魔物が棲むとは云うもので 今回ばかりはオレは無関係の被害者だ。何故か無実の罪をふっかけられやすいオレでも、目撃者が多数居れば堂々と太陽の下で宣言出来る。
(いや、多すぎても困るんだけどさあ……)
オレは食堂の椅子に腰掛けながら、紫色の炭酸ジュースの注がれた美しいグラスに、蛍光ピンクのストローを無情に刺しながら啜る。横ではゴン太がおろおろと視線を上下に動かしている。上はオレの顔の事だが、下とはオレのストールの下辺り。――ツンツン頭を市松模様の下に仕舞い込み、オレの胴体を抱き枕にして腰を抜かして床にへたり込んでいる男の方だ。
……どういう状況だって? オレが聞きたいよ。オレはここで優雅にティータイム(ジュースだろ、なんてツッコミはナンセンスだ!)を楽しんでいただけだ。突然食堂が騒がしくなったと思ったら、青褪めた顔で走ってきたこのバカが『ちっと、ツラ、貸せ……!』と息も絶え絶えに言ったかと思えば、そのまま気絶同然でオレの体を支えに座り込んだのだ。うん、改めて口にしてもよく分からない状況だ。仮に助手二人が居たら速攻で問い詰められる。主に二号の方に。
「随分と珍しい組み合わせだな」
「ええ。どんな風の吹き回しかしら」
隣のテーブルでは星ちゃんと東条ちゃんがぽつぽつと話している。オレとこの漬物石の話ではないのは、視線が食堂の入り口に向いている事で分かって貰える筈だ。オレを含めて落ち着いた大人の男女とペットしか居ないこの辺りと違い、そちらの方はやけに賑わっている。
「およ? 解斗はどこかなー?」
「せっかく大迫力で映画が見られる発明を体験させてやろうと思ったのによー! イイ所で逃げやがって!」
のんびりとした声だが足取りは軽快な少女と、相変わらず下品に笑う少女。アンジーちゃんと入間ちゃんだ。その二人が、何やら今言った発明らしい大掛かりな機械と、和製ホラー映画のDVDを大量に抱えて闊歩している。現状オレの重荷になっている男は『それとはこれっぽっちも関係ねー!』と言いそうだ。というかどんな組み合わせだ、アレ。
「あのっ、ボクはもう良いですよね!? アンジーさんこの縄解いてくれませんか!? というかこれ誰譲りの技術なんですかちょっとー!」
アンジーちゃんに引っ張られながら喚いているロボットは入間ちゃんの付属品なのでノーカウントとして、アンジーちゃんが入間ちゃんとつるむのは珍しい。正直、気は合いそうに無いのだが。何か繋がりが見えるものといえば、DVDのタイトルが生贄が大量に出てくるものだったり人身売買が関わるものだったりする点なのだが、深く詮索しない方が吉だ。
「とにかく、貸してやったのはツラじゃなくてストールだって事だね」
「え? 王馬君、何の話? ……っていうか、百田君は大丈夫なの?」
「あーもう、ゴン太は全然気にしなくていいよ。コレは空気だと思って!」
ゴン太が後半だけ声を潜めた点からも、こいつがあの奇異な組み合わせから逃げている事はこの場の共通見解らしい。希望ヶ峰の食堂は広くテーブルの数も多いので、テーブルの下に頭を隠してしまえば入り口からは死角になる。……逆に言えばそれだけで事足りるのだが。やがてここに尋ね人は居ないと踏んだのか、二人とペットは廊下をバタバタと歩いて行ってしまった。
――さて。危機が去った所で、目下の問題はこの状況の打破だ。
何故か悠長に会話をしている星ちゃんと東条ちゃんや、ナチュラルに心配してくれているゴン太以外の、うっかり一部始終を目撃してしまった周りの生徒達の何か怖ろしいものを見ているような視線をチラチラと受けながら、オレはポーカーフェイスをキープする。発端の宇宙バカはここまでの話を聞いているかすら分からない。
……大体、このバカの脈絡の無い行動のせいで、咄嗟に椅子を倒す事無く受け止めてしまったのが痛い。オレの体格なら、そのまま後ろに大袈裟に吹っ飛ばされて慰謝料を要求して然るべきだった。これじゃあ、低身長で華奢に見える事で、組織の敵が『喧嘩を売っても造作も無いだろう』と油断した所を、その貧弱そうに見えた腕っぷしで簡単に打ち倒され恐怖に顔を歪めるのを堪能する――というオレの作戦が失敗してしまうではないか。オレの計画の邪魔をするのもイメージダウンさせるのも止めてほしい。
爪は隠す主義だ。この瞬発力が、どこぞのトリオのトレーニングも真っ青の二十四時間弛まぬ養成ギプスによる全自動鍛錬(今この瞬間もね!)と、そのどこぞのボスが夜中に月を見ると血気盛んな猛獣に変身するので、それを暗躍するヒーローの如くこの身を犠牲にして相手にしている成果である事は――いや、後半は要らなかった。聞いた奴は消すしかない。
と、頭の中で並び立てた所で、与えてやった時間で冷静になったかとチラリと見下ろす。が、まるで静止画のように動かない。ストールの下で感じる呼吸が落ち着いてきている事は理解出来るのだが。
「あのさー、オレはキミの酸素ボンベじゃないんだけど。三人とも行っちゃったし、もう離れてくんない?」
「…………」
返事は無い。屍では無いと思う。もしや自分がしでかした事の重大さに気付いて顔を上げようにも上げられないでいるんじゃないか――と思った途端、はー、と長い息が溢れ、その無駄な長身はむくりと起き上がった。周りのオレ含む四人、と他多数の視線が集まる。
「…………苦渋の決断だったぜ」
苦虫を噛み潰したような顔で額の汗を拭う。端的に言って大袈裟だ。
「ホントだよ! オレの腹を浮き輪代わりにしてくれちゃってさ! えっオレの腹が浮き輪? 酷いようわああああああんオレの体はプァンタで出来てるから太らないのに! 水っ腹とか言いたいの!?」
「ッだーうるせーな!? 誰もんな事言ってねーだろ! くそ、ぜってーこうなると思ったけどよ……!」
さっきまで瀕死だと思っていたらこれだ。もう少し大人しくしていて貰った方が平穏は保たれていたかもしれない。が、間は保たなかったかもしれない。要らない思考を回したせいで妙に疲れた。
「……全く、最原ちゃんや春川ちゃんが居てくれたら押し付けられたのに。肝心な所で何で居ないかなあ」
「あ? ……いや、あー。……今はちっと、何つーか」
溜息混じりに助手の名前を出すと、奴は視線をこちらから逸らした。何だその反応は。それが気になったのか、東条ちゃんも声を掛けてくる。
「あら。喧嘩でもしたのかしら」
「そんなんじゃねーよ。……多分、終一やハルマキが居たら、真っ先に居場所聞きに来るだろ」
「……、確かにな。一番当てにしそうな所だな」
奴の弁に、星ちゃんが同調した。食堂に訪れた彼女達の様子と言えば、入間ちゃんこそ大声で名前を呼んでいるだけだったが、アンジーちゃんは近くの生徒にこのバカの所在を聞いていた。周りも空気を読んだのか「知らない」と答えていたが、アンジーちゃんはそもそもこちらに声を掛けなかった。
確かにこれが助手の二人であれば、確実に聞いてきただろう。……何やらこちらを見て少しだけ不思議そうに首を傾けていた気はするがそこまでだった。わざわざ食堂の奥に居る、加えて気が付かずに(そういうフリをしていたのだが)会話していたこちらまで踏み込むまでもないと思ったのかもしれない。
「ふうん。それで? 何でオレが盾にされたのかなー?」
そこまで整理すれば答えは出なくも無いが、敢えてここは本人に語らせたい。オレは椅子にどっかりと腰掛けながら、立ち尽くした男に対し、微笑みを意図的に浮かべてそう問いを投げた。奴は、一瞬だけ口を噤んだように見えた。
「……まさかテメーの所に隠れるとは思わねーだろ、っつーか……?」
模範解答。それがオレの感想だった。確かに奇をてらう作戦は有効だし、まさかコイツと手を組む訳がない! という大衆心理を利用するのも、不本意ながらオレの好みの戦術ではある。そこは評価しよう。
「成程ね。オレとキミの『仲の良さ』を利用したって事ね」
「えっ、二人とも仲良かったの!? いつも喧嘩してるのに……」
「獄原君、今のは皮肉よ」
「えっそうなの!?」
漫才をしているクラスメイトは置いておくとして、ただ、今この男の手には、一つだけ伏せたカードがある。目を逸らしたのをオレが見逃す筈が無い。
単に人の意表を突くだけなら、他に幾らでも手はある。例えばゴン太の背に隠れるとか、あるいは東条ちゃんのスカートの中に隠して貰うとか――それは犯罪だが。ともかく、もっと確実な方法はあったろうに。
(……オレは正直だから、もう答えは言ってるんだけどね)
ともかく。『ツラを貸せ』と言ってきた時の、一体何を見せられたんだと勘繰ってしまう程のボロボロでみっともない顔と、推測される精神状態と、それでオレの前に顔を出したと云う事実が、——傑作だったという話だ。
「まっ、キミにしては頭回った方だね。問答無用だった所はどうかと思うけど」
オレは立ち上がって、やれやれと大袈裟気味にリアクションしてみせる。
「それは悪かったっての。でも、一刻を争う状況で――」
「ねーねー、やっぱり解斗ここにー」
「おーアンジーちゃーん!! こっちこっちー!」
「どああああああ!? テッメーふざけんなコラ!!」
突然背後から声が聞こえ、ばっと床に体を這いつくばらせようとしたその首根っこを掴み、大声で食堂の入り口に手を振る。アンジーちゃんが引き返してきたようだった。やはり何か気になっていたらしい。彼女の感性というか勘のようなものは侮れないし、オレとしては少し相性が悪いと感じている。だから、次に帰ってきたら話が拗れないうちにコレをさっさと引き渡す事に決めていたのだ。
何やら猛獣が、ずるずると引き摺られながら『テメー後で覚えてろ!』と喚いているが、これくらいしないとオレの主義に反する事くらい察せるだろう。人を精神安定剤代わりにしたくせにそれを認めなかった報いだ。こんな公衆の面前で認められても困るのだが。ともかく聴衆も『やっぱりそういう事か……』と言わんばかりに興味を無くし始めたので一件落着である。
それにしても、後で覚えてろ、と来たか。怖い怖い。アレで本気の無茶はさせてこない男ではあるのだが。御一行に手を振りながら、オレは一息ついて口を開く。
「いやー、やっぱりああいうの見ると胸がスカッとするね! ざまあないよ。オレを利用するなんて良い度胸してるよね! その意外性自体は悪くないけど!」
「……俺としては、あんたが一度でも素直に匿ってやった事の方が意外だったがな」
ピタ、とうっかり手を止めてしまった。星ちゃんの妙な発言が、背後から突然飛んで来たからだ。
「彼をストールで隠す辺りなんて、流れるような仕草だったわね」
東条ちゃんの追い討ち。待ってほしい、それは最後まで触れない約束だったじゃないか。してない? そうだったろうか。今触れなければ素直に終われた筈だ。最初こそ、速攻引き剥がすつもりだったのだ。けれどうっかり剥がすタイミングを逃して、すぐ三人が来て……などと、そんな裏話は必要ない。そんな事があったとしても、そもそも珍妙過ぎる行動をしたあのバカに原因はある。何度も言うがオレは今回ばかりは被害者だ。
「何言ってんのあらぬ誤解だよ! オレとしてはあんまりにも惨めだから、せめて丁重に葬ってやろうと死体の顔に布被せる感覚で」
「王馬君優しいんだね! やっぱり仲良しなんだ!」
「ゴン太! 今オレがオチ付けようとしてたんだから口挟むなよ!」
「えっ!? ごっごめん、でもオチってどういう……?」
ぎゃあぎゃあと騒ぐ事で本質を曖昧にする。全く、無駄な労力を使わせてくれた。後で覚えてろなんてオレの台詞だ。憂さ晴らしに付き合わせなければ。