At a coffee shop
昼下がりのショッピングモールはほどほどの賑わいを見せていた。人をかき分けなければいけないという混雑ではないが、油断して歩くと人とぶつかりそうな具合の人出だった。マイクは荷物の詰まった紙袋を抱え直し、周囲に視線を巡らせた。彼が現役時代であったころのような警戒は必要ないとは思うが、マイクにとって、これは癖のようなものだった。ざっと見たところ、危険になりそうなものはない。だが、大荷物を抱えた状況は警護上良いとは言えない。まだ必要な物があるのならば、一度荷物をおきに車へ戻るべきか。マイクはそこまで考えて、今は警護に来ているわけではなかったと思い出した。彼の新居に必要な物をそろえるために、友人として付き合っているのだ。一度染みついた習性はなかなか抜けないものだ。マイクは小さく息を吐いて頭を振り、友人の姿を探す。少し離れた店の前に、伸びかけの柔らかな金髪が見えた。マイクはそっと彼の元へと近づく。普段ならば、ある程度の距離まで行けば気が付くものなのだが、彼がマイクの接近に気付いた様子は見えない。マイクが足を止めて彼を観察してみると、何かを熱心に見つめているようだ。黒縁眼鏡の奥の澄んだ青い瞳が向けられている方へ、マイクも視線を向けた。そこには、セイレーンのロゴマークでおなじみの、コーヒーチェーン店があった。店の外にある小さな宣伝の看板には、見るからに彼の好きそうな、甘そうなメニューが紹介されていた。マイクは苦笑を浮かべ、彼の傍らへと足を進める。横に立ったマイクの気配に気付いたのか、彼が振り向き、マイクを見上げて柔らかい笑みを見せた。
「すごい荷物だね、マイク。」
「全部頼まれた品なんですがね、ベン。」
「家に足らなさそうな物って頼んだだけじゃないか。」
「雑な依頼にもほどがある。」
マイクが嘆きの声を上げると、ベンが朗らかな笑い声をあげた。彼の屈託のない笑い声に、マイクも笑みを浮かべる。
彼、ベンジャミン・アッシャーは、先代大統領だ。元大統領ともあろう者が、平日の昼日中に護衛らしい護衛もつけず、誰の気にも留められることなく、ショッピングモールをぶらついているのは、彼が表向きには死んだことになっているためだ。合衆国の安定を考え、退任後に表舞台で活躍する機会を犠牲にして、自らを亡き者にしたのだ。その中には、友人であるマイクの身の安全のため、というのも含まれているとベンは言っていた。国を愛する者の一人として、国に貢献するに違いないであろう人を奪ってしまったことに多少負い目を感じないでもない。だが、ベンの友人としては、彼がこうして自由に振る舞えるようになったわけだから、これで良かったのだと思う。
感慨深く肯くマイクを、ベンが不思議そうに見上げる。マイクは何でもないと首を振り、ベンが見つめていたコーヒーショップへ目を向ける。
「買い出しは終わったし、ちょっと寄っていくか?」
ベンが嬉しそうな笑顔を見せた、が、次の瞬間にはやや曇った。行きたいのだろうと思ったのだが、違うのだろうか。
「さっきからずっと見ていただろ。行きたいのかと思ったんだが。」
「行きたいのはやまやまなんだけど……」
怪訝な顔をするマイクから、ベンがばつが悪そうに目をそらした。マイクがのぞき込むと、ベンはさらに視線から逃れようと顔をそらす。
「ほら、看板に出てるゴールデンメープルフラペチーノとか、気になってるんじゃないのか?」
「うぅ……」
ベンが呻いて耳を押さえる。なんなんだこの反応は。ベンの様子を観察していると、行きたいというのは間違いなさそうだし、マイクが言った品物が気になっているのも間違いないだろう。それなのに、聞きたくないとばかりに耳をふさいでいるのはどういうことか。
「ベン、間違っていたら悪いんだが、もしかして、あの店での注文の仕方がわからない、とか?」
マイクの質問に、ベンからは沈黙しか返ってこない。勘違いだったろうか、他の可能性を考えようとしていると、恥ずかしそうに頬を染めたベンが、わずかに首を縦に動かした。
「――マジか。」
そんなことはないだろうと思って聞いたのだが、まさか図星だったとは。マイクが思わず驚きの声を零すと、口をへの字に曲げたベンがマイクを見上げた。
「あの手の店に入って自分で注文したの、何年前だと思ってるんだ。」
ベンが恥ずかしそうに言う。大統領をしていた8年間は行く機会がないだろうし、その前の大統領選やら、議員時代やらを考えると、相当長いこと行けてはいないだろう。それなら、注文の仕方が分からなくても不思議ではない。マイクは財務省での内勤の時などに世話になったし、休日に家族で立ち寄ったりするから、慣れたものなのだが。
「そういうわけだから、別に行かなくても……」
「いや、せっかくだから行こう。俺となら気楽だろ。」
「でも混んでるし……」
「いつもあんなもんだよ。今回は俺がベンの分も頼むから、横で見て覚えればいいだろ。」
せっかくの自由な身なのだから、我慢することはないし、自分でできることが多い方がベンも楽しいだろう。そう思って提案したのだが、ベンはまだ渋っている。マイクは溜息を吐く。こうなったら強硬手段だ。すたすたと一直線にコーヒーショップへ向けて歩き出す。
「あ、マイク!」
「俺が飲みたいから行くんです。ベンはいらないんだったら別に良いですけど?」
「あーもう、わかったよ!」
観念した様子でベンがついてきた。いつも振り回される側なので、振り回すのも悪くない。
店内に入ると、注文を待つ人が数名並んでいたが、満席というほどではない。少し休憩していくのにちょうど良さそうだ。二人で並んで待っていると、店員がメニューを渡してくれた。
「ベンは何にする?」
「マイクは?」
「俺はラテでいいかな。」
「そうかあ。」
ベンは恐る恐る横からメニューを覗き込んでいる。そして、諦めたように首を横に振った。
「んー……マイクに任せるよ。」
信頼してくれるのは嬉しいが、ここまで頼られるとどうしてくれようかと、ちょっとした悪戯心が芽生える。
「……良いんだな?」
「? うん、いいよ?」
マイクを見上げたベンが、眉を顰めた。
「マイク、なんか悪い顔してない?」
「そんなことないですよ?」
澄ました顔を作って誤魔化しておく。ベンが疑わしいと言いたげな半眼を向けてくるが、気にしないでおく。そうこうしているうちに、マイクたちの注文の順番が来た。
「えーっと、じゃあ、カフェラテトールをアイスで、エスプレッソ追加で一つ。」
「かしこまりました。」
「あと、キャラメルフラペチーノのトールに、豆乳に変更して、コーヒー少な目、ホイップクリーム抜き、キャラメルシロップも抜いて、氷増しで一つ。」
「……お客さま、本当にそれでよろしいのですか?」
ややこしいことこの上ない注文を聞いていた店員がひきつった表情を浮かべた。ベンは異国の呪文でも聞いているような顔をしていて、何を頼まれたのかわかっていないだろう。マイクは澄ました顔で肯く。
「ああ、いいよな、ベン?」
「え、うん、それで良いよ。」
「そ、そうですか。しばらくお待ちください。」
注文した人が良いというなら深くは問うまいと店員が営業スマイルを見せた。店員の鑑である。会計を済ませて受け取りカウンターへ移動する。
「マイクはすごいなあ、よくあんな注文できるね。」
店員が見せたひきつった顔には気が付いていないようで、ベンがのんびりとした笑顔で言う。少し罪悪感を覚えるが、ベンの自立のためだということにしておこう。決して自分の楽しみのためではない、多分。
適当に生返事をしていると、注文していたものが出てきた。ベンの分をそっと差し出す。ありがとう、と屈託なく受け取るベンを見ていると、だんだん申し訳ない気分になってきた。ベンから目を逸らして、カフェラテを口に運ぶ。いつもより苦く感じるのは気のせいだ。
「……マイク、これなに?」
飲み物を口にしたベンが、微妙な表情を浮かべてマイクを見ていた。
「さっき注文したろ、キャラメルフラペチーノの、ミルクを豆乳に変更して、コーヒー少な目、ホイップクリーム抜き、キャラメルシロップも抜いて、氷増し。」
淡々と先程の注文を繰り返す。聞いていたベンが少し考え込み、手にした飲み物の蓋をあけて中身を確認する。
「……つまりこれは……」
「限りなく薄いアイスソイラテ。」
「キャラメルフラペチーノ……」
しょんぼりとした呟きが聞こえる。さすがにちょっと悪かったかなという気分になってきた。だが、買い出しの品物を丸投げされて多少仕返ししたいという気持ちがなかったわけではないのだ。
「ベン、あんまり人に任せっぱなしにしてちゃダメだぞ?」
「……うん、よくわかったよ……。」
マイクのばか、と呟く声がしていたが、マイクは聞かなかったことにした。