なにかのはじまり(1)ある年のレギュラーシーズン中
試合に勝利した後のロッカールームで
トム・ブレイディは、関係者等から特別招かれているゲスト達の中に、見たことのある顔を見つけていた
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“クリス・エヴァンス”
彼のことは知ってた
テレビも雑誌も見ないような
世間の時事に余程疎い奴で無い限り
米国で彼を知らない人間はいないだろう
何たって、超有名なハリウッドスターだ
いつだったか、チームメイトのロブが言ってた
「なあ、知ってるか!?クリス・エヴァンスってお前の大ファンなんだってさ!」
その時は、へぇ、そうなのか……
と思っただけだった
擦れた物言いはしたくないけど、十年以上この仕事を続けていれば、有名人の名前を出されて「その人がお前のファンらしいぞ」と聞くことは、珍しいことじゃなかった
トレーニング中や、試合前後のロッカールームで、チームの経営陣から彼らを紹介されることも、良くあることだ
先発で活躍出来るようになって、周囲の見る目が変化したばかりの頃は、少し高揚したりしたけど
そのうち慣れた……
当の“有名人”からすれば、何様だと思われるかもしれないけれど
俺にとっては、彼らも一般のファンも
どちらも同等に大切な存在だ
でも、ファンだと言う有名人の中には
あらゆるコネを駆使してやって来て
トレーニング中であろうと、試合前の集中している時であろうと、構わず紹介を求めた
有名人だから、特別待遇をしろとでも言うように……
本人たちはそんなつもりは無いのかもしれないけど、そういう一部の人たちのイメージで、有名人から「ファンだ」と言われると、少し身構えるようになっていた
「今日は、“あの”クリス・エヴァンスが見に来てるんだってよ!」
チームメイトたちがそう話しているのを、これまでにも何度か聞いた事はある
確か、Mr.クラフトが知り合いなんだと、どこから得た情報なのか若い連中が言ってた
でも、一度も彼をロッカールームで見かけることは無かった
その日までは……
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その日の試合後のロッカールームで
彼の姿を初めて見た
関係者や招待されたVIPに混じって
何年か前にオフィシャルで販売されていた、ペイトリオッツのブルーのフーディーに、その青に合わせたかのようなネイビーのキャップを被って、彼はそこにいた
キャップには『NASA』のロゴが付いていた
そう言えば今日は、偶然にもマーティがNASAのキャップを被ってたっけ…なんて、どうでもいいような事が頭を過る
ロッカールームには、チームメイトやコーチ陣を含め、大勢の人がひしめき合っていたけど
もう既に殆ど出回っていないであろうブルーのオフィシャルフーディーを着た彼は、何だか妙に目立ってた
数日前に何かの映画のトレイラーで見た時とは違って、顔の半分くらいは髭で覆われているし、ラフな格好もしてはいるけど、やっぱりスターのオーラのせいかな…なんて考える
Mr.クラフトとコーチのスピーチが終わって、勝利の円陣を組む時に近くに行くから目が合うかな…そうしたら挨拶をしよう
そう思ってたけど、皆がマシューの周りに集まると、どういうわけか彼は、そわそわとしながら壁や扉の方に視線を向けていて、一向に視線が合うことは無かった
それが済むとすぐに、今度は彼自身がミーハーなチームメイトたちに囲まれて、少し驚いた様子だったけど、握手や写真撮影に快く応じ始める
余りにもみんなで入れ代わり立ち代わり、彼の周囲で大はしゃぎしてるから、俺も声をかけようかともおもったけど
若い連中が楽しそうにしてるのに、俺が行ったら興醒めさせてしまうかもしれないと考え直して、そのまま遠目に見ていた
騒いでいた連中がいなくなると
彼は壁際で一人佇んで、ロッカールーム内の様子をキョロキョロと眺めていた
恐らく、Mr.クラフトに声をかけられてやって来たんだろうから、色々と要望を言っても構わなかっただろう
でも彼は、ベリチックと話し込んでいるMr.クラフトに何を言うでも無く、どこかそわそわとした様子で佇んだままだった
初めは、慣れない場所で居心地が悪いのかと思っていたけれど、そのうち
あれはただ、緊張しながらも興味津々で周りの様子を伺ってるんだと気付いた
お前の大ファンらしいと聞かされてから
彼の事を時々テレビやなんかで見かける度に、少し注視するようになっていて
そんな、画面の中の華やかな世界にいる彼とは打って変わって
今はまるで、小さい子供のファンみたいだった
気が付くと俺は、彼の側に立ってた……
そして目の前で、綺麗な青色の目をめいっぱいに見開いて、こちらを見上げている彼に言った
「クリス・エヴァンス?」
さっきまでは“何となく緊張している”風だった彼は、今度は明らかに硬い表情を顔全体に貼り付けて、白かった肌が、見る間に紅潮していくのが見て取れた
「……あ、う、えっと…」
やっと返ってきた声は掠れていて
しまった、急にデカいヤツが近づいて怯えさせてしまったか…と少し焦った
「俺は、トム・ブレイディって言うんだけど、知ってる?」
そう、少しおどけて言ってみせると
彼の強張っていた表情が、途端に崩れて
止まってしまっていた息を吐き出すかのように、小さな笑い声を上げてくれた
そして、またひと呼吸置いてから、今度は慌てた様子で、意を決したように再びこちらを向くと
「も、もちろん!知ってる!…僕は、その…あなたの大ファンなんだ!!」
そう、少し大きな声で言って
耳の先と目の周りを紅潮させたまま
照れたように、ふにゃりと笑った
可愛い、と思ったんだ…
可愛いって、何だろう?
男に可愛いなんて
あんまり嬉しくはないだろう
その時は、そんなことを考えてた
自分の中に生まれた『何か』になんて
これっぽっちも気付いてなかったんだ
to be continued......