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    2021/01/04 10:37:23

    とっくりとくるくる

    支部で投稿していたシリーズをまとめました。

    ドラマ放送中に書いたものなので、ハッピーエンドを信じて書いていました。
    まさかあんな内容になるとは…今はもう続編なんてなかったと思っています。
    それでも東海林と春子が好きなので、自分で好きに妄想しようと思います。 #ハケンの品格 #東春 #二次創作

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    しおり
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    とっくりとくるくる「大前さん、A社の請求書できたか?」
    「はい、もうできています。ついでにC社の売掛金もまとめておきました」
    「相変わらず早いねぇ」
    東海林が本社に戻ってきて1か月。東海林と春子は仕事中は基本喧嘩はしない。

    周りの人間関係にも慣れてきた、新人は仕事はできないが
    素直なので教えがいがある。先週は飲みに連れて行ったら
    「部長の飲み会より全然楽しいですよ」と褒められた。
    東海林が北海道で極寒の中車中泊をした話や熊が出る場所でバーベキューをした話を
    すると、新人たちは腹を抱えて笑っていた。

    ハケンの二人もかわいい顔をしていて、とっくりと違って素直で仕事を頼みやすいと
    東海林は思っていた。ただ、福岡というハケンはセクハラを受けていたからか
    男性社員に対して一歩引いている印象。
    昔、春子に突然キスをしたことがあった東海林は
    セクハラと聞き、少し身構えてしまい福岡には少し話しづらい感じがあった。

    12時のチャイムが鳴ると、里中が東海林に駆け寄り
    「東海林さん、食堂行こうか」
    昼食に誘ってくる。相変わらず子犬のような優しい目をしていて
    東海林は里中から癒しを貰っている。
    旭川はいいところで、社員たちも穏やかだったが何か物足りなかった。
    きっと里中のような自分を必要としてくれる存在がいなかったからだろう。

    東海林は春子のデスクを見たが、すでに姿はなかった。
    きっといつものようじ屋へ行ったのだと推測する。

    (とっくりのやつ一人でさっさと行きやがって…名古屋の時もろくに
    一緒に飯食ってくれなかったしな)

    名古屋で二人で働いていたときの事をふと思い出す。

    事務と運転手、両方こなしていた春子とは時間が合わず
    休憩もバラバラだった。
    でも、たまに昼前に運搬業が終わることがあり、その時は
    よく近くの定食屋に二人で食べに行った。
    そこの味噌カツ定食を気に入った春子は毎回それを頼んでいた。
    春子は好きなものはとことんこだわる性格なんだろう。
    いつも不愛想に黙々と食べていたが、東海林は同じ釜の飯を食べているということが
    ただうれしくていつもニヤニヤしていた。「怪しい顔で食べないでください」と
    春子に突っ込まれて喧嘩になったりもしたが、穏やかで幸せな時間だった。


    「東海林さん、ボーっとしてどうしたの?」
    里中に話しかけられはっとした。
    食堂には人があふれて賑やかだ、一般のお客さんも入っているからだろう。
    「いや、メニューのこと考えてたんだよ。いつも一緒じゃ飽きるからさ
    前にはやったご当地グルメとかどうだ?名古屋の味噌カツとかさ…」
    「それ、いいね。東京に上京したひともたくさんいるだろうし地元の味を
    楽しめるし、今度の会議で提案してみようよ」
    里中は東海林の手を握り子供のような目で伝えてきた。
    「賢ちゃん…」
    ただの思い付きで言ったことも、こうして拾い上げてくれる。
    なんて素直でかわいいんだろうか。
    「ありがとう、俺賢ちゃんが女だったら結婚したいくらいだわ」
    冗談で、でもそれくらい大事な友達だという気持ちで東海林は発した。
    すると、にこにこしながら里中はこう言った。


    「やだなぁ東海林さん、結婚したいのは大前さんでしょ?」


    思わず飲んでいたお茶を吹き出した。
    「あつっ…おい、変な冗談やめてくれよ」
    机の端にあった台ふきでお茶を吹きながら東海林は顔をしかめた。
    「はは、東海林さんって照れると鼻の穴が膨れるよね」
    「鼻の穴のことは言うなよ、気にしてんだから」
    「さっきボーッとしてたのも大前さんのこと考えていたんでしょ?
    味噌カツって言葉でわかったよ」
    「すごいな賢ちゃん…って、違う!とっくりの事なんて考えるわけないだろ」
    「東海林さん、名古屋で大前さんと働いていた時のこと…ずっと話してたでしょ?
    きっと忘れられないくらい濃い三か月だったんだろうな…ってうらやましく思うよ」
    そう話す里中の目は奥の窓ガラスを見つめて少し青がかって見えた。


    午後の業務が始まる前に喫煙所で煙草を吸い、フロアに戻っていると
    後ろから怒鳴るように
    「廊下は一列で歩きなさい!!」
    春子の声がした。振り向くと春子がこちらをにらんでいた。
    「一列って何だ、お前は先生か!」
    「大前春子です!」
    春子は二人の間をすりぬけて早歩きで向かっていた、と思うと
    突然ピタリと止まり振り返る。
    「タバコ…安物に変えたんですね。喫煙は体に悪いのでほどほどにしなさい」
    春子は再び前を向き、すたすたと歩いていった。
    「なんだあいつ…臭いで煙草の種類が分かるのかよ、犬か!?」
    東海林はしかめ面で里中に愚痴をこぼした。
    「大前さん、やっぱりすごいね。東海林さんがタバコ変えたことまでわかるなんて」
    「確かに、最近高すぎるからさ…ちょっと節約してるけど、余計なお世話なんだよ」
    そう口では言いながらも、東海林は少しうれしかった。

    名古屋の時もー。
    「口がタバコ臭いので、しばらく控えてください」と言われていた。
    それからしばらくは禁煙するようになったことを思い出す。
    同時に、何度も触れ合って絡み合った唇の事も。



    「俺…禁煙しよっかな」
    そう言った東海林は、数本残っているタバコをゴミ箱に投げ捨てた。

    どうしてまたこの会社に派遣として来てしまったのか。
    数年前の派遣先だった証券会社で「S&Fはこのままじゃ数年後つぶれるだろう」という
    話を耳にしたせいだろうか。

    もう13年経っているし私を知る人なんて里中主任しかいないだろうと思い
    面談に行った。霧島部長は亡くなり、代わりに小太りの部長がいた。
    里中主任は課長になっていた、相変わらずなよなよとした語り口。

    よちよちハケンだった森美幸も、社員の黒岩匡子も退社していた。
    きっと結婚して幸せに暮らしているのだろう。
    大体の女性は結婚している、私のように40代後半で独身なんて珍しい。
    でも、私はこのままでいい。死ぬまで一人で生きていく。

    そして、あの男は北海道にいると聞き、内心ほっとした。
    毎日顔を合わせていたら、きっと平常心を保てない。


    ―と、思っていたら。


    「課長に就任した、東海林武です」
    あの男が帰ってきた。



    「その頭…寝起きのまま会社に来たんですか?」
    「うるせー!これは梅雨の湿気で膨らんでるんだ!!毎日セットして来てんだよ!!」
    とっくりは夏でもとっくり着てるのか?暑苦しい、と言われたので
    つい言い返してしまった。
    東海林課長は髪を押えながら私をにらんでいる。
    ほら、もっと私の事なんて嫌いになればいい。
    そうすれば私だってあなたの事を嫌いになれるから。
    私は完成した提案書を印刷し、里中課長に渡した。
    「おい、とっくり!無視すんな!!」
    ああもう、どうして私に話しかけるのか。
    「文句があるなら、担当の近さんにお伝えください」
    そう言ったと同時に5時のチャイムが鳴った。
    「定時になりましたので、失礼します」
    私はさっさと荷物をまとめてオフィスを出た。



    居候先に帰り、店の仕込みを手伝う。
    今日はフラメンコは休みで、少し早く眠れそうだ。
    最近あまりよく眠れていない。
    昨日も嫌な夢を見てしまった。

    ―40階建ての豪華なホテルの大宴会場で派遣スタッフとして働いていた。
    すると、披露宴の新郎新婦に東海林と知らない女性が現れた。
    二人は笑顔で高砂に座り、お互いを見つめあっていた。
    東海林はマイクで話し始め
    「この度は私たちの結婚式にお越しいただきありがとうございます
    私たちはこれから二人で人生を共にしていきます」
    そして盛大な拍手が会場を包む。
    私は気分が悪くなり、会場を出ようとするが鍵がかかって開けられない。
    (いやだ、やめて…出して!!)
    他の女性と幸せそうにしている姿なんて見たくない――――



    そんな夢だった。
    なんで私があの男の結婚式を手伝わなければいけないのか。


    でも、私ではなくほかの女と結婚したことは紛れもない事実だ。
    唯一の救いはすぐに離婚したということだろう。


    イライラした気持ちでイカをさばいていたら、イカ墨が顔にかかってしまった。
    手で拭うと頬が余計にどす黒くなってしまったので、顔を洗おうと洗面所に行こうとすると
    ドアの開く音がした。

    「大前さん、お疲れ様です」
    里中課長や営業部の面々がぞろぞろと入ってきた。
    そして最後にあの男も姿を見せた。
    「とっくり、どうしたその顔、羽子板で負けたのか?」
    私を指さしながら微笑している。
    「は?イカ墨がかかっただけですが何か?あなたの顔にもつけて
    あげましょうか?」
    「いらねーよ、シャネルズにでもさせるつもりか!」
    そもそもまだ開店時間でもないというのに。
    この連中は度々店に来ては騒いで帰っていく。
    東海林も本社に復帰してからは一緒にやってきては私にちょっかいをかけてくる。
    朝から晩までくるくるパーマと顔を合わせているせいで夜もおちおち寝ていられない。

    「勝手に料理を出すので勝手に食べたらさっさと帰ってください」
    私は洗面所へ行き、顔を拭くと手早く料理を作った。
    「大前さんって本当に料理上手ですよね~」
    ハケンの亜紀がキッチンを覗き込みながら言う。
    「あなたたちが下手なだけです」
    パプリカを輪切りにしながら返事をしていたら、手が滑り
    左人差し指を切ってしまった。
    「いたっ」
    「大前さん、大丈夫ですか?」
    傷口を指で舐めると心配そうに小夏がティッシュを出してきた。
    それを受け取り止血する。
    「何やってんだよとっくり、仕方ないあとは俺が切ってやるよ」
    ジャケットを脱ぎ腕まくりをして、東海林がキッチンに入ってきた。
    「関係ない人が料理をしないでください!」
    「俺これでも食品衛生責任者資格持ってるんだよ
    それにちゃんと手も洗うわ」
    そうだ、この男は意外と料理がうまかった。
    私の足元にも及ばないが、包丁さばきはなかなかのものだった。
    東海林はいとも簡単に野菜を切り、エビの殻をむき
    臭み消しに白ワインと塩をかける。
    絆創膏を貼った私は横でたまった洗い物を片付けていた。
    すると、屈託のない顔で井出がこう言ってきた。

    「なんか二人、夫婦みたいですね」



    「くるくるパーマと夫婦だなんて死んでもあり得ません!!!!」






    ―あの後、また喧嘩になり里中課長に止められながら
    アヒージョとパエリアを作った。
    その後東海林は私には話しかけず、里中課長にくっついていた。
    どうしてなのかは分からないが、これ以上言い合っても不毛だと思ったのだろう。

    ベッドに倒れこみ壁に掛けられた写真を見る。
    名古屋で東海林が頑張ったで賞を取った時、無理やり
    撮影された。
    あの時、ハケンではなく正社員として雇われに行った。
    3か月の契約だったが、東海林が言うなら更新するつもりだった。


    それなのに、東海林は私にこう言った。

    「3か月お疲れ様、もうハケンに戻っていいんだぜ」

    それは彼にとって私と決別する言葉だったのだろう。
    そのまま翌日には名古屋を後にした。


    名古屋駅のホームで、東海林が追いかけてこないかと
    ずっと階段を見つめていたが、あのくるくるパーマが見えることはなかった。


    3か月の間に交わした、仕事やぬくもりは何だったのか。


    「今日もまた眠れない…」
    切った人差し指がずきずき痛む。
    早くこの傷も、心の傷も治ってほしい。

    時計は夜の12時を指していた。


    「大前さんと連絡が取れません」

    そう事務員さんに言われて、東海林はいてもたってもいられず
    「悪い、少し抜けていくからみんなに伝えておいてくれ」
    そう言い終える前に部屋を飛び出し、社用車を急発進させた。


    数日前、名古屋支店から社長賞の話を受けた。
    「これで君もめでたく東京に凱旋か…寂しいがよかったじゃないか」
    支社長からねぎらいの言葉を受けて、東海林は複雑な気持ちだった。
    なぜならほとんどの仕事は春子がこなしたものだったから。


    帰り道、公園の前を通るとブランコの前で、紙をビリビリ
    破っている小学生の少年がいた。
    その表情は悔し涙を我慢しているように見えてなんだか放っておけず
    思わず声をかけた。

    「おい、ごみはちゃんとゴミ箱へ入れろよー」
    近づいていくと、切れ端の一部が見えた。
    そこには金の縁に行書体の黒い文字が描かれている。
    「え…これ賞状じゃないのか?」
    東海林は跪きかけらを拾い集めた。
    「こんにゃー…うその賞状なんていらんだがや」
    目を潤ませ少年は言う。
    「どういうことなんだ?よかったらおじさんが話聞いてやるぞ」
    東海林は隣のブランコに腰掛ける。少年は東海林をしばらく見つめた後
    話し始めた。

    「学校の…環境ポスターのコンクールで銀賞だったみゃー。
    でも、これ描いたんはほとんどかあちゃんだがや。」
    「…そうなのか?でもそんなの良くあることだぞ」
    「俺は、自分の力で賞を取りたかったんだが」
    潤んでいた瞳から涙がこぼれる。
    その言葉がなぜか自分の胸の内にあったものとリンクしたような気がして
    東海林は俯いた。


    そうだ、自分も春子の力で社長賞をとれたことに後ろめたさを感じていた。
    確かに春子は「あなたに社長賞を取ってもらいます」と言って名古屋に来た。
    春子にとってはそれがすべてだったからあんなに必死に頑張ってくれたんだ。
    ただ、そのせいで一度倒れたことがあった。
    過労だと医者に言われ一日だけ休むとまた変わらず同じ量の仕事を
    こなしていた。
    うれしい反面、このまま春子におんぶにだっこの状態でいていいのか。
    それで本社に戻っても結局昔の人の手柄でのし上がっていく卑怯な
    自分にしかなれないのではないだろうか。


    泣き続ける少年に東海林はポケットからハンカチを取り出し渡す。
    「とりあえず涙拭けよ、悔しいのはわかるよ…だったらさ
    今度は自分の力で賞を取ればいい」
    そう言いながら残りのかけらを拾い集めた。
    「これはちゃんと貼りなおして、母ちゃんにあげろよ、なっ」
    少年の両手にそっと差し出した東海林の表情は夕暮れのように温かく
    少し寂しげだった。



    「どうして社長賞を辞退したんですか?」
    名古屋支社の会議室で隣に座っている春子は東海林を睨みながら言った。
    「正直に言ったんだよ、あれはお前がやったことだって」
    「…どうして、なんのために私がこんなところまで来たと思うんですか?」
    「いいんだよ、その代わり支所長が「頑張ったで賞」をくれるって言ってんだから」
    その後支社長や部長が来て表彰式が始まった。
    「せっかくなら写真でも撮ったらどうだ?」
    支社長が部下にカメラを持ってくるよう指示してくる。
    「とっくり、そういや写真ってとったことないよな…せっかくだから
    この俺とカッコよくツーショット決めようぜ」
    「嫌です!!」
    「返事早いな!!これは業務命令だ!!」
    「…業務なら仕方ありません」

    春子はずっとしかめ面で、カメラマンの社員に
    「大前さん、もっと笑ってくださいよ~」と
    言われていた。
    東海林は春子と一緒に写真を撮れることがうれしくて顔がにやけて仕方なかった。
    「もうすぐ賢ちゃんも来てくれるから今度は3人で撮ろうぜ」
    「じゃああなたは真ん中ですね、真ん中にいると魂が取られるようですが」
    「勝手に殺すな!!しかもその迷信古いわ!!」



    事務所に戻ると、ほぼ終業時間だった。
    「とっくり、今日はもう帰っていいぞ…あと」
    すでにデスクの書類を片付け、帰る準備をしていた春子は東海林に目線を送った。
    「あと、何ですか?」
    「明日でちょうど三か月…お疲れ様。もうハケンに戻っていいんだぜ」
    このまま事務と運転手をつづけていたら、体がもたないだろう。
    それに、今の自分はどうあがいても春子にはかなわない。
    明日、最後の仕事をしてその時にちゃんと言おう。
    社長賞は自分の力で取るから、それまで待っていてくれないか―――と。



    春子に追いつきたい、もっと自分で成果を出して春子の隣に堂々と
    立っていられる自分になりたい。
    きっと今日が終わればまた春子は東京か海外に戻るだろう。
    離れていても、春子を好きでいられる自信が東海林にはあった。
    名古屋に転勤してきて一年間、春子の事を忘れられなかったから。
    一年会わなくても好きで居たんだ。あと二、三年くらいどうってことない。
    東海林は事務所へ向かうバスから景色を眺めながら
    春子が来るまでは、この景色もよどんでいたなと憶う。
    今は春も近づき、通りの桜の花も3分咲きになっている。
    (春はこんなに穏やかなのに、どうしてあいつは激しいんだろうな)
    でも、春一番は強風だし春は嵐もやってくる。
    名は体を表すな、頬杖を突きふっと笑った。
    事務所で会ったら開口一番に言ってやろうと東海林は思った。
    けれどその思いは数分後に断ち切られる。
    なぜなら春子がいなくなったからだ。






    中部国際空港の第一ターミナルに着いて、エスカレーターを駆け上り、三階の搭乗フロアへ東海林は
    駆け込んだ。
    国際線と国内線端から端まで駆け抜けて春子を探す。
    携帯はつながらない、それなら呼びだしてもらえないかー。
    東海林はカウンターへ向かい「人を探しているんです、大前…春子を呼びだしてください」
    息を切らしながらグランドホステスに頼み込んだ。
    しかし、呼び出しをかけても春子は現れず、第二ターミナルでも同じ結果だった。







    「あの時、先に言っておけばよかったのか…」
    あれから12年、東海林は夜のオフィスでポツリとつぶやいた。
    やっと戻ってこれた東京本社。予想以上に時間がかかり
    13年もかかってしまった。
    もし待っててくれと言っていても13年もかかっていたら
    その間に愛想をつかれていたかもしれない。
    今、こうして一緒に仕事ができているのもあの出来事があったからだ。

    「俺…まだあいつの事好きなのか?わかんねーよ」
    春子のデスクを見つめて、春子の幻に向かって
    「お前はどうなんだ、とっくり」
    もちろん返事が返ってくることはなかった。

    「東海林課長っていいですよね」

    ハケンの口からそんな言葉が出てくるなんて、春子は何か書き間違えたのかと思い
    「福岡さん??もう一度聞いていいですか?」
    「だから、東海林課長って素敵だなと思って
    この間の謝罪会見を見ていたら、正直に話されている姿でイメージが180度変わったんです」
    その時2人はミーティングルームで会議の準備をしていた。
    春子は素早くピタリと書類を並べて、福岡亜紀は椅子を拭いていた。
    「大前さんは東海林課長と知り合いなんですよね?」
    「知り合い以下ですが何か?」
    春子は鼻をひくひくさせながら窓越しから、東海林のことを睨みつけた。


    準備が終わると、ちょうどお昼のチャイムがなった。
    部屋を出て、財布を取りにデスクへ向かうと
    東海林がこちらに向かって話しかける。

    「福岡さん、大前さんお疲れ様。これから賢ちゃんと浅野で飯にいくんだけど一緒にどう?」
    「え?いいんですか!嬉しいです」
    亜紀はチャーミングな笑顔で答える。
    「私は結構です、そのくるくるパーマをみながらご飯を食べていたら目が回って食べられません」
    いつものように憎まれ口を叩いて、東海林が怒鳴るのをスルーしてようじ屋へ向かうつもりだった。


    それなのに、東海林から返ってきた返事はこうだった。

    「大前さん、人の悪口ばかりいってちゃダメだよ。じゃあ俺たちだけで行ってくるわ」





    春子はサバ味噌定食をいつもよりよく噛んで食べている。
    腹が立つような、拍子抜けするような、不安が襲ってくるような、サバ味噌の味もよくわからない気持ちだった。
    (あのくるくるパーマ…人が必死に考えたボケを交わすなんて…それでも課長か)
    しかもハケンの亜紀を昼食に誘うなんて。
    そしてその後、小夏にも声かけていたのを遠巻きから見ていた。


    ハケン嫌いのあの男がハケンを誘うなんて…しかも私の喧嘩を買わないなんて…。

    「ああ、腹立つ」
    春子は力いっぱい割り箸を握りしめたせいで、真ん中からバキッと割れてしまった。



    そして、午後から会議に入ったためオフィスはハケンだけになった。
    春子は頼まれた仕事を3倍速でこなしていく。
    その後ろで亜紀と小夏はさっきの昼食の話題で盛り上がっていた。
    「さっきの東海林課長の話、超面白かった!」
    「旭川のラーメン屋、4軒行って4軒とも休みってある意味奇跡だよねー」
    「亜紀さん、東海林課長ならひとまわり年上だしアリなんじゃないですか?」
    「そうだよね、最初はお調子者かと思ったけど仕事は真面目だしハケンにも優しいよね」


    春子のタイピングがだんだん荒くなる。
    気がつけば画面が
    「tjkgjmfa@gmwja@bjjmhqga@llxj,,,,,,」と
    めちゃくちゃになっていた。
    春子はデリータキーを押して、椅子を回転させて叫んだ。
    「勤務中の私語はつつしみなさい!!」

    はーい、と返事して2人は黙々と仕事をしていた。



    ーああ、腹が立つ。
    あのくるくるパーマがモテるなんて。
    バレンタインも義理しかもらえなかったくせに。
    腹立つ、腹立つ。
    でも、1番腹が立つのはハケンに八つ当たりした自分だ。




    5時になり、春子は失礼しますとオフィスを出た。
    「お疲れ様でした、大前さん」
    里中課長が優しく挨拶をしてくれて春子は会釈する。
    その先にいる東海林を見ると、パソコンに何か打ち込んでいる。
    今日の会議の内容をまとめているのだろうか。
    また話しかけても素っ気ない態度だと余計にイライラしてしまう。

    春子はそのままエレベーターに向かっていく。




    翌日、春子はいつものように15分前に会社につき、入室カードを掲げて建物の中に入っていった。

    すると、前に東海林と亜紀の後ろ姿を見つけた。
    思わず足が止まる。

    亜紀は右手を東海林の耳に寄せて何か話していた。
    春子の耳は人よりも聴力があり、亜紀の声も
    神経を研ぎ澄ませば聞くことができる。
    話していた言葉はこうだった。



    「昨日はすごくよかったです、今日も一緒に頑張りましょうね」





    春子は目を見開き、まるで一時停止したロボットのように動かなかった。
    2人はそんな春子に気づかずエレベーターの中に入っていった。

    東海林と亜紀の間に何があったのか。
    春子の頭の中はそのことがメリーゴーランドのように回り回って、仕事も手につかなかった。

    「大前さん、このパワポの資料…円グラフが折れ線グラフになってますよ」
    浅野が心配そうに資料のコピーを見せて指を刺す。
    はっと我にかえり春子はコピーを受け取ると
    「失礼しました、私としたことが…」
    頭をブンブン左右に振り、余計な邪念をふき飛ばした。
    春子はファイルを開き手早く修正していく。
    (あんなくるくるパーマのことなんて…どうでもいい、私は仕事をしにきているんです)
    心の中でお経を唱えるように淡々と繰り返す。


    トイレで用を足して、手を洗っていると
    鏡越しに亜紀の姿が見えた。
    思わず春子は目を逸らす。
    「大前さん、今日様子がおかしいですけど
    体調悪いんですか?」
    手の滴をハンカチで拭き取りながら春子は
    「いいえ、大丈夫です。」
    何ともないフリをしていた。
    「そう言えば、東海林課長って動物苦手なの知ってました?」
    亜紀は人差し指を顎に当てて楽しそうに話す。
    「動物好きそうなのに意外ですね〜って話していたら
    子供の頃犬に頭を噛まれてからトラウマになってるそうなんですよ」
    春子はその話を聞いて、焦げた魚を食べたような顔になった。
    そんなこと、知らなかった。なぜ私が知らないことを亜紀には話すのだろう。
    あのくるくるパーマめ…。

    「そうですか、私には興味ありません」
    「本当にそうですか?じゃあ私がガンガンいってもいいんですよね?」
    「お好きにどうぞ、物好きさん」

    春子は自衛隊の行進のように、まっすぐ等間隔で歩きデスクに戻った。

    午後の業務で、里中に資料を探して販売部に届けて欲しいと頼まれて書庫へ行くと、運悪く東海林課長と鉢合わせてしまった。
    「あれ、大前さんも何か探してるのか?」
    とっくり、と呼ばずに大前さんと呼ぶ。なぜか距離を取られているような気がして春子も
    「そうです、東海林課長」
    素っ気なく返して、別の列に移動し資料を探す。

    すぐに資料は見つかったが、春子が手を伸ばしてギリギリ届かない位置にある。
    背伸びをして、分厚いファイルを取ろうと手を伸ばし、引っ張ろうとしたその時
    バランスを崩しファイルが頭上に落ちてきそうになった。
    思わず両手で頭をかばおうとした、その時。

    東海林が、大きな手でその資料をキャッチした。
    「あっ…あぶなかったな」
    東海林の腕は春子の丁度真上にあって
    あと少し遅れていたら直撃していただろう。
    「大前さん、こんな時は俺がいるんだから甘えていいんだぞ」
    東海林はファイルを春子に渡し、ふっと微笑んだ。
    「…ありがとうございました、東海林課長」

    昔、エレベーターで助けられたときの事をふと思い出した。
    あの時はくるくるに助けられるなんてと素直になれず悪態をついたが
    今は、なぜか素直にありがとうと言える。

    「よろしい、その返事100点満点だな…春子さん」
    東海林は春子の頭をポンポンと撫でて資料室を出た。

    しばらく春子は動かず、触れられた頭をしばらく押さえたまま顔を赤くしていた。
    (何なんだ…あのくるくるパーマがいつもと違う、調子が狂う)
    昨日はそっけない態度だと思えば今日は急に優しくなる、しかも春子さんだなんて初めて呼ばれた。大前さん、とはまた印象が全然違う。
    きっと変なモノでも食べてちょっとおかしくなったか、ドラマでも見て俳優のモノマネでもしているんだろう。
    春子は唾を飲み込み両手で頬をぱちっと叩いた。



    「大前さん、東海林さん昨日からちょっと様子がおかしくないですか?」
    資料を渡してフロアに戻ると、里中課長が心配そうに春子に話しかけた。
    「そうですか?いつもと同じ巻き具合ですよ」
    ふっと軽く笑った後、真面目な顔に戻して
    「髪の毛じゃなく、態度がですよ。いつも大前さんとやり合ってるのに昨日急に大人しくなって…」
    「あの人も大人になろうとしてるのでしょう」

    親友まで態度の変わりように心配している。
    東海林のデスクを見るとまだ戻ってきていない。
    そして自分の席に戻ろうとすると、亜紀と小夏がいない。


    それがなぜか気になり、隣の席の浅野に聞いてみた。
    「ああ、あの2人なら東海林課長が用事があるからって会議室に連れて行ってましたよ」

    亜紀だけでなく、小夏まで…一体なにをしているのか。春子の胸がざわめく。

    「そういやすぐ済むって言ってたのに結構たってるな…なにしてるんでしょうね?」
    浅野が時計を見て、ポツリとつぶやいた。

    「呼んできます!!」

    春子はブーツの踵をカツカツ鳴らして会議室に向かった。



    まさかと思うが、亜紀だけでなく小夏にまでー。
    仕事中に何か変なことでもしていないだろうか。春子はもし何かしていたらぶん殴ってやろうと、強く拳を握りしめて走る。




    そして、会議室の前に着くと
    そっと耳をすまして中の声を聞いた。

    「だから…このままいけば絶対いけますよ!」
    明るい声の主は小夏だった。
    「そ、そうか…俺も頑張ったからなぁ
    ちょっと恥ずかしかったけどさ」
    東海林の声に続いて
    「昨日もすごくよかったですよ!東海林課長が我慢してたの横で手に汗握りながら見てました」
    亜紀のはしゃぐ声。


    何の話か意味がわからずもう少しドア越しから様子を伺う。

    「で、さっきは優しい男を演じたんですよね??」
    「まぁな、恥ずかしくて後で鳥肌たったけど
    あのとっくりも驚いてキョトンとしてたな」

    さっき??優しい男を演じたーーー??


    あの資料室の出来事は演技?
    春子は頭の中で会話を整理しながら続きを聞いていた。

    「大前さん、私が東海林課長にグイグイ行きますって言ったらすごい顔してましたし
    あれはぜーったいやきもちですって!」
    「大前さんって素直じゃないですよね、私より仕事は何倍もできるのに」
    「いや、でもそういうところが可愛いところなんだけどなー」


    と、言い切る直前に勢いよくドアが空いた。

    そこには真っ黒いオーラを纏った大前春子が足を広げて腕組みをしていた。


    「とっくり!!」
    「大前さん!!」

    3人は目を見開き春子を見た。

    「あなたたち、私のことをからかっていたんですね…」
    どこからかゴゴゴ…という効果音が聞こえてきそうな勢いで、春子は3人を睨む。

    「いや、誤解だ!とっくり落ち着け!!お前顔が般若になってるぞ!!」
    東海林が春子に駆け寄ってきたが、春子は思い切り東海林のネクタイを引っ張る。
    「私の反応を楽しんで面白かったですか??」まるでヤンキーがメンチを切るように、春子は東海林を睨む。
    「大前さん、違うんです!東海林課長は大前さんと仲良くなりたくて、私たちがアドバイスしてたんです!!」
    「そうですよ、からかうなんてとんでもない!!」
    亜紀と小夏も来て、3人で延々と言い訳を並べる。
    「腐れマリモとか、ハエとか毎回面白くて私は笑えるんですけど…東海林課長は大前さんと喧嘩せず仕事したいって悩んでるのを偶然里中課長と話しているのを聞いたんです」
    「それで、ねえ。ちょっと冷たくしてその後優しくすればきっと東海林課長のこと気になって大前さんも優しく接してくれるかなって
    みんなで話していたところなんです!だから私が東海林課長に気があるフリをして、わざと気になるように演技していたんです」
    小夏と亜紀は一生懸命説明していて、悪気はなさそうに見えた。
    春子は東海林のネクタイを離し、東海林の顔をじっと見つめる。

    「な、なんだよとっくり…この2人は俺に協力してくれただけだからな、怒るなら俺だけにしてくれよ」
    東海林はネクタイを直しながら言う。
    この2人の言うことが本当なら、東海林は私との仲を気にしていたのか。しかもアンチ派遣のくせにハケンに相談して協力までしてもらって…。

    「おい、黙ってたら余計怖いだろ」
    東海林がおそるおそる春子の顔を覗き込む。


    「いいんですよ、私の方こそ言いすぎていたのですね。ごめんなさい、武くん」
    バレンタインのウグイス嬢の時のような可愛い声で、にっこりと東海林を見つめた。

    「え…武くんって、とっくり…」
    東海林は照れ臭そうに頭をかく。
    「でも安心しました。モテない社員がハケン2人に手を出しているのかと心配していたので」
    東海林のおでこにシワがよる。
    「モテない…?」
    「はい、全然モテない武くん。仕事中ですし早く業務に戻ってね」
    皮肉の笑みを浮かべて、春子は去っていく。

    「おい……ちょっとまてええええ!!!!」
    東海林は廊下に飛び出て叫ぶ。
    「誰が全然モテないだと!!俺だってなぁ、告られたことぐらいあるんだぞ!!幼稚園の時にな!!」
    「東海林課長、それは告られたにカウントされませんって」
    「お前こそそんな性格じゃモテないぞ、とっくりぃーーーーーーー!!!!」
    遠ざかる春子に届くほど大きな声が廊下にこだました。



    ー朝の亜紀の耳打ちはそういう事だったのか。
    春子はモヤモヤした気持ちから解放された、それなのにどこか浮かない顔をしている。

    (私……気づいてしまった)
    嫌われたらいい、なんて思っていたのに
    冷たくされてすごく悲しかったし、優しくされて嬉しかった。

    私は、今も彼のことが好きなんだ。





    でも、この気持ちは絶対に言わない。


    好きなのに、幸せだったのに、別れて泣くのはもう嫌だ。



    春子は立ち止まり、窓の景色を眺めた。
    13年前と変わらない景色に見えて、少しずつ変わっている。

    遠くには東京スカイツリーが雲を突き刺していた。

    とっくりと仲良くなろう作戦、名付けてプロジェクトOは失敗に終わった。
    ちなみにOは大前春子のイニシャル。

    しかし、ハケンの女子二人からもらったアドバイスは東海林にとっては目から鱗だったので
    今後の参考にさせてもらおうと東海林はメモに残していた。


    春子は相変わらず今日も朝から変な体操をしている。
    「おい、朝から変な体操するな!」
    東海林は止めにはいるがやめようとしない。
    そういえば、名古屋でも変な体操をしていて
    マネしたら怒っていたな。
    そんなことを思い出して、東海林はわざと
    春子の横で動きを真似る。

    「パクリはやめてください!」
    春子は体操をしながら東海林を睨みつけて叫ぶ。
    「パクリじゃねぇ、モノマネだ」
    東海林は変な動きも機敏に真似して動く。
    すると春子は突然、アホの坂田のように
    フラフラと歩く。東海林もそれを真似るが
    周りに人がいるためだんだん恥ずかしくなった。

    「おい、わざと変な動きをするな!」
    「じゃあやめたらどうですか?パクリ課長」
    「誰がパクリ課長だ!!これはパクってない、モノマネだ!!」
    負けじと東海林も真似をしているとだんだん息切れしてきた。
    そのタイミングで、始業のチャイムが鳴る。
    春子はさっと椅子に座り作業に入る。
    東海林もデスクに戻りパソコンを起動させた。

    少し息が上がっているが疲れを見せたくないので無理にゆっくり呼吸していく。
    春子の方に目をやると息切れひとつしていない。
    何だかんだいって、春子はフラメンコも踊っているし普段から体を動かしているんだろう。



    「俺ジムにでも通おうかな…」
    給湯室でコーヒーを飲みながら、東海林は里中に相談した。
    「どうしたの?東海林さん全然太ってないのに
    でも運動は体にいいと思うよ」
    里中は朗らかな表情で返事をしてくれる。
    東海林はコーヒーを飲み干して
    「そうだよな、まずはビリーズブートキャンプでも始めるか」
    「東海林さん、古いよ」
    笑顔をかわして、2人は一緒にデスクへ戻る。


    前に里中と話していた社食のメニューについて
    先週会議で提案したら、2週間後にプレゼンしてみろと部長に言われた。
    それで最終的に上に提案するか決めるらしい。
    正直あの部長は苦手だが悪い人ではなさそうだ。
    東海林は全国のご当地メニューを調べたデータを見ながら、都内でどれくらいの専門店があるのか確認していた。
    それを見ていると、あることに気がついた。
    半分近くのご当地メニューが麺類なのだ。
    うどんだけでも稲庭、水沢、讃岐と日本三大うどんを筆頭に福岡、京都、大阪にもそれぞれの風土に合うメニューがあった。



    うどんなら、コストもそんなにかからないし
    調理も簡単で済むのではないだろうか。
    東海林はインターネットで「うどん 全国 メニュー」と検索して一つずつメモを取っていく。
    久しぶりに仕事でわくわくと子供のように
    心が高揚することにどこか喜びを感じていた。
    そして、検索の中に会社の近くで味噌煮込みうどんを提供している店を見つけた。
    東海林は「名古屋」というワードに一瞬怯むが、リサーチも兼ねて行ってみるかと立ち上がる。
    そしてハケンの亜紀と小夏の方を見てみると、デスクは空席になっていた。
    その向かいで超高速で領収書にハンコを押している春子しかハケンはいなかった。


    「いいか、ハケンさんが誰もいなかったから君を連れてきているだけなんだぞ」
    「当然です、東海林課長。それでなければ
    あなたとお昼ご飯を一緒に食べようなんて思いません」
    2人は向かいあってテーブルに腰掛けている。
    ここは味噌煮込みうどんのみしか提供していない店で、店内には味噌の発酵したにおいと湯気に包まれている。

    東海林はメモ帳を取り出して店の雰囲気などを箇条書きにまとめている。
    春子は黙ってその様子を見ていた。
    (客層は男性多め、提供時間は少し遅いのか…やっぱり煮込むから時間がかかるんだろうな)
    春子の方をチラチラと見ていると、ただ黙って座っている。まるで昔面談に来たときのようだ。

    「おい、とっくり生きてるのか?」
    「生きてますが、何か?」
    「お前、もうちょっと笑顔でいられないのかよ。せっかく飯を食うってのに。笑顔は最高のスパイスだぜ」
    そう言っても無表情のままだ、春子の顔の筋肉は麻痺しているんじゃないかと思えてくる。

    名古屋にいる時は、もう少し柔らかい顔をしていたのに。
    会わない間に何があったのか、少し気になっているが正直怖くて聞けない部分もあった。
    もし春子も自分のように他の誰かと結婚していた過去があったらー立ち直れない気がしたからだ。

    (なんて自分勝手なんだろうな、俺って…)
    このまま一緒にいたら何か言ってしまいそうで
    「悪い、ちょっとトイレ行ってくるわ」
    わざと席を離れるように東海林はお手洗いへ向かった。


    数分後、席に戻ると注文した味噌煮込みうどんが席に置かれていた。

    「もう出来てたのか、じゃあ食おうぜ…」
    席に腰をかけようとした時、春子の手にしているものに気づき、椅子をひいていた東海林の手が一時停止する。
    春子は東海林のメモ帳を手にしてこちらを睨んでいた。

    その理由が何となくわかった東海林は
    恐る恐る座り、春子に話しかける。

    「中身…全部見たのか?」
    「全部ではありませんが【大前春子をおとす31の方法】というのは見ました」
    東海林はムンクのように頬に手を当てて懸念する。

    「この、壁ドンに顎クイとは何ですか?
    あと【髪の長さが変わった時は「髪切った?」と変化に気づいたアピール】なども
    意味がわかりません」
    「いや、それは……福岡さんと千葉さんが
    色々と教えてくれたんだよ、女心をさ」
    東海林は動揺しながら鍋の蓋を外す。
    「あつっ、まぁそれは置いといて食べようぜ」
    「置いておけません、他にも【荷物は何も言わずに持ってあげる】【食後にごちそうさまが言える女性って素敵だよね、と言ってあげる】【歩く速度を合わせて真横にいることを心がける】…」
    「もういい!!やめろ!!そもそも俺のメモ帳を勝手にみるな!!」
    東海林は羞恥心が爆発しそうで、春子から無理やりメモ帳を取り返した。

    「こんなことをされても私はあなたになんて全く興味がありませんし顎クイなんてされた日には顎を頭突きしてあげます」
    「こえーよ!!うるせーな、誰がとっくりになんて顎クイするかよ!!」
    東海林は怒りをごまかすようにうどんを一気にすすり、そして咳き込む。
    そんな東海林をよそに
    「いただきます」
    両手を合わせて、春子は割り箸を割って
    一本ずつゆっくりとすすっていく。


    「お前…飯を食う時だけは女らしいよな
    名古屋でも思ったけどさ、茶碗にご飯粒一つ残さず食べてたし…」
    「そんなことを言われても1ミリも響きません」
    「これはメモ帳に書いてねーよ、本音だよ」



    久しぶりの春子と2人きりの食事は
    少しだけ甘い空気が流れていた。

    連日の寝不足のせいだろうか。
    頭がぼーっとして、真っ直ぐ歩いているのに酔ったようにフラフラとよろめく。
    春子はだらしない体を起こすために、大前体操で体を目覚めさせようとした。


    「おい、とっくり。また変な体操してるのか」
    春子は無視して前屈をすると、東海林はムキになり
    「こら、課長の話を無視するな!」
    近づいてきて、体操を真似てきた。
    「昆虫に返事する人がいると思いますか?」
    腕をフラフラ揺らして言い返すと
    「そうそう、カマキリ先生の昆虫すごいぜ…って誰が昆虫だ!!」
    ノリツッコミされつつも春子は無視して
    体を動かす。
    (誰のせいで疲れていると思うのよ…)
    春子は苛立ちを顔に思い切りだしながら
    腕をブンブンと振り回した。


    定時になり、足早にオフィスを去る。
    ふと、右側に目をやると東海林も里中も外出中のままで不在だった。
    「お疲れ様でした、大前さん」
    隣の浅野が挨拶をしてきたので
    「お疲れ様です」
    会釈はするものの、目線は合わさずそのままエレベーターに向かう。


    壁にもたれながら、ゆっくり降りていく箱の中で春子はため息をひとつつく。
    歳のせいか、前より機敏に動けなくなった気がする。
    寝不足だとそれを余計に実感して、また東海林のことが頭に浮かぶ。
    (諸悪の根源はあの男だ…)
    ふとエレベーターのボタンに目をやると、何故か増えたり減ったりしている。
    そして、エレベーターが地震でも起きたかのように揺れていた。
    違う、これは私の体が揺れているんだー。
    そう自覚すると同時にストンと崩れた砂山のように春子の体は床に叩きつけられた。




    「ーーーーーとっくり?」
    どこからか声がする、とっくりと呼ぶのはあの男しかいない。
    春子はゆっくりとまぶたを開いた。
    目の前には白い天井、LEDの照明が目を突き刺す。
    春子はソファーに横たわっていた。
    そして目の前にはジャケットとネクタイを外した東海林が床に座り込んでいた。


    勢いよく体を起こす、周りを見ると
    どこか懐かしいような、でも初めて目にするようなものばかりのこの部屋。
    「お前大丈夫か?エレベーターの中で倒れてたんだぞ。俺がちょうど乗ろうとしたらさ、いきなり死体が転がっているのかと思って心臓止まったわ」
    確かにあれから記憶がない、春子はここまでどうやってやってきたのか。
    「ここはどこですか?私はどうやって来たのですか?」
    「俺の部屋だよ、倒れたお前をおぶって連れて来たんだ。お前また重たくなったんじゃね?」
    やっぱり…と春子はため息をついた。
    名古屋にいた時と家具や装飾品は変わっているものの
    統一感のない色使いのインテリアは昔から変わっていない。

    「お気遣いありがとうございます、では私は失礼します…」
    そう言って立ち上がろうとすると、東海林も立ち上がり
    「いや、もう少し休んだ方がいいんじゃないか?」
    「結構です、大丈夫…」
    と、言いかけた時にまた目眩がした。足がふらつき倒れそうになると東海林が咄嗟に手を出して
    春子をキャッチした。

    至近距離で体を近づけた2人は、目を合わせる。
    どちらかが逸らせばいいのに、お互いの瞳には相手の顔がうつっていた。

    春子は東海林の表情から、本心を探り出そうとする。
    口元を少し下げて深い瞼の彫りが影を落としている。東海林は一見ハンサムには見えないのに、時々人を魅きつける表情をする。その時の東海林は認めたくないが男前だと春子は感じていた。
    どのくらい無言で見つめあっていただろう。
    1秒が1分にも感じた。

    その見つめ合いから手を引いたのは春子だった。
    自分からソファーに腰掛け、両手を太ももに下ろすと
    「そうですね、まだ疲れているようなので
    少し休ませて頂きます」
    東海林はそれを見て安心したのかキッチンに向かい
    「じゃあコーヒーでも入れてやるよ」
    棚の奥からドリップコーヒーを取り出して
    やかんに火をつける。

    春子はその間部屋の中を見ていた。
    端の方にはまだダンボールが置かれている。
    引越ししてきたばかりでまだ落ち着かない雰囲気のその部屋は2DKの広い部屋で、あまり物も置かれていない。
    けれど、メタルラックの中央の写真立てには
    2人で撮った写真が飾られていた。
    春子はそれを見つけて少し心がざわめく。
    そして反対方向を向き、それに気がついていないフリをした。

    「ほら、おまたせ」

    東海林が二つのカップを持ってソファーの前にあるテーブルにコーヒーを置く。


    「ありがとうございま…」
    春子がお礼を言いながらそれに目をやると
    言葉に詰まってしまった。



    春子に差し出されたコーヒーが入ったマグカップ。


    名古屋で春子が使っていた物だった。


    コーラルピンクに赤いハートが散りばめられた、春子の好みでは全くない色と模様。

    「お前春子だろ、春って言えばピンクじゃん」
    そんなことを言って勝手に用意してきた東海林に
    「やはりあなたからプレゼントはもらいたくないですね」
    そんなことを言いながらも、お茶もコーヒーもこのカップを使って、いつも丁寧に洗って大事にしていた。


    「どうした?飲めよ」
    東海林は何も言わずに自分のコーヒーを口にする。
    この男、無意識に出したのか、それともわざと出したのか。
    ただ動揺したことを悟られたくない、春子は黙って口にした。

    ごくん、と一口飲み込むと、コーヒーの苦さと蜂蜜のほのかな香りが口に残る。
    東海林は砂糖ではなく蜂蜜を入れるのが好きだった。
    もう一口飲もうと、春子がカップを口に近づけようとした時。


    何か抑えきれない感情が弾けてしまい、春子の目から涙が溢れた。

    それに気づいた東海林は、コーヒーを置いて
    春子を心配そうに見つめる。


    「とっくり……?」


    「うっ…………ひぃっく」
    涙を止めたいのに感情が追いつかない。
    こんな、あの頃の東海林の面影ばかりが
    残っている部屋にいたら、自分の隠し続けてきた心がいとも簡単に引きちぎられる。
    どうしたらいいのかわからず、ただ泣き続ける春子を東海林はしばらく見つめていただけだったが、いつしか春子の隣に座って
    春子の肩を抱き、引き寄せてきた。

    けれど、それ以上なにもすることもなく、何も言わずに
    ただ春子が泣き止むまでずっとその場を離れなかった。



    春子はタクシーから流れる景色を見ていた。
    街頭の灯りが瞬いている。
    あのあと、涙を強制終了させて「失礼します」と東海林の部屋を出た。東海林には「タクシー呼ぼうか?」と聞かれたが、自分で拾いますと言った。東海林の右肩がびっしょりと濡れているのを見て、財布からお札を取り出し「これ、クリーニング代です」と差し出した。
    「いや、いいよお金なんて…」
    そう拒否する東海林に春子は胸ポケットにお金を突っ込み
    「どうぞ、お気になさらず」
    そう言って足早に部屋を出た。



    あの時、どうして抱きしめてくれなかったのだろう。
    もしもキスされて押し倒されていたら、きっと拒まなかったのに。
    春子はガラス越しに昔の姿を映し出す。
    裸になって重ね合い、喘ぐ声に心が騒いで激しく腰を動かしていた、2人の姿を。
    あの人の大きな手で、背中を撫でられるのが好き。長すぎるキスも、すぐに溢れてしまう素直すぎるところも全部愛おしくて、ずっと体に残っている。


    もうあの時間は戻らないのだろうか。
    春子は目を閉じて、思い出から目を逸らした。

    ーこれ以上あの人のことを考える時間がなくなればいいのに。



    車は急なカーブを曲がり、春子の体は振り子のように揺れていた。

    もしあの時、抱いていたなら
    これからもあいつと一緒にいられるのかな。


    目が覚めて、そんなことを考える。



    東海林は目を細めたまま起き上がり、洗面所で顔を洗う。左手で歯ブラシをもつ鏡の自分はまるで屍のように生気が感じられない。

    「そりゃそうだ、全然眠れなかったもんな」
    そう呟いて髭を剃り、台所へ移動する。
    それでも今日も仕事で一日の時間は待っていてくれない。
    無理矢理ブラックコーヒーを飲んでパンを流し込み、素早くスーツに着替える。


    電車の中は相変わらず満員で、旭川でのんびりバス通勤していたころを懐かしく思う。
    隣にいる女性の香水が鼻を歪めるほどキツくて、早く降りたいという気持ちだったが、あいつに会ってどう接したらいいのかわからない気持ちもあったので、もう少し揺れていたい気持ちもある。



    昨日、春子を自分の家に連れてきて休ませていた数十分のあいだの出来事を思い返す。
    春子の寝顔をずっと見ていた、相変わらず寝顔は屈託のない顔で可愛い、でも目が覚めるとまたロボットのような無表情に変わる。
    何となく気まずくて、昔話でもしようと名古屋の時に使っていたマグカップを差し出すと
    突然泣かれてしまった。
    どうして泣いているのかわからず、でも放ってもおけず
    隣に座り肩を寄せたーーーー。
    でも、あの時本当は、ぎゅっとして、キスして、そのまま抱いてしまいたかった。

    それができなかったのは、春子の気持ちがわからない不安と、一度他の女と結婚したという後ろめたさがあったからだ。


    そんなことを考えていたら、いつのまにか東京駅に着いてしまった。
    人の波に揃って会社へと向かう。
    何事もないように、いつも通り振る舞おうと心の中で言うことを考えながらオフィスに向かう。


    そして、社員やハケンたちに「おはよう」と挨拶して中に入っていくとー。



    「イーストシーフォレスト課長!!判子ください!!」
    突然大声で叫んできた、その主は春子だった。
    東海林は間髪入れずに言い返す。
    「長げーよ!!英語で直訳するな!!大前スプリング子!!」
    「大前春子です!!」

    いつも通りのやりとりに、東海林はほっとしつつもどこかがっかりしていた。
    (あいつにとったら、ただハエのいる木にもたれかかっただけかもしれないな…)
    東海林は1番上の引き出しから判子と朱肉を取り出し、書類に捺印した。
    「それでは総務課へ提出してきます」
    春子は足並みを揃えて去って行った。
    その後ろ姿が見えなくなるまで、目で追っていると
    後ろから部長が話しかけてきた。
    「東海林、この間のプレゼン資料の作成は進んでるのか?」
    東海林は慌てて仕事モードにスイッチを切り替える。
    「もちろんです、部長。よければ一度目を通して頂けますか?」
    東海林は引き出しからプレゼンで使う予定の資料を取り出した。

    部長はさっと目を通して、一読する。

    「まぁいいんじゃないか、でもなぁ…もう少しインパクトのあるものが有れば社長も気に入ってくれると思うんだが」
    すると、その会話を後ろで聞いていた里中が話に参加してくる。
    「東海林さん、大前さんに相談してみなよ」
    里中は昨日の事情など知る由もないので、いつものように「困った時の大前春子」と言わんばかりに、東海林に提案をしてきた。

    「とっくり!?…でもあいつはさぁ、俺が頼んでも断るだろ??それに仕事はできてもやっぱり若い人のアイデアも欲しいしなぁ」
    「若くなくて悪かったですね!!」
    突然不意打ちで、後ろから春子が苦言を述べてきて思わず声を上げる。
    「わぁっ!!びっ、びっくりさせるなよとっくり!!」
    「くるくるパー課長の助太刀は私の勤務内容には含まれておりません!!」
    「はぁ!?誰がくるくるパーだ!!くるくるパーマだろうが!!…いや、東海林課長って呼べよ!!」
    部長も里中も笑いを堪えるのに必死で誰もフォローしてくれない。
    相変わらず酷いことばかり言う女だ、そう思ったが、普段通り接してくれて内心ほっとしているところもある。


    結局、プレゼンについては福岡と千葉に頼み会議室でアイデアを出し合うことになった。



    昼休みが終わった後に3人で集まり、クリップで留められた資料を2人に渡して東海林は椅子に腰掛ける。

    「よければ女性目線でいいアイデアがあれば言ってくれないか?参考にさせてもらうから」
    「はい、わかりました」
    「任せてください!」
    2人は真剣に資料を読み、何かメモを取っているようだった。
    しばらくその様子を見ていた東海林だが
    若い女子2人に挟まれてなんだか恥ずかしくなり
    少し雑談を入れようと、話しかけた。

    「ところでさ、君たちは彼氏とかいるのかい?」
    「え?彼氏は…いません」
    福岡が少し照れ臭そうに話すと、今度は千葉が
    「東海林課長、それってセクハラになりませんか?」
    「いや、そんなつもりじゃ…」
    「それより、東海林課長は大前さんとはどうなんですか?」
    千葉に逆に質問をされだんだん手に汗が滲んできた。

    「いや、あれからなんにもないよ、本当に」
    手を振りながら笑って否定しつつも、心の中では色々あったけどな…と呟く。

    「そっか…でもまだ時間はあるし長期戦で行きましょう!!ね、亜紀さん」
    「う、うん…そうだね」
    福岡は浮かない返事で、チラッと東海林の顔を見た。

    「まぁ、話を戻してプレゼンのことなんだけど…」
    東海林は再び資料を手にした。



    2人との話は意外と成果があったと思う。
    女性はうどんを食べる時、汁が飛んだりするのを気にしてしまうので、使い捨てのエプロンがあればいいと言われた。
    それをセットにして売り出せば意外と売れるかもしれないとのことだった。
    たしかに店舗では用意できるが、コンビニでエプロンをつけるというのは斬新だと思う。

    けれどその分のコストや手間、それに今はプラスチック削減を推奨されている故に、それらの問題を全部クリアさせてからでないと、プレゼンで出すことはできない。

    東海林は急ピッチで進めようと、製造会社への交渉や話し合いにと連日残業が続いた。
    そのおかげか、少しずつあの夜のモヤモヤも思い出さずに済んでいた。




    プレゼン前日、ハケンの2人にコピーを頼み、製本は東海林も手伝いながら3人で完成させた。
    「はぁーっ、やっと出来たな」
    「お疲れ様でした」
    「明日のプレゼン、頑張ってくださいね」
    千葉がガッツポーズを決めながら激励してくれる。
    東海林は千葉小夏のことを親子くらい離れているが、なぜか自分とタイプが似ているなと思いながら、東海林も拳を上げて宣言する。
    「おう、もちろんこの東海林課長が見事成功させて、君たちにもどんどん仕事を回して協力してもらわないとな!」
    「はい、頑張ります」
    福岡は遠慮がちに答えた。
    「いや、気が早いな…まぁやる気があるのはいいことだ。福岡くん」
    東海林は福岡の肩をポンと叩き、資料を段ボールに詰めていく。
    「あの…」
    福岡は何か言いたそうに東海林の方を見ていた。
    「ん?どうした??あ、そうか…手伝ってもらったし今度賢ちゃんも誘って飲みにでもいこうか?」
    「本当ですか?楽しみです!…その資料、私が会議室まで運ぶんで、東海林課長はお仕事戻ってください」
    「え?いいよ、重たいし」
    「台車もあるし大丈夫です、小夏ちゃんに手伝ってもらうし、ね。」
    「ああ、やっておきます!」
    「それじゃあよろしく、ありがとう」
    東海林は1人、部屋を後にした。



    「あのさぁ…亜紀さん、何かおかしくない?」
    会議室へ行ったあとにトイレに寄っていた
    福岡と千葉は手を洗いながら話していた。
    「え?何が??」
    「東海林課長に対する反応が、最近変だよ?」
    「え?変じゃないよ、そんな…」
    「まさか…本当に好きになったとか!!!…なーんてね」

    千葉は冗談まじりに言ってみたのだが、予想外に福岡は頬を赤らめていた。

    「え…?マジで??マジ卍!?」
    「いや、好きっていうか、ちょっと気になるかなって存在なだけなの。年も一回り離れてるし…でも、気さくに話してくれたり、仕事のアドバイスくれたり…何より何事に対しても一生懸命なのがいいなって。」

    千葉は驚きつつも、控えめな福岡の気持ちに共感を持ち
    「大前さんはなかなか手強いと思うよ〜、でも、頑張ってね!」
    そう言って福岡の手をギュッと握りしめた。







    しかし、その時2人は気づいていなかった。
    奥のトイレに春子が入っていた事を。


    「………」
    話を一部始終聞いていた春子は、ただただ
    そこから出ることが出来ず、誰もいなくなるまで佇んでいた。

    引き出しから漢方薬を取り出して、口に放り込む。
    そして白湯で苦さを我慢しながら喉に流していく。
    更年期、と呼ばれる年齢になってしまい
    ここ数年体力が落ちてきた気がする。
    どんなに資格を取っても、若さに勝るものはないと実感してきた。
    出産だってもうタイムリミットは過ぎている。
    不可能ではないかもしれないが、そもそも相手がいない。



    そんな時にふと頭に浮かぶのは、くるくるパーマのあの男だった。
    春子はグラスをテーブルに叩きつけて、ため息を3つついた。



    数日後、東海林の企画したプロジェクトは社長からもみとめられて本格的に始動する事になった。
    亜紀や小夏に相談して案が出たエプロンについてもリサイクル会社と手を組み、ペットボトルから作られたエプロンを作り、またそれをリサイクルに出して貰えば十円還元するというシステムにしたようだ。

    エプロンについて、若い女性についてもらわなければ出なかったアイデアだろうと春子は思った。
    そして、自分が居なくても東海林はもう十分社長賞を取れる実力があると感じていた。

    仕事もプライベートでも、私は必要ない。
    早く若い女性と結婚でもして欲しい、そして早く忘れたい。
    春子は煮えきらない気持ちを抱えながら、タイピングを超高速で打ち続けていた。



    そんな日々を過ごしていたある日、居候先の店が閉店となり片付けをしていると、入口からドアの開く音がした。
    「よっ、久しぶり」
    東海林が1人でやってきたようで、後ろを見ても里中課長はいなかった。
    一歩引いて春子は「もう閉店です、お帰りください」
    「そんなこと言うなよ、ちょっとだけ話きいてくれよ」
    「また泣き言ですか?」
    「…いや、そうじゃない、けど…」
    東海林はばつの悪そうな顔をしながら、階段を降りてカウンターに腰掛ける。

    「あのさ、恋バナっていうのかな…」
    東海林の口から恋だなんて浮ついた言葉が出て、思わずドキっとする。
    「俺…今日さ、福岡さんに好きっぽい事を言われたんだけどさ…」
    春子は目を見開き、トイレで盗み聞きしてしまった会話をリバースする。
    「あなたの思い込みではないですか?そのくるくるパーマを好きになるなんてよっぽど物好きでは??」
    春子は乱雑にスプーンを棚に押し込む。ガチャガチャとうるさい音が響いた。

    「そうだよなー、俺がモテるなんてありえないよな。賢ちゃんが今までモテてきたのは見てきたけどさ」

    この人は鈍感すぎる。
    昔本社にいた時も、同僚の黒岩匡子が東海林に思いを寄せていたことは春子も近くで見ていてすぐ気がついた。その事もまったく知らないのだろう。


    「そうです、あなたはモテません。でもこの先ずっと独身が嫌なら若い女性と結婚してはどうですか?」
    フォークを東海林の胸に刺すように、きつい言葉をグサグサと刺していく。


    すると、東海林は突然立ち上がった。


    「俺はーーー、若い女性とかそんなの関係なく……好きな女と結婚したい」


    そう言って、春子をじっと見つめる。
    その瞳は13年前にプロポーズされた時と同じ輝きだった。
    春子はその場から逃げたくなり、食器拭きを乱暴に投げつけスタッフルームの方へ行こうとした。

    けれど、突然腕を掴まれ引き止められる。

    まるで自分が逃げようとしていた事を見透かされているように。


    「行くなよ、最後まで聞けよ」

    春子の爪先は気づけば東海林の方を指している。


    「俺はお前が好きだ」



    ずっと聞きたくて、でも聞きたくなかった言葉。
    毎日飲んでる漢方薬よりもずっとずっと苦い。
    どんなに唾を飲み込んでも飲み込めない。


    「だったら……なんで社長賞を辞退したんですか?……結婚したんですか?」

    気がつくと目から涙が溢れていた。

    「私を…必要としていないと言ったのはあなたです。他の女性と結婚したのもあなたです。なのに今更そんな事を言われてもしりません」


    凛とした顔で、涙を流しても俯かずに東海林を見つけながら訴えた。
    東海林はそんな春子の機微をどう受け止めるのか。
    掴んでいる手が心なしか少し力を失っているような気がした。



    「あの時は、辞退して悪かったと思ってる。でも、俺は自分の力で社長賞を取らないと、お前と対等に働ける人間にならないと、お前に結婚してくれとは言えないと思ったんだ」


    「…そんなこと、今更……あれは、あなたの力で取ったものです。私はあくまでもサポートしたまでです。それに、あの日あなたがもうハケンに戻っていいと私を捨てたんでしょう?」
    「捨てたりしてない!!俺は後で自力で社長賞を取れる日まで待ってくれっていようとしてたんだ。
    あの日…お前が急にいなくなった時だって、お前のこと追いかけに行ったんだぞ」
    「私はずっと待っていましたが、来なかったのはあなたです。嘘つかないで下さい」
    「嘘じゃない!!あの時空港中ずっと走り回って探したんだ!!」


    「は????」



    ー空港???
    想定外の言葉に、思わず春子は素の声に戻った。




    「…は?じゃねーよ、どうしたんだよ」
    東海林も目が点になった春子に肩透かしを喰らったように勢いを失った。





    「…私は、新幹線で…待ってたんです」




    「え………………ええ!?」




    お互いのやりとりに微妙な間が生まれた。


    まさか今更すれ違いだったと言う事を知り、当時の自分に何やってんだと言いたくなる。



    「どうして空港になるんですか?」
    「あの事務所からじゃ空港の方が近いだろ!?」
    「電車なら名古屋駅の方がアクセスがいいでしょう?だからあなたはダメなんです」
    「ダメじゃねーよ!お前こそ急にいなくなるなよ!!」
    「あなたがハケンに戻れと言って……」



    東海林はカウンター越しに春子へキスをした。
    春子は目を開けていたせいか、突然瞼を閉じた東海林の顔をドアップで目にする。

    ああ、あの時と同じー。

    突然、突拍子もないキス、はじめてのキスもそうだった。この人はいつも不意打ちでくる。


    春子は唇を離して、掴んだままの腕を振り解く。


    「やめてください!!」
    そう言いながらカウンターから回り、東海林の目の前まで近づいてくる。


    「もう、遅いんです。13年も経って、あなたもその間結婚したんです。私も結婚したいと思う人もいましたし、プロポーズもされました。そういうことです。」


    オフィスで見せる、攻撃的な目で春子は言い返した。
    心とは裏腹の言葉に東海林は気がつかない、こう言えばきっと諦める、そう思って。


    東海林はそんな春子を心痛い表情で見ている。いつもならすぐ『とっくりは黙っとけ』と言うくせに、何も言わずただ目で訴えるように見つめ続けている。

    早く、諦めて帰って欲しい、そう言いたいのに春子も言葉がでなくて固まったままだ。



    そんな2人の沈黙を破ったのは、東海林のスマートフォンの着信音だった。
    お互い肩を上げて東海林の鞄に目を向ける。

    東海林は素早く取り、画面を見る。


    そして、拒否ボタンを押してすぐに鞄へ戻す。


    仕切り直すように、東海林は春子に目線を戻した。


    「悪い、今日はもう帰る。でも、これだけは言っておく」


    何を言うのか、春子は身じろぎ東海林を見つめる。



    「結婚したのは、お前を忘れるためだ。でも、忘れられなくて、離婚したんだ。あれから今までも…これからもずっと、こんなに好きなのは…きっとお前だけだよ」








    店内のあかりをけして、春子は東海林の座っていた椅子に腰掛けていた。

    掴まれた腕のぬくもりがまだ残っているような気がした。
    昔、エレベーターで助けられて、強く握ってくれたことを思い出しながら、ただ静かに涙を流していた。






    もう、これ以上側にいるのは耐えられない。








    明日の商談の打ち合わせにS社に出かけていた東海林が
    12時過ぎにオフィスに戻ると里中の席は空席になっていた。

    「あれ?賢ちゃんは」
    オフィスに残っていた亜紀に、東海林は尋ねた。
    「トラブルがあったみたいで、浅野主任と出かけていきました」
    「そうか…ありがと」
    困ったな…と、東海林は思った。出先の帰りにちょうど八重洲ベーカリー前を
    通ったので、里中と食べようと二人分買ってきたのだ。
    一人で食べきるには少し多い、ただでさえ最近胃もたれがひどいので
    ジャンクなパンは3個が限界だった。

    東海林は財布を持って休憩に入ろうとする亜紀を見つめて話しかける。
    「なぁ、福岡くん。お昼今からだよね?」
    「はい、今日は小夏ちゃんが休みだから社食で済まそうかと思って」
    「よかったらパン食べない?賢ちゃんに差し入れと思って買ってきたんだけど
    いないからさ、まぁついでみたいで悪いんだけど、俺のおごりで…」
    「え…いいんですか?じゃあ私コーヒーおごります
    よかったら向こうのテラスで食べませんか?」
    素直に答えてくれる亜紀を見て、とっくりもこれだけ謙虚な態度を取ってくれたら
    楽なのにーそう思った東海林だった。

    テラスは人がまばらで日除けの木々が濃い影を落としている。
    高層階だからか、風が吹いて心地いい。
    テーブルに座り、焼きそばパンとメロンパンとブリオッシュを二個づつ取り出す。
    「焼きそばパン!ひさしぶり~」
    「ここの焼きそばパンは絶品なんだよ、昔から賢ちゃんとよく食べててさ」
    「いただきます」
    手を合わせて、亜紀は焼きそばパンを頬張った。
    もぐもぐと味わい、口についたソースを指で拭き
    「美味しい!糖質おばけだけどこれはハマりますね」
    無邪気な顔で焼きそばパンを食べる亜紀に、東海林は妹のような親しみを感じた。
    「最近の子は糖質糖質、押えすぎだと思うんだよね。炭水化物は脳にも
    大きなエネルギーを与えるし、働く者には必要不可欠な栄養分だと思ってる」
    「ああ…だからうどん押しなんですね!」
    「いや、そうってわけじゃないんだけど…確かに食べることは生きることだからな」
    「私たちの提案も…受け入れて下さってうれしかったです」
    亜紀に言われたとき、前に話していたお礼の話を思い出した。
    「ああ、そうだ。今度飲みに行くって約束。いつにしようか」
    「私はいつでも、大丈夫です」
    「そうだ、祐太郎くんも誘おうか。福岡くんといい感じじゃない?」
    東海林は何気なく、そう口にした。そのとたん亜紀の表情が曇り始めた。
    まずいことを言ったのか、と東海林は口元を押える。
    その時風が葉を揺らし、立てていたパン屋の紙袋がパタンと倒れた。
    亜紀は東海林のふわふわした髪を見つめて、深呼吸をして吐き出す。
    「私は……東海林課長のような仕事のできる人が好きです」



    その後は、よく覚えていない。何となく深く追及するのが怖くて
    黙々と食べた後、亜紀はメイク直しをするといって席を立った。
    恋愛なんてご無沙汰だったので、どう返事したらいいかわからず
    仕事が終わり、気が付くと春子の店に向かっていた。
    バスを降りて、薄暗い路地を歩くと前にいた居候先よりも広々とした
    スペインバーの入り口に立つ。
    春子はいるのだろうか、胸を落ち着かせながら重い扉を開いた―。





    ―自分の本当の気持ちにはとっくに気が付いていた。
    でも、素直になれなくていつも春子の前では天邪鬼でいてしまう。
    そんな自分が正直に春子へ思いを告げられた。
    振られてしまったが、なんだかとてもすっきりする。
    そうだ、あいまいな態度が一番相手を不安にさせる。

    東海林は春子の店で着信のあった、亜紀のスマホに電話をかけなおす。
    着信音が鳴ると、すぐに通話時間が表示される。
    「もしもし…福岡です」
    「ごめんな、さっきは取り込み中で出られなかったんだ」
    「そうですか、忙しいのにごめんなさい…」
    電話口からはかすかにテレビの音がする。誰かが笑っているのが分かるほど
    お互いしばらく黙ったままでいた。
    その沈黙を破ったのは、亜紀だった。
    「今日言ったこと…ちゃんと言ったほうがいいかなと思って…好きなんです」
    春子よりも、若くて素直で美人なハケンに告白されている。
    昔の自分なら浮かれて二つ返事でYESを返したのではないだろうか。
    でも、彼女には申し訳ないけれど、全くうれしくはなかった。
    むしろこんなダメおやじを好きだなんてどうかしていると申し訳ない気持ちになった。

    「ごめんな、おれとっく…大前春子が好きなんだ。振られたけど」
    「え…振られた?」
    「でも、だからってほかの誰かと付き合うのはもうしたくない」
    「…私じゃ大前さんの代わりにはなれませんか?」

    「ごめんな、あいつの代わりはどこにもいないんだ」
    気が付くと、テレビの音は消えている。
    言葉が交わされないまま通話時間はどんどん進み電話を切ったのは
    15分後だった。



    翌日は汗ばむような初夏だった。スーツもそろそろ夏用に変えないと暑すぎる。
    東海林は背広をはたきながら会社への通りを歩く。
    春子とのことを考えると、気まずい気持ちもあったが
    いつものように話しかけられるだろうと、今日はどんな髪の毛の
    ネタをいじられるだろうかーそんなことを考えながらエレベーターに乗り込んだ。
    箱が上に向かうほど心臓が逸る。
    そしてオフィスへと足を滑らせると、奥で何か神妙な面持ちで話す里中や
    ハケンたちの姿が見えた。
    何かあったのかと、足早にその輪に入るとすぐに違和感に気が付いた。
    春子の席が空席になっている。
    里中は捨てられた子犬のように東海林に寄り添い話しかけた。
    「大前さんが、急に契約解除したらしいんだ」


    あの日の記憶がフラッシュバックした。
    いつも仕事は最後までやり遂げるあのお自給ロボットが
    自発的にいなくなる。
    それはもう二度と会えないことだと、東海林はわかっていた。
    けれど、今日は大事な商談がある。
    今すぐ向かいたいのに足が動かない。
    「東海林さん、東海林さん」
    人形のように固まって動かない東海林を心配した里中は東海林の肩を叩きながら声をかけた。
    「ああ、そうか…そうなんだ…へぇ…」
    東海林は鞄をデスクに置こうとする、けれど焦点が合わず鞄は床にポスっと落ちた。
    「あれ…どうしたんだろうな…老眼始まったかな…」
    東海林は前屈して鞄を拾いあげる。
    明らかに動揺していると自分でもわかった。
    けれど、今探しに行くわけにもいかない、自分には仕事がある。
    だけど、今探しに行かないともう二度と会えなくなることもわかっていた。
    そんなジレンマに苦しめられながらも、鞄から資料を取り上げファイル立てに入れようとしたその時。

    名古屋でもらった、頑張ったで賞の賞状が目に入った。



    「賢ちゃん、商談遅れるからなんとか繋いでいてもらえないかな?」
    東海林は里中にそう伝えると、里中は顔を明るくして
    「東海林さん…わかったよ」
    その返事を聞き終える前に、足は春子に向かっていた。
    エレベーターなんか待っている暇はない、非常階段を駆け下り
    一気に下まで向かう。
    普段運動しないので息切れして途中でギブアップしそうだったが
    火事場の馬鹿力だろうか、気が付けばロビーにたどり着いていた。
    自動ドアを抜けタクシーを捕まえる。
    「すみません、羽田まで―」
    そう言いかけて、言葉を止めた。
    きっと海外に行ってしまっただろうと空港に向かおうとしたが
    海外に行くための手段はもう一つある。
    もう、自分の勘を信じるしかなかった。
    「お客さん、羽田でいいんですー…」
    「やっぱり成田で!!」


    スマホでフライト情報を検索すると第二ターミナルにマドリード行きの
    フライトがあった。
    もちろん羽田にもバルセロナ行きの便はある、けれど12年前のすれ違いを思うと
    自分が思っていた場所と違うところにいるんじゃないかと思えて
    とにかく自分を信じるしかなかった。
    国際線ばかりなのもあって、ターミナルは広すぎる。
    この中で春子を探すだなんて、超能力でもない限り無理だろーそう思いながら
    スペインへ行く航空会社のカウンターに向かった。
    人が交差する中、走りながら考える。
    振られたのに追いかけてきてどうするつもりなのか。
    でも、昨日の春子の目を見て、一筋の望みを賭けていた。
    春子は、自分の気持ちに素直になれていないのではないか―。
    搭乗手続きのカウンターにつき、あたりをくまなく見渡す。
    椅子に座っているロングヘア―の女性を見つけると前に回り顔確かめる。
    何人も見ていくと怪しそうな視線を向けられたが、そんなことは構わず
    前列確認する。けれどどこにも春子はいない。

    どこに、いや、もう飛行機で旅立ったかもしれない。
    焦る気持ちが東海林の額に汗を浮かばせる。
    次はどこを探したらー左右を見渡しながらふと奥のほうを見つめると
    ある小さな定食屋が見えた。

    そこののぼりには「大人気!鯖みそ定食」と、書かれている…。


    東海林はまさかな…と思いながら、その店に近づいていくと
    一人の女性がのれんを潜って店外へと出ていた。
    その女性と目が合った時、なぜか時間が止まったような気がした。




    「とっくり…!!」





    春子は動転しているのか、暖簾を持った手を放さずにいる。
    そんな春子に東海林は駆け寄り、目の前に立った。

    「お前…契約期間終わってないだろう。また勝手にどこかへ行くのか?」
    「私は契約解除させていただいたのでもうあなたとは―」
    東海林は春子を抱きしめた。

    「行くな、行かせない…絶対離さないからな」
    右手を春子の肩に当てきつく抱きしめる。
    これ以上押えられたら息ができないほど。
    「私はこれからスペインに…」
    「じゃあ俺も一緒に行く」
    「あなたパスポート持っていないでしょう?」
    「じゃあ取りに行くから一緒に行こう」
    「なんで私が付き合わなきゃいけないんですか」
    「お前のせいで、俺の人生めちゃくちゃなんだ。お前がいないと幸せになれないんだ」
    「ば…ばっかじゃなかろうか、あなたはもっと幸せになれる人がいます」
    「いないって言ってるんだから、分かれよ!」
    気が付くと目から涙があふれていた。
    それは自分だけじゃなくて、春子もだった。

    周りから視線を感じていたが、そんなこともお構いなく
    東海林はずっと抱きしめ続けた。
    そして、耳元にこんな声が届いた。


    「私を…一生雇っていただけますか?」











    ―1年後。
    東海林はマンションを購入した。都心から少し離れていたが
    穏やかで店も多く会社までも電車一本でいくことができる。
    その部屋でパソコンをいじりながら東海林はあることを調べていた。
    すると、隣の部屋から叫び声がする。
    「どー――――ん!!!」
    思わず体が飛び上がった。
    急いでその場所に向かい
    「春子、どうしたんだ!?」
    そこには、大きなお腹を抱えながら倒れこむ春子がいた。
    「う…産まれる」
    「ええっ!!まだ予定日じゃ…」
    「早く陣痛タクシーを!!!!」
    どすの利いた声で命令され東海林は
    「はいっ!!!」
    そう返事して電話で事前に申し込んでいたタクシー会社に連絡を入れる。
    「すぐ来てくれるって、おい、大丈夫か?」
    背中をさすりながら東海林は春子の汗を手で拭う。

    「もし出そうになったら…ここで産みます!!」
    「ばか、そんなの無理だろうが!!」



    「助産師の、大前春子です!!!!」
    なんかこんなシーン、昔にもあったよな…と思ったが
    とにかく今は無事に我が子が産まれるようにと願うしかない東海林だった。


    そんな二人の横の棚には、頑張ったで賞の賞状が飾られ
    まだ中身のない写真立てが誇らしげに立っていた。

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