冬の話 炭善♀キャプションをお読みの上続きからどうぞ。
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現代の街の移ろいは吹きすさぶ風のように早い。
10月中はやれハロウィンだのと、カボチャのジャックオランタンやホラーテイストの装飾が街を彩っていたが、11月に入った途端今度はクリスマスだと赤と緑に染まりあちこちでイルミネーションが見られるようになる。クリスマスといっても12月の下旬でほぼ二ヶ月も先だというのに、全く忙しない。
と、善逸は待ち合わせに入ったカフェでカップをすすりながら内心ごちた。
善逸が今過ごしているのは、中高の同級生であり先輩であり恩師である胡蝶三姉妹がよく来るというカフェだった。オーガニックなメニューを出す店で、食べ物のこだわりにうるさいしのぶもお気に入りらしい。こういう落ち着いて静かな雰囲気があるおしゃれな店に慣れてない善逸は少し気後れしたが、暖かいカフェインレスコーヒーの香りはかなり良く癒された。
マナーモードにしている携帯電話が震えて着信を知らせてくる。待ち合わせているアオイからのメッセージで、更に遅れてしまうという旨の連絡だった。アオイは本来なら待ち合わせに間に合う予定だったが、(彼女の事なのできっちり10分前には着いたはずだ)寝坊した上道に迷ったカナヲを迎えに行く事になった為遅れた。彼女に非はないのに誠心誠意謝ってくるのが彼女らしい。
善逸は「のんびり待ってるから慌てないで気をつけて来てね~」と返信した。
「お前それ、寒くないの?」
ふと隣の席から声がした。善逸に言われてるのではない。隣には大学生くらいの青年が座っていたが、彼も待ち合わせていたらしくいつのまにか向かいに十代ほどの少女が座っている。恐らくカップルだろう。
「それって?」
「脚! 今日大分さみーじゃん。そんな脚出してさ……」
善逸がちらりと盗み見るとなるほど確かに寒々しい。少女は上はブルゾンを着てるものの、下は膝上丈のショートパンツだ。まだ真冬ではないとはいえ、最近急に冷え込んできたので外気温に合った服装とは言い難い。
しかし少女はケロリとしている。
「ぜんぜん平気だよ?」
「見てるこっちは寒いわ!」
「大げさー」
何気ないカップルのやり取りが微笑ましく、善逸は笑いが溢れそうになるのを抑えた。
「今日はいいけどさぁ、もう寒くなってきてんだし次はタイツとか履いてきなよ。風邪ひくよ」
「はぁい」
(優しいなあ……)
彼女の体を気遣う青年の心意気に、善逸はまた心温まるものを感じた。そして、記憶がフラッシュバックするように脳内に蘇る。
(懐かしい)
懐かしい、と言っても数年前のことだ。だけどどこか遠い昔のことのようで、それでいて思い出す記憶はことのほか鮮明で色彩豊かだった。
「遅くなってすみません! こちらが呼び出したというのに……」
「ごめんね、善逸……」
しばらくして入店してきたアオイはカナヲを引っ張って一目散に善逸に謝りに来た。
「いーよいーよ。のんびりしてたから。ほら座って座って」
善逸に促され着席した二人はオーダーを取りに来た店員にハーブティーと紅茶のケーキセットを頼む。すると、カナヲが善逸の様子に首を傾げた。
「善逸、何かいいことあった?」
「え?」
「嬉しそう」
言われて善逸は自分が機嫌良さそうにしている事に気付いた。隣を見ると既にカップルは退店している。これからデートに向かうのだろう。
「や、本当に大した事ないんだけどさ」
そう前置いて善逸は先程見かけた光景を二人に話す。
「確かに今日は少し冷えますからね。女の子が体を冷やすのはいけません」
「うん、そうだね。……このチョコのとこ美味しい……」
「カナヲ、人の話聞いてる?」
「アオイ、あーん」
「……美味しいです」
カナヲが尋ねてきたというのに既にマイペースにケーキに集中している。ちなみに善逸も一口御相伴にあずかった。
「まあでも、実際寒くないんだよね。若い頃ってさ。俺も十代の頃は脚出しても寒くなかったもん。二十代になってから急に冷えるようになっちゃった」
「善逸さんはスカート丈短くしてませんでしたが、タイツは履いてませんでしたね」
ちなみに、学園は冬は黒か白ならタイツを履いて良い事になっているのでタイツ自体は校則違反ではなかった。
「うん。スカートの中にスパッツは履いてたけどタイツは履かなかったかな。てかタイツ履いてる子の方が少なくなかった? でも二人は冬タイツだったね」
「うちは姉さん達が体冷やしちゃダメって方針だったから」
「私も、カナエさんに言われまして」
「俺も若い内からそうしておけばよかったかなあ。そしたら冷え症になんなかったかも」
「今も十分若いですって」
善逸がしみじみ言うとアオイが苦笑してそう述べた。
「でも、どうしてそれが気になったの?」
カナヲが小首を傾げると、善逸は急に気恥ずかしくなり顔を赤らめる。
「本当何でもない光景だけど、ちょっと昔のこと思い出しちゃって」
「昔の事?」
「うん。って言っても八年くらい前かな? 高校の時くらい」
「炭治郎の事でしょう?」
カナヲは間髪いれず本質を言い当てた。あまりに躊躇いがないので善逸は肩をすくめる。
「うっ……カナヲちゃんはそういうとこ本当鋭いなあ……」
「いえ……カナヲでなくても分かりますよ。善逸さんの事ですから、竈門君の事だろうと。私は、あえて指摘しないだけです」
「あはは……」
「その思い出、聞きたいな」
カナヲはあくまでマイペースだった。きらきらと輝く目で善逸を見てくる。学園三大美少女の一人と謳われていた彼女に、小首を傾げながらそんな瞳で見つめられたら善逸に拒否するという選択肢はない。
「えっとね……付き合い出してからはじめてデートした時の事なんだけど……」
善逸はたどたどしくも数年前のことを話し出した。
善逸が高校三年、炭治郎が高校二年の冬に差し掛かった頃のことだった。11月下旬の頃に二人でイルミネーションを見に行こうという話になった。
まだ11月ではあるが、善逸が大学受験で12月中や年末年始は二人きりで出かける機会が得られないだろうと踏んだ為だ。付き合いはじめで二人とも浮かれ気味ではあったが、お互い根が真面目なので締める時は締める。
が、やはり付き合いはじめのムードも味わいたいもの。なのでせめてクリスマスイルミネーションを見に行く事にした。
待ち合わせは日が暮れる少し前の16時。駅前で待ち合わせて暗くなる頃にイルミネーションスポットに着くのを狙う。
(早く来すぎちゃった……)
善逸は待ち合わせの30分も前に待ち合わせ場所に着いていた。しかし日はかなり西の方角に沈んでおり空は茜色に染まっていた。
ふわ、と息を吐き出すと白く煙となって薄明に消えてく。11月とは言え朝晩はかなり冷え込む。周りにも待ち合わせ目的らしき者たちが立っているが誰もが身を縮こませていた。
(炭治郎、この格好可愛いって言ってくれるかな……)
そう期待を膨らませる善逸の今日の服装は、普段の校内での彼女の姿を知る者が見たら二度見、いや五度くらいは振り返るであろう格好だった。
頭から上はかなり頑張った。学校では毎日三編みのお下げ髪で過ごしているが、ヘアカーラーを駆使してゆるいウェーブのかかった髪にした。更に今まで挑戦した事のない化粧も、胡蝶三姉妹に協力を仰いで善逸に似合うメイクを教えてもらい今日までに練習してきた。
服装はというとアウターは夜間は寒くなる事を見越して中綿入りのミリタリージャケット。そして、中はタートルネックのニットワンピースを素足のまま着ている。しかも裾はミニ丈で。それに黒のミドルブーツを合わせていた。
体のラインが出るニットワンピースは大人っぽい雰囲気が出て色っぽく見える。しかし、メイクをして髪を巻いているとは言え童顔の善逸には少し背伸びしすぎな格好だと、恐らく彼女の友人達だったらそう告げる。
彼女が初デートにそんな服装をしてきたのには訳があった。
炭治郎が初めてできた恋人な上、今までファッションなどに全く無頓着だった為初デートにどんな服装をすれば良いか分からなかった。化粧は胡蝶姉妹に協力を仰ぐ事は出来た。本当ならそこでコーディネートの助言も求めればこんな迷走することはなかっただろうが、これ以上迷惑をかけたくないという彼女の生来の気遣いな性格から化粧だけでアドバイスを求める事を諦めてしまった。
そして、服装について参考にしたのがよりにもよって彼女の血の繋がらない姉である檜岳だった。
アーティスト系の専門学校に通っている姉はとにかくお洒落だ。本人は特に意識してないようなのに、スタイルが良いのもあって何を着ても様になる。そして、常に恋人らしき相手が居る。(それが実は女性の恋人であることを善逸は後で知る)
善逸は姉とは仲がいい方ではない。胡蝶姉妹や竈門家、不死川家の姉妹達を見たら檜岳と善逸はかなりドライな関係だと言える。いがみあってるわけでもないが、必要以上にベタベタしてるわけでもない。
しかしながら、善逸は檜岳の見た目の良さと異性からのウケの良さ(実は同性ウケも良い)だけは一目置いていた。善逸にとって「モテる女」の代名詞が檜岳だった。
ただ、姉に直接「初デートの服はどんなのが良いか」なんてアドバイスを求める事は出来なかった。そんな事言えばからかい倒される事は目に見えている。なので、目で見て研究した。普段獪岳がデートっぽい所に出かける時にどんな服を着ていくか。それと檜岳が持っているファッション雑誌も、捨てる分をいくらか拝借して参考にした。そこにあったのが、この「ニットワンピ」スタイルだった───。
要するに善逸は完全に迷走した初デートスタイルで挑んでいた。
「遅くなってすまん!」
「ううん、時間ぴったり。俺が着くの早すぎちゃったの。急かしたみたいでごめんね」
待ち合わせ時刻になり炭治郎が到着した。少し前に善逸が「もう着いてるよ」と連絡した為慌てて来たようだ。息が上がっている。しばらくして呼吸が落ち着くと、改めて善逸の姿を見た。善逸本人はギクリと体を強張らせる。この格好を見てなんと言うのか。もちろん可愛いと言って褒めて欲しい。
「善逸、その格好……」
「あ、う、うん! えっと、どうかな……」
尋ねてみて期待に胸を膨らませる。が、炭治郎の次の一言で硬直した。
「寒くないのか」
「えっ」
善逸の心にブリザードが吹きすさぶような音が聞こえた。
「えっと、寒くはないけど……」
「そうなのか? でもすごく寒そうだ。そんな風に脚を出して」
「そ、そんなって……」
炭治郎は表情も声音も、嫌悪感丸出しとまでは言わないがいかにも苦々しげだった。褒めるどころか、不快そうにしている。“音”も不快感がわずかに混じっていて焦燥感や心配といった感情が大半を占めていた。嬉しそうには全く思えない。
善逸は己の心の寒さが増していくのを感じていたが、場の雰囲気を悪くしないようにと何とか笑顔を取り繕った。
「ご、ごめん炭治郎この格好嫌いだったかな? でも本当に寒くないから大丈夫だよ!」
「あ、いや、嫌いとは言ってない。でも本当に寒そうで。なあ、イルミネーション見に行く前に服を買わないか? タイツとかズボンとか暖かいものを履いた方がいい」
「えっ!? 何で、そんな……」
炭治郎の提案に善逸はいよいよ絶望した。
ここまで否定してくるとは余程この格好が気に入らないのだろうと。
「俺が買ってやるから。買いに行ってからイルミネーション見に行っても時間あるだろ。だから、そうしよう?」
「あの……う、うん。分かった」
普段穏やかで懐の広い事に定評がある炭治郎だが、こういう時はとことん押しが強く頑固だった。そして善逸は善逸で普段甘ったれな性格で炭治郎によくわがままを言うのに、こういう時だけ自分の意見を押し殺してしまう。
炭治郎は携帯電話で近場の店を探し出した。
「近くに靴下の店があるみたいだ。そこでいいかな?」
「うん、いいよ」
笑顔で肯定したが、内心は全く真逆の心境だった。
歩き出した炭治郎に善逸はとぼとぼとついて行く。そして頭の中でさまざまな気持ちがふつふつと湧き上がる。
こんな事になるなんて思わなかった。
可愛いって褒めて欲しかっただけなのに。
でも仕方ない。炭治郎が気に入らなかったんだから。
彼氏の気に入らない格好をしてくる方が悪いんだ。
でも“男の人は脚出してる方が好き”って雑誌に書いてあったのに。
嘘でもいいから少しくらい可愛いって言ってくれても良いのに。
どうすればよかったのかな。
ぐるぐると考え込みながら炭治郎の後を追っていた。すれ違う人が皆ぎょっとした表情を浮かべていたのが少し気になったが、それを気にしてはいられなかった。
そして携帯電話の扱いが下手な炭治郎が、地図アプリに苦戦して迷っている事にも気づいていなかった。
「あれ、地図だとこの辺らしいんだけど……なあ、善逸」
そして、炭治郎が善逸を振り返ると通行人達よりも激しく衝撃を受けたかのような表情を見せる。
「ど、どうしたの炭治郎……」
「どうしたのって……お前こそどうしたんだ!? 何で泣いてるんだ!?」
「え? ……あ」
善逸は言われて初めて自分が泣いている事に気付いた。
「これは、あの、何でもなくて……」
「何でもないわけないじゃないか。気づかなかったけど、辛そうなにおいだ」
炭治郎が心から心配しているのは“音”で分かる。そして、鼻のきく彼には下手なごまかしなど通用しないのだと。それでも、“何でもない”としたかった。こんな風に往来で泣き出してしまった事がひどく恥ずかしい。注目しないで欲しい。それでも自分が泣いてると自覚してしまうとかえって涙が溢れてくる。
善逸はせめて目元を手で覆ってすれ違う人からも、炭治郎からも自分の顔を見えないように遮った。
「ごめん、本当に何でもないんだ。本当……っごめん、こんな……」
「……すまない。きっと俺のせいだな」
「ち、違うよ! 違うの……」
善逸が思わず両手を離して顔を上げると、炭治郎はすかさずその手を取る。自分よりはるかに大きくて熱い手の感触に、善逸は涙も忘れて頬を染めた。
「手がすごく冷たい。こんなになるまで待っててくれたのに、服に文句つけて無神経だった」
「そ、そんな事……俺が勝手に先に来ただけだし……っ」
善逸はあくまで自分に非があるというが、炭治郎は複雑な表情で小さく笑うだけだった。
(あ、また……)
その“音”を聞いて善逸は腹の中がズンと重くなる。その音は呆れや失望感といったものだから。
「なあ、少し話さないか?」
炭治郎は穏やかに微笑む。声音も優しい。しかし、その優しさが今の善逸には辛かった。
「落ち着いたか?」
「うん……」
駅の近くに小さな公園があり、二人はそこのベンチに座った。炭治郎が自販機で温かいミルクティを買ってきてくれた。温かく甘いそれを飲んでるうちに気持ちが落ち着いてきた。
「善逸、ごめん」
「え……あの」
「俺が何に謝ってるかわかるか? これは、『お前が何で泣いたかわからなくてごめん』って意味だ」
「へっ?」
予想外の言葉に、善逸の声がひっくり返る。
「本当に申し訳ないが、善逸が何で泣いたのかさっぱりわからない。においで俺がお前に不愉快な思いをさせてしまったのはわかるんだが……。でも俺は、お前もきっとそうだと思うけど、感情はわかっても気持ちまではわからないんだよな。だから、俺には心当たりがないからなぜ泣かせてしまったか分からないんだ」
「あ………」
善逸は炭治郎の自己分析力に感心した。感情的にならず、冷静に自分と善逸に起きた事を判断しようとしている。
(それにひきかえ俺は……)
自分の事で頭がいっぱいになって、勝手に泣き出して取り乱してしまった。いよいよ己が恥ずかしく、穴があったら入りたい気持ちでいっぱいになる。
「だからさ、言ってくれないか? 本当はどうして欲しかったのか」
「………ッ」
炭治郎は言いながらまっすぐで真摯な眼差しを湛えながら尋ねてくる。赤みがかった美しい瞳は、ブルーモーメントと呼ばれる夕焼けの空を映し出して不思議な色合いを秘めていた。
善逸は思わずまた誤魔化してしそうな言葉を、ぐっと飲み込んだ。そして、本音を伝える勇気をもって口を開いた。
「炭治郎に、今日の格好褒めて欲しかった。可愛いねって言って欲しかったんだよお……!」
一気に言い切ると、それだけでどっと不安感が溢れた。面倒くさいやつだと思われたかもしれない。嫌われたかもしれない。そんな不安だった。
「……そうか。俺は可愛いと思ったが、ちゃんと言えてなかったな」
するとまた、善逸の中でどっと感情が溢れる。
「だ、だって! そんな顔全然してなかったし、嫌そうだったし、そ、それにタイツ買いに行くって……こんな格好気持ち悪いと思ったんじゃないかって……」
「可愛いと思ったのは確かなんだよ。でもそれ以上に寒そうなのが気になって」
「全然寒くなんかないもん! なのに、炭治郎聞いてくれないし……」
「それは本当にすまない……ああ、また」
善逸はまたぼろぼろと涙をこぼし始めた。炭治郎はハンカチを取り出して涙を拭こうとするが、善逸は嫌がって顔を振る。
「いい、やめて。化粧落ちるから」
「すまん……」
つい意固地な態度を取ってしまい、更に自己嫌悪に陥る。感情的にならずに冷静になろうと先程心に決めたばかりだというのに。
だけど感情が次から次へと波のように溢れ出てせき止められない。
「炭治郎、俺が泣いたら呆れたみたいな音させるし、もう、お、俺のこと面倒くさくて嫌いになったんでしょ……」
善逸は泣きながらそう訴えたが、炭治郎の音がどんどん悲しげなものになっていくのに気付き、彼の顔を見た。
「善逸……俺がその程度で相手を見限る薄情なやつに思っているならそれこそ俺は心外だぞ」
「あっ……」
指摘されて善逸ははっと息を飲む。自分の考えこそが炭治郎を傷つけてしまったのだと気づいた。
「俺がそんな音をさせていたのだとしたら、それは自己嫌悪だ。ちゃんと気づけない自分に対して呆れてた」
「………」
「それに、お前の格好を頭ごなしに否定したのもな。お前が好きでその格好をしてるのに俺にそれを否定する権利なんて無いもんな」
「えっ俺この服好きで着てるわけじゃないけど」
「………は?」
善逸の返事に、炭治郎の中で何か割れたような音が響いた。
「じゃ、じゃあなんでそんな寒そうな格好してるんだ!?」
「そ、それは、だって。姉貴が持ってる雑誌に男の人はこういうのが好きって書いてあって……」
善逸が戸惑いながら答えると、炭治郎は大きくため息をつく。そして善逸の手をぐっと強く握って向き合った。
「あのさ善逸。その“男の人”って誰だ? 善逸は誰に今日の格好を見て欲しかったんだ?」
「炭治郎……」
「俺はそういう格好が好きだと言ったか? 少なくとも俺には覚えがないんだが」
「無い……」
ここまで丁寧に質問されて考えを解きほぐされば、それ以上言わなくとも善逸は自覚出来た。しかし、炭治郎はあえてきちんと言葉にする。
「善逸は、俺が喜ぶと思ってその服にしてきてくれたんだよな。それはありがとう。すごく可愛いし、似合ってるよ。だけど、俺にはやっぱり寒そうなのが気になって仕方なくて」
「うん……」
「それに、俺に喜んでほしいというのなら俺に聞いて欲しかった。俺がどんな服装が好きなのか。……まあ俺は善逸が何着ても可愛いと思うけど」
「ご、ごめんよおおおおお」
炭治郎がまた穏やかに笑うので、善逸はまたぶわ、と泣き出す。また炭治郎がハンカチを差し出してきたので今度は甘んじて受け入れる。化粧が落ちたって構わない。最近の化粧は出来が良いので少し拭いたくらいでは落ちないはずだ、と開き直って。
「ああ、そんなに泣かないでくれ。禰豆子に知られたら叱られてしまう」
「俺がいけないんだもん……炭治郎のせいじゃないよお」
「いいや俺も悪いよ。ちゃんとお前の話聞くべきだった」
そう言って炭治郎は人目も憚らず抱きしめてきた。先程手を握られた時に感じた熱が今は全身を包んでくる。そして彼の“音”は「安心」「愛おしい」という感情を表していて、その音色に心の底から安堵した。
「前に禰豆子にも苦言を呈された事があってさ。俺は人の事も自分の事も決めつける節があるって」
「それは……いつもの長男だからってやつ?」
炭治郎はぽつりぽつりと語り出した。長男だから平気、は彼の口癖で善逸も耳に胼胝が出来るほど聞いている。炭治郎はそう言われて苦笑いした。
「それもあるな。それで我慢しすぎて妹達や親に迷惑をかけた事もあるし」
「でもそれは、炭治郎が他人の為に頑張ってるってことじゃん」
「そう思ってくれるのは有難い事だけど、父さんには『厚意を受け取る側にも多からず負担を与えるのを覚えておきなさい』って言われた。俺は全然自覚なかったけど、俺が親切心でおせっかいを焼こうとすればするほど妹や弟達には負担になったりするんだ。みんなが優しいからこそ。俺の重荷になるまいと皆に余計に気を遣わせる」
「……難しいね」
「うん。難しいよ。今日も善逸が寒そうだと勝手に思い込んで、善逸に自分の考えを押し付けてしまった。本当は俺がそう見えてるだけなのにな。……申し訳ない」
「ううん。それはお互い様だよ。俺だって勝手に喜ぶだろうって決めつけて、勝手にショック受けて……炭治郎が俺の体心配してくれた事には向き合わなかった」
言えば炭治郎はにっこりと笑った。善逸も釣られて笑う。散々泣いた為目元は真っ赤だが、気分はすっきりと晴れやかだった。
暫く手を繋いで寄り添いあっていたが、日が暮れ秋の夜風が二人の間を通り抜けた。すると、炭治郎は立ち上がり善逸を振り返る。
「さて、これからなんだけど……やっぱりタイツを買いに行かないか? 俺のわがままは承知の上なんだが、どうしても寒そうに見えるんだ」
すると善逸はふふ、と笑って小首を傾げる。大きめのイヤリングとカーラーで巻いた髪がふわりと揺れる。その何気ない仕草に炭治郎の心臓が跳ねたが、どうしてかその音には善逸は気づかなかった。
「いいよ。買いに行こっか。俺も少し寒くなったし。ちゃんとあったかい格好してイルミネーション見に行こう」
「……ああ!」
そして炭治郎は手を差し出し、善逸も躊躇いなくその手を取った。
「……で、その後靴下のショップに行って二人でタイツ物色して買ったんだ。色々試着したんだけど、炭治郎が『薄いのじゃ寒そうだ』って中々納得しなくて。最終的に一番デニールの高い超厚手のやつになっちゃった」
「竈門君らしいですね」
善逸が説明すると、アオイは苦笑いする。
「ほーんと。これじゃ暑いって思ったけど、炭治郎が納得するならまあいいかなって。その後イルミネーション見に行ったの……こんだけ。あんま楽しくない話でしょ?」
「そんな事ないよ。二人の話聞けて良かった」
「そ、そっか……」
カナヲがにっこりと微笑むと善逸は自然と顔が熱くなる。そして、アオイが少し冷めたハーブティを啜りながらしみじみと述べる。
「それにしても、善逸さんがそんなファッションをしていたなんて想像だにできませんね」
珍しくアオイは少しからかい気味に善逸に言う。初デートの迷走スタイルを揶揄されて、とてつもなくバツが悪かった。
「若気の至りだよ……お金もないのに見栄張ろうとして姉貴のワンピ拝借したから、後でしこたま怒られたし」
「善逸さんのお姉さんの服ですか……今の善逸さんからは想像出来ません」
アオイの言う善逸の現在のスタイルは、同じ白のニットでも緩く体の線が出ない緩いサイズで、コーデュロイのベージュのスカート、足元はしっかりタイツを履いてショートブーツを合わせている。それに持ってきたストールを纏って防寒重視の出で立ちだった。
「それに、意外です。炭治郎さんにそういう一面があるなんて」
「え? そ、そうかな?」
「ええ、彼はご自身で『頑固で融通が利かない』と仰りますが、少なくとも私は竈門君に困らされた事なんて一度もありませんし……」
「んー……それはアオイちゃん自身が炭治郎を困らせたりしないからじゃない? 俺は炭治郎にワガママばっかりだし」
「そうかしら……」
アオイが首を傾げると、紅茶のカップをコトリと置いたカナヲが語り出す。
「多分……炭治郎も善逸に甘えてるんじゃないかな」
「甘え……?」
「炭治郎が前に言ってたの。自分は家族に対して意固地になってしまう、それは家族なら自分の事分かってくれると思いこんでるからだって」
カナヲの話は初耳だ。炭治郎がそんな風に思っていた事も知らなかった。
「炭治郎がそんな事……」
「なるほど。それは甘えというか驕りに近いものがありますね。竈門君はそれを自覚していると」
「……それを聞いて、分かるなあって思ったの。私も、姉さん達やアオイには甘えてしまう。それは、姉さん達とアオイなら私の事許してくれると思ってるからなの」
「私はカナヲの遅刻癖が多いの、許した覚えないけど?」
「善逸。私が言いたい事、わかる?」
アオイの言葉を無視してカナヲは話を続ける。カナヲの問いかけに、善逸はふるふると首を横に振った。そしてまた、カナヲがふわっと笑う。
「炭治郎は、随分前から善逸に甘えられてたって事だよ。家族みたいにね」
「あ………」
善逸は眼を見開く。
“家族”───。
善逸にもちゃんとした家族が居る。戸籍上は養父である『爺ちゃん』事桑島と、血縁関係はないものの義理の姉である檜岳。
世間一般から見た家族からはかけ離れているかもしれないが、善逸にとってはどこに出しても恥ずかしくない大事な家族だ。
だけど今、彼女はまた一つ別の家族を作ろうとしている。
「善逸さん」
カナヲとのやり取りを見ていたアオイが不意に声をかける。いかにもかしこまった様子で、いつも姿勢正しい彼女の背筋がいつも以上にぴんと伸びている。
そして真っ直ぐな声音で告げた。
「ご結婚とご懐妊、おめでとうございます」
そう言った後穏やかに笑った。
突然のことに善逸が驚いていると、カナヲがそれに続く。
「おめでとう、善逸」
女神のような麗しい微笑み。心から祝福したいという嘘偽りない彼女達の音に、善逸はじんわりと暖かいものを感じた。
下腹部にそっと手を添える。二人の友人に祝われ、善逸も釣られて笑った。
「ありがとう」
自分の体の中にある、自分ではない者の心音を心地よく感じながら華開くように笑った。
あと数ヶ月でこの世界に降り立つであろう命も、それに呼応するかのように胎内で少し動いた“音”がした。
「そういえばそんな事もあったな……」
炭治郎が職場である実家のパン屋から帰宅すると、妻が夕飯を作りながら出迎えてくれた。そして旦那に今日の事を話す。初デートの事をカナヲ達に話したと聞かされ、自分の失態を思い出し炭治郎は顔を赤くさせた。
「お互い若い……っていうか青かったよねえ」
「そうだな」
善逸は言いながら作っていたミネストローネを器によそい、配膳する。炭治郎は風呂上がりだが髪を拭きながら手伝った。
メインは具たっぷりのミネストローネに竈門ベーカリーのバゲット。メインは洋風なので副菜はきんぴらや揚げ浸しなど和食で用意されている。祖父と姉と三人暮らしで家事を分担していた善逸は料理の腕が良い。つわりが酷かった頃は食べる事さえ苦痛のようで心配していたが、それが収まると以前のように楽しそうに料理を作るようになった。
二人ともテーブルに着いて一息落ち着く。
「今日もお疲れ様」
「ありがとう。善逸もお疲れ様」
「ありがと」
夕飯前に必ず交わす言葉だった。
「でもさ、今だったら炭治郎の言う事分かる気がするんだよねえ」
「ん?」
炭治郎がスープに舌鼓を打っていると、善逸がふと何かを思い出したかのように言い出した。
「今日さ、生足出してる女の子見て、老婆心っていうのかな。女の子がそんな脚出しちゃダメって思ったんだよね。自分は寒くないもんとか言ってたくせに」
「ああ……」
お節介焼きなんてそんなものである。自分の事は棚に上げて、他人の事ばかり心配してしまう。炭治郎は自分にも思い当たる節があるだけに、何も言えなかった。
すると、善逸はうんうんと何かに納得するかのように頷き出した。
「もし自分の娘があんな格好してたら、うざがられても口出ししちゃうな。だから、今となっては分かるよ。炭治郎の心配」
「娘が……って気が早いな。…………え、娘?」
「あ」
炭治郎は苦笑いするが、言いながら気づく。まだ生まれぬ我が子の新情報に。
「お、女の子なのか!? やっぱり!?」
「やっぱりって!? いや、まだ先生に聞いたわけじゃないんだけど……女の子の“音”がするなあって……」
食卓も放棄して迫ってくる炭治郎に、善逸は若干引き気味で答えた。お腹の子が女の子であると確信はあっても、確証はない。しかし、炭治郎の中では決定打だった。
「だよな! 俺もそう思ってたんだ! 俺の母さんが禰豆子や花子が腹にいたときと似た匂いが善逸からしてたから……!」
「お、おお……相変わらず精度抜群だねその鼻……」
男親にとって娘は特別な存在である。もちろん男の子でも大事な子には違いないが、初めての子が娘で炭治郎はうきうきとした喜びが抑えきれない。
「そうとなったら名前考えないとな! あ、でも女の子なら善逸が決めた方が良いか? それか桑島殿に命名してもらうとか……」
「うーん、そうだねえ」
「女の子……女の子かあ。善逸に似てるといいなあ」
「どうだろ。女の子は男親に似るっていうし。禰豆子ちゃんに似てると嬉しいなあ。超美人さんに育っちゃう」
「……言っとくが、男との初デートは高校卒業するまで認めんからな!」
「いや気が早いよお父さん。人の事言えないじゃないの」
「何とでも言え。俺は頑固なんだ」
「あーらら……」
そう言って炭治郎はあからさまに唇を尖らせてそっぽを向いた。そして、善逸と顔を向き合わせて笑い合う。
その部屋には確かな幸せの“音”と“匂い”が満ち溢れていた。善逸はまた腹に手を添える。するとらまた答えるような胎動を感じ、まだ顔も知らない我が子も笑ったような気がした。
続きはおまけ
おまけ(本人不在のぎゆしの)
「あ、これ。私達からご懐妊のお祝いです」
「ええっごめんね、ありがとう~! 最近結婚祝い貰ったばっかりなのに……」
「姉さん達も本当は今日来たがってたんだけど……」
「仕方ないよお。しのぶさんもう臨月だもんね。カナエ先生だって妹さんの事心配でしょう」
「うん。そうなの。でもそれよりもお義兄さんが一番心配してる。ノイローゼ気味」
「ああ……冨岡先生……確かにこういう時役に立たなさそう」
「善逸さん、冨岡先生には辛辣ですね」
「だって、風紀委員で生徒にめっちゃ厳しくしてたくせに! 自分は生徒の女子と付き合ってたんだよ!? しかもあんな美少女捕まえて!! いくら在学中は清いお付き合いだったとしても本当ムカつく!!」
「善逸さん、落ち着いてください。お腹の赤ちゃんに障りますよ」
「なんか甘いものでも食べたらいいんじゃないかな……ケーキ……」
「まだ食べるの!?」
さらにおまけ(カナアオ・百合)
「そういう二人は最近どうなの?」
「どうって……特に何もありませんが」
「ふーん……? ここに来てからずーっと手繋いでるのに?」
「えっ!!」
「善逸、気づいてたの?」
「そりゃ気づくよ~。ちょいちょい外して誤魔化してたけど、俺の耳なら指を絡めてる音も聞こえますから」
「む……侮れない」
「か、カナヲが手を離してくれなかったんです!」
「アオイ……嫌だった?」
「い………嫌ではないけど」
「はーご馳走さまご馳走さま」