家族レター壱風堂のカウンター席のスツールに腰をおろして、いつものように麺の茹で具合をバリカタに指定し、桜備は隣に並んで座る森羅とアーサーに顔を向けた。
実力はさることながら、その心根の良さもこの二人は逸材だ。実戦に駆り出されながらも、火縄中隊長のシゴキにも音を上げずについていっている。
彼らなら、間違いなく自分たちが目指す本物の消防官になるだろう。
今日は、気晴らしと称して、入隊したばかりの若き隊員を外に連れ出したのだ。彼らとこの店にやってきたのは、3回目だった。
命を守る使命を全うするためにも、彼らの未来のためにも、柔らかい心を持ち続けてほしい。
柔軟な心は、人の命を、何より自分の命を大切にしてくれる。
生きてこそ、消防官だ。
「どうだ、第8は。何かあればすぐ言えよ。俺への文句でもなんでもいいぞ」
「中隊長が怖い。騎士に怖いものなどないはずだが、あれは怖い」
桜備の左隣で、言おうか言うまいか、歪な笑みを浮かべそうになりながら悩む森羅の左に座るアーサーが迷いもなく口にした。
桜備は、片眉を上げて、森羅にも発言を促している。
「ザ・軍人だなと思います」
「そりゃ怖いってことか?」
「はい」
森羅とアーサーにじっと顔を見つめられて、桜備はタハハッと笑った。
「火縄中隊長なぁ。俺も怖いからなぁ」
意外な言葉に、森羅とアーサーが目を剥く。
そのタイミングで、注文したラーメンの丼が目の前に置かれた。
「のびちまう前に食おうぜ」
三人手を合わせて、麺をすする。
ここ壱風堂のラーメンの味は、森羅とアーサーにとって桜備の味になりつつある。
「今日は、俺の話も聞いてもらわなきゃなんねぇから、ギョーザも食っとけ」
桜備はそう言って、三人分のギョーザを追加注文した。
「お前らは、中隊長の何が怖いんだ?」
森羅とアーサーは、素直に感じていることを語った。その内容は、どれもが武久 火縄という人物の上辺しか知らない人間が持つ印象と変わらなかった。付き合いも浅く、若い彼らなら仕方がないことだ。
だが、二人の言葉からは火縄への畏怖や嘲りは感じられなかった。シゴキに対する弱音や愚痴も一切なかった。桜備は、その事に安堵する。
そして、焼き立てのギョーザの香ばしさを味わいながら、桜備は火縄を思う。
彼は今頃、桜備の装備メンテナンスをしているはずだ。隊もない中隊長が、機関員でもないのに、その役割を完璧に担ってくれている。
真の意味で信頼に足る人物しか勧誘しなかった結果、第8創設は二人きりだった。
彼がいてこそ、特殊消防隊を作ろうと思えたのだ。
勇敢で、他人にも己にも等しく厳しく、優しい男。
柔らかい胡桃色の髪と同じく、柔らかい心を持っている、武久 火縄という男。
「中隊長は、誤解されやすいからなぁ」
火縄の言葉に、森羅とアーサーも頷く。
どうやら彼らは、鬼上官を年相応に怖いと思いつつも、火縄という人物の内側を見ようとしているらしい。
「ま…一番誤解してるのは、中隊長本人なんだけどな」
アーサーは、よく分からないという顔をしている。
ドライでクール、合理的で慎重な現実主義。
だが、他者の言葉の刃に傷つく心を持っている。
他者の言葉の温かさに救われる心を持っている。
しかし、そんな柔らかい心を持っていないと誤解しているのが、火縄自身なのだ。
そこまでを他の隊員達に言うつもりはない。
火縄が嫌がるであろうし、なによりも、それは隊員達が自ずと気付かなければならないことだ。
「強くて優しい男なんだよ」
第8特殊消防隊創設までに費やした2年の間に、火縄は無能力者用装備のメンテナンスを完璧に習得していた。まさか二人だけでのスタートとは思っていなかっただろうに、彼は「こんなこともあろうかと」と様々な知識と技術を得ていたのだ。
彼がいてこその第8特殊消防隊なのだ。
この男になら、運命共同体として背中を預けられる。そう直感した初対面のあの時、桜備には火縄が希望の光に見えた。
火縄は「あなたは俺たちの光でいてください」と言うが、桜備にとっての光は、火縄だ。
「口うるさいけどな」
桜備がニカッと笑ってそう言うと、森羅とアーサーは大きく頷く。
あの口煩さは、隊にとって絶対に必要なものだ。
何もかもを背負わせてしまっている負い目はある。
ギョーザを綺麗に食べ終え、三人は店を出た。
消灯までに帰還せねば、また火縄に小言を言わせてしまう。
外灯と月明かりが照らす道中、桜備は隊員達がもう少し成長してから告げようとしていたことを、この場で言うことにした。
彼らなら、今言っても大丈夫だと思った。
「森羅。アーサー。お前たちに頼みがある」
立ち止まって、桜備は森羅とアーサーの方を向いた。
「中隊長が、自分の命を賭して走り始めたら、引き戻してやってほしい」
彼は、自分の命を捨ててでも第8を守ろうとするだろう。社会を俯瞰し、己を歯車の一つと見立てる彼の自分自身へのドライさは、桜備の背筋に緊張を走らせることがある。
「中隊長がそんなことするわけないだろう!」
「俺もそう思います」
二人の真剣な眼差しが、桜備は嬉しかった。
「あぁ。そうだな」
第8は、家族だ。
自分たちが帰ってくる場所だ。
森羅も、アーサーも、マキも、アイリスも、ここに帰って来てほしい。
帰りたいと思ってほしい。
桜備と火縄がそうであるように。
初めて会ったあの日、火縄には帰属意識が全くなかった。東京皇国軍にだけではない。彼には帰る場所がなかった。
彼に、帰りたいと思ってほしかった。
彼に、帰る場所を作りたかった。
彼に、真に強い人間になってほしかった。
場合によっては逆賊になるかもしれない第8において、絶望的な局面で彼は淡々と己を差し出すだろう。
だからこそ、第8を家族にしたかった。
「お前たちも、絶対に帰ってくるんだぞ。お前たちが帰ってくる場所は、第8だ」
力強い桜備の声に、森羅とアーサーは、承知の意を伝える。
それに安心して、桜備は再び第8特殊消防教会に足を向ける。
外灯と月明かりが、三人並んで歩く影を伸ばす。
火縄は、メンテナンスも終え、自室で読書をしている頃だろう。
恋人は作らないと明言していた彼に少しずつ近付いて、心と体を寄せ合うようになった。
当初、火縄は特別な相手を作ったら己が弱くなると思っていたようだが、実際は違った。
桜備も火縄も、精神的な強さが増した。それは、守るべきものを持つ人間の強さだった。
「おかえりなさい」
三人が消防教会のドアを開けると、火縄が待っていた。
テーブルには、三人分の温かいお茶が用意されている。
「こってり塩分摂った後は、喉が乾くでしょう」
「火縄の分は?」
「俺はもう飲みましたから。ごゆっくりどうぞ」
それだけ言うと、火縄は自室に戻って行った。
日中よりも穏やかな表情をしていると、桜備は思う。
この表情の変化に森羅とアーサーが気付くのは、いつになるだろうか。
テーブルについて、用意されていたマグカップに口をつける。
「なんだか、帰ってきたって感じがしますね」
「さっきの中隊長、母のようだったな。エプロンが見えるようだったぞ」
森羅とアーサーの言葉に、桜備は豪快に笑った。
二人で作り始めた第8は、こんなにも早く家族になり始めている。
街を照らし始める朝陽のように、愛を育んでいる。桜備は愛情の手応えとも言うべき充実感を覚える。
「中隊長の良さが分かるようになってきたら、お前らも大人の仲間入りかもな」
桜備は、無性に火縄に会いたくなった。
マグカップを洗ったら、彼の部屋のドアをノックしよう。
そのドアが開いたら、火縄の薄い唇にキスをしよう。火縄の息遣いと髪と唇に触れる音で鼓膜を震わせよう。