東京は夜の7時2015年、東海林は東京出張のついでに久しぶりに「カンタンテ」に足を運んだ。
今は旭川に移動になり、ますます東京から遠のいている。
止むことのないネオンに泥臭い空気、久しぶりの東京は少しだけ違って見えた。スカイツリーも本社にいた頃は建設中で塔の先すら見えなかったのに。
「カンタンテ」に行く理由はただひとつ。春子に会うためだった。
またプロポーズしようなんて気持ちは毛頭ない。ただ久しぶりに会って名古屋で世話になったお礼を伝えたいだけだ。突然訪ねてきて春子はどんな顔をするだろうか。やっぱり睨みつけられて「お帰りください」なんて言われるかもしれない。眉子ママにも久しぶりに会いたいな、あの息子はいけ好かないがちょっとからかってやるか。
そんなことを思いながら、表通りを抜けてカンタンテへ向かう路地裏を1分ほど歩いたらー。
カンタンテのあった場所は更地になっていた。
隣にあった酒屋の店員がたまたま通りがかったので尋ねると、2年前にママが亡くなり店を閉めて土地も売ったらしい。ここは近いうちに建築事務所が建つそうだ。
東海林はお土産にと買ってきた六花亭のバターサンドの袋を抱えて、駅へと引き返した。
左手を目元にやると腕時計は7時を指していた。
お腹も空いてきたがどこにも入る気になれない。
早く春子に会いたいー。
そんな気持ちを抱えたまま途方に暮れる。
お礼を言うだけなんて嘘だ、本当は春子に会いたかった。抱きしめてキスして今度こそ本当に愛してると伝えたかった。
眉子ママが亡くなったと聞かされたのもショックだった。プロポーズした時、とても嬉しそうな顔をしてくれていた、後で聞いた話だが自分と春子を応援して背中を押してくれていたらしい。眉子ママにもお礼を告げたかったのに…もっと早くくればよかったなんて、後悔先に立たずだ。
上野駅の不忍口に着くと、人が波のように押し寄せてくる。こんなにも人がいる東京で手掛かりのないまま春子を見つけ出せることなんてできるわけがない。
東海林は断腸の思いで予約しておいたホテルへと向かった。
同時刻、あるホテルのフロントでは
「いらっしゃいませ、ご宿泊のお客様でよろしいですか?」
「お荷物お持ちいたします」
「こちらカードキーとなっております」
テキパキと動きながら、仕事をこなす女性がいた。
その女性は宿泊者リストを確認しながら、ある名前に気がついた時に厳しい表情を浮かべた。
「店長、急に気分が悪くなったのでオフィスの仕事に移ってもいいでしょうか?」
「え?大前さん大丈夫??しんどいなら帰ってもいいよ」
「いえ、大丈夫です。まだ事務仕事も残ってますし…」
「いやぁ、よく働いてくれるね。まぁ無理せずに。チェックインするお客様も今日は少ないし下がっていいよ」
「よろしくお願いします」
その女性、大前春子は礼を告げると足早に事務所へと下がった。
そして数分後、東海林がそのホテルのロビーへとやってくる。
東京は夜の7時、嘘みたいに輝く街で2人はまたすれ違っていた。