君との契りの物語
この国のどこにも無いけれど、でも確実に存在するとある場所。
ボロボロの法衣を身にまとい、いずこかへ繋がる無数の鎖をその左手に固く握りしめた青年がいる。そして彼のそばにもう一人、軽い無精髭を生やした気だるげな男。彼は手に持つスマホから目を離さぬまま、のんびりとした口調で鎖を持つ青年に話しかけた。
「よお戦争放棄さん、最近またあんたを変えたい派が動き出してるみたいだぜ。どう思う?」
「………」
「相変わらず無口だね」
突如、天からぶら下がる黒い影。
「国防費を増やせば税負担が増える……」
「おわっ!急に出てくるな納税の義務!…だけどまあ確かに、言ってることは事実だな」
「…………」
「戦争放棄さん。あんたがもっと勇ましくなったら、表現の自由を保障する俺も変わらざるを得なくなるだろうな。いや、変わるのは俺だけじゃない、健康坊主も教育メガネも今のままじゃいられないだろうぜ」
鎖を持つ青年は、黙って話を聞いている。天からぶら下がる黒い影が血の涙を流し始めた。
「憲法改正の国民投票にかかる費用は約852億円……」
「だから怖いんだよあんた!」
「…………」
無精髭の男が黒い影にツッコミを入れた後、ふと青年に目をやり、おやと言う顔になる。
「……その顔。自分がどう変わろうと、主権者が幸せになるならそれでいいって顔だ」
「…………」
「ま、それはこっちも同意見だけどね」
しばし、無言の時が流れる。
天からぶら下がる影が、僅かに震えて声を発した。
「納税はキャッシュレスだとポイントが貯まるなどしてお得……」
それを聞いた無精髭の男は、やれやれと言った風に苦笑する。
「クレカ払いは手数料がかかるから、損にならないように注意しろよな……」
鎖を持つ青年はただ静かに、二人のやり取りを聞いている。
聞きながら、ふと思った。
自分はこの先いつまでこの鎖を持ち続けていられるのだろう。いや、そもそも、自分が鎖を持ち続けることは、大切なあの人たちの幸福に繋がっているのだろうか。ひょっとしたら、今の自分では行う事ができない、何か別のやり方があるのだろうか。
大切なあの人たちの幸せのために。
そこまで考えた時、軽く肩をたたかれた。顔を上げると、軽い無精髭に囲まれた不敵な笑みが目に入る。
「それを決めるのは俺たちじゃない」
男はそう言って、片目を閉じてみせる。
「信じようぜ。大切なあの人たちを」
と、天からぶら下がっていた黒い影がするりと地に降り立ち、長い髪の、秀麗な顔立ちの男に姿を変えた。彼も口を開く。
「人々の幸福の為にこそ、我らは存在する」
「その通り」
「幸福の実現の為には財源が必要」
「そりゃそうだ」
「日本の2026年度(令和8年度)の一般会計税収は政府の当初予算案において約83兆7,350億円を見込み7年連続で過去最高を更新…」
「さっきの姿、一瞬しか保たないんだなー」
いつまでも続く賑やかな二人の会話を聞きながら、青年は鎖を握りなおす。すると、側に誰かが立っているのに気がついた。誰だろう。いや、見ずともわかる。いつまでも恒久の平和を念願し、どこまでも崇高な理想を誰よりも語り続ける、かけがえの無い「あの方」だ。
鎖を持つ、傷だらけの青年の手に、温かな手が優しく重ねられた。
これは、この国のどこにも無いけれど、でも確実に存在する、とある場所での会話。
人々の幸せを心から願う祈りたちの、他愛もない物語……。
fin.