共にゆく航海あの時も、そうだったーー。
あの時も、夏葉は俺の前で倒れて……でもあの時と違って今回は夏葉の味方は沢山いるーー。
そんな事を考えながら俺が彼女に近づこうとするものの、スタッフさんに止められた。
俺と有栖川夏葉は幼馴染というかなんというか……家同士が、すごくアレな言い方だが金持ちの名家である為に交流があって昔からよく会っていた。
更に夏葉が割とお転婆の部類に入るからか、女の子であるという事なんて無視して俺達兄弟と仲良くしていた。
夏葉は子どもの頃から色んな事で俺より上だった。
夏葉とゲームをよくやっていたが、
普段ゲームをあまりしないはずの夏葉が当時俺のやり込んでいたゲームで勝つなんて事も頻繁にあった。
運動も成長期になって男女の体格差が大きくなるまでは夏葉に勝てなかったし、ある程度学年が上がるにつれ勝負自体をしない様になっていった。
勉強でも模試を受けた時に俺と夏葉が同学年で比較されていたのか、「有栖川家の夏葉さんはこの間の模試で1位だったらしいな」という様な内容の事をよく言われた。
夏葉に勝ちたくて様々な分野の鍛錬を積んだが、結局どれも勝てなかった。
そんなだから俺の兄貴と夏葉のお兄さんがαという結果が出た時、俺はともかくとして夏葉とほたるもαなんじゃないかという希望めいた推測が家族の間でなされていた。
何年か経って、俺がβだと検査結果が出たものの、家族はどうでもいいのか失望したのかよく分からない反応をしていた。
その数日後、名古屋にある有栖川家に行く事になり、いつも元気な彼女が出迎えてくれるのを楽しみにしていたが彼女はなかなかやってこない。
すると夏葉の父に声をかけられる。
「ああ、恭二くんか……君も夏葉と同じ学年だから検査をしただろう?」
その一言で俺は全てを察する。
「もしかして、その検査結果は……」
「……ああ、夏葉はΩだった」
俺は性別の偏見は持たなかった。
男も女もαもβもΩも見てきたが彼らは多種多様だ。
だが、発情期がある以上どんな有能な人間でもΩである事はかなり大きな足枷を持つことになる。
そしてかなり性差別的だが男性のΩよりは女性のΩの方が偏見を向けられないので、夏葉が女でよかった……と俺はその時口には出さないものの思ってしまった。
それからも俺達は時たま会っていた。
そして時は過ぎて高校三年生になった時の事である。
俺は夏葉と一緒に受験勉強をする為に冬休みに有栖川家にいつもの様に来ていたのだ。
「恭二、ここの単語のスペルが違うわよ」
「わかった……」
「……書き直した後も間違ってるわ」
一応は夏葉と俺が得意科目をお互い教えあっている形になるので恥は晒さずに済んだ。
「夏葉、ここはえっと……こうして……」
「なるほど、わかったわ」
「え!?今の説明で分かったのか!?」
一応は教えあっている……はずだ……。
そうしてしばらく勉強していた後、じゃんけんの結果によって俺がおやつとお茶を取りに行くことになったので廊下を歩いていた。
すると夏葉の少し遠い親戚に当たる有栖川家の人達が大きな部屋の中で何か話していたので通り過ぎようとした時に大きな声が聞こえてくる。
「いいな、それ!夏葉を鷹城家に嫁がせればいいんですよ!それで有栖川家と鷹城家が親戚同士になって…………」
「でも、夏葉は恭一君にも恭二君にも特に何とも思ってないみたいですよ?ほたる君は流石にまだ若すぎますし」
「……夏葉ってΩですよね?そして恭一君ってαですよね?なら無理やり夏葉に発情期起こして襲わせれば……」
俺は人権とか当人達の意思なんて無視したその企みの恐ろしさに血の気が引いていった。
「じゃあ大晦日にあのホテルで行われるパーティで決行しましょう、それで鷹城グループの方はよろしいですね?」
そして俺はそそくさとこの会話を聞いていた事がバレないように部屋から離れる。
俺は大晦日のホテルでのパーティで、何とか夏葉を守りたいと思った。
だが、いくら夏葉が護身術をやっていて、俺は一応身長がかなりあるとはいえ普通の男子高生が1人で女子高生を守り切れるとも思えない。
なので助けを求めたいものの、鷹城グループ内での立場がそんなに強くない俺の話をまともに取り合ってくれそうなのはほたるだけだが流石にこの件に巻き込む訳にはいかない。
そこで夏葉とそのご両親にダメ元でこの件を話すことにした。そしてその話の内容がえげつなさすぎる為に虚飾を一部混ぜることとなった。
「何日か前に、この有栖川家の廊下を歩いていた時に聞いてしまったのですが、有栖川家と鷹城家の中の不届き者が夏葉さんとうちの兄を誘拐監禁して身代金を要求しようとしているという計画があるという話をしていて……夏葉さんをそのような者たちが近づけない様にしてください」
いかにも怪しく見えそうな俺の言葉を信じてくれ、夏葉のご両親は「……恭二くんを信じよう、夏葉にはパーティの時に私達と大勢の警備員と一緒に居てもらうことにする」と言ってくださった。
そして大晦日のパーティ当日は途中までワイワイと恙無く進んでいたが、一瞬停電した隙に何者かの仕業によって俺は気を失ってしまい、目が覚めたらホテルの一室にいた。
「……もしかして俺と兄貴を間違えて攫ったのか?」
俺はβだ。男と女という組み合わせではあるけどαよりはΩのフェロモンに翻弄されない。
不届き者たちの悪巧みはこのまま兄貴が連れてこられなければ……夏葉を守れれば阻止出来る。
夏葉は目の前にいて俺と同じように縛られているものの、普段通りの様子だ。
「あー、こいつ恭一じゃなくて恭二じゃねえか!攫ってくる相手間違えてんじゃねえよ!もう一回やり直し!」
「…….その、警察が既に来たらしく戻って恭一さんを攫い直してくるのは不可能です」
不届き者達は兄貴じゃなくて俺だと気づいてガッカリした表情を見せるものの、「こいつは確かβだが男だしΩ女相手に多分勃つだろ?作戦はまだ潰れちゃいねえ」という後ろにいた小太りの男の一言で絶望の表情が消え去る。
「あなた、もしかして父が言っていた有栖川グループの転覆を目論んでいるスパイなの?」と夏葉が叫んでその小太りの男を睨む。
だから俺が言った身代金誘拐などという荒唐無稽な話が夏葉のご両親に信じてもらえたのかと俺はこの時納得した。
しばらくして不届き者達の中の1人が夏葉に注射をしてベッドの上に投げ飛ばす。
「きゃっ、何するのよ!」
「へっへっへっ、これは発情期を強制的に起こさせる闇ドラッグだ」
小太りの男はニヤニヤしながら夏葉を見たあと俺に近づこうとする
その時夏葉は倒れて苦しそうにし出す。
夏葉から少し甘い香りがして彼女を見ているとドキドキしてくる。
「いいぞ、フェロモンに少し当てられてる、おい、この男をベッドに何とかして持っていけ」
小太りの男が命令すると大柄の男数人が俺を無理やりベッドに置いたため、夏葉と目が合った。
俺は彼女の事を考えないようにしながら夏葉と反対方向を向いた。
手足は縛られているもののモゾモゾと動けそうなので不意をついて頭突きすれば1vs1なら逃げれただろうが犯人は大勢いるし、発情期になってしまっている夏葉もここにいる。
幸い夏葉に俺と性行為させるのが目的の為今の所犯人達は夏葉を襲ってこないが、もし夏葉に自分で卑猥な事をしたいって思う奴が犯人の中にいたらそれも分からない。
手と足を拘束している紐も自力ではなかなか取れそうにない。
俺はどうすればいいんだと悩んだ。
「スーツの……ポケットに……スマホが無いかしら?」
夏葉が俺に突然耳打ちした。その声は少し艶っぽく感じた。
「ああ、あるが……」
俺は勇気を振り絞って夏葉の方を向く。
その姿にただの幼馴染兼ライバルだと思っていた夏葉が同年代の女の子だと言うことを実感させられてしまう。
「警察に通報するにしてもどの部屋なのか分からな……もしかして位置情報を送れば……」
「ええ……ONにして……メッセージアプリで……状況を伝えれば……いいんじゃない」
俺達はヒソヒソ話で会話した。
すると犯人のひとりが「何話してんだよ?内容を言え!」と言ってくる。
なので「え、エロい事しろって言ったのはアンタ達じゃないか、雰囲気をぶち壊さないでくれ、いい雰囲気にしようと話しているんだ」と犯人達の警戒を減らすための口実を作るために牽制した。
これでしばらくモゾモゾしていても犯人達のお望みの性行為の最中と思われて怪しまれないだろう。
その隙にスマホを取り出して電源を入れる。
「位置情報……オン……」
そしてメッセージアプリで『ホテルの一室で監禁、部屋を探知して』というような内容を打つ。
これで時間を稼ぐために適当にイチャイチャしてるフリをする。
夏葉に顔を近づけてみる。その顔は真っ赤であり、辛そうであった。
「あと少しだからな、我慢してくれ、夏葉……」
そして身体を密着させキスしてるフリをする。
「はよヤれよ!これだから童貞非モテポンコツ陰キャは……」
犯人が俺達が性行為をするつもりが無い事に気づいているのかいないのか分からないが急かしてくる。
「ど、どうするのよ……このままだと……」
「仕方ない、下着姿になってくれ……」
俺は夏葉の下着姿を見てしまう事に恥ずかしくて目を背けたくなるし、俺の下着姿を夏葉に見せてしまう事に申し訳なくなるが何とか服を脱いで下着姿になる。
これでとりあえず性行為の用意をしているというように見える……はずだ。
その後しばらく場面が膠着していよいよ裸にならなければ……という場面で警察がやってきて犯人たちを捕まえ、安堵した俺は疲れからか気を失った。
それ以降夏葉と直接会うことは今日までなかったーー。
そして今日行われる「VOY@GERプロジェクト」のメンバーの顔合わせで数年ぶりに夏葉と再会し、言葉をかわそうとした瞬間、彼女は発情期になって倒れた。
本来なら帰って休むべきだと俺は思ったが、夏葉はこのプロジェクトの進行を妨げたくないと抑制剤を沢山飲んで今日の予定を無理やり続行してしまう。
アイドルとしての仕事を終えた後、もう深夜になった事もあり、何とか1人で帰れるという夏葉を止めて俺が運転し家まで送っていく事となって、当然2人きりで話すこととなった。
「私、恋をしている相手がいるのよ」
……まさか、わざわざ色恋沙汰に疎い俺に相談して来たのは好きな人が兄貴やほたるじゃないだろうなと思ったが、その読みは外れる。
「283プロのプロデューサーよ、その相手は……」
ああ、夏葉と黛と浅倉に付いてきてたあの人か、頼もしそうだったし男の俺でも彼女が惚れるのに納得が行くような人だなと思った。
夏葉と家が逆方向である未成年の浅倉を優先的に送ることがなければ彼が夏葉を家まで送り届けていただろう。
「お似合いなんじゃないか?何でも完璧だった夏葉が恋人選びをミスするなんて有り得ないだろ」
アドバイスをしない方が良い恋愛に疎い人間にも関わらず、俺は夏葉にこう言ってしまった。
「……怖いわ」
「フラれるのが?」
「ええ、それもあるけど……でもあの高3の冬にアナタに迷惑をかけてしまったように、深入りしたらプロデューサーにも迷惑をかけてしまわないか不安なのよ」
確かに夏葉と俺が監禁されたあの事件が起きた後有栖川家も鷹城家もゴタゴタしていたし、それは夏葉だけでなく俺も例外ではなかったかもしれない。
……心優しい夏葉なら、彼女自身のせいと考えて自分を責めてしまうだろう。
「大学に落ちたのは俺の実力不足が全てだ、現に俺より大変だったはずの夏葉は俺が落ちた所に受かっているだろ?あと夏葉も相当勉強を教えてくれたし夏葉を感謝こそすれど恨む事はないな。
それに……」
頭に浮かんできたのはあの日家を飛び出さなければ会えなかった人達だ。
「俺は大学に落ちた事を後悔していない。
だって大学に落ちて家を出ていかなければ、あのコンビニでアルバイトをしなかったと思う。そうなっていたら当然ピエールにもみのりさんにも会うことはなかったと思う。」
俺はこれまで会った出来事をまるで走馬灯かのように思い出す。
「315プロにも多分入っていない。同じ事務所の仲間に会うことも無かったし、他の事務所の素晴らしい仲間に会うこともなかった。
……きっと夏葉にもこうして再会することは無かった。」
そして夏葉のマンションの駐車場に車が止まる。
「ひたむきな夏葉ならきっと283プロのプロデューサーを幸せにできる」
クドクドと話した後、俺は地雷を踏んでいないかとか自分の話の内容が臭かったかとかの自己嫌悪の疑念に陥った。
「ありがとう、恭二……貴方は素晴らしい人間だわ、今までも、そしてこれからも私のライバルの友人でいてくれるかしら?」
夏葉の笑顔で言ったこの一言に俺は頷く。そして同時に車から降りる
彼女は俺が持っていた鍵を受け取り、マンションの中に行った。体調は少し悪そうではあるが、自室まで何とか戻れそうなので俺はついて行かなかった。
そして、彼女が笑顔で283プロのプロデューサーに電話している様子を思い浮かべながら俺はマンションから出て終電もないしどうやって家に帰ろうと困惑するのであった。