大人士郎と大人いちかさんが出会った「あなた、スイーツは好き?」
白衣の女性が訊いた。聞き慣れない日本語に、彼女にじゃれついていた子供が首を傾げる。
世界をまたにかけて飛び回る日本人医師。皆を笑顔にしたいという理想は老いてなお彼女に力を与えており、怪我の処置をする手つきも確かだった。異国にて負傷したところを助けられた衛宮士郎にとってはなぜか逆らえないひとでもある。
姉のような存在の彼女とは違う。もっと落ち着いていて、けれどたくましくて、……『母親』というものだろうか。
「ええまあ、……嫌いじゃないです」
「ならよかった」
女医は笑い皺を刻み、士郎の肘を軽く叩いた。
「どこかで『キラキラパティスリー』ってお店を見たら覗いてあげて。娘のお店なの」
はあ、と応じる士郎に女医は囁いた。
「私の娘はね」
小さな子供が秘密を打ち明けるように、そして誇らしげに。
「世界をまたにかけるヒーローなの」
雨の音が遠く心地よく聞こえる。
士郎の前にサフランで色づけしたゼリーのようなデザートが運ばれてきた。この地域に昔からあるお菓子だというが、向日葵の形の器におさめて中心にピスタチオを散らしたのは店主の発案らしい。一口食べるとスパイスの香りとほのかな甘さが広がる。もちもちした食感はゼリーというより、
「葛餅みたいだな」
「ですよね!」
士郎が素直な感想をこぼすと、若い女店主が満面の笑みで同意した。
ともに日本語である。同郷のよしみか生来の人懐こさか、「キラキラパティスリー」の女店主の距離が近い。
「衛宮さんでしたっけ。母からラインで聞いたんですよ、世界をまたにかけるヒーローだって。でも無茶するとこもあるからどこかで会うことがあったら助けてあげてとも」
「……ううん、はい、宇佐美先生にはご迷惑お掛けしました」
大きな瞳から逃れるように、士郎は店内を見回した。
外から見ればこぢんまりとした建物だが中は意外と広かった。カラフルで可愛らしい内装のためか若い女性が多い。客ではなく雨宿りとおぼしき子供たちもいるが、女店主は特に気に止めず彼らを受け入れているようだ。
ひときわ目を引くのはショーケースに飾られた5つのスイーツ。ウサギをかたどったショートケーキ、リスのプリン、ライオンのアイス、猫のマカロン、犬のチョコレート、ペガサスのパフェ。丁寧につくられたそれらはいずれも本物ではない。
「日本を出るとき食品サンプルでつくってもらったんです。レギュラーメニューにしたいんですけど、場所によっては手に入りにくい材料もあるから」
「そんなにこだわりがあるのか」
「はい。わたし達の、キラパティの原点なんです」
女店主は店の一角を指差した。
地球のイラストが描かれた壁には無数の写真が貼られていた。これまで女店主が訪れた場所と、その土地の人々の笑顔。それらの中心にある古い写真はおそらく日本で撮られたものだろう、少女と呼んでいい頃の女店主が同年代の少女たちに囲まれて写っている。揃いのパティシエ服を身につけているから彼女たちもこの店にいた時期があったのだろう。
「今は皆別々の道を歩いてるけれど、あの時一緒にスイーツを作ってたから自分の道を胸を張って進んでるんだって思うんです。自分や誰かの【大好き】を大事にすれば、きっと皆笑顔になれるって、そう信じて頑張ってる。わたしの自慢の仲間です」
大好きな人たちと共にあって、きっと彼女は幸せだったのだろう。女店主の横顔を見ながら士郎はかつての己を思い出す。
夏の日、セイバーにイリヤ、藤ねえにかき氷を作ってあげて。キラパティのスイーツほど可愛いものではなかったが彼女たちの喜ぶ姿が嬉しかった。
「……昔、知り合いにライオンが好きな子がいてさ。かき氷をライオンの形にデコレーションしてあげたら喜んでくれたんだ。ああいうアイスも作ってあげられたらよかったな」
「スイーツ作れるんですか?」
「得意って訳じゃないけど、一応……いやどうかな、今は」
「やってみますか」
「えっ」
伺いを立てるというより決定事項のような口調。そうして女店主――宇佐美いちかは兎のように跳びはね、拳を突き上げた。
「それではレッツ・ラ・クッキング!」
握られた拳にいいタイミングで光が当たる。いつの間にか雨はやみ、雲の切れ間から陽光が射し込んでいた。雨宿りのお礼に肉体労働ということで、
「れ、れっつらくっきんぐ……」
「キュアラモード・デコレーション!」
叫びと光。そうして動く死体を押し潰す巨大なクリーム。
「……クリーム!?」
士郎は理不尽が吹き飛ぶ不条理を見た。
淡い光を纏った巨大なホイップクリーム――そうとしか見えない何かがグールに正面からぶち当たる。スピードと質量で打撃された数体がまとめて吹き飛び、倒れる直前で紐状に変化したクリームに絡めとられる。
「キラパティの中に入って!」
女の声に促され、逃げ遅れたこどもたちが駆け出す。
「昔とった杵柄というやつですなあ」
子供たちを守ろうとステッキを構える女の頭で兎耳が揺れる。ピンク色の豊かな髪をツインテールにし、パフスリーブのワンピースの胸を飾るのはピンクのリボンとイチゴのブローチ。ショートケーキの妖精とでも呼べそうな可愛らしい外見の女が、あの女店主の声で叫ぶ。
「衛宮さんも早く!」
「いちか…………さん?」
同級生の少女が神代の魔術師をゲンコでボコり始めた時と今とどちらが衝撃的だろう。
『私の娘はね。世界をまたにかけるヒーローなの』
今更ながらに女医の言葉を思い出す。魔術師でも魔法使いでもない、変身して弱きを助けるならまさしくヒーローだろう。