蓮沼さん達のベッドに桃を置くテスト──────────────────
ある日、憲兵中尉
成嶋佳晶が自室にもどると、寝台の上に直径1m 円周3mはあろうかという巨大な桃が鎮座していた。
成嶋はギョッとして、ドアにすがりへたりこんでしまった。沈みはじめた日差しを受けて、桃は頑としてそこに在る。桃の質量で、寝台を支えるパイプ脚は軋みをあげてすらいた。
跳ね上がった心臓をなだめながら、成嶋はやっとのことで声をあげる。
「山村ー!」
「ハイハイ、そんな激しく呼ばなくても、いつでも駆けつけますぜ」
姿見の中から現れた山村軍曹は、右手に珈琲カップ 左手にドーナツを持って頬張っている。成嶋と契約した悪魔である山村は、あちこちの空間の
端切れをつなげて屋敷のようなものを作っているらしい。成嶋の部屋の姿見も、彼の気に入りのリビングのひとつである。
「や、山村! これは何だ!」
山村はドーナツを齧りながら、寝台の上の桃を見た。
「ふうん。 こりゃ桃だ」
「貴様の仕業だろう!」
「冗談。こんな意味のない悪戯しやしませんよ」
山村はのんきに否定したが、成嶋はまだ疑っている。
「本当に貴様じゃないのか……?」
「雄山羊のあごひげにかけて! 違いまさあ」
いつも通りの山村のふざけた口調に、成嶋は気が抜けた。そこでやっと、無様に床にへたりこんでいた事に気づき、頬を染めると、慌てて立ち上がり威勢を正した。
「そ、そうか…… じゃあ これは一体何なんだ?」
「桃ですな」
「でかすぎるだろ」
「喰いでがあっていいやね」
「こんな得体のしれない物を食べる馬鹿がおるか」
成嶋はそおっと桃に近づくと、周囲を見回す
「ふむ、鍵は確かにかかっていたし、侵入の痕跡は無い。 いや、それ以前に、こいつの幅ではドアも窓も通れんな。 おい、山村」
成嶋は廊下に出てドアの陰から山村に命令した
「ちょっと触ってみろ」
へえへえと言いながら、山村は桃の表面を撫で、ぽんぽんと叩く
「どうだ?」
「作り物じゃないね。確かに本物の果物ですぜ」
おそるおそる部屋に戻った成嶋は、納得のいかない面持ちで考え込む
「本当に貴様の仕業じゃないのか?」
「本当だって成嶋ちゃん、世の中にはさ、不思議な事ってのはざらにあんのよ。何でもかんでも俺のせいにすんなぁ悪魔差別ですぜ」
「ふうむ……」
成嶋は眉根を寄せて爪を噛む
(俺は今夜何処で寝れば良いのだ……)
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ある日、憲兵大尉
鴫里一臣が自室にもどると、寝台の上に直径1m 円周3mはあろうかという巨大な桃が鎮座していた。
鴫里は平生の無表情を崩さず、
従容と桃に近づいた。
張りのある表皮を撫で、静に息を吸う。桃の周囲には、瑞々しく甘い香りが漂っている。彼は
踵をかえし、調理人を呼びに食堂へ向かった。
糖蜜漬け ジャム タルト
呟きながら、鴫里は無表情の口元をかすかに綻ばせた。
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ある日、蓮沼隊隊長
桔梗銀造が自室にもどると、寝台の上に直径1m 円周3mはあろうかという巨大な桃が鎮座していた。
桔梗は首を傾げて桃を見る。桃の大きさの意味と、ここに存在する理由を、彼は慎重に考える。
やがて、はっと息を飲むと、死んだ鮫のような瞳を、急に明るく輝かせた。
「もしかして、ボクが良い子だから、神様がボクと鴫里くんの赤ちゃんを授けてくれたのかなぁ」
桔梗は頬を染めていそいそと桃に近づき、愛おしそうにハグをする。
「よしよし、ボクがパパだよ 今出してあげるからね」
桔梗は刀を抜くと、慎重に桃の解体を始めた。
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ある日、憲兵伍長
竜見恭が下士官室にもどると、己の寝台に直径1m 円周3mはあろうかという巨大な桃が鎮座していた。
竜見は眉をしかめて桃を睨む
これは、どう考えても邪魔だ
だが、貧しい家に育ち、食べる物もろくに食わせてもらえなかった竜見には、いかにけったいなブツとは言え、食べ物を棄てる事はためらわれた。
舌打ちすると、彼は桃を寝台から下ろし、下士官室の引戸を一端外して、桃を食堂の調理室まで転がしていった。軍属の調理人に桃を渡し、下士官室の戸をたてつけ終えると、竜見は部屋を出た。
棄てるのも気が進まないが、得体の知れない物を食べる気もない。勤務表に外泊の札をかけると、竜見は隊舎である木造二階建ての廃病院を出て、街の中心部に向かって歩きはじめた。
「ラーメンでも喰うか」
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ある日、憲兵曹長
尾佐喜佐兵衛が下士官室にもどると、己の寝台に直径1m 円周3mはあろうかという巨大な桃が鎮座していた。
尾佐喜は桃を持ち上げて隣の寝台に置くと、自分の寝台に戻り いびきをかきはじめた。
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ある日、憲兵軍曹
山村辻男が下士官室にもどると、己の寝台に直径1m 円周3mはあろうかという巨大な桃が
「おいおいおい、ちょっと待てよ」
山村は寝台に置かれた桃を見つめて頭を掻いた。隣の寝台では尾佐喜が大鼾をかいて眠っている。
「まさか俺までやんの? このテスト。聞いてないんだけど」
山村は横目に尾佐喜を見ると、肩をすくめて桃に向きなおる。
「ま、頂戴したものはありがたくいただきますがね。俺独りじゃ食べきれんよなあ」
山村は、パチンと一つ 指を鳴らした。
元入院患者用であった簡素な室内の影が、濁った水を突ついたように、揺れて澱んでざわつきだす。壁の隅、カーテンの陰、寝台の下の暗闇が、タールのようにねばつき、やがて幾つもの目が瞬く。
山村の脇腹から、頭足類のぬめった触手群が生える。
それぞれの触手の先には、尖った小さな歯の、びっしりと生えた口がある。
「ィイタerrrダギィイイマSs」
影から沸き出たタールの小鬼と触手達が、奇妙な発音で合唱した。
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憲兵曹長尾佐喜佐兵衛が下士官室の寝台で目を覚ますと、日の落ちた暗い室内には誰も居なかった。いつもと何も変わらない光景。隣の寝台に巨大な桃など乗っているはずもない。
尾佐喜はのそりと起き上がると食堂へ足を運ぶ。
食堂では、鴫里一臣がいつも通りの無表情で西洋風の菓子を頬張っている。
その隣では、隊長の桔梗銀造が机に突っ伏してしくしくと泣いている。
成嶋佳晶は少し離れた位置に座り、遠い目をして「何処で寝れば……」と呟いていた。
「鴫里くん……」
「何ですか、隊長」
「桃に赤ちゃん入ってなかった……」
「何で入ってると思ったんですか」
桃のパイに舌鼓をうつ鴫里と、泣きながら鴫里を凝視する桔梗隊長の横を通り過ぎ、厨房に「うどん」と声をかけると、軍属のオヤジがへい と返事をした。
「今日は デザートが奮ってますよ、甘~い桃がたっぷりあるんでね」
尾佐喜はうなずくと、大きなあくびをして尻を掻いた。
終