でも負担になるに違いない。
     では川のこちら側に現れた場合はどうか。
     敵は背水の陣となるが、これは士気を高める効果もある。こちらを突破し山城の救援に向かいたいならば、これは悪くないと考えるのではないか。
     薬研藤四郎は銃兵を率いてはいるが、明るい昼間に拓けた地形で戦うことは短刀にとっては不利だ。
    「俺が敵方でもそそられるね。良い大将首だぜ、鶴の旦那」
     花嫁衣装と見紛うほどの白衣に黒い馬。
     蜻蛉切の元の主である本多忠勝の愛馬の名を冠するこの黒馬は、もちろん昔の時代とは違う大きな体躯の走ることに長けた馬だ。
     それに跨る白皙の美丈夫は、これ以上ないほど戦場で目立つだろう。それが大将首ならばなおのこと、敵の戦意は向上するに違いなかった。
     第二部隊のいる場所から河原までの距離は約十町といったところだ。敵が現れてもすぐに交戦とはならない。遠戦を仕掛けるにしても、両軍の距離が一町くらいには近付く必要がある。

     鶴丸の左耳に装着された通信機からがさがさとした雑音がした。
    『鶴ちゃん』
    「主か。どうしたんだ」
    『気を付けて』

    「鶴丸殿!」
     蜻蛉切の厳しい声に目をやると、河原の上の空間がゆらゆらと夏場の陽炎のようにゆらいでいた。
    「……時空の揺らぎですか」
     ぽつりと宗三左文字が言った。柳眉を顰め、漂い始めた遡行軍の瘴気に辟易しているようにも見える。
    「おいでなすった」
     薬研藤四郎は自分の耳に着けられた通信機に指で触れた。
    「第二部隊、遡行軍を目視で確認。作戦を開始する」
    「さあ、大舞台の始まりだ!」


    「――現刻より作戦開始!」
     審神者が司令部に報告を上げる。
     彼女はきゅっと目をつぶっていた。
    「主」
     加州は彼女を気遣う。彼の主は目を開けた。
    「……大丈夫。ちゃんと見てなきゃ」
    「主、無理しないで」
     彼女は首を振った。
    「私が見てないといけないの。私の命令で、皆が戦ってるんだから。……こんちゃん!」
     彼女は傍らの式神を呼ぶ。
    「はい。審神者様」
    「今のうちに敵部隊のボスの座標を割り出して!絶対に見失っちゃダメよ!」


     乾いた空気が一気に膨張し弾ける音が響く。硝煙の臭いが立ち込める中、ひゅっひゅっと風を切り石礫が飛び交う。
     おうっと両軍から鬨の声が上がった。敵方の声量が大きい。それだけ兵数に差があるのだ。
     ひゅうっと敵軍から大量の矢が射掛けられた。
    「盾兵!」
     燭台切光忠の号令で、盾兵が盾を持ち上げて並び、刀剣男士達を守った。

    「槍隊!構え!」
     蜻蛉切が刀装の槍兵を展開する。
    「進め!!」
     遡行軍の突撃部隊と槍衾が衝突した。前方にいた遡行軍が槍に押され、騎馬隊も何体かは馬ごとひっくり返される。
     蜻蛉切自身も本体を構えて突進した。なぎ倒し、突き通す。長い槍がまるで伸縮自在だ。
    「重騎兵、行くよ!」
     号令に応えて現れた重騎兵の馬が、敵の打刀を踏みつぶした。軽武装の兵ではひとたまりもない。
    「あんまり俺に近付くと危ないよ!」
     馬に跨った蛍丸が大太刀を振り回す。本来、大太刀は馬上から下にいる敵をなぎ倒すための武器だ。切れ味は二の次で、その重量でもって殴り倒す。
     蛍丸が馬を駆って走るその周囲で、骨を砕かれた遡行軍がばたばたと地面に崩れ落ちていく。
    「投石はもういいですよ。軽騎兵。僕を守って援護なさい」
     宗三左文字がすらりと本体を抜いた。打刀を構えた敵の歩兵隊と睨みあう。軽騎兵の囲いを突破してきた敵の白刃を本体で受け止めた。
    「その程度の力で、僕を押し切るつもりですか?」
     宗三は力を入れた様子はなかったが、敵の打刀の足がざりっと後ろに下がった。華奢な身体のどこにそんな力があるのか、相手は明らかに狼狽した。宗三は相手の焦りを見逃さず、右足を乱暴に蹴り上げる。突き放された相手が姿勢を崩したところを斬り伏せた。

     敵は予想以上に兵数が多かった。鶴丸が観察したところ乙種が多いようだが、丙種は見当たらない。敵の練度も間諜の予想以上に高そうだ。大将首は甲種であるかもしれない。
     第二部隊は善戦しているが、やはりじわじわと追いつめられていた。
     通常、三割を失った段階でその部隊は「全滅」と見做される。だいたいそのくらいを失うと、組織の機能維持が不可能になるからだ。そのため一旦撤退し、兵を補充するか組織を再編するという選択をすることになる。

     鶴丸は三国黒の手綱を握ると、敵の歩兵隊の中に躍り込んだ。気性の荒い牡馬はついでのように近くにいた敵を何体か蹴り飛ばす。
     悪魔のような巨大な黒馬に周囲の敵が怯む気配がした。
     鶴丸は馬上で己の本体を抜くと、無茶苦茶に周囲の敵をなぎ倒し始めた。
     敵の歩兵が後ろに退がり、わずかに道が開く。そこを突進し、さらに数体の敵を斬り倒した。敵が逃げ出した空間に、本体を握り締める傷だらけの短刀がいた。薬研藤四郎だ。
     鶴丸は三国黒を走らせながら上体を横に倒し、薬研に手を伸ばした。走り抜けざまに彼の腕を引っ掴み、乱暴に馬上に持ち上げる。
     薬研は痛みに呻き声を上げたが、あのまま折れるよりは百倍マシだろう。
    「恩に着るぜ、旦那」
    「間に合ったな。もういいだろう」
     びゅっと音がして、鶴丸は腕に熱を感じた。羽織が裂けてうっすら朱がにじんでいる。
     馬を止めることなく後ろを見ると、敵の弓兵がこちらに狙いを定めていた。
     鶴丸は前方に向き直り、三国黒の腹を蹴って速度を上げた。
    「退くぞ!!」


    『第二部隊、戦線崩壊。退却を開始した』
     鶯丸は第三部隊の厚藤四郎からの報告を聞いていた。第三部隊は切通しの崖の上、林の中にいるはずだ。
    「遡行軍の動きはどうだ?」
    『どうやら部隊を再編制しているみたいだ。それから追うつもりかな』
    「余裕、というわけだな」
    『どうする?』
    「少し待ってくれ。……第二部隊、聞こえるか」
     鶯丸は横に控える平野藤四郎に目配せをしながら言った。
    『ああ、聞こえてるさ』
     ややあって、鶴丸の声が通信機から聞こえた。
    「損害を報告してくれ」
    『薬研藤四郎が中傷だ。どっちかって言うと重傷寄りだがな。残りの者は俺を含めて軽傷だ。刀装については銃兵隊は消滅。残りもだいたい半分以下ってとこだな』
    「なるほど、わかった」
     鶴丸の報告を聞き終わると、鶯丸は別の方に語りかけた。
    「さて、第二部隊の損害は今聞いたとおりだ。どうする、主」


     鶴丸の報告を聞くまでもなく、執務室のモニターには刀剣男士達のステータスと自軍の兵数がリアルタイムで映し出されていた。
     審神者の顔色は紙のように青白い。特に薬研藤四郎のダメージを見てからだ。
    「主、大丈夫?」
     加州清光が彼女の肩を抱くようにして支えた。
     いつもの彼女なら、ここまでだ。ここで撤退命令を出す。
     彼女は機械から指を抜かず、加州に寄りかかった。か細い声がする。
    「約束、したの」
    「約束?誰と?」
     加州も小さな声で尋ねた。
    「……皆と」
     若い審神者は答えた。
    「皆をここに呼んだとき。私達のために戦ってって。呼んだのは私。お願いしたのは私なの」
    「主」
     彼女は加州から身体を離した。卓上に置かれたマイクに顔を近付ける。
    「ありがとう鶴ちゃん。第二部隊の皆も、大変だろうけど頑張って」
     作戦を続けて、と彼女は言って再び映像を見た。


     鶯丸は通信機に指を当てた。
    「皆、主の言葉は聞こえたな」
     平野藤四郎に向かって、手を振り下ろして合図を送る。
    「作戦続行だ」
     山の上で銃声が響き渡った。高所の音は遠くへと広がり、切通しの崖に何回も反響し、長く長くこだまする。
     退却中の第二部隊にもそれは聞こえた。
     間をおかず、後方からひょうっと尾を引く高い音がした。続いて遠く後ろで敵軍の声が上がる。
    「鏑矢だ」
     燭台切光忠が松風の手綱を握り直した。
    「追っ手がかかったね」
     その声に焦りはない。なまじ戦での高揚が声に出ることを抑えようとして、却ってかすれてしまっていた。
     眼帯をしていない左側、側頭部に礫でも当たったのか、流れ出た血の跡が半分乾いて、赤黒くこびりついている。いつもは整えている黒髪が乱れて固まっているように見えるのも、おそらくは流血のせいだ。あるいは返り血であるかもしれない。
    「薬研殿は大丈夫か」
     蜻蛉切が気遣わしげに三国黒に乗った二振りを見た。
    「見た目ほどじゃねえよ。この身体は人間に似てるが、どうやら一つ二つ風穴が開いたところで、簡単にくたばったりせんようだな」
     馬上で鶴丸に支えられながら薬研が不敵に笑ってみせた。
    「じゃあ、せいぜい逃げるとしようか」
     鶴丸が三国黒の手綱を操って走り出す。
     第二部隊の機動はそれほど高くはない。だが、今はそれでいい。


    「撃ち方、やめ!」
     平野藤四郎の号令で銃声が止む。代わりに歌仙兼定が前に出た。
    「投石隊、前へ!放て!」
     投石紐に括り付けられた人の頭ほどの大きさの石が、堀を超えて飛んでいく。
     狙いは敵兵ではない。ばりばりと音を立てて破壊されているのは山城に巡らされている木の塀や柵だ。ところどころ白煙が上がっているのは、銃兵の攻撃による火薬のためだ。
     後方で戦況を見守る鶯丸の元に通信が入った。
    『遡行軍が再編成を中止して第二部隊への追撃を開始。第一防衛線が突破された』
    「了解した。第一部隊は引き続き、敵拠点への攻撃を続行する。元々それが役目だからな」
    『第三部隊も移動を開始するぜ。予定通りだ』
    「第四部隊の配置はどうだ」
    『……こちら第四部隊、配置は完了している』
     鶯丸は通信を終了した。
     山城の正面にある門が開き始めたのが見えたからだ。
    「カッカッカ!どうやら堪え性のない将であるようだな!」
     山伏国広が豪快に笑って本体を構えた。
    「戦で動揺しちゃあ、負けだぜ」
     重騎兵を展開しながら獅子王が言った。
     門の内側に敵の歩兵が並び、その奥に馬に跨った兜首が見える。
     太郎太刀が進み出た。
    「露払いは、私がいたしましょう。……さあ、私に近付ける者はありますか?我こそはと思う者は進み出なさい」


     第三部隊の短刀達は木々の上を、枝から枝へと飛び移りながら移動していた。
     厚藤四郎の先導で、昼でも薄暗い林の中をほぼまっすぐに駆け抜けてゆく。足場の悪い切通しの道を馬で駆けるより、こちらの方がずっと速かった。
    「ずいぶんとうまくいったものですね」
     天狗下駄を履いた足で器用に枝を渡りながら今剣が言った。
    「このまますすむといいけれど」
    「この先は読めねえな。敵さんがどれくらいの兵力を追っ手に回してくれてるか」
     厚が答えた。
    「だいよんぶたいは、ぼくたちほどはやくいどうできませんからね」
    「林の中ではな。だが姿を見せて平地で戦うのは、俺達には不利だ。なるべく第二部隊に引っ張られてると助かる」


    「さすが第一部隊だね。もうすぐで拠点を制圧できそうだよ」
     モニターを見ながら加州が少し明るい声を出した。ほぼ予想通りではあるものの、山城については勝ちが見えていた。
    「ねえ、きよみー。山城の制圧が終わったら、第一部隊の皆にも作戦を助けてもらえないかな」
     審神者が遠慮がちに尋ねてきた。加州は首を振る。
    「それはできないって。そもそも第一部隊には馬を持たせてないから、追い付けないよ」
    「そ、そっか。そうだよね。ごめん、変なこと言って」
    「いや、少しでも皆を安全に勝たせてあげたいっていう主の気持ちはわかるよ」
    「甘い考え?」
     加州は彼女の頭を撫でた。
    「主はそれでいいよ。こないだ長谷部も言ってたよ。上に立つ者として、情け深いことは美徳だってさ」
    「は、長谷部が!?」
    「アイツ、素直じゃないけど、ちゃんと主のことを大事に考えてるよ。もちろん俺もだけどね」
    「うん……」
    「ところで」
     加州は気持ちを切り替える様に部屋に広がる画像を指差した。
    「敵の本隊は第二部隊を追ってるけど、敵の大将とその周辺の部隊は河原から動かない。これはちょっと厄介かもね。主、第四部隊に伝えておこう」


     第四部隊の長谷部は機械からの雑音で通信が入ったことに気が付いた。
    「主?」
    『主じゃなくてごめんね、加州清光でーす。主はちょっと手を離せないんだよ』
    「何だお前か」
    『そういうブリッコって感じ悪いよ。言っとくけど、主も皆も聞いてるからね』
    「誰が……!」
    『はいはい。真面目な話、どうも敵の大将と取り巻きが河原から離れないみたいなんだ。第四部隊、急で悪いけど動いてくれる?』
    「……了解した」
    『気を付けてね。これは俺じゃなくて主から』
    「そうか。かたじけない」
     横で同じように通信機を付けた副隊長のにっかり青江が他の刀剣に合図をし、第四部隊は移動を開始した。
     短刀ほどではないが、機動の高い打刀と脇差で構成された部隊は、木々の間を縫うように走り抜けていく。


     第二部隊は切通しの道の終点に近付いていた。
     その先は林があり、さらにその先が第一部隊のいる場所になっている。林と言っても切通しの上にあるものとは違い山城への通り道として使用されるため、自然と踏み固められた道が出来ていた。
     敵軍はもうすぐそこまで迫っており、その距離は一町もない。
     鶴丸は焦る様子もなく三国黒を操り、羽織をはためかせて駆けていく。
     美しい獲物を追う猟犬のように、遡行軍は死に物狂いで追い縋ってきていた。

     遡行軍は確信めいた勝算に突き動かされていた。
     もうすぐ切通しを抜ける。
     平らな場所に出れば、隊列を整え飛び道具も使える。
     そうすれば、あの優美なしるしをあげることができる。

     目の前にいる刀剣男士の部隊が切通しを抜け出した。
     それを追って、前進する脚に力を込めた瞬間だった。

     落雷のような破裂音が切通しに響き渡る。
     発砲音だ。しかし先の音とは違う。
     近い。横にいた仲間の頭部がはじけ飛ぶ。
     目の前が紅く染まって、意識が途切れた。

     追っ手の遡行軍は恐慌状態に陥った。
     どこから攻撃されているのか確かめる余裕もない。
     引き返そうにも切通しは狭い。勢いづいていた集団は急には止まらない。
     殿しんがりを決めることも出来ず、逃げようとする先頭と、後からくる集団との間で混乱が起きた。
     その間も銃撃は繰り返される。

     鈍い音とともに一体の遡行軍の兵が崩れ落ちた。
     ごろりと地面に石礫が転がる。
     振り返ると、切通しの向こう、今の今まで自分たちが追っていた刀剣男士の部隊がこちらを向いて立っている。その前には頭数こそ当初より減ってはいるが、投石兵の姿が見えた。
     ――嵌められた。
     意味のある言葉を考えられたのは、そこまでだった。


    「さて、攻守逆転だな」
     離れた場所で、本体に付いた血を拭いながら鶯丸が言った。
    「はあ、さすが鶴丸様です」
     平野が感心の声を漏らした。太郎太刀も切通しの方角を眺めている。
    「話には聞いたことがありますが、あれが『釣り野伏せ』ですか」
    「そうだ。簡単そうに見えて難しい。鶴丸国永は向いているな」
     適材適所というヤツだ、と鶯丸は笑う。
     釣り野伏せは所謂「伏兵戦法」であるが、その難度は非常に高い。そもそも敵を本気にさせるため、必ず自軍にも損害を出す戦い方である。一歩間違えれば、こちらが殲滅させられる危険すらあるのだ。
    「だが、まだ向こうの大将は残っておるのだろう。逃げられては困るぞ」
     山伏が腕を組んで言った。
     まだこの合戦は終わってはいなかった。


     総崩れになった遡行軍を追って、今度は第二部隊が追撃を始める。
     切通しの上には第三部隊が率いる銃兵がいる。短刀達も木々を渡って遡行軍を側面から追いつめていた。
    「待て、宗三」
     鶴丸が宗三を呼び止めた。
    「何です」
    「きみはここまででいい。薬研を頼む」
    「僕がいなければ投石兵は使えませんよ」
    「第四部隊がいる」
     鶴丸は三国黒から飛び降りると、薬研を抱えて降ろした。彼の左耳に着けられた通信機を外す。
     宗三は溜め息をつくと刀装を一つ外し、鶴丸に投げてよこした。
    「残り少ないですが軽騎兵です。貴方、刀装が一つ欠けてしまってるじゃないですか。それでも無いよりはマシでしょう」
     鶴丸は刀装を三つ装備していたのだが、一つは失われてしまっていた。
    「こいつはありがたいな」
    「……あの馬鹿が無茶をしないうちに、追い付いてくださいね」
     鶴丸は再び三国黒に跨ると、上ってきたばかりの切通しを下り始めた。


     第四部隊は切通しの上を抜けると、河原の方には出ずにぐるりと林の中を迂回し、川下から遡行軍の本隊に接近していた。
     先ほど銃声が聞こえた。釣り野伏せが成功すれば、切通しを上っていた遡行軍は総崩れになって退却するだろう。
     敵は文字通り背水の陣を敷いている。これは攻勢にあるときは軍の士気を向上させるが、一度ひとたび優位が崩れれば、あっという間にその効果は反転する。
     戦場で退路を断つ、あるいは断たれるというのは非常に重要な要素である。
     この戦での大方の勝敗は既に決まったも同然だった。
    「あとは、大将を取り逃がさないことだね」
     蜂須賀虎徹が木の間から敵陣を伺いながら言った。
     鯰尾藤四郎と骨喰藤四郎は相手の部隊編成を調べるために斥候に出ている。
    「事前に聞いていた間諜からの情報では、おそらく敵大将は大太刀で乙以上だろうとのことだけどねえ」
     にっかり青江が言う。この脇差はこんなときでも微笑みを絶やさない。
    「周囲を守る敵の刀種にもよりますが、我々だけではいささか心許ないですなあ」
     鳴狐のお供が遠慮なく本音を漏らし、鳴狐本人に「ダメだよ」と口を塞がれた。

     斥候に出ていた藤四郎の脇差が帰ってきた。
    「やはり敵の大将は大太刀の甲種だ」
    「取り巻きも乙種と甲種の太刀ばかりですよ。白兵戦ではまず勝ち目がありません」
     二振りの報告を聞いて、蜂須賀が口を開いた。
    「それで、逃げる気配はあったのか?」
    「今のところはないですけど、自分の軍が切通しから戻ってくれば、状況は嫌でも理解するでしょうし、時間の問題ですかね」
    「いずれにせよ、このまま指を咥えて見ているわけにはいかん」
     長谷部が腕を組んで言った。
    「切通しの遡行軍どもが逃げてくるということは、第二部隊の連中も追ってくるのだろう。あちらには太刀と大太刀がいる。奴らの到着まで時間を稼ぐ。それだけだ」
    「そう巧くいくかな」
    「何だ、青江」
    「ほとんどが切通しに入っていったとはいえ、取り巻きの太刀の数も多い。それが全部切通しの方角から来る第二部隊を迎え撃ちに出たとして、第二部隊がその囲いを破って大太刀の大将のところに辿り着くまで、僕らだけで甲種の大太刀を止められるかい?」
    「止めるだけだろう。倒す必要はない」
    「長谷部くん?」
    「時間を稼ぐだけなら、俺達が全員でかかる必要もないということだ」


    「光坊。薬研の通信機だ。着けておけ」
     馬を並走させながら、鶴丸は燭台切に通信機を手渡した。
    「やっぱり薬研くんは置いてきたんだね。宗三くんも?」
    「もし次に大太刀の攻撃を喰らったら折れかねんだろう」
     鶴丸はさらりと言う。馬を走らせながら、追い付いた遡行軍を本体の太刀で殴りつけるように倒した。
    「何で僕に通信機を渡したの?」
     ちらりと鶴丸は燭台切を見た。長い付き合いだ。隠し事はできぬと見える。
    「なあに。万が一俺に何かあれば、光坊が代わりに指揮をとるだけの話だ」

    「各々方!切通しを抜けますぞ!油断めされるな!」
     蛍丸の駆る小雲雀に同乗していた蜻蛉切が飛び降りながら叫んだ。
     前方に敵陣が見える。こんなにも残っていたのかと思うほどの黒く厚い敵軍の壁だ。
    「槍隊!構え!」
     刀装の槍兵を呼び出し、突撃する。
     しかし敵の太刀も刀装を持っている。刀装兵はみるみるうちに削られていった。
     蜻蛉切が鬼神の如き様相で槍を繰り出す。
     敵の刀装兵を貫き、さらに敵の本体まで貫通させるが、さすがに一撃で致命傷を与えるまでには至らないようだ。
    「重騎兵!」
     燭台切が重騎兵を呼び出し突進させた。自身も松風を操り、敵陣の只中に飛び込む。
    「鶴さん!鶴さんは雑兵を倒さなくてもいい!とにかく進んで!」
     力任せに本体を振るうと、骨の砕ける音とともに敵の刀装兵が倒れていく。

     蛍丸と鶴丸が操る馬は敵軍を飛び越え、敵陣の真ん中を目指して駆ける。
     わらわらと敵太刀が集団で追い縋ってくる。キリがない。
    「蛍丸!ここは任せてもいいか!」
    「うん!」
     鶴丸は自分の刀装を外すと、蛍丸に向けて放った。
    「使え!きみのはもう無いだろう!」
    「うん!でも鶴丸は……」
    「俺はいい!寧ろ身軽だ!」

     蛍丸は小雲雀の手綱を操って進行方向を変え、追ってくる敵に対峙した。
    「さあ、真打登場ってね!」
     重騎兵、軽騎兵、盾兵を展開する。これを超えるのは甲種の太刀といえども困難だ。
     小柄な体躯に不釣り合いな大太刀を構え、小雲雀を操り、重量を感じさせないほどの素早さで次々と敵をなぎ倒していく。
     それでも何体かの敵太刀が盾兵の守りを潜り抜け、鶴丸を追った。
     さすがの蛍丸でも、そいつらは追えない。そちらを追っている間に、さらに敵兵を通り抜けさせてしまうことにもなりかねないからだ。

     鶴丸は三国黒と駆けていく。
     乾いた破裂音が響いた。
     三国黒が高くいななき、後足で立ち上がる。完全に不意をつかれて、鶴丸は振り落とされた。
     三国黒は心配ない。本丸の馬は特殊な刀装のようなもので死にはしない。
     鶴丸は受け身をとると、何回か地面を転がって立ち上がった。
    「おいおい、太刀のくせに銃兵を装備してるのか?驚いたな」
     本体に手を掛け、腰を下げて構える。
     目の前には、三体の敵太刀が立ちはだかっていた。


    「放て!!」
     号令とともに、投石と矢が射掛けられた。
     大太刀がそちらを向くと、一町ほど離れた茂みで、打刀と脇差が刀装兵を率いているのが見えた。
     自分に敵う練度でないことは、受けている攻撃からもわかる。
     一捻りとばかりに、そちらに近付こうとしたときだった。
    「こちらだ」
     後方から声がして、右肩に一撃浴びせられた。利き腕を切り落とそうとしたものか。
     だが練度の差なのか、己の肉体に相手の刃は弾かれたようだ。舌打ちが聞こえた。


    「チッ!」
     弾かれた。
     何よりも刀としての矜持を傷付けられて、長谷部は舌打ちをした。
     敵の大太刀が、今しがた切りつけた右腕を振り回した。
     とっさに後ろに跳んで、それを避ける。
     敵が全身でこちらに振り返った。ゆっくりと大太刀を構える。
     長谷部は刀装兵を発動した。
     投石兵が現れる。彼らは投石紐のついた石を分銅術の要領で投げつけ、大太刀を敵の腕ごと絡め取った。
    「はっ!」
     長谷部は本体で大太刀の足元を払う。しかし防具と鋼のような筋肉に阻まれて、大した損傷は与えられない。
     相手は無造作に左腕を振った。投石兵が吹き飛び、投石紐が千切れる。
     何という力だ。
     驚き呆れる長谷部に向けて、相手は左手を突き出してきた。
     とっさに本体で斬りつけたが、手首の骨に当たった刃は弾き返された。
     圧倒的な練度の差。
     慌てて身体を捻り相手の一撃をかわす。長谷部逃げて、と耳元で審神者の声が聞こえた。

     逃げる?とんでもない。
     この身を得て、今ほど昂ぶったことはない。
     戦うことは刀の本能。それが主のためならば、それは刀の本懐。
     
     何度か斬りつけたが、敵もさるもの、上手く防具を使い本体への傷を防いでいる。
     再び相手は左手を繰り出してきた。長谷部も今度は斬りつけずにかわす。
     後ろに跳ぼうとしたそのときだった。
     背中から衝撃を受けた。
     背後から槍で突かれて、貫通した槍の穂先が見える。
     しまったと思ったが、もう遅い。
     遡行軍の刀装は自分達とは違い、刀種による制限を受けないのだ。

     動きの止まった長谷部に向けて、敵は大太刀を振り下ろした。

     次の瞬間、かっと左の脇腹が熱くなった。血が逆流して生温かい液体が喉元に迫り上ってくる。敵の刃は長谷部の腹に深々と突き刺さって止まっていた。

     通信機からは何度も自分の名前を呼ぶ少女の悲鳴が響いている。

     重傷。
     これ以上の攻撃は受けられない。
     逃げようとすれば却って危険だ。
     大太刀の間合いから出る前にとどめを刺されるだろう。
     だが、まだだ。
     まだ折れてはいない。

     長谷部は己の身に食い込んだ刃ごと相手の腕をがっちりと抑え込むと、口内に溜まった血を乱暴に吐き捨てた。
    「全く、そんなに声を上げられて……皆が聞いておりますよ、主」
     凄惨な笑みを浮かべる長谷部に気圧されて、敵は焦ったように得物を引き抜こうとする。
     その後方から何かが飛んできて、長谷部と相手の足元に落ちた。

     黒い烏帽子に甲冑、青白い肌、蜥蜴の尻尾のような剥き出しの骨。

     敵の肩越し、長谷部にはこれを放り投げた者の姿が見えていた。
     それは本体を構えて、大きな鳥のように舞い上がる。

    「紅白に染まった俺を見たんだ」

     本邦において鶴は長寿を象徴する瑞鳥とされる。しかし遥か遠く北方の異国では、死を運ぶ凶鳥とされると聞く。

    「後は死んでもめでたいだろう」

     大太刀は長谷部に向かって屈み込むような姿勢をとっていたため、その首の後ろを無防備にさらけ出していた。
     その一点を目がけて、鶴丸の太刀が振り下ろされる。
    『本丸ID:14SA75401。豊三号作戦。時間遡行軍の消滅を確認しました。現刻を以て作戦終了。記録を停止します』
     執務室に響く人工音声が作戦の成功を告げた。
    「審神者様!やりましたね!おめでとうございます!」
     いつもはクールなこんのすけが、じゃれつくような勢いで私に言った。それよりも、私にはやらなければならないことがある。すぐに皆を本丸に戻さなければ。
    「こんちゃん!ピックアップの準備!急いで!!五虎ちゃん!!」
     執務室の外で控えているはずの五虎退を呼んだ。
    「は、はい!あるじさま!」
    「本丸に残ってる皆に言って、手入れ部屋と手伝い札の用意!あと体の大きい人はゲートに向かうように言って!怪我人を運んでもらうから!きよみー!ピックアップは私とこんちゃんでするから、五虎ちゃんを手伝ってあげて!」
    「う、うん。わかった。五虎退、行こう」
     五虎退と加州はバタバタと出て行った。
     私はコンソールに向き直った。
    「皆、大丈夫!?今引き上げるからね!待ってて!」

     ピックアップの設定が終わると、私は走って手入れ部屋に向かった。
    「あ、あるじさま!」
     五虎退が涙目になりながら、手入れ部屋に手伝い札をかけているところだった。
    「ありがとう、五虎ちゃん。あとは代わるから。他の人を手伝ってあげて」
     心優しい彼にとって、次々と運ばれてくる傷付いた仲間を見るのは怖かったに違いない。それでも逃げずに頑張ってくれていたのだ。

     岩融に抱えられ、長谷部が手入れ部屋の前にやってきた。
    「ありがとう、ガンちゃん。……お疲れ様、長谷部。すぐに直してあげるからね」
    「……まだ行けますよ、死ななきゃ安い」
    「バカ!」
     私が手入れ部屋の障子を開けると、岩融が長谷部を雑に放り込んだ。
     ぴしゃりと障子を閉め、手伝い札をかける。
    「長谷部」
     障子越しに声をかけた。
    「はい」
    「次に主命を無視したら、今度は手伝い札なしで手入れ部屋だからね!」
     手入れ部屋の中から何かを叫んでいる長谷部の声がしていたが、私はさっさと隣の手入れ部屋に札をかけるために立ち上がった。

     その後のことは、私は知らない。全員の手入れが終わった段階で、強烈な眠気に襲われて、気が付けば朝だったからだ。おそらく一時的に霊力を使いすぎて疲れたのだろう。
     ちなみに誉は鶴丸が獲ったと聞かされた。大将首を獲ったのは彼だし、それは順当なところだ。
     鶯丸は縁側に腰を下ろして、温かい茶を楽しんでいた。
     数日前に本格的な雪が降り、本丸の庭はすっかり雪景色だ。
     ここからは見えないが、本丸の庭のどこかには短刀達が作った雪だるまやカマクラがあるはずだ。
     主は少し遅めの正月休暇とやらで、今日から数日間、現世に帰ることになっていた。
     ぎりぎりまで用意をしない彼女のことであるから、今頃バタバタしているだろう。
     そう思っていると、ちょうど足音が近付いてきた。
    「うわ!この寒いのに縁側に出てるの!?障子も開けっ放しじゃん!部屋まで冷えちゃうでしょー」
     紺色の上着を着て、出掛ける準備をした少女が立っていた。今日は飾りの付いた髪留めで髪を束ねている。
    「暦の上ではもう春だぞ」
    「暦の上で春でも、今は真冬でしょ!実際雪が積もってるし。気温も一桁だからね?風邪ひいても知らないよ」
    「刀も風邪をひくのか?」
     部屋の中から声がかかった。
    「鶴ちゃん。何してんの?」
     鶴丸は部屋の中で火鉢を抱いて、餅を焼いていた。彼の横には餅が山のように積まれている。
    「餅を焼いている」
    「見ればわかるけどさあ」
    「いかに餅を上手く焼けるか挑戦してるんだ」
     言葉だけ聞けば冗談だが、餅の山を見ると本気かもしれない。
    「何、年末に皆で餅をついただろう。食べきれない分を冷凍していたんだが、光坊が今日のおやつに善哉を作るというんでな。俺は餅を焼く係を仰せつかったのさ」
    「えー!みっちーの善哉なら私も食べたかった!」
    「また作ってもらえばいいだろう」
     鶴丸と少女がそんな言い合いをしていると、廊下につながる襖が開いた。
     長谷部と、その足元にこんのすけがいる。
    「こちらにおられたのですか、主。そろそろ時間ですよ」
    「あ、長谷部。うん、わかった。じゃあ二人とも、行ってきます!」
     少女は明るく手を振って、長谷部とこんのすけと部屋を出て行った。挨拶のために来たのだったらしい。

    「最近、長谷部とこんのすけはよく一緒にいるな」
     鶯丸が何気なく言うと、鶴丸が噴き出した。
    「きみ、鋭いようでいてどこかズレてるなあ」
    「ん?」
     鶯丸は鶴丸のいる部屋の中を振り返った。
    「因果関係が逆だ。こんのすけがいる場所に、長谷部がよく現れるようになったのさ」
     こんのすけは審神者専用の式神だ。特にここの主は幼いためか、こんのすけは四六時中、彼女と共にいる。
    「それはつまり」
    「お、これは上手く焼けたぞ」
     鶴丸は火鉢にかけた網の上から餅を一つ、箸でつまんで持ち上げた。
    「鶯丸、きみ、茶請けが無くなってるじゃないか。皿をかせ。餅をやろう」
     鶯丸は言われるままに、空になっていた茶請けの皿を鶴丸のほうに差し出した。
     立ち上がるのは億劫だったので、上体と腕をうんと伸ばす。
     鶴丸も餅をつまんだ箸を持った手をめいっぱい伸ばして、何とか皿に餅を乗せた。
     お互いものぐさである。

     鶴丸は餅の山から一つ取って、網に乗せた。
     鶯丸は続きを話す。
    「つまり、そういうことなのか」
    「そういうことだな」
     鶯丸は茶を一口飲んだ。冷えた身体に熱が取り込まれる。人の身を得て知った感覚だ。
    「まあ、歩兵の駒も生き残って進めば金になる。何があるかわからんもんさ」
     熱心に餅をひっくり返しながら鶴丸が言った。

     鶯丸は雪化粧の庭を見る。まだ真冬だと彼女は言っていた。
     春は名のみの風の寒さ。
     雪の中、一つ二つと開き始めた梅の香が微かに漂ってくる。
     確かに春は来ているが、幼い子供は気が付かないだろう。
     教えてやってもわかるまい。
    「大包平も早く来ればいいのにな。ここは退屈しない」


     ぎゅっぎゅっと雪を踏みしめながら、長谷部と審神者は転送ゲートへと向かっていた。
     二人の足元にはこんのすけが歩いている。

    「長谷部、これ、ありがとね」
     彼女が自分の後頭部を指差す。そこには小さな宝石の付いたバレッタがあった。
    「お気に召していただけたなら、何よりです」
    「えへへ。家族以外の男の人からプレゼントもらうなんて初めてだよ」
    「まあ数日のことではありますが、あちらに行かれている間はお守りすることもかないませんから」
    「え?これ御守なの?」
    「そのようなものです」
    「ふーん」
     十代半ばの少女が身に着けるには明らかに高価な髪飾り。
     ちらりとこんのすけがこちらを見上げたことに、長谷部は気が付かないふりをした。

    「主」
    「なあに」
    「その御守に、気を込めても構いませんか?」
    「気を込める?どうやるの?」
    「こうですよ」
     長谷部は彼女の後ろに立ち、彼女の肩に両手を置いた。
     そっとバレッタに口付け、ふっと軽く、小さく小さく息を吹きかける。
    「長谷部!?」
     慌てて振り返った少女の顔は真っ赤だ。
     自分への恋情に気が付かないほど幼いわけではなさそうだ。
     そう思い、長谷部は彼女の右手を優しく持つと、恭しく腰を屈めて、今度は指先に唇を落とした。
     願いを込めて。

    「どうか末永く、貴方のお側に」
    ykyk Link Message Mute
    2018/10/07 14:57:40

    幼心の君 The Winter War

    刀剣乱舞 夢小説です。
    pixivに『少女審神者とへし切り長谷部の話』として掲載していたものです。
    文字は小さめ推奨です。

    シリーズで世界観を共有していますが、話の内容は独立しています。

    イメージソング『ココ』/たむらぱん

    #刀剣乱舞 #二次創作 #夢小説 #刀さに #へし切り長谷部

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