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    再会の約束はしない消毒薬の匂い、洗浄されたシーツの香り、
    拘束された利き腕と、チューブに繋がれた逆の腕。
    時刻は昼間だろうか。窓の外は明るかった。暑くもなく寒くもない。
    部屋の外の廊下からはガラガラと忙しなく通っていくストレッチャーの音と、カツカツと誰かの足音が通り過ぎていった。

    そこは病室だった。
    ベッドを起こして姿勢を高くすると、クレアはゆっくり深呼吸をしてみた。
    馴染めない診察着がどこかに擦れて痛んだ。
    肌が痛いのか、臓器が痛むのか、それとも精神的な何かが壊れているのか。

    投薬された薬が効いているのか、頭がぼんやりとしている。
    微睡んだ意識で頭を動かすと、がらんと静まり返った室内が視界に入った。
    飾りのないただの病室だ。運び込まれ入院したその日から何の変化もない景色だった。

    目を閉じてみると、何処からか硝煙の匂いがしたように感じた。
    だがそんなはずはないのだ。背後から追いかけてくる爆発音や、火力の熱気や崩れていく足元、壁、天井など。
    緊張と警戒を繰り返して恐怖心を押し殺してきた事など。
    今は彼の地に全て置いてきてしまった。

    彼女と共に置き去りに。


    「モイラ…。」

    クレアは呟いた。

    モイラ
    モイラ
    モイラ

    無事なの?
    生きてるの?
    ごめんなさい。あなたを置いて私だけがここにいるなんて。


    目頭が熱くなった。

    後悔と憤り、自責の念で胸が苦しい。

    「クレア・レッドフィールドさん?採血の時間ですよ。」

    いつの間に来ていたのか、看護婦がクレアに声を掛けてきた。

    薄眼を開けてそれを確認すると、クレアはすぐに目を閉じた。

    どうでも良かった。
    好きにすればいい。何にしても自分はここから動けないのだから。

    それよりも、モイラの安否が気掛かりで、そればかりに思いを馳せたかった。

    看護婦は物言わぬクレアに対して特に気を悪くするわけでもなく淡々と作業に取り掛かった。

    採血が済むと看護婦は何も言わずに去っていった。
    クレアも特に会話をするつもりはなかったので見送る事すらせずに、また考えこみ始めた。

    クレアがこの病院へ運び込まれた日、バリーはクレアの意識が戻るのを辛抱強く待っていた。
    彼と話を出来るようになると真っ先にクレアはバリーに謝罪した。
    だけど彼が求めていたのは謝罪なんかじゃなかった。

    「モイラは何処にいる?」

    バリーはモイラの生存の可能性を諦めてはいなかった。
    クレアから得られるだけの情報を得ると、自力で探し出すと更に調査を進めている。

    モイラの生存の可能性を信じてるのはクレアも同じだった。

    最後に見た彼女の様子は今もなお脳裏に焼き付いている。
    瓦礫の下敷きになって動けなくなっていたが、息はあった。
    爆発に巻き込まれているとしても、中心部からはかなり離れられたようにも思える。

    口では最悪だと悪態を付いてはいたがかなりガッツがある方だとクレアは感じていたし、とっさの判断力も行動力も非力な人のそれとは違うと思った。

    だから、そう。
    生きている。

    他の可能性は考えない。
    早く迎えに行かないと。
    焦る気持ちがクレアを更に急き立てた。

    「クレア・レッドフィールドさん。ご気分はどうですか?採血に来ましたよ。」

    部屋の扉をノックしながら看護婦が部屋に入ってきた。

    採血?

    クレアは意識が現実に引き戻された。
    霞がかってた頭がクリアになっていく。

    「…採血ならさっき他の看護婦さんがやっていったけど…。」

    止血用のテープが貼られた腕を見ながらクレアは説明した。
    看護婦は

    「あら、本当だ。」

    と、採血の跡を認め頷くが、カルテを見ながら首を傾げた。

    おかしいわね。

    と小さく呟く。
    クレアは訝しげにその様子を見守った。

    「私、ちょっと確認してきますね。」

    看護婦はニコリとクレアに笑いかけ、点滴を外すと病室を出て行った。
    カルテには採血の記録が無かった様子だった。

    看護婦の足音が遠退いていくのを感じながら、クレアはもう一度自分の腕を眺めた。
    確かにこの腕に針が刺さっていたはずだ。
    ぼんやりしてたし、意識は別の方に向いていたが、痛みの記憶はある。手慣れた看護婦ではなかったのだ。

    だが、しかし。

    そこでふと思考が止まった。

    背後からヒヤリとした悪寒が登ってきたからだ。

    採血をしてたのは本当に看護婦だったのか?

    格好は看護婦の姿だったように思う。
    だが顔はよく見ていない。
    ブルネットのショートだったような気がする。女だ。

    見覚えは無かった。
    この病室に出入りする人物はかなり限られているにも関わらず、見覚えのない人間が出入りしていた?

    焦燥感と不安感が心臓を叩いた。
    冷や汗が出てくる。

    ウイルス感染者の血液サンプルを回収された…?

    わからない。
    可能性の話でしかない。
    この病院はバリーの手配で入っている。
    クレアに投与されたウイルスの事は極秘の扱いだし、病室には関係者以外は立ち入りが許可されていない。
    信用のおける場所だと思っていたが、誰がそれを保証するというのか。

    病室のドアを見る。
    誰もいない。
    外に見張りがいるわけでもない。クレア以外誰もいない個室だ。

    身を捩り自分の周辺をもう一度見渡そうとすると、手首の拘束具がガシャッと音を立てクレアの手首を締めた。
    動けない。
    逃げ場など無い。


    息が苦しい、とクレアは思った。

    ーー人殺し!

    突然フラッシュバックが起こった。

    島からの決死の脱出に辛くも成功し、瀕死の状態で運び込まれたクレアがようやく話せるようになると、自社にはニール・フィッシャーの件を報告した。

    ニールはテラセイブの幹部だった経緯もあり、彼の裏切りの事実はすぐには信じてもらえなかった。
    当たり前だ。彼は皆のリーダーで信頼も厚かった。
    彼が計画した事だなどと言っても誰も信じない。
    それに値する証拠がないのだ。

    それでもクレアは事の経緯を上層部には報告した。
    ニールの変貌を。最期を。
    引き金を引いたのはクレアだ。

    社内は混乱している。

    クレアの話を噂ながらに聞いた女性社員が一度酷い剣幕で怒鳴り込んで来た事があった。

    ーー人殺し!
    ニールがそんな事をするはずがない!
    あなたが彼を殺したの?!
    人殺し!!

    彼女はすぐに警備員に取り押さえられて病室を出て行った。

    クレアは反論出来ず、ただその様子を見ていただけだった。

    彼女はニールを信じていた人だ。
    それはクレアとて同じだった。
    彼とは同じ信念があると感じていたし、目指している物が同じだと思えたのは喜ばしい事だった。

    でも今はもう…彼はいない。
    引き金を引いたのは、そう、自分だから。
    ニールを。かつてニールだった者を。
    撃ち殺した。


    「…っ」

    嗚咽が漏れた。
    クレアは泣いていた。

    悲しかったし悔しいとも思った。
    信じていた事が裏切られ、仲間は犠牲になり、大切な友人は守りきれず島に置き去り。

    悔しい気持ちに任せてベッドを叩くと、また拘束具がガシャッと音を立てた。

    背中がゾクゾクする。
    怖い、と思った。

    自分はこの後どうなるのだろう。
    今のテラセイブに居場所はない。帰る場所がわからない。

    「っ…!いけない!」

    恐怖心は発症の発端になってしまう。
    クレアは慌てて深呼吸をした。
    だが上手くは出来なかった。
    心臓が早鐘のように脈打っていた。

    ダメだ、いけない
    このままでは…っ!


    コンコン。

    その時、何者かが病室の扉をノックした。
    ゆっくりと扉が開くと、金の髪を揺らしながら男が顔を出した。

    「クレア、意識が戻ったんだな。良かった。」

    「…レオン」

    病室に入ってきたのは数ヶ月ぶりの再会となる、レオン・S・ケネディだった。
    クレアにとっては大事な戦友で、無二の親友。
    唯一の相棒だった。


    「レオン!」

    クレアはレオンに向かって手を伸ばした。

    クレアが泣いているのを察知したレオンは驚いている様子だ。

    「レオン」

    クレアはベッドから身を乗り出し、レオンに向けて手を伸ばした。
    拘束された右手が食い込みクレアの手首をギリギリと締め上げた。

    千切れても構わないと思った。

    「レオン、お願い」

    こっちへ来て


    視界が歪んで雫が頬からこぼれ落ちた。

    もう、ダメなの。
    全てがメチャクチャで、何を信じていいのかわからない。

    レオンはクレアの元に駆け寄った。
    クレアの手を取り、身体ごと抱きとめた。

    「クレア、落ち着いて。大丈夫だから。」

    声を押し殺して泣いているクレアの背中を彼は優しく撫でてやった。

    「呼吸して。それじゃ苦しいだろ。」

    「レオン、ニールだったの。彼の事、私気付かなくて…、貴方の事も話してしまった。ごめんなさい。きっと貴方にも迷惑が」
    「クレア!」

    レオンはクレアの顎に手を掛けると無理やり上を向けさせ自分と視線を合わせた。

    クレアが瞬きするとそのたびに彼女の目から涙が溢れた。

    「大丈夫、話なら全部聞くし、俺はここにいるよ。でもまずは深呼吸して。わかるか?息をして。」

    言われるままにクレアは息を吸い、ゆっくり吐き出した。
    レオンが頷き、クレアはもう一度同じ動作を繰り返した。
    苦しかった肺が楽になった。
    脳に酸素が届いている気がする。

    「うん、そう。それでいい。」

    レオンは微笑んだ。


    クレアはレオンのジャケットをしがみ付くように掴んでいた。
    彼との距離が物理的にかなり近かった。

    様子を伺うようにレオンの表情を見上げる。
    彼はクレアの次のアクションを辛抱強く待っているようだった。


    「…レオン」
    「何?」
    「胸、借りてもいい…?」

    躊躇いがちに聞いてみた。
    レオンはそんなクレアを笑ったりはしない。

    いいよ
    と答えると、腕を広げてクレアを受け入れた。


    クレアはレオンの胸の中に顔を埋め、広い背中に片手を添えた。
    鼻腔一杯に彼の匂いを感じて息を吸い込むと、初めて声を出して泣いた。






    それから、どれくらいの時間が経過したのか。
    泣きたいだけ泣いたし、泣き言も言った。
    途切れ途切れに事の経緯を話していると、息が苦しくなる時があったが、その度にレオンがクレアの背中を撫でて落ち着かせた。

    全て吐き出して話終わる頃、外はすっかり日が落ちていた。

    クレアはレオンの胸の中で俯いたままだ。レオンはクレアの話した内容を頭の中で整理している様子だった。
    時間が経つにつれてクレアは落ち着きを取り戻し、止めどなく流れていた涙も止まった。

    レオンにもたれかかったままの状態で、離れ時を見失っている感が否めない。
    レオンも無言で考え事をしているから、気まずい、とすら思った。
    そろそろ彼を解放するべきなのはわかっていたが、気持ちの片隅で恐怖心が燻っている気配を感じていたのでなかなか離れる気になれなかった。

    これは甘えなのだろうと思った。

    こんな姿、兄のクリスにも見せた事があっただろうか。

    少しの後悔と、羞恥心が頭をもたげる。
    迷惑を掛けてしまった。


    「…なぁ、これ何で?」

    クレアの拘束具を指で突きながら、レオンが言った。
    クレアの手首が青紫色に変色しているのを見て顔をしかめていた。

    「ウイルスが投与された話、したでしょ。」
    「恐怖心が発症の発端になるってやつ?また妙なのが出てきたな。」

    拘束具を外そうと思ったのか、レオンはクレアの手首周りをジロジロと見ている。

    「もし、ウイルスが発症したとして、こんな拘束具ひとつで何とかなるのか?」

    もっともな質問だ。

    島でペドロが発症した時の様子を思い出すと、こんな拘束具ひとつでは何も抑えにはならないだろうなとクレアは思った。

    「…ならないかも。」

    ベッドに繋いでいたとしても、そのベッドを振り回すくらいの事はしてしまいそうだ。

    本来なら両手両足全てを拘束し、誰とも接触出来ないよう厳重に監禁すべき状態なのだろう。
    不本意だがクレアに拒否権はない。
    安全が第一のはずだ。

    それでもバリーはそうはさせなかった。
    全ては彼の配慮だ。

    レオンの意識が拘束具に向いたので、クレアとの間に丁度良い距離感が出来た。
    いいタイミングだと思い、クレアはそのままレオンから離れた。

    距離を詰めたのはクレアだったが、さすがにもう甘え過ぎた。
    近付き過ぎるとお互いに良くない。
    男女間での友情を保つ事に苦労はない方だと自負してきたクレアだったが、レオンとのそれはかなり際どいのだ。
    彼とは阿吽の呼吸があるというか、かなり気の合う友人だ。
    だからこそお互いの距離感が普通よりもかなり近い。
    近過ぎる傾向にある。

    ある一線を越えないよう気を付けているつもりでも、その線引き自体が曖昧になってしまう事も多々ある。
    とにかく、レオンとの友情を保つ事には苦労していた。

    「何、もう用済み?」

    ベッドの上で座り直すクレアを見ながらレオンが言った。

    「うん、ごめん。ありがと。」

    自分の弱さをさらけ出してしまった事にバツの悪さを感じて、クレアはレオンから視線を外した。

    追及は避けたかったから話題を変えようと思った。

    「ね、レオン…。」
    「うん?」
    「…もし、私がウイルス発症した時はさ。…貴方、撃てる?」
    「撃つよ。」

    即答だった。

    当たり前だろ、と言わんばかりの調子にクレアは拍子抜けしてしまい、開いた口が塞がらない。

    「そうよね!」

    思わず声を張り上げてしまった。

    「眉間の辺りに一発で仕留めてあげるよ。」

    片手を銃の形に見立てて銃口にあたる指先をクレアの額に当てながらレオンは言った。冗談めかした言い方だったが、本気の目をしている。

    クレアは声を上げて笑った。

    そうだ。
    そうだった。
    レオンはこういう人だった。

    銃を向けて撃つのを躊躇わない。
    いくつもの危険な任務を果たして生還してきた人だ。
    苦渋の選択を迫られた事もきっと多かっただろう。

    それでもレオンは銃口を向けて撃ち続ける。
    躊躇いは命を危険にさらす行為だ。
    でも彼は生きる事を諦めた事は無かった。
    だから今までも、そしてこれからも彼は生き抜くのだ。

    クレアもニールやペドロに銃口を向けた。
    罪悪感は否定出来ないが、撃つことに躊躇はしなかった。
    守りたいものがあったし、
    何としても生き残ってやろうと思ったから。
    正当防衛だと弁護するつもりはない。
    人殺しと言われれば、そうなのかもしれない。

    でももう迷わない。
    後悔もしない。

    罪の意識は背負っていく覚悟が出来た。
    もう、何も怖くなかった。


    「撃つって宣言されて喜んでるの?変だよ、君。」

    レオンは苦笑した。

    「そうね。…ねぇ、貴方が感染した時には私が撃つわね。」

    クレアも負けじとレオンに宣戦布告をした。

    「へぇ?俺、多分クリーチャー化しても強いよ。」
    「私もね。」

    二人は笑った。
    妙な会話だったが楽しいとクレアは思った。

    島から出てから今まで、笑った事は一度も無かった。
    後悔や自責の念や罪悪感で思考がパンクしかかっていたし、体調の回復も事件の調査も進まない日が続いて身動きも取れなかった。

    今になってようやく自分の足元に光が差し込んできたような気がする。
    進むべき道が見えてきた。

    「少しは気が晴れたかな?顔色がだいぶ良いよ。」

    レオンはベッドの上で座り直してクレアを正面から見つめた。

    彼が微笑み、クレアも同じように返した。
    穏やかな空気が流れ、しばし二人はそのまま見つめ合った。

    すると、突然愛しい気持ちがクレアの中で込み上げてきた。
    後から後から溢れてきて、止まらない。
    温かな感情だが痛みも伴う。
    愛しくて、切ない。
    胸が締め付けられた。

    レオンに向けた感情だった。
    自覚すると歯止めが利かなくなるのが厄介だ。

    こんな感情、友情の妨げでしかない。
    早く落ち着かせていつもの自分に戻らなければ。

    クレアは視線を外して暗くなった窓の外を眺めた。
    今夜は晴れて月が昇っているのが見えた。

    いつもなら相手から必要なだけ距離を置いて、あとは持ち得る限りの鎮火術を使って気持ちを落ち着かせるのだが、今は生憎拘束されてて逃げ場がない。
    誤魔化しながら時間をかければ、気持ちも落ち着くのかもしれないが、問題はそれだけではなかった。


    「クレア。」

    ベッドが軋んだ音を出して、レオンがクレアに詰め寄ってきた。
    彼の方に顔を向けると、すぐ近くにレオンの顔があった。

    近い。

    クレアは眉をひそめて、非難めいた表情をレオンに向けた。
    しかしレオンは気にする素振りはなく、更に距離を詰めようと近付いてきた。

    困るのだ。
    クレアとレオンは付き合いが長いし、仲も悪くない。
    レオンの考えがクレアには手に取るようにわかる時があるから、彼のタイミングに合わせて行動出来る事もある。
    阿吽の呼吸だ。

    だが、つまりそれはレオンもまたクレアの考えを見透かしているという事に他ならない。

    「認めたら?楽になると思うよ。」

    クレアの額に自分のそれをくっ付けて、レオンは呟いた。
    近過ぎて、視線が自然と下へ向かう。
    今視線を交わすのは危険だと思った。
    彼の息が唇に掛かって、クレアは頬が熱くなるのを感じた。

    何を認めるの?

    白々しい台詞になるから口にするのはやめることにした。
    代わりに小さく頭を横に振った。

    簡単ではないのだ。
    それが出来なかったからこの歳までずっとひとりでいたのだ。

    進む事も、退く事も。
    これ以上は近付けない。かといって離れることはもはや不可能だ。

    残された道は、ただそこに踏みとどまるという事、それだけ。

    それなのに。

    先に欲してしまったのはクレアの方だ。
    そして、レオンはそれを与えようとしている。

    レオンがクレアの手を取り、優しく握りしめた。

    愛しくて、切ない。
    少し苦しくて、痛かった。

    この気持ちが楽になる時が、果たして来るのだろうか。

    「意地っ張り。」

    レオンが呟いた。
    クレアは何も言い返さず、そのまま静かに目を閉じた。


    越えてはならない一線が、二人の間には必ずあった。
    いつの時も。
    けれど、その日、その境界線はやはり曖昧なままだった。





    よく晴れた日だった。
    早朝の病院は人の影が殆ど無くて、階段を駆け上がる足音が廊下まで響いていた。
    時間は朝の6時。ヘリの到着まであと1時間もない。
    時間厳守で動いてきたつもりだったが、時間に対してルーズな性分は昔からのものだ。
    これでも急いで来たのだ。

    病室の前に到着すると急いで扉をノックした。
    部屋が空っぽではない事を祈った。

    恐る恐る扉を開けると、クレアがベッドから降りて立っているところだった。
    良かった、間に合った。
    レオンはホッと胸を撫で下ろした。

    「おはよう、クレア。退院、今日だったよな。」
    「おはよう、レオン。また来たのね。」

    近くのキャビネットに手を伸ばして、引き出しの中を漁りながらクレアは言った。こちらを振り返ろうとはしなかった。

    「愛想が無いね。友人の門出を見送りに来たのに。」

    「あら、ごめんなさい。」

    半年近く前に会った頃とは違い、いつもの元気なクレアだった。
    初めて病院を訪れた時は意識がなかったし、次に会った時はひどく落ち込んでいた。
    だが、やはりクレアはそこに留まる人ではなかった。
    それからは面会を重ねる度に回復していったし、クレア自身退院に向けてリハビリやレポートをまとめるなど、出来る限りの事を尽くしていた。
    今バリーはモイラ救出に出てしまっている。
    クレアがまとめたレポートがきっと役に立っているはずだ。

    クレアは引き出しからハサミを見つけると、おもむろに自分の髪にハサミを入れ始めた。

    「な、何してるの?」

    ギョっとしてレオンが声を掛けた。

    「髪を切ってるの。」

    そんな事見ればわかる。

    クレアの切り方には迷いが無かった。
    器用な手先だが、扱いが慣れているのは銃やナイフの方に軍配が上がりそうだ。

    「貸して。」

    黙って見ていられなくてレオンはクレアからハサミを取り上げると、サクサクと切り始めた。
    長年の間ロングの髪をひとつにまとめ上げてたものがどんどん短くなっていった。

    「ありがとう。」

    クレアはレオンに散髪を託して自分の携帯電話を眺め始めた。
    いくつかの画面をスライドさせて、目的の画面にたどり着くと、ジッとその画面を見つめていた。

    無作法だと思ったが、立ち位置的にどうしても視界に入ってしまう。
    クレアは写真画像を見ているようだった。

    書類上でしか見たことのないバリーの娘とクレアが写っている写真だった。
    仲の良い姉妹のようだった。
    それから指先をスライドさせて、シェリーが微笑んでピースサインをしている写真、またスライドさせてクレアとクリスが抱き合い、その二人を抱えるように抱きしめたジルと三人で写った写真。

    クレアがいつも想って、大切にしている人達だった。
    つくづく、クレアは人が好きなんだなと思う。
    人が好きで、大切で、信じる事を止めないから裏切られて傷付く。

    それでも彼女は人の善意を信じてるし、愛する事を止めない。
    レオンに言わせるとクレアは博愛主義者だ。
    その身に溢れる程の愛情があって、抱えきれないから皆に分配して生きてる。
    レオンはそう感じている。

    「俺の写真は無いんだな。」

    思わず声が出ていた。
    しまったと心中で舌打ちをする。
    こんな事、言うつもりじゃなかったのに。

    スライドさせてた指先を止めて、クレアがレオンを振り返った。
    驚いた顔をしている。

    「あ、いや。ごめん、見えてたんだ。」

    「…そう。気にしてないわ。」

    クレアは再び前を向いた。
    先程の発言は聞かなかった事にしてくれたようだ。

    写真の事はわかってる。
    職業柄、レオンの周りは裏切りと騙し合いが多い。
    扱う情報は国家機密にも関わる事があるし、情報端末は特に狙われる。
    現場の記録に画像を撮る事もあるが、済めばすぐに削除してる。
    プライベートの写真なんか撮らないし、撮られるのも断っている。
    誰に見られて、どんな弱味にされるかわからない。

    それにクレアが付き合う必要はないのだが、クレア自身何者かに狙われる事があるのだという。
    そもそも、彼女はBSAAの英雄の身内で、数々のバイオテロに遭遇しつつも生還している強者だ。
    特殊訓練を受けたわけでもないのに銃やナイフの扱いに長けて、体力もある。
    彼女のプロフィールを見れば欲しがるところは数多いだろう。
    良心的なスカウトもあれば、そうでない事も。
    身内に力のある人間がいる事は必ずしも幸運な事ばかりではないのだ。
    それでも彼女はクリスには何も言わない。
    誰の弱味にもならないのだと以前言っていた。

    「この写真はね、御守りみたいなものね。」

    クレアが言った。
    彼女にも勇気付けてくれるアイテムが必要な時があるのだろう。
    今はその時だ。

    「そうか。」

    相槌を打つ。
    そこに自分の写真は必要ない。誰に何を勘ぐられるかわかったものじゃない。

    「何で髪を切る事にしたんだ?」

    話題を変えたくてレオンは聞いてみた。
    散髪は殆ど終わっていた。
    振り返りながらクレアは肩に掛かった髪を軽く叩いて落とした。

    「ん〜、何でかな。気分転換と言えばそうなんだけど。」

    床に散らばった髪の毛を集めてゴミ箱へ落とした。

    「迷ってたの。ずっとね。今回踏ん切りが付いたから、切っちゃった。」

    そう言ってクレアは笑った。
    髪が短くなったせいか、受ける印象が更に若く感じる。

    新生クレアか。
    いいかもしれない。
    レオンはそうか、と相槌を打った。

    「さてと。レオン向こうむいてた方がいいわよ。」
    「ん?」

    言うが早いかクレアは突然着ていた診察着を脱ぎ始めた。
    レオンには背を向けていたので、視界に飛び込んできたのはクレアの白い背中だった。

    下着すら付けていない素肌と、一瞬だったが胸の膨らみも見えた。

    レオンは慌ててクレアに背を向けた。

    「少しは恥じらえよ!」
    レオンは怒鳴った。

    俺をそこら辺の石ころかなんかと思ってるんじゃないのか?

    憤りを禁じ得ない。

    「悪いけど急いでるの。都合が悪いなら部屋を出て。」

    可愛くない。
    急ぐ理由も、戦闘モードに切り替わってきている事情もわかるが、そんな言い方はないような気がした。

    「もうすぐここの屋上にヘリが到着するから、乗って行くといい。」

    衣擦れの音を背中に感じながらレオンは背後のクレアに言った。
    元よりこの事を伝えるために今日は来たのだ。

    え、何?
    と驚き振り返るクレアの気配。
    着替えは終わっただろうか。

    「どこのヘリ?」
    「BSAA。その方がバリーとの連携が取れるだろ。」

    クレアは感嘆のため息を吐いた。

    「貴方、すっかり偉くなっちゃったのね。手際が良くて驚いた。」

    「コネや人脈はフル活用するもんだよ。君にも出来た事だろ。」

    クレアに向き合いながらレオンは言った。
    クレアは赤のトップスに着替えてた。ニットで襟元がV字になってる。
    昔から赤い色を好む傾向があった。
    短く切った髪型ともよく似合っている。

    「私が行くとわかってたの?」
    「付き合い長いからな。」

    レオンは苦笑した。
    クレアは少し首を傾げて何やら思案してる様子だった。

    「ヘリにはプレゼントも乗せてあるから、好きに使って。」

    暗に武器が用意してある事を伝えると、クレアは声を上げて笑った。

    「凄い!貴方に惚れそう。」

    その気がない時の反応だ。
    結構尽くしてる方だと思うのだが、何が不満なのだろう。
    レオンは込み上げてくる苦い気持ちを黙って飲み込んだ。

    そうこうしているうちに時間が迫ってきている。
    クレアはモイラ救出へ、レオンは別の任務が待っている。
    レオン自身も急いでいた。

    「ねぇ、レオン。ついでと言っては何だけど、貴方から分けてもらいたいものがあるの。少し貰っても構わないかしら?」

    「ん?何が欲しいんだ?」

    ヘリも武器も用意した。
    今持っている銃は任務で使うから貸せないし、何だろう。

    レオンが頭の中で答えの可能性を検索している間にクレアは間合いを詰めてきた。
    彼女から近付いてくるのは珍しい事だった。

    カツカツと快活な音を立てて近付いてきたかと思うと、レオンの顔の間近までやって来た。
    クレアはヒールがある靴を履いているようで、いつもより視線が近かった。

    「貴方が持て余すほど持ってるものよ。勇気と、正義感、てとこかな。」

    そう言ってクレアは背伸びをするとレオンに口付けた。

    一瞬の出来事で、掠め取るような口付けだった。
    レオンは油断してたし、何が起こったのか理解するのに数秒を要した。

    「え、な」

    何?

    クレアからキスしてきた?

    レオンは混乱していた。
    当のクレア本人は既にレオンからは距離を取っていて、様子を伺っているようだった。

    クレアは自分の口元に手を持って行き、唇に軽く触れるとその手を彼女の胸の上に乗せた。

    「御守り。」

    そう呟いて笑った。

    レオンは胸が熱くなった。
    彼女の携帯の中に自分の写真はないが、別の形で連れて行くつもりのようだ。

    「いいな、それ。でも返してくれるのか?」

    離れてしまったクレアに近付きながらレオンは言った。
    彼女の腕を掴んで軽く引いてみる。
    クレアは少し身構えたが、たいして抵抗はせずにレオンと向かい合った。

    「使っちゃうから返せないわよ。」

    「俺もこれから任務なんだ。君から御守りを貰いたいんだが?」

    「貴方は必要なものは全て持ってるでしょ。甘えないでよ。」

    人から勝手に奪っておいて、この言い草だ。
    戦闘モードに入っているクレアは容赦がない。

    「手に余るほどの愛情を持ってるくせに、俺の分はないのか?」

    しまった。
    本日二度目の失言だ。
    これは距離感を誤った発言だった。

    「何それ?!」

    クレアは声を上げて笑った。

    レオンは苦々しい気持ちが込み上げてくるのを感じた。
    何だかやるせない。

    クレアはしばらくクスクスと笑っていたが、落ち着くとレオンの顔を覗き込んだ。

    「愛情?」

    そう、愛情。

    クレアとレオンの視線が絡む。

    「あるわよ。ちゃんとね。」

    そう言ってクレアが再びレオンとの距離を詰めた。
    レオンも受け入れの体勢を整えてクレアと向かい合った。

    その愛情は、果たして求めている形なのかどうか。

    「貴方から?それとも私から?」

    「俺が。」

    与えてもらうよりも、奪い取りたい。
    レオンは思った。

    お互いの唇を寄せ合い、目を閉じて静かに重ねる。
    クレアがすぐに離れようとするのは想定済みだったから、右手で彼女の後頭部を支え、左手は彼女の手首を掴んだまま後手に回して腰ごと押さえ込んだ。
    しっかりと体を密着させて、動かせないように。
    二点ホールドしておけば、とりあえず、すぐには逃げられないだろう。

    噛み付かれない事を祈って、レオンは舌を差し入れた。

    「んっ」

    やはりクレアは抵抗してきた。
    唯一自由になる左手でレオンの胸を押して、身をよじろうとしていた。

    顔の角度を変えて、口付けをもっと深くしてみる。

    「っんん」

    クレアの抵抗力が更に強くなった。
    でもやはり彼女は女性だ。男性の腕力には勝てない。
    時々思い知らせてやりたくなる瞬間があるのだが、今がそのチャンスかもしれない。

    「っ、ね、待っ」

    待てないよ。

    話してる暇はない。
    クレアが発しようとしてる言葉ごと飲み込んで口付けは続いた。

    と、そこで。

    ガチャ

    脇腹に硬い物があてがわれた。

    「…離れて。」

    銃だった。
    装備していた物をうっかりクレアに抜かれていたのだ。

    カチャ

    安全装置が外される音が続いて背中に悪寒が走った。

    「もう一度言うわよ。離れて。」

    戦闘モードのクレアはとにかく容赦ない。


    クレアを解放すると彼女はレオンに銃を押し付けて、そして必要以上と思われるほどの距離を取った。
    警戒心が前面に出てる。

    もう、
    と呟き唇についた唾液を拭う。
    クレアの顔は赤面していた。耳まで真っ赤だ。

    「可愛いな。」

    本心からの言葉だったがクレアには睨みつけられた。

    本当に可愛い反応だと思う。
    クレアとキスするのは、もう何度目かになるが、いつになっても垢抜けないというか。
    彼女の反応は新鮮だった。

    「クレア、帰ってきたら続きをしようか?」

    「ばかっ!」

    怒鳴られた。
    でも反応は上々だ。落ち着いた頃に連絡してみようかな、などと考える。

    だが実際はレオンもクレアも忙しい。
    次に会えるのはいつになる事かわからない。


    「行ってくるわ。」

    クレアがレオンを振り返り言った。
    気持ちが切り替わった様子だった。
    瞳に火が灯っているのがレオンには見えた。
    戦闘開始だ。

    「死ぬなよ。」
    「貴方もね。」

    いつだったか交わした事のある台詞だ。
    あの頃から何年も経っているのに、つい昨日の事のように思える。

    病室を出て行くクレアの後に続いてレオンも部屋を出た。
    クレアは屋上へ向かい、レオンは階下へ降りて病院を出ていく。
    ここで二人の道は再び別れた。

    こうして何度も違う道をお互いに進みながら、時々交差する事を繰り返してきた。
    進み方は違うが目指すゴールが同じならまた何処かで会えるだろう。

    再会の約束はしない。

    生きる続けるという黙約があるだけだ。
    行く先はどっちにしろ同じ空の下だ。必ず繋がっている。

    振り返る事のないクレアの背中を見送ると、レオンも階段を降りた。
    内ポケットの中で携帯が緊急コールを鳴らしている。

    こちらも戦闘開始だ。

    病院を出て行くと快晴の空にヘリが飛び立つ音が響いた。
    だがレオンも振り返らず車に乗り込み病院を後にした。
    hachi_bi0(移行作業中) Link Message Mute
    2022/07/19 14:11:02

    再会の約束はしない

    P支部からお引越し中。
    hachi_bi0が書いたレオクレ小説。
    バイオハザードのレオンとクレアのCP小説です。

    見て下さった方、ハート送って下さった方、ありがとうございます。

    #レオクレ
    #バイオハザード
    #residentevil #クレア・レッドフィールド
    #レオン・S・ケネディ  #二次創作

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