とある冬の朝に「冬の布団は最高よな」
掛け布団の中からくぐもった声が届いた。こんもりとした掛け布団がもぞもぞ動き、部屋の主人に同意を求める。
「そーねー」
部屋の主人──マスターたる少女、藤丸立香が気の抜けた返事を投げる。既に礼装に着替え、ミーティングへ向かう準備をしていた。
「ほら、茨木も起きて準備しないと」
ベッドに腰掛け、膨らんだ布団をその上から優しく撫でる。昨夜の鬼救阿TVシリーズ一気見が響いたのか、茨木からの返事は無かった。
「……先に行くよ」
と、しびれを切らした少女がベッドから腰を上げた途端。礼装の袖を小さな赤い腕が掴む。
「茨木?」
「わかるぞ。吾にはわかってしまうぞ……!!」
「は? 何が?」
「……汝は、怖いのだろう?」
羽毛と綿毛の深淵からの声は、甘美な誘惑に満ちていた。
「何言ってんの茨木?」
「惚けずとも良い。汝は恐れておる……抗い難い二度寝の魔力を……」
断言する少女は分厚い掛け布団から赤い腕とツノだけを出していた。掛け布団が揺れるのに合わせてツノが可愛らしく動く。
かの声は尚も語りかける。少女の裾を引く力が少しだけ強まった。
「この布団は重く、温かく、柔らかい。おまけに昨日干したばかりときた。二度寝など最高であろうなぁ」
くぐもった声は少しずつだが確実に、精神を侵していく。
「汝はそこそこ強い意志を持つ人間だ。朝起きて布団から抜け出すまではなんとかなるだろう」
「まぁ……ね。毎朝目覚ましかけてるし」
もこもこの山が微かに揺れる。
「しかし、だ。再び布団に潜ってしまえば脱出することは叶わない、どうやら汝はそれを、自分の限界をよく知っておるようだな」
二度寝の気持ち良さを想像しているのだろう、藤丸からの返事は無かった。
「吾はもう少し眠るぞ。みぃてぃんぐまではまだ30分ほど余裕があるのだろう?10分ぐらい良いではないか!」
甘い、実に甘い考えだった。寒い冬の朝、二度寝が10分やそこらで済むはずもない。寝過ごすのは確実である。
「……マシュに叱られるよ」
かつて身を置いていた学生生活での苦い経験を活かし、藤丸はやっとの思いで拒絶を絞り出した。
「ふっ、かつての吾ならともかく、さぁばんとは本来睡眠を必要としないもの。霊核を休める時間の調節など容易いわ。10分経ったら汝も起こしてやる」
勿論大嘘である。カルデアのサーヴァントは半受肉状態にあり、生理現象もいくらかは生身の状態に引っ張られる。そもそもカルデアきっての悪童、茨木童子がそのような約束を守る筈も無く────
そこまで思考を巡らせる前に、少女の脳は羽毛に蕩けてしまった。袖を引かれるがままに掛布団と敷布団の間へと身体を潜り込ませ、次の瞬間には四肢を小柄な鬼に絡め取られていた。
額と額が接する寸前。見つめ合う金と茶の瞳。必死の間合いで人と鬼が睡魔に囚われている。
鬼の高い体温が少女の身体をじわじわと蝕んで行く。密着した胸からは女体の柔らかさと穏やかな鼓動が伝わってくる。互いの身じろぎすらも手に取るようにわかる距離だ、おそらくは藤丸の高鳴る鼓動も気付かれているのだろう。
「茨木? 本当に起こしてくれるんだよね?」
確認するような、懇願するような。か細い声に黄金の鬼は言葉を返す。
「絶対に逃さん。吾と共に怒られろ」
既に瞼を半分閉じた鬼は喉の奥でくつくつと笑うと、少女をより強く抱き寄せ、その瞼を完全に閉じてしまった。
やがて仔犬のような寝息を立て、鬼は眠りに落ちる。残された人間は可愛い後輩の怒り顔を想像し、誰にも聞こえない小さなため息を吐く。
「……マシュには謝ろう」
彼女は後を追うように意識を手放した。