愛と薔薇園 世界は長い時間の中で、幾重にも分かれた。
神が光を生めば闇が生まれ。海が出来れば陸ができ。人を作れば男と女に分かれた。
神が人を楽園から地上へ追放した時。神と人はいよいよその存在を分け。天国と地獄は可視化された。兄が弟を殺せば、被害者と加害者に分かれ。一度崩壊する世界では、方舟に乗る者と乗らざる者に分かれた。
神話の時代が過ぎ去れば、やがて地上は人によるいくつかの国に分かれた。様々な人種、言語、文化が花開き。争いにより勢力を分けながら、世界は均衡を保った。 神々が運命を紡ぎ続けるならば、人は歴史を絶えることなく紡いでいく。今までも、これからも。
ところで。人ないし生物も沢山の種類に分かれている。
哺乳類、鳥類、魚類。生き物と植物。必要に駆られる度に分かれていった色形。魔力を持つ者、持たざる者。怪鳥、魔物、幻獣。
人であるもの、そうじゃないもの。
そうした沢山のカテゴリーの中に、吸血鬼という存在があった。
芸術の街、と呼ばれる比較的治安のいい場所があった。黄昏時には鮮やかな夕日が街の建物を染め上げて、薔薇色となるのが有名だった。
まさに今、夕焼けが綺麗な時刻。街外れで男女が二人並んで会話していた。
シルクで織られた、柔らかな色合いのシフォンドレスの裾を揺らす少女。土埃で少し汚れたジャケットの男が、鞄から出した小瓶を手渡していた。
「頼まれてたやつ。小瓶三つ」
「いつも助かるよ、この化粧水、効きがよくて! はい御代」
「確かに」
淡い桃色の液体が入った小瓶を数本受け取りながら、これまた同じような桃色の髪をした少女が微笑んだ。
「お前らの種族も色々大変だよな。美容がそのまま健康と魔力の維持に関わってくるんだろ」
「他の種族から見たらそうなのかもね。ボクは、お洒落もケアもすごく楽しんでるから、全く苦じゃないんだけど」
「そうか」
「こうして、質のいいケア用品をお取り寄せするのもすっごく楽しい!」
少女はにっこり笑って小瓶を揺する。中身の液体がちゃぷんとはねた。
「やっぱり材料がひと味違うんだろうなあ。最果ての孤島にある特別な薔薇園で、それはもう力のある吸血鬼が育てた薔薇からできているんだから」
「そういや、その吸血鬼から預かり物がある。お得意様におまけって」
「わあ、やった!」
男は鞄に手を伸ばし、そこから紙の包みを出した。少女は受け取り、中身を確認する。
「何だろこれ。薔薇のいい匂いがする。……メッセージカードが入ってた。君の相棒は本当に字が綺麗だ」
「あー、そうだな」
「しかも親切に、ボク達の種族の言葉で書いてある。吸血鬼として生きてきて、他種族の言葉を読み書きできるのはさ、普通にすごい。博学だね」
「お前の種族……小悪魔(リリス)の言葉で? あいつ……やたら分厚い本を読んで何か勉強してるなと思ったら。お前に手紙を書くためだったのか」
「おぉ、『試作品のバスソルト』!」
少女は手にした小さいメッセージカードを、興奮した面持ちで読み上げた。
「『最果ての孤島で取れるミネラル、薔薇から抽出した美容成分に、香り高い赤薔薇のポプリを混ぜた一品……製造過程で吸血鬼の魔力もたっぷり入っています』だって。お風呂に入れたら全身ツルツルになりそう。絵名と使うね」
「……」
「あと、『今後ともご贔屓に』だって! そんなの勿論だよ! 化粧水なんて定期購入したいくらいだし。入浴剤が商品ラインナップに入ってきたら、絶対注文するから。配達よろしくね、弟くん」
「その呼び方止めろ」
橙の髪の男は溜息をつきながら、ズック布の大きな肩掛け鞄のかぶせを閉じた。鞄が揺れると、中からカチャカチャと硝子や金属が触れ合う音がした。
「だって。絵名の弟なんだから、弟くんだよ」
「……じゃあオレは行くからな」
「あ、待って待って!」
呆れた顔で踵を返そうとした男を、少女は呼び止めた。
「冬弥くんにありがとうって伝えてね。それから、これ。持っていって」
少女はどこからともなく、木の葉で出来た包みを取り出した。男が慎重に包の口を覗く。
「これは、妖精の羽根……?」
半透明の、蝶の羽のようなものが何枚か重なっていた。ふんだんに鱗粉を蓄えた表面が、虹色に輝いている。
「どうしたんだ、これ。こんなに貴重なものを。まさか、密漁……」
「人聞き悪いなぁ、もう」
男はそれでも疑っている。妖精の羽根は魔法薬の材料として名前が上がり、需要が高い素材である一方、とても貴重なものだった。故に密漁が後を絶たず、どの種族のモンスターでも話題に上がる社会問題でもある。
「密漁なんてそんな野蛮なことしないよ。友達に妖精が多いんだ。依頼を受けて、小さいドレスやタキシードを仕立てると喜んでくれる」
「はあ」
「そんな友人達が最近、一斉に羽根の生え変わりを迎えたんだ」
「妖精の羽根って生え変わるんだな」
「そりゃ、生え変わるよ! 確か、吸血鬼も牙が傷んだら生え変わるんだよね?」
「まあ、そういうこともあるな、偶に」
「彼らの場合も同じ。頻度はそう多くないけど、新しい羽根が生えてくるんだ」
「へえ」
「基本的に妖精は自分から抜けた羽根には頓着しない。けれどその価値は皆よく知ってるから、納品したドレスの代金と一緒に置いていってくれたんだ。すごく有難いんだけど、ボクの得意な術には妖精の羽根を使わないし、持て余しちゃって」
だから、君の愛しい人へ、お土産に持って行って。少女は言う。
「冬弥くんは魔術が得意でしょ? なにか役に立つんじゃないかな」
実際、少女の言う通り。男の相棒は魔術が大得意で、男には理解のできない術も自在に使いこなす。妖精の羽根だってきっと役立てるに違いない。
「……わかった。受け取っておく」
「冬弥くんによろしく」
男が木の葉の包みを懐に仕舞ったのを見届けて、少女は手を振って笑む。その姿がじわじわと黄昏に紛れて、解けるように消えていくのを男は静かに見届けた。
後に残された蜃気楼。揺らぐ影も、すぐに無くなっていく。
「……ええと、次は」
男は鞄から筒状に丸めていた羊皮紙を出した。紐で閉じていたそれを開き、書かれたメモに目を向ける。黒いインクで書き込まれていたのは、地名や男の予定の内容であった。
「あぁ、この用事が最後か」
同じく取り出したペンで紙に印をつけながら、男は独りごちる。
「なら、久しぶりに帰れる」
男は性急に羊皮紙を丸め直すと、雑に鞄に収めた。かちゃかちゃ、鞄の中で硝子と金属が触れ合う音がする。
「あっちで手伝い、こっちでお使い。果ては配達まで。どいつもこいつもオレ達に無茶を言う」
やや草臥れたスラックス、洒落た形のブーツのつま先で、彼は地面に円を描いた。夕焼けに染まる街の石畳には線の跡は残らない。それでも男は踵を二回、確かに円の縁に打ち付けた。
こつこつ。
「『この穴は、最果ての孤島に繋がっているか』」
それは、ささやかな魔法の言葉。
明るい橙の夕焼けが次第に濃紺の夕闇へ変わっていくように。石畳の円が、藍色で満ちていく。
オレンジ色の地面に、藍色の穴が開いた。その中心、闇のくゆる中から声が返ってくる。
「『この穴は、お前の愛しい人の元へ繋がっている』」
それは紛れもない。彼の大切な人の声。
帰り道が繋がった。男は微笑む。
「『早く帰ってこい。美味しい糧を用意して待っている』」
静かな声に答える前に。男は足元の穴に飛び込んだ。
くゆる藍の闇が、男の質量で揺らぎ水面のようにさざめいて。橙の髪の先まで穴に飲まれてから、さっと霧散した。
海に囲まれた島は、断崖絶壁の上に陸地があった。船着場がない無人島である。かといって荒れた土地ではなく、草木や真水が豊かに存在する魔法の島だった。
遠い昔から人の立ち入らないその島は、逆に言えば人では無い種族の楽園でもある。現在は、橙色と青色の二人の吸血鬼がその場所に居を構えていた。
「冬弥。帰ったぞ」
橙色の髪の男が、地面に開いた藍の闇から飛び出す。明るい太陽と青空、清々しい風が吹いて。途端に香る、芳しい薔薇の香り。
様々な色、形の薔薇の木が、等間隔で並んでいる。地平線まで続く薔薇園。男にとっては見慣れた光景だった。
「冬弥」
青い吸血鬼が手塩にかけて育てている、大量の薔薇。
男は片っ端から薔薇の木の影を覗いていく。きっと今頃、彼は薔薇の手入れをしているのではないか。魔術で手入れをせず、手ずから薔薇を弄りたがる相棒の姿を思い浮かべた。
「彰人?」
ひょこ。三本先の薔薇の木の影から青い頭が出てくる。剪定バサミを持ちエプロンを身につけた、美しい男がそこにいた。
爛々と輝く星屑の瞳がふわりと笑う。
「帰ってきたのか! おかえり」
「おう。ただいま」
慌てて鋏を置き、青い男が橙に抱きついた。橙も青い男を軽々抱きとめ、固く抱き合う。
「今回の旅は随分帰りが遅いから、心配したぞ」
「道中色々あったんだ。まず、お前が香草を買ってくるよう言うから市場に行ったら、黄色い双子の探偵に猫探しを手伝わされて……」
「ふふ、何だそれは。面白いな」
「ああ。長い長い話になる」
「そうか、長い話なら」
二人は同時に身を離す。流れるような動作で、青い方が橙の手を取った。
「食事をしながら聞こう」
その言葉を合図に、薔薇の木々が独りでに道を開けていく。その先にあった立派な作りの木製テーブルにはどこからともなく現れたクロスが掛けられ、鉄製の椅子にはどこからか飛んできたクッションが置かれた。
魔法にかけられて、空間が作られていく。
「荷物は預かろうか」
さらさらと風が吹く。風が、重たいズック布の鞄を攫っていく。銀星の瞳は爛々と輝き、魔力を練り上げては食事の支度を整えていく。
青の気障なエスコートに、橙は擽ったそうに笑った。二人が一歩ずつ近づく度に、空を舞ってやって来たナフキンやカトラリーが上品にテーブルに並んだ。
食卓の中央には美しい花瓶と、差し込まれる一輪の薔薇。青が丹精込めて育てた、瑞々しい赤薔薇だった。
「ナイフやフォークなんか、オレ達食事で使わないだろ」
「しかし、食事の場にきちんとカトラリーが揃っていないと、どうにも落ち着かないんだ」
「お前は育ちがいいからな」
「まあ、それは兎も角」
青が橙をそっと導き、柔らかなクッションが敷かれた椅子の上に掛けさせた。
「彰人。今回も長旅お疲れ様」
座りながら首を傾げる橙。
「言うほど疲れてねえな」
「自覚がないのだろう。俺達吸血鬼は、心身共にタフであるから疲れを感じにくい。お前の服は旅立つ前より随分くたびれたし、表情も何となく強ばっている」
「えぇ。そうか?」
「今回は半年くらい帰ってきていない」
「そんなにか」
「その間、食事は満足に採れていたか?」
「いや……」
少し考える素振りの後、橙が首を振った。さらさら、揺れる癖毛は少しパサついていた。
「どこで何食ったって、冬弥と食うメシのが美味いから……ここ最近落ち着いて食事をしてない」
「そうか」
すっと、どこからともなく。青の手に白い皿と銀色のクロッシュが現れる。瞬きの間に、彼が身につけているエプロンが仕立てのいいシャツとループタイに変わる。
「なら、すぐにでも食わせてやらないとな」
言って皿を持ったまま薔薇園の奥へと姿を消す青い頭を、橙の方は肩を竦めながら見つめていた。
「……食事の支度、手伝うとむくれるんだよな」
青の給仕を受けるため、橙は椅子に座り続ける以外なかった。
人であるもの、そうじゃないもの。
世界には様々な種族の生き物が暮らしている。互いにいがみ合い和解し、そうして世界は丸い形に収まっていた。
その中でも。強烈な戦闘能力と個性的すぎる食事内容で有名な、吸血鬼という生き物がいる。
彼らは、人ないし動物の血液を摂取することで生命維持の為の養分を得る。得た養分は魔力として変換され、それ故に吸血鬼という種族は尋常ならざる力や魔術を扱うことが出来た。
日光が苦手であるとか、ニンニクが苦手であるとか。人間の間ではあることないこと囁かれている。実際、そのような弱点は彼らには無い。
ただ。
愛し愛されることを知った吸血鬼は、薔薇から生命維持の為の養分を摂取できるようになる、という事実はあまり公には知られていない。
ある日ある場所に、青い吸血鬼と橙の吸血鬼がいた。彼らはお互いに深く愛し合っていた。
青い吸血鬼は橙の吸血鬼を愛するあまり、離島に広大な薔薇園を作り上げ相棒に食わせる糧を収穫し。橙の吸血鬼は青い吸血鬼を愛するあまり、相棒のガーデニングを阻む数々の用事を引き受け、或いは相棒の生み出した薔薇グッズ販売の為世界中を旅した。
そうして、二体の吸血鬼は幸せに暮らしていた。
「よし、準備万端だ」
クロッシュの乗った白い皿を二つ持って、青い頭が薔薇の木の隙間から現れる。
「お前が出かけている間に、美味しい薔薇が沢山咲いたんだ」
橙の目の前に皿を置き、青はゆっくりとクロッシュを持ち上げた。すると、中から色とりどりの薔薇の花が現れる。
量が多すぎて皿から零れ落ちそうになっているのを、橙は器用に摘んでは花の山に戻していた。
「いい香りだ。美味そうだな」
「不味い、ということはないだろう」
「大した自信だ」
「味見は済んでる」
橙の向かいの席に掛け皿を置き、やや雑にクロッシュを取り去った青は苦笑した。橙も穏やかに微笑んでいる。
向かい合って席に着く二人の吸血鬼。目と目が合い、絡み合う黄金と白金の視線。
青の吸血鬼は、赤い薔薇を皿から摘み言う。
「どうぞ召し上がれ。腹いっぱいになるまで」
橙の吸血鬼は言葉を受けて、ようやっと手を動かした。皿の上、薔薇の山から白い薔薇を選び手に掴むと、勢いよく握り潰す。
「いい味だな。非常に濃い清廉な精気が、花弁の隅から隅まで満ち満ちている」
握りこんだ手の中で白い薔薇がくしゃりと崩れた。生気を吸われた花は、粒子の細かい砂に成り果てる。
橙は指の隙間から、砂をサラサラと空に放った。それを見、青は嬉しそうに笑う。
「ふふ、この素晴らしさを共有できて嬉しい」
青の吸血鬼も、摘んだ薔薇を一瞬で砂にした。そうしてまた別の色の薔薇を摘む。
「まあ世間話でも。そうだ、さっきの話の続きは」
「幾らでも話してやるよ。何せ長旅だった。けれどその前に、冬弥。オレが留守にしている間、何か変わったことはなかったか」
「変わったことか、そうだな……最近庭園に巣を作った渡り鳥の番が卵を産んで」
「果てしなく平和な話題だな……」
あれやこれやと言い合いながら、彼らは皿に盛られた薔薇の花を吸収していった。一つ一つ花を摘んで味わう程に、橙の吸血鬼の肌色が良くなっていく。
花弁の反った黄色い薔薇も。小ぶりな大きさの桃の薔薇も。砂になり散っていった。ふわりと心地よい風が吹くと、ざわざわと薔薇の木が揺れ、吸血鬼の手から零れる砂と薔薇の花弁が空に舞う。
地平線まで続く薔薇園。どんな天候にも荒らされることはなく、どんな色の薔薇も美しく咲く。青い吸血鬼の魔法で常に守られているのだ。
「……で、雛が無事に成鳥になって、巣立ったのがつい先日だ」
「それ観察してたのか」
「鳥たちは薔薇についてしまう虫を食べてくれるからな。丁重にもてなさないと」
「そういうのは魔術で管理してるんだろう?」
「魔術は完璧では無い。害虫と益虫を分ける過程で取りこぼしが出てしまうこともある」
にこにこ。笑う青に橙は深く息を吐いて訊ねる。
「じゃあ、危険なことはなかったか?」
「危険なこと?」
「何も無ければいいんだが」
「……あぁ、そういえば」
「何かあったのか?」
「招かれざる客が来たな」
「そういうのは早く言えよ!」
橙の吸血鬼が身を乗り出す。
「どこのどいつだ。ハンターの連中か?」
「恐らくそうだな、銀の弾丸を持っていた。わざわざこんな孤島に仕事をしに来るのだから、余程仕事熱心な方だったのだろう」
「何呑気なこと言ってんだ」
「安心しろ、もういない。この薔薇園に入り込んで、五体満足で帰れやしないのだから」
「やり合ったのか? 怪我は?」
矢継ぎ早に訊ねる橙に、青はゆるりと首を振る
「俺は何もしていない。怪我もない」
「怪我がないならよかったが……」
「薔薇園に棲む蝶が、侵入者を俺に教えてくれた。薔薇の木を荒らされては堪らないからな。けれど駆けつけた時には、もう既に茨が死体を吊し上げていたんだ」
「茨が?」
青い吸血鬼は顎を引く。
「愛情たっぷりに育てた薔薇の腕は、自在に動くんだ」
それは人ならざる者の魔法の力。
「俺の魔力を吸った茨が、相当腹を好かせていたのか、捕まえたハンターの生き血を吸い尽くしてしまった」
「お前の育てた薔薇、お転婆すぎだろ」
ほっとした顔で今一度席に着いた橙は、気を取り直して赤薔薇を摘む。それを青が指さした。
「ふふ。ほら、今彰人の持ってる薔薇は、まるで血のような真紅だろう?」
「……まさか。食っちまったぞ」
「あはは。酷い顔だ。冗談だから」
「全く……」
「それで、残った出涸らしを砂に変えた。丁度肥料と混ぜる土を調達しようと思っていたから」
「おいおい、薔薇の下に撒いたのか」
「ヒトの体は栄養たっぷりだからな。都合が良くて。ほら、今彰人が握ってる白と赤の斑の薔薇に……」
「げっ。食っちまった」
「んっふふ、冗談だ」
「全く……」
一つ一つ、談笑をしながら色とりどりの薔薇が砂になっていく。
艶やかな紫の薔薇も、希少な黒薔薇も。全て吸血鬼の糧になる。
「俺の話はもういいだろう。彰人の話が聞きたい。黄色い双子の探偵と猫を探してどうだった、ちゃんと見つかったか?」
「そりゃ、勿論見つけたが……昔お前に教えてもらった、物探しの魔術をこっそり使って」
「彰人は魔術があまり得意でないだろう。大変だったんじゃないか」
「おう。滅茶苦茶疲れた。……そうだ、お礼にって、探偵達からドライフルーツ貰ったぞ。スライスオレンジとバナナチップ。そのまま鞄の中に入れてあるから、後で渡す」
「それはいいな。後でパウンドケーキを焼くのに使おう」
「その時には手伝う」
「ありがとう」
「そうだ渡すものといえば。行く先々でお前への土産を渡された。暁山からは妖精の羽根を貰った」
「そんなに貴重な物を……! やりたかった魔術が発動できる。有難い」
「お前の作った化粧水と、バスソルト滅茶苦茶喜んでたぞ」
「そうか、よかった。これはお返しに力を入れなくてはな」
「次は何作るんだ」
「そうだな。髪に塗る香油を薔薇の種から作ってみようか」
「うわ、喜びそう」
「ふふ……そういえば、ひと月程前に彰人が寄越してきた手紙には、赴いた国が祭りの時期だったと書かれていたが」
「あぁ、そう。緑髪の人魚が届け物をして欲しいって、魔術で便りを寄越して無茶苦茶言ってきたんだ。街二つと森と三箇所くらい急いで回る必要があったから、帰りが遅くなるって手紙を飛ばした」
「成程、確かにそんな内容だった」
「その街で菓子作りの祭りをやっていた。街中甘い匂いでいっぱいで、飴細工がいかに美しく作れるかなんて催しもあって……けど冬弥は、人間の甘味はあまり興味がなかったか?」
「そんな事は無い。確かに、口にするのはあまり得意では無い。だが、飴細工のような綺麗に仕上がった砂糖菓子を見るのは好きだ」
「あー。……もしまた街に寄る機会があったら、土産に買ってきてやるよ」
「それはいいな」
語らいながらも橙の吸血鬼は薔薇を摘む。しかし伸ばした手は、皿の平たい底を触るだけだった。
あんなに山と盛られていた薔薇の花を、全て食べきってしまったのだ。
「やはり彰人はよく食べるな」
「……美味いものは食が進む」
「そう言われると、大事に薔薇を育てた甲斐がある。彰人に美味い糧を食べさせたくて、それはもう丁寧にやったんだ」
「それは……ありがとな」
「おかわりもあるぞ」
言って青い吸血鬼は離席する。すぐに戻った彼の手には、奇跡の青い薔薇が盛られた皿が。
「これがもう兎に角、力作なんだ」
「へえ、珍しい色だな」
「ある白い薔薇の木を、特に目をかけて育てていたら真っ青になってしまった」
差し出された皿を受け取る橙の吸血鬼。早速手に取り吸収して、目を見張った。
「この味は」
お前の魔力そのままの味がする。ぽつりと零した言葉に、青の吸血鬼は笑んだ。
「隠し味を入れすぎたんだな」
だからこんなに真っ青になってしまった。俺の魔力の色に染まりきってしまって。
「味はどうだ?」
「それは、すごく、美味い」
「よかった」
気に入って貰えたならいい。変な味だなんて言われたら堪らないからな。青が言えば橙が首を振る。
「不味いわけないだろうが」
「でもその青薔薇の木の下に、ハンター産肥料をまいたんだが」
「は、マジかよ」
「目をかけてる薔薇だからな、特別に栄養がある肥料を、やらない訳がない。……今度は本当だ」
「うへぇ」
顔を歪ませた橙の吸血鬼を、青い吸血鬼が笑った。
「あぁ、酷い顔だ。可笑しい。心配するな。本当にただの堆肥で、何一つ害はない」
「……それは心配してない。気持ちの問題で」
「嫌そうな割に、薔薇を食べる手を止めないじゃないか」
「だって美味いから」
「冥利に尽きるな。でも、口直しに紅茶はどうだ」
青い吸血鬼はサッとどこからともなく茶器と、芳醇な香りのお茶を出す。
上等な陶磁のティーカップに注がれる、澄んだ赤の紅茶。ひとすじの湯気と共に、独特な甘酸っぱい香り。熱すぎずぬる過ぎない、舌先に丁度よい温度。
「前に彰人が土産に持ってきてくれた茶葉と、薔薇とともに育てたハーブ、薔薇の花弁をブレンドした。アクセントに少々のローズヒップ、それから今朝抽出したばかりのローズウォーターも使っている」
「盛りだくさんだな」
「中々いい味になったと思う」
「凝り性」
「お前に飲ませる為なら幾らでも凝る。とりあえず、口を湿らすのにでも使ってくれ」
その吸血鬼が勧めるがままに、橙の吸血鬼は紅茶を口に運んだ。何せ、彼は誰よりも深い関係である向かいの吸血鬼を信頼している。
彼が言うならいい味なんだろう、と。温かいお茶は本来、吸血鬼のエネルギー補給の手段としては用いられない。嗜好品だった。
「……!」
しかし飲んで、橙の吸血鬼は目を見開く。
「冬弥、お前な」
その様子を見て、青の吸血鬼は満足そうに笑った。
「いい味だろう」
まだ茶の入ったポットを抱える。
「強い薔薇の香りと、濃縮された薔薇の精気。それから、お前、混ぜたろう」
「何をだ?」
「しらばっくれるなよ。お前の血を、混ぜただろう」
言うと青の吸血鬼は楽しそうにしている。
「なんだ、一口でバレてしまったのか」
「一口どころか、多分一滴でもわかる。体の奥まで潤っていく感覚だ……まるで血を含んだ時みたいな」
「それは、入れたからな。生き血を」
面白おかしく吸血鬼が笑う。青いのも橙のもくすくす笑っていた。
「はは、全く、お前は」
「ヒトは茶を嗜む時に、砂糖を入れるだろう? 生憎切らしているから、代わりにと思って」
「そうだな、間違いなく、甘い」
すう、と橙の吸血鬼は一滴残らずお茶を飲み干した。
「薔薇も紅茶も美味い」
「それはよかった。お前が遠出する度に、次に帰ってくる時はどんな極上の糧を用意して労おうか考えるんだ。結果に喜びの声を聞かせてくれるのは本当に嬉しい」
「極上の糧、か」
橙が青を見つめる。黄金色の瞳は、深い欲で燃えている。
「まだ、足りない」
「食いしん坊め」
薔薇園の中、色とりどりの薔薇の花が盛られていた皿二つ、整えられたテーブルとカトラリー、向かい合うように席に着いた二人の吸血鬼。
どちらとも無く二人共席を立ち、そして影を絡ませるように身を寄せあった。
「愛を知った吸血鬼は、薔薇の花から命を繋ぐ精気を得られるようになる」
古い時代からずっと変わらない、御伽噺のような吸血鬼の習性。
「彰人が俺を愛おしいと思う限り、俺が彰人を愛おしいと思う限り、この庭園の薔薇は何よりも美味しい糧になる」
青の発言に、橙は目を細めた。
「違いない。でも、それはそれこれはこれだ」
するり。絡む影。青い吸血鬼の首筋を、橙の吸血鬼が頬擦りする。
「いいだろ?」
するり、と唇で首筋を辿られるのを、青は擽ったそうに受け入れていた。
「後で俺にもくれるなら」
「幾らでもくれてやる」
「それならいい。……いや、待ってくれ。先に、彰人宛に届いている手紙が幾つかあるのを渡しておこう」
「メシが不味くなるわ、ったく……わ、面倒なのが来てる」
既に開封済みの手紙をいくつか渡されて、渋々読んだ橙の吸血鬼は顔を歪ませた。
「呼び出し食らってる……しょうもない理由で」
「神代先輩の研究のお手伝いだろう。しょうもない理由じゃない」
「ピンクの薔薇、生花が二百本必要……? 誰が届けるんだ」
「彰人だな」
「あー……」
「桃色の薔薇ならすぐに用意ができる」
「じゃあ、冬弥が薔薇の選別を終わらせるまでちょっとゆっくりするか。風呂入りてえ」
「そうだな。少々日にちを頂く旨、神代先輩に頼りを出そう」
魔法でレターセットや封蝋を引き寄せ、用意をしながら青い吸血鬼は言う。
「幾ら俺達吸血鬼が頑丈でも、しっかり休息をとることは必要だ。それに、俺ももう少し彰人と過ごしたい」
頬を染める青髪に、橙髪も頬を染める。
「冬弥……次の外出は、早く帰ってくるようにする」
橙の吸血鬼は約束して……大口を開けた。赤い唇から覗く鋭い牙を、改めて青の吸血鬼の首筋へ当てる。
「けど、疲れを癒すにはまず、しっかり腹ごしらえしないとだよな」
「ふふ、仕方ないな」
愛し愛されることを知った吸血鬼は、薔薇の花で食事をするが。この二人の吸血鬼は、お互いにお互いの血を含ませ合うことを嗜好としていた。
すぷ、と白い牙が白い首筋を貫く。
とうとう影が一つになった。咲き誇る薔薇が、幸せそうな彼らを見つめていた。