愛しいあなたへこの国のどこにも無いけれど、でも確実に存在するとある場所から、疲れ果ててしまったあなたを心配そうに見ている何人かの人影がある。
9条
満身創痍の姿で、いずこかへ繋がる無数の鎖を左手に握りしめるその青年は、何も言わずにあなたを見ている。
しばらくして、遠慮がちにあなたの隣に立つと、鎖を握りしめたままの左手で、器用に頭を掻いた。
「…………」
沈黙が続く。
どこまでも続く沈黙に、あなたは困惑する。どうしていいかわからず、その場を離れようかと思った瞬間、彼が口を開いた。
「……疲れた時まで、戦わなくていい。」
その声に顔を上げたあなたが彼の顔を見ると、前髪の奥からこちらを見つめる優しい瞳があった。
「平和は……あなたの心にも、必要だ。」
一言一言を確かめるかのように、ゆっくりと言葉を続ける。
「……傷つくことは、弱いことではない」
彼が握りしめる鎖が、微かな音を立てた。
「平和を誠実に希求し続けているあなたが疲れてしまうのは、当たり前だ」
鎖を持つ青年は、少しだけ笑う。
「今日は、俺がここにいる。……だから」
あなたを見つめたまま。
「安心して、少し休め」
この国のどこにも無いけれど、でも確実に存在する不思議な場所にあたたかな風が吹き、涙で濡れたあなたの頬を優しく撫でる。
「今は、それだけでいい」
あなたの耳に、優しい声が届いた。
21条
無精髭を生やした気だるげな男が、手に持つスマホに見入っている。あなたが近づく気配を感じたのか、一瞬だけ画面から目を離し、こちらを見て少し笑う。
「よう。最近、よく頑張ってるじゃん」
再びその視線はスマホの画面へ。
「でもさ」
液晶をスクロールさせながら、男は言う。
「あんた一人で背負わなくていいんだ」
スクロールさせる手を止め、男は続ける。
「素晴らしい表現の為には十分な休息が必要。……だからさ」
手に持ったスマホをひらひらと振り、
「SNS閉じて。今日はもう閉店。美味い飯食って甘いデザートも解禁して、あったかい風呂入ってもう寝ちまいな」
一気に言い終えると、無精髭の男はのんびりとした動作でスマホを懐にしまう。ニヤリと笑うと顔を動かし、呆然としたあなたを見やった。
「大丈夫。あんたの表現は、ちゃんと届いてる」
不敵に笑い、ぱちりと片目を閉じる。
「俺が保障するぜ」
25条
明るい色の髪をした少年が健康的にスクワットをしている。おや、少年はあなたに気づいたようだ。その瞬間、彼はあなたに勢いよく駆け寄り、眼前で急停止する。
弾む息を整えようともせず、心配そうな顔で一言。
「元気ない!」
唐突な言葉に面食らったあなたが戸惑うのもお構いなしに、
「よし!」
「ご飯食べよう!」
「甘いもの食べちゃおう!」
「あたたかいお茶飲んで!」
「ゆっくりお風呂入って!」
「ぐっすり寝る!」
「あと、趣味!好きなことやろう!」
満面の笑みでマシンガントークをかます。
と。
「……あ」
何かに気がついたかのように、少年は急に真面目な顔になる。
「一方的に話しちゃって」
困ったような顔で頭をかくと、
「ごめんな」
ぺこりと頭を下げた。
少年の、明るい色の髪が揺れる。
しばらく、沈黙が流れた。少年は何やらもじもじと身体を動かしていたが、ふいに意を決したように拳を握りしめると、何やらケツイに満ちた顔をあなたに向ける。
「……俺さ」
あなたに言いたいことがあるらしい。
「健康で文化的な生活を保障してるけどさ。健康って、体だけの話じゃないよな」
軽く首を傾げて、あなたを見つめる。
「心も幸せじゃないと、健康って言えないよな」
にこっと笑う。
「だから、無理しないで。泣きたい時は泣こう!ほんと、いっつもがんばってるんだからさ」
少年の言葉に、あなたは胸を詰まらせる。目頭が熱くなり、少年の姿が滲んでいく。
ぽろぽろと涙を流すあなたの姿を見て、明るい色の髪をした少年はあからさまに動揺した。確かに泣いていいとは言ったけどどうしようどうしようと独り言を呟きながらあわあわしている。
「え、えっとさ!」
少年まで泣きそうな顔になっている。
「やっぱ、やっぱ笑おう!えっと、もし、今はまだ笑えないなら……」
涙を拭いて顔をあげたあなたを見て、明るい髪の色をした少年は笑った。太陽のように。
「二人分!俺が笑う!」
26条
丸眼鏡をした青年が、背もたれ付きの椅子に座って静かに本を読んでいる。あなたに気がつくと、穏やかな微笑みを浮かべて手招きをした。
彼の椅子の前にある、重厚なソファを勧められる。
「何をやっても無駄に感じる……そう感じる日もありますね」
見回せば彼の周りには天まで届くような高さの本棚がいくつも並び、まるで図書館のような空間になっている。
「ですが、学ぶことには、結果が出る時とでない時があります。」
丸眼鏡の青年は、柔らかなソファに身体を沈めたあなたを見て微笑むと、静かに話し続ける。
「あなたが今まで学んできた知識は、誰にも奪えません。……そして、学び続ける人は必ず、昨日の自分より豊かになります。」
眼を閉じて、穏やかな青年の声を聞いていると、まぶたの裏に浮かぶ光景がある。
午後の光が差し込む教室。耳に心地よい級友の話し声と、それを咎める教師の声。
「私は教師です」
と、あなたの心を見透かしたかのように青年が言う。
「百人の生徒がいて、その中の九十九人が私の教えを忘れても、誰か一人の人生を変える授業ができたなら、それはとても価値があることです」
彼は、丸眼鏡の位置を直しながら、あなたにむけて微笑んだ。
「あなたがしていることも、同じなのだと思います」
彼の微笑みは、優しかった。
27条
あなたの前に立つ筋肉質な男は、しばらくの間目をきょときょとさせたり頭を掻いたり、何か言いかけてはやめたりを繰り返していたが、一つ大きな深呼吸をすると、腕組みしながらこう言った。
「おう、お疲れっ!」
白い歯を見せて、にかっと笑う。
「あんた最近、すごくがんばってるよな!大したもんだぜ!」
大したもんだ大したもんだと繰り返しながら、一人で大笑いする。……呆気にとられたあなたが同調しないので、その笑いは尻つぼみのように収まっていった。
流れる沈黙。
おろおろする男。
目を丸くしているあなた。
……あなたの前の筋肉質の男は、大きく咳払いをする。
「働くってさ」
そうして、先程とは違う穏やかな声で話し始めた。
「会社に行くだけじゃねえんだ」
男の、ぎょろりとした大きな目が、あなたを見つめて笑っている。あなたの目の前に立つ男は強面の、筋骨隆々とした大男だが、不思議な程に威圧感は無かった。
「誰かを励ましたり、世界の為になる事を考えたり。そういうのも、立派な社会への貢献だ。」
腕を組み直し、男は笑う。
「そして、時には休むのも立派な仕事なんだぜ!……だから、」
突然、拳を天に突き上げる。
「今日は勤務終了!」
……え?
「まだ昼だって?知るか!」
あなたのツッコミを意にも介さず、彼は笑う。
「最近のあんたはさ。頑張ることには慣れてる。でも、幸せになることには慣れてない。」
突き上げた拳を下ろし、そのままあなたの眼前に指を一本びしっ!と立てる。
「だから、今日のあんたの仕事を言うぜ。まずは、とにかく、休むこと!」
二本目を立てる。
「できたら、笑うこと!」
三本目を立てる。
「自分を責めないこと!」
男は頑丈そうな白い歯をむき出して、満面の笑みを浮かべる。
「以上!」
この国のどこにも無いけれど、でも確実に存在するとある場所に、男の豪快な笑い声が響いた。
「明日、ちょっとだけ進めたらそれでいい!」
ぐっ!と、親指を立ててみせる。
「一歩だけでいい!」
30条
長い髪を揺らしながら、誰かが静かに近づいてきた。何故だろう、「それ」が近づくにつれ、周囲が暗くなっていくような気がする。
やがて、あなたの目の前に「それ」が立った。「それ」は、夜よりも昏い闇を纏った人影だ。
長い髪をざわめかせた「それ」は、両目だけを爛々と光らせあなたを見つめる。
「自分の声が届かない事を、悲しんでいるのか」
いつの間にか、あなたと「それ」の周りは暗闇に包まれている。どこからともなく吹く生暖かい風が「それ」の長髪を揺らし、身に纏っているらしい、ゆったりとした衣服を揺らした。
「……それは、自然なことだ」
「それ」は、薄く笑ったらしい。爛々と光る両目の下に、三日月型の穴が空いた。
えっ、なんですかこれホラー展開ですか??ちょっと待ってください注意書きやタグに「ホラー」って書いてなかったんですけど?????
「だが」
青くなって震えるあなたに気づいた様子もなく、「それ」は続ける。
「あなたが納める税も、あなたがあげた声も、どちらも、未来への投資」
再び生暖かい風が吹き、青ざめたあなたの髪を揺らす。
「投資はすぐに形にならないこともある」
ひえええごめんなさいごめんなさいごめんなさいすぐ弱音吐いてごめんなさい貴方様の言う通りですだから追加徴税だけはご勘弁を……!
「……だが、決して無駄にはならない」
……おや?
「それ」の声を聞いたあなたは、首を傾げた。
おや?
もしかして「それ」は、自分を慰めようとしてくれているのだろうか?
決して逃げられない闇の世界に自分を閉じ込めて、何かと理由をつけて所得を搾り取ろうとしているのではなく……?
「私は、知っている」
相変わらず風は生暖かく、周囲は漆黒に包まれたままだったが、静かに響く「それ」の声には間違いなく、あなたを気遣う響きがあった。
「あなたがずっと、声を上げてきた事を」
光る両目を、すっと細める。
「あなたが上げたその声は、必ず誰かの力になる。あなたが納める税と同じように」
しみじみと、最近取られすぎだとは思うのだけど、それは「それ」の責任ではないことを、賢いあなたは知っていた。
「だから、無理をすることはない」
気のせいだろうか。少しづつ周囲が明るくなっていくような気がする。
それに気づいたあなたが前を向くと、この世の闇を凝縮したような昏い影だった「それ」は、秀麗な面持ちをした長髪の青年に姿を変えていた。
「……私は」
驚きのあまりあんぐりと口を開けてしまったあなたを見て、長い髪をした美しい青年は、少しだけ口元をほころばせる。
……わ、笑えるんだこの人(?)!
「そう信じている」
いつの間にやら周囲の闇は晴れ。
爽やかな風が、あなたの髪を揺らした。
19条
あなたのスマホが何かの着信音を鳴らす。見れば、インストールしている会話アプリに、友達登録をしていない誰かがメッセージを送ってきたらしい。
あなたはアプリを開く。相手のアカウント名は「自室警備中」。不審に思いながらメッセージを見ると、こんな文章が飛び込んできた。
『こんにちは😃』
『いや、えっと、初めまして、かな?』
『思想と良心の自由と申します』
『あ、あの、不審者じゃないので……一応僕も最高法規なんで……』
『あなたが悲しんでるって表現の自由に聞いて』
『思わずメッセージを送ってしまいました。』
立て続けに六通。
あなたがメッセージを確認するやいなや、返信をする間もなく、再び次々とメッセージが送られてくる。
『あの』
『初めましての僕が偉そうに言うのもなんなんですけど』
『知ってます。あなたがとってもがんばってること』
『人を助けようと思って』
『世界を良くしようと思って努力してきたこと』
『だけどなかなか世の中は変わらなくて、悲しい気持ちになってしまっていること……』
『(涙をぽろぽろ流している25条さんのスタンプ)』
『あなたはとても優しいから、世の中が変わらないのは自分のせいだって思ってしまっているみたいだけど』
『絶対、そんなことないから!』
『(ちっちっち、と指を振る21条さんのスタンプ)』
『周りが何と言ってこようと』
『偉い人があなたの声を無視しても』
『あなたの思想は……想いは、絶対に消えない。僕が保障する』
『消えない想いは、希望なんだ』
『よりよい未来を創るための、灯火なんだ』
『あなたの灯火は決して消えない。僕が消えさせたりはしない。そして消えない灯火は、同じように道に迷った誰かの道を照らしてくれる』
『だから』
『今は無理しないで』
『自分だけの場所で辛い気持ちを吐き出して、ゆっくり休んでほしいな』
『(元気出せ!と笑う27条さんのスタンプ)』
『って』
『(ん?と振り返る9条さんのスタンプ)』
『あっ!』
『(ごめんなさい、と謝る26条さんのスタンプ)』
『ごっ、ごごごごごごめんなさい!一方的に喋りすぎちゃって……』
『ほ、本当にごめんなさい!気持ち悪かったよね、こんなにメッセージ送っちゃって……』
『ぼ、僕のことはブロックしてくれて構わないので……』
『(猫をかわいがる日本国憲法さんのスタンプ)』
『あわわ!そうじゃなくて!誤スタンプごめんなさい!』
『😭😭』
……。
『😭😭』のメッセージを最後に、会話アプリからの謎のマシンガン着信は途絶えた。一度に大量のメッセージを受信したせいだろう、スマホの充電が随分減ってしまった。
だけど。
あなたは心の中で、心から感謝の言葉を述べた。
最高法規を自称する「自宅警備中」さんに。
日本国憲法
皆の励ましの声を聞き終えたあなた。今まで語り合ってきた(または、一方的に語られた)彼らは、あなたの前に立ち、穏やかに笑っている。
この国のどこにも無いけれど、でも確実に存在するこの場所は、人々の「祈り」である彼らより放たれる光で満ちているのだが、いつの間にか、皆の後ろに一際あたたかくて美しい光が顕現している。
ああ、「あの方」だ。
あなたは気づく。
いつでも、どんな時も、静かにあなたを護り続けていてくれた。
どのような権力よりも強く、どのような法より優しい、崇高な理想と目的を掲げた「あの方」だ。あなたが何よりも尊く想い、何があろうと護りたいと願う、「あの方」だ。
あなたは思わずその場にしゃがみこんだ。あまりにも崇高な存在を目の当たりにし、腰が抜けたのかもしれない。周りにいた「祈り」達が、崩れ落ちたあなたの姿を見て慌てふためくが、彼らが駆け寄るよりも先に動いたのは「あの方」だ。優雅な足取りで前に進み、身をかがめる。言葉も出ないあなたの眼を見つめたまま優しく微笑み、白く美しい手がそっと差し出される。
悠久の時を眺めてきたであろう「あの方」の澄んだ瞳に、右目に付けている片眼鏡の硝子に、涙と鼻水でぐしゃぐしゃのあなたの顔が映っている。ああ、何という情けない顔をしているんだろう。慌てて涙を拭うあなたの耳に、柔らかな声が届いた。
「こちらを見てください。」
美しく、優しい笑顔。
「あなたは、政治に心を痛め、世界に心を痛め、それでも、誰かの幸せを願うことをやめませんでした。」
差し出されたままの白い手が微風のように動き、あなたの肩に微かに触れる。
「それは、簡単なことではありません」
と、あなたの目の前に、清潔なハンカチが差し出される。顔を上げるあなた。そこにいたのは、心底心配そうな顔をした、明るい髪の色をした少年だ。
今にも泣き出しそうな顔の少年に礼を言い、ハンカチを受け取る。震える手で顔を拭っていると、「あの方」の声が聞こえた。
「あなたは、優しい人です。」
そんなことはないです。
「だから、その優しさが、時々あなた自身を、あなたの心を、酷く傷つけてしまう」
そんなことはないんです。
私はそんなに優しくなんてない。
自分の事だけしか考えられない、愚かで駄目な人間なんです……。
「あなたのその傷。少しだけ、預からせてくれませんか」
「あの方」はそう言うと、自責に苛まれるあなたの心を見透かしたかのように、静かに微笑んだ。
「だから、安心して、笑ってください。」
すると、明るい髪の色の少年が勢いよく手を挙げる。
「はい!」
丸眼鏡の青年が笑って答える。
「はい、どうぞ」
「俺たちの大切な人が泣いてる時はどうしたらいい?」
無精髭を生やした青年が肩をすくめた。
「隣にいる」
筋肉質の男が、豪快に笑う。
「無理やり元気にしようとしない!」
長い髪の、秀麗な顔をした青年が静かに呟く。
「黙って、見守る」
初対面?の、全身鎧に身を固め、巨大な盾を構えた騎士みたいな何かがおずおずと声をあげる。
「ずっと味方でい続ける」
……最後に、左手に、いずこかへ繋がる無数の鎖を握りしめた青年が、何も言わずに頷いた。
再び、あなたの眼前に白く美しい手が差し出される。
あなたの涙はまだ完全には止まっておらず、あなたが負った身体や心の傷も、とても癒えたとは言えない状態だ。……だけどそれでも、あなたは微笑んだ。差し出された白い手をしっかりと掴み、立ち上がる。
その姿に、鎖を握る青年は静かにうなずき、無精髭を生やした男はニヤリと笑う。
明るい髪の色の少年は嬉しそうに歓声を上げ、少年の隣にいた筋肉質の男は満足そうに腕組みをした。
丸眼鏡の青年は静かに眼を閉じ、ほんのりと闇を纏った長い髪の男は、その秀麗な口元をほんの少しだけ緩ませる。
重装兵っぽい何者かは、一心不乱にスマホに何やら打ち込んでいた。
そして、尊き「祈り」達が口をそろえて言うことには……
「あなたが幸せでいてくれることが、私たちの一番の願いなんです」
☆ ☆ ☆
……これは、この国のどこにも無いけれど、でも確実に存在するとある場所に迷い込んだあなたの、不思議な体験。
あなたの幸せを心から願う「祈り」達との、他愛もない会話……。
fin.