リグレットわたしの両親は幼い頃に亡くなった。
ある日突然、別れを告げることもできず。
いつも一緒にいるのが当たり前だった。
「ありがとう」も「大好き」も
もっとたくさん言えばよかった。
そんな後悔を抱えて生きてきたのに、わたしはまた同じ事を繰り返そうとしている。
居候する店に、くるくるパーマと里中課長がやってきた。
わたしが働く店にわざわざ来るなんて、暇人だと呆れる。
そんな仲の良い姿なんて見せないで。
また、あの頃を思い出してしまうから。
くるくるパーマはウイスキーをロックで割り、里中課長は白ワインを飲んでいた。
2人とも歳のせいかシワは増えたものの見た目は昔とほとんど変わらない。
2人とも酒に強いのか一杯呑み終わろうとしていてもシラフのように、くるくるパーマは饒舌を繰り広げる。
「とっくりはさ、相変わらず仕事で働いて、夜も働いて、一体いつ寝てるんだろうね。やっぱりロボットなんじゃないか?」
「私はここに居候しているので店の手伝いをしているだけです。フラメンコも趣味で踊っているだけなので」
グラスを拭きながらハエを追い返す。
「大前さんはすごいですね、でも働きすぎて体調を崩してもいけないので、休む時は休んで下さい」
里中課長は、相変わらず草食系と言うのか、優しいという言葉が似合う人だ。
くるくるパーマとは大違い。
「それでは私は失礼します、お二人と早く帰って下さい」
目も合わせずわたしはカウンターからスタッフルームのドアを開けて強く閉めた。
「…あれが客に対する態度か、本当に」
「まあまあ、なんだかんだいって僕たちと話してくれてるんだよ」
ドア越しから声が聞こえてきた。
わたしは耳を塞いで奥のロッカールームに向かった。
部屋に戻り、服を乱雑に脱ぎベッドに投げる。
椅子に腰掛けると、目の前の写真立てがそっと呼びかけた。
「眉子ママ……」
わたしもその穏やかな笑顔に返事した。
眉子ママは、わたしを自分の子供のように可愛がってくれた。
息子のリュートとも歳は離れていたが、姉弟のように接していて、2人は程よい距離でわたしを受け入れてくれた。
そんな眉子ママは数年前に亡くなった。
病気でどんどん弱っていく様を見ているのは辛くて苦しかった。
最後の会話をした時のことはいまでも覚えている。
「春子、あなたが幸せになることは…誰かを幸せにしていることなのよ」
「ママ、私は幸せよ。でも、ママと離れるのは辛いよ…」
幸せと辛いは似ている、とだれかが言っていた。眉子ママはああいっていたけど、わたしは幸せになることは誰かを辛くしていると思う。
それならどちらも選ばす平々凡々で生きてる方が楽なはず。
わたしは昔からそうやって生きてきた。
後悔なんてしていない。
翌日、会社につき体操をしていると
その横でくるくるパーマが他のハケンに話しかけている。
若くて可愛い女子に鼻を伸ばしてバッカじゃなかろうか。
「コーヒーはね、暑い国で作られるから飲むと体温を下げる効果があるんだよ。逆に紅茶は寒い地方で取れるから体温を上げる効果があるんだ。だから暑い時はホットでもコーヒーを飲むといいんだよ」
「そうなんですか?知らなかった〜東海林課長、さすが年の功って感じですね!」
「千葉くん、俺はまだアラフォーだからね。
まぁ君にとったらお父さんと変わらないだろうけど」
「アラフォーとぼかさず、ハッキリと45歳だと言えばどうですか?KPM45課長」
わたしは嫌味な言葉で攻撃した。
「AKBみたいに言うな!!お前こそ何歳なんだよ」
「100歳です」
「だから嘘をつくな、嘘を!!」
すると始業のチャイムが鳴る。
私はそそくさとデスクに腰掛け
「さっさと働きなさい!!」
パソコンを起動させパスワードを入力させる。
「言われなくてもわかってるよ!!ばーか」
くるくるパーマはその後里中課長に話しかけて、打ち合わせに向かっていった。
わたしは変わらず部長に頼まれた調査書を作成して、迅速にデスクの上に置いた。
そして振り返り席に戻ろうとすると、目の前のくるくるパーマのデスクから何か落ちていることに気がつく。
A4サイズの紙が一枚、椅子のキャスターの横に倒れていた。
拾い上げてそれを見ると、ただの社内報のお知らせだった。たいしたものではないので、少し荒れたデスクの右側に置いて席に戻ろうと思っていた。
ところが、あるものを目にしてしまい
わたしは一瞬呼吸が止まってしまった。
ファイル立ての端に、12年前に名古屋でもらった社内でがんばったで賞の賞状がそこにあったからだ。
「トイレ行ってきます!!」
わたしは声を張り上げてオフィスを出た。
ここにいたら冷静でいられない、落ち着け、落ち着けと言い聞かせて
足早に人気のない非常階段へ。
足を止めると、一気に涙が溢れてきた。
「……っ、…ううっ」
どうして、あのくるくるパーマはいつもわたしの心をかき乱してくるのか。
旭川にいた時も突然電話をかけてくるし。
あの時も心の準備が出来ず、隣の席の浅野主任に押し付けて帰った。
本社に戻ってきた時も、挨拶の時にわたしを見つめてくる、わたしはずっとくるくるパーマを睨みつけていたのに、それでもずっと目を逸らさず見つめてきた。
わたしのことをまだ忘れていないのか、諦めの悪い男だ。
わたしと一緒になっても幸せにはなれないと知っているのに。
くるくるパーマがわたしを思えば思うほど、わたしは辛い。
私に、辛いを幸せに変えるための一本線なんてない。
早く、早く涙を止めよう。
そうしたらまたいつもの心を閉じ込めたままの私に戻れる。
わたしは自分の蛇口をきつく止めて、涙を拭き階段を登っていった。