シェイプレス霧に沈む古都ナックルシティ。春とはいえ早朝はまだ肌寒く、大通りに面するカフェチェーン店の人影はまばらだった。
「たまにはこういうのも良いでしょ。」
ネズが親しげに笑いかけたのは、この街が誇る名門ジムの代表を務める恋人……ではなく、いつもその側に控えているスマホロトムである。ロトムは小さな口をニカッと開いて見せた。
「キバナの留守にネズとおでかけなんてワクワクしちゃうロト!」
「キミとのお喋りは楽しいですし、対策にもなると思ってね。」
「ドラゴン対策のことロト?」
芳ばしい湯気の立つマグに口をつけながら、ネズはリラックスした調子で続ける。
「ドラゴンじゃなくてキミのご主人のことを。恋人としてもう少し知りたいと思ってるんですよ。」
ネズは元来、恋人はパーソナルな感情や好みを逐一共有するものでは無いと考えるたちだった。キバナと交際を始めてからもその考えは変わらず。秘密主義というわけではない。ただ煩わしさになり得ることを避けているだけで、特に問題意識も無かった。キバナが寂しそうに訴えてくるまでは。
「俺さまはネズのこと色々知りたいし、自分のこともたくさん知って欲しいって思ってるんだよ。」
散歩のお預けを食らったワンパチでも、これほど寂しそうに眉を下げることはないだろう。
「……奇遇ですね。おれもです。」
別にそんな顔をさせてしまった罪悪感からではない。この男の好きなもの嫌いなもの、様々な顔を知ってやりたいと願うこと。自分がそんな可愛げのある欲求を隠し持っていたことが妙にあっさりと腑に落ちたのだ。まるで所在なく突っ立っていたところ、ふと椅子を勧めてもらえたような。キバナと様々なものを共有し合うことは自分にとってごく自然で必要なことのように思え、椅子に座ってみることにした。
そんな進展の様子を陰ながら見守ってくれているロトムに、ネズはニヤリとわるい顔を作ってみせる。
「おれはずるいので、いつもそばに居るキミから攻略してやろうかと考えたわけです。」
「そういうことなら任せロ!ロトム、キバナが喜ぶ写真たくさん集めてるんだロト。ネズに見せてもいいフリーなやつはキバナにまとめてもらってるから、見せてあげるロトよ〜。」
ロトムは嬉々として身を翻しフォトギャラリーを開いた。画面には「仕事」「ワイルドエリア」「ポケスタ」など簡素なタイトルばかりが並ぶ。その中から「ロトム」と名付けられたフォルダがふわりと展開した。
「これは、素敵な宝箱ですね……。ああこれパブでミートパイ食った時の、こっちはワイルドエリアで釣りをした時のですかね。で、これは……砂嵐かな。」
薄暗くモヤがかかったように見えるが、注視するとネズの相棒たちの姿が確認できた。キバナ戦の白熱したバトルの模様が、動画で記録されている。リーグ専属のロトムが撮影した録画映像なら数え切れないほど見てきたが、それよりもずっと至近距離で、砂嵐の中で繰り出されるわざが確認できるほど鮮明に撮られていた。対策用の資料として有用であることはもちろん、その迫力は映像芸術のようでもあった。これほど腕の良いカメラマンが居れば、さぞ対策会議も捗ることだろう。
「キバナはバトルに勝つことが大好きロト。」
再び写真をスクロールしながら、ロトムは大切な秘密を打ち明けるようにコソリとつぶやいた。
「ロトムがお手伝いしたくて撮った色んな動画、キバナはありがとうって、勝っても負けてもみんな一緒だよって、いつも言ってくれるんだロト。」
アルバムに秘められたあまりにも健気なモノローグ。はにかむロトムの姿に、これが恐らくおれを倒すための対策資料だということも忘れ、目尻がとろけてしまった。一般的に気位が高く扱いづらいとされるドラゴンタイプを擁するチームで結果を出し続けてきたことは、彼らと真剣に向き合い心を通わせてきた結果だ。この世界で一流になるには、ポケモンを心から愛し愛されることに長けていなければならない。ロトムの言葉はキバナにその才がある何よりの証左だろう。
「あいつは勝つこともキミたちのことも大好きですよね。おれもよく知ってます。」
「ケテ!でもキバナが好きなものは他にも色々あるロト!」
写真の日付はどんどん新しいものへと変わっていった。初めてアンコールに応えた日のバトルから、シュートでの買い物に付き合った時のもの、手料理を振舞うと自宅に招かれた時のもの、などなど。ロトムに自由にさせているデータということもあって当たり障りのない内容ばかりだが、キバナはいつも笑っている。
何がそんなに楽しいんだ、とまた口角が上がりかけた時、どきりとした。画面に映し出されたのは、シャッターの向こうへと帰っていく自分の背中。続いて、それに向かって見たことが無いほど切なく微笑みながら手を振るキバナの横顔だった。その表情はとても満たされたようにも見え、同時にひどく渇いてもいるような。
これは、とロトムに話しかけそうになり、すぐに思い直す。……油断していたが、かなりプライベートなものも混じっているようだ。余韻に浸る間もなく、淡々と画面は切り替わっていく。次の写真でキバナはロトムを見つけ、またいつもの無防備な笑顔を見せていた。
キバナと同じ画面に収まっている自分の姿が映ることもあったが、こちらもなかなかに浮かれていることが見て取れる。上映会が終わるまでネズはひたすら平静を装い、ステルスロック、ふいうち、カウンター…などのわざ名称がぐるぐると脳内をかけめぐった。
「サンキューロトム。ちょっとビックリしましたけど、お陰様で色々と、分からされたというか。キミは本当にいい写真を撮りますね。」
「ケテケテ!ロトムはキバナも好きだけど、キバナが好きな人も好きなんだロト。」
「おれをときめかせてどうする気なんですか。ほら、そろそろおれ達の大好きなキバナが家に戻る頃ですし、帰りましょう。あ、その前に少しだけ待って下さいね。」
ネズはもう一度レジへと向かい、店員と二言三言、言葉を交わしてから、飲み物をテイクアウトして戻ってきた。店を出たネズがポケットからスマートフォンを取り出すと、意図を察したロトムが素早くカメラを起動させ、空中に飛び出す。
「それならロトムが撮ってあげるロトよー?」
「おっと、せっかく二人きりのデートなのに何を言っているんです?キミはこっちですよ。」
小さな友人を懐に誘い入れ、ネズはインカメのシャッターを切った。
「ねえロトム。キミの宝箱、おれとの共有フォルダにしてくれませんか?キバナが喜ぶ写真、おれにしか撮れないレアものも提供できますよ。」
プレビュー画面を表示させたまま、ネズがウィンクする。開放されたロトムは目をぱちぱちとさせながら暫く空中で揺れていたが、ややあってから小さな体を素早く飛び回らせ、全身で喜びを表現して見せた。
「もちろんロトー!ネズが撮ってくれるなんてとってもうれしいロトォ……!キバナも絶対に喜ぶロト!」
「ありがとう。やっぱりキミはご主人が大好きですね。まぁおれもなんですけど。」
そう言ってネズが差し出したスマートフォンを、ロトムが覗き込む。画面上にはロードワーク帰りの主人が大喜びするであろう、華やかな春色のビバレッジと、よく似たカラーリングのロトム自身。それらに挟まれて悪戯っぽく微笑みながら頬を染める、大きな友人の姿が映っていた。