イラストを魅せる。護る。究極のイラストSNS。

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    とれたてさんかく、あつめました!ひそかのさんかくおみのさんかくつづるのさんかくゆきのさんかくがいのさんかくじゅーざのさんかくあざみのさんかくむくのさんかくあずまのさんかくますみのさんかくかずのさんかくたすくのさんかくちかげのさんかくありすのさんかくしとろんのさんかくてんまのさんかくいたるのさんかくたいちのさんかくくもんのさんかくさきょーのさんかくつむぎのさんかくばんりのさんかくさくやのさんかくいすけとかめきちのさんかくみすみのさんかくひそかのさんかく
    「えぇーーっ!」

    珍しく人が少ない談話室で、珍しく静かに座って考え事をしていた三角のそばで、いつものように寝ていた時のこと。急に大声を出すから、目が覚めてしまった。

    「……うるさい」

    ごめんなさーい、って…いつもの調子で応えてから、座っていたソファを軽々と跳び越える。ドタバタと騒がしい音。さっき謝ってたのに。何を思いついたんだろう。そんな…きっとオレには意味のないことの意味を考えようとすると、だんだん重くなっていく瞼に逆らえなくなって、素直に目を閉じた。逆らう気なんて最初から無いけど。

    眠りに落ちる、ほんの少し手前で…行ってきまーす、の声が聞こえた。

    「……ん?」

    人の気配と何かが触れる感覚がしてゆっくりと目を開ける。目の前にはたくさんのサンカク。少し目線を上げると出かけたはずの三角がいた。

    「…あっ、起こしちゃった~?」

    ごめんね、って言う顔から笑顔が無くなる。なんか、それが、すごく嫌だった。さっきみたいに騒がしくされるよりも。どうしてかは分からないけど三角が楽しそうに笑ってると安心する。…よく眠れる気がする。

    「…これ、どうしたの?」
    「さんかくブランケットだよ~! ひそかにプレゼント!」
    「オレ、誕生日じゃない」
    「知ってるよ~? おたんじょうびにも、さんかくあげるね~」
    「…マシュマロがいい」
    「じゃあ、さんかくマシュマロにする~!」
    「うん……三角、いいこ…」

    ブランケット、ありがとう。そう言いながら頭を撫でると、少しびっくりしてから照れてた。いつもは子どもみたいに素直なのに。こういう時こそ甘えればいいのに。このブランケットは肌触りがいいマシュマロシリーズだっていうこと、オレが買いに行った時はブランケットの在庫が無くて買えなかったこと、新しくさんかく柄が出たこと、教えてくれたのは全部…一成だから。お礼は一成に言ってほしいって。へんなの。

    「でも、くれたのは三角だから」

    もう一度、優しく頭を撫でる。笑ってくれると思ったのに、きゅっと唇を結んで、寝てるオレのお腹にブランケットを隔てて、ぽすっと顔を埋めてきた。さっきより撫でやすくて、ちょうどいい。

    「ひそか、談話室で寝る時は~……これ、使ってくれる…?」
    「うん。いつもより、あったかくて…よく眠れそう」
    「よかった~! オレも嬉しい~!」

    ぱあっと上げた顔は笑ってて、オレも安心して笑い返した。突然、何か思いついたように大きな声を出してスマホを取り出す。一緒に写真を撮ってもいいか聞かれて、よく分からないけどいいよって言った。嬉しかった瞬間のさんかくを撮っておきたいんだって。でも、撮るのがへたくそで、ブレちゃって、ブランケットの柄が分からない写真になった。でも、それでもいい気がする。
    その後、三角と話してても、何で急にプレゼントをくれたのか分からなかった。ただ、あったかくてふわふわで…柔らかくて安心する…マシュマロみたいな肌触りに包まれながら、何回目か分からない重くなっていく瞼を受け入れた。

    おみのさんかく
    「こんこんこん! おみ、いますか~?」

    週末の午後三時頃のことだった。三回鳴らされたノックに返事をして扉を開けると、予想通りの姿が笑顔で迎えてくれた。今日は俺が食事当番だ。何かサンカクの料理でもリクエストしに来たのかと考えながら話を聞いてみる。

    「おみに、お届けものでーす!」
    「俺に…?」
    「はいっ! さんかくクッキーのお届けです!」
    「あぁ、ありがとう…」

    今日は何か特別なことでもあったか? と、戸惑う俺に渡されたのは袋に入れてラッピングされたサンカクの形をしたクッキーだった。三角がみんなの為に頑張って手作りしたんだろうと思うと、微笑ましくて自然と頬が緩む。

    「これは、おみに作ったんだよ~!」
    「ん…? みんなにじゃなくてか?」
    「そうだよ~! でも、作ってる時にね~、じゅーざが…じーって見てたから、ちょっとだけあげたよ~」
    「あはは、三角は優しいな」

    えへへ~、と向けられる笑顔にますます頬は緩みっぱなしで、昔の自分からは考えられないぐらい、だらしない表情をしていることが鏡を見なくても分かる。

    「……なんで、俺だけか…聞いてもいいか?」
    「いいよ~! えっとねー…」

    三角の話は各駅停車の電車に乗ってるみたいだ。何か見つけると降りてばかりで…なかなか、目的地に辿り着かないけど、寄り道しないと気づかないことも出会いもたくさんある。それは、ほんの些細なことかもしれない。ただ、なんとなく…小さな幸せが積み重なっていく気がする。

    「それでね、郵便屋さんをした時に、みんなにおみのクッキーを届けたでしょ~?」
    「そうだな」
    「みんな、すごく嬉しそうにしてたんだ~」
    「ならよかった…作った甲斐があったよ」
    「だから、おみは~…にこにこ笑顔をお届けしてるって思った~!」

    いつもありがとう。と、柔らかい声と表情を向けられる。今までそんな風に考えたことも無かった。俺はただ、他のみんなよりも少し料理ができるだけだ。脚本を書いたり衣装やフライヤーを作ったりメイクをしたり、そういう劇団にとって大きなことは出来ない。だから、せめて食事だけでもと思って、お節介を好きでやってきたことだ。

    「いつも、おみは…お届けしてばっかりだから…。今日は~、オレがおみに、お届けしたいな~って、思ったんだよ~」

    ありがとな。そう伝えるだけで精一杯だった。素直に喜ぶのが下手な俺に、三角は写真を撮ろうと言った。クッキーを真ん中にして三角がスマホを構えた時、遅れてやってきた気持ちが顔に出た。そのままシャッター音が鳴り、見せてもらった写真は恥ずかしいほど柔らかい笑顔で…。誰にも見せないことを約束して、部屋を出る背中にもう一度お礼を言うと、いつもおみがしてることだよ~…と、またひとつ。

    口の中でサクッと軽い食感がして、小さな幸せが溢れてこぼれた時、真っ白になった三角のパーカーを思い出した。…今度、サンカク柄のエプロンを贈ろうと思った。

    つづるのさんかく
    「……どうしたの~?」

    電話を切った後、思わず漏れた溜め息を聞いていたのは斑鳩さんだった。秘密にするような大したことじゃ無いし、今週末はどうしても帰って来てほしいという弟たちからの電話だと返した。

    「つづるは、いいお兄ちゃんだね~!」
    「うーん…そうっすかね? そうだといいんすけど…」
    「えらい! えらーい!」

    いつの間にか隣に座っていた斑鳩さんに頭を撫でられる。どうしていいか分からず、恥ずかしさに耐える。そういえば…この前、実家に帰った時に一番下の弟にも同じようにされたな…。そもそも、斑鳩さんはあの人に似て俺の扱いがわりと雑だ。なのに、今日はどうしたんだ? 何かあったのか? 頭にじんわりと伝わる体温に照れくささを感じながら、少し気になった。

    「つづるのお兄ちゃん、どんな人?」
    「一番上も二番目も、自分の好きなことやって自由にしてますよ…」
    「つづる…すごーく、大変だったね」
    「…え? いや、もう今更っすけど…」
    「……お兄ちゃんのこと、きらい…?」

    それは、何故か、斑鳩さんのことを聞かれてるみたいで。

    「たしかに…大変な事も我慢した事も数えきれないぐらいあったけど…そのおかげ、って言うのも癪っすけど…できる事も増えたし、自分の為にはなってると思うんで。…まぁ、嫌いでもないし恨んでもないっす」
    「そっか~…つづる、優しいね」
    「…あー…それに、今は俺も…好きなことさせてもらってるんで」

    正直、兄貴を恨んだことが無いって言ったら嘘になる。家のことも弟のことも全部任せて好きなことやって、なんで俺だけって思ったこともある。丁度、そういう年頃だったのもあるだろうけど。……けど、そんな状況を踏み出せない理由にしてたところもあったと思う。んー…、過去のことをいろいろ考えても仕方ないし…今がいいならそれでいいか。

    「い、斑鳩さん…?」

    急にソファの上で膝を抱えて喋らなくなった。そういえば、斑鳩さんにも弟がいたよな…。でも、家に帰ってないとこを見ると…ワケありって感じするし…ってか、兄弟のあり方なんて決まってないし、他人が口出しするようなことじゃないよな…。

    「あのー…兄弟役とか、やっぱ…あんまりやりたくないとか…」
    「……えっ?」
    「いや! なんでもないっす…すいません…」

    ……最悪だ。思いっきり地雷踏んだ。にぼしの時の役、もしかしたら嫌だったんじゃ…って思ったら、つい…。ついじゃねぇよ……あーあ…。

    「ううん、オレ…兄弟の役、いっぱいやりたい~!」
    「えっ…」
    「いっぱいやって、いろんなお兄ちゃんがいること、知りたい!」
    「なら、いいんすけど…」
    「そしたら、オレもいいお兄ちゃんに……なれるかなぁ…?」

    …何も応えられなかった。なれますよ、なれるといいっすね、何でもいいから言えばいいのに。なんとなく…そんな簡単に軽く応えていいようなことじゃない気がした。優しい兄の顔をした瞳に見つめられて、口角を少し上げるぐらいしかできなかった。

    「つづる、いろいろ教えてくれてありがとう~!」

    はい! と、手渡されたのは…スーパーさんかくクンだった。今日は品切れじゃないらしい。もう、一生もらえないと思ってた。べつに、そこまで欲しくもないっすけど…。

    「つづるは~、いいお兄ちゃんだから、あげるよ~」
    「…じゃあ、斑鳩さんが持っててくださいよ」
    「なんで~? いらないの~?」
    「そんなに弟のこと考えてくれる兄貴は…きっと、いい兄貴っすよ…」

    やっぱり、つづるは優しいね。と、言いながらいつもみたいに、ふにゃりと柔らかい笑顔を見せてくれた。その流れで何故か写真を撮ろうと言い出した斑鳩さんは、俺がまだ返事もしていないうちにシャッター音を鳴らした。その扱いの雑さはいつも通りじゃなくていいから!

    ……今週末が、待ち遠しくなった。

    ゆきのさんかく
    「ゆき、お出かけしよ~!」

    よく晴れた週末のこと。買い物に行こうと支度をするオレに声をかけてきたのは、意外にもサンカク星人だった。

    「……オレと行くの、やだ?」
    「嫌じゃないけど…」

    けど、こんなに天気がいい日は、とっくに外に出てサンカク探しでもしてるのかと思ったから。なのに、オレと買い物に行こうとするなんて。サンカク星人にとっては、せっかくの休みがもったいないんじゃない?

    「荷物持ちもするし、ゆきが疲れたら抱っこもできるよ~!」
    「抱っこはしなくていいから」
    「じゃあ、うーん…あとはねー…」
    「一緒に行ってもいいけど、勝手に走ってどっか行っても、追いかけないから。サンカク見つけても、じっとしてられるわけ?」
    「うーん……がんばる~!」
    「…まぁ、いいけど」

    会話しながら自分で作ったブレスレットをつける。思ってたより可愛くできて満足してる。今日のこの服に合うと思ったんだよね。鏡の中の自分に軽く微笑むと、サンカク星人が早く外に出ようと落ち着きなく跳ねる。完璧なコーデのオレの隣を歩かせるっていうのに…まさか、朝食べたスープ溢したパーカーで行かせるワケないじゃん。

    「…ゆき、この服……木登りしたら破れそう~」
    「登るな!」

    サンカク星人の持ってる服は本当にサンカクだらけだった。でも、そのおかげで偏りがなくて、わりと簡単にいろんな組み合わせを楽しめた。たぶん、動きやすいっていう理由で、いつもパーカーばっかり着てるから、今日は少しだけフォーマルなコーデにした。

    「オレ、この店にしばらくいるから」
    「はーい! ここで待ってる~!」
    「…近くのお店なら、好きなとこ行ってもいいけど」
    「わっかりました~!」

    今日のサンカク星人は、サンカク星人じゃなかった。ちゃんと荷物も持ってくれたし、雑に扱わないでって言ったらちゃんとその通りにしてくれた。雑貨屋さんのサンカクが気になってたのに、そわそわしながらオレの隣を離れないように我慢してた。

    「…ここ、寄る?」
    「えっ? うーん……いいの?」
    「せっかく来たんだから、行きたいとこ行かないとね」
    「うん! ゆき、ありがとう~!」
    「べつに。オレも見たかったし…」

    雑貨だけじゃなくてアクセサリーもたくさん置いてあって、好みのものもあったけど、シンプルすぎてちょっと手を加えたくなる。可愛いのって、自分の好きなようにもっと可愛くしたくなる。これは…このままでも好きだけど。

    「ゆき、お買い物できたよ~!」

    駆け寄る姿は、いつもより体のラインが分かりやすくなった服装のおかげか、なんか…かっこよく見えた。知ってたことだけど、手も足も長くてスタイルいいんだから…もっと、今日みたいな服、着ればいいのに。

    「…ゆき?」

    そう、言おうかと思ってやめた。
    自分の好きな服を着るのが一番って、オレが誰よりも分かってるから。

    「今日…なんで急に出かけようって言ったわけ?」
    「ゆきの服、さんかくだったから!」
    「…はぁ?」

    オレのスカートの柄がさんかくだったから。それが理由らしい。
    サンカク星人は、やっぱりサンカク星人だった。

    「ゆきの服、さんかくでかわいい~!」
    「当たり前」
    「だから、みーんなに見てほしかったんだよ~」
    「…あっそ」
    「お店の人も、可愛いですね~って言ってたよ!」
    「そんなの…オレが着てるんだから、当然」
    「ゆきが歩くと、さんかくがひらひらして、オレも嬉しい~!」
    「ふーん…ずっとオレの脚、見てたんだ……変態」

    ちがうよ~!って、あたふたする姿が面白くて。
    …あーあ、せっかくかっこよくキメたのに台無しじゃん。

    「帰るよ」
    「はーい!」

    でも…なぜか、ふにゃふにゃのだらしない表情が、よく似合ってた。自然と上がる口角を隠すように背を向けて歩き出す。
    ふわり、ひらり、サンカクが揺れた。

    「ただいま」
    「ただいま~!」

    寮に帰ると、買ったものをちゃんと部屋まで運んでくれた。一人じゃ持てない物もあったから…正直、今日は本当に助かった。素直にお礼を言うと、お礼が返ってきた。

    「これ、ありがとうの気持ち~!」

    渡された小さい袋を開けると、可愛くてシンプルな猫のイヤリングが入っていた。あの雑貨屋さんのだって、一目で分かった。こんなの買ってたなんて…知らなかったから……びっくりした。

    「耳がさんかくで、かわいいでしょ~」
    「…ありがと」
    「どういたしまして~!」
    「待って!」

    もらったイヤリングをつける。耳元で揺れるサンカク。

    「……写真、撮らない?」

    今日の記念っていうか…なんて、恥ずかしいことを言った。そしたら、せっかくだから服が見えるように全身の写真を撮ろうって提案されて…わざわざ隣の部屋にいた椋まで連れてきて、撮ってもらった。

    「三角さん、とってもかっこいいです! 幸くんもすごく素敵だね!」

    何故か、椋が一番興奮してて落ち着きが無かった。喋りながら何枚も撮るから、もういい! って、思わず声をあげた。この二人といると…いつもの顔ができなくなるから。

    撮り終わって見せてもらった写真。
    ……オレは、ふにゃふにゃのだらしない表情だった。

    がいのさんかく
    ある平日の午後、中庭のベンチで猫と会話する斑鳩を見かけた。斑鳩にはザフラ王国の三角形のものをいくつかプレゼントしたお礼にと、たまに動物の言葉を教えてもらっている。とは言っても、発音も斑鳩の教え方も独特で全く分からない。斑鳩のように話せるには……まだまだかかりそうだ。

    「あ、がいだ~!」
    「すまない。会話の途中だったな」
    「ううん、にゃお、にゃにゃ~、にゃお」
    「……何と言ってるんだ?」
    「猫さんも、がいとお話ししたかったから、いいよ~って!」

    スペースを空けたベンチを手でぽんぽんと優しく叩き、隣に座るように言われる。俺はまだ動物の言葉が分からない。それなのに、会話になるのだろうか。俺がここにいても…いいのだろうか?

    「斑鳩、俺はまだ…」
    「にゃ~」

    斑鳩の言葉に返事をするように猫が鳴く。今のは挨拶のようなものだと教えられ、同じように真似してやってみる。どうやら、この猫は俺の練習に付き合ってくれているようだ。

    「…ニャ~、ニャオ、ニャオ~」
    「にゃ~、にゃお、にゃお~」

    俺が話してみても通じていないらしく、その後で話す斑鳩の言葉を聞いて理解しているようだった。斑鳩を通訳にした猫語講座は、しばらく続いた。そのうち、猫の方が飽きてきたのか、ベンチの上で大きな欠伸をしていた。

    「はーい! ごめんなさーい!」

    猫が気持ちよさそうに眠った頃、談話室から声が聞こえた。テーブルの上に広げられたサンカクコレクションを今すぐ片づけろと、古市が斑鳩を呼んでいる声だった。その声に呼ばれ、ベンチを跳び越えて行ってしまった。残された俺と猫は静かに待つことしかできなかった。

    「にゃ~お」
    「…起きたのか……」

    何度か鳴いているが、斑鳩がいないと何を言っているのか分からない。それを伝えることもできない。言葉が通じないことが分かると、猫はベンチから下りて去ろうとしている。

    「…少し、待ってくれないだろうか」

    日本語で引き留めた猫は、意外にも振り返り立ち止まってくれた。

    『くっ、すまない……。武蔵、俺はお前の死に場所を……』

    猫には分からないかもしれない。それでも何か、今できるお礼がしたかった。こんな状況になった時に、頭に浮かぶ考えが芝居しかない。俺も既に…芝居バカなのだろう。…武蔵が見えた気がした。
    猫は鳴き声を上げながら倒れた俺の周りをうろうろと歩き出す。頬を舐められたのに驚いて声を上げると、短く鳴いて返事をしてくれた。

    《 面白そうなことをやっているな 》

    寝転んだまま顔を上げる。聞き慣れた声の主。見下ろしていたのは、買い物から帰ってきたシトロニアだった。俺が起き上がるのとは反対に、シトロニアは猫の側に腰を下ろした。差し出す手は優しく、見つめる表情は柔らかい。気品溢れる仕草に思わず目を奪われる。

    《 せっかくの可愛い観客だ。もう少し、演目を考えたらどうだ? 》
    《 何をやればいいのか分からなかった。咄嗟に出た台詞だった…》
    《 変わらないな、お前は 》
    《 そうかもしれない。だが、……楽しかった… 》

    こんな俺が、そう言ったら、笑うだろうか。

    《 ……お前も、生意気なことを言うようになったな 》
    《 すまない 》
    《 そうじゃない。…分からないのか? 私も嬉しいんだ… 》

    立ち上がり、すれ違うシトロニアからは、懐かしい香りがした。

    「おまたせ~!」
    「…斑鳩、もう片づけは済んだのか?」
    「うん! お部屋に持っていったよ~」
    「そうか…」
    「あ~っ! よかった~、猫さんまだいる~」

    斑鳩と猫は何やら会話が弾んでいるようだ。俺には動物の言葉は分からない。だが、嬉しそうにしているのは分かる。こちらまでつられて笑ってしまう。俺の様子に気づいた斑鳩に写真を撮ろうと言われ、猫を挟んで撮影した。斑鳩と比べると、まだまだ表情が固く無愛想に見えるかもしれない。それでも……。

    「……楽しいな」
    「うん! 楽しいね~!」

    素直な感情の変化を見せてくれる姿は、自然と微笑ましくあたたかい気持ちにさせる。俺には問題がある。だが、きっと、俺に対するシトロニアにも少し問題があると…生意気なことを感じた。
    この劇団では、気づかされることも教えられることもたくさんある。毎日、新しいことや新しい感情と出会わせてくれる。今からでも……遅くないだろうか。きっと…こうして答えが分からない問題で思い悩むのも…人間らしいのだろう。

    「じゃあね~、ありがと~!」
    「ありがとう。助かった」

    世話になった猫の後ろ姿を見つめながら、今日の芝居の感想を通訳してくれた斑鳩。……いつか、猫語で芝居をすることを約束した。

    じゅーざのさんかく
    椋と二人で買い出しから帰ってきた時のことだ。玄関の扉を開けて中に入ると、甘いにおいがした。何も珍しいことじゃねぇ。今日も臣さんが菓子を作ってくれているんだと予想しながら部屋に入る。

    「おかえりなさ~い!」

    キッチンに立っていたのは三角さんだった。ただいまと返事をして、買ってきたものを冷蔵庫に入れながら横目で見る。…何を作ってるのか気になってしょうがねぇ……けど、分かったところで俺がもらえるわけじゃねぇ。それでも、やっぱり気になるもんはなる。

    「いいにおいですね! 何を作ってるんですか?」
    「さんかくの形のパイだよ~!」
    「わぁ~…! 小さくて可愛いですね!」
    「できたら、むくもじゅーざも一緒に食べようね~」
    「ありがとうございます!」
    「…っす」

    締まりのねぇ顔を見られたくなくて頭を下げた。何か勘違いをした三角さんに頭を撫でられた時、オーブンが焼き上がりを知らせる音を鳴らした。三角さんによると、この手のひらに乗るサイズのパイの中に、陶器でできたサンカクが入ってるらしい。みんなが一つずつ食えるだけの数の中に、その当たりのサンカクが一つだけ入っている。

    「さっきね~、一回目に焼いたやつは、みんなで食べたけど何も入って無かったから、当たりやすいかも~!」
    「そうなんですか…! 当たるといいなぁ…」
    「当たったら、プレゼントがあるんだよ~」
    「わ~っ! 楽しみだね、十ちゃん!」
    「あぁ…」

    焼き上がったパイの中から、それぞれ好きなものを選んでテーブルに運ぶ。正直、俺には…この菓子が食える時点で当たりみてぇなもんだった。どうせなら、椋に当たりを引いてほしい。…そう思いながら、自分の分のパイを皿に取った時だった。

    「……あ、」

    パイが少し割れて、隙間から黄色いサンカクらしき物が見えた。

    「どうかした…?」
    「い、いや…なんでもねぇ…」

    この皿をどうにかして椋の皿と交換してぇ。大きさもそれほど変わらないからバレねぇと思う。けど……三角さんも椋も、既に椅子に座って食べようとしていた。こんな時に、突っ立ったままで機転の利いたことが何も浮かばねぇ自分が情けなかった。

    「…あーっ! むく、ちょっと手伝って?」
    「えっと…何をすればいいですか?」
    「ほまれがくれた、紅茶があるから…一緒に飲もう~!」
    「はい! もっと素敵なお茶会になりそうですね!」

    二人が席を立って背中を向けた隙に、自分の皿と椋の皿を交換した。何事も無かったかのように椅子に座る。しばらくすると、紅茶の香りがしてきた。いただきます、と言って手を合わせてから、三人で揃ってパイを食べ始める。椋は気づいてない。ふと、三角さんの方を見ると、目が合って笑ってくれた。

    「……あっ、これ…もしかして、当たりですか!?」
    「そうだよ~! むく、すごーい!」
    「よかったな…」
    「えへへ…ありがとうございます…!」

    サンカクのパイは、臣さんにレシピを教えてもらってたこともあって、すげぇ…うまかった。椋はキレイに洗ったサンカクを、大事そうに手のひらの上で何度も見つめていた。いつも三角さんが持ってるサンカクくんとか言うやつで、王子バージョンらしい。椋にぴったりだと思った。

    「今度、むくがお休みの時に、そのさんかくクンと一緒に、オレの部屋に来てね~!」
    「わかりました! 楽しみでワクワクします…!」
    「三角さん…パイ、うまかったっす…」
    「はい! とっても美味しかったです!」

    二人で礼を言うと、三角さんは写真を撮ろうと言い出した。せっかくなら、食べる前に撮ればよかったな…と、思いながらも中に入っていたサンカクくんと一緒に三人で撮ってもらった。

    「じゅーざ」

    使い終わった食器を洗って片づけが済んだら、背中の方から声がした。振り向くと優しい顔をした三角さんが立っていた。

    「これ、あげる!」
    「ん…? なん…」

    「…じゅーざは、すごく、すごーく…優しいね…」

    手渡された袋の中には、サンカクの形をしたチョコレートが入っていた。もう一度、頭を撫でる手は…落ち着くほど、あったけぇ……。

    「…三角さん、こそ…っす…」

    上手く言葉にできねぇ代わりに、顔を上げて下手くそに笑って見せた。

    あざみのさんかく
    「あざみの嬉しいことって、なにー?」
    「……は?」

    今朝、俺の顔を見るなり声をかけてきた三角さんは、咄嗟に答えにくい質問をぶつけてきた。考えてる間もずっとこっちを見ながら、何かに期待しているような目で見つめられる。……そういや、三角さんって睫毛が長くて濃くてしっかりしてて、マスカラつけてるみてぇだよな…。

    「…あざみ、まだ~?」
    「んー…そんな咄嗟に出てこねーよ」
    「そっか~…じゃあ、思いついたら教えてね~!」
    「おう…っ、あ…」
    「なーに? 何か、思いついた?」

    欲しいメイク用品はいくらでもある。どんな物でも貰ったら嬉しいし、高いやつはあんまり手が出せねぇから尚更。でも、そういう…誰でもいいような事じゃ、なんか…もったいねぇ気がする…。やべぇ…クソ左京の洗脳のせいだ。

    「三角さんが、毎日ちゃんとスキンケアしてくれたら嬉しいかもな」
    「…オレがするの~?」
    「全然やってくれねーの、三角さんぐらいだから」
    「ひそかも、やってないよ~」
    「密さんは寝てる間に勝手にやらせてくれる」
    「うーん…でも、やり方とか順番がわからない~」
    「それは俺が教えるから」
    「……! わかった~!」

    その日からずっと、俺と三角さんによる風呂上がりと洗顔後のスキンケア講座が始まった。三角さんは本当に何も分かってなくて、変に知識とかこだわりを持ってるより教えやすかった。素直に聞いてくれるし。

    何日か経つと、九門や一成さんも加わって洗面所を占領してたら、クソ左京がジャマだとか節水しろとかうるせぇから、テメーもやれや!一番歳食ってんだからよ!って、いつもの口喧嘩になりそうだったところを焦った三人に必死で止められた。秋組では、わりとフツーなんだよ…これ。……悪いことしたな…。
    何だかんだで、三角さんはちゃんと俺が教えたケアを続けてくれた。それでも、やっぱり誰か隣にいねぇと、全く馴染みがないからか、このボトルが何でいつ使う物なのかは、まだ少し理解できてなさそうだった。

    「…何回も聞いて、ごめんね…」
    「まぁ、そのうち覚えればいいんで」
    「…あざみがいない時は、どうしよう~…」

    落ち込む三角さんの顔に、胸が痛む。

    「ちょっと待ってろ」

    そんな顔させて、何がメイクアップアーティストだ。
    上辺だけ飾って彩ることなんか、誰にでもできる。

    「…よし、これで分かるだろ」
    「わぁ~っ…!」

    化粧水や乳液のボトルにペンでサンカクを書いた。最初につけるやつにはサンカクを一つ、次につけるやつにはサンカクを二つ…っていう感じで。これなら、俺がいなくても分かるだろうし、三角さんも普通のより興味あるだろ。……何より、俺がいなくてもちゃんとケアしようとしてくれたことが、なんか…すげぇ嬉しかった。

    「あざみ、ありがとう~!」
    「わかったから、書かなくてもいいようにちゃんと覚えろ」
    「はーい!」

    その後も、三角さんはちゃんと教えたとおりにやってくれた。そのおかげで、変化が目に見えて分かるほど肌がキレイで潤ってた。イベントがある時とか、公演の前にメイクした時も、以前より化粧品ノリがよくなってるのを実感した。

    「三角さん、肌質すげーよくなった」
    「えへへ~、あざみのおかげ!」
    「まぁな…」
    「あざみは、笑顔のメイクさんだね~!」

    にやけるのがバレないように唇を噛んで誤魔化す。メイクが終わった後に、三角さんが写真を撮ろうと言った。いつものように無表情で…と、思ったけど…今日はちょっと口角を上げて…自分にもメイクをした。

    「あれ~?」

    そんな俺を見た三角さんは……あざみも、ほっぺにぽんぽんつけてるの? と、言った。

    むくのさんかく
    学校がお休みの週末、王子様バージョンのさんかくクンを持って、三角さんのお部屋の扉をノックした。はーい!っていう元気な声が聞こえて、ドキドキする。逸る気持ちを抑えながらゆっくりと本のページをめくる時みたい……。

    「えっと…この前もらったさんかくクン、持ってきたんですけど…」
    「わかったよ~! 今日、一緒におでかけしても大丈夫?」
    「はいっ!」

    今まで、カズくんと三角さんとボクの三人でおでかけすることはあったけど、学校やバイトで忙しいから、なかなか予定が合わなくて…。買い出しに行ったりはあるけど、こうやって三角さんと二人でおでかけなんて…なかなか無いことだから、それだけですごく楽しみだなぁ~…。
    おでかけの準備をして、三角さんに声をかける。服の裾に控えめに連なるサンカク柄に気づいてくれて、まだ外に出てもいないのにワクワクでいっぱいだった。

    「むく、今日はね~…むくは王子様だよ~!」
    「えっ…!?」
    「何でも、お申し付けくださいませ~、むく王子~!」
    「あわわわっ…!!」

    寮から出た途端にそう言ってボクの前に跪く三角さん。突然のことにびっくりして、すぐに立ち上がってもらったけど……まだ、状況が飲み込めていなくて…。三角さんは、どうしていいか分からないボクの手を優しく握って、無礼をお許しください…って、笑顔で微笑んでくれた。

    「むくは、いつもがんばり屋さんだから…」
    「そんなことないです…みんなに迷惑かけたくなくて…」
    「今日は、たくさん好きなことしよ~?」

    俯いたボクの顔を覗き込むように見上げる三角さん。ボクよりも大きな手で、そっと頭を撫でてくれる。胸の中にじんわりと広がる、あったかい気持ち…。カズくんとはまた違った優しさに、思わず笑顔になる。

    「えへへ…なんだか…三角さんの方が、王子様みたいです!」
    「えーっ! うーん…さんかく王国なら、いいかも~!」

    さっきまでの、かっこいいお兄ちゃんみたいな三角さんも素敵だけど…ボクは、こっちの、いつもの三角さんの方が好きかな…。
    三角さんは一日ずっとボクに付き合ってくれて、本屋さんに行ったり、雑貨屋さんに行ったり、カズくんに教えてもらったカフェにも行った。どこへ行ってもずーっとにこにこ笑顔で…ボクが漫画の話をしても、うんうんって聞いてくれて…つい、喋りすぎちゃいました…。

    「むく王子、次はどこへ行きますか~?」
    「うーん…じゃあ、公園に行きませんか?」
    「はいっ! とっておきの場所があります!」

    連れて来られたのは寮から少し遠い大きな公園だった。遊具もたくさんあって、走り回れるぐらい広い。もう夕暮れだからか、遊んでいた子供たちが少しずつ帰っていく。ベンチに座ってお買い物した袋を纏めているうちに、静かになっていた。

    「こっちです!」

    夕陽を背負った三角さんに手を引かれて、大きな遊具のてっぺんまでかけ上がる。一番上から見える景色は、綺麗なはずなのに…。

    「…もうすぐ、帰らないといけませんね…」

    今日、初めて三角さんの笑顔が無くなった瞬間を見た。

    「三角さん、今日は本当にありがとうございました!」
    「どういたしまして~! ……楽しかった…?」

    影になって顔が見えない。けど、さみしい予感がしたから…。

    「…もちろん! 私を王子様にしてくれて、ありがとう!」

    まだまだ上手く演じられないけど、今できる精一杯の王子様で。

    「やっぱり、むくは…王子様だね~」

    笑顔に戻った三角さんを見て安心する。ホッとしたら、最近の三角さんは写真を撮ることにハマってるらしいってカズくんから聞いていたことを思い出した。日が暮れる前に、写真を撮りませんか? って聞くと、三角さんはすごく嬉しそうにスマホを取り出してジャンプしていた。
    帰り道をゆっくり歩きながら、今日のお礼に雑貨屋さんで買ったおにぎりの形のポーチをプレゼントした。三角さんはびっくりしてから、ボクの頭をたくさんたくさん撫でてくれた。そして、もう一度、やっぱりむくは王子様だね…って言ってくれた。
    …きっと、剣術も魔法も使えなくて、たくさんの人をまとめたり、国のお金のことを考えたりする賢さも無くて、お姫様に好きになってもらえないかもしれないけど……誰かのことを考えて、一緒に笑い合うことなら…ボクにも、できるかな…?

    右手に下げた袋の中、みんなの笑顔の予感がした。

    あずまのさんかく
    夕食もすませてお風呂にも入って、スキンケアも終わって髪も乾かした。もう、いつ寝てもいいように全部すませてから楽しむ夜の時間は…静かにゆっくり流れるようで、すごく好きだなぁ…。学生組は寝ちゃったし、ドラマもバラエティー番組もみんなが観たかったやつは終わったみたい。談話室にはほとんど人がいなくて、さっきまでの賑やかさが少し恋しい…。でも、不思議と…さみしくないんだよね。

    「あずま~、まだ起きてる?」
    「うん、今から少し飲もうかなって」

    今日のオシャレなおつまみは何かな? って、冷蔵庫を開ける。臣の字が貼られたお皿を見つけた頃、後ろから柔らかくて可愛い声がした。

    「じゃあ、そこに座ってくださ~い!」
    「ふふっ…三角が何か作ってくれるのかな?」

    おいしいサンカクおにぎりでも作ってくれるのかと、キッチンのカウンターに肘をかける。目線を下げた時にチラッと見えたのは、お酒のビンとシェーカー…。カウンター越しに立つ三角は、想像していたより大人で…。あぁ、そっか…大人になったんだもんね…。

    「…ここで見ててもいいかな? バーテンダーさん…?」
    「いいですよ~! 素敵なさんかくにするね!」

    何がサンカクなのか分からなかったけど、聞く間もなく取り出したオレンジを半分に切って、断面を笑顔で見せてくれた。切り口はキレイなサンカクが並んでいて、なるほどね…と、つられて口角が上がる。
    指の間に挟んだカップで量ったお酒をシェーカーに入れて、絞ったサンカクのジュースを加えてスプーンで少し混ぜた後、氷を入れて気持ちのいい音を鳴らしながら、大袈裟にならずスマートにわざとらしくなくシェイクする。どこで覚えてきたのか、流れるような手慣れた一連の動作。表情と動きに似合わない部屋着のパーカー姿に、ほんの少し三角らしさを残しながら、冷やされたグラスに注がれるオレンジ寄りの黄色い液体は…目の前の逆さまで透明なサンカクを夏色に染め上げる…。

    「どうぞ~!」
    「…すごいね。どこで覚えてきたの?」

    質問の答えを聞く前にグラスに口をつけた。さっぱりしていて飲みやすい。けど、可愛い見かけによらず度数は高めで…今日の三角みたいだと思った。かずに連れてってもらったお店で見たよ~、って教えてくれたから…じゃあ、あの可愛いカズのことを知ってるのかな…なんて。夏組の二人は、意外と大人だからね。ボクも聞かないでおこうっと…。

    「あずまに、このさんかくをプレゼントしたかったから、かずと一緒に何回も練習したんだよ~!」
    「そうなんだ…ボクのために、ありがとう」
    「どういたしまして~」

    その後、もう一杯作ってくれた。白くてキレイだねって言ったら、あずまみたい~って返ってきたら……当然、悪い気はしないよね…。

    「…あずま、酔っぱらった?」
    「うーん…どうかな?」

    本当はこんなぐらいじゃ酔わないけど…今日はかっこいい三角に酔っちゃったかも。なんてね…やっぱり、酔ってるのかな。一緒に添い寝したこともあるけど、あの頃と比べて変わらないようで変わったよね。ボクも三角も。

    「あずまは、大人だね~」
    「そうかな? まぁ…子供ではないかな…」

    できるなら、せめて子供のうちは…もっと子供でいたかったけれど。
    そんなことを考えているなんて、やっぱりまだまだ子供かもしれない。

    「…っ、おやおや…バーテンダーさんは随分、積極的だね…」

    少し俯いているうちに、カウンター越しだった三角が隣に立っていた。何も言わずに、空っぽになったボクの両手に…伝わるように体温を注ぐ…。こうしなきゃ、いけない気がしたから。なんて、柔らかく笑うから…少しだけ視界が揺れるのが分かった。

    「…お酒を飲んでね、酔っぱらった時はね…ちょっとなら、泣いても怒っても、ワガママになっても、忘れちゃっても、みんな…いいよ~って言ってくれるんだよ?」
    「そうだね…」
    「だからね~、えっと…あずまも、お酒のせいにして…?」

    オレも飲んだから。そう言って見せてくれた透明になったサンカクのグラス。さっきから顔が赤いのは、そのせいなんだね…。

    「三角もカズも…優しいね」

    冬組のみんなの優しさとはまた違った…暑さでじわりと溶かしてくれるような、夏にしては柔らかすぎる日差し。日焼けも悪くないかな…。
    白いサンカクを飲み干した後、写真を撮ろうとお願いする三角に…最後にもう一杯だけ作ってほしいと交換条件を出した。

    「今日は、ありがとう」
    「ううん…楽しかった?」
    「うん、すごく楽しかったよ」
    「…ほんとー!? よかった~!」
    「本当に。すごくいいお店だね」
    「えへへ~! もっと上手く作れるように、がんばるね~!」
    「また、来てもいいかな? 今度は、冬組のみんなも連れて」
    「いいよ~! またのご来店を、お待ちしております!」

    大人でよかった。そう思えることが、また一つ増えたことに悦びを感じながら、練習相手になるカズを想像して、ごめんねとありがとうを飲み干した。

    ますみのさんかく
    「監督」

    三角が俺に好きなものを聞いてきた。言い終わる前に当然のようにこう言ってやった。そうじゃなくてとか、カントクさん以外でとか、何か言ってた気がするけど無視した。

    「ますみ、カントクさんと、も~っと仲良くなりたくないの~?」
    「…は?」

    話を聞いてなかったから、そんな流れになってるなんて知らなかった。だったら、最初からそう言えばいいのに。めんどくさい。

    「みてみて~!」
    「……何?」

    三角が見せつけてきたのは、雑誌のモテ講座とかいうページだった。太一と一成がこれで盛り上がっていたらしい。けど、監督はこんな雑誌に当てはまるような簡単な女じゃない。もっと特別で唯一無二で…LIMEしてるだけでも俺が思ってる何倍も可愛い言葉が返ってくる…。そんな予想できないところも…好き。

    「こんな無駄なことはしない」
    「え~? ムダじゃないよ~…」
    「監督はこんな雑誌に当てはまらない」
    「でも、三角くんはいつも笑顔で素敵だね~って言われたよ?」
    「……は?」

    雑誌には "自然な笑顔が素敵な人はモテる" と、書いてあった。

    「…笑顔なんかアイツのこと見れば、すぐできる」
    「でも、にこにこじゃなくて、にやにやしてたよ~?」
    「うるさい」

    自分の笑った顔なんか鏡で見たことない。…もしかして、俺は…笑顔が下手なのか…? 三角の言うとおり、監督の前でいつもニヤニヤしてたのか…? どうしよう…きっと、監督は優しいから何も言わないだけで…俺は…。

    「ますみ~?」
    「教えろ」
    「…えっ?」
    「自然な笑顔、俺に教えろ。抜け駆けは許さない」

    それから、数日が過ぎた。俺は完璧に自然な笑顔ができるようになっていた。これで…監督も俺のこと、もっと好きになってくれるはず…。そう思って、努力の成果を監督に見せた。監督の前ではいつでもどこでも、にこにこ笑顔で接するように心がけた。その結果……。

    「……真澄くん、何かあった? 大丈夫…? って、言われた…」
    「んー…ごめんね…ますみ、元気だして~?」
    「俺のこと心配してくれるなんて…優しすぎ…大好き…」
    「…だいじょうぶかも~」

    笑顔作戦は失敗した。次に三角が注目したのは "好きって言いすぎると本心なのか分からなくなる" という項目だった。

    「それは無理」
    「どうして~?」
    「アンタだって、サンカク好きって言うなって言われたら…守れる?」
    「…それは守れない~」
    「同じじゃないけど、それと同じ」

    それ以外にも理由はあった。けど、コイツもライバルになるかもしれないから…弱味は見せられない。

    「…ますみは、本当にカントクさんが好きなんだね~」
    「当たり前」
    「あのね、もしね……カントクさんが、振り向いてくれなかったら…」
    「絶対、振り向かせてみせる」
    「そっか…」

    三角は笑ってくれたけど…俺は笑えなかった。練習の成果は全く発揮できていない。もし…なんて、考えたことが無いわけじゃない。監督のことを想う気持ちは誰よりも大きい。それは自信を持って言える。けど…俺の気持ちだけじゃ、どうにもならないのが……恋愛だから。

    「いつか…監督に、好きって言えなくなる時が来るかもしれない」
    「…うん」
    「だから、今…言えるうちに、たくさん伝えておきたい…」

    考えるだけで、想像するだけで、苦しくて胸が押し潰されそうになる。なぜか、三角も辛そうな顔をしていた。辛そうに笑いながら…俺の頭を撫でた。子供扱いするな。そう言って、手を払うこともできた。けど…できなかった。

    「好きな人とか、好きなものとか、好きなのに…好きって言っちゃいけないのは……すごく辛いもんね…」

    俺は…どこか懐かしいような手つきで頭を撫でられながら……ただ、黙って頷くことしかできなかった。

    「ますみ、写真撮ろう?」
    「…は?」

    空気を読んだのか読んでないのか、急に意味不明なことを言い出した。そう言えば、一成に撮り方を教えてもらってから、他の奴らとも撮りまくっているって聞いた。…監督とも撮ってたら本気で許さない。

    「あ~…せっかく、練習したのに~!」
    「下手」

    撮り終わった画面には、笑顔の三角と真顔の俺がブレて写っていた。

    かずのさんかく
    「あっ、いたいた~」
    「あっ! かず、見つけた~!」

    大学から帰って来て、しばらくずっと探していたサンカクを見つけた。すみーもオレのことを探してたみたい。もしかして、二人で寮の中をぐるぐる歩き回ってたから見つからなかったのかも。

    「あのねー」
    「あのさー」

    さっきから言いたいことがカブっちゃって、その度に笑っちゃうから話が全然進まないんだけど! なんか、いいことあったみたい! すみーはいつも笑顔だけど、今日はいつにも増して嬉しそうにしてた。

    「かずから、言ってもいいよ~!」
    「えー? じゃあ、言っちゃうよん!」

    持っていた袋の中からガサゴソと音をたてながら取り出したのは、帰りにコンビニで見つけたお菓子。小さいサンカクのテトラパックで色も夏っぽくて、すみーにあげたら喜ぶかなって、パケ買いしたやつ!

    「…すみー…?」

    思ってたより反応が薄い。なんかヤバいことしちゃったのかと思って、言葉をかけようとしても、何も思い浮かばない。お芝居のアドリブはできるようになってきたけど…やっぱ、こういう時は難しいよね…。

    「えーっと…」
    「かずっ、すごーーい!!」
    「……えっ?」

    顔を上げたすみーは、さっきよりも嬉しそうで…目がキラキラしていた。っていうか、めちゃ興奮しててその場でジャンプしちゃってる!

    「あのね、これ…見て~?」

    子供みたいにバタバタしてるすみーが見せてくれたのは、オレが買ってきたのと同じお菓子だった。

    「…えぇっ! マジ!?」
    「まじ、まじ~~!」
    「オレとすみー、めっちゃ仲良しじゃん!」
    「そうだよ~! さんかくフレンズだよ~!」

    とりあえず、ホッとした。もしかしたら…傷つけちゃったのかと思ったから。すみーはびっくりしてただけだったんだねー。オレの方がびっくりしちゃった……本当に、よかった。

    「これ、かずにぴったりの、さんかくだと思ったから~!」
    「ありがと! でも、すみーの方がぴったりじゃない?」

    パッケージには輪切りにされたレモンがあって断面もサンカクだし。色も形も、やっぱりすみーにぴったりだなって改めて思う。ご飯前に食べちゃっても大丈夫なように小さいやつだし! でも、いくらサンカクのままがよくても賞味期限までにはちゃんと食べてねー!そう話しながら自分の部屋に戻ろうと談話室の扉に手をかけた時だった。

    「かず、これ…開けてみて?」

    なんで今なのか、全然わかんなかったけど…さっきまで、子供みたいだったすみーの目がすごく優しくてあったかくて…。こういう時に、すみーがすごく大人に見える。オレもすみーとは違った形で、ちゃんと大人になれてたらいいな…。

    「…これね、ハートの形なんだよ~」
    「ホントだ! かわいいじゃん!」
    「…うん! ……かずのかたち!」

    自分で買ったのに全然気づかなかった。パッケージがサンカクってことしか頭になくて…そっか、中身はハートの形だったんだ…。

    ……でも、何でオレの形?

    「かずはね~、写真撮る時に手とか指でハートをつくったり、ハートのお洋服着てたり、えすえぬえす…? で、たくさんハートを貰ったりしてるから~!」
    「なる~…すみー、さっすが~!」
    「それにね、かずは…すごーく、優しいから!」
    「…すみーもじゃん!」

    二人で笑い合った後に、写真を撮ろうとスマホを構える。お菓子を持つ手はもちろん、サンカクとハート…にすると自撮りはできないから、ちょうど買い出しから帰ってきたおみみに撮ってもらった。二人は仲がいいなって笑うおみみに、だってトモダチだもんね~!って返す。すぐに、おみも友達だよ~!って…また一つ、すみーの優しさを目の当たりにする。……間違いなく、ここが、寮で一番あったかい場所だった。

    サンカクの小さな夏を開けて、二人で口に入れた優しいカタチは、予想よりずっとすっぱくて…。あんまり優しい感じじゃなかったけど……季節外れの、待ち遠しくて騒がしい味がした。

    たすくのさんかく
    「…こんこんこん! 開けてくださーい!」

    稽古も食事も風呂も終わり、各々が部屋で寝るまでの時間を過ごしていた時のことだ。サンカク好きそうな声が部屋を訪ねてきた。紬が返事をして扉を開けると、予想していたとおり、そこに立っていたのは斑鳩だった。紬を月見にでも誘いに来たのかと思ったが……それは、違った。

    「たすくに、用事があって来たんだよ~」
    「俺にか? …何だ?」
    「用事じゃなくて、お願いだった~!」
    「…俺は東さんとは違うからな。添い寝は断る」
    「ちがうよ~」

    もう一つの予想もハズレだった。話を聞いていた紬が、違うって…残念だったね…一緒に寝たかったのにね…と、わざと気の毒そうに言うのを、少し面白くないと思いながら斑鳩の話を聞くことにした。

    「明日の朝、たすくと一緒に走りたい! ……いーい?」

    なんだ、そんなことか。斑鳩は体力もあるし、俺のペースにもついて来られるだろ。早起きさえしてくれれば、そんなお願いはいくらでも聞いてやるつもりだった。

    「一つ言っておくと……途中でサンカクやら猫やらを見つけて勝手に行動しても、俺は知らないからな」
    「うーん…それは、ちょっと…わからない~」
    「わからないのか…」
    「でも、頑張って我慢するから~」
    「三角くんもこう言ってるし…一緒に走るぐらい、いいんじゃない?」
    「まあ…」
    「…あっ! たすく、公演のため~! 公演のためだから~!」
    「……紬、お前…また何か変なこと教えただろ…」
    「っ、…変なことは教えてないよ?」

    声も体も少し震えている。顔は見えなくても確実に笑っていることが分かった。どうやら、紬は…俺に対する有益な情報を斑鳩に吹き込んでいるらしい。本当に…変なことは教えてないだろうな? いや、べつに…知られて困るようなことは何もない…と、思う…。

    「わかった…わかったから、もう寝ろ」
    「…いいの? ありがとー!」
    「寝坊しても起こさないからな」
    「はーい!」

    今から眠れる気がしないほど元気なおやすみの後に、静かに扉が閉まる音がした。そろそろ寝ようと布団に入る前、俺の顔を見ながら…丞、嬉しそうだね…と言った紬に、うるさいとだけ返して眠りについた。

    「おはようございまーす!」
    「…おはよう」

    次の日の早朝、斑鳩はちゃんと早起きをして走れる服に着替えて、玄関の前で待っていた。俺のそばでくるりと回り、サンカクのジャージだと見せられた。

    「しゅっぱーつ!」
    「最初はゆっくり走った方がいいか?」
    「ううん、たすくのペースでいいよ~!」
    「辛くなったら無理せずに言え」
    「はーい!」

    斑鳩は、いつもの俺のペースにも遅れることなくちゃんとついてきた。ただ、フォームは崩れていて体も上下に跳ねすぎだ。無駄が多くて普通ならすぐバテる走り方なんだが…やっぱり体力はあるんだな。マラソン用のちゃんとした靴じゃなくて普通のスニーカーを履いているのが心配だったが…靴擦れもしていないし、大丈夫そうだ。……が、目にうつる周りの物に気をとられて、前を見ていないことが多いのは危ない。フォームは斑鳩がそれでいいならいいが…いくら交通量が少ない時間帯とはいえ、これだけは気をつけるように言い聞かせた。

    「…あーっ!」
    「前を見ろ」
    「たすく、こたろーだよ~!」
    「あぁ…」

    公園のそばを走っている時、近くの家で飼われている柴犬を見つけた。斑鳩が言うには、こいつは俺のファンらしい。丁度、公園で休憩しようと思っていたこともあって、少しずつ速度を落としながらこたろうの家の前まで来た。

    「こたろー、たすくだよ~!」
    「…高遠丞だ」
    「近くで見ると、もっとかっこいいね~だって!」
    「…本当にそう言ってるんだろうな?」

    斑鳩の言葉を信じて軽く手を振ってやると、こたろうは嬉しそうにジャンプしながら吠えた。まだ早朝ということもあって、斑鳩が犬語らしき言葉で話すとおとなしくなった。

    「…たすく、今から公園でお芝居しない?」
    「こいつに見せるためにか? まあ…俺は構わない」
    「よかったね、こたろー…ちゃんと見ててね~」

    小さく吠えた姿に背を向けて、公園へ歩きだす。こうえん、こうえんだ~!と、斑鳩のくだらない言葉遊びにも笑えるほど…今の状況が、芝居をするのが…楽しくてしかたないらしい。

    「…ストリートACTだと思われてたな…」
    「おひねり、もらっちゃったね~」

    知ってはいたが、斑鳩は芝居になると別人のようだった。組が違うから一緒に芝居をすることは少ないが、ここまで役に入り込む姿を見せられると…斑鳩と、もっと芝居がしたくなる。時間帯を考えて声を控えめにしたはずが、気づけば辺りに響くほどの声が出てしまっていた。当然、こたろうにも届いていた。

    「…ありがとう。気持ちだけもらっておく」

    こたろうは自分の餌のドッグフードをおひねり代わりにして、俺にくれようとしていた。これから毎朝、見かけたら手でも振ってやろうかと思う。今の俺をちゃんと見てくれているファンを…大事にしたいからな。

    「たすく、嬉しい~?」
    「……否定はしない」
    「オレも、嬉しい~!」
    「サンカクじゃなくてもか?」
    「えへへ~…さんかくだよ~」

    相変わらず、普段はよく分からないやつだ。帰り道を走っている時も、思い出したように急に立ち止まって、写真を撮ろうと言い出した。どうせなら、公園で撮ればよかっただろ…。全く…変わったやつだな…。

    「あ~! たすく、笑ってる~」
    「芝居をするのが楽しかったからな」
    「たすくが喜んでくれて、よかった~!」
    「…紬には言うなよ」
    「はーい!」

    寮に戻って玄関の扉を開けると、朝食のいいにおいがした。汗を流した後の洗面所で、お互いに今日はありがとうと礼を言う。また、一緒に走ってもいいか聞かれ、もちろんだと返した。ただ、その靴だと走りにくいし靴擦れも起こしやすいから、今度シューズを買いに行く約束をした。シューズもさんかく柄がいいらしい。探すのに苦労しそうだと思いながらも、自然に緩む口元を鏡に教えられた。

    「たすく、ありがとう~」
    「…朝、走ったことか? それなら、もうわかったから…」

    「朝ごはん…いつもより、おいしくしてくれて、ありがとう~!」

    ちかげのさんかく
    「……ちかげ、眠くない~?」

    騒がしい談話室を抜けて比較的静かなバルコニーで仕事を片づけている時だった。何か物音がするなと思ったら、窓から部屋に入ろうとする三角がいた。眠くないよ、とだけ答えてすぐに目線をパソコンへ戻した。確かに、この場所は気が抜ける…けど、そんなにだらしない顔をしていたのか…?

    「ちかげ、ちゃんと寝てる…?」
    「まぁ、それなりに」
    「お稽古も、お仕事もしてて、疲れてない?」
    「…疲れてないよ」
    「ほんとー? オレ、ちかげが寝てるところ、見たことない~」
    「どこかのマシュマロ狂いと違って、部屋でしか寝ないからね」
    「うーん…そうじゃなくて~…」

    目の前のサンカク狂いの意図が分からない。誰かと話がしたいなら余所へ行けばいいだろ。それ以上、会話は続かずカタカタという文字を入力する音だけが僅かに聞こえていた。

    「…ちかげ、お仕事いつ終わるの?」
    「何か用があるなら…今、聞くけど?」
    「まだ、ダメ~!」

    何がダメなのか知らないし、あまり興味も無いけど……何か思いついたような顔で談話室に走って行く後ろ姿は、嫌な予感しかしないな…。まさか、猫さんと遊んで仲良くなって癒されよ~! とか言って、連れてきたりしないだろうな…。

    「はぁ…」

    予想がつく余計なお世話候補をいくつか思い浮かべるうちに、それが無意識だったことに気がつく。会話もせずに動いていた手は止まり、仕事はほとんど進んでいない。数分おきに気づいてないつもりで様子を見に来る姿にも、気が散って仕方ない。効率が悪すぎる。キリのいいところで仕事を中断させ、テキトーに遊びに付き合ったら再開しよう。…そう思い、分かりやすく席を立つ。

    「お仕事、おわったー?」
    「ああ……それで?」
    「こっち、こっち~!」

    連れてこられたのは、さっきまで騒がしかった談話室だった。週末の昼間だというのに他の団員は誰もいなかった。数人でくっついて座っていたソファには、代わりに騒がしい柄のクッションが一つ置かれていた。

    「ちかげ、お昼寝しよう?」

    同じく騒がしい柄のブランケットを持って、そこに寝るように言われる。こんなに明るいうちから、こんなに人の出入りが多い場所で寝られるはずがない。断ることはいくらでもできた。脅されているわけでも、断って俺に不都合なことがあるわけでもない。なのに、何故…?

    「オレも、ここにいてもいい…?」
    「…静かにしてくれるならね」
    「はーい! 頑張って静かにするね…」

    気づいたら俺は、まんまとソファに寝かされていた。静かにする約束をしたにも関わらず、案の定…三角は、子守唄うたう? お腹ぽんぽんってする? と、対象年齢がかなり低めの世話を焼いてきた。

    「じゃあね、うーん……」
    「羊の代わりに、サンカクでも数えてくれないかな?」
    「……っ! かしこまりました~! …あーっ!」
    「どうした?」
    「さんかくがいっぱい増えたら…うれしくて眠れないかも~!」
    「…マルにする?」
    「それはやだ~…さんかくがいい~!」
    「じゃあ、サンカクで」
    「はーい!」

    寝るつもりは無かったけど…一応、メガネをはずしてテーブルの上に置いた。俺を気遣っているのか、顔が見えないようにソファの後方からサンカクを数える小さな声がする。冷静に考えてみると、変な状況だ。何で、こんなことに…。
    三角は咲也に似ているところがある。決して強引ではないし、何かに誘われても断ることは容易にできるはず。…それなのに、簡単なことなのに、できないんだ。最初のうちは何も思わずできていた。それが、最近になって難しくなってきた。情が湧いているのか、偉そうに可哀想とでも思っているのか…。違うな…単純に、悲しい顔を見たくない…結局は自分のためか…。けど、ここにいるのは、そう思わせてくれるほど…傷つけたくない優しい子たちばかりだ。……なんてね。

    「…ちかげ……もう寝た~?」

    本当に寝るつもりはないけど…面倒だから寝たフリをした。えへへ…という満足そうな笑い声が小さく聞こえた後、談話室の扉が静かに閉まる音がした。サンカクの数はこれ以上増えず、一人残された部屋でそっと目を開ける。

    「…やっぱり、騒がしいな…」

    自分でも気がつかないうちに、体が疲れていたのか…カラフルなサンカクの肌触りの良さに包まれながら、瞼が重くなっていくのを感じた。

    「……っ」

    目が覚めると、頭が二つ並んでいた。三角と密が床に座ってソファにもたれるようにして寝ていた。

    「…うわっ…!?」

    体を起こすと、寝ている間に乗せられていたぬいぐるみ達がポロポロとこぼれ落ちた。三角は俺のこと、いくつだと思ってるんだ…。

    「あっ…ちかげ、おはよ~!」
    「おはよう…」
    「…これは?」
    「起きた時に、ちかげがさみしくないようにね…さんかくクン達に手伝ってもらった~」
    「ペンペンもいる…」
    「それと、おみがね~、お昼寝おわった後に食べてねって、おやつ作ってくれたよ~!」
    「クッションたくさん置いてくれたのは椋、ブランケット何枚もかけてくれたのは咲也、アロマ焚いてくれたのは東」
    「あと、みんな静かにしてくれたよ~」
    「…一番うるさかったのはアリス」
    「ちかげ、よく眠れた…?」
    「ああ、お陰様で…ぐっすりと」
    「よかった~! あっ、写真撮ろ~!」
    「いいよ」
    「……まあ、いいか」

    最近のマイブームらしい。間の抜けた寝起きの写真を嬉しそうに見せられる。自分でも驚くほど無防備な顔をしていた。もちろん、密も。本当にここは…どうしようもなく気が抜ける…。

    「三角、ありがとう。クッションとブランケット返すよ」
    「このブランケットはオレの…」
    「このさんかくクッションは、ちかげにプレゼント~!」
    「ちなみに、オレのブランケットとおそろい」
    「…悪趣味だな」

    三角にもう一度ありがとうを伝えると、さっきよりも満足そうな笑みを見せてくれた。また、お昼寝しようね…!という約束をしてぬいぐるみを片づけに部屋に戻った。ソファの上に残されたブランケットを軽く畳むと、ふわりと落ち着く柔らかい香りがした。

    「ここの住人は、世話焼きばかりだな…」
    「うん…床で寝てても運んでくれるし、ブランケットもかけてくれる」
    「……まあ、嫌いじゃないかな」
    「知ってる…」

    ……騒がしいのも、悪くない気がした。

    ありすのさんかく
    バルコニーに立つと見慣れた街並みから、撫でるとは程遠い…まるで獣のように鋭く尖った爪をゆっくりと引くような風が頬に触れる…。吹き抜けるエモーション、追想のバイブレーション…ラビリンスなハートは戯れのシークレット…!

    「……うむ、なかなかいい詩だ」
    「…よいしょ、っしょ…あっ! ありすだ~!」

    声の主はバルコニーをのぼる三角くんだった。この間も注意されていたはずだが…? 密くんといい、どうして玄関から入らないのかね…? 天才のワタシには理解しがたいよ。そもそも、そんな行動をやってみたいとも理解しようとも思わないがね。

    「バルコニーを玄関にするのは、危ないからやめたまえ!」
    「ごめんなさーい!」
    「全く…キミも少しはワタシのように紳士的に…」
    「そういえば…前にも、こんなことあったね~!」
    「……ん? あぁ…あの時は疑ってすまなかったね…」
    「ううん、見つかってよかった~!」

    時計さん、元気~? と、聞いてくる姿はお酒を口にできる年齢とは思えないほど子供らしい。元気だよ…と一言だけ返し、繊細に秒針を刻む姿を見せる。形には興味が無いらしく、耳をそばだててカチッ…カチッ…という音を聴いているようだった。

    「…あったかい音がするね~」
    「あったかい音…?」
    「うん…優しくて、あったかい音だよ…」
    「三角くんは凡人とも天才とも少し違った感性を持っているようだ…」
    「わかった~! さんかく感性かも~!」
    「はっ…! そうかもしれないね…!」

    先ほどの尖った風を忘れるほど柔らかい笑みは、冬の冷たい雪をも水に変えてしまいそうだ…。それにしても…どこを通って帰ってきたのか、服には水滴が跳ねており…それは、髪にも跳ねていた。

    「…三角くん、髪が濡れているよ」
    「えっ、どこー?」

    持っていたハンカチを取り出して髪を拭うと、澄んだ冬の夜空のように目を輝かせる三角くんになった。季節が巡るのはあっという間だね…。

    「ありすのハンカチ、さんかくだ~!」
    「…あぁ、そういえば…サンカク柄だね」
    「いいな~! いいな~!」
    「今度、新品の物をプレゼントするよ」
    「これがいいな~…」
    「これがいい…? これは何度か使用して…」
    「ありすの優しいがつまってるから、これがいいな~…」

    変わった子だと思っていたが、本当に変わった子だ。変人だ。そういうワタシも、理解しがたい変人だとよく言われるが…。

    「…では、今からこのハンカチは三角くんの物だ。好きに使いたまえ」
    「ありがとう~!」

    そのあと、お礼にとさんかくポエムを詠んでくれた。実に興味深く無限に広がるサンカクの可能性を感じ、逸材かもしれないとさえ思った。……もちろん、ワタシには劣るがね。

    「ありす、さんかくポエム…じょーずだった~?」
    「うむ…それは、わからない。芸術は上手か下手かでは表せないからこそ面白いのだ」
    「…そうなんだ~」
    「ああ、芸術とは人々の心を繋ぐ。崇高で甘美な生命の砦。それこそが芸術なのだよ」

    …三角くんにはまだ早かったか。ぽかんと口を開けて影をつくる睫毛を蝶のように羽ばたかせていた。

    「ありすは、目に見えないものが、たくさん見えるんだね~」
    「…? 幽霊という生き物には風情があって、詩興をそそるが…」
    「そうじゃないよ~、音とか…心とか…」
    「いや、ワタシには人の気持ちはわからないよ。だが、人の身になって考えることはできる。それがあっているかどうか…わからないがね」

    「…でも、オレは…ちゃんとわからなくて、よかったって思う…」

    どこで、なにを、間違ってしまったのか…。三角くんの笑顔は、冬を越せなくなっていた。元気が出るような詩も浮かばず、ただ…黙っていることしかできない。……傷つけて、しまったのだろうか…?

    「…ここにずっといては凍えてしまうよ。中に入って着替えたら…談話室へおいで。とっておきの、あたたかい紅茶をご馳走しよう」

    何が正解なのかわからない。三角くんの身になって考えるなんて…いくらワタシでも想像もつかないことだ。これで合っていたのか…どうすれば、よかったのか…サンカク、さんかく……サンカク…?

    「――はっ! 閃いた!」

    確かここにあったはずだとキッチンの戸棚を開けると、思っていたとおり…三角くんが喜びそうな物を見つけた。髪を乾かして着替えた三角くんはワタシを手伝おうと声をかけてくれたが、それを断って座っててもらうことにした。

    「……あぁーっ! さんかく紅茶だ~!」
    「頂き物だが、ここの紅茶はなかなかだよ。好きなのを選ぶといい」
    「ありがと~!」

    ユーモア溢れるデザインのサンカクに包まれた茶葉をお湯に浸すと、美しく色づく様子は秋のようだった。三角くんといると不規則に季節がころころ変化して楽しいよ。…少しでも、雪がとけるだろうか…?

    「はぁ~…あったかくて、おいしいね~…」
    「そうだろう? 紅茶を飲みたくなったらいつでも言うといいよ」
    「はーい!…ありすは、優しいね~」
    「……だとしたら、三角くんにも見えているはずだよ」
    「えっ…?」
    「もちろん、ワタシにもね。きっと、他のみんなにも…ね?」

    ふわりと紅茶の香りが柔らかな風になる。写真を撮ろうと…クリスティーヌも一緒にと言い出したのは三角くんだ。ワタシの溢れる才能は写真には収まらないと思ったが、それでもいいのだ。目に見えない思いを形にして未来に残す。残されたものから過去を思う。そのどちらも大切で素敵なことなのだと…ワタシも三角くんも、よく知っているはずだ。

    三角くんが押すシャッターの音、秒針が時を刻む音…。
    ワタシには、そのどちらも……不器用な音にしか聞こえなかった。

    しとろんのさんかく
    「ごちそうさまでした~!」
    「ごちそうさまダヨ!」

    ある日の午後のこと。ミスミが握ってくれたサンカクおにぎりを食べてお腹を満たした。けど、これは…本来の目的じゃない。

    「それじゃあ~、はじめまーす!」
    「ミスミ先生、ヨロシクネ!」

    今日は、ミスミ流おにぎりの作り方を学ぶ約束をしていたのだ。このカンペキなおにぎりを我が国に伝えるために、しっかり習おうと思う。

    「まず、手をあらったらー…ご飯をよそって…」
    「オー…炊きたてのごはん…熱そうダヨー…」
    「ちょっと冷ましてもいいし、らっぷを使ってもいいよ~!」
    「なるほどネ!」
    「でも、オレは…手でやるのが好き~!」
    「ミスミ先生がそう言うなら、ワタシもソデでやるヨ!」
    「……そで~? そでは、きたないから、だめだよ~」

    こんな調子で会話をしながら、たまに日本語を間違えて、いつもみたいにツヅルの鋭いツッコミは無いけれど…ミスミの優しさやいいところに、たくさん触れられた楽しくてステキなひとときだった。

    「できたー!」
    「オー…美しい…ミスミのおにぎり、いつ見てもカンペキネ!」
    「じゃあ、食べてみよ~!」
    「いただきますダヨ!」
    「…おいしい~?」
    「手に馴染む形、口に入れるとフワッとほどけるお米、絶妙な塩加減、ノリとのハーモニー、ピのプチどころがないネ……」
    「やったね~! おいしいさんかく~!」

    さっき、満腹になるまで食べたはずなのに。もう一つ、もう一つ…と、手を伸ばしたくなる。美味しすぎて止まらないほど。具を入れなくても美味しいが、今日はミスミが選んでくれた具材を包んで握ったから、いつもより特別な気がした。

    「ミスミはこの作り方、自分で考えたネ?」
    「ううん、じいちゃんに教えてもらったんだ~」
    「オー…ミスミのおじいさんは、すごいネー!」
    「…うん! じいちゃん、すごいんだよ~!」

    それからミスミは、おじいさんのすごいところをいくつも教えてくれた。キラキラした顔を見せてくれたり、勝手に揺れてしまう瞳を隠しきれていなかったり、切なくてあったかい表情を見せたり…。

    「教えてもらったときはね、まだちっちゃかったから…手もちっちゃくて、じょうずに作れなかったんだ~…」
    「今は、カンペキにつくれるネ!」
    「うん! でも…じょうずに作れるようになったところ、じいちゃんに見せてあげられなかったから…」
    「……ミスミ、」
    「…じいちゃんに、食べてほしいなぁ…」

    何も言えずに背中をポンポンと撫でる。ごめんね、と笑った顔が後片付けをしようと立ち上がった。

    「ミスミのおにぎり、ちゃんと我が国に伝えるヨ…」
    「ありがとー! みんなにおにぎりとさんかく、広めよー!」
    「そしたら、誰かがミスミのおじいさんに会ったとき、ミスミのおにぎりを伝えてくれるネ!」
    「……えへへ…そうだといいな~…」
    「今日はありがとうダヨ!」
    「どういたしまして~!」

    後片付けを全部済ませて、作ったサンカクおにぎりを片手に写真を撮った。誰かに対する気持ちは目に見えないけど、写真にうつるこのおにぎりは…目に見える愛情のカタチだと思った。

    ……それはそれは、キレイなサンカクだった。

    《 …違う。もう少し力を抜いたらどうだ? 》
    《 どうも分からないところがある。俺が直接、斑鳩に教わった方がいいのではないだろうか? 》
    《 私がお前に伝えることに意味があるんだ 》
    《 シトロニアは時々、俺には理解できないことをするな… 》
    《 お前は何も分かっていないな 》
    《 …そう、言いたいだけじゃないのか? 》
    《 なんだ…分かってるじゃないか 》

    フッと柔らかく微笑む姿を見て、これもそうかもしれないと思った。日本の絵本で読んだように、サンカクのおにぎりは面白いほどにコロコロと転がっていく。穴に落ちたぐらいでは止まらず、その行く先々で、繋がってどこまでも広がっていくのだと思うと…ワキワキしないか…?

    てんまのさんかく
    よく晴れた昼のことだ。三角がオレの予定を聞いてきたから、午後からはオフだと言った。そう聞いた途端、目を輝かせる姿に嫌な予感しかしない…。そういえば、一成や椋が一緒に写真を撮ったとかなんとか言ってたな…。幸も一緒に買い物に付き合ってもらったとか…。べつに、オレはまだだから楽しみとか、そういうわけじゃない! ただ、普通そういうのは…リーダーのオレが一番最初に……。

    「じゃあ、いっくよ~!」
    「…はぁ? ちょっ、おい! 待て!」

    いつもの気が抜けるいってきますの声と共に、右腕を掴まれたオレは靴もちゃんと履けていないうちに、寮の外へと連れ去られた。

    「ちょっと待て! 止まれー!」
    「な~に?」
    「何じゃない! いきなり、どこへ行く気だ!?」
    「ないしょだよ~!」

    三角はまたオレの腕を掴んで走り出した。どうせ、サンカク探しとかそんなんだろ。全く…これで本当に年上か? 落ち着かせようにも、このテンションの三角を落ち着かせるのは簡単なことじゃない。それは、今までの経験からよく分かっていることだった。仕方ないから遊びに付き合ってやるかと諦めた時、やっと…今の状況を理解した。

    「…って! なんで手繋いでるんだ…!?」
    「え~? だって、てんまはすぐ迷子になっちゃうでしょ~?」
    「さすがに、こんな近くの公園じゃならないだろ!」
    「なるよ~…だって、てんまだもん!」
    「なっ…失礼だぞ!」
    「ごめんなさーい!」

    そのあと、三角は公園の奥の草木が生い茂る場所へ入り込んでいった。正直、ここから一人で帰ってみろと言われたら…悔しいけど…たぶん、無理だ。でも、だからってガキじゃあるまいし…。

    「てんま、着いたよ~」
    「…着いたって、お前が……あっ…」

    草木をかき分けた先には、猫たちが集まっていた。ここ、あれか…椋が言ってたな。オレも来たことがあるけど、仕事があって長くはいられなかったからな…。決して、自分一人で来られないからじゃない。

    「みんな、てんまに会いたがってたよ~!」
    「そんな…お、覚えてるわけないだろ…」
    「あ! てんま、照れてる~!」
    「照れてない!」

    思わず大きい声を上げると、猫たちはびっくりして三角の方へ行ってしまった。……ふん。せっかく、撫でてやろうと思ったのに…。

    「…だいじょうぶ、てんまは優しいよ…」

    三角のそばにしゃがんでみる。言葉を理解しているみたいに、猫たちが近づいてきた。そっと手を伸ばすと、指のにおいを嗅いだり舐められたりした。そのまま、撫でようと頭に触れると、すりすりと寄ってきた。

    「てんま、猫さんたちと遊びたいって言ってたから~」
    「いや、オレはべつに…」
    「素直じゃない~…でも、そんなところも、かわいいね~!」
    「…っ、うるさい!」

    三角はオレのことを弟のように見ているところがある…。こんなに猫たちがいる中で、オレの頭を撫でるなんて本当に変わってる。それでも…やめろと手を振り払えなかったのは事実だ。幸が見てるわけでも、一成がスマホをかまえてるわけでも、椋と九門が羨ましそうに見てるわけでもない。…今日ぐらい、今ぐらい……まぁ、よしとする。三角の撫でる手が恋しくなった猫たちは、オレのところに集まってきた。優しくそっと撫でると、目を細めて気持ちよさそうにしていた。

    「かわいいね…」
    「…そうだな。ちょっと気まぐれでツンデレだけどな」
    「あはは~、ホントにね~!」
    「…? なんだよ?」
    「なんでもないよ~」

    ふにゃっとだらしない顔で笑ったかと思うと、急に写真を撮ろうと言い出した。…やっときたか。あとで他のやつらと撮った写真を見返した時に、誰よりも目を引くようなカッコイイ写真にしてやる。オレは誰よりも撮られ慣れているからな! オレ様に、まかせておけ!

    「…うわっ…!」

    スマホをかまえた三角の隣で、完璧な笑顔でシャッター音が鳴るのを待っていた。……が、鳴る前におとなしかった猫が跳びついてきて、いきなりでびっくりしたオレは…カメラから目線を外した情けない顔をバッチリ撮られていた。当然、消してもう一回撮ろうとしたが、三角はこれがいいと聞かなかった。…意外と頑固なところあるよな…。幸と一成には絶対に見せないと約束をして、寮に帰ることになった。

    「てんま、今日はありがと~!」
    「ああ……オレも、こいつらと遊べて…楽しかった」
    「…また来ようね」
    「そうだな。今度は夏組みんなで来るか」
    「うん! 猫さんたち、うれしくて、びっくりしちゃうかも~!」

    帰り道はゆっくり歩きながら並んで帰った。たまには、こういうオフの日もいいな…って考えているうちに寮に着いた。

    ……道は、覚えられなかった。

    いたるのさんかく
    今日もスマホと向き合いながら流れるようにゲーム内の日課をこなす。休日でもそれは変わらない。変わるとしたら、大きい画面に向かう時間が長くなることぐらいかな。食事を済ませて、再び部屋に引きこもろうと部屋の扉を開ける。

    「…よし。いない」

    たまに、というか、わりとしょっちゅう、コントローラー泥棒が侵入することがある。交渉用のお菓子のストックはあるけど、せっかくの休日…あまり時間を無駄にはしたくない。

    「……っしゃ!」

    そういえば、写真撮るのにハマってるって、誰かが言ってたな…。あと、誰かをおもてなしするのも好きらしい。東さんはカクテル作ってもらったって言ってたし、俺にも夜食とか作ってくれないかなー…おにぎりでいいから。三角の好きな具でいいし。あ、でも…たらこはパス。

    次は俺の番かなんて分からないのに、三角からのおもてなしが楽しみだった。今までも夜食におにぎり作ってくれたことあったし、これは期待大。写真なんかいくらでも撮るから。……そこまで考えて、気づいたことがあった。ここ数日のことを考えると、妙に三角にじ~っと見られていた気がする…。かといって、話しかけてきたりするわけでもないし…どちらかと言うと、目が合うと逸らされるし、会話が減ったような…。

    「…えっ、俺って…もしかして、嫌われてる…?」

    自分で発した言葉がグサッと胸に刺さる。幸や真澄や莇みたいな反抗期ピックアップガチャの子たちに言われるのとはダメージが違う。…でも、嫌いなら目なんて合わないか。ホッと胸を撫で下ろそうと思ったけど、まだ何も解決していなかった。

    「こんこんこん! いたる、いますか~?」

    返事をするとスマホを持った三角が入ってきた。完全にバッドエンドは免れた。このルートであってるあってる。俺は特に何もしてないけど。

    「いたる、うれしい~?」
    「……えっ?」
    「にこにこ~?」

    安心したのも束の間、三角の言ってる意味が分からない。え、なに? …俺、試されてる? 焦らされてかまってもらえて嬉しい? …ってこと? えっ、なにそれ。イケメンにしか許されないやつ~…ドキッてするやつ~…確かに、急に避けられてるみたいでショックだったけど……こんなことできるんだ。素直で子どもみたいだと思ってたけど、三角って意外と大人だよね。やる相手間違ってるけど。

    「オレね~、我慢したんだよー! いたるが、喜ぶと思って!」
    「……ごめん。何のことか、ちょっと…」

    「いたるのコントローラー、とらなかったよ~!」

    とろんとした柔らかい目元を少し細めて笑う三角は…褒められたい子どもみたいだった。思わず、ありがとう…って口から出た。手が勝手に頭を撫でていた。俺のコントローラーだから、それが普通なんだけどね。なんとなく…嬉しいような胸が痛いような、複雑な感情がうるさくて。

    「いたる、うれしくなかった…?」
    「あー…嬉しいよ。新しいゲームやりたかったから、助かった」
    「よかった~!」
    「でも、たまになら…貸してあげるけど?」
    「うん! ありがと~…いたるは、優しいね~!」

    ……それは、三角が優しいからだと思う。たぶんね。

    「…そんなに我慢してまで、しなくていいから」
    「そっか、わかった~…むずかしいね…」
    「気持ちは嬉しいけどね。三角が我慢して、嫌な思いとか辛い思いをするのは…ちょっと違うかと」
    「うーん…?」
    「みんな、三角のことも大切だと思うし。一緒に楽しめることとか、お互いに嬉しいこととかね……まぁ、口で言うのは簡単だけど、実際は難易度かなり高め」

    言いたいことや伝えたいことが上手く言葉にできない。子どもじゃないけど、俺みたいな汚い大人よりかは純粋で、言葉も真に受けてしまう気がするから。咲也もそうだけど、家庭環境とか複雑そうだし、今までたくさん傷ついた瞬間があったんだと思う。だから、ここでは…変なことで傷ついてほしくない。クソ真面目に話したけど、少しは伝わってる…?

    「わかった~!」
    「…マジ?」
    「うん!」
    「理解力カンスト」

    「…いたる、一緒にゲームしよう…?」

    これで、あってる~? って聞く三角に、持っていたコントローラーを渡す。前に言ってたサンカクが出てくるゲーム…探しておきました。画面に夢中になる前に撮った写真には、柔らかい目元も口元のサンカクもうつっていた。

    たいちのさんかく
    「たいち、みてみて~!」

    買い出しから帰ってくると、三角サンが折り紙でつくったサンカクを見せてくれた。買い物袋をテーブルの上に置いて、冷蔵庫にしまいながら話を聞く。そしたら…あとは俺がやるからいいぞ、ありがとな…って臣クンが。こういうところがモテの秘訣なんッスよね~!

    「オレも手伝う~! 三人でやったら、しゅっ! ってすぐできるよ~」

    三角サンのこういう優しい気遣いは、さすが夏組のお兄さんだなって思う。ほっこりした気持ちのまま、たくさんの食材が手際よく冷蔵庫に吸い込まれていくのを見て、今日の夕飯を想像するとワクワクした。

    「そういえば、三角サン…折り紙してたんスよね?」
    「あ~っ! そうだった~!」

    三角サンが見せてくれたのは、折り紙でつくったサンカクくん。さっき、チラッと見ただけでは分からなかったけど…何度も何度も折った跡が見えた。きっと、俺がつくろうと思ったらもうちょっと上手くつくれると思う。けど…それって、言ってもいいのかな…?

    「三角サン、折り紙上手ッスね~! 俺っちにも教えてほしいッス!」
    「うーん…でも、どうやって折ったか、わからないんだ~…」

    少しだけ落ち込んだ顔をした三角サン。それでも俺は、じゃあ俺っちに任せてほしいッス! なんて言えなかった。たくさんたくさん時間をかけて練習して、いろんなことを試してみて、やっとできたことを…目の前ですぐ見せられた時の…晴れていた空に雲がかかったみたいな気持ち…よく知ってるから。

    「だからね、たいちなら…できるかな~って!」
    「…へっ? お、俺っち…?」
    「うん! たいちは、折り紙が得意でしょ~?」
    「そうッスけど…カズくんとかに聞いた方が、上手くつくれるかもしれないッスよ!」
    「かず、おでかけ中~」
    「じゃあ…万チャンとか! 器用だし!」
    「ばんりは、ゆきとおでかけ~」
    「そっか…じゃあ、俺っち頑張るッスよ~!」
    「えい、えい、さんかくー!」

    ここまで話してて、やっとわかった。三角サンはきっと、カズくんがいたらカズくんに頼むつもりで…万チャンがいたら万チャンで…。誰もいないから、俺っちなんだ。でも、それでも……みんなの中から俺っちを選んで、頼ってくれたこと…すごく、嬉しい…!

    「ここは、こうやって…こうッス!」
    「ん~? どうやったのか、わからない~…」
    「もう一回、今度はゆっくりやるッスよ~!」
    「はーい!」

    実家にいた頃、弟や妹たちに教えていたみたいに、確認しながらちょっとずつ進めていく。ただの四角いペラペラの紙だったものが、指先だけを使って立体的なサンカクに形を変えていく…。何にでもなれる折り紙が、少しだけ…羨ましかった。

    「できたッス~!」
    「やったー! かっこいいさんかくクンだ~!」
    「やっぱり、折り紙上手ッスね!」
    「んーん、たいちがね、じょーずに教えてくれたからだよ~!」
    「…だったら、いいなぁ…」

    ものすごく小さい心の声が漏れてしまった…。咄嗟に作った笑顔で三角サンと目を合わせる。普通に笑い返してくれて、ホッとした。

    「やっぱり、たいちに教えてもらえて、よかった~!」
    「……もうすぐ、万チャンとかカズくんとか…帰ってくるし…」
    「うん! できたさんかくクン、見てもらうね~!」
    「そうじゃなくて…」

    たいち、って名前を呼ぶ声がいつもより優しかった。せっかく、俺っちを頼ってくれたのに…勝手にネガティブになって…迷惑かけてる。役者なのに、役者なのに……こんな時に笑顔の一つもつくれない…。

    「オレね、かずがいても、ばんりがいても……たいちに、作り方おしえてって…いちばんに、聞くよ~?」

    それは、俺っちを気遣ってとか…可哀想で惨めだからとか…そんなんじゃなくて。秋組のみんなとは違ったあったかさを感じたら、強張っていた顔が自然と緩んでいた。すごいよ…太陽みたいに大きくてあったかい。眩しくてギラギラした天チャンとはまた違う、明日を見守る夏の夕暮れのようで。

    「へへっ…ありがとッス!」
    「元気になった~?」
    「なったッス~!」
    「よかった~!」

    いつもみたいに明るくなった俺っちを見て、写真を撮ろうと言い出した三角サン。さっき折ったサンカクくんも一緒に、カメラに向かって微笑んだ。写真にする時はたいちの分もあげるね、って言ってくれたから…またシールを貼ることに決めた。

    「えへへ~!」
    「…嬉しそうッスね~!」
    「うん! オレ…折り紙するの、楽しくてもっと好きになったよ~!」

    「なんか、折り紙って……たいちみたい、だね~!」

    「…えっ?」
    「しかくい紙なのに、かっこよくなれて、かわいくもなれて、何にでもなれるよ~! それにね、失敗しちゃったり間違えちゃっても…また戻ってやり直せるぐらい…すごく、強いから」
    「三角サン…」
    「だからね、たいちみたい~!」

    何も言えない俺っちを見て、いやだった? うまく言えなくてごめんね…? って、おろおろする三角サン。こんな泣き虫じゃ…やっぱり俺っちモテないなぁ~って思いながら、服の袖で拭ってから、演技じゃないとびっきりの笑顔を向けた。

    「また、いっしょに作ろうね~!」
    「…っ、はいッス!」

    こうすれば上手くいくかな、こういう折り方なら幅が広がる、ここはどうしよう……いっぱいいっぱい考えて、たくさん折り目の跡を作ったサンカクくん。すごく、かっこよくて…雨に打たれても、逞しくて強くて…麗らかだった。

    くもんのさんかく
    「ただいまー!」
    「あっ! おかえり~、くもん~」

    学校から帰って203号室の扉を開ける。いつも、にこにこしたすみーさんとたくさんのサンカクたちが迎えてくれて……オレも嬉しくて、にこにこしちゃうんだ~!

    「今日はね~、くもんにプレゼントがあるよ!」
    「えっ!?」

    はい! って手渡されたのは、中が見えないサンカク柄の袋。すみーさんは、こうやって見つけたサンカクをプレゼントしてくれることがある。いっつもオレが貰ってばっかりで、何かお返ししなきゃ~って何がいいか考えているうちに、また新しいサンカクをプレゼントしてくれる。嬉しいけど、すっげー嬉しいけど……何もできなくて、ごめんね、すみーさん。

    「なんだろー? 開けてもいい?」
    「いいよー!」

    大事なサンカクの袋をそーっと開ける。

    「えっ……コレ、本当に貰っていいの!?」
    「どうぞ~」

    早く出そうと手で掴むだけで、良いものだって分かるぐらい肌触りが気持ちいい。

    「うわ~っ! サンカク柄のジャージだ~!」
    「あっ、でも……」
    「あれ? そういえば、このジャージって……すみーさんも持ってなかった?」

    優しいお日様みたいに、にこにこしていたすみーさん。オレが何か余計なこと言っちゃったからかな? ちょっとだけ、雲がかかった気がした。

    「……でも、色違いだから、」
    「じゃあ、すみーさんとおそろいだね! すっげー嬉しい!」

    ぽかんって口を開けたまま固まっちゃったすみーさん。その後すぐ、いつもみたいに眩しくて柔らかい笑顔で、うん! って返してくれた。さっきのは気のせいだったのかな? 分かんないけど、すみーさんが嬉しそうだからいっか!

    「ねえねえ、明日の稽古で一緒に着ようよ!」
    「えっ、いいの?」
    「もっちろん! 夏組のみんなに自慢しちゃお!」

    今日のすみーさんは、変わりやすいお天気みたいにふわふわしている気がする。貰ったのはオレなのに、ありがとう、くもん~って言われちゃった。それはオレのセリフだよって、ありがとう、すみーさんって。でも、まだまだ足りないなぁ……。こうやって、二人で笑い合えるのが一番だけどね!

    貰ったジャージは明日の稽古に間に合うように、すぐに洗濯することにした。自分の服を洗濯する時は面倒でイヤだな~って思っちゃう時もあるけど、早く着たくてわくわくしながら、サンカクが洗濯機の中でぐるぐる回っているのを見ていた。

    「すみーさん、おはよ!」
    「おはよ~…」

    次の日、臣さんオススメの風通しがいい所に干しておいたジャージは、しっかり乾いて柔軟剤のいいにおいになっていた。稽古はまだだけど、早く着たくて早く見てほしくて、寝ているすみーさんを起こしちゃった。

    「あーっ!」
    「……へへっ、どう? 似合ってるかなー?」
    「すっごく似合ってるよ~!」
    「すみーさんのおかげ! ありがとう。大切にするね!」

    急いで顔を洗って着替えたすみーさんは、オレとお揃いのジャージを着てくれていた。大きい鏡の前で二人並んでサンカクポーズをたくさんした! ご飯だよって呼びに着てくれた椋が二人ともよく似合ってるねって言ってくれて、なんか……今日だけでいいから、ずーっと着ていたいなって思った。

    「ねえ、すみーさん」
    「なあに?」
    「このジャージ着てたら、全身サンカクだから……何でもサンカクになっちゃうね!」

    その時、すみーさんのきらきらした目が、もっともっと輝いた!

    「すごーい! くもん、天才~!」
    「褒めすぎだよ~」
    「じゃあね~、普通の体操をしても……?」
    「サンカク体操になる!」
    「ご飯の時間も……?」
    「サンカクご飯!」
    「稽古の時間は……!」
    「サンカク稽古だー!」

    幸が見てたら呆れるだろうけど、朝起きてからすみーさんがずっとにこにこしてるから、オレもめっちゃ嬉しくて! なんか分かんないけど、やったー! やったー! って二人で言いながら暫くジャンプしてた! えへへ……ありがとうの気持ちぐらいは、ちゃんと返せてるかな……?

    「今日も一日、サンカクな日にしようね!」
    「うん! ありがとう……くもん、大好きだよ」
    「オレもすみーさん、大好き!」

    おそろい記念に写真を撮ろうって言われて思い出した。最近、写真を見ながら幸せそうにしている姿をよく見かけていた。同じお部屋だからちょっと照れくさいけど……その幸せに、オレもまぜてくれるといいな~……。

    「くもん、」
    「ん? なに?」
    「この写真、できたら……くもんも貰ってくれる?」

    勢いよく頷いた後、部屋に大きな返事が響いた。ところにより、すみーさんと同じような顔をする自分を予報しながら、ふわりと香る優しさが夏を待ち遠しくさせた。

    さきょーのさんかく
    「……さきょー、怒ってるの?」

    全く身に覚えがない言葉を投げ掛けられ、眉間に深く刻まれた皺が無意識だったと気づかされた。

    「べつに怒っちゃいねえが……」
    「むーって、顔してたよ~? 何してるの?」
    「今月の食費やら今後の予定やらをチェックしてるだけだ」

    聞いているのかいないのか、興味が無さそうな返事をされる。放っておけば勝手に何処かへ行くだろう。そう思っていた矢先、ドタバタと騒がしい音と共に談話室を出る音がした。……まぁ、俺と話していても面白くねぇからな。飽きたんだろ。

    「さきょー! 応援しに来たよ~!」

    日中よりも広く感じた談話室を吹き飛ばすほど喧しい斑鳩が扉を開けた。

    「うるせぇ! 何時だと思ってんだ!」
    「うーん……なんじ?」

    まだ起きてる奴の方が多く、全員が寝る時間じゃないにしろ、近所迷惑だと苦情を言われても可笑しくない時間帯だ。呆れて溜め息を吐く俺には、素直に今の時刻を教えてくれた斑鳩に悩まされる未来が見えた気がした。

    「みてみて~、さんかくメガホンだよ~」
    「気が散るからやめろ」
    「これで、頑張ってるさきょーを応援するよ!」
    「話を聞け!」

    さっきから全く進んでいない机の上から目を背けたくなる。そんなことは御構いなしにヘラヘラと笑う斑鳩は、目が合うと今の時刻を教えてくれるようになった。

    「煩くするなよ」
    「はーい……がんばれ、さきょー…」
    「それじゃあ、メガホンの意味がねぇなあ?」
    「あるよー! さんかく見てるだけで、元気になる~」
    「……それはお前だけだろ」

    やることは突拍子もねぇが、他の奴らと違って言うことはちゃんと素直に聞く。そこが斑鳩の良いところだな。同じ部屋で毎日繰り返される反抗期を思い出しながら、あいつはそのぐらい元気じゃねぇとな、なんて……口が避けても言えねぇことを胸にしまった。

    「さきょー、にこにこしてるね~」
    「してねぇ」
    「あざみのこと?」
    「……あ?」

    心を読まれたかのような言葉にハッとする。今までどういう生き方をしてきたのか知らねぇが、意外と周りを見て気遣ったり、繊細なところもある。ガキみてぇな言動も相俟って年齢よりも下に見てしまいがちだが、斑鳩は斑鳩で大人なんだよなぁ。……本当に、変わった奴だ。

    「……あざみと、ケンカしちゃった?」
    「いや、籠って一人で作業してぇらしい。二人でいるとお互いに気が散って作業効率も下がるからな。俺が勝手にここでやってるだけだ」
    「そっかあ~、ケンカじゃなくてよかったー!」
    「アイツも年頃だからな。一人になりてぇ時もあるし、見られたくねぇこともあるんだろ」
    「そうなんだ~」

    ここまで会話をした後、ちょっと待ってて! という言葉を残して斑鳩が部屋を出て行った。相変わらず目を背けたくなる机を思い出し、今後の劇団の予定を確認した後、いくつかスーパーのチラシに目を通しながら月末までどう乗り切るか頭を悩ませた。

    「お待たせ~!」

    斑鳩は両手いっぱいにサンカクらしき物を抱えて帰って来た。一つずつ机の端に並べたりソファに置いたり、俺を取り囲むように布陣していく。

    「……ったく、また何か持って来やがった……」

    今日はもう、作業効率もクソもねぇ。

    「それならオレは~、年頃じゃないかも~!」
    「あ?」
    「だってね……一人になるのは寂しいし、大事なさんかくは、ぜーんぶ見てほしいから~!」

    不意に立ち上がって見下ろした机。随分、賑やかになった様子に呆れつつも、今度は無意識に眉間が緩んでいたことに気づかされた。色とりどりの舞台に場違いな書類を片付けて、一つ一つ手に取って話を聞いてやった。俺も丸くなったもんだ。

    「たくさんお話を聞いてくれて、ありがとうございます! さきょーがさんかくを好きになった記念に、写真を撮ります!」
    「俺はべつに……だいたい、最近の若ぇ者は何でもかんでも写真に、」
    「さきょー、笑って~!」
    「……だから、話を聞け!」
    「あ~あ、へんな顔! ……でも、口がさんかく~!」

    結局、わけが分からねぇサンカクの話を聞かされ、間抜けな面の写真を撮られ、終いには小さいメガホン型のサンカクを押し付けられただけだった。
    自室の扉を開けた途端、化粧品を広げて何やら考え込む姿に、クソ左京のくせに気ぃ使うとか生意気なんだよ! という言葉を投げ付けられる。やっぱり難しい年頃だなと実感しつつ、……隣で応援してやろうか? と、メガホンで投げ返した。

    つむぎのさんかく
    「つむぎに、三角からのお願いです!」

    おはようの挨拶も早々に、欠伸を隠そうとした手を引いて連れてこられたのは中庭だった。我ながらいつ見てもいい景色だなあ……なんて、まだ寝惚けているであろう頭で考えながら、気持ちのいい朝の日差しを浴びて深呼吸。ただの趣味なのに、こんなに好きなようにさせてもらえる場所があって、本当に有難いし恵まれていると改めて思う。

    「これに~、お花を植えてほしいです!」

    よいしょ、よいしょ、と声を上げながら持ってきたのは、サンカクの形をした植木鉢だった。

    「へぇ……庭のアクセントにもなるし、素敵な形だね」
    「えへへ~、そうでしょ~!」

    どうやら、サンカクの花探しは難航しているらしい。

    「でもね~、これに植えてあげたら、ぜーんぶさんかく!」
    「なるほどね」
    「くもんが教えてくれたんだ~」

    先日、お揃いのジャージ姿で寮内をちょこちょこ楽しそうに歩き回っていた様子を思い出す。クスッと溢れてしまうほっこりとした気持ちは、ふわりと柔らかい風にのせて、連鎖するように花たちを揺らす。

    「せっかくだから、三角くんの好きな花を植えようよ」
    「うーん……お花、よく分かんないかも~」
    「それなら、夏の寄せ植えにする?」
    「いろんなの、ぎゅって植えるやつ?」
    「うん。夏の暑さにも負けないサンカクにしようか」
    「やった~! ありがとう、つむぎ」

    三角くんもお手伝いしてね? という言葉を言い終わる前に、真夏の太陽みたいに元気いっぱいな返事をくれた。

    「じゃあ、始めよっか」
    「はーい!」

    青空が気持ちいいよく晴れた日。いくつか買ってきた綺麗で新鮮な苗を並べて、どれがいいか三角くんに選んでもらった。寄せ植えは同系色やトーンを合わせてまとめたり、逆に反対色でまとめたりするけど、三角くんが選んだ花はどれもカラフルで鮮やか。

    「……こんな感じで植えればいいかな?」

    選んだ苗だけを使って一度並べてみる。賑やかで個性的なのに、全部並べてみると何故かしっくりくる。俺は、この感覚を知っている気がする。

    「夏組のみんなみたいだね」
    「え~っ!? オレも同じこと考えてた~!」
    「そうなるように選んだの? すごいね……」
    「ううん、いいな~って思ったのを選んだだけだよ~」
    「逆にそっちの方がすごいかも。三角くんらしいね」

    ゆっくり作業をしているわけじゃないのに、穏やかで落ち着く雰囲気が心地よい。三角くんは意外にも……って言ったら失礼だけど、植物の扱い方が優しくて丁寧で、植え方も教えたとおりに進めてくれてすごく上手だった。俺より力もあるし……今度から、いろいろ手伝ってもらっちゃおうかな。

    「できた~!」

    完成した鉢を庭に並べる。元々、ある程度は色とりどりになるように作ったお庭。その中でも一際目立つ鮮やかさと鉢の形。遠くから見ても存在感はバッチリ。

    「綺麗にできたね」
    「うん……!」
    「これから毎日、水やりしなきゃね」
    「頑張りまーす!」

    右から左から、前から後ろから、近くから遠くから。普段よりもさらに緩んだ表情で様々な角度から眺める姿に、写真は撮らなくていい? と聞く。目を丸くしてスマホを取り出した三角くんは、一緒に撮ろうとサンカク鉢の側で手招きした。撮り終えた写真を見返すと、三角くんの頬は手袋のまま触った時についた土で少し汚れていた。顔を拭いてあげて撮り直そうとしたけど、このままがいいって言うから、そうすることにした。

    「夏組のみんなにも見せたいなぁ~……」

    ぽつりと呟いた一言。お庭がもっと賑やかになるすぐ近くの未来を想像して、揺れる花たちにつられてしまうのを感じた。

    ばんりのさんかく
    天気のいい週末は、ストリートACTにもってこいだ。比較的人通りの多い通りで繰り広げられる物語。それぞれの世界観は、日常の中で非日常に夢をのせて躍動する。

    「今日も楽しかったね~! お客さんも喜んでくれてた~」
    「おー。つか、結構貰ったな」
    「さきょー、喜んでくれるかな~?」
    「……マジかよ。いつもより多いし、ちょっとぐらい使っても何も言われねぇだろ」

    真面目というか素直というか、純粋というか無垢というか……なんつーか、俺とは正反対。同じクラスにいても、合わねぇし友達にはなってねぇだろうなって想像がつくタイプ。でも実際は、そんなヤツばっかの劇団でわりと楽しくやってんだから、人生何が起こるか何を起こすか、全然わかんねーもんだな。

    「うーん……」
    「まだ悩んでんのかよ」
    「さんかくさん太郎なら、買ってもいいかな~?」
    「何だそれ? いくらすんの?」
    「30円だよ~」
    「……マジでちょっとだな」

    金銭感覚とかそこら辺は人それぞれだし、とやかく言うつもりはない。けど、これはそういうんじゃない。劇団には純真無垢が人の形をしているようなヤツもいる。……だったら、ほんの少しぐらい…ズル賢い悪ガキみてぇなこと、してもいいだろ? 全体で見たポジション的に、俺はそーゆーのだろうし。

    「じゃ、あのコロッケ食って帰るか」

    指を差したのは、買い出しやストリートACTの帰りに世話になってる店。コロッケの形がサンカクで、三角が気に入ってるやつ。

    「一個買って二人で半分にしたら、そのなんとか太郎ぐらいの値段になんじゃねーの?」
    「そうかも~! 買ってくるー!」

    貰った金の中から100円玉を握り締めて、ありがとうございます! の一声をかけて、ゴキゲンに跳ねながら店まで歩いて行った。サンカク絡むと甘ぇのな……。

    「買ってきたよ~」

    短く返事をすると、半分に分けた片方を手渡された。いただきますの直後に笑顔でかぶりつく姿と、さっきまでの芝居中に見せた雰囲気とのギャップに今でも驚く。
    三角とやるストリートACTは、俺の中ではプラスにしかならねぇ。役への入り込み方もすげぇし、雰囲気も迫力もあるから飲まれないようにしつつ、アドリブ力も鍛えられる。本人は、やりづらいんじゃねぇかって少し気にしてるみてぇだけど、俺は逆にもっと一緒に芝居してみたくなった。だから、ストリートACTに行く時は声をかけろって言った。勘違いされたままじゃなく、真っ直ぐに言葉で本心をぶつけてよかったと思う。

    「おいしいね~!」
    「たまには、こうやって……ちょっと悪いことすんのも、いいもんだろ?」

    俺にとってはそうじゃなくても、三角にとっては悪いことって……もっと他にもあるんだろうな? あんまり変なこと教えるとうるせぇヤツいるし、ほどほどにしねぇと。

    「オレがさんかく好きだから、コロッケ買おうって言ってくれたんでしょ~? 悪いことじゃないよ」
    「……そーかよ」
    「ばんりは、優しいね~」
    「それ左京さんの前でもアピっとけよ?」

    うるせぇほどの声で返事をされた後、写真を撮ろうと提案された。もう食い終わって無くなったサンカク。それでもいいと、コロッケが入っていた白い袋をサンカクに折って一緒に写真を撮った。まだまだ入りそうな腹を鳴らしながら、両わきで繰り広げられる数々の夢を素通りして、日常の中に潜む、夢に一番近い場所への扉を開けた。

    後日、三角がマジで左京さんにアピールするから、ガチで意味わかんねぇけど俺が怒られた。予想通り日頃の行いだと理由をつけられ、どーせ簡単には変わらねぇんだろと開き直る。だったら今度は何を教えてやろうか? 素行の悪さを顔に出しながら、次のストリートACTを楽しみにしている自分を素直に認めることにした。

    さくやのさんかく
    気づいたら、いつの間にか始まっていた春。暖かいでは済まされないほど、日差しが強くて気温が高い日もちらほら出てきた。一日中動き回って頭も体もたくさん使った日の帰り道。まだ夏とは言えないけれど、じわりと滲む汗が兆しを見せていた。

    「さくや、おつかれさま~」
    「お疲れさまです!」

    今日のバイトは三角さんと一緒だった。いっぱい助けてもらって、いっぱい迷惑もかけちゃって……すみません、ごめんなさいって言いたいのに……。

    「はい! これ、あげる~」

    すぐ戻ってくるねと言って数分後、コンビニから出てきた三角さんから貰ったのはサンカクの形をしたアイスだった。

    「ありがとうございます!」

    近くの公園のベンチに腰かけて、とけちゃうから早く早く~! って、急かされながら開けた袋から取り出すと、纏った冷気がひゅうっと頬を撫でた。二人でいただきますをして、ひとくちかじる。火照って疲れた体にひんやり甘いご褒美。口の中でとけていく小さな幸せに、思わず夢中になってしまう。

    「今日もいっぱいがんばったね~、えらいえらい~」

    優しく頭を撫でてくれる三角さんの体温がじんわり広がっていく。口の中が冷たいからなのか、前に撫でてくれた時よりも温かく感じた。

    「えへへ……」

    心が落ち着くような柔らかい声のトーン。目が合うとふにゃって笑ってくれるのが嬉しい。心地いい時間はいろんなことを忘れてしまいそうになる。

    「あっ! とけちゃう前に、写真撮ろう?」
    「はい!」
    「笑って、笑って~!」

    ちょっと食べた後だから、てっぺんが丸いサンカクになっちゃったけど……何気ないことでも、こうやって形にして思い出に残るのは、すごく素敵なことだなぁ……。

    「三角さん、最近は写真が趣味なんですか?」
    「ううん、オレはずーっと……さんかくを探したり、さんかくを集めたり、さんかくが大好きで、さんかくが趣味だよ~!」

    遊んでいた子供たちが帰ってしまった公園で、遊具の一番上に立った三角さん。昼と夜がまざりあった曖昧な空ときらきら眩しい夕陽を背負う姿は、綿密につくられた映画のワンシーンのように引き込まれそうになる。

    「……さくや、帰ろっか~」
    「はいっ! アイス、ごちそうさまでした!」

    あと少しの帰り道。穏やかな会話にたくさんの花が咲く。

    「今日は、さくやと一緒に寄り道して、楽しく帰れてよかった~!」
    「オレも楽しかったです!」
    「一緒に帰ってくれてありがとう。また、二人で寄り道しようね~」
    「はい!」

    やっぱり、三角さんは……ごめんなさいも、すみませんも、言わせてくれなかった。

    いすけとかめきちのさんかく
    朝起きて見上げた空は雲一つない快晴でした。こんな日は、皆さんで一緒に中庭で昼食なんてどうですか!? と、提案してみたものの、今日は絶好の大掃除日和だと即却下されてしまい、焦がれた眩しい日の光を浴びることもなく、倉庫に籠って片付けをしています……。

    「……あっ! 支配人はっけーん!」

    いきなり倉庫の扉を開けて入ってきたのは斑鳩くんでした。せっかく片付いてきたのに、またよくわからないサンカクをたくさん置きに来たのだと、持ち上げていた段ボールがより重くなるのを感じたのですが……なんと! おにぎりを作ったから一緒に食べませんか~? という、ありがた~いお誘いだったのです!

    「早速、談話室に向かいましょう!」
    「ちゃんと手を洗ってから食べてね~」

    倉庫を出ると、中庭の方から賑やかな声が聞こえてきました。ここも随分、騒がしくなったなぁ……。自分の足音さえ分からなくなった床は、もう何度歩いても寂しくありません。

    「いただきまーす!」
    「めしあがれ~」
    「……あれ? 斑鳩くんは食べないんですか?」
    「もう、オレもみんなも食べたよ~!」
    「あぁ……そうですか…」

    私にだけ作ってくれたのかと思ったのですが……そうですよね、そんなことありえないですよね……このおにぎり、なんだか塩辛い気がします……。

    他の団員の皆さんも各々の部屋や共有スペースの掃除をしているらしく、談話室には私と斑鳩くんの二人しかいませんでした。

    「おそうじ、おわった~?」
    「それが全然終わらないんですよ~……斑鳩くんも手伝ってください!」
    「……そうだ! 写真とろ~!」
    「ちょっと~! 無視しないでくださいよー!」

    斑鳩くんとの会話は難しくて、私が喋っている間にスマホを向けられ、何の合図も無しに撮られてしまって……そこには、バッチリ笑顔の斑鳩くんと、おにぎりを持ったまま口しか写っていない私がいました。撮り直すこともなく会話を続けようとする斑鳩くんのペースにも……もう、慣れました。

    「それにしても、写真はいいですね~! データのままだと分かりませんが、印刷してしまえばずっと残りますし……」

    いつでも見返せますから! そう言おうとしたのに、何故でしょう……? 私には、言えませんでした。

    「楽しかったことって、ひとりぼっちの時に思い出すと……ちょっと、さみしくなっちゃうかも~」

    斑鳩くんがほんの少しだけ切ない表情になったのが、鈍感な私にもよく分かりました。何も言えないのは私も同じだからです。倉庫に眠る数々の思い出たち。時間はたくさんありました。あっという間とは言えない年月が経ちました。辛いと思ったことが全く無かったと言えば、それは嘘になっちゃいます。

    「それでも……楽しかった日々は、きっと……支えになってくれますよ」

    この賑やかさだって、いつまでも続くわけじゃない。未来のことは全然分かりませんけど……今、すごく楽しくてしょうがないことは分かります。ずっとずっと、宝箱に入れて残しておきたいぐらいに。

    「大切な場所、ずっと守ってくれて……ありがとう」
    「いやいや~……私が不甲斐ないポンコツなばっかりに借金も膨れ上がっちゃいましたし、お礼を言われるようなことは……何も、できませんでしたよ」
    「でも、いすけとかめきちがいなかったら、もっと早くに無くなっちゃってたかも……。そしたら、オレのおにぎりも、食べられなかったかも~!」
    「そ、そう言われると……急にこのおにぎりが、ありがた~く思えてきました!」
    「おにぎりは、いつもありがたいよー!」

    なんとなく、名前を呼ばれたのが分かったのか、バサバサと音をたてて亀吉が飛んできた。斑鳩くんにたくさんお礼を言ってもらって満足そうな亀吉。三人でもう一度写真を撮りましょう! と、提案する。今度こそバッチリ写ろうと気合いを入れて笑顔をつくったのですが……丁度、羽ばたいた亀吉の羽に隠れてしまい、やっぱり口元しか写っていませんでした。

    「オレサマは最高だゼ! イスケは駄目ダナ!」

    捨て台詞を吐いてデートに出かけた亀吉を見送った後、掃除を再開しようと思い腰を持ち上げると、珍しくいたずらっ子みたいな顔をした斑鳩くんが言いました。

    「いつも、留守で~す。誰も住んでませんよ~って、言ってくれて……ありがとう!」

    ……古市さん、聞きました? 居留守が感謝されることもあるんですよ!

    みすみのさんかく
    撮った写真をかずに手伝ってもらって印刷した。ちょっと見せてって言われたけど、一番に見せたい人がいるから、ちょっと待ってて~、ごめんね~って言ったら、優しい顔で分かったよん! って言ってくれた。

    「わぁ~…くもがもくもく~……」

    部屋の中から見た時は、明るいと思ったんだけどなあ~……。今日のお天気はくもり。よく見えそうにない空は、たまーに雲間から光が溢れていた。

    「まずはね~、ひそかだよ~! これはね~……」

    一枚、一枚、お空に向かって写真を見せる。楽しい思い出も添えて、ゆっくりゆっくり時間をかけてお話しをした。

    「みんな、オレの大切な仲間だよ~!」

    こんなにたくさん、両手いっぱいのさんかく、見つけられたよ。

    「あのね、みんなそれぞれ、いろんなさんかくがうつってるけど~、ずっと同じさんかくがあるんだよ~!」

    ふわふわと柔らかい風が全身を優しく揺らす。

    「……それはね、三角の笑顔だよ~!」

    写真の中のオレは、本当に嬉しそうに笑っていた。口の中のさんかくも見えるぐらい大きく。オレができるようになったさんかく、じいちゃんにも教えてあげる~!

    「こうやって、にこってして、ぱあって笑うんだよ~!」

    ちゃんと届いてるかな? 届いてたらいいな~……。

    お空を漂う雲の隙間から、ほんのちょっとだけ、ちらちらって、不器用なおひさまの光が顔を出す。

    「……あ~っ! じいちゃん、笑うのへた~!」

    はさと Link Message Mute
    2022/10/01 17:24:47

    とれたてさんかく、あつめました!

    #斑鳩三角
    過去に書いたものなので、今の公式設定と違うところが多々あります。

    カプなしの三角くんの話です。団員みんなと過ごすほのぼのした日々の話をシリーズで書いていたものをまとめました。

    more...
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