可視光線Ⅰ
通勤の景色が変わったことに未だ慣れない。
とある任務に対する適正を見るためとかで、風見はしばらくの間警視庁から警察庁に出向となっていた。
同僚同士ですら秘密の多い公安で、風見を呼んだという上司の顔すら未だ見たことがない。それでも国家の安全に穴がないよう、あらゆる仕事が暇なく降ってくる。テロや国家犯罪を起こしそうな大小あらゆる団体についての監視、報告、調整、立案──。
今日は上からの指示を受けて情報の受け渡しが行われる。夜22時以降、某駅にほど近い廃ビルの裏、エアコンの室外機の裏にあるSDカードを回収する。無事指定通りの場所で見つけたそれを胸ポケットにしまう。誰にも見られてはいないはず。
が、少し離れたところで怒号のような声が聞こえた。身を潜めながら声のする方を観察すると、どうやら揉め事のようだった。聞こえるのは日本語ではない。
──外国人同士の喧嘩か?
喧嘩、と言うには一方的だった。一人に対して五人ほどが嬲るようにして次々と攻撃を加えている。やられている男は苦し紛れの抵抗をしていたが、見るからに分が悪い。
自分は公安で、任務のためにここにきたのだから、あまり目立った動きをするべきではない。見なかったことにして立ち去って、気になるなら近くの交番に通報なりすればいい。風見はそれが正解だと思ったが、風見の足は違う意見のようだった。
「何をしている」
風見は埃っぽいコンクリートの路地に足を踏み入れ、青年の顔に向かった拳をてのひらで受け止める。
「これ以上ここで暴れるなら警察を呼ぶぞ」
そこにいた男たちの外見から、ひとまず英語で呼びかける。職業柄腕に覚えはあるが、この人数で一斉にかかられるとやりすごせるかは少し怪しい。初対面の人間の九割を萎縮させるこのタッパと強面が効けばいいが、と風見は思った。風見を一瞥すると男たちは目を合わせ、どたばた路地の暗がりへと走り去っていった。警察を呼ばれたら困るような、後ろ暗いところでもあるのだろう。彼らを追いかけるまではしなかった。
加害者たちが去って気が抜けたのか、壁にもたれている青年に英語で声をかける。
「Are you OK?」
「日本語で大丈夫だよ。なんていうか……ありがとう。あなたは勇気あるね、五対一で殴りかかられてたらどうなってたか」
「君もいるから五対二だろ? まあ結果的に無傷だった。それより手当をしよう」
青年は風見の返答に驚いたのか目をしばたたかせた。
そこまでの怪我じゃないと言い張りながらふらふらしていた青年をとりあえずそこらの花壇の縁に座らせ、ペットボトルの水を飲ませた。
水が通り過ぎると同時に上下する喉仏から青年の姿を観察する。金色の髪、褐色の肌、体格は風見とそう変わらない。歳は二十代半ばといったところだろうか。目元は甘いが、きりっとした眉は意志の強さを感じさせる。
「何で揉めてた? 言いたくなければ言わなくてもいいが」
「……犯罪の片棒を担げって言われたのさ。で、断ったら殴られた」
「それは……災難だったな。よく断れた。偉いな」
この国の犯罪者が一人増えずに済んだ。
「当たり前のことだ。それとも『ガイジン』はみんな犯罪のハードルが低いと思ってる?」
青年の声はからかうように柔らかい。しかし憤りと疲れと、針のようなエッセンスが確かに含まれていた。
「外国人だから犯罪を犯すわけじゃないだろう。ただ、差別は貧困を生む。貧しければ犯罪が増える。そういうコミュニティにいると犯罪のハードルは下がるだろうな。そして犯罪を犯すとまた差別が強化される。負のスパイラルだ」
「確かにその通り。言葉にするとなんて単純なんだろうな。だけどそれを変えようとか、そこから抜け出そうとかするのはとても難しい」
それから青年は饒舌になって、自分の半生を滔々と語った。母は水商売をしていた外国人で、父はその客の日本人。認知してもらえず、さまざまな事情もあって出生届は出されなかった。いわゆる無戸籍の人間。母は五年前に亡くなった。働ける場所は限られているので、いまは不法滞在の外国人コミュニティの中にある飲食店で働いている。学校にはまともに行っていないが、日本人の幼馴染が色々教えてくれて自分でも勉強した。その幼馴染も少し前に亡くなった──というところで、青年は少し言葉を詰まらせた。路傍の薄暗い街灯の下で語られるのがあまりにも似合いの物語だった。
「苦労してるんだな」
風見は、否応なく湧く同情的な感情を、極力表に出さないようにする。こんなのは実によくある話で、いちいち落ち込んでいたら公安など務まらない。
「なんて、今言ったこと全部嘘かもしれないよ」
「君がいま、心細くて寂しいのは本当だろう。こんなおじさんに長話をするくらい」
青年はなんとも言えない複雑そうな表情を浮かべて黙った。
それはそうと、話の中で、彼がいま自分が監視している外国人コミュニティにほど近い環境にいることに風見は気がついていた。話しぶりからも確かに知性が窺える彼は、きっと地頭がいいのだろう。偶然の出会いではあるが、仲良くしておいて損はないかもしれない。
風見は自分が警察官であることを明かし、協力者にならないかと持ちかけた。
「情報屋ってやつ?」
「礼はする。君が有能なら、新しく戸籍を用意してやれるかもしれない」
風見も踏み込みすぎかもしれないという自覚はあった。ただ現実として、公安警察にはそれが可能だ。
「……それ、僕のメリットが大きすぎる気がするな」
「無戸籍の人間の存在は組織犯罪の末端にうってつけすぎる。君がそうならないように策を講じるのは将来的な被害者を減らすことにもなる」
人情を理屈でコーティングしたような物言いだ。
「断ってもいいが、この提案があったことは他言無用で──」
「いいよ。あなたの協力者になろう」
青年は白い歯を見せて笑った。
「……ありがとう。では、君の名前を聞いても?」
「レイ。あなたは?」
「風見だ。よろしく、レイくん」
二人は薄明かりの下で握手を交わした。ちょうど午前零時に近い時刻になっていた。
Ⅱ
風見が担当する案件の一つにある過激派右翼団体の監視があった。元々、某党の一派に対する嫌がらせがこのところ横行しており、そこから捜査して辿り着いた。現在は事務所への落書きやポスターの汚損、近隣住民へ中傷ビラを撒くなどに留まっているが、いずれエスカレートするかもしれなかった。
その団体の標的となっているのは、一言で言えば実質的な移民融和政策を進めようとしている一派で、それが国粋主義者たちには我慢ならないようだ。いまや日本の在留外国人の数は二五〇万人を超えている。鎖国していた江戸時代でもあるまいし、今後もますます増えるに違いないのだから、海外から流入してくる人々のための法制整備は必要事項だというのに。
そして調べていてわかったのは、彼らが在日外国人同士の交流を目的とした任意団体を運営し、そこをハブにして不法滞在者を集め、犯罪行為を行わせているらしいということだ。詐欺や強盗、薬物取引などで得た金銭は団体の資金源になっているようで、さらには爆弾などの武器も作らせているようだった。
つまり、行き場のない外国人たちがいいように使われている。「純血」以外を疎む人々が、外国にルーツを持つ者たちを率先して使っている。疎んでいるからこそ汚れ仕事をさせているのだろうか。偶然にもレイは、そのコミュニティのごく近くにいた。
当然ながら、団体と外国人たちの間を取り持つ仲介役が存在する。指示を受け集金をするその人物に近づき、情報を集めるというのが風見がレイに託した任務だった。
ある日のレイとの取引のあと、風見はレイが働いているという飲食店に様子を見に行った。気づかれないように向かいの建物から双眼鏡を使って店の中を覗く。窓に異国風の装飾を施された店は、ただの飲食店というだけではなく特定人種のコミュニティスペースとしても機能しているようだった。安酒を煽る客たちに笑顔で接客するレイがちらちらと視界に入る。レイの情報によると、機嫌よく飲んでいる客の中に犯罪行為に関わる者もいくらかいるようだ。かといって下っ端をどれだけ引っ張っても意味はない。上の団体を潰さなければ。この団体がなくなったところで、彼らが困窮している限り犯罪行為自体は続くのかもしれないが。
それにしても、レイは想定以上に有能だった。
捜査対象の交友関係を調べるために、と頼んだ写真一枚とっても、過不足のない情報が鮮明に収められている。受け渡される情報にはそつがない。ハッキング能力も普通の人間のそれではなかった。
明らかになんらかの訓練を受けていると感じ、風見はレイについて二重スパイである可能性を胸に留めた。そうなるとどこから仕組まれていたのか。
レイの言うことを全て信じるなら、無戸籍だから、外国の血が入っているからと、こういった有能な人間が真っ当な社会から排斥されるのは日本の損失でしかないだろう。そうして爪弾きにされた先で、反社会的勢力に取り込まれるというルートも十分にありえるし、今がそうなのかもしれなかった。
そうであるならなんとかしてやりたい──と思ってしまった。
そうであるなら、利用されているのは風見の方で、公安にあるまじき能天気な考えだった。風見は、なぜ彼につい入れ込んでしまうのかと自問した。
──目、だろうか。
レイの瞳には強い意志が宿り、どんな苦難にも折れない精神を感じさせた。人に使われるよりも人の上に立つ方が向いていそうな。反対に何にでも自分から突っ込んでいきそうな。
店の中の明るい照明、さわがしい空気、油分の多そうな見知らぬ料理。その場所は彼に似合いのようにも、まるで馴染んでいないようにも思えた。
*
悪いことに、いずれ犯罪行為がエスカレートしていくのではないかという公安の読みは当たった。近々、某党の一派に対して同時多発テロを起こそうという計画があるそうだ。彼ら的には「大義のための抗議活動」らしいが。レイとは別ルートからも同じ情報が入ったのでほぼ間違いないと見て、一斉検挙のための案をチームで練っている。
レイの役目はひとまず終わりだ。団体幹部をひととおり検挙してこの件が落ち着いたら、約束通りレイに戸籍を用意するつもりだ。安全圏にいろ、という意味も込めて、風見はしばらくレイに連絡を断つことを伝えた。
某月某日午前零時。雨が降っている。
群馬のとある山深い場所にある廃村は、例の団体の活動拠点となっていた。三十人あまりといったところか、腐った食べ物にたかる蝿のように、もう使われていない小学校の体育館に彼らは集っていた。例のテロを行う前の決起集会だ。リーダーと思しき中年男がじめじめした空気の中でやかましい演説を続けていた。
手順はこうだ。まずは見張りを黙らせる。彼らの車のタイヤを一台残らずパンクさせ逃げられないようにする。出入り口の全てに人員を配置し、突入する。
レイの入手した計画書はレイの手によって解読され、首謀者たちの名前も明らかになっていた。この日まで泳がせていたのは幹部でない構成員たちもまとめて一斉検挙するためだ。
村に向かう山道の途中に警察の車を停める。車の音で気づかれないようここからは徒歩だ。機動隊員と公安が雨に紛れて、それぞれ違うルートを取ってばらばらに山を上がっていく。
その中の一人である風見が、ぬかるんだ土を踏み丈のある茂みをかき分けながら歩いていると、ふと横の茂みに気配を感じた。
──奴らか!?
臨戦体制で振り向くと、帽子を目深に被った青年が現れた。
「僕だよ、風見さん」
レイだ。
「なんでここに」
「そんなに警戒しないで。味方だよ。加勢しようと思ってさ」
「危険だ。帰りなさい」
レイは風見の言うことを頑として聞かない。
そもそもがレイの突き止めた計画であり、彼がその後も自身の意志で動向を追っていたというのなら、今日この日ここにいてもおかしくはなかった。
「奴らに直接手を下すチャンスが欲しい。この国の汚点だよ、我慢ならない連中だ」
その心情もわからないではなかった。情報を集めるためとはいえ、同じような境遇の人々が犯罪に染められていくのをしばらくの間ただ見ていたのだ。それは楽しく飲み食いする店の顔馴染みの中にもいたのだから。一矢報ってやりたいという気持ちもあるだろう。
しかし危険に変わりない。例の団体はまだ人命に関わる犯罪は犯していないが、だからと言ってこれから向かう先で人命に配慮などされないかもしれない。抵抗中の事故などもあるかもしれない。自分は装備も精神もその準備ができているが、彼は違うだろう。逆に、公安の方が彼に危害を加える可能性もある。
逡巡し、睨むようになっている風見の目を気にするそぶりもなくレイは言う。
「もし僕が死んだところで誰も気づかないさ。いまいる場所だって、人ひとりが急に消えるのもよくあることだ。戸籍がない以上、記録上も何も変わらない。僕は見えない存在だからね」
雨に濡れる言葉は強がりでもなんでもなく、ただ事実を並べただけといった風だった。
けれども、風見の心は漣立った。
「……僕には見えている」
風見の言葉に、レイはきょとんとした。
「君という存在が紙の上にはなくても、僕の目にはちゃんと見えている。僕が知っている。僕が覚えている」
それもまた、風見にとっての事実を並べただけだった。
「そして僕は君に怪我をして欲しくないし、風邪も引いて欲しくない。だからいますぐ引き返しなさい」
風見の言葉を聞いて少しの間レイは沈黙し、そしてクックッと笑った。
「普段汚いものばかり見ているせいかな。僕は綺麗なものが好きなんだとしみじみ思うよ」
「は?」
風見がレイの言葉をはかりかねていると、忠告ありがとう、とつぶやいた後、レイは村に向かって走り出した。風見は驚いてすぐに後を追ったが、鬱蒼とした木々に阻まれすぐにレイの影を見失ってしまった。一般人が紛れ込んでしまうなんて想定外のことだ。──だがしかし、すべてを最短で終わらせてしまえばいいだけのことだと思い直した。風見が上げた情報だとはいえ、今日の風見は数いる人員のうちの一人で、重要な指揮を任せられているわけでもない。それでも最善を尽くすしかない。レイを無事に帰してやるためにも。
風見が村に到着した頃には、人員の半分ほどがすでに到着していた。
五人ほどいた見張りはすでに結束バンドで手と足を拘束され、猿轡を噛まされて人気のない空き家にまとめて放り込まれていた。
風見はキャップをかぶった青年を少し探したが、廃村とはいえ数多くある空き家一つ一つを調べる時間はなかった。隠れる場所が多いと言うのは彼にとって安全かもしれない。
それぞれ事前に決められた配備につき、インカムで連絡を取り合う。三分後に正面および裏口から突入。風見は裏口から。最優先は壇上の人間と最前列に並ぶ幹部たちだ。
風見は落ち着いて数を数える。
──時間だ。
裏口は解錠されている。風見はそっとドアを開け、同僚ひとりを伴って足早に目的の人物へと向かう。泥のついた靴のまま階段を上がり、舞台袖の緞帳から躍り出る。瞬間、古びた体育館の中の空気が変わった。
油ぎった演説をしていた男を後ろ手に拘束し、手錠をかける。わめく男を無視して宣言した。
「公安だ。テロ等準備罪でここにいる者たちを全員実行犯逮捕する」
風見と同時に正面玄関から入ってきた同僚たちの足音が鈍く鳴り響き、騒ぐ輩を次々と拘束していった。風見は一緒に来た仲間に任せて捉えた男を壇上に捨て置き、大人数を捕縛するための応援に向かった。中には武闘派の人間もいて少し手こずらされている。
歯向かうものを床に叩きつけ逃走しようとするものの足を払い、何十人もが入り乱れて品のない声が高い天井に反響した。雨に濡れた者が味方で乾いているものが敵。わかりやすいマーク。
そのうち四人ほどで固まって包囲網を突破しようとする者が現れた。制圧用の盾の間に体をねじ込み、一人が逃げる。一人を逃すために何人もが抵抗し道を作っている。演説をしていた男ではなく、彼こそがこの団体の一番の要石らしいと分かった。取り押さえそこねた隊員に檄が飛ぶ。
雨脚が強くなり真夜中、サーチライトも今はない。入り組んだ道と伸び放題の雑草や植物で障害が多く、警察はその男を見失った。しかし彼が泥を蹴飛ばしながら走った先に、するりと影が現れた。
レイだった。レイは走ってきた男の前に立ち塞がる。
「君たちにこの国のため、なんて言われるのは虫唾が走るよ」
レイは一瞬で距離を詰め、的確に顎を殴り、腹を殴り、襟を掴んで泥水に引き倒した。男の意識はそこで失われた。
「……やっぱり君は只者じゃないな」
レイの耳に風見の声が届く。手早くやったつもりだが、風見には見られていたようだ。
「見られてたなんて恥ずかしいな。どうしてここが?」
「ここは廃村のはずだが、いくつか今も使われていると思われる民家が──まあ玄関の草があまり伸びていない場所があったので、そのうちのどれかを拠点として使っているのかと思ったからな。そしてそこから外部に連絡を取ろうとしていたんじゃないかと……」
「で、そのうちの一つに向かう道がここだったと。僕と同じ読みだ」
レイは男を公安に引き渡したら姿を消すという。風見もそうするといいと思った。
「この件が落ち着いたら改めて連絡する。約束は守ろう」
「僕に戸籍をくれるって話かな?」
風見は首肯した。
「悪いけどそれには及ばない。僕の役目は終わったってことだ。だったらそろそろ、あの街からも消えるとしよう」
風見はレイの言っていることの意味を汲み取りかねて、返事に詰まった。そうしているうちに仲間の公安の声がして、そちらに気を取られているうちにレイは消えてしまった。
しばらく経ち、例の団体を検挙したあと、さらに外部の協力者などを捉え、取り調べ等の事後処理がひと段落した。
風見は本当にレイのための戸籍を用意する手筈は整えておいたのだが、あれから連絡はつかなくなっていたし、レイが住んでいたはずの部屋にも、レイが働いていたはずの店にも彼の影はなかった。
*
風見の警察庁への出向が終わり、警視庁公安部に戻ることになった。引き継ぎ処理を全て終え、後は挨拶だけとなって上長に呼び出された。結局、風見がいる間には一度も顔を見ることのなかった多忙な上司である。
呼び出された部屋は、昼間だというのにブラインドを全て下ろしていて薄暗かった。その中に男が一人立っている。
そこにいる男のことを、見間違えるはずもなかった。
「レイ……くん」
「フルネームは降谷零だ。よろしく」
差し出された手を握り返すことも忘れ、風見は呆然としている。
「これから君にはゼロの連絡役になってもらう。有体に言うと、先日の件は君を試すテストだった。僕の右腕に相応しいかどうかというね」
降谷は風見の肩をポンと叩いた。
「君は合格だ。能力、性格、そしてなにより僕との相性」
「相性」
「君は信頼に値すると確信したってことだ」
ゼロ。公安警察のトップ。
思考が追いつかないなりに、風見はなんとか事態を把握しようとする。どこからどこまでが嘘で、どこからどこまでが仕組まれていたことなのか。考えるとぐらつきそうになるが、風見を欺いたことも含めて、あくまで国にとって危険な存在を排除するためのことだったと、それだけは確定事項のはずだ。それだけわかっていればいいと自分に言い聞かせて、風見は降谷に向き直る。
例の団体への潜入捜査は前哨戦のようなものだったと降谷は言った。
降谷はこれから、同期の諸伏と共に強大な犯罪組織に潜入する。それは日本という国のためであると同時に、降谷個人が追い求めているものにも大いに関係しているそうだ。今まで以上に難しくなる職務のサポートに風見を選んだ。
「……貴方が最大限のパフォーマンスを発揮できるよう、尽力します」
実際それ以外に言えることはなかった。
「それと、自分としては……再会できて、正直嬉しいです。厳しい仕事になるとは思いますが、最悪の事態はくれぐれも回避してください」
──はずだが、思わず口をついて余計な言葉が飛び出した。
「最悪の事態だと? 君はまだ僕のことを、若くて何も知らない庇護対象だと思っているんだな」
降谷に笑われてしまったが、実際否定はできなかった。風見の中にはまだ、寂しげで幼げな、よりどころのない青年、という印象が強く焼き付いていたのだ。
「警察組織の中でも僕はほとんど見えない存在だ。元々存在しない人間が消えたところで、記録上は何も残らない。だが、少なくとも向こうにこちらの情報は渡らないように細心の注意を払おう」
降谷はまた、なんでもないように事実だけを並べる。
風見の中で、レイと降谷が融合していく。
「自分には貴方の姿が見えていると、そう言ったでしょう」
降谷の目を見て発されたその言葉は、真っ直ぐ降谷に届いた。
繰り返されたそれはむず痒くもあり、嬉しくもあり──この男のことが好きだな、と素直に思わせてくれる──彼を選ぶ決め手になった言葉だった。
「それに何の成果もなく勇退なんて、貴方のプライドも許さないのでは?」
「それはその通り」
生来負けず嫌いな降谷が「少なくとも」なんて口にするのは、大仕事を前に平常心でいられていない証左だった。すでにそこまで自分の性質を把握されているのかな、と降谷は面映く思う。
「案外熱い男だよな、君は」
暗い中でも、降谷の目にも風見の姿がよく見えた。