監督生は女装をしている唐突で申し訳ないのだが、ここの監督生は女装をしている。
趣味ではない、実益が理由である。
この異世界に入り込んでしまって早々責任者に無責任なことを言われ、のちに大事な友人となる調子に乗ったガキに「グレートセブンも知らねえのw」と嘲笑され、リラックスできるはずの食事の時間にすら初対面の先輩に意味わからん絡まれ方をした監督生はいい加減頭にきていた。
そしてハーツラビュルの騒動に巻き込まれていくうちに気がついたのだ。
この世界が──女性にめっちゃ優しい世界線ワンダーランドであることに!
監督生は一計を案じ、リドルのオーバーブロットをみんなでボコって鎮めてからちょっとした演技をした。
こうである。
「監督生もお疲れ様、大変だったな。制服がボロボロだ」
「見た目なんか気にしてる暇なかったもんねぇ。泥でベッタベタ、けーくん早く着替えたいよ~」
「はは、俺もだよ。そうだ、監督生もハーツラビュルで着替えていくか?その状態で自分の寮に帰るのは大変だろう。予備の寮服なら貸してやれるぞ」
「あれって他の寮の生徒に貸していいんだっけ?」
「今回はさすがにいいだろう。副寮長権限ってやつさ」
「まーね、監督生ちゃんはもはや戦友?って感じ!」
「あ、あの……着替えはちょっと……」
「遠慮ならしなくていいぞ」
「いえ、そうではなくて……男の人のいるところで着替えるのはさすがに……」
「え?」
「え、それって」
「あ、いえ、なんでもないです!とにかく着替えは大丈夫です、お気遣いありがとうございます」
演技といってもこの程度である。
だがあえてはっきり言わないことで男子高生の妄想力を刺激したのである。
ついでに実は近くのハーツラビュル生にもギリギリ聞こえる声量で話していたりもした。
効果は絶大だった。
その噂は風のようにNRC中を駆け巡った。
つまりこうだ。
監督生は異世界から男子校に連れてこられ、帰る宛もなく仕方なく男装している女子である、と!
ここで監督生の容姿について触れておこう。
彼は女と言っても通じるほどかわいい見た目をしている……わけではない。
エペルどころかクラスのポムフィオーレ生やメンダコの人魚の方がかわいい。
だがどう見ても男だろふざけんな、というタイプでもない。
監督生ははちゃめちゃに顔が平たく薄い、ウルトラ薄口しょうゆタイプの日本人だったのだ!
顔だけでなく体格もペラッペラのヒョロッヒョロ。
女子というには膨らみが足りないが男子というにも硬さが足りず、まだ成長期が来てないんだなで納得できてしまう範囲内。
髪は短くボサボサ、肌も何も手入れしていないがメイクに興味がない&生活費が足りないのコンボでごまかせるし、男っぽい言動も男装中の演技ということになる。
何よりツイステッド・女性に優しい・ワンダーランドの価値観では、突然身寄りがなくなってしまった中で頑張ってる女の子の見た目に言及するなんて男じゃねえ!というわけだ。
全寮制の男子校において、実は女子がいたなんて話は芸能人の熱愛報道よりよっぽど大ニュースである。
ハーツラビュルで一芝居うったその次の日にはもう、その噂は全校生徒の知るところであった。
監督生は『女子であるとバレないように隠している』という扱いなので面と向かって「聞いたぜ、女子なんだって?」と言われることはない。
別の世界線のNRCでは言われたかもしれないが、この世界では女性に対してだけNRC生でも紳士であった。
だが明らかに生徒たちの態度が変わったので、思惑通りに事が運んだことは監督生にもすぐに分かった。
「ア、監督生。席探してるの?ここどうぞ」
「魔獣も座りなよ。俺らもう行くからさ」
「ハァ?なんなんだゾお前ら」
「あとから席代請求してきたり……?」
「するわけないじゃんそんなこと!な!」
「そうそう、ただの親切だよ!」
「監督生、箒の片付けか?」
「手伝うよ」
「別にいらないよ」
「私たちが手伝いたいんだよ」
「僕は飛べないからこの雑用でバルガス先生に単位もらってるんだけど」
「もちろん監督生がやったって言うさ!」
「おはよ~」
「アヒュッ、カ、カカ監督生氏オハヨゴザマス」
「ポ、ポキラモウ行クノデ」
「同じクラスなのにどこ行くんだゾ?」
みんながみんなこんな様子なのである。
今までは難癖つけて絡んできたような生徒や、名前どころかどこの寮かも知らない先輩、普段接点のない教師までこんな調子なのだから察せないはずがない。
もはや公然の秘密というやつである。
こうして監督生の学園生活は一気に平和になった──と思いきや、まったく別の問題が立ち上がってきたのだった。
「監督生、オレと……付き合ってくれ!」
「あなた誰ですか?」
そう、学園唯一の女子を彼女にしたい男どもからの告白ラッシュである!
いくら女性に優しかろうがここはナイトレイブンカレッジ。
真実の愛に夢を見ていないこともないがとりあえず彼女が欲しい。
監督生はプリンセスというにはだいぶうっすい外見なのだが、ただ女子であるというだけで──そういう噂があるだけで──人生最高のモテ期を迎えていたのだった。
NRCってほんとだめ。
「この前、試合の応援に来てくれてただろ!?ほらバスケ部の!」
「あれはフロイド先輩に脅されて仕方なく」
ここで注釈を入れておくが、監督生が女子だという噂を流したのが1章の時点。
現在はいつという指定はないがすべてのメインキャラ(メタ視点)と知り合いになっているタイミングである。
つまりそこまでまったくバレなかったということ。
ルークやオルトのような特殊技能のある人物にはバレているのではと思ってカマをかけてみたことはあるが、ここツイステッドワンダーランドでは心が女性なら女性扱いになるということが分かっただけだった。
監督生が見てきた限りではNRC生の多くは肉体が男なら恋愛対象にしないと思われるので、告白イベが終わらないということは大多数にはバレていないのだろう。
大丈夫だろうかこの学校。
監督生はバスケ部のよく知らない先輩に丁重にお帰りいただき、モストロ・ラウンジにバイトに向かった。
彼がホールのシフトの日は客入りがいいらしい。
今更本当は男ですとか言ったら殺されそうだなと監督生は思っている。
ところでメインキャラと知り合っているということは、もちろんあの人もである。
今をときめくスーパーモデル、ヴィル・シェーンハイトだ。
ちなみにこの世界では彼は女言葉を使っているが心は男性なので男性扱いである。
数多の世界線で化粧っ気のない女監督生にメイクを施してきた彼は、この男装監督生(女装)にも声をかけたのだった。
ややこしいなこいつ。
監督生は健気に男装していることになっているのでヴィルも「女なのに」というような言葉は使わない。
だが監督生のすっぴん、だけではなくパサついた髪とか肌とか諸々に我慢ができなくなったのだ。
「え、メイクですか?えっと、僕はもとからあまりそういうのしないタイプで」
「メイク以前の問題よ。スキンケアやヘアケアはどうしてるの」
「えーと……卒業するまでは若さでなんとかなるかなと……購買で一番安い石鹸で全部洗ってます」
「ハァ!?今のうちからケアしておかないと将来困るわよ!そんなにお金がないの?」
「いや、ある時から学園長がくれる生活費が増えたので余裕がまったくないわけじゃないんですけど、でもその余裕分は貯蓄に回したくて」
「貯蓄?」
「はい。将来お肌が荒れててもお金があれば生きていけますけど、お肌つるつるでも帰り道が見つからなくて異世界人につける職業も見つからなかった時に貯蓄なかったらどうしようもないじゃないですか?」
「ハァー………。いいわ、アンタの人生にまでは口を出さない。だけど今日はアタシに付き合いなさい。時間あるわよね?」
「はあ……?」
そして監督生はポムフィオーレの寮長室に連れ込まれた。
なぜかいつの間にか満面の笑みのルークがヴィルの隣にいたので身の危険は感じなかった。
ヴィルはルークを助手として監督生の顔やら髪やら手やら爪やらに色々なものを塗りたくった。
監督生はごく一般的な日本人の元男子中学生だったので、メイクどころか水以外を使っての洗顔すらしたことがない。
よく分からんけどアワアワで顔を洗うのは悪くなかったが、よく分からんビシャビシャなやつとぬるぬるなやつとクリーム系のやつと……と塗りたくられた時はこんなにたくさん重ねる必要があるのかとちょっと驚いた。
「さて。とても満足には程遠いけど一応基礎は終わったわ」
「ケアというものは毎日の積み重ねが大事だからね」
「え、これで完成じゃないんですか?」
「そんなわけがないでしょう!これからが本番よ」
「ええ……」
ヴィルの宣言通りそこからが長かった。
なんの知識もない監督生には、もはや二人が自分の顔に何をしているのかぜーんぜん分からない。
しかし二人が真剣なのは伝わってきたし正直ちょっと興味もあったので成り行きに身を任せた。
こうしてできあがったのが──
「これが……僕……?」
「アンタ素材は悪くないのよ。別によくもないけど。アンタくらい平たくて個性のない顔ってのは同時にメイクの映える顔でもあるのよね」
監督生はヴィルの話を聞いていなかった。
目の前のものに心を奪われていたからだ。
それは鏡、鏡に映っているのはもちろん監督生である。
だがスーパーモデルにフルメイクを施された彼は目の覚めるような美少女に変身していたのだった。
印象の薄かった目のサイズが2倍くらいになっている気がするし、ていうかこれ骨格まで変わってない?
化粧ってすごいんだな。
9割人工物の豊かなまつげが影を落とす瞳はミステリアスな黒、存在感がゼロに等しかったうっすい唇はぷるんぷるんの自然なコーラルピンク。
監督生はコーラルピンクという言葉は知らないが。
爪もなんかピカピカしてるし、ボサボサだった短髪までもがいい匂いのするよく分からん液体で整えられてスポーティで活発な元気系女子のヘアスタイルにされている。
顔全体に化粧されはしたが、素材を活かしたナチュラルメイクでボーイッシュなイメージである。
そのボーイッシュな中に瞳や唇が輝いて、『普段一緒に仲良くスポーツをしたり馬鹿をやったりする幼なじみがふとした瞬間に可憐な美少女であることに気づき……』てな感じの美少女になっている。
監督生にはよく分からん技術で軽く彫りが作られ鼻などを高めに見せているが、それでも平たくてシンプルめな顔の美少女ははっきり言って……監督生の好みドンピシャだった。
そりゃあヴィルやルークは美しいしエペルも文句なくかわいらしい。
けれど誰も彼もあまりに美しすぎるし、こういってはなんだが濃い。
NRCには東洋系の薄い顔が少ないのだ。
そこに現れたこの飾り気のない(ように見える)美少女は、まさに突然舞い降りた天使そのものだった。
問題はただ一つ、これが女装した自分であるということだ……!
「オーララ、どうしたんだいトリックスター?見惚れていたと思ったら急にそんな悲痛な顔をして」
「いえ、その、なんていうか……メイクってすごいな、いいなとは思ったんですけど、でも……お高いんでしょう!?」
「今日使ったものを全部揃えようと思ったらそうね。だけど基本的なケア用品だけならそうでもないわ。アタシは妥協せず自分に一番合うものを使ってるけどアンタには事情があるもの。二番目、三番目の低価格のもので特別に許してあげる」
「ありがとうございます……?」
「これは私の体験談だが、ここNRCの購買部はポムフィオーレ寮に入って初めて本格的なケアを始めた生徒のためにお手頃な価格で様々なブランドのケア用品を試せるセットを取り扱っているんだ。キミは少々特殊な立場だしMr.サムに相談してみれば助力が得られるかもしれないよ」
「分かりました、聞いてみます。あの、何から何まで……お二人には何をお返しすれば」
「気にしないでちょうだい。アタシが我慢ならなかっただけなんだから」
「ふふ、私たちはすでに対価をいただいているよ」
「えっ?」
「ヴィルに言われてまぶたを上げ、鏡を見た時のトリックスターのあの瞳のきらめき……夜空に輝く一番星も恥じ入るばかりだったよ。何よりの褒美さ!」
「そうね、プリンセ……んん、自分の美しさを自覚した者の笑顔は何にも代えがたいわ。あとはちゃんと日々のケアを絶やさないようにすることね」
「はい!頑張ります!」
それから監督生はプチプラ品ではあるが肌や髪のケアをするようになった。
ちゃんとしたメイクにはまだ手が出せないが唇の乾燥を防ぐためリップクリームを使うようになったし、ちょっと思い切って色付きのそれを選んでみたりもした。
忙しい日常に一手間が増えることはあまり気にならなかった。
生活の一部にしてしまえば慣れるものだし、モチベーションもある。
地球生まれ平成育ち日本人男性の監督生に『男が化粧するなんて』という気持ちがないわけではない。
けれど人は環境に影響されるものだ。
男子校のクラスメイトが新作コスメの話をしている世界であれば心理的ハードルも下がるというもの。
フリルもレースもエペルの方がよっぽど似合うし。
「監督生、なんか最近……かわいくなったか?いや!前がかわいくなかったとかじゃないんだけど!」
「ふふー、分かる?デュース」
「オレも気づいてたし!リップとか色ついてるなって思ってたし!」
「エース、気づいてたなら言ってくれればよかったのに」
「や、だって……なんかあれじゃん……そういうのちょっと彼氏っぽいじゃん?」
「意味分からねーんだゾ」
「なんでそれだけでエースが彼氏になるんだ!?」
「うるせーな!彼氏になるとは言ってないだろ、ぽいってだけで!」
「何がぽいんだよ!」
「おめーらうるせーゾ!」
「やめてー、僕のために争わないでー、なんちゃって」
「!ご、ごめん監督生」
「……悪ぃ」
「これ効果あるんだ」
日々のケアを始めた監督生は、それに比例して告白される回数も増えた。
この様子ではちゃんとしたメイクなんか始めたら今とは比べ物にならないほどモテるに違いない。
ちゃんとしてなくてもちょっとまつげ増やすだけでいいかも。
ツイステッド・女性に優しい・ワンダーランドは告白を断っても逆上されることや逆恨みされるようなことはなく、最近なんかちょっと楽しくなってきている監督生である。
とはいえほとんどの生徒が惹かれているのは監督生本人ではなく『学園唯一の女子(男装(女装))』というステータスだろう。
何年かして男子校を卒業すればもっと美人な女性たちがいる社会に出ていくわけだし、NRC卒というのはそれだけでモテると聞く。
RSAほどではないらしいが。
そうなればちゃんとメイクしないと病人食のおかゆより薄い顔の監督生からは気持ちが離れるだろうし、それが分かっている相手とお遊びで付き合ってみるような精神はさすがにない。
「あ、いた。監督生サン」
「エペル!どうしたの?」
「これ前話してたやつ」
「わ!ほんとに集めてくれたんだ。ありがとう!」
監督生がエペルに手渡された紙袋はそこそこの重さがあった。
エースとデュース、グリムが興味深そうに覗き込んでくる。
「なーに監督生、それ」
「食いモンか?」
「違うよ。これは化粧品」
「化粧品?」
「監督生サンから相談を受けてね。メイクを始めてみたいけど金銭的な理由で難しいって」
「お恥ずかしい限りで」
「化粧品買う金もないの?」
「学園長に抗議しようか?」
「いや学園長は結構くれてる!と思う!貯金してるから初心者が色々集めて試してみるのにハードル高いだけで!」
「それで僕、寮でしまい込まれてるものがないか尋ねて集めたんだ。ポムフィオーレ寮の人って買ったはいいけど合わなくて一回しか使ってないような化粧品をタンスの肥やしにしてることが多いから」
「もったいねぇんだゾ」
「新品同然でも新品じゃないならマジカリに出すのもちょっとねー」
「監督生サンにあげるって言ったらみんな快く分けてくれたよ。おかしなものが混ざってないかはヴィルサンとルークサンが確認したから安心して」
「それでこの紙袋か」
「えー、言ってくれたらハーツラビュルでも集めたのに」
「メイクのことはポムフィオーレのエペルに相談した方がいいかなって思っただけだよ。これだけでかなり多いし……あれ、なんか本も入ってる?」
「その雑誌はヴィルサンが入れたやつ。初心者向けに分かりやすいメイクのやり方載ってるんだって」
「至れり尽くせりじゃん。お礼しなきゃ」
「実際にメイクして見せるだけで十分だと思うよ。読んでも分かんないとこがあったらいつでも聞きに来ていいって言ってた。僕も分かるところは教えられるし」
「ありがとう!」
「え、個人レッスンてやつ?……オレもメイクもっと勉強しようかな」
「エースも?じゃあ一緒に聞きに行く?」
「そういうことじゃ……あーでも二人きりは防げるのか」
「待ってくれ、だったら僕も行く」
「それはさすがにリドルサンのところに行けって言われる、かな」
「いや、あれだよ。ほら、リドル寮長は教科書通りの式典メイクしかできないだろ?監督生はオリエンタルな顔立ちだし普段メイクって言ったら寮長のメイクでは合わない可能性あるじゃん」
「エースとデュースだけリドルんとこ行けばいいんだゾ」
「今そーいう話してないでしょ!」
「多分ヴィルサンに追い返されると思うよ……気持ちは分かるけど」
「気持ち?」
「監督生は気にしなくていいぞ」
こうして監督生はケアに加えて簡単なメイクを始めた。
余談だが告白回数は増えた。
その頃から監督生はちょっとしたことで運が良くなった。
超絶ラッキーボーイ(ガール(ボーイ))になったわけではなく本当にちょっとしたことなのだが。
限定商品を残り数個で買えたとか廊下が濡れていることに滑る前に気づくとかいう程度である。
じゃんけんなども少し勝率が上がったのだが負ける時は負けるし、監督生本人も最近ちょっとだけ運いいなくらいの感覚しか持っていない。
これらちょっとした幸運はメイクを始めたのと無関係ではない。
ツイステッドワンダーランドの化粧品には『ちょっとした幸運のおまじない』がかけられているのが当然だからだ。
それで体感で分かるほどの幸運がもたらされることは普通ないのだが、魔力が完全にゼロで魔法耐性も一切の無である監督生にはレジストなし100%のおまじないがかかったというわけである。
自分で購入した化粧水などは低価格のものであったためおまじないも効果が出るほどのものではなかったのだが、ポムフィオーレ寮生たちから譲り受けた化粧品にはある程度ちゃんとした魔法がかけられていたのだ。
もちろんこんなこと監督生には知る由もないし、ヴィルやエペルも常識すぎてわざわざ監督生に伝えてはいなかった。
監督生から「最近異様に運がいいんだけど」とでも尋ねれば説明がもらえただろうが、そこまで疑問に思うほどの幸運でもなかったため知識が共有されなかったのだ。
化粧品にかける魔法というものは本当におまじない程度のものだ。
これは法律で込めてよい魔力の上限がはっきりと決められているためであり、化粧品にかけられた魔法によって重篤な呪いを受けた事件などの歴史的な失敗から学んだ結果でもある。
きちんとした法律が整備されるまでは、スポーツ選手が試合前に化粧することはドーピング扱いで禁止されている場合もあった。
現在の化粧品でそこそこ効果が出る監督生の方が特異なのである。
つまりこれらは制限のある魔法であるから複雑なものにはならない。
効果は主に2つ、基本中の基本である幸運のおまじないと、そして化粧品であるからして当然もう1つは──美しくなるおまじないである。
「あ、リドル先輩。こんにちは」
「わっ!……こんにちは、監督生。キミ一人かい?」
「そうですが?」
「キミもじょ、人間だから一人になりたい時もあるだろうが校内ではせめてグリムと一緒に行動しなさい」
「最近は難癖つけてくる人ほとんどいなくなりましたよ」
「そうだろうね。いやそうだとしてもだよ」
「?」
「いたいた、レオナ先輩」
「ラギーが探してたんだゾ」
「……わざわざ草食動物を寄越しやがって……」
「あ、起きてたんですね」
「さっきまでは寝てた」
「植物園はぽかぽかしてるから眠くなるのは分かるんだゾ」
「近い方から探しに来てよかったね。いなかったらサバナクローに行かなきゃだった」
「お前らだけでサバナクローに来る気でいたのか?」
「そうですけど?」
「……いつもつるんでる二人がいねぇならジャックに声かけてからにしろ」
「?」
「アズール先輩、お話があるんですけど」
「なーに小エビちゃん、二人きりじゃないといけない話?」
「そういうわけでは……ただあんまり他の人に聞かれない方がいいかなとは思います」
「では僕らも同席します。いいですよねアズール?」
「構いませんが。なんです?」
「僕のバイト代の特別手当の話で」
「特別手当なんて出してたのぉ?」
「優秀なスタッフには個別に出しています。お前たちにも業績に合わせて出しているはずですが」
「そうですね。監督生さんが一人だけえこひいきされているわけではないので気にしなくていいですよ」
「いえ、特別手当に関しては以前説明を受けたんですけど。なんか前より金額上がっててなんでかなと」
「あなたの出勤日には売上が伸びます。その伸び率が以前より上がったため手当の額も上げました」
「あ~なるほどねぇ」
「妥当ですね」
「?」
「監督生、もう着替えは済んだか?」
「あ、はい。あとアクセサリーだけみたいです。でもジャミル先輩、僕だけこんな別室でよかったんですか?」
「何を言う、当たり前だろう。熱砂の衣装を着て絹の街を楽しんでもらおうというのに君を男どもと一緒にしたらアジーム家のメンツに関わる」
「や、でもこの……なんて言うんですか?衣装の下の、下着の上のやつまでは自分一人で着替えさせてもらえたし」
「ガラベイヤだ。本来なら下着の着替えまで召使いに任せるものだし、カリムもこちらの伝統的なものを用意させようとしていたが……他人に着替えさせることに慣れていない君は自分で着替えたがるだろうと思ってな」
「ジャミル先輩……!」
「俺はカリムと違って気の利く男だからな。カリムと違って」
「着替え終わりました~」
「っ!……とても綺麗だ」
「へへ、お世辞でも嬉しいですね」
「お世辞ではない」
「またまた~」
「君は……はぁ、そういう態度だから助かっている部分もあるんだがな」
「?」
「ヴィル先輩!この前教えてもらったチークいい感じです、顔色明るくなったってよく言われます」
「そう、よかったわ。……一応先に言っておくわね」
「なんですか?」
「アタシはこういう喋り方をしたくてしてるけど女性になりたいわけじゃないのよ。性自認は男」
「はあ……?」
「分かってないって顔ね。まあいいわ、今はただ覚えておいて」
「?」
「あっ、監督生さん!こんにちは!」
「オルトくんこんにちは~!イデア先輩も」
「ア、ド、ドモ……」
「イデア先輩がこんな時間に校舎の方にいるの珍しいですね。まだ部活やってる生徒いっぱい残ってますよ」
「ア、エト……」
「自分で話さなきゃだめだよ兄さん。心配だからついてきたけど会話くらいはしなきゃ」
「ヒェ……弟が厳しい……エート読んでる漫画の新刊が発売日なんだけど通販で頼むより購買のが早いからいつも購買で買ってたんだけど今日に限ってミステリードリンクの新フレーバー発売と被って朝一ではちょっと行けなくて今向かってるだけですハイ」
「イデア先輩、漫画読むんですか?」
「イイイ陰キャで悪うござんしたね」
「僕にもこっちの世界の面白い漫画教えてもらえませんか!?飢えてるんです!」
「エッ」
「監督生さんも漫画が好きなの?」
「もちろん!というか僕の国では中高生、えっとティーンの学生の娯楽って言ったら漫画か動画かゲームですよ。スポーツ頑張ってるようなタイプでも話題作のゲームはするし、僕くらいの年代になると親がアニメ見るから一緒に見るって感じです」
「オタクの国!?」
「ワハハ。オタクの国です。僕の世界ではオタクって単語は祖国発祥で全世界に広まってます」
「ヤバ、カースト最上位の監督生氏に一気に親近感が」
「学校カースト最上位になったことは人生で一度もないですね。それでエースとかに面白い漫画あったら貸してって言ったら雑誌しか読んでないって言われて」
「陽キャはそうだろね」
「それでちょっとつまらなく思ってたんです。自分で買おうにもこっちの漫画全然知らないから面白いやつ分からないし、手当たり次第買えるほど余裕ないし」
「な、なるほど」
「だったら兄さんに聞くといいよ!兄さんは漫画に詳しい上に批評までしてるんだ」
「批評?」
「オオオオルトちょっと待ってそれは」
「絵はよかったけどストーリーは全然だめみたいなこと掲示板に書き込むとかですか?」
「通じる……だと……」
「今度面白いやつ教えてください!コアなファンがついてるオタク向けのちょっと難解なやつじゃなくて、片手間に読みやすい娯楽作品がいいです」
「て、的確な注文をしてきおった……紹介するのはいいけどやり取りはオルトを介すからね。君に自覚がなくても学園一の有名人なのは間違いないんだから」
「任せてよ!」
「有名なのは自覚してますよ」
「いーや分かってないね」
「?」
「して監督生よ、おぬし好きな子はおるのか?」
「おや、リリア先輩!?」
「何をお尋ねにリリア様!?」
「いーじゃろ、減るもんじゃなし。マレウスだって気になるじゃろ?ディアソムニアの茶会に招待するくらいなんじゃから」
「……気にならないと言えば嘘になるが、こういった話題はヒトの子にとっては繊細と聞く。ヒトの子が不快ならば中断すべきだ」
「さすが若様!」
「いいよいいよ、恋バナってやつでしょ?僕の好きな子は……」
「ゴクリ……」
「いません!」
「なーんじゃ!つまらんのう!」
「いないのか、そうか」
「ツノ太郎って笑うと魔王み増して面白いよね」
「人間!!!」
「好きな子はいないけど……」
「!?」
「ゴクリ……」
「好きなタイプはいます」
「えーっ!どんな子じゃ!?」
「内緒~」
「小悪魔じゃのー!ヒントだけでももらえんか?」
「だめでーす」
「子分それ食わねぇならくれ」
「いいよ、はんぶんこしよ」
「口に合わんかったか?やっぱり既製品ではなくわしが手作りしておれば」
「いえ!おいしかったです!ヴィル先輩に言われて甘いもの控えめにしてるので!!」
「そうかの?」
「そうです!既製品の方が何かと……あの、成分とか把握しやすいので!美容のために!ね!」
「オレ様コイバナにも美容にも興味ねーけどうまいものがいいんだゾ」
「仕方ないのう、監督生が来る時はお茶菓子は既製品にするか!」
「人間、次も招かれてくれ……!」
「もちろんだよセベク……!」
「そうだな、この僕に招かれないなら招けばいいなどと提言したのだ。その張本人が招かれぬのは道理が通らない」
「むつかしく言わなくてもおいでって言われたら来るよ」
「あれは照れ隠しじゃ。カッコつけとるんじゃ」
「リリア」
「?」
「ふわーあ……おはようなんだゾ、子分」
「おはようグリム!見て見て、今日ちょっとうまくできた!かわいい?」
「オレ様ヒトの顔のことよく分かんねぇんだゾ……」
「匂いは?きつくない?」
「んー、別にあんまり」
「よかった。僕がかわいくなるからってグリムに嫌な思いさせたくないもんね。僕も大人っぽくてセクシーな香りより自然で健康的なのの方が好みだし。それにしても……」
「まーた鏡見てんだゾ」
「この子ほんとにタイプなんだよ。理想の美少女。最近真面目にかわいくなってる気がするし。唯一にして最大の欠点が僕自身であることなんだけど」
「子分にコイしちゃってるやつら、早く目を覚ました方がいいんだゾ……」
おわり