君は天使のままで「お前、半分“悪魔”なんだろ?かっこいーよな!」
戦闘班第三班の彼…クィデネトはいつもそう言って羨望の眼差しで私を見る。
私は貴方みたいな透き通るような青空色の瞳も、太陽みたいな輝く髪も、燃えるような炎の翼も持ってない。
私からすれば、純“天使”の貴方の方が余程素敵に見える。
でも私は上手く言葉にできなくて、ただ素っ気無い態度を取ってしまう…本当はすごく嬉しいのに。
「あいつら“戦闘班”と俺たち“創造班”は関わり持たないに越したことはない。それはわかってるよな?」
上司のゴルンワドの声が降り頻る雨音に混じって耳に入った。
彼は…クィデネトは、集まった観衆に囲まれて戦闘班第一班エースのアゴーケポトと対峙していた。
普段は滅多に人目につかないエースが珍しく凱旋帰りで街道を歩いていたところに彼が遭遇したようだ。
ピンと空気が張り詰めている。
「…俺と戦え!」
いつもの明るい声とは違った凄味の効いた声で彼がそう言葉を放ちながら腰に挿した剣に手をかけた。
アゴーケポトの隣に立っていた救護班のジャバクィルネが割って入るように前に出ようとしたが、アゴーケポトがそれを制し、
「時間の無駄だ、貴様とでは勝負にすらならん。」
そう冷たく言い放った。
さらに空気が張り詰めるのがわかった。
観衆がヒソヒソと「勝てるわけがない」「身の程知らずめ」と囁き合っているのが聞こえる。
「やってみなきゃわかんねぇだろ!」
そう言って彼がアゴーケポトに向かって飛び掛かる。
彼は剣を突き立てるように振りかざしたが、アゴーケポトは素手で難無くそれをいなし、彼は作業堂の外壁へとぶつかっていってしまった。
その衝撃が入り口に立つ私にまで伝わってきた。
「無謀な挑戦か…結果は見えてるな。巻き込まれる前に戻るぞ。」
ゴルンワドの声が聞こえながらも、私はその光景から目を離すことができなかった。
彼は砕けた壁に埋もれてぐったりとしている。
体が動かない。
「それとも…また“お仕置き”が必要なのか?」
ゴルンワドにドスの効いた声でそう言われ、自分の肌が震えるのを感じた。
体の内外に何度も刻まれた傷が疼き、その仕打ちを思い出したかのように痛み出した。
いくら治癒の力で傷を癒しても、体を清めても、その仕打ちを洗い流すことはできない。
不意にゴルンワドが私の髪を掴み勢い良く引く。
私が耐えられずその場に倒れ込むと、ゴルンワドの取り巻きがゲラゲラと笑い声を上げた。
また髪を掴まれ無理矢理顔を上方へと向けられると、
「行くぞ、“出来損ない”。お前みたいな“悪魔混じり”が俺たちと一緒に仕事できるだけでも有り難いと思えよな。」
そう言ってゴルンワドは冷たい瞳で私を見下ろしてから投げ捨てるように髪を放し、勢い良く私の腕を引っ張り上げた。
無理やり立たされ、観衆に隠れて見えなくなっていた彼とアゴーケポトの姿が再び目に入った。
彼は手に持っている剣を支えになんとか立ち上がり、再びアゴーケポトを見据えている。
「何度も言わせるな。無駄だ。」
アゴーケポトは彼を歯牙にもかけないと言った風にため息混じりにそう言ってくるりと背を向けると、
「お前の戦いには覚悟が無いからな。」
と言い加えた。
彼はフッと笑うと「覚悟ならあるさ…!」と言ってから自身の翼を大きく広げ、ゆっくりと剣を構えた。
地を這うようなビリビリとした感覚が空気を伝わって肌に触れる。
「“悪魔”になってでもお前に勝とうっていう覚悟がな…!!」
そう言いきるのが先か、彼の右目が黒く染まり始めるのが見えた。
辺りの草木はその凄味に圧されてか生気を失い始め、彼の周りの空気が雨を蒸発させながら旋風を起こし始めた。
その気配を感じ取ってかアゴーケポトが彼の方を向き直り「馬鹿め…!」と言った。
天使は悪魔にはなれる。
悪魔になれば天使とは異質の力を得ることができ、その選択はどの天使にでも可能だが、一度悪魔になりきってしまえば二度と天使に戻れはしない。
「お前に何ができる。あいつはお前に何も期待なんかしてないぞ。」
彼に目線を送り続けていることがわかったのだろうか、ゴルンワドの冷たい言葉が耳の中で響いた。
それは痛い程わかっている。
それでも、自分にしか今の彼を止められない、そう思った。
天使と悪魔の間に生まれた、この私にしか。
「お前に勝てば、俺が全戦闘班のリーダーだ…!俺は意地でもそこに立ってやる!!」
そう言うと彼は今にも飛び出さん勢いでぐっと構えた剣に力を込めた。
アゴーケポトもそれを迎えるべく自身の翼を広げ、剣に手を掛けている。
束の間、沈黙が流れた。
「うおおおおおおおおおお!!!」
彼の雄叫びが雨音を掻き消すほど大きく響き渡り、次の瞬間二人は剣と剣をぶつけ合っていた。
ギリギリと金属の強く擦れ合う音が聞こえる。
一頻り鬩ぎ合った後、二人はまた勢い良く距離を開けた。
観客はパニックを起こす人、悲鳴をあげる人、巻き込まれないようにしながらも野次を飛ばす人、と様々だった。
ゴルンワドはやれやれといった様子で溜め息混じりに
「始まっちまったぜ。」
そう言って私の腕を掴んだまま建物の中へと引きずりだした。
再び彼とアゴーケポトが剣と剣をぶつけ、またしばらく競り合ってから距離を置いた。
彼の目元から染み出した黒色がどんどん彼の体を染めていくのが見えた。
もしあれが彼の全てを染めてしまったとしたら…
ダメ…!
私は無我夢中でゴルンワドの手を振り払った。
気が付くと雨の音だけが聞こえ、辺りは静まり返っていた。
驚いた顔をした人々の顔が見え、少し目線を動かすとすぐ近くに彼の顔が見える。
彼は黒く染まった目を見開いて私をじっと見つめている。
「キエリ…どうして…?」
上から雨に混じって何かが降ってきた。
雨水に濡れて透けた私の翼の羽根だ。
彼に何度せがまれても、恥ずかしくて絶対に見せたくなかった自分の翼。
水に濡れると羽が透けて不恰好に骨だけが浮かび上がってしまうから。
それを広げて私は彼の懐に飛び込んでいた。
ハッとして彼に謝ろうと、こんな私が出過ぎた真似をしてしまって…と言おうと少し体を動かすと、何かが体の中で擦れる感覚がした。
彼の構えていた剣が私の腹部に突き刺さっていた。
「ごめん…ごめん…!」
彼が泣きそうな顔で私を見ている。
鈍い痛みが走って体中から力が抜けていくのがわかる。
でも…こんなのちっとも痛くない。
ゴルンワド達から受けていた仕打ちに比べればちっとも。
彼の体からどんどん黒色が引いていく。
よかった…
そう思いながら私の意識は深く深く落ちて行った。
あたたかい…誰かが私の手を握っている。
「意識が戻ったようですよ。」
誰かの優しい声が聞こえる。
目を開けると、私は小さな真っ白い部屋のベッドの上に横たわっていた。
視線を動かすと、右手に泣きそうな顔をした彼が見えた。
その側には腕を組んで壁にもたれかかった状態のアゴーケポトと、さっきの声の主だろうジャバクィルネが私に視線を送っていた。
「救護班主任のジャバクィルネがすぐ側にいなかったら手遅れになっていたかもな。感謝しろよ。」
「ありがとうございます。」
私がまだはっきりとしない意識でなんとか体を起こしてそう言葉にすると、
「お前じゃない。そっちの馬鹿に言ったんだ。」
そう言ってアゴーケポトが呆れ顔で溜め息をついてから彼の頭をグーの手で小突いた。
「いてっ」
彼はそう言って小突かれた頭をさすると、また私の方を見て申し訳なさそうな表情を浮かべた。
ふと視線を移すと、自分の手の上に彼の左手がのせられている。
私はサッと手を動かして手を離した。
顔が熱くなるのを感じる。
「この様子なら明日の朝には仕事に復帰できそうですね。」
ジャバクィルネが呆れ気味に、それでも優しい声で誰にともなくそう言った。
アゴーケポトが大きく息を吐き、
「容態が落ち着いたのなら行くぞ。俺たちはお邪魔のようだしな。」
そう言って大きく伸びをしてからジャバクィルネを伴い部屋の出口へと歩き出した。
「あ、あのっ!」
彼が慌てて立ち上がり、二人の方へと向いた。
するとアゴーケポトが背を向けたまま片手を上げ、
「お前は朝まで一緒にいてやれ。きっちり恩は返してやれよ。あの件は俺が適当に言い訳しておく。」
と言った。
「いや、それはそうなんだけどさ…あの…」
そう言って口ごもってから彼が勢い良く頭を下げた。
「さっきはすみませんでした…!」
しばらくの沈黙が流れ、彼もアゴーケポトたちもそのままの状態で止まったままだった。
やがて何の反応も無いのが不安になったのか恐る恐る顔を上げると、
「あっ、あと、キエリ運ぶの手伝ってくれてサンキューだし、俺の傷も一緒に治療してくれて感謝してます…!」
と慌てて彼が言い加えた。
アゴーケポトはしばらくそのまま立っていたが、やがて大きく息を吐き、
「まったくだぜ。」
と言い、
「大体お前、悪魔になっちまったら戦闘班どころか天界にいられなくなるんだぞ。なんでこんな立場にこだわるのかわかんねーが、そんなんじゃ戦闘班のリーダーになんてなれっこねーじゃねーか。」
と言って少しだけ顔をこちらに向けて彼に目線を送りながら肩をすくめた。
「…あっ、そうか。」
彼は思いもよらなかったといった様子で口をぽかんと開けている。
またしばらく沈黙が流れ、やがて我慢できないといった様子でジャバクィルネが「ふふっ」と笑うのを皮切りに、その場にいた全員で笑い出してしまった。
「お前の頭の軽さは俺たちクラスでも聞き及ぶほどだぜ。…諦めの悪さもな。」
アゴーケポトはそう言ってもう一度こちらへ向き直ると、
「まぁ、覚悟だけは認めてやる。また相手をしてやっても良いぞ。ただし悪魔になろうとするのは無しだ。ジャバクィルネとそこの嬢ちゃんに迷惑かける羽目になりそうだしな。」
そう言ってからまた背を向け、
「それに、将来有望な貴重な手駒が減るのは困る。」
と言って片手をヒラリとさせてから部屋の出口へと向かって行った。
ジャバクィルネも礼儀正しく会釈をしてからそれに続く。
私たちも慌ててお辞儀をした。
二度と悪魔になろうとなんてして欲しくない。
でも、大真面目にそう言うと、きっと彼はまた申し訳無さそうな顔をするに違いない。
「もうあんな無茶しないでね。格好良いのは私だけで十分だから。」
私が小さな声で、思い切ってそう彼に言ってみると、彼はキョトンとした表情を浮かべてから
「なんだよそれ。」
と言って笑顔を向けてきた。
彼はこうじゃなきゃ。
そう思いながら私も精一杯の笑顔を向けてみた。
部屋を出、少し開いたままの扉の隙間からこちらの様子が見えていたのだろう。
アゴーケポトの声が小さく聞こえる。
「見てみろジャバクィルネ。あれが悪魔のする表情かよ。」
私と彼のどちらに対してそう言ったのか、それとも私たち両方にそう言ったのかはわからない。
でも、確かに私には悪魔の血が流れているのは間違い無くて。
そして朝が来てしまえばこの嬉しいひと時は終わりで。
仕事と、ゴルンワドのお仕置きが待っているのも間違い無くて。
それでも今は、このひと時だけは笑顔でいてみようと、そう思った。