二人の花火 オペラちゃんちゃかちゃんの大千秋楽後、再びナベは倒れた。とりあえず火急の仕事もないしこの際ゆっくり休めよ、と俺が言うとナベはしばらく黙って、「そうする」と返してきた。
そんなわけでナベは今、入院している。でも入院して二日目には「タマちゃん、俺のパソコン持ってきて」と言い、脚本を書いている。なおパソコンを開いているのを見つかると看護婦さんに怒られるらしい。(それでも隙を見て書いてるんだと思う、あいつのことだから。)
俺は毎日見舞いに行っている。やっぱり退院後のあいつの仕事のこともあるし、脚本書き出すとあいつ碌な返事しないから、放っておくとお医者さんや看護婦さんとも会話しないだろうしね。
今日、俺が病室を訪ねるとナベは寝ていた。ちなみになんと個室である。大部屋だとどうせ執筆なんてできないだろうから。
パソコンを開いたまま、突っ伏すように眠っているナベを見て俺は笑ってしまった。こいつらしい。
専門学校の卒業公演「桃太郎」で、おたふく風邪で休んでいたためにあいつは脚本を押し付けられてしまった。その上、演出できるやつがいないってんで演出までやらされて。あいつだって役者がやりたくて学校に入ったのに、みんな勝手なもんだ。
俺だってそうだ。俺はみんなが勝手なことを言ってナベを困らせるのを見てきたけど、俺だって役者がやりたかったから、誰が演出をやるかって話になったときに手を挙げなかった。その内、誰かが「脚本を書いたやつが一番わかってるだろ」なんて言い出して、あっという間にあいつは演出までやることになった。
ナベひとりに全部を押し付けている後ろめたさもあったんだと思う、俺は主演の桃太郎役を蹴って鬼役を引き受けた。演出のナベに聞きながら雑用もやった。それで済んだ気になってた。
でもやっぱり、それは間違いだったんだ、って卒業公演のカーテンコールの舞台上から客席にいるこいつを見て思ったんだ。
ナベ、すごくさびしい顔してた。そうだよな、ナベだってこの風景が見たかったはずなんだ。客席からじゃなくて、舞台の上で喝采を浴びたかったんだ。
それが、ナベの夢だったんだから。
卒業公演は大成功だった。俺も掛け値なしに面白い芝居だと思ったし、先生や後輩たちにも絶賛されてた。芝居は脚本と演出だ。どれだけ役者が良くても脚本と演出がまずければ成功とは言えない。卒業公演の成功はナベの才能なくしてはありえなかった。
でも俺は、あのさびしそうなナベが頭から離れなかった。
卒業後も俺はナベと一緒にいた。ナベは俺がナベの脚本で今度こそ主役をやりたいからだと思ったみたいで、そのために脚本も書いてくれたけど駄目だった。俺じゃ、こいつの脚本を生かせない。こいつの才能を本当に輝かせることはできない。
だから俺は役者を辞めた。役者を辞めて、ナベのために、ナベの才能を本当に輝かせることができるようにナベの助手を始めた。
ナベは最初、俺の振る舞いに戸惑っていたと思う。でもナベは脚本を書き出すとメシも食べないし、日常生活もままならなくなるから、俺がむりやり食い物を持ち込んだりするのを感謝していた。
俺はナベのために仕事を取ってきて、ナベの才能が本当に輝くことができるようにナベを助ける。ナベができないことをしてやる。雑用もそうだし、他人をうまくノセたりだとかはナベには絶対にできない。
ちゃんちゃかちゃんだって、ナベと仙石さんがラストで揉めたとき俺はもう駄目だと思ったんだ。ナベには仙石さんをうまく丸め込むなんて器用な芸当とてもできないだろう。ましてや仙石さんに折れて、台詞にするなんてことはできない。ナベはそういう男だから。ナベは誰の要求だって飲むけれど、これだけは譲れないラインがあって、そのラインを越えるとナベは絶対に譲歩できない。しないんじゃなくて、できない。そういう芯があるからナベの脚本はすごいんだって俺は思ってきた。
オペラちゃんちゃかちゃんは幕を下ろせない。きっとまた駄目になる、名優が顔を揃えるこの舞台ならナベの才能を世に知らしめるきっかけになると思ったのに。俺ではやはりどんなことをしてもナベの才能を輝かせることができない──そう思って、俺は絶望的な気持ちになった。
そのときだった。ナベの荒唐無稽とも思える提案に仙石さんが乗ってくれた。というよりも、ナベのやりたいことを理解してくれた。
稀代の名優・仙石丈二だからこそ、ナベの才能と通じあえたのだと思う。
俺は嬉しかった。これほどの名優にナベが認められたこと。ちゃんちゃかちゃんは凄い舞台になると思った。ナベの名前は世に知られるだろう。少し寂しい気もしたけど、ナベには元々それだけのものがある。
実際いま、ナベの下には色んな仕事の話が舞い込んでくる。それら一つひとつ精査して、俺はナベに伝えるようにしている。
「……ありがとうなんて言われると思わなかったんだけどなあ」
病室で、俺は眠っているナベの下からパソコンを引きずり出し、書きかけの脚本を保存して電源を落とした。ベッドサイドの安全な場所に避難させる。ナベのことも仰向けに寝かせて、布団をかける。
俺は、ナベの夢に乗っかっているだけだ。ナベの脚本が好きだから、ナベには才能があるから、勝手に色々とやっているのだ。
「これからも乗っからせてもらっていいのかなぁ」
俺はぽつりと呟く。
ちゃんちゃかちゃんの途中から、俺は意図的にナベの手を離すようになった。仙石さんを説得できたナベならもう大丈夫だと思ったから。
いつか、ナベは俺をいらなくなるのかな。まあ今までだって俺がやりたくてやってきただけで、一度だってナベから頼まれたことのんてなかったんだけど。
そんなことを考えていると、不意にナベが寝返りを打った。
「………ん、たまちゃん……」
「へ!?」
俺は驚いて変な声をあげてしまう。起きてるとは思わなかった。
「……あたらしい、アイディアがあるんだ……」
俺は続きを待つ。しばらくナベを見つめていたが、ナベは目を開けなかった。
「……寝言かよ」
俺は悪態をついた。ナベは平和そうな顔で眠っている。なんだか幸せそうなその顔を見ながら、俺は笑った。
「起きたら続き、聞かせてくれよ」
俺はナベの肩を布団の上からぽんぽんと叩いた。
何しろ俺は、お前の脚本の一番のファンなんだからな。