ちょぎさにSS「どこも変じゃないかな?」
「はい。とてもよく似合ってますよ」
そわそわと落ち着かない胸の内。それを引き締めるかのようにきゅっと帯締めが締められると目の前の籠手切江が顔を上げて私に笑顔を見せた。彼がすっと横へ避ければ手前の姿見には、紺青色に桔梗の花があしらわれた浴衣姿の自分が立っている。
私はこれから恋刀の山姥切長義と夏祭りに出掛けるのだが、実は今までその様な夏の催し物へは行ったことがない。つまり今回が初めてと言って良く、最初の思い出になるであろうことを思えば気合いを入れたいと、今は浴衣を着るべく支度中だ。白郡色の帯ですっきりと納めた全体像を確認するかのように少し肩を左右に揺らして不自然なところがないか探し、側に控えた籠手切にも確認をする。帯締めは彼にお願いしたので申し分ないが、浴衣を羽織り整える部分は自分がしている為上手く着ることが出来ているか不安だった。それでも彼が強く頷き爽やかな笑みを返してくれるので私は一先ずの安堵が出来る。
「この簪を挿して……出来上がりました。さあ、鏡を」
「凄い!ありがとうございます、古今さん」
「いいえ。この程度でしたらいくらでも」
ふわり背後で私の髪の毛に触っていた古今伝授太刀が両肩を優しく叩いた。先程あまり動かなかったのは彼がずっと後ろで髪の毛を整えてくれていたからだ。言われるまま後ろへ振り向くようにして鏡を見ると、横から流した髪は三つ編まれて後へ回り、あらかじめ団子状にまとめ上げられていた髪を囲うようにして綺麗に回し結い止められていた。まとめ上げられた髪には横からすっと、一本の簪が通っており、動く度にきらきらと光を反射して輝いている。簪は金縁に白銀の華々が付いたシンプルなデザインで、帯の色味に合って全体にアクセントが利いていると古今が選んでくれていた物。それを挿しただけでこんなにもまとまり良く浴衣に合う髪型になるとは。見違えた自分の姿に感激の声を上げずにはいられない。気合いを入れるからにはそれ相応の準備が必要だと彼の二振に手伝いをお願いしたのは本当に大正解だったと心から思う。彼らの手際のお陰で約束の時間にも余裕すら出来ているのだから。
「篭手切君も着付け手伝ってくれてありがとう!」
「いえ!こんなにお綺麗になられたら長義さん、きっと驚かれますよ。ねえ?古今さん」
「ええ、勿論。あとは私達に任せて夏祭り、楽しんできてくださいね」
二振にこの上ない感謝を述べると古今と籠手切は顔を見合わせてにこやかに笑む。彼らの言葉に普段はどちらかと言うと自分に自信がない私も、今日は胸を張れる気がした。二振の後押しを受け覚悟を決めれば背筋を伸ばし、小物を入れた布巾着を提げると姿見で装いの最終確認をし、鏡の自分に頷く。
「行ってきます!」
その場で見送りをしてくれる二振に笑顔でそう言って私は部屋を出た。
「わあ!主さん素敵!」
「とっても似合っています!」
「主さん、こっちへ来て写真撮りましょうよ!」
道中居合わせた刀剣達からは次々に称賛の声をもらい自信も更に湧いてくるものだ。皆一様に主をおだてるのが上手いものだが流石に絶賛の嵐では恥かしくて私はそそくさとその場を去る。何より今は早く、長義に会いたかった。早くこの姿を彼に見てもらいたかったからだ。
「長義君!」
「主……!」
玄関を出ると門の前には既に長義の姿が見えて私は彼の元へと急ぐ。走り寄りながら私が声をかけると気付いた彼はこちらを向いたが少し驚いた顔をして固まっていた。
「待たせてごめんね。皆が写真を撮って行けってとにかく引き留められて…」
「……」
「長義君?」
「!何でも……いや、」
息を整え私が言うも彼はしばらくこちらを見たまま無言だった。どうかしたのかと首を傾げれば彼は我に返ったように目を瞬かせてから反応を示しつつ、何故だか言葉を言い淀ませている。顔は心なしか頬が赤いような気がした。
「浴衣、似合ってる。綺麗だ……」
「!!あ……ありがとう。長義君だって…」
「俺のはもう見慣れたものだろう?」
「そんなことないです!軽装で一緒にお出かけすること無かったもの」
しみじみと湯に浸してあたためたかのようにほっと出た彼の褒め言葉に、今度は私の顔が赤くなる番だった。何を期待していた訳でもないが彼から伝えられる称揚の言葉が一番嬉しかった。照れながらも同じように言葉返せば彼は何とはないと微笑する。この日に私が指定していた通り彼も軽装の着物を召してくれており、勿論似合っていないわけがない。彼は謙遜をするが今日は揃っての和装だということが何より特別感があり、彼の姿も人一倍素敵に見えているのだから何とも無いわけがないと私は強く主張した。
「和装の揃いでお出かけ出来て嬉しい」
「貴女が望むのならいくらでも揃えて出かけるよ」
はしゃぎたくなる思いが溢れ出そうで身体がうずうずとしている私に彼は慈しむ眼差しを見せながら私の腰に腕を回して引き寄せると、そのまま顔を近づけ前髪の辺りへ軽く口付ける。まだ本丸の誰が見ているとも分からない場所でなんてことを!そんな面持ちで可笑しな声が出そうになったのを我慢したが、高鳴る胸が爆発してしまうのではないかというくらいどきどきする。今日の彼はいつもより声音と態度が甘い気がして始まる前から脳がくらくらしていけない。
「ちょ、長義君お祭り!早く行こう?」
「そうだね。行こうか」
慌てて私は彼の袖を引き声を上げた。そんなこちらの様子を眺めてはくすりと笑って頷く彼は私へ腕を差し出す。それに自分の腕を絡め私達は早速門の外へと出た。
***
「直接ゲートが繋げられないから少し遠回りになってしまったな」
「もう人居ますね。皆お祭りに向かうんだ」
本城の門から出てすぐ森を抜け出た私達が辿り着いたのは目的の夏祭りがある神社から徒歩で10分程歩く田舎道。殆ど街灯などは無い道だが、今夜は道脇に立つ電柱の合間を提灯の灯りが照らし連なって導いてくれていた。道中は既に人が多く、我々のように浴衣や着物でいる人や近所からやって来たのかラフな格好をした家族連れまで、様々な人々が皆同じ方向へと歩みを進めていた。
人の流れに乗り歩むなか、私達は今ただの恋人同士に見えているのだろうと思うと無性に顔が緩んで仕方がなかった。今は戦争のしがらみも本城の主としての顔も忘れ一人の恋する女性として好きな人と過ごせていることがじわじわ嬉しさに変わってくれば、柄にもなく彼に甘えたくなって身体を彼の方へ寄せてみる。
「どうかしたのかな?」
「ううん、何でもない」
ちらと彼の顔を覗き見れば思った通りの甘やかな表情。気を許していても尚彼の相貌は洗練され美しい。見とれているとどんどん彼の優しさに侵され私は簡単に沈みこんでしまいそうになる。むしろ彼にだったら沈んでしまいたい、なんて。そこまで考えて私は正気を取り戻す。祭りへ着く前にそれでは元も子もない。夢見心地を惜しみつつ顔を引き締め直し、私は聴こえてきた祭囃子に気をそらせるのだった。
暫くして目的の神社の鳥居前へとやってくると提灯の灯りも煌々として明るく祭囃子も胸に響く程側に聴こえて来ていた。逸る気持ちを抑え私達は石段を登る。足元に注意しながら登った先にあったのは参道の両脇を埋め尽くす沢山の出店とそれらを待っている人々。そして道を埋め尽くさんばかりに行き交う人々の波だった。
「わあ凄い人!」
「主、はぐれないようにもっと俺の側に来て」
「は、はい!」
思った以上の人混みに圧倒されていると彼が私の巾着を受け取り腰に腕を回しながら外側の手を掴んで引き寄せる。それにまた胸を高鳴らせていると丁度反対側を人がぞろぞろと向かいからすれ違い、提げていたであろうバッグなどがすれすれで通り抜けていった。彼はちゃんと周りを見て気を付けてくれているのだ。それだけのことにも胸がときめいてしまう。そんな風に惚けていると内側の手をぎゅっと捕まれ指先を絡められた。
「端から順番に見ていこうか」
「はい!」
少し声を張った彼の言葉に頷いて、私達は人混みの中をゆっくりと進んで行く。出店は様々な物が出ていたがやはり気になってしまうのは先程から辺りに漂う甘くて良い香りを放つ食べ物の店だ。ライトアップでてらてらと光る林檎飴やカラースプレーが魅力的なチョコバナナは定番として他にも珍しそうな物がずらりと並んでいる。
「わあ~林檎飴、チョコバナナ…ベビーカステラは短刀達のお土産にもなりそう!」
「ふふ、全部選んでも構わないよ?」
「あ、今こいつ食いしん坊だなって思いました?」
「いいや、俺は――」
「?ごめんなさい聴こえなくて…」
私が色々と目移りしているのを端で見ている彼がくすくす笑っているのに恥ずかしくなった私が唇を尖らせると彼は首を横に振り何か喋った。しかし周囲の音が大きく聞き取れない。私が耳を彼へ寄せるとそっと彼が私の耳元で囁く。
「可愛い、って思っただけだよ」
「ちょ…!」
「ほら、手を離さない」
思わず耳を手で覆ってしまう程の美声。別に耳打ちしなくても良いのではないか。さてはわざとだろう、と私が彼を咎める目で見るも彼はそ知らぬ振りで再び私の手を取る。
そんな他愛ないやり取りをしながら私達は一通りの店を回った。金魚救いが思いの外上手く行かないことに彼が眉をひそませたり、かといえば射的は上手すぎて景品を総なめにしかけたりしながら祭りを楽しみ、景品や土産用の食べ物たちを大きな紙袋に詰め込んで携え、最終的に人気の無い境内の端で私達は休むことにした。
「長義君、林檎飴」
「ん……甘いな」
差し出した食べ差しの林檎飴をなんの抵抗もなく彼が頬張るのは珍しいだろうか。だが彼は二人きりの時やや粗雑な姿も良く見せてくれるのだ。そんなところも愛おしい。ぱりぱりと飴が軽く砕かれる音としゃりしゃりとしたリンゴの小気味良い咀嚼音。その合間はらりと落ちる前髪を耳に掛ける繊細な仕草と豪快に飴を頬張る彼の姿に目が離せない。
「そんなに見つめられると食べにくい、かな」
「うっ…だって……長義君が格好良いから…」
「貴女って人は…」
私を茶化すように微笑した彼に私は狼狽える。意図せず彼を凝視していたようだ。飴越しに彼の透き通った蒼眼と合致して顔が心地好く熱をもつ。どんな角度も姿も様になる彼を好きな私にとってはまさに僥倖な時間。決して見逃したくないと私は彼の言葉に思うまま返事をしていた。すると彼はほんの僅かに一驚してからはあ、とため息吐き上唇をぺろりと舌で舐める。ああ、なんて優艶な仕草。そんな風に思いながら密かに喉を鳴らして見詰めていると、彼の顔が近づいて視界が暗くなった。
声を上げる間もなく咥内に広がる甘い飴の味。口づけられたと気付くのもゆったりと思考していたせいか反応が遅れる。此処が屋外だとか境内は人が少なかったけれど人が居ないわけではないのにだとか、ぼんやりと頭では考えていたが、押し付けられる柔い感触を私の身体はそのまま黙って受け入れた。
「ン…長義く……」
「俺をその気にさせる貴女がいけない」
息次ぐ合間ひそやかに彼の名を呼べば鼻先を掠める距離で低く熱っぽい声が私の身体を震わせる。そうして私を捕らえた彼は林檎飴を持つ私の手を上から包むように掴んで引き寄せて、もう片方を私の顎に添え上向かせると顔の角度を変え再びゆっくりと口づけを深めた。
決して遠くない祭囃子が蕩けた脳内で響く。それが胸の高鳴りをかき消して妙に穏やかな心持ちにさせてくれるせいか、単に彼の口づけが上手いせいか、どちらにせよ気持ちが良くて私はうっとりと目を閉じてしまう。時が止まっているような感覚さえ覚えるこれは非常に優美な悦楽。このまま全て彼に委ねそうになった私が何の抵抗もなく受け入れていると、彼がぐっとこちらへ体重をかける様に迫る。押し付けられた唇の間から舌が私のそれを舐めたのを感じて栗立つ背筋に目を開くと、いつの間にか添えられていた彼の手は私のうなじをなぞりながら後頭部を抱え頭ごと強く引き寄せ、口付けは互いの唾液を混ぜ合わせる程濃いものになってきていた。私はそこで酔いから目を覚ますかのように彼から離れる。これ以上は、いけない。
「もうっ、だめだよ」
「……仕方ないな」
ふわふわするふやけた脳を冷ます為夜の涼しい空気を深呼吸して肺に取り入れてから彼の胸を押す。彼はしばし惚けたしかし色気ある顔でじっとこちらを見つめていたが、やがてしぶしぶ返事して私から林檎飴を取り上げると大きく頬張った。
それからは二人でぽつりぽつりと遠くから見える屋台の催しをする人々について話したり、ただ祭囃子を聴いているだけでぼうっと提灯の灯りを眺めたりして過ごしていた。そうして幾分かの時を過ごしていると、祭りの終了アナウンスが放送される。あんなに人が多かった参道もいつの間にか人はまばら。林檎飴は綺麗に食べ終わってしまった。けれど私達は分かっていながらどちらもその場を動こうとしない。夏の終わりの名残惜しさはこういうものなのかと実感するとどうにもその場を離れがたかった。
「今日は一緒に来てくれてありがとう」
「こちらこそ。誘ってくれて嬉しかったよ」
「来年も来れるかな?」
「貴女が望むなら…必ず来よう」
少しの郷愁を胸に秘めながらありったけの感謝を込めた笑顔を浮かべて彼を見る。彼もまた穏やかにふんわりと笑みを返してくれたのが嬉しくてそっと彼の肩に寄り添うよう頭を寄せた。
「ねえ、長義くん」
「うん?」
「もう少しだけ此処に居ても良い?」
「ああ、構わない」
凪いだ後の祭りの風景は夢の終わりのようで寂しかったが、隣にあるぬくもりと香りにまた明日も出会えるのだと思えば悪くない。そう思いながら消えていく灯りを私達はいつまでも眺めていた。