近く、遠く※サリアマ
※殺意ゼロのサリエリ
※サリエリが疲れたアマデウスを労わる話
「今日はホントごめん!皆ありがとう!」
マスターが両手を合わせて縮こまる。どうしても必要な素材があったそうで、本日のレイシフトは延々と同じ敵を狩り続ける作業と化した。それはもう延々と。どうにか素材を手に入れ帰還したころには、全員げんなりとした顔になっていた。
ぺこぺこと頭を下げるマスターと同行したサーヴァント達を労い、疲れた身体を休めに自室へ戻る。
今日は何度指揮棒を振るったことか。肉体ではなく精神的なものなのだろうが、腕に重たい疲労感があった。自室への道すがら、手首を掴んでぐにぐにと揉んでみる。少し疲労が散ったように感じた。
「どうかしたのか」
耳慣れた声に振り向けば、こちらに足早に近付いてくるサリエリの姿があった。腕を揉むアマデウスの姿を見て眉をしかめている。
「まさか、手を痛めたのか」
「痛めたわけじゃないよ。ちょっと疲れてさ」
かくかくしかじか。事情を軽く説明すれば、サリエリは指先を口元に当てて何か思案を始めた。
「部屋に戻るのか?」
「ああ、今日はもう予定もないから。一眠りするよ」
「そうか。……後で訪ねるが、寝ていて構わんぞ」
「うん?」
言って、サリエリはどこかへ歩き去ってしまう。意図の掴めない言葉に首を傾げるが、わからないことを考えていても仕方がない。少なくとも妙なトラブルを持ち込んできたりはしないだろう、と結論付けて、欠伸を噛み殺しながら自室へ向かった。
サリエリがやって来たのは、ラフな服装に着替えてベッドに潜り込んだ頃だった。手に小瓶を握っている。
「やあ、いらっしゃい」
「……起こしたか」
「いいや。今寝るところだったよ」
身を起こそうとするとサリエリに制される。
「そのまま寝ていろ」
大人しく、持ち上げた頭を枕に戻す。
サリエリは手近な椅子を運んでベッドの脇に座った。
「手を」
腕を差し出すと、手袋を外した手のひらがアマデウスの手をくるむ。壊れ物を扱うような手つきに喉の奥で苦笑いした。
小瓶の蓋が開かれ、とろりとした液体がアマデウスの腕に落ちる。爽やかな柑橘の香りが鼻先を掠めた。
「あ、レモンだ」
ここまでくればサリエリが何をするつもりなのかわかる。小瓶の中身はマッサージ用オイルの類だろう。オイルを塗り広げると、サリエリの指がアマデウスの指をそっと、慎重すぎるほどにそっと揉む。
「痛くはないか」
「大丈夫。もっと強くてもいいよ」
「む……」
ほんの少しだけ指先の力が増す。
「あー、いい感じ。そのくらいで頼むぜ」
へらりと笑って見せると、サリエリは視線を手元に落として本格的にマッサージに集中し始める。
熱心にアマデウスの腕に触れるサリエリを眺め、ここまでしてくれなくていいのに、と思う。確かに演奏家にとって腕は命だ。けれどこの身はサーヴァントであり、魔力の供給さえあればどんな傷も疲労も回復する。
彼が自分の音楽を愛してくれているのは嬉しいことだが、こんなに過保護にされるとどうしていいかわからない。拒否しようとしてもサリエリの押しの強さにアマデウスが根負けするのが常だった。だから、多少のことはサリエリの好きにさせると決めたのだ。
生前のサリエリも根気があり粘り強い男だったが、灰色の男と混ざってからは有無を言わさぬ強引さも獲得しているようだった。生前はアマデウスが振り回す側だったのに、ここに召喚されてからは逆転しているような気さえする。
「ん……」
親指の付け根をぐっと押されて声が出た。痛みではなく、疲労の塊をほぐされた心地よさからだ。
頭の中ではぐるぐると思考が渦巻いていたが、身体は丁寧にほぐされてすっかり脱力している。指の一本一本を付け根から爪の先まで優しく揉まれて、瞼の重くならない者がいるだろうか。
「うあー……効く……」
くっとサリエリが笑うのがわかった。
施術は手のひらに移る。オイルの滑りを借りて、凝りを押し流すように指が動いた。
「どこで覚えたんだよ、こんなの」
「ああ、カルデアの職員に。詳しい者がいてな」
「ふうん」
わざわざ学んだのか。僕のために。
思わず眉根を寄せると、サリエリが顔を覗き込む。
「痛むか」
「ああ、いや……平気」
訝しげな表情のままサリエリは施術を再開する。力加減を少し弱めて。信用ないなぁ、と心の中でぼやいた。
ずっと揉みほぐされていた手は温かい。筋肉がほぐれて血の流れが活発になったのもあるが、サリエリの体温が移ったことも原因だ。
他人の体温は心地いい。マッサージの快楽も相俟って、本格的な眠気がやってくる。
「サリエリぃ。このまま全身よろしくぅ」
「調子に乗るな、腕だけだ」
欠伸交じりの冗談をぴしゃりと切り捨てられる。
指を組んだ形に手を繋がれる。俗に言う恋人繋ぎというやつだ。ぴったり合わさった手のひらの熱さに、何故か安堵のような気持ちを抱いた。手を繋いだままゆるゆると手首を回される。ゆったりとした刺激に、とうとう瞼が完全に落ちた。
「ごめん、寝る……」
「ああ」
サリエリが頷く気配があった。
「……おまえは」
眠りに落ちていく中で、微かな声を拾う。甘さと苦さの入り混じった、か細い声だった。
「おまえはそうして、呑気な間抜け面をしていればいい」
随分な言葉だ。けれど腹は立たない。
ベッドに沈むアマデウスと、寄り添うサリエリ。ずっと昔にそんな光景があった。
世界の終わりでもやって来たかのような彼の声を、今も覚えている。
ごめん、と再び呟いた言葉は果たして声になったのか。それを確かめられないまま、アマデウスの意識は沈んでいった。
目が覚めたとき、サリエリの姿はなかった。レモンの残り香だけがうっすらと漂っている。
両腕は肩に至るまですっきりと軽い。アマデウスが寝入った後もしっかりマッサージを続けてくれたようだ。
「律儀な奴だなぁ。うん、今度何か弾いてやろっと」
時刻はちょうどおやつ時だ。食堂に行けば、料理好きの誰かが間食を用意してくれているだろう。
食堂に向かうことに決め、いつもの服を纏って部屋を出る。
あるいは、食堂には嬉しそうに菓子をつついているサリエリの姿もあるかもしれない。無表情で黙々と食べているが、発する音は喜びに弾んでいるのをアマデウスは知っている。
「――ああ、うん。そうだな、確かにそうだ」
あのとき聴いた、痛みに満ちた声よりも。
「僕も、そっちのほうがずっといい」
食堂の扉をくぐる。甘い香りと同時に弾んだ音が耳に入って、アマデウスはちいさく笑った。
end