リチャアヤ小話集1あんたと旅をすること
家守(妖怪パロ)
軽やかな海風がアヤカの髪をすり抜ける。ゆらゆらと揺れる小さく編んだ三つ編みは金の鎖のようだ。駆け抜ける風はスノーフィールドのからりとした風とは違い、水気の含んだしっとりとした風に懐かしさを感じた。
アヤカとリチャードはもうすぐ、降り立つ土地に思いを馳せる。特にアヤカにとって、始まりの土地であり、因縁の土地である場所だった。
「そろそろ、降りる準備しようか。忘れ物ない?」
「ああ、大丈夫だ。必要なものはすべてトランクに詰めたぞ」
リチャードは荷物を持ち、先降りて周囲を確認しながら、船を降りる。アヤカが生まれた土地にきたことに感動していた。
「おおーここが冬木かー。随分と不思議な感じのする土地だ」
「通っている龍脈も多いからじゃない」
「いいや、そうことじゃないんだ。長い物語を読み終わった後の余韻のような雰囲気がある街だな思ってな」
冬木の風を感じながら、アヤカは街を眺める。リチャードは黙り込んだアヤカと同じように沈黙に耽り、街を人を愛おしげに眺めていた。
「そろそろ、行こうか。宿も取ったんだろう?」
「うん」
アヤカはリチャードの手を引いて、港をあとにした。
アヤカが通り過ぎてきたものは多い。それを取り戻すかのように、現在、隣にいる男、リチャードと旅をしている。
二人はスノーフィールドの戦いの後、受肉したリチャードは世界を見たいと言った。アヤカは予想通りの言葉だったので、スノーフィールドで知り合いになった魔術師にリチャードの戸籍を用意してもらい、フリーの魔術師の仕事をしながら世界を二人で回り始めたのだ。
もちろん、好奇心に溢れたリチャードが一箇所に止まっているわけがなかった。アヤカも逃亡生活のせいで、一箇所に止まらない生活に慣れてしまっていたのでちょうどよかった。
リチャードがアヤカを思ってセーブしてるところはあるものの、現世のことに興味を示してはキラキラとした目で行ってみたいというオーラを出すので、行き先は自然と決まっていることが多い。見たいものが違えば、別れて待ち合わせすることもある。けれど、一段落して見る世界は綺麗なものや、驚くもの、楽しいものに溢れていた。
「どうした、アヤカ?」
ホテルのベッドに寝転がりながら、アヤカはぼんやりと天井を見ていた。心あらずのアヤカを心配したリチャードの顔が視界いっぱいに映る。
隣座るぞと一声かけて、ベッドの横にリチャードが座った。二人の重さで沈むベッドの感覚に励まされ、アヤカは考えていたことを口にする。
「今までの旅のことを思い出してた」
「ああ、この前行ったドイツは楽しかったな! 色々な音楽も聴けたし、いい音楽家にも出会えた!」
リチャードは音の溢れる街を歩いていたが、興に乗ったのだろう、歩いているだけじゃ気が済まなくなり、どこからか楽器を借りて、ミュージシャンと合わせ始めた。合わせ始めると、ノリのいい楽器を持った人々が反応し始めて、いつの間にか路上オーケストラ状態になったことを思い出す。アヤカはそれを聞きながら、静かに微笑んでいた。
「うん、楽しかった」
アヤカがリチャードに向かって、つぶやくように言葉を返す。口元は少し上がっている。リチャードはアヤカの控え目な微笑みに、愛おしむような笑みを返した。
「さあ、明日はどこに行くんだ?」
リチャードは冬木の観光案内を広げる。アヤカは隣に並んで一緒に観光案内を眺める。冬木は観光するほどの街ではないのだ。それにこれは向き合うためのもの。けれど、アヤカはきっと賑やかな記憶に書き換えられるのだと。
(END)
濃い緑の空気のなかを歩く。露が裾を濡らす。生い茂った草は脚が長めなので、気をつけて歩かねば、すぐに足を取られてしまいそうになる。
(ああ……こんなところに来たくなったのに……)
アヤカは心の中で自分をここに向かわせた白い女に悪態をついた。けれど、自分には否定する権利は一切ない。ワケありで、天涯孤独で住む場所もないのだ。
緩い斜面を歩いていくと、古い洋風の赤い屋根の一軒家があった。入口は飴色の重そうな木造の扉に濁った光を放つ銅のライオンがついた取っ手。赤茶色の錆びて、所々、表面が少し剥げて中の銀が見えているポストが印象的だが、こんな山の中に郵便物なんて来るのだろうかとアヤカは思う。
人の住んでいる様子がないのに、建物が死んでいる感じがしない。むしろ、眠っている。
アヤカは異様な建物に怖気付くが、いつまでも立ちっぱなしと言う訳には行かない。白い女からもらった鍵をドアノブの下にある鍵穴に差し込んで、回すとカチッと軽い音がしてドアが空いた。
木造のドアノブに手をかけた瞬間、ざわりっと体中から電流のようなものが走ったような気がして、バッと手を引き戸から離した。
(なんだろう……静電気?)
もう一度、アヤカはそっと、取っ手を握って恐る恐る扉を開いた。中を見ると真っ黒のジャンパーに真っ赤なTシャツを着た青年が玄関の段差の部分に腰掛けていた。
「やあ、お嬢さん。こんなところで、どうしたんだ?」
三つ編みにしてある赤の混じった金色の髪。アヤカの染めたようなものではなく天然の金色。燃えるような炎を閉じ込めたような瞳が好奇心を含んでアヤカを見ている。
「…今日から白いおん…女性から言われて、ここに住むことになってるんだけど、アンタは?」
「リチャードだ。オレもここの居候みたいなものだ」
謎の青年は手をひらひらと振りながら、あっけらからんと言った。アヤカは眉をひそめる。
「……そんなこと一切聞いてないんだけど」
本当にここに行って位しか聞いていないのだが、部屋が別れているとは言え見知らぬ人間と二人で住むのはどうかとアヤカは思ったが口に出さない。
「そうだろうな。きっと、オレのことなんて、向こうは一切忘れてるだろしな……」
忘れられてると言うが、あまり真剣味がなく、困ることではないのだろう。リチャードは続けて、確かに君は魅力的だが、客の君に手を出したら、あいつらから怒られてしまうんでなと言った。嘘はついていないように見える。彼は白い女の親族……と言うのは何か違う気がするが、なんとなく、さっきの言葉は信じてもいいような気がした。今ままで世界中を逃走してきたアヤカの勘である。
アヤカが警戒心を少し解くのを見て、リチャードは苦笑しながら、ああ言ってから言うのもなんだが、オレは別にいい奴じゃないぞと言った。
「そう言えば、君の名前は?」
「……アヤカ」
「そうか。アヤカか。よろしく」
リチャードは何にも気づいた様子もなく、手を差し出した。アヤカはリチャードの手と顔を何度か見比べた後、恐る恐る手を握ろうとした瞬間、カタンと何かが落ちた音がした。
「!」
物音に驚いたアヤカはすっと手を元に戻した。家鳴りでもない。アヤカは部屋の奥に続く、廊下を見ながらリチャードに訊ねた。
「ねえ、ここ、他にも誰かいるの?」
「んーまあ、いると言えばいるな……。危害はないから安心していいぞ」
言葉を濁すリチャードにアヤカは首を傾げた。狸や狐だろうか。この森の中じゃありそうだ。
「まあ、とりあえず、日差しのいい空いてる部屋に案内しよう」
リチャードはそう言って靴を、靴箱に入れて、アヤカにスリッパを用意してから長い廊下を歩き出す。アヤカもリチャードの背中を追った。
アヤカはまだ知らない。これから、この家で起こる出来事を。そして、自分がこの家に辿りついた理由も。リチャードの名乗る男が何者であり、どんなエニシによって導かれたのか。
(続かない…?)