美味しいは幸せの第一歩【始春】 ツキノ帝国。帝国と名はつけど、その実態は巨大な宇宙要塞である。
そんな宇宙要塞であるツキノ帝国で生活をする者たちの食料を一気に担う食料プラントは要塞の要と言っても過言ではない。
そんな食料プラントでは数億と言う人間の食料を担うがゆえに問題もあった。
『彼ら』との戦いが始まる前。各々が生まれた星で生活をしていた時代にあった料理と言うものが喪失した。コロニー内に植物はほとんど存在せず、人々が食べる食品はオーツ麦を原料に、香りや栄養素を添加されたものとなり、本当の料理を知っている者たちからしてみれば随分と物足りないものだった。
「春はどんな食べ物が好きなんだ?」
「食べものの好き嫌いってなに? あと、名前で呼ばないで」
業務の休憩中であるが、未だにツンツンと懐かない猫のような反応を示す春に、始は内心溜息をついた。
「そもそも、食べることに好きも嫌いもないでしょう? そんなことに時間を費やすことすら無駄だと思ってるのに。寝ている間に点滴でもなんでもして食事の時間なんて早くなくしてしまいたいな」
デバイスのデータから目を離さないまま、春が面倒くさそうに言い捨てれば、駆と恋が、信じられないモノでも見るかのような視線を春へと向けた。
「え、春さん、ご飯とか食べたくないんですか?」
「そもそも、栄養を摂取するだけならタブレットでも点滴でも構わないと思ってるけど?」
信じられない! と悲鳴を上げた駆と恋を気にすることも無く仕事を続ける春に、ふとある疑念が浮かんだ。
「お前、もしかして本当の料理を食べたことがないのか?」
春は生まれも育ちもこのツキノ帝国だ。艦隊のメンバーでも生まれは様々で『彼ら』に生まれた星を滅ぼされるまでは地上で生活していた者も多い。そんな中、生まれた時からこの宇宙要塞で生活をしていれば本物の料理を食べたことが無くても不思議ではない。
「資料では読んだことあるけれど、食べたことは無いね。わざわざ栄養を摂取するために、様々な植物や肉を育て混ぜ合わせるんでしょう?」
知識としては間違いではないが、それ以上でもそれ以下でもないと言った反応だ。
「なら一度、後学のために食べてみるとしようか」
「は?」
「賛成です!」
「俺も俺も!」
「でも、食材はどこから?」
「それは俺の方で用意しよう」
「さすが始さん!」
翌日、第一艦隊はメンテナンスのために一斉休暇となっていた。それを利用して皆で美味しいものを食べようと話がまとまった。春はずっと反対をしていたが、下の者たちにごり押しされる形で結局参加することになる。なんだかんだ言って、面倒見が良いのが春の美点である。
「これがトマト。これがきゅうり。これがジャガイモだ」
とんとんと作業台の上に乗せられた野菜に、春と同じくコロニー育ちの恋が興味津々に覗き込んだ。
「始さんのお部屋、初めてお邪魔しましたけど、部屋にキッチンがあるんですね!」
葵はキッチンに大興奮しているようで、コンロやシンクを見て、瞳を輝かせている。
「その材料はどこから手に入れてきたわけ?」
「あぁ、これは第二艦隊のやつらからだ。あいつら、と言うか海は色んな星から持ち帰った植物を艦隊内で育ててるからな」
「え? そんなことしてるの?」
「そうなんですか!? 今度、遊びに行ってみよう。俺も少し分けても分けてもらえませんかね?」
これは瞳を輝かせた駆の言葉である。
「で、今日は何が食べられるんですか? 俺、腹ペコで死にそうです」
いつもの調子でダイニングテーブルに突っ伏している新に、他のメンバーたちの腹の虫も大合唱を始めた。
「サラダと、パンケーキだ」
「パンケーキ? ケーキってことはお菓子ですか?」
「いや、パンケーキと言うのは小麦粉などを混ぜ合わせて作る、食事にもスイーツにもなるものだよ」
「食べたことはなくとも知識はあるんだな」
「当然でしょ」
たとえ知識欲が高くても、春の性格からすれば必要のない知識はあまり仕入れない気もするが、きっと琴線に触れる何かがあったのだろう。
問えば不機嫌になりそうなので、わざわざ口に出すことはしなかった。
「なら、春手伝ってくれ」
「なんで俺が?」
「手伝ってもらうなら知識のあるやつの方がいいだろう」
「あ、俺も手伝います。」
葵の手伝いの申し出もあり、大の大人が三人で並んでも十分な広さのあるキッチンに始を中心に左右に春と葵が布陣を置いた。
「で、何すればいいの」
「焼くのは俺がやるから春はフルーツのカットなどを頼む。葵はホイップを作ってくれ」
「わかりました」
「わかった」
慣れた手つきで卵を溶きほぐす始に、葵も生クリームを泡立てていく。そんな中、春だけが恐る恐ると言った手つきでキウイの皮を剥きはじめる。
ペティナイフは扱い慣れているはずだが、小さく千切られるキウイの皮が、ぽとり、またぽとりとシンクの中に落ちて行く。
「おい春……」
「な、なに……」
「無理なら、無理だと先に言え」
「や、やったことが無かったから上手くいかないだけだし……」
春の手に中にあるキウイは見るも無残な姿になり、いつも沈着冷静な春が珍しく動揺を露わにしていた。
「春さん、俺がフルーツ切るんで、春さんはホイップ作ってもらってもいいですか? さすがにもう腕が限界です」
見かねた始が手を出す前に、葵がさっとホイップを泡立てていたボウルを春へと手渡した。まだ五分程度しか出来上がっていないが、混ぜるのにも根気と体力が必要だ。交代するのもちょうどいいかもしれない。
春のプライドを傷つけず、すかさず交代を口に出した葵の心遣いに感心しつつ、始は再びパンケーキ作りへと集中する。
出来上がったタネを熱したフライパンへと高い位置から落としていく。こうすることにより綺麗な形のパンケーキができるのだ。
じっくりと弱火で焼き上げていると部屋中がふんわりと甘いバニラの香りに包まれる。
「お腹減ったー!」
「お前らはテーブルセッティングをしていろ。コーヒーか紅茶は淹れられるか?」
「はいはーい! 俺、愛に教えてもらったんでできます!」
「じゃあ、俺は食器の準備をしますね」
「俺は……味見担当とか……。はい。俺も駆を手伝って食器の準備します」
味見と言い出したところで、始と葵に同時に睨みつけられた新はすごすごと歩き出し、駆のあとを追いかけていく。
「ホイップはできそうか?」
「これなら、なんとか……」
リズムよくかき混ぜていたホイップクリームは角が立つほどしっかりとした硬さまで出来上がっており、始が味見のためにボウルに指を入れぺろりと舐めとった。
「美味いな」
「葵君が作ったんだから当然でしょ」
「でも、完成させたのは春だ」
もう一度指を入れて、今度は春の前へとずいと差し出した。
目をパチクリとさせる春に「食え」と促してくる。
「いや、自分で食べられるし」
「もう指ですくったんだ。これを食え」
おずおずと口を開いた春に、半ば強引に指を差し込み、ホイップクリームの味見をさせる。
「むぐっ!?」
「口の端についたな」
親指でぐいと口の端のホイップクリームを拭い取られ、目の前でそれを舐めとられれば、春は顔を真っ赤にして口をパクパク開くだけでそれ以上の言葉が出てはこなかった。
「こ、子ども扱いしないでよね!」
「そういうつもりじゃないんだが……」
「始さん。もう少し、ゆっくり距離を縮めないと伝わりませんよ……」
一部始終を見ていた葵が、困り顔で始を嗜める。
「これは、ダメなのか」
「ダメではないんですが、早すぎると言いますか……」
「葵、腹減った……」
春はフリーズし、始はムムムと眉間に皺を寄せ何やら考え込んでいる様子。こんなカオスな状況のキッチンに新と、駆、そして恋の腹の虫が鳴り響いた。
「さ、さあ、パンケーキも焼けたことですしみんなで食べましょうか!」
「それもそうだな。春、そのホイップは絞り袋に入れてくれ」
何枚も焼かれたパンケーキが皿に盛られ、葵のカットしたフルーツが飾られていく。最後に春がギュッとホイップを絞り出せば、豪華なパンケーキの出来上がりだ。全員分がダイニングテーブルに並べられた。
「そう言えば、こうしてみんなで一つの食卓を囲むのも初めてじゃないですか?」
「言われてみれば、そうかもしれない」
「じゃあ、食うか」
『いただきます』
皆の声が重なり、一斉にパンケーキを食べ始める。
「美味しー!」
「こんな新鮮なフルーツを食べたの初めて」
「この紅茶に合うね」
各々感想を述べながら頬張る姿に満足気な表情を浮かべた始は、春の方へと視線を向けた。
小さく切り分けられたパンケーキを一口食べた春は、ゆっくりと味わうためにもぐもぐと口を動かし、ほのかに口角を上げた。緩む頬に細められる瞳。その仕草一つ一つに、美味しいと言う感情が伝わってくる。
「どうだ、春」
「美味しいと、思う……」
まだ戸惑いの方が大きいのか、珍しく素直な反応に、始も頬を緩めた。
「ほかに、どんなものが食べてみたい?」
「……、シチューパイ……。サクサクのパイ生地の中に、熱々のパイが隠れてるんだって。本で読んだことがある」
「なるほどシチューパイか。なら、今度はそれを作ろう」
「それに、シチューは栄養価のバランスも良いしね」
素直に答えてしまったことが恥ずかしかったのか、ハッと我に返った春が、付け足すように言い繕うが始は口の端を上げたままだ。
「これから、もっと美味いと思えるものを探していこう。一緒にな」
「食料改善は、帝国にとってもいい考えだしね。活力が出るのは良いことだし」
もごもごと言い訳を並べる春は、今度は大きめに切ったパンケーキを頬張り、そっぽを向いてしまった。
今後、ツキノ帝国での食への関心が高まり、食生活の改善がみられることとなるが、それは彼らの未来の話である。