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  • 幼年期の終わり #ヘタリア  #味覚音痴コンビ  #アルアサ  #腐向け

    タイムスリップをして現代にやってきた若メリと相手をするイギと兄ちゃん。

    幼年期の終わり







    ステージで最近人気が出てきたシャンソン歌手がライトを浴びて優雅に歌っている。客のざわめきも混じりBGMを背にフランスは数人と一緒に飲んでいた。ワインも数本空になり、皆気持ちよく酔ったまま会話を楽しんでいる。ここに雰囲気ぶち壊しの酒乱がいないことがフランスにとって天国といえる所以だった。

    「――本当に素敵な夜ね。もうちょっと静かなところに行かない?」

    「静かな夜にしたいの?」

    「まあ」

    上機嫌のフランスが爽やかな笑顔をきめた瞬間、ポケットから夜の女王が地獄の哄笑を立て始めた。一気にシャンソンの世界から現実に引き戻される。

    「げ。眉毛の呪い」

    無視しても後が恐いので渋々取る。にこりと女性に笑みを向け、慌てて通話のボタンを押した。

    「スクランブルだ!!」

    途端にがなる喚き声に優雅な耳が壊された。

    「おいヒゲ反応しろ! スクランブルだ!!」

    「は? お前が滅ぶなら全世界が歓喜するんだけど」

    イギリスの声の向こう側からは雑音がほとんど聞こえなかった。きっと自宅か仕事先の屋内だ。

    「ちっげえよ! いいから戦闘準備してエプロン持ってこっち来い! 今すぐだ!!」

    無茶言うな。俺は今シャンソンのムード全開なお店で、ムード全開な可愛い子が隣にいて、と文句が一挙に湧いて出る。お前にいちいち構ってられるほど暇じゃあないの、分かって?
    「おにいさん、お前みたいにエプロンが戦闘服じゃないのよ、その残念な頭で納得してね」

    「いいから来い! 世界の危機だ!」

    なにこいつ。口説いていた女の子が目の前でグラスを干す。つん、と腕をつつかれた。

    「……いま俺も世界の美女を前に危機なんだけど」

    「あきらめろ! お前に笑顔は似合わねえよ!」

    あまりの言い草に思い切り電源を切る。

    「あ、あの」

    慌ててフォローしようと向きなおったがその前に魅惑的な美女はにこりと微笑んで手を振っていた。

    「あ、ああー……」

    がくりと項垂れたフランスに同情してくれる優しい友達が「お前の不幸に乾杯」と新しくワインを開けていた。


    「もう勘弁してよ! 折角可愛い子だったのに! 身体の相性だって良さそうだった! 魅力的なボイン!! お前歌えないだろ愛の讃歌!」

    「うっせえな! 女に向ける煩悩にカロリー消費する前に世界を救う気になれ!」

    ああいえばこういうでイギリスはまったく反省の色も見せずフランスを迎えた。

    「誰もてめえにエプロン姿でワルサー構えろとか言ってねえだろボケ! てめえの頭の中は洋なしのコンポートでも詰まってるのか?」

    「状況報告! 状況報告だ隊長(ナンバーワン)!」

    「その世界一(ナンバーワン)が問題なんだ!」

    ああ、愛しの可愛こちゃんはまだ探せば見つかるとして、こんな可愛くない眉毛に拘束されちゃうお兄さんって。素敵なおっぱいに魅惑的なふとももだったのに。

    通された部屋には先客がいた。彼らしくない落ち着いた服を着たアメリカがソファに座っている。

    「待たせた。ヒゲ連れてきた」

    「……」

    反応はない。

    「こいつがどうかしたの?」

    「よく見ろ。こいつおかしくね?」

    「へ」

    じろじろと観察されてもアメリカは顔を強張らせたまま黙っている。まるでこちらとの距離を測りかねているようだった。彼にしてはらしくなくてあれれとフランスが目の前で手をひらひらと振った。

    「きみ、誰?」

    警戒の目で見あげてくるアメリカの反応にフランスが固まる。

    「どうかした? お兄さん、お前と喧嘩した憶えないんだけど」

    「そいつ、なんか今の記憶がないみたいなんだ。妖精さんの仕業かな?」

    「マジで。おーい、こんな美形なお兄さんの顔忘れちまったのか? フランスじゃないか」

    「……フランス?」

    いぶかしげな眼差しが瞬く。イギリスをちらりと見て、それからまた視線を戻した。

    「やけにおっさんになったもんだね。老けても好色さはなくなってないみたいだけど」

    毒のある物言いにフランスが目を剥いた。ちょん、と彼が襟を叩いてみせたので慌てて自分の襟を確認すると口紅がこびりついていた。イギリスが隣で肩を竦める。

    「老けたって……酷いなあー。大人の色気が分かってないようだね坊主。それにこいつだって同じだぞ?」

    横にいる眉毛の太い紳士も女好きなのには変わりないからそう自分ばかり責めないでほしい、若者よ。

    「イギリスはそうたいして変わってない。童顔だし」

    「あー……うん」

    「うるせえ」

    飲み物用意すると彼が踵を返した。「エールでいいな」とやや乱暴な足取りで台所へと消える。何が起こってるんだと事態を把握するために、妙に態度がよそよそしいアメリカに小首を傾げて愛想笑いをした。

    「それにしても野暮ったい服着てるな。野良仕事でもしてきたの?」

    「人を殺す仕事ならしてる」

    眼鏡越しにギロリと睨まれる。茶化されたと思ったらしい、テーブルの上に置いてあったカップは空で、茶うけと思しき皿も綺麗に片付いていた。

    「えーと……そういやお前ちょっと縮んだ? ようやくダイエット成功したの?」

    「きみが正真正銘のフランスだというんなら」

    青年がゆっくりと足を組み替えた。気安く近寄るなとその視線は尖っている。

    「肉がたるんだね」

    その一撃でフランスは多大なダメージを受けた。



    「イギリス! おいおいおいアレなんだよなんなんだよ!!」

    俺の知ってる可愛いメタボじゃない! フランスが逃げ込んだ台所で紅茶を淹れているイギリスに泣き声を上げた。砂時計が音もなく落ちている。蒸らす間に彼は冷蔵庫を開けた。

    「何? ガラスのハートのティーンじゃないんだから! ギザギザハートなの!? 触れたら割れるの!?」

    「いや、ガラスのハートのティーンみたいなんだ」

    エールの瓶を二本出したイギリスが次にサラミを切り始める。彼が言いたいことが分からなくて、フランスは黙ったままその様子を見守る。え、どういうこと? 記憶障害か何か? イギリスも動揺しているのか、サラミの厚さがばらばらだった。

     あいつ、と口火を切る。ダン、ナイフが使いこんだ木のまな板にぶつかって、止まった。

    「あいつ、いつもは文句いうのにスコーン出しても黙って食ってるんだよ……」

    「なんだ、のろけかよ」

    「いや、今日は粉の配分ちょっと間違えたし、うっかり砂糖入れるの忘れちまったから失敗作なんだ。それを何も言わず食ってるんだよ。ちょっとおかしくね?」

    「お前の作品はいつだって失敗作だからね」

    「茶化すな」

    そこで、ふー、と大きく息を吐いてイギリスがテーブルに手を突いた。

    「ていうかなに? いつからあいつおかしいの?」

    「昨日の夜に喧嘩してあいつが出ていったと思ったら、今日の夕方になって書庫で倒れてるの見つけたんだ」

    彼らが喧嘩をするのはいつものことなので、ふむと頷く。書庫って、いつから倒れていたんだ?
    「鍵を渡したのは俺だから、書庫に入れたのは分かる。でもまさかあいつが倒れてるだなんて……」

    「ちょっと待て。そのタイムラグの間、お前は何してたんだ?」

    「朝ちょっと遅めに起きて飯食ってスコーン作って庭仕事してたが」

    「アメリカは前夜に出てって、今日の夕方に書庫で見つかったの? それ、どういうこと?」

    その間、アメリカはどうしていたのだろうか。まさかそこで倒れていてずっと放置されていたとしたら大変だ。まあ、そのくらい放っておいても死にはしないけどね、と経験者は生ぬるく笑うだけなのだが。

    「俺も、書庫を確認したときは鍵がかかっていたし、その鍵もテーブルの上に置いてあったから、中までは入らなかったんだ。……あいつも勝手に帰ったと思って」

    「放置プレイ……」

    「うるせえな。そんで、落ち着いてからあいつと喧嘩した原因を確認しようって腹括って見に行ったんだ」

    「そしたらアレがいたの?」

    「なんか最後に見たときと服装が違ってたし目方も違ってたからなんだと思って起こしたら……アレだよ」

    イギリスはぱっと見ただけでアメリカの体重がだいたい分かる能力を持っている。会うたびに「太ったな」とか「お前、最近ちょっと痩せたか」とさらっと口にしてはアメリカの動揺を誘うのが得意だ。

    「うーん。意識はどうなの? 記憶障害?」

    「俺の知ってる妖精さんがどうやら見てたらしいんだよ。そいつが言うには」

    そこでイギリスが口をつぐんだ。迷っている。別にお前が非科学的なことをいうのは今に始まったことじゃないんだし頭の心配するのは今はアメリカの方なんだからと促すとエールの蓋を腹いせのように一息で開けた。

    「――タイムスリップして今のアメリカが昔に飛ばされたってさ」

    「そらまたファンタジーな。……で? アレは?」

    「代わりに『裏返された』過去のアメリカ、だろうな」

    わあ、時代によっては面倒なことになりそうね。

    砂時計が落ち切るのを察してイギリスが温めていたカップの中のお湯を捨てる。

    フランスは内心頭を抱えながらエールの封を開けた。



    「待たせたな」

    客間に戻ると寸分たがわぬ姿勢でアメリカはソファに座っていた。あれからちっとも動いていませんという顔だ。目の前のローテーブルにイギリスがポットとソーサーを置く。慣れた手つきでカップにお茶を注いだ。

    ふわりと甘い香りが立ち上る。桃のフレーバーティーのようだった。笑顔でアメリカに勧める。

    「ピーチジンジャーティーだ。これでまだ寒いようなら酒持ってくる」

    イギリス自身はエールをグラスに注いでぐいっと飲んだ。酔うとさらに事態はややこしくなるので隙を見て瓶を奪おうとフランスもほどよく冷えたエールを流し込む。勝手にワイン探して開ければよかった。

    「……酒はそんなに飲まない」

    じっとカップを凝視しながらアメリカが硬い声を出した。コーヒーが飲みたい云々のいつもの台詞が出てこない。イギリスも首を傾げていた。

    「飲まないの?」

    「俺、猫舌だから」

    熱いのは飲めないんだ、むっつりと真面目に答えられて、イギリスがへにゃりと表情を崩した。

    「お前、可愛くなったなあ」

    「どこが。さっきこいつ俺に暴言放ったって」

    フランスの文句もイギリスの耳には届いてない。

    「その、可愛いっていうのは止めてくれる? もう大人なんだから言われたくないぞ」

    そこでフランスもつい陥落してしまった。

    「いい大人はそんなこと言われても余裕でいなすよ~。なんだ、お前いま何歳? どこの時代から来た? ん? んん?」

    アメリカがさっと青ざめる。勢いよく顔を上げるとイギリスと視線を合わせた。(こういうときでもイギリスしか目に入ってないんだから、こいつは筋金入りだよね!)お兄さんのツッコミも二人には効かない。

    「なんでイギリスが俺の相手してくれるの? もしかして何か俺をはめようとしてる? フランスも、ヒゲなんか生やして気持ち悪い! 俺を元の場所に戻してくれよ!」

    「元の場所ってどこだ?」

    「ワシントンD.C.だ! 欧州のきみたちに比べれば大したことないかもしれないけど、俺だって大事な集まりくらいあるんだぞ」

    アメリカの本宅はそういえばワシントンD.C.にあるんだったとフランスが思い出す。普段はNYに詰めているのであまり行ったことはないがイギリスは普通に泊ってそうだった。(なんだかんだいってこいつら仲良いし)

    「それで? お前の記憶は何年で止まってるんだ」

    その言葉にさらにアメリカの顔が青くなる。老大国二人相手とはいえ、自分の記憶が未来において止まったままだということがショックだったらしい。

    「あ、あー……その、タイムスリップって知ってるか? お前、『裏返って』未来に飛ばされて来たんだよ」

    「じゃあ、俺が何かの原因で冬眠している間にきみたちが年食ったっていうわけではないんだね?」

    そっちの方が恐いわな、想像したフランスが「おお恐」と身を震わせながらエールの残りをグラスに注いでごくごくと飲んだ。

    「特定されてももう俺たちには過去のことだから大丈夫だぞ」

    「今の俺に何かしたら変わるんじゃないかい」

    「なんと」

    アメリカは思っていたより利発だった。イギリスが興奮した調子で「おいおいおい」と揺さぶってくる。

    「こいつ、ハンバーガーで頭やられた今より知恵回るぞ! この警戒心見たかよオイ? 野生のアメリカだ!」

    振り回されながらフランスが「あーもう!」とグラスから零れた液体が絨毯を濡らすのを目で追った。お前がやったんだから知らないよ、ああ、本当にもう。

    「じゃあヒントだけでも。今のアメリカがどこに飛んだか、少しは知っといた方が後あとネタにできるだろ?」

    テキサスをかけているものの知っているより少し若いアメリカは非情に嫌そうな顔をした。フランスがおもむろに両手を伸ばしてささっと脇腹を触る。「わっ!」がっちりとした身体は最後に測ったときよりも細かった。過剰に反応したアメリカが身を竦め距離を取る。

    「イギリスが相手にしていないってことは、最近の話じゃないってことだな」

    ふむ、フランスが推察するのと同時にイギリスの拳がボディーに決まった。

    「アメリカに触るんじゃねえよ!」

    「この馬鹿眉毛……」

    唸りながら痛みに耐える。我慢しろ。ここで喧嘩したらアメリカの問題が先送りになるだけだ。お兄さんなんだから我慢我慢……ぎりぎり歯噛みしながら耐える。

    「きみたち、相変わらず仲良いんだね」

    真顔でアメリカが吐息を洩らす。え、今このガキなんつった? じんじんする腹を抱えながらフランスが逃げるのをイギリスは追ってこようとはしなかった。

    「仲良くなんかねえよ!!」

    真っ赤になったイギリスが訂正するがアメリカはテーブルの上のカップを取ってようやく温くなった紅茶を飲み始めた。

    「別に。気にしないから」

    (いやいやおめえ、思いっきり気になってるじゃねえの。このクソガキ)

    つん、とイギリスの言い訳を聞き流して身体だけ大きいアメリカがくーっと干す。ぱしぱしと瞬きをした。

     「美味しい」

     「当たり前だ」

     「イギリスが淹れてくれたんだものね」

     続くイギリスのお決まりの台詞を唱えたアメリカはとても懐かしそうにカップを手で包んだ。

     「おかわりいるか?」

     「うん」

     いきいきとイギリスが面倒を見るのを余所に、フランスは眼鏡の向こうの空色の瞳が元保護者を見つめるのを観察する。その目には見覚えがあった。

    (まだイギリスに振り向いてもらってない年ごろだろうかねえ……)

    「きみ、あんなに偉そうにしてたのに」

    「あ? 大英帝国様は偉いに決まってるだろ」

    うん、と素直に頷く彼が大人しく紅茶を味わっていることが違和感のかたまりだった。あのアメリカが、文句もなく、だ。

    「お前、こいつが落ちぶれたの知らないの?」

    「指差すな!」

    「落ちぶれた……? 調子悪くなったのかい?」

    「うるっせえな! 俺は今でも陽の沈まぬ国だよ!」

    不安そうなアメリカに反射で噛みつき返すイギリスの根性はすごいが、事実は事実だった。

    「無茶言うなよ、お前。童顔でもおっさんはおっさんだって。認めろって。アメリカ見てみろ、ぴっちぴちしてやがるじゃねーの」

    「手ェ出すなよ!」

    即座に牽制してくるイギリスが真っ赤になって怒っているがそれを茶化そうという気は起こらないようだ。アメリカは慎重に二人のやり取りを見ている。

    「で? 何か、スコーン食わせただけ? こいつお腹空かせてるんじゃねーの」

    「あ、え、おい! 腹減ってるか?」

    「ううん」

    ふるふると首を振ったので雑に切られたサラミを齧っていたイギリスが「ん」とアメリカの口元に運んだ。

    「え」

    固まったアメリカに「ん」とイギリスが促す。ぎくしゃくと手で受け取ると、もくもくと食べ始めた。

    「これ飲むか?」

    エールの瓶を指差す。これには「いらない」と明確な返事が返ってきた。

    「食ってあったまったら寝ちまうこったな。俺先にシャワー浴びてくるわ」

    「お前、シャワー使えるか?」

    「シャワー?」

    不意に沈黙が落ちた。そういえば、とイギリスが重々しくフランスに向き直る。

    「こいつ、トイレの水流す方法教えたら吃驚してたんだ。……湯船に湯張って入らせればいいかな?」

    「うーん、まあいんじゃね? おいアメリカ、お兄さんと一緒に入るか?」

    「あ、てめ! それなら俺が一緒に入る!」

    好色な笑みを浮かべたフランスと必死に対抗するイギリスが醜い争いをしているのをぽかんと見あげていたアメリカが慌てて手を振った。

    「一人で入れる」

    「でも、勝手が分からないだろう? 俺が洗ってやるから」

    「イギリスは嫌だ!!」

    切羽詰まった悲鳴にイギリスがダメージを受けるのをあらあらとフランスがニヨニヨ笑いで見守った。

    「なんでだよ……」

    「まあ、若いからねえ」

    意気消沈したイギリスにざまあみろと追い打ちをかける。若いアメリカが緊張した様子を崩さないのが可愛らしかった。



    結局湯船に浸かってほっこりと温まってきたらしい、シャワーは使わなかったのかと聞かれてアメリカはうんと答えた。未知への冒険をする気にはなれなかったようだ。好奇心旺盛なあいつらしくない。頭をタオルで拭いているのを見てドライヤーを持ったイギリスがスイッチを入れる。途端に響いた轟音と吹きつけてくる熱風にアメリカが悲鳴を上げた。逃げようとするのを押さえつけてがしがしと頭をかき混ぜる。フランスも手早くシャワーを使いバスローブ姿になった。

    「イギリスのまっずいスコーンじゃ涙出てくるだろ、明日はお兄さんが何か作ってやるよ」

    だからエプロンね。こんなことなら適当に食材も買ってくればよかった。まあ、冷蔵庫にあるもので最善のものを作るのも腕前の見せどころだけれどね、とようやく納得した。たまにはこの味覚音痴どもに頼られるのも気分がいい。(これが頻繁になると死ね! って思うんだけどね)

    「食いたいのあるなら早めに言っておけよ。取り寄せるから」

     「お兄さんハンバーガーはやーよ。あとピザとかシェイクの類も見たくないからね」

    「……ローストビーフ」

    ふわふわの頭になったアメリカが小さな声を上げた。

    「イギリス、ローストビーフ今でも作れる?」

    探るような目つきに小首をかしげながらもイギリスが頷いた。昔からアメリカによく作っていた料理だ。チキンにすると文句が多いので(チキンが悪いのか焼き過ぎが悪いのかは判別がついていない)アメリカが泊りに来るときはビーフの固まりを仕入れていたものだ。

    「まあ、お前がそんなに食いたいなら作ってやってもいいけど? その代わりちゃんと文句言わずに食えよ」

    「作るんならお前ら二人分にしとけよ。お兄さんはお前の手料理なんざ食いたかないからな」

    「じゃあてめえは何作るんだ?」

    「そうねー……冷蔵庫の中身確認してからでいい? あまりに酷いようだったら買い出し頼むわ」

    まだまだ寒いからあったかいものを食わせればいいな。イギリスもそうだが、フランスもこの年若い食いしん坊にものを食わせるのが嫌いではない。

    (まあ、本当の美味しさってもんが分かる舌じゃないけどね……)

    味覚オンチ二大国め。美食の国としては料理でこの二人を魅了するのは破格の待遇なのだ。それをよく胸に留めておいてほしい。イギリスはまだアメリカの相手をしたいようなので放置して台所へ戻った。

    「明日は簡単なシチューにするか」

    それなら野菜とさきほど見つかったチキンでなんとかなる。確認して客用寝室へと移動して寝た。イギリスがアメリカを心配して一緒に寝ようだのアメリカが真っ赤になって拒否してるだの、何かごちょごちょと言い合いをしていたがもう疲れていたので無視して寝た。




    朝、早く目が覚めたので二人の様子を窺った。イギリスは既に起きていたがアメリカはまだ眠っていた。いつもイギリスの家を訪れるときに使っている寝室なのか、イギリスらしくないもの(どうせアメリカが勝手に持ってきたプレゼントだろうけどね)がさりげなく飾ってあったが、それに気付くかどうかは分からなかった。まあ、新しいもの好きなアメリカが持ってきたやつなんてイギリスの好みじゃないだろうしね。好みじゃないDVDやゲームの類はここしばらく会ってないので送り返すかどうかしているだろう。そもそもそれが何かを認識できるか怪しい。イギリスが用意したのは以前アメリカが泊っている間に細々とそろえてしまった衣服だった。少し大きめのその衣服がどうしてイギリスの屋敷にあるのかあの若造はまた悩むのだろうか。

    台所へ移って朝食の用意をする。イギリスに任せるとまた貧しいご飯になって可哀想だからだ。思っていたよりも材料はそろっていたので肉の下拵えを手早く始めた。ニンジンもジャガイモも常備されているようだ。まめな性格なのに、これで食品を加工すると消し炭になるのだから違う意味で器用な奴だ。

    鶏の胸肉を切って塩コショウする。鍋に入れて白ワインをひたひたになるまで入れると火をつけた。玉ねぎの皮を剥いてざっくりと切る。同じく切ったニンジンを煮ている間にジャガイモの皮を剥いておいた。

    コンソメは市販のやつがあった。小麦粉とバターを取り出し、ホワイトシチューのルーを作る。それなりに使いこまれた鍋は内側の加工が削れたようになっていた。何度も焦がしては躍起になってこそげ落としたのだろう。何をしたらそんなになるのだろうね、と火にかけた鍋にバターを落とした。

    「おい、何作ってる?」

    「ホワイトシチュー。お前みたいに黒くないやつ。アメリカはどう? 起きた?」

    「着替えさせたら客間でぼうっとしてる。っつーか。……あんまり具合が良くないみたいだから大人しく横になってる。あの体力馬鹿がどうしたら調子崩すんだ?」

    毛布をかけてやったらそれにも反応したらしい。どれだけ優しさに飢えてるんだとぼやいていたが彼の気持ちは解らなくもなかった。(それ、お前だからだよ、馬鹿なイギリス)

    「――お前が相手してくれるのが嬉しいって、可愛いよなあー。あれ俺にもしてくれたらいいのに」

    「うっせえな。あいつにちょっかい出したらしめるぞ」

    「ならなんでお兄さん呼びつけたのよ」

    非情に不本意ですという顔でイギリスがむっつりと黙った。小麦粉を足した鍋が焦げないように手を忙しく動かしていると「だって」と柄にもなくしおらしい態度のイギリスが口を開く。

    「あいつ、妙に強がってるわりには実際世話焼くといちいち過剰反応してなんか俺じゃ落ち着けないみたいだから」

    「お兄さんは緩衝材ってわけね」

    強がってる、強がってるねえ……。まあその解釈は間違ってないだろうな。牛乳を足して伸ばし始めるといい匂いがさらに増した。イギリスなら確実に焦がしているだろう。

    「本国に帰りたいって言ってるけど、飛行機の概念がどうやら分かってないみたいなんだ。ドーバーから船が出ないかって言ってた」

    「こっちに来たことない感じだった?」

    「詳しい地名がほとんど出てこないみたいだったしな。そう渡英していないなら大戦前だな」

    うーん、と考えながら鍋を混ぜ続ける。その横でニンジンと玉ねぎを煮込んでいる鍋がぐつぐつと音を立てていた。イギリスが牛肉の固まりを取り出す。

    「まあ、あいつが所望してるんだから俺は止めないけど、食材への冒涜だからあんまり焦がさないでやってね」

    「ああ? レアが好きって聞いてないぜ?」

    「その気持ちでやった方が丁度いいかも」

    ウェルダンすぎて肉汁も油も抜けたぱっさぱさの肉は牛さんに可哀想よ、と注意するがどうせいつものように右から左にスルーだろう。お兄さんは一応注意したからな。

    「大英帝国って言っても動じなかったな」

    「いつもなら笑われるはずだったけどな」

    「ということは」

    そのくらいの時代の可能性が高いということだ。イギリスは徹底的にアメリカとの個人的な仲を排除していたし、お互いに互いを嫌われていると思っていた。

    「しっかしまあ、このタイミングでなるとはね、さすがに同情してやらなくもないよ。普段の行いのせいだな。ざまあみろ」

    「うるせえ」

    「結局何? この家にいたってことはまたくっついたの? そういや一周忌だって言ってたっけ。俺は関係ないから参加しなかったけど」

    「まあ、な」

    一時期ある理由でアメリカとイギリスの恋人関係が破たんしたことは知っていた。お互いに納得済みなら仕方ないとフランスも触れないようにしていたし、もともと二人の仲を知っていたのは彼らと関係のある国くらいのものだ。

    「――ちょっと喧嘩してな」

    不承不承に明かしながらイギリスはオーブンの火を点けた。やけに古いそれが正常に機能するのか甚だ怪しいのでフランスは使わないことにしている。ダイヤルを回しているその手つきに危うさはないがこれで温度が狂っていたらイギリスじゃなくても失敗するだろう。

    「お前って喧嘩しないと生きていけないわけ? マグロと一緒? 呼吸できないの?」

    「うっせえなてめえが存在しなかったら俺はもっと心穏やかに生きられたよ」

    「アメリカも可哀想に……」

    素直に同情する。勿論アメリカにも色々と性格上問題が多々あるが、イギリスを相手にするときの彼は分が悪い。今となってはくっついただの離れただのそういう会話ができるが、イギリスがアメリカを『そういう』意味で相手するようになったのはここ最近のことなのだ。それまでアメリカは空気が読めないわりには苦労して想い人を振り向かせようと努力をしていたし、空回りしては失敗していた。

    「あいつ、お前のこと好きだぞ。勘だけど」

    「……まじで?」

    「マジマジ。なんか俺のセンサーが反応した。愛の国なめんな」

    「もう嫌われてるとばかり思ってた」

    その根拠はどこから出てるんだと問いただしたかったがそれはむしろ当時のイギリスに忠告した方が幸せの道に繋がっていたのだろう。まあ、敵に塩を送る気はないから知っていてもしなかったけどね。フランスはこう見えても完全なヘタレでもないし、全世界公認でイギリスとぼこり合いする仲なのだ。

    (ご飯に毒を入れないのは俺の作品を穢したくないから。お兄さんの手料理くらいは世界平和のために存在しててもいいからね)

    いくら相手が顔を合わせば殴り合うイギリスでも、ご飯を食べさせればちゃんと美味いと言ってくれる。相手を料理で懐柔するのは快感だ。

    「……下味くらいつけたら?」

    「自分の好みで味付けした方がいいだろ。黙ってろ」

    肉の固まりを昨夜飲んだエールの瓶でガンガン叩いていたイギリスが「よし」とでろりとしたそれを鉄板の上に乗せた。

    「オーブン、そろそろ熱くなってるんじゃね」

    「言われなくても知ってる」

    「可愛くないの」

    「俺が可愛くてたまるか」

    実に可愛げのない態度だが、幼いアメリカを前にしたときの豹変っぷりは凄まじかったのを憶えている。きっとアメリカにとっては聖母に近いイメージがあったのだろうなと推察しつつ、それを見事にぶち壊して元弟の幻想を地に落としたのも彼自身だった。

    (まあ、冷たくした理由も分からないでもないけどね。お兄さんそんなこと言って眉毛の株上げたくないから言わないけど)

    世界の頂点に君臨していた当時のイギリスは国の威力に比例して態度がでかく、それなのにどこか憂鬱そうな陰気な空気を併せ持っていた。話しかけようとする気も失せるほどだ。喧嘩らしい喧嘩にもならず、機嫌を損ねては一方的に殴られていた嫌な記憶まで蘇ってきた。

    (嫌だわあこいつ。本気で怒ると黙って殴るんだもん。殴るっていうか、蹴るっていうか)

    そこそこ頑張って力をつけてきたアメリカに対しても全く素顔を見せなかったのはイギリスなりのけじめのつけ方だったのだろうか。下手に甘くしてもアメリカは一人で強くなれなかっただろうなというのは結果論だ。フランスは、イギリスに拒まれて空回りした挙句涙をこらえている若いアメリカを何度となく見たことがある。その弱っている心に付け込んで良い目を見せてもらったのもフランスだからだ。(基本的に眉毛の不幸は俺の幸せだしなー)今でこそ世界のお兄さんだが、愛の施行者フランスは聖人ではないのである。

    「アメリカの上司には連絡つけたの?」

    「一応、本国に異常はないか探りを入れた。特に何もないみたいだけど、一晩経っても元に戻らなかったからどうにかして話をつけるしかないな。数日でなんとかなれば怒られずに済む。それ以上になったら無理やり休暇を取るしかない」

    フランスもイギリスも普通に仕事があるのでこのままアメリカの面倒をずっと見ているわけにはいかない。さっさと戻れと念じながらミネラルウォーターを新しく開封した。炭酸がきつい。

    「肝心の妖精さんがなー。あいつと一緒に飛んだみたいで姿が見当たらないんだ」

    「ああ……そう……妖精の仕業ってことで納得しなきゃならないわけね」

    「お前さっきから何聞いてたんだよ」

    理不尽なことが起こるとそういう解決の仕方になってしまうのはイギリスの自己防衛機能なのかなあと鍋をかき回して様子を見ながら考えた。確かに非科学的な分野はイギリスのお家芸だ。アメリカがそれに巻き込まれたのは妖精を信じないものとして可哀想だが自分が被害に遭わなくてよかったと一安心してしまうのは別に悪いことではない。

    「それで? 様子見で一晩寝かせて戻らなかったんだけど。これからどうすんの? 俺仕事あるから帰るぞ」

    「てめえごとき数日いなくてもなんとでもなるだろ。スト起こしまくりのくせに」

    酷い言われようだ。お兄さんは別にスト起こしたりなんてしてないぞ。見た目はちゃらくても仕事はちゃんとこなすタイプなので非情に遺憾だ。

    「……アメリカって最近どうなの? 忙しかったりするの?」

    「あー。……少しは融通きくな。3日くらい休みとったって言ってたし」

    「その間に治るといいんだけどねえ」

    「使えそうな魔法探すから試してみるか?」

    真面目に提案するイギリスは常に真剣だ。ふざけているわけではないのだから手に負えない。

    「あのさ、……若返りしたアメリカが今度はカエルに変身してもお前愛せる?」

    「俺の愛なめんな」

    「カエルだぞ? あのげろげろ鳴いて両生類で虫食うやつだぞ? セックスの相手にするにはちょっと難があると思わね?」

    「う、うう、……犬なら……可愛いし」

    「そうだよなあカエルっつったらもう食料の域だもんなあー。……ってか、犬でも獣姦だっつの」

    同意した瞬間、イギリスの顔が引きつった。ん? 食料ガエル知らないのか?
    「まあ、これ以上事態をややこしくさせるのは止めろっつーこった。せいぜいその妖精ってやつを説得して返してもらえ」

    「お前、ようやく妖精さんの存在を信じるようになったんだな。信じるものは救われるぞ」

    「とても複雑な気分だよ」

    肉を蒸し焼きしている間、タイマーをセットしてイギリスはまた客間に戻っていった。これは何か? 俺に任せたってことか? まあ呼べばいいかと鍋の火を弱火にしてシチューの仕上げをする。勘だが、やはりオーブンの温度は設定よりも高い気がした。



    「パン焼けたぞー」

    「おし運べ」

    「お前がだ。お兄さんはシチューにしか責任持てません。ローストビーフっていうか、焼けた肉っていうか、可哀想な肉は二人で食べてね」

    「誰がてめえになんざやるかよ! でもそのシチューは食べてやる。シチューに罪はないからな!」

    うるさいイギリスをいなしてアメリカの前にシチューの深皿を置いた。湯気が立って美味しそうな香りが部屋中に広がる。アメリカの表情が少し和らいだ。ぐう、とお腹が鳴って、恥ずかしそうな顔になっている。

    「おら、俺のも食えよ」

    切り分けたローストビーフをイギリスが皿に盛って出した。素直に受け取るアメリカがそれをじろじろ見る。

    この味覚オンチが! 思わず舌打ちした。見るからに美味しそうなシチューを横に、アメリカが手をつけたのは赤いところなどまったくない縁が黒く焦げた固い肉だったからだ。ナイフとフォークで切り分ける手つきはさすがイギリス仕込みだというべきか、それにしては対象の肉が可哀想な出来だった。がつ、と食いつくと少し苦労して噛み、黙ったままもぐもぐと咀嚼している。ごくん、と飲み込んで、また食らいついた。

    「ど、どうだ?」

    「……ぱさぱさして固い」

    「うっ」

    「イギリス、まだ料理できたんだ」

    「それ、料理じゃないからな。食へのテロ行為だからな」

    親切に注釈してやっても目の前の味覚オンチ二大国は自分たちの世界に入ってしまってフランスは肩を竦め、自分の分のパンとシチューを味わうことに決めた。

    「俺だって料理くらいするぞ」

    「そんなの、昔のことだと思ってた。きみ、偉いひとだから」

    もともと俺に作ってくれたのもきみの趣向だったんだろう? アメリカが訥々と続ける。そうか、このアメリカの知っているイギリスはそんなに偉そうなやつだったのかと推察すると、やはりイギリスが頂点を極めていた時代から来たようだった。今頃飛ばされた現代のアメリカは無事だろうか。あの当時、今となりで細々と世話を焼いている甘々のイギリスはアメリカに対する態度を硬化させていたし、全く相手にしていないことを隠そうともしなかった。

    まあ、ちょっとは可哀想とは思ってたけどね。でもそれがイギリスの家族を辞めたってことなんだから世俗に塗れていないアメリカも思い知ったんじゃないの?
    基本的にフランスも他人事なのである。

    「どうかしたか? や、やっぱ不味いか? 無理しなくてもいいぞ?」

    珍しくイギリスがおろおろとしているのを余所にアメリカはもぐもぐと肉を噛み締めていた。シチューも冷えないうちに食べてちょうだいねと声をかけるもひたすら肉の固まりを片づけるのに集中している。そんなに熱心に食べるとイギリスが勘違いして調子づくんじゃないかなあとフランスは遠い目でパンにバターを塗った。もそもそと食べるアメリカを前に、イギリスは確かにうっとりしているようだった。

    「お、お代わりいるか? ていうかシチューも食えよ。あったまるぞ」

    「フランスはなんでイギリスの家にいるの? そんなに仲良いの?」

    「なっ仲良くなんかねえよ! お前が大変なことになったときに付き合ってくれそうなやつがこいつしかいなかっただけであってな! 日本は巻き込むの悪いし!」

    「日本?」

    「俺が巻き込まれるのは構わないってわけね……まあ、今さらいいけどさ……」

    相変わらずの扱いだが、可愛い時分からイギリスごと餌付けしていた仲だ。まあお兄さんそんなに良い人じゃないけどね! 元に戻ったらこれをネタにしばらくはつつけそうだ。アメリカが腐れ縁の自分とイギリスのやり合いを見ては冷たい目でじっとりと嫉妬しているのは知っている。ざまあみろと思うわけだ。力だけは立派についた若造と、それになんだかんだと付き合っているプライドの高い老大国の両方に。

    「朝っぱらから重いもん食ったな……」

    「お前はいいよ貧相だから。もっと太れ太れ」

    「――仲良いね」

    やり取りをじっと眺めていたアメリカが細く呟いたのでイギリスも吃驚していた。

    「おい、勘違いするなよ! 何度も言うが俺とこいつはぜんっぜん仲良くなんかないからな!」

    「俺とも?」

    「あ、アメリカは……まあ、何ていうか……」

    途端に言葉を濁してしまうイギリスに何を思ったかアメリカは悲しそうな顔になって目を伏せた。なんかこいつしおらしくてアメリカじゃない! 

    「いやー、喧嘩しながら結構立派に付き合ってるから安心しなよ、アメリカ。こいつなんだかんだでお前に甘いからさ」

    「もう弟じゃないのに?」

    「大丈夫大丈夫こいつ真性の変態だからさ! グフ」

    思い切り腹に重い一発を決められてフランスは悶絶した。黒い顔のイギリスがバキボキと指を鳴らす。

    「……イギリス、やっぱりきみ、俺を騙してフランスと一緒に何か企んでる?」

    「疑り深いなあてめえ」

    「そう仕込んだのはきみじゃないか。言っておくけど、きみに習ったことで実戦に使えたのは教育だけじゃなくて独立してからのきみの態度も大きいんだよ」

    「俺の天使……」

    ほろりとイギリスが涙を落とすがアメリカはまだ警戒を緩めなかった。

    「きみの天使はもういない。思ってもいないこと言わないでくれる? 俺が何も知らないからって、不愉快だ」

    さあこれをどう料理してくれよう?



    食後にアイスを与えると単純に喜んだ。イギリスはどうやらアメリカのために宅配させたらしい。こんな大人しいときくらい身体に悪いのはどうかと思ったが餌付けには向いているようだった。

    「ストロベリーアイスだ」

    有機栽培がどうの、無添加がどうのと書かれた素朴なカップを貰いアメリカが目を輝かせた。嬉しそうにスプーンで掬いせっせと食べ始める。

    「大丈夫、お前今はそんなに目方ないからちょっとくらい食べても許容範囲だ」

    イギリスが目を細めて愛しそうに笑った。

    「この服がぴったりになるくらい大きくなるのかい? 俺、もっと大きくなれる?」

    「ああ、特に横にな。生活習慣病で倒れたくなかったらハンバーガーの過剰摂取に気をつけろよ」

    「きみのご飯に比べたらまだマシだと思うけど」

    あっという間に空になったカップを名残惜しそうに見つめ、スプーンを咥えるアメリカは可愛かった。「スプーンを噛むな」と即座にイギリスの教育的指導が行く。

    「イギリスイギリス」

    「ん?」

    ちょいちょいと指で呼んで、アメリカに聞こえないところに移動した。なんだよと親子水入らずの邪魔をされたイギリスが鼻を鳴らす。

    「あそこにあった写真、隠したの? ほら、皆と撮ったやつ以外にお前らの惚気の固まりみたいなのあったじゃん。……あとアメリカの私物とか」

    「感づかれたらやばいだろ? 全部隠したよ」

    「じゃあ入れ知恵だけど、当たり障りのないやつだけ出してやりな。少しは自分の気配が残ってないとあいつもお前とそこそこやり取りがあるってこと認められないだろ」

    「……着替え以外で? 歯ブラシとか?」

    「お前に似合わないとびきり悪趣味ったらアレだろ。星条旗のクッション。あのでかいやつ」

    あれだったら自分の涎もついてるだろうし安心するんじゃね? と提案した。イギリスも少し考え、顔を顰める。まずはアメリカを馴らすのが先決だとお兄さんは思うぞ。

    「俺の美観を損ねるから出したくないんだが」

    「でもあいつはお前のとこに居場所がほしかったんだろ。必死で可愛いじゃねえの」

    「それはお前の家のソファに星条旗の悪趣味なクッションが陣取ってるのを想像してから言え」

    「うーん……悪夢」

    だろ。イギリスは嫌そうな顔をしながらも不承不承頷いた。本当、アメリカのことになったら底抜けに甘いんだから、この坊っちゃんは。

    これで恩を売っておけば、戻ってきたアメリカも頭が上がらないかもね、と唸るイギリスを慰めたがあまり効果はなかった。

    「ちょっと待ってろ、とってくる」

    「ついでにDVDとかないの? この際天使にラブソングをでもサウンドオブミュージックでも構わないからさ」

    「歌で問題を解決して最後は大合唱でハッピーエンドなのは好みじゃねえ」

    お前の好みを聞いてるわけでもないのよ、この眉毛が。

    「じゃあ変態村」

    「あいつが泣き喚かなかったらな」

    ああ、あの物議を醸し出した狂気の純愛を理解できる歳じゃあなさそうね。フランスもアメリカを泣かせたいわけではなかったので大人しく引いた。

    「ハッピーエンド好きそうなのになあ……」

    「今度ディ○ニーでも借りてくるか?」

    「喜ぶかな?」

    知るか、言い捨ててイギリスが消えた。きっと寝室あたりに大事にとっておいているのだろう。あいつは変に律儀で大好きなアメリカのためなら手段を選ばず取っておくタイプだ。きっと昔もらった花なんかも押し花にして色が褪せて刷り切れようとも保存していることだろう。どんな乙女だ。

    「アメリカ、何か飲むか?」

    「フランス、まだいたの?」

    「言ってくれるねえ……。まあ、その気持ちは分からなくもないけどさ。今日の夜の便で帰るさ。そんで、お前が長引きそうだったらまた様子見にくる。あの眉毛だけじゃ心配だ」

    美味しいコーヒーがいいなと呟いたのでおしと頷いた。イギリスが淹れるコーヒーはやけに不味い。それよりかはまだ俺は美味しいのができる。気だるげにソファに埋もれているアメリカを置いて台所へ行こうとしたときにその悪趣味な物体が視界に入った。

    「うわ……」

    思わず目を背けてしまう。アメリカはばっと身体を起こし目を見開いて立ちあがった。見事な食い付きの良さだ。イギリスが抱きかかえると前が見えないくらいの大きなクッションを放られ、受け取る。

    「お前のだ。テディベア代わりにこれでも抱いとけ」

    「どうしてこんなのがイギリスの家に?」

    「マジ趣味悪いなそれ……」

    「俺の星条旗に文句ある?」

    キッと睨みつけられるがフランスは肩を竦めるだけに留めた。イギリスもその様子に苦笑している。

    「お前が勝手に俺の家に持ち込んで勝手に寛いでたんだよ。別に足置きにしてたわけじゃねーからな」

    「この服も、全部この世界の俺がイギリスの家に置いていたの? 本当だったの?」

    「俺がそんな嘘言ったって何も得にならねえよ」

    あ、いい加減イギリスも鬱陶しくなってきたなというのが伝わったのだろう、びくんと身体を揺らすと、顔を強張らせたままアメリカはまたソファに沈んだ。

    「おい、言っておくが、いくらお前が勝手にここに来てたっつっても俺はお前の家政婦じゃねえからな! 飯と洗濯くらいはまあ、してやってもいいがここにいる以上掃除くらいは手伝ってもらうぞ」

    「客じゃないっていうのかい?」

    「誰がてめえみたいな傍若無人、客扱いするか」

    ふん、と鼻息を荒くして言い放った家の主にちょいととフランスが声をかける。

    「掃除機とか、使えると思う?」

    「……」

    イギリスが黙った。こまめに掃除をするのが好きな彼は掃除機も色々と最新式を買うのが趣味だ。ダイソンがお気に入りということで、吸引力がどうの、機動性がどうのとあれこれパンフレットを見たことがあるが、フランスはあまり詳しくはない。電源を入れてゴミが吸えればそれでいいのだ。

    「……でも、野生の動物じゃねえんだしよ」

    「野生のアメリカじゃないの」

    またイギリスが考え込んだ。機械関係はほぼ全滅かもしれないと思い当たったらしい。電話はまだ可能として、パソコンは教えないと理解できないだろう。余計な知恵を付けさせない方がいいからそれでいい。

    「もし、こいつがなかなか戻らなかったとして」

    重々しく口を開いたイギリスがクッションを抱きかかえて大人しくしているアメリカを見下ろす。

    「今の上司も同僚も知らないわけだよな」

    「それは昨夜詮議し尽くしたことじゃない?」

    「いや、……下手に本国に戻して、重要人物の歴史を知ったらこいつがどういう行動に出るかなと」

    「ヒーロー……だったなあ」

    「これって軟禁っていうのか?」

    その言葉にびくりとアメリカが肩を揺らした。

    「……俺は本国に帰れないの?」

    「勝手に人間どもにあれこれされたら困るのはある」

    「未来の情報見てショック受けられてもアレだしな。ああ、大丈夫大丈夫、お前はそりゃあもう、立派にでかく育って小憎たらしいほど元気だから」

    「イギリスと仲良い?」

    「……」

     フランスとイギリスが黙って、顔を見合わせた。イギリスが苦笑して肩を竦める。

     「お前の大好きなイギリスは、お前が大好きでたまらないってくらい、仲良しこよしで会議があるたんびにいちゃついてるよ」

     「そ、そうな、の?」

     「憶えてろよクソヒゲ」

     「だっていちゃいちゃじゃん。まあ、若干こいつが口うるさくてお前が空気読めない馬鹿ってのはあるけどな。お前、折角昔は良い子だったんだから何とかなんないの?」

     ん? 促すと殊勝な顔つきだったアメリカが頬を膨らませて横を向いた。ガキめ。

     「良い子でいるのはもう辞めたんだ」

     「ママが泣くわよ~ォ」

     「うっせえヒゲ黙れ」

     容赦なく足を蹴られたのでフランスはそれ以上言わず微妙な空気の二人をニヨニヨ観察していた。



     「そんじゃあ、俺がいなくなっても喧嘩するなよ? イギリスの料理に耐えきれなくなったらもうこの際ケータリングでも使っちまえ。経費で落ちるかどうかは分からんけど」

     「俺の手料理をこいつが食べないわけないだろ」

     「お前のその自信がどこから来るかお兄さんホント知りたいわ」

     じゃあねと手をひらひら振ってフランスは可哀想なアメリカを残して帰ってしまった。

     「……上司に連絡が取りたい」

     「別にいいけど、お前は頭が退行してるから俺の管理下に置くってあのヒゲと意見が一致したぞ」

     「それ、本国も了承済みなのかい?」

     イギリスはアメリカのために備え付けの電話を紹介した。国際電話で勝手知ったるアメリカの上司に繋いでもらう。その間アメリカはそわそわしていたが、電話口に出た上司に代わってもらうと息せききって喋り出した。

     一応、国としては本国に戻してやった方がいいんだろうな。見慣れない人間ばっかりで戸惑うだろうけど。

     頭では理解しているのだ。しかし、過去の自分がその後どうやって歴史を歩んでいくのか、知られてはまずい情報ばかりというのは困る。それは欧州を(勝手に)代表しての総意でもあった。アメリカに都合のいいように動かれても困るのだ。

     「アメリカ」

     「なんだい?」

     電話で上司に説明を聞き、実際イギリスが敵ではないことを教えられて納得したのか、アメリカがこちらを向く。彼の手から受話器を取るとイギリスも電話口のアメリカの上司(向こうも重々こちらのことを承知なのでこの後のアメリカの処遇について、とにかく返還してくれと本人に対していたよりも少し強い語調で言ってきた)に相対すると、「国同士のことはやはり国同士でなんとかしたい」旨を再び伝えた。アメリカは不安そうな表情で見守っている。やはり彼も帰りたいのだろう。確かにイギリスが彼を保護する理由を彼は知らない。

     「……お前はここで療養することになったら嫌か?」

     「そりゃ、……知った顔が全くいないのは心細いけど、俺はアメリカだし」

     「お前に余計な情報を渡す輩がいないとも限らない。できれば俺の保護下において穏便に事を済ませたいのだが」

     「それは、イギリスが俺を監視するってこと?」

     「お前は、俺の傍にいるのは、嫌か?」

     アメリカの問いには答えず、ゆっくりと穏やかに喋りかけると目を瞬かせて彼は黙った。まるで獲物を捕えようとする瞬間に似ている。精一杯強がっていたあのときのアメリカを思い出して、ああ、こうしてイギリスにたてついてお互いに牽制し合っていたのだと過去のやり取りが蘇ってきた。アメリカがそういう態度をとれるように甘く接しなかったイギリスもイギリスだ。それが長引いて結局最近に至るまで二人の仲が交わることはなかった。アメリカに世界の頂点を譲ることになっても、彼に心の奥底を許さなかった。もう、深くを共有しあって、笑顔を交わしてキスをして一緒のベッドで仲良く寝る時代なんて二度と戻らないと信じ込んでいたからだ。

    だから、アメリカから好きだと告白されたときにすぐには応えられなかった。彼の好きは自分の好きとは違っていたからだ。イギリスがアメリカと恋に落ちたのはごく最近の話だ。だから、目の前に所在なげに佇んでいるこのアメリカは、イギリスの今の気持ちを知らない。

    「――イギリスは、俺が傍にいても、許せるの?」

    今のアメリカを知るものならば誰もが驚くであろう、気弱な声で彼が呟いた。ああ、そんな捨てられた子犬のような目で見つめないでほしい。思わず抱きしめたくなってしまう。彼に必要なのはこれから持つべき強さなのに。イギリスの恋人という座を手に入れるのはまだ先なのだ。自分にストップをかけながら、それでも彼の緊張している頬に手を添わせるのを止められなかった。

    「お前は、大事な元弟だからな」

    「……そう」

    何を想っているのか、目を伏せて少し考え込んだ後、アメリカは自分より背の低いイギリスの緑の目を懐かしそうに覗きこんで口唇を開いた。

    「俺に知られちゃ都合の悪いことがたくさんあるんだろう? きみが俺に不利なことをしないと誓ってくれるなら、ここに居るよ」

    「すぐに元に戻れると思う。悪いようにはしない」

    「きみが約束を守ってくれたことなんか、なかったけどね」

    不意に自虐的な笑みを洩らしたアメリカはそれでもイギリスの真摯な目に納得したらしい、頷いた。

    「ゲーム……もお前できないだろうしな、俺も教えられないし。本ならそこそこあるから読むか?」

    「英国文学傑作集? シェークスピアとか俺、読まないよ。プリンキピアもだ」

    「読めよ。頭良くなんねーぞ」

    「それよりイギリスと話してる方がいい」

    真顔で言うなよ。思わずイギリスは黙ってしまった。

    強がりたいくせに、跳ねのけられないと分かるとどうしても縋りたいようだ。心細いなら無理もないのだが。

    「……お前、俺に甘えてると後で絶対後悔するぞ」

    「だろうね。俺の知ってるイギリスはきみみたいに優しくないし。本当の世界に戻ったらまた一人できみを振り向かせようと苦労するんだ」

    弱ってるなあ。クッションを抱きしめぼろぼろ本音を漏らしてしまうアメリカを前にイギリスは少し戸惑って頭をかいた。それほど自分は甘くしてるだろうか、いや、してるのだろうなと生ぬるい気持ちになる。

    本当は、一年と数カ月、とある事情でアメリカと離れ離れになっていたのだけれど。(その間、イギリスは独りでそつなく仕事をこなしながらも知らないうちにストレスは溜まっていたようだった)

    「……アメリカが過去に飛んだのは、もしかすると俺のせいかもしれない」

    こんなことを本人に言うとまた訴訟だのなんだの文句をつけられるので確証がでるまで告げられないけれど。過去から来て右も左も分からないアメリカ相手になら懺悔できるのかもしれない。自分はきっと、ずるい。

    「きみが、その、……妖精? ……ていうののせいにしたんでしょう? まあ超常現象をそういうので片付けるのってどうかと思うんだけど」

    「それだけじゃないんだ」

    どこまで彼に告白してしまおう。彼にとってはイギリスの家にいるというだけでも圧迫感があるかもしれないのに。しかし他の耳があるところでは話せる内容ではなかった。

    「俺はアメリカの好意を知って押し付けてしまった。そりゃあ、一人の人生が関わっていたから、酷いとかそういう言葉では言えないけど。……あいつが断れないの、知って、俺から頼んだんだ。俺じゃなくて、違うやつを……求められたある命を愛してやれって」

    「それ、本当?」

    「本当だ。俺もどうしても頭が上がらない事情があってな。条件つきで、とあるレディがアメリカを欲しがった。残り少ない命で「アルフレッド」がほしいって言ったんだ。……悪いタイミングってのは重なるもんで、いつもみたいに断れたらよかった。……美談っていうのは、憎いよな。薄幸の女の子がアメリカに恋をしたら、もうそれだけで元兄で男の俺なんか口を出せないくらいに。……俺の国民だったんだ」

    英国のさる筋の女の子が前途揚々のアメリカに恋をした。彼女は病を患っていて、余命数カ月と宣告されていた。それが関係者筋に話しが回ってしまったのがお終いだった。イギリスは愛する国民のために、アメリカに頭を下げなければならなかったのだ。「イギリス」として。

    「――あいつも情にもろいところがあって。ヒーローと自称しているところもあって。……俺の頼みを断らなかった。俺が断れなくしたんだ。でも、それは俺とあいつの仲を決定的に裂く致命的な悪手だった。たぶん、俺は、皆から、アメリカから非難されても、断って欲しかったんだ」

    「……きみは俺に自分が嫌だと思うことを強いたの?」

    「そう、かもしれないな。そうだろう」

    アメリカの言葉に直されると実にシンプルだった。くどくどと言い訳をしていたイギリスがぱしぱしと瞬きをする。いつの間にか緊張していた。

    「俺はそれを呑んだんだね」

    「ああ、彼女が亡くなって、一周忌に久々に会った。少し前より痩せていて、それでも笑ってた。俺に愛想尽かしてもおかしくはなかったんだ。でもあいつは違った」

    「だって、きみはイギリスだもの。俺は解かる気がするよ。アメリカが求めるのはイギリスだ。優しくしてくれるきみにだから言えるけど、俺の知ってるつれない彼には簡単には晒せない、本心」

    本当の心を知られるのは恐い。それを掴まれて、痛めつけられるのが嫌だから。アメリカが呟いた。イギリスは吐息だけで微笑った。アメリカはやっぱり、アメリカだ。この素直な心がどうして愛しくないといえよう。

    「ずっと我慢してたんだろうな。自分でも気付かないうちにストレスになっていたとも思う。アメリカを取られることがどれだけ苦痛になるのか、本当のところは予想できなかったのかもしれない。俺は今まで通り、離れてても愛せると信じていたから」

    「違ったの?」

    アメリカの純粋な瞳が眩しかった。独占欲というものは恐ろしい。一度手に入れたアメリカを味わってしまった途端、それを手放せなくなるのだから。

    「結論から言うと、――俺は離れている間ずっとアメリカを愛し続けて、でも昔のようには上手くいかなかった。こういう想いってのは、澱のように溜まるんだ。どこまでも消えないで積もり続ける。そして最後には――」

    そこで言葉を切った。アメリカが固唾をのんで見守ってくる。その手を繋ぎたくて、そっと手を伸ばした。

    アメリカは少し躊躇って、それでも素直にイギリスの手を取り包みこんだ。今のイギリスがかつてそうであったように、武器を取り扱い慣れている荒れた手。短く切り揃えられた爪に、もう昔の柔らかな手の記憶など残していない無骨な男の手。

    「――アメリカを過去に飛ばしたのは、妖精の悪戯だけじゃなくて俺のそういうどろどろしたものなのかもしれない。俺、一応魔術とか使えるし」

    「イギリスが俺に振り向いてくれない世界だよ?」

    「俺がお前を手に入れていない時代。俺がお前と『そういう』仲じゃなくて、……離れてても愛せていた時代」

    「……きみは、本当に……」

    アメリカが嘆息した。

    「――イギリス、俺はそういう、非科学的なファンタジーは認めないことにしてるんだ」

    「現にお前がここにいるだろ」

    「きみの、そういう気持ちはたぶん、ちょっと嬉しい。執着されてるんだなっていうのは、その子には悪いけど、俺は嬉しい。誰だって清らかな子どもなんかじゃないんだよ。……俺はきみがそういうことで苦しんでいたら、どうして独りで抱えているのって言いたくなる。俺は、言えないから」

    このアメリカはそういうことを考えていたのか。突き放して、突き放されて、アメリカとは顔も碌に合わせていなかった時代。彼が強くあればそれでよかった。離れていても、心の奥だけで愛せていた。惨めな気持ちなど何の足しにもならなかったから、決して見せなかった。そのアメリカが言うのだ、この醜い執着が愛しいと。

    「きみが原因でも、俺はこうしてきみに会えたことが嬉しいよ。だってずっと会っていなかったんだ、イギリス」

    「また元の世界に戻らなくてはならなくてもか」

    「うん。きみが優しくしてくれる、それだけで嬉しい」

    なんてことだ。イギリスは息を呑んだ。少しでもお節介な真似をすると拒否をしてきた今のアメリカとは似ても似つかない若さだ。どうやってこの青年は成長し図太さを身につけるのだろう。それに至るまでの彼の心の変化を想うにつれ、愛しさが募った。

    「――午後に一雨来る。それまで庭を見てみるか?」

    「イギリスの庭?」

    「興味ないなら別に構わないが」

    「……ちょっとだけなら」

    「そうか」

    頭を撫でてやると複雑そうな顔をしていたが、手をはねのけられることはなかった。そんなに人恋しそうな顔をするなよ、アメリカ合衆国。世界を統べる俺の前でお前は弱みを見せてはならないんだから。



    「イギリス、雨やまないね」

    「どうした?」

    夜、またバスタブに湯を張ってアメリカを風呂に入れた。そういえば髭はあたってるのだろうかとカミソリを出した。なんとなく甘やかしたい気分が強い。たまにアメリカの髭をあたったり、髪を洗ったりすると許されている感じがして心地が良かったなと思いながらイギリス手自ら面倒を見てやる気になった。若い彼でもうっすらと金色の産毛のような髭が生えているのを昼、明るい庭で触れたときに知っていたので、シャボンを泡だてて迫る。裸で湯船に浸かっていたアメリカはイギリスに近寄られて少し戸惑っていたが、問答無用で顎に泡をつけ始めるとじっと目を閉じた。心なしか頬が赤いのはきっと湯に浸かっているからだろう。イギリスはアメリカの裸など見慣れていたし、それくらいで反応する気もなかったので淡々と髭をあたった。

    「……濡れたな」

    このまま俺もシャワー浴びるか、と言った途端アメリカがボタンを外そうとした手を掴んできた。どうしたよ、と必死で見あげるテキサスを外した空色の目に問いかける。「よしてくれよ!」彼が悲鳴を上げた。

    「イギリス、きみがそれを知らずにやろうとしてるならきみは鈍感だ! 知っててやろうとしているなら、性格が悪いぞ!」

    「――はあ?」

    「俺はこれでも、きみの子どもじゃなくて、男なんだからね!」

    いやいやいや可愛いじゃねえか、と混ぜっ返すのは心の中だけに留めて、イギリスは殊勝に頷いてみせた。

    「……無神経だったな」

    「俺は、これでも、きみのことが好きなんだからね!」

    「ならいいじゃねえか」

    「よくないよ! 俺とイギリスは『そういう』関係じゃない!!」

    あまりに必死な顔で全身赤くなっているので、イギリスは思わずにやにや笑いながらアメリカの上に覆いかぶさりキスをした。――目の前の青い瞳が見開かれるのをじっと見つめながら。

    「……どうして?」

    「さあ、どうしてだろうな」

    「はぐらかさないでくれよ、俺はもう子どもじゃないんだからな」

    「ざまあみろ」

    「イギリス?」

    「――って言いたかったんだ。たぶん。俺ばっかり想いを抱えて、なんともない顔して笑ってるアメリカを見て苦しかった。あいつなんか、相手にしなくても平気で笑って立っていられた自分に戻りたかった」

    イギリス、と目の前の少し幼い顔をしたアメリカが口唇だけで呟いた。自嘲しながらイギリスは彼の目を覆った。こんな顔、見られたくない。アメリカの真っ直ぐな瞳が恐かった。

    「知ってる、あいつもきっと苦しかった。でも、もう何が正しくて正しくないのか、そういうんじゃないんだ。俺はわりと理性が強いって言われるけど、感情がだめだった。……だめだったんだ。」

    離れていても愛せるって、大口叩いておいてざまあねえよな。苦い笑みを見られたくはなかった。

    急にアメリカの腕が伸びて、掴まえられたと思った途端引っ張られた。不意打ちにそのまま湯船に突っ込んでしまう。ばしゃりと派手な水音がした。

    「うわっ! てめっ」

    底に手をついて顔を上げる。裸のアメリカの腹の上に上半身が被さっていてその肌の色に頭が熱くなった。

    「――イギリスが優しいと、勘違いしちゃうよ」

    ずぶ濡れのイギリスの顔と同じくらい、アメリカの顔も濡れていた。くしゃりと顔を歪め、苦しそうなその目は熱で潤んでいた。

    「優しくできなかったんだ。今くらい大人しく構われてろ」

    「それだってきみの自己満足じゃないか。騙されないんだからな。……ありがとう」

    彼からのキスは額にそっと口唇を当てるものだった。濡れて張りついた前髪を指でかきわけ、湿った口唇が触れてくる。その柔らかい感触が泣きたいほど愛しかった。

    「お前、戻ったらこんな夢すぐに忘れろよ。じゃねえと生き残れない。俺はフランスの馬鹿とか、他のろくでもないやつらと戦争ばっかしてて、お前はそれに巻き込まれずに利用だけしてろ。俺も、お前を、……利用して生きてきたんだから」

    情だけでは生き延びられなかった。国と国とのやり取りなどそんなものだ。幼いアメリカとの春の日々が特別だっただけで、そんな奇跡などそうそうないのが現実だ。

    濡れて肌に張り付く服が鬱陶しかった。

    色を濃くした蜜色の髪の毛を撫で、額に優しく口吻けをしてやる。湯船から出るイギリスにアメリカはもう何も言わず黙っていた。



    夜、ベッドで眠りにつくイギリスの意識を浮上させるものがあった。控えめなノック。

    「誰だ、……アメリカ?」

    「イギリス」

    許されて入ってきたアメリカは暗い中あの青い星条旗のクッションを抱きかかえていた。ベッドサイドの明かりを点ける。白熱灯のぼんやりとした薄明かりでアメリカの強張った表情が浮かび上がった。

    「どうした」

    「――恐くて眠れない」

    ここに俺の居場所がない、と彼は続けた。昼間のまだ気丈に振る舞っていた様子とはがらりと変わっていた。

    うっすらとした太陽の下、イギリスの冬枯れた庭を見て回っていたアメリカの白い頬は健康的で、白い息を吐きながらもイギリスの傍を離れなかった。いつもならそんなものつまらないと尖らせる口が笑みを浮かべていた。まるでそれが手に入らない愛おしいものであるかのように。

    「きみが言っていた、昔俺に何度も自慢していた庭だね」とまるで賢い子どものような顔をして言うので「緑が芽吹いて花がもっと増えたらこれの比じゃねえよ」と笑ってやったものだ。イギリスの短い夏をこのアメリカは知らない。

    「ここにいる間だけは俺に気を許しても大丈夫だ。ただし、俺にだけ」つい、そう甘い言葉で束縛してしまいたいくらいにアメリカはイギリスを見ていた。

    「やけに甘えてくるじゃねえか、アメリカ合衆国」

    「甘えさせてくれるんだろう?」

    庭で言った言葉を復唱される。今ここで拒絶すればきっと傷つくのだろうなと笑いかけながら残酷な考えが頭をよぎる。

    確かに、この状態のアメリカに優しくしたいと思うのは俺のエゴだ。それでも、どうして辛くあたる心の余地がある? 本当は余命の少ない花嫁だろうと、ヒ―ローらしくない感情でそんなもの知らないと跳ねのけてほしかった。自分だけだと言ってほしかったのだ。それを望むことすら矜持が許さなかった。ようやく彼が手元に戻ってきたのは僥倖だった。また再び寄り添えると知ったときの喜びといったら! 些細な喧嘩など、一過性のものでしかなかった。涙がでるほど悲しくても彼を失うことに比べればどうということもなかった。

    「……恐くて眠れないんだ」

    頼りない子どものような顔をするんじゃない。もう大きくなったじゃないか。そう小言をいうのは簡単で、けれどいつも干渉を嫌うアメリカのそんな殊勝な態度はいとも簡単にイギリスを骨抜きにした。

    「お前、そんなんで元に戻ったらどうするんだ」

    「元に戻るだけさ。……こんな夢みたいな馬鹿な非日常の中でも俺はきみに強がってなきゃいけないのかい」

    「ガキが」

    「ガキさ」

    アメリカが顔を上げ、視線を合わせてくる。熱っぽい眼差しは子どもの持つものではなかった。

    「――ガキだよ。どうにもならなくてきみから独立して、それでもまだきみに少しは優しくしてもらえるなんて、……甘えられるなんて勝手に勘違いしてた。きみが目隠ししていたんだ。世間知らずの俺を」

    「アメリカ」

    「俺の知ってるイギリスには死んでも言わないけどね。優しくしてくれるなんて奇跡的なイギリスにはふらふらつられて甘えてしまうような馬鹿なガキなんだよ」

    目の前で空色の瞳が曇って、涙が滲んだ。クッションを抱えたまま、テキサスの間に指を突っ込んでアメリカは零れる前に滴を拭った。

    「……育てた奴の顔が見てみたい……」

    呆れた口調になってしまっても許せるだろう。甘ったれのアメリカは最後まで残っていた気負いさえもどこかに落としてきてしまったらしい。

    「この家に鏡はないのかい?」

    「うるせえな。べそべそ泣くな。俺が泣かしてるみたいで落ち着かねえじゃねえか」

    「――一緒に寝てよ、イギリス。何もしないから」

    まるで一生のお願いのようにかき口説かれて、眠気が半分飛んでしまったイギリスは頭をぼりぼりかいた。

    「……まあ、そんなお前に押し倒されたら大英帝国の名が泣くなあとは思うが」

    「きみは大人なんだからそういうの、ちゃんとかわせるだろう? 俺はやっぱり、イギリスだったらどうしてもどきどきしてしようがないけれど、きみは俺の現実じゃない」

    小さく点いたランプの光でぼうっと辺りが浮き上がっていた。アメリカがふとチェストに目を留める。

    「――俺、きみと仲良くなれたんだ? なれるんだね? そう自惚れてもいいの?」

    指差したそこにはイギリスとアメリカが個人で撮った写真が飾られていた。二人とも笑顔で、イギリスはなんとなく恥ずかしそうに頬を染めている。誰が見ても親しい間柄なのだと判るものだった。恋人たちの肖像。

    「お前が頑張れば、どうにかなるかもな。世界のヒーローなんだろ? 俺が応えるかどうかはお前次第だ」

    ガキなりに足りない頭で色々考えてるんだなあと若干失礼なことを思いながら根負けしたイギリスが手招いた。羽毛布団を捲くるとさっさと入れと促す。本当に受け入れられるとは思っていなかったのか、少し戸惑いながらもアメリカは入ってきた。

    「大人しく寝ろよ。……ったく、お前は図体がでかいのに寝相が悪いんだから」

    「悪かったかい?」

    「俺は抱き枕じゃねーっつの。挙句放りだすわ乗っかるわ……自分の体重考えろってんだ」

    ぶちぶちと一連の文句をため息とともに唱えるといつもの気分に戻ってきた。うん、このアメリカが妙にしおらしいのがいけない。ついつい構ってしまうが元に戻ってしまえば喧嘩別れした馬鹿でいけすかないメタボなのだ。今のうちに散々悩ませて脳味噌の皺を増やしてやった方がいいのだろうか、とつらつら考えている間にそっと背中に温もりが触れてびくりと身体が震えた。

    「――明日になったら」

    「おい、何もしねえって言ったろ」

    「明日になったら戻るかな」

    イギリスの警告を無視してアメリカが籠った息を吐く。背中にすりつかれて戸惑った。温かい。

    「優しいイギリスが夢になるのかな」

    「……寝ろ」

    うん、と今度は素直にこたえが返ってきた。おやすみと優等生の手本のような挨拶を繰り返して、アメリカは大人しくなった。




    結論からいうと、翌日になってもアメリカは元に戻らなかった。その翌日もだ。休暇が終わっても戻らないアメリカの様子に本国の上司も困惑していて、とにかく返せと煩かった。現代の余計な知識を仕入れて過去に戻られても困るのでイギリスは一切の拒否権を施行し、そしてアメリカ自身にも屋敷の敷地の外に出ることを禁じた。持ち前の好奇心で多少脱走はしたが、概ねアメリカは自分に甘いイギリスの言うことを聞いていた。

    アメリカも電話で知らない顔の上司とやり取りはするものの、自分の意思でイギリスの傍にいることを伝えると時の止まっているかのような屋敷の中でイギリスの帰りを待ちながら散策をしていたり、たまにふらっと来るフランスの相手をしていたりした。

    「――なあ、身体だけでかくなったガキんちょ」

    「なんだい、髭の生えたおっさん」

    「『傷の舐め合い』って言葉知ってる?」

    テラスで冬の庭を眺めながら温かいショコラ・ショをフランスに淹れてもらって飲んでいたときだ。のほほんとした空気のまま、のんびりとフランスが「あ、ロビンだ」と近くに飛んできた小鳥を指差した。

    「誰がこまどり殺したの?」

    フランスが不意に歌いだした。なんだいきなりとアメリカはカップを置いて小鳥を眺めているフランスの横顔をまじまじと見る。

    「わたし、とスズメがいった」

    フランスは昔から歌がうまい。しかし気まぐれだなあと眺めながら、彼がその前に何気なく言った言葉が頭の中をぐるぐると回っていた。

    「弓と矢使って、わたしがこまどり殺したの」

    「スズメがロビン殺して葬式する歌がどうかしたのかい」

    「んー? こまどりってあの胸の赤いの、イエス・キリストが磔になってる前で歌ってたから血が移ったとか諸説あるよな」

    「……いばらの冠を外そうとして血がついたっていう話もあるね」

    話が飛ぶなと思いながらも適当に話を合わせる。目の前でちょんちょんと危機感なく近くまで来ていた小鳥はフランスが足を組み替えた動作で少し遠くへ飛んで行った。

    「まあ、スズメにも、ハクトウワシにだって殺されるタマじゃねえけどな、あいつ。実際死ななかったし」

    「神の子の前で歌うようなガラでもないし、葬式を総出で上げてくれるような友達はいなさそうじゃない?」

    「確かに! ……まあ、喜ぶやつはいっぱい、……いっぱいいるのよ?」

    フランスが盛大に噴き出した後、嫌な笑みになる。ああ、そういう考え方もあるよねと投げだし気味に生返事をした。

    「で」

    「きみ、いい加減その要領を得ない話の展開はどうにかならないのかい?」

    「焦るなよ、若造。こちとらあの馬鹿の留守狙ってわざわざドーバー越えてきたんだから」

    「老体を労えっていうのかい? 性欲だけは有り余ってる老人は引退して可愛いメイドに囲まれてればいいんだ。きみなら愛人作り放題だろう?」

    辛辣なアメリカにそれでこそお前だとフランスが鼻で笑った。

    「イギリスの前では借りた猫みたいに大人しくなるから傍で見ててやってらんねー。お前、独立したくせにまだママのおっぱいしゃぶりたいのかよ」

    「おままごとがしたいわけじゃないよ。好きな人が優しくしてくれるのにどうして応えちゃいけないんだ」

    「『お前の』イギリスには辛く当たられてるから?」

    少しは痛いところがあるらしい、アメリカが居心地の悪そうな顔でカップの中身をごくりと飲んだ。

    「イギリスが馬鹿だよなー。うん、あいつが悪い。俺がソドムならあいつはゴモラだな」

    「きみ、それ適当に言ってるだろ」

    「……イギリスの対応だよな、問題は。兄貴面全開だったらまだお前もイラッとしただろ」

    「――うん」

    「そこは即答すべきところだぞおい。どうしたんだ合衆国さんよ。愛しのイギリスに腑抜けにされたか? もしかしてもうタマまで握られてる?」

    「おっさん、下品だぞ」

    さすがにアメリカが顔を顰めたのでフランスは片眉をひょいと上げるだけに留めた。小馬鹿にしたような顔は止めない。相手をイラッとさせる技においては彼は一流だ。

    「馬鹿だよなー……まあその様子だとキス以上の関係には至ってないみたいだけど。お前、非日常に放り込まれて夢うつつなのは分かるけど、相手は未来のイギリスだからね? まだ手に届かない儚い希望みたいなもんだからね? 夢から覚めたらまた仏頂面の氷の仮面が無慈悲な極悪道突っ走ってるの見てがくーっとくるからね? これいくら日本でもギャップ萌えとか言わないよなあ」

    「きみが俺に釘をさしたいのはよくわかったよ」

    甘いショコラ・ショはとっくにべったりとした甘さになってしまっていた。フランスが折角繊細な味わいを心がけてくれた作品が台無しだ。

    「……でも、頑張れば未来にこんなイギリスが待ってくれるなら、俺はやり遂げると思うよ」

    「ゴモラめ……」

    フランスが頭を抱え始めたのでアメリカはどうして当人じゃないのにこの人は本気になってくれているのかなあなどとフランスが聞いたら可哀想なことをつらっと思った。

    「どっちみち俺の気持ちは変わらないし」

    「どうしてあの天使がこうなったのかなあー……やっぱ食育? あいつの愛って歪んでるからなあ」

    「あのひとの愛が歪んでようが正しかろうが別にあんまり気にしないよ。それとも何? やっぱりイギリスとフランスって俺に黙って付き合ってるの?」

    途端にフランスが真っ青になって悲鳴を上げた。なんなんだとアメリカが顔を顰めるがフランスにとっては大問題だったらしい。落ち着け俺、落ち着け俺、ヒッヒッフーと謎の呪文を唱えて自己暗示に努めているようだった。未来に来てもフランスはあんまり変わらないなと残り少なくなったカップの中身を舐める。

    「――あー、おい、アメリカ」

    「なんだい?」

    ようやく落ち着いたと思ったらやけに改まった表情で片手を取られた。まるでプロポーズでもするような格好で変だなとアメリカはふと笑いが零れる。

    「お前な。俺のためにもなるんだったら言っておくわ。アメリカ、そんなにイギリスが好きなら、絶対浮気も脇見もせずにひたすらイギリス追っかけてろ。あいつはほら、問題ありまくりだし恋愛のれの字も信じてないような冷血漢になり下がってる残念な子だけれども、あと残念な舌だけども」

    「う、うん」

    フランスはアメリカの手を握りしめ、情熱的に語り始めた。まるで恋の告白のようだった。

    「空気読めない問題児だけどお前ならなんとかなる。わかったか、まあ、ちょっとくらい浮気してもあいつが何とか思うようなタマじゃねえよ、でも本命は絶対あいつにしとけ。そんでアタックしてアタックして何度も玉砕しながらとにかくハートを射止めるんだ」

    「攻撃して心臓を射止めるの?」

    馬鹿、とフランスが額に手を当てる。とにかくだ、と彼は拳を振るって熱弁した。

    「イギリスのこと好きなんだろ? お前がなんとかあいつをモノにしちまえば俺は嫉妬に狂ったお前に冷たーい視線で攻撃されることもなくなるしダークサイドに堕ちたあいつもちったあマシな隣人になる。そんでここからが重要なんだが」

    フランスが身を乗り出してくるのでアメリカは少し引いて相槌を打った。彼は相槌を打とうがうとまいがもうどうでもいい感じにテンションが出来上がっていた。

    「お前とあいつがくっつけばこの麗しい俺様フランス様があの眉毛の性格ブスとくっついてるだのそんなあり得ない幻想超大国に抱かれずに冷たーい攻撃されずに済むんだよ!!」

    「――フランス、フランス」

    「ん? なんだ? 今お兄さんは言い遂げた達成感で胸がいっぱいなの。ちょっとこのままのテンションでいさせてくれる?」

    「いや、ちょっと」

    アメリカが控えめな声になっていることにフランスはこのとき気付くべきだった。――もうすべてが遅かったが。

    「ダークサイドで問題ありまくりで冷血漢の性格ブスで悪かったな……?」

    ベキバキと指の骨を鳴らす音が聞こえた。やけに手慣れた音だ。フランスが止まった。その背後にはにこやかな笑みを浮かべたイギリスが仕事から帰った姿のまま立っていた。

    「うーん、よくわからないけど、フランス」

    ぎゃああああと悲鳴が上がるのを前に顔色ひとつ変えずアメリカがショコラ・ショの最後の一滴を飲み干した。次は美味しいコーヒーが飲みたいんだぞ!
    「俺とイギリスがくっつこうが離れてようが俺、きみに対する態度は改めないと思うなあー」

    能天気な声は悲鳴とは絶妙にマッチしていなかった。



    その後また数日、朝目を覚ましてはそこがイギリスの家だと認識してベッドに沈没する日々が続いた。夜寝るときに今度こそ目を覚ましたらアメリカのここに来る直前までいた我が家に戻っていると念じても無駄だった。イギリスは「帰りたいと強く念じれば」云々とアイディアを出してくれたが、どれだけ懐かしいアメリカの我が家を、親しくしている仲間や上司を思い浮かべても駄目だった。朝、起きて身支度を整え顔を合わせるたびにイギリスは一瞬で見抜いて「そうか」と淡々とした声で挨拶をしてきた。

    情報もろくに渡されず、天気も悪いと途端にやることがなくなってしまう。アメリカが暇そうにしているとイギリスはしょうがないなと映画のDVDをいろいろ借りてきた。順応性の高いアメリカはテレビに映る映像に初めのころこそ驚いていたがすぐに慣れてイギリスの選んできた恋愛ものやドキュメンタリーもの、ホラーものといったいろいろなジャンルを見た結果、「これって俺あとあと損するんじゃないかい!」と言いだした。

    「んだよいきなり」

    「だってこれ、全部俺が未来で経験するものだろう? そのときのワクワクがなくなっちゃうじゃないか!」

    「お前、意外と頭使ってるんだな」

    「真剣に感心しないでくれよ」

    イギリスはできるだけ家でできるものは家で済ましてくれるようになったらしい。一人彼の帰りを待つのを嫌がったアメリカの機嫌を取るように時間を割いては構ってくれる。それでも忙しいのは変わりなく、毎日あれやこれやと出かけているのが現状だ。家の裏庭から繋がっている森はあまり深くまで入り込むなと言われているので散策程度にしか見ていない。もう少し暖かくなったら案内してやるという約束も果たされぬままだ。

    まあ、じめじめした森は恐いからあんまり興味ないけどね、と強がりながらイギリスが適当に選んでくれた映画を観る。アメリカだったらこんなのが好きなんじゃないか? と言っていたセレクションのうちの半分くらいは子ども向けっぽい作品だったのが気になった。彼の中で自分は何歳くらいに思われているのだろうと遠い目になりながらもアメリカ作品が多いところに気遣いを感じる。

    最初ここへ来てしまったときは恐慌していたものだが、こう何日も経っても元に戻らないと途方に暮れたまま現実逃避をするしかなくなってしまう。毎日、ああ今日も戻れなかったのだなとがっくりして、そして落ち込んでいるのを隠してもイギリスには見抜かれる。甘い言葉はなくとも何となく優しく接してくれるのだから、ついほだされる。

    イギリス以外にも最近知り合った日本という引きこもり国家も仲が良いのだと教えてもらって来てもらったり、フランスが気軽に来てはイギリスに殴られたりしていた。それくらいだ。

    世界会議とやらが数週間後に迫っていて皆その準備に追われているらしく、アメリカの対応をどうしようかとイギリスとフランスが話していたのを憶えている。

    アメリカが元に戻らないのならば教育するしかないなと一歩踏み込んだ意見をしたのがフランスで、イギリスは一番のがみがみ屋のくせに難しい顔で「今、国をあげて過去の記録と魔術の文献にあたってる。あと妖精にも……」と現実逃避した解答をして呆れられていた。

    彼はアメリカを自分の中に繋ぎとめておきたいのだろうか。目隠しをしたまま自分を頼ってくるアメリカを。

    (なんだか、弟にしてるみたいだ)

    もう弟なんかじゃないと彼も分かってくれているようで、それでも態度は甘い。弟として扱われることに限界を感じて彼の元を離れたのに、何故か神経が苛立つことはなかった。やはり自分は寂しかったのだろうか。

    フランスがちくりと刺した棘が心臓に伝わって、無視していた痛みが大きくなってくる。

    それでも、ふとした瞬間に接触するとイギリスが少し妙な間を作ってしまうのが変だった。固まる、というのだろうか。以前ならあり得た親愛のハグも一瞬ぎこちなく身体が止まって、過去のアメリカだと確認するかのように声をかけられる。フランスの証言とイギリスの様子だと未来のアメリカは復縁して恋愛めいた仲になっているようだが、この『好き』は駄目なのだろうか。

    『傷の舐め合い』、なのだろうか、これは。

    「……だって、未来のアメリカはイギリスを泣かしたりするんだろう? 今笑ってくれてる彼は俺に優しいんだ。俺はもう二度と泣かしたりなんかしない」

    イギリスの優しい腕の中にぐずぐずとたゆたっている、そのぬくもりは、甘い毒のようだった。



    ふと火の爆ぜる音がして、意識が浅いところまで来ているような、それでもまだ眠りの中にまどろんでいるような、宙ぶらりんな状態でソファに横になり寝ていたのに気づいた。最後の記憶はイギリスの貸してくれたミステリー小説の探偵が謎を追っている途中で、そのぽつんと途切れた後を夢が補完して彼はアメリカの夢の中で何故か殺された男の家の絨毯を捲くっては染みを調べていた。染みがない、と彼が言うのでそれはおかしいねとアメリカが言ったそのときだ。扉が開く音がして、犯人が現場に戻ってきた。探偵が咄嗟に隠れてアメリカも慌てて隠れる。が、何故かアメリカの体はふわふわと宙に浮いて物陰に落ち着いてくれないのだった。その間にも小さな足音が近づいてくる。恐慌状態になり思いきって見あげた顔は、これまたどうしてか分からなかったが、眉毛の太い、とてもよく知っている顔だった。夢の中ではよく見かける表情豊かではない、どちらかといえばあまり知りたくない無表情な彼が近づいてくる。

    アメリカの体はふわふわと漂いソファに深く沈みこんでいた。仰向けになった顔を真顔のイギリスがまじまじと見つめてくる。犯人に殺される! 消される! 必死で逃げようとしたが声にならず身体は動かなかった。その心の声が届くこともないようで、恐い影を背負ったイギリスの緑の目はそのままじっとアメリカの顔に向いている。

    殺されて頭から食われる! 身体は動かない。必死で動かした口がなんとか「イギ、リス」と発音して、やっと耳が音を拾った。そのときだ。じっと動かなかったグリーンアイのモンスターが次の瞬間、ぐしゃりとなんとも形容できない表情になった。

    恐い? 違う。悲しい? ちょっと違う。疲れた? ああ、似ているかもしれない。泣きたい? ……もしかすると、そうかもね。

    『失いたくない』、と『返して』、その両方。

    もの凄く年寄りな表情をする子どもみたいな、なんだかこちらが居たたまれない顔をしてのけて、涙をぽろっと零した。頬に当たって、ああ、イギリスが泣くのは見たくないんだけどなと犯人なのに思ってしまう。

    頬に何か触れる感触があって、温かいそれがイギリスの指だと気づく前に口唇に少しかさついたぬくもりが当たった。じっと触れて、ちょっとだけ食まれて、離れて。動かないでいたらまた口唇が塞がった。ああ、キスされてるんだなと思ったら恐さはどこかへ消えてしまった。イギリスにキスされてる。嬉しい。いつの間にか先ほどの夢はなくなってしまって、意識がすうっと今度は完全に浮上してきた。イギリスにこんな愛しげにキスをされるのは今までになかった。彼は口唇にだけは許さなかったから。いい夢だ。うっとりとしながらも身体がぶるっと震えた。暖炉であったまっていたはずなのに、何かに遮られて少し寒い。

    ぱちり。急に目が開いた。

    「え」

    今度こそ本当に目が覚めた。ソファの上、天井をバックに本物のイギリスが覗きこんでいて、吃驚して声をあげてしまった。あまりに直前の夢と連動していたからだ。

    「お前、こんなところで寝ていたら風邪引くぞ」

    イギリスは夢で見たような、あのこちらが困ってしまう顔ではなくていつもの世話焼きの顔でブランケットをかけてくれた。起き上がる。彼の口唇をじっと見つめるが、それに触れて確かめる勇気はなかった。

    「どうした? ぼうっとしてるな」

    「イギリス、ずっとここにいた?」

    「今来たばっかだぜ」

    そうだよね。頷いて、ソファに座りなおすとその横に軽い動作でイギリスが腰かけてきた。また暖炉の炎が当たって身体にオレンジ色の光が当たる。

    「その小説、読み終わったか?」

    「ううん、まだ途中。……ネタばれはしないでくれよ」

    「誰がするかよ」

    彼はいつもと変わりない様子で、少し雑談をした後、もう遅いからベッドで寝ろと頬にキスをしてくれた。

    一緒に寝てくれよと言いたくて、言えなかった。



    「――暇なの?」

    「いやいや、お兄さん結構忙しいひとなのよ~?」

    その日はイギリスも在宅していて、どうやら珍しくフランスが来ても殴られない日だった。アポイントメントはちゃんと事前に取ったのよ、とどっかの馬鹿と一緒にしないでくれる? をセットで言い放った彼が持っていたのは綺麗にラッピングをした箱だった。

    「何これ」

    「いやあ、日本がバレンタインはショコラの日だっていうからさ、ショコラ好きとしてはたまには便乗ってね。予行練習で作ってきたのさ」

    「バレンタインって恋人の日じゃないのかい? フランス相手いたんだ?」

    「おいおいおい俺は世界のお兄さんだぜ? 一人になんか絞れないほど愛されちゃってるわけよ」

    気障に肩を竦めているが、彼が実際どうなのかは深く突っ込まないことにした。フランスは昔から皆に愛されたがるわりには本当の特別を作らない気がする。

    まあ髭が生えておっさんになった彼に用はないので美味しそうなケーキを単純に喜ぶことにした。フランスのガトー・ド・ショコラはイギリスのケーキとはまた違った感じで、彼も珍しく何も言わずに人数分の紅茶を用意している。カップに透き通った茶色が注ぎ込まれるとふわりとあたたかい香りが広がった。

    「ダージリン」

    「美味いだろ」

    「お兄さんのも食べて食べて」

    うん、と切り分けてもらったケーキを齧るとチョコレートの濃厚な味が口中に沁みわたり、涎が溢れた。

    「フランスー」

    「んー?」

    「幸せの味がするー!!」

    「そうかそうかー」

    幸せの製造者もその反応にいたく満足の様子ででれでれとした顔で頭を撫でてきた。――次の瞬間にはイギリスによって叩き掃われていたが。

    「どう? 美味いだろイギリス」

    「お前の料理だけは評価してやらんでもない」

    「どうしてお前に伝わらなかったのかが悲しいところだね。食育に失敗した結果がこれだよ」

    「え? どうしたのフランス?」

    夢中で食べていたアメリカはいきなり指差されて小首を傾げたが食べるのを止めなかった。

    「あ、そうだ。妖精が見つかった。今知らせが届いた」

    紅茶を飲みながら遠い目をしていたイギリスが「午後から天気が崩れそうだな」と続ける言葉とまるで同じレベルの口調でさらりと宣言した。え、と二人が止まる。

    「アメリカ、お前帰れるぞ」

    「ほ、本当かい? タイムマシンとやらかい!!」

    「や、だから、妖精」

    今言ったじゃねえかと真顔で訂正するので正常な頭を持っていると自負している二国は頭痛を堪えながら付き合った。「妖精、妖精ね……」フランスまでもが遠い目になりながら繰り返す。軽んじられたと思ったか、少しムッとしながらもイギリスはまた何もない宙を見つめて何か囁いた後、ふ、と微笑った。

    それがまた綺麗な笑みだったりするのだから始末に負えない。アメリカも可哀想なイギリスがそういうのだから慌てて最後のひとかけを飲み込んだ。美味しいものはなくならないうちに食べないといつまであるか分からない。生き残る術の初歩中の初歩だ。

    ちりん、と何か小さな鈴のような音がした。ガラス細工のような、儚い音。気になって周りを見渡すが何も変化はない。フランスもちらちら視線を泳がせていた。

    「――アメリカ、もう一杯飲んでいけ」

    空になったカップにダージリンが注がれる。薄い色が量を増し綺麗な水の色からはチョコの甘い香りをはねのけるほどフレッシュな瑞々しい香りが再び立ち上った。

    「お前のために淹れたんだ。ダージリンの、ファーストフラッシュ。――日本は割と好いてくれる」

    「ちょっと薄いとか青臭いとか文句つけてあまり飲まないやつもいるからなあ」

    「黙れヒゲ」

    少し冷まして、それでも慌てて飲んだ熱い紅茶は確かにイギリスが淹れた最高級の味だった。

    「きらきらして、……幸せの味だ」

    「お前の紅茶だけは評価してやらんでもないぜ」

    「黙れヒゲ。俺の幸せに水を差すんじゃねえ」

    「美味しいよイギリス。――でも、俺、コーヒーも好きなんだぞ!」

    「それは流石に保証できかねるな」

    喉を鳴らすようにイギリスが笑った。目を細めて、愛おしそうに見つめられる。「あーあー」とフランスがやってられないといった顔をしていたが無視することにした。イギリスの紅茶は魔法がかかっていると以前教えてもらったことがある。きらきらした魔法は身体の中に入るとスパークして熱くなった。頭がぼうっとする。

    「イギリス、そういえばあの推理小説……」

    「ああ、読みさしの? それはお楽しみにとっておけ。今さら逃げたりしねえよ。犯人も、俺もだ」

    「頑張んなさいね、アメリカ」

    「未来で、待ってる」

    ひらひらとフランスが笑顔で手を振ってくる。ちりん、とまた鈴の音が聞こえ、それがだんだん増幅して光が煌めき始めた。妖精は視えたことがないから、きっとイギリスの魔法だ。目がちかちかする。

    魔法のお茶とチョコレートの甘い味を最後に、アメリカは意識を白い光に埋め尽くされた。


        ***


    「――まあ、これで世界会議にもなんとか間に合うな」

    「しばらくあいつの上司に嫌味を言われ続けると思うと憂鬱だ。というか、訴訟沙汰にされそうで鬱陶しい」

    アメリカが元に戻った数日後、フランスの作ったキッシュをつつきながらイギリスがため息を洩らした。

    「なんだよ独断専行も嫌味も口八丁もお前のお家芸じゃないの。……幸せなんだろ?」

    「――かな」

    二人は昼間からワインを開けていた。フランスがせっついたので以前強奪してワインセラーで大事に寝かせていたとっておきのを出したのだ。シャトー・マレスコ・サン・テグジュペリの1855年、深みのある赤だ。

    「星の王子様は俺の専売特許だっての」

    「たまにはあいつに貸してやってもいいだろ」

    「お前意外とロマンチストだよなー。あれが王子様なガラかね。ハンバーガー大好きなメタボなんて王子様とは認めませーん。お前、マイフェアレディ失敗だな」

    「――ヒーローだからね、身体ごと戻ったぞ」

    振りかえった二人の目に入ったのは頭を押さえている奇跡の生還者だった。体調不良を言い訳に仕事を抜け出してきて、寝ていたのだ。頭がぼうっとするんだぞ、と呻くアメリカを余所に、二人がまた乾杯をする。

    「……それ、俺が無事に戻ってきたお祝い?」

    「そう不機嫌になるなって! 折角可愛こちゃんが消えてメタボが戻ってきたんだ、ヒーローの生還に乾杯くらいはさせてもらってもいいだろう? キッシュ残してあるぞ。お前には物足りないかもしれんが」

    あり合わせのチーズとサラミが適当に切られて皿に盛ってある。くいっとグラスを空けたイギリスが近寄ってきたアメリカの口元に「おう」とサラミを運んだ。

    「いらないよ」

    「……そうか」

    少ししゅんとなりながらも彼はキッチンに姿を消す。やがて戻ってきたイギリスは新しくお湯を淹れたポットを手に持っていた。

    「コーヒーないかい? 昼間っから酒くさいんだぞ」

    「あ? んなもんあると思うか?」

    「こいつのコーヒーなんぞ、絶望の味しかしねーだろ」

    「ははははは死ねクソヒゲ」

    笑顔でイギリスがフランスの足を蹴る。ぎゃあと悲鳴が上がった。座らされてアメリカが砂時計を見守る。

    「――よし。アメリカ、ダージリンのセカンドフラッシュだ。お前憶えてるだろ? ……おかえり」

    カップに注がれた紅茶から懐かしい香りが広がった。
    #ヘタリア  #味覚音痴コンビ  #アルアサ  #腐向け

    タイムスリップをして現代にやってきた若メリと相手をするイギと兄ちゃん。

    幼年期の終わり







    ステージで最近人気が出てきたシャンソン歌手がライトを浴びて優雅に歌っている。客のざわめきも混じりBGMを背にフランスは数人と一緒に飲んでいた。ワインも数本空になり、皆気持ちよく酔ったまま会話を楽しんでいる。ここに雰囲気ぶち壊しの酒乱がいないことがフランスにとって天国といえる所以だった。

    「――本当に素敵な夜ね。もうちょっと静かなところに行かない?」

    「静かな夜にしたいの?」

    「まあ」

    上機嫌のフランスが爽やかな笑顔をきめた瞬間、ポケットから夜の女王が地獄の哄笑を立て始めた。一気にシャンソンの世界から現実に引き戻される。

    「げ。眉毛の呪い」

    無視しても後が恐いので渋々取る。にこりと女性に笑みを向け、慌てて通話のボタンを押した。

    「スクランブルだ!!」

    途端にがなる喚き声に優雅な耳が壊された。

    「おいヒゲ反応しろ! スクランブルだ!!」

    「は? お前が滅ぶなら全世界が歓喜するんだけど」

    イギリスの声の向こう側からは雑音がほとんど聞こえなかった。きっと自宅か仕事先の屋内だ。

    「ちっげえよ! いいから戦闘準備してエプロン持ってこっち来い! 今すぐだ!!」

    無茶言うな。俺は今シャンソンのムード全開なお店で、ムード全開な可愛い子が隣にいて、と文句が一挙に湧いて出る。お前にいちいち構ってられるほど暇じゃあないの、分かって?
    「おにいさん、お前みたいにエプロンが戦闘服じゃないのよ、その残念な頭で納得してね」

    「いいから来い! 世界の危機だ!」

    なにこいつ。口説いていた女の子が目の前でグラスを干す。つん、と腕をつつかれた。

    「……いま俺も世界の美女を前に危機なんだけど」

    「あきらめろ! お前に笑顔は似合わねえよ!」

    あまりの言い草に思い切り電源を切る。

    「あ、あの」

    慌ててフォローしようと向きなおったがその前に魅惑的な美女はにこりと微笑んで手を振っていた。

    「あ、ああー……」

    がくりと項垂れたフランスに同情してくれる優しい友達が「お前の不幸に乾杯」と新しくワインを開けていた。


    「もう勘弁してよ! 折角可愛い子だったのに! 身体の相性だって良さそうだった! 魅力的なボイン!! お前歌えないだろ愛の讃歌!」

    「うっせえな! 女に向ける煩悩にカロリー消費する前に世界を救う気になれ!」

    ああいえばこういうでイギリスはまったく反省の色も見せずフランスを迎えた。

    「誰もてめえにエプロン姿でワルサー構えろとか言ってねえだろボケ! てめえの頭の中は洋なしのコンポートでも詰まってるのか?」

    「状況報告! 状況報告だ隊長(ナンバーワン)!」

    「その世界一(ナンバーワン)が問題なんだ!」

    ああ、愛しの可愛こちゃんはまだ探せば見つかるとして、こんな可愛くない眉毛に拘束されちゃうお兄さんって。素敵なおっぱいに魅惑的なふとももだったのに。

    通された部屋には先客がいた。彼らしくない落ち着いた服を着たアメリカがソファに座っている。

    「待たせた。ヒゲ連れてきた」

    「……」

    反応はない。

    「こいつがどうかしたの?」

    「よく見ろ。こいつおかしくね?」

    「へ」

    じろじろと観察されてもアメリカは顔を強張らせたまま黙っている。まるでこちらとの距離を測りかねているようだった。彼にしてはらしくなくてあれれとフランスが目の前で手をひらひらと振った。

    「きみ、誰?」

    警戒の目で見あげてくるアメリカの反応にフランスが固まる。

    「どうかした? お兄さん、お前と喧嘩した憶えないんだけど」

    「そいつ、なんか今の記憶がないみたいなんだ。妖精さんの仕業かな?」

    「マジで。おーい、こんな美形なお兄さんの顔忘れちまったのか? フランスじゃないか」

    「……フランス?」

    いぶかしげな眼差しが瞬く。イギリスをちらりと見て、それからまた視線を戻した。

    「やけにおっさんになったもんだね。老けても好色さはなくなってないみたいだけど」

    毒のある物言いにフランスが目を剥いた。ちょん、と彼が襟を叩いてみせたので慌てて自分の襟を確認すると口紅がこびりついていた。イギリスが隣で肩を竦める。

    「老けたって……酷いなあー。大人の色気が分かってないようだね坊主。それにこいつだって同じだぞ?」

    横にいる眉毛の太い紳士も女好きなのには変わりないからそう自分ばかり責めないでほしい、若者よ。

    「イギリスはそうたいして変わってない。童顔だし」

    「あー……うん」

    「うるせえ」

    飲み物用意すると彼が踵を返した。「エールでいいな」とやや乱暴な足取りで台所へと消える。何が起こってるんだと事態を把握するために、妙に態度がよそよそしいアメリカに小首を傾げて愛想笑いをした。

    「それにしても野暮ったい服着てるな。野良仕事でもしてきたの?」

    「人を殺す仕事ならしてる」

    眼鏡越しにギロリと睨まれる。茶化されたと思ったらしい、テーブルの上に置いてあったカップは空で、茶うけと思しき皿も綺麗に片付いていた。

    「えーと……そういやお前ちょっと縮んだ? ようやくダイエット成功したの?」

    「きみが正真正銘のフランスだというんなら」

    青年がゆっくりと足を組み替えた。気安く近寄るなとその視線は尖っている。

    「肉がたるんだね」

    その一撃でフランスは多大なダメージを受けた。



    「イギリス! おいおいおいアレなんだよなんなんだよ!!」

    俺の知ってる可愛いメタボじゃない! フランスが逃げ込んだ台所で紅茶を淹れているイギリスに泣き声を上げた。砂時計が音もなく落ちている。蒸らす間に彼は冷蔵庫を開けた。

    「何? ガラスのハートのティーンじゃないんだから! ギザギザハートなの!? 触れたら割れるの!?」

    「いや、ガラスのハートのティーンみたいなんだ」

    エールの瓶を二本出したイギリスが次にサラミを切り始める。彼が言いたいことが分からなくて、フランスは黙ったままその様子を見守る。え、どういうこと? 記憶障害か何か? イギリスも動揺しているのか、サラミの厚さがばらばらだった。

     あいつ、と口火を切る。ダン、ナイフが使いこんだ木のまな板にぶつかって、止まった。

    「あいつ、いつもは文句いうのにスコーン出しても黙って食ってるんだよ……」

    「なんだ、のろけかよ」

    「いや、今日は粉の配分ちょっと間違えたし、うっかり砂糖入れるの忘れちまったから失敗作なんだ。それを何も言わず食ってるんだよ。ちょっとおかしくね?」

    「お前の作品はいつだって失敗作だからね」

    「茶化すな」

    そこで、ふー、と大きく息を吐いてイギリスがテーブルに手を突いた。

    「ていうかなに? いつからあいつおかしいの?」

    「昨日の夜に喧嘩してあいつが出ていったと思ったら、今日の夕方になって書庫で倒れてるの見つけたんだ」

    彼らが喧嘩をするのはいつものことなので、ふむと頷く。書庫って、いつから倒れていたんだ?
    「鍵を渡したのは俺だから、書庫に入れたのは分かる。でもまさかあいつが倒れてるだなんて……」

    「ちょっと待て。そのタイムラグの間、お前は何してたんだ?」

    「朝ちょっと遅めに起きて飯食ってスコーン作って庭仕事してたが」

    「アメリカは前夜に出てって、今日の夕方に書庫で見つかったの? それ、どういうこと?」

    その間、アメリカはどうしていたのだろうか。まさかそこで倒れていてずっと放置されていたとしたら大変だ。まあ、そのくらい放っておいても死にはしないけどね、と経験者は生ぬるく笑うだけなのだが。

    「俺も、書庫を確認したときは鍵がかかっていたし、その鍵もテーブルの上に置いてあったから、中までは入らなかったんだ。……あいつも勝手に帰ったと思って」

    「放置プレイ……」

    「うるせえな。そんで、落ち着いてからあいつと喧嘩した原因を確認しようって腹括って見に行ったんだ」

    「そしたらアレがいたの?」

    「なんか最後に見たときと服装が違ってたし目方も違ってたからなんだと思って起こしたら……アレだよ」

    イギリスはぱっと見ただけでアメリカの体重がだいたい分かる能力を持っている。会うたびに「太ったな」とか「お前、最近ちょっと痩せたか」とさらっと口にしてはアメリカの動揺を誘うのが得意だ。

    「うーん。意識はどうなの? 記憶障害?」

    「俺の知ってる妖精さんがどうやら見てたらしいんだよ。そいつが言うには」

    そこでイギリスが口をつぐんだ。迷っている。別にお前が非科学的なことをいうのは今に始まったことじゃないんだし頭の心配するのは今はアメリカの方なんだからと促すとエールの蓋を腹いせのように一息で開けた。

    「――タイムスリップして今のアメリカが昔に飛ばされたってさ」

    「そらまたファンタジーな。……で? アレは?」

    「代わりに『裏返された』過去のアメリカ、だろうな」

    わあ、時代によっては面倒なことになりそうね。

    砂時計が落ち切るのを察してイギリスが温めていたカップの中のお湯を捨てる。

    フランスは内心頭を抱えながらエールの封を開けた。



    「待たせたな」

    客間に戻ると寸分たがわぬ姿勢でアメリカはソファに座っていた。あれからちっとも動いていませんという顔だ。目の前のローテーブルにイギリスがポットとソーサーを置く。慣れた手つきでカップにお茶を注いだ。

    ふわりと甘い香りが立ち上る。桃のフレーバーティーのようだった。笑顔でアメリカに勧める。

    「ピーチジンジャーティーだ。これでまだ寒いようなら酒持ってくる」

    イギリス自身はエールをグラスに注いでぐいっと飲んだ。酔うとさらに事態はややこしくなるので隙を見て瓶を奪おうとフランスもほどよく冷えたエールを流し込む。勝手にワイン探して開ければよかった。

    「……酒はそんなに飲まない」

    じっとカップを凝視しながらアメリカが硬い声を出した。コーヒーが飲みたい云々のいつもの台詞が出てこない。イギリスも首を傾げていた。

    「飲まないの?」

    「俺、猫舌だから」

    熱いのは飲めないんだ、むっつりと真面目に答えられて、イギリスがへにゃりと表情を崩した。

    「お前、可愛くなったなあ」

    「どこが。さっきこいつ俺に暴言放ったって」

    フランスの文句もイギリスの耳には届いてない。

    「その、可愛いっていうのは止めてくれる? もう大人なんだから言われたくないぞ」

    そこでフランスもつい陥落してしまった。

    「いい大人はそんなこと言われても余裕でいなすよ~。なんだ、お前いま何歳? どこの時代から来た? ん? んん?」

    アメリカがさっと青ざめる。勢いよく顔を上げるとイギリスと視線を合わせた。(こういうときでもイギリスしか目に入ってないんだから、こいつは筋金入りだよね!)お兄さんのツッコミも二人には効かない。

    「なんでイギリスが俺の相手してくれるの? もしかして何か俺をはめようとしてる? フランスも、ヒゲなんか生やして気持ち悪い! 俺を元の場所に戻してくれよ!」

    「元の場所ってどこだ?」

    「ワシントンD.C.だ! 欧州のきみたちに比べれば大したことないかもしれないけど、俺だって大事な集まりくらいあるんだぞ」

    アメリカの本宅はそういえばワシントンD.C.にあるんだったとフランスが思い出す。普段はNYに詰めているのであまり行ったことはないがイギリスは普通に泊ってそうだった。(なんだかんだいってこいつら仲良いし)

    「それで? お前の記憶は何年で止まってるんだ」

    その言葉にさらにアメリカの顔が青くなる。老大国二人相手とはいえ、自分の記憶が未来において止まったままだということがショックだったらしい。

    「あ、あー……その、タイムスリップって知ってるか? お前、『裏返って』未来に飛ばされて来たんだよ」

    「じゃあ、俺が何かの原因で冬眠している間にきみたちが年食ったっていうわけではないんだね?」

    そっちの方が恐いわな、想像したフランスが「おお恐」と身を震わせながらエールの残りをグラスに注いでごくごくと飲んだ。

    「特定されてももう俺たちには過去のことだから大丈夫だぞ」

    「今の俺に何かしたら変わるんじゃないかい」

    「なんと」

    アメリカは思っていたより利発だった。イギリスが興奮した調子で「おいおいおい」と揺さぶってくる。

    「こいつ、ハンバーガーで頭やられた今より知恵回るぞ! この警戒心見たかよオイ? 野生のアメリカだ!」

    振り回されながらフランスが「あーもう!」とグラスから零れた液体が絨毯を濡らすのを目で追った。お前がやったんだから知らないよ、ああ、本当にもう。

    「じゃあヒントだけでも。今のアメリカがどこに飛んだか、少しは知っといた方が後あとネタにできるだろ?」

    テキサスをかけているものの知っているより少し若いアメリカは非情に嫌そうな顔をした。フランスがおもむろに両手を伸ばしてささっと脇腹を触る。「わっ!」がっちりとした身体は最後に測ったときよりも細かった。過剰に反応したアメリカが身を竦め距離を取る。

    「イギリスが相手にしていないってことは、最近の話じゃないってことだな」

    ふむ、フランスが推察するのと同時にイギリスの拳がボディーに決まった。

    「アメリカに触るんじゃねえよ!」

    「この馬鹿眉毛……」

    唸りながら痛みに耐える。我慢しろ。ここで喧嘩したらアメリカの問題が先送りになるだけだ。お兄さんなんだから我慢我慢……ぎりぎり歯噛みしながら耐える。

    「きみたち、相変わらず仲良いんだね」

    真顔でアメリカが吐息を洩らす。え、今このガキなんつった? じんじんする腹を抱えながらフランスが逃げるのをイギリスは追ってこようとはしなかった。

    「仲良くなんかねえよ!!」

    真っ赤になったイギリスが訂正するがアメリカはテーブルの上のカップを取ってようやく温くなった紅茶を飲み始めた。

    「別に。気にしないから」

    (いやいやおめえ、思いっきり気になってるじゃねえの。このクソガキ)

    つん、とイギリスの言い訳を聞き流して身体だけ大きいアメリカがくーっと干す。ぱしぱしと瞬きをした。

     「美味しい」

     「当たり前だ」

     「イギリスが淹れてくれたんだものね」

     続くイギリスのお決まりの台詞を唱えたアメリカはとても懐かしそうにカップを手で包んだ。

     「おかわりいるか?」

     「うん」

     いきいきとイギリスが面倒を見るのを余所に、フランスは眼鏡の向こうの空色の瞳が元保護者を見つめるのを観察する。その目には見覚えがあった。

    (まだイギリスに振り向いてもらってない年ごろだろうかねえ……)

    「きみ、あんなに偉そうにしてたのに」

    「あ? 大英帝国様は偉いに決まってるだろ」

    うん、と素直に頷く彼が大人しく紅茶を味わっていることが違和感のかたまりだった。あのアメリカが、文句もなく、だ。

    「お前、こいつが落ちぶれたの知らないの?」

    「指差すな!」

    「落ちぶれた……? 調子悪くなったのかい?」

    「うるっせえな! 俺は今でも陽の沈まぬ国だよ!」

    不安そうなアメリカに反射で噛みつき返すイギリスの根性はすごいが、事実は事実だった。

    「無茶言うなよ、お前。童顔でもおっさんはおっさんだって。認めろって。アメリカ見てみろ、ぴっちぴちしてやがるじゃねーの」

    「手ェ出すなよ!」

    即座に牽制してくるイギリスが真っ赤になって怒っているがそれを茶化そうという気は起こらないようだ。アメリカは慎重に二人のやり取りを見ている。

    「で? 何か、スコーン食わせただけ? こいつお腹空かせてるんじゃねーの」

    「あ、え、おい! 腹減ってるか?」

    「ううん」

    ふるふると首を振ったので雑に切られたサラミを齧っていたイギリスが「ん」とアメリカの口元に運んだ。

    「え」

    固まったアメリカに「ん」とイギリスが促す。ぎくしゃくと手で受け取ると、もくもくと食べ始めた。

    「これ飲むか?」

    エールの瓶を指差す。これには「いらない」と明確な返事が返ってきた。

    「食ってあったまったら寝ちまうこったな。俺先にシャワー浴びてくるわ」

    「お前、シャワー使えるか?」

    「シャワー?」

    不意に沈黙が落ちた。そういえば、とイギリスが重々しくフランスに向き直る。

    「こいつ、トイレの水流す方法教えたら吃驚してたんだ。……湯船に湯張って入らせればいいかな?」

    「うーん、まあいんじゃね? おいアメリカ、お兄さんと一緒に入るか?」

    「あ、てめ! それなら俺が一緒に入る!」

    好色な笑みを浮かべたフランスと必死に対抗するイギリスが醜い争いをしているのをぽかんと見あげていたアメリカが慌てて手を振った。

    「一人で入れる」

    「でも、勝手が分からないだろう? 俺が洗ってやるから」

    「イギリスは嫌だ!!」

    切羽詰まった悲鳴にイギリスがダメージを受けるのをあらあらとフランスがニヨニヨ笑いで見守った。

    「なんでだよ……」

    「まあ、若いからねえ」

    意気消沈したイギリスにざまあみろと追い打ちをかける。若いアメリカが緊張した様子を崩さないのが可愛らしかった。



    結局湯船に浸かってほっこりと温まってきたらしい、シャワーは使わなかったのかと聞かれてアメリカはうんと答えた。未知への冒険をする気にはなれなかったようだ。好奇心旺盛なあいつらしくない。頭をタオルで拭いているのを見てドライヤーを持ったイギリスがスイッチを入れる。途端に響いた轟音と吹きつけてくる熱風にアメリカが悲鳴を上げた。逃げようとするのを押さえつけてがしがしと頭をかき混ぜる。フランスも手早くシャワーを使いバスローブ姿になった。

    「イギリスのまっずいスコーンじゃ涙出てくるだろ、明日はお兄さんが何か作ってやるよ」

    だからエプロンね。こんなことなら適当に食材も買ってくればよかった。まあ、冷蔵庫にあるもので最善のものを作るのも腕前の見せどころだけれどね、とようやく納得した。たまにはこの味覚音痴どもに頼られるのも気分がいい。(これが頻繁になると死ね! って思うんだけどね)

    「食いたいのあるなら早めに言っておけよ。取り寄せるから」

     「お兄さんハンバーガーはやーよ。あとピザとかシェイクの類も見たくないからね」

    「……ローストビーフ」

    ふわふわの頭になったアメリカが小さな声を上げた。

    「イギリス、ローストビーフ今でも作れる?」

    探るような目つきに小首をかしげながらもイギリスが頷いた。昔からアメリカによく作っていた料理だ。チキンにすると文句が多いので(チキンが悪いのか焼き過ぎが悪いのかは判別がついていない)アメリカが泊りに来るときはビーフの固まりを仕入れていたものだ。

    「まあ、お前がそんなに食いたいなら作ってやってもいいけど? その代わりちゃんと文句言わずに食えよ」

    「作るんならお前ら二人分にしとけよ。お兄さんはお前の手料理なんざ食いたかないからな」

    「じゃあてめえは何作るんだ?」

    「そうねー……冷蔵庫の中身確認してからでいい? あまりに酷いようだったら買い出し頼むわ」

    まだまだ寒いからあったかいものを食わせればいいな。イギリスもそうだが、フランスもこの年若い食いしん坊にものを食わせるのが嫌いではない。

    (まあ、本当の美味しさってもんが分かる舌じゃないけどね……)

    味覚オンチ二大国め。美食の国としては料理でこの二人を魅了するのは破格の待遇なのだ。それをよく胸に留めておいてほしい。イギリスはまだアメリカの相手をしたいようなので放置して台所へ戻った。

    「明日は簡単なシチューにするか」

    それなら野菜とさきほど見つかったチキンでなんとかなる。確認して客用寝室へと移動して寝た。イギリスがアメリカを心配して一緒に寝ようだのアメリカが真っ赤になって拒否してるだの、何かごちょごちょと言い合いをしていたがもう疲れていたので無視して寝た。




    朝、早く目が覚めたので二人の様子を窺った。イギリスは既に起きていたがアメリカはまだ眠っていた。いつもイギリスの家を訪れるときに使っている寝室なのか、イギリスらしくないもの(どうせアメリカが勝手に持ってきたプレゼントだろうけどね)がさりげなく飾ってあったが、それに気付くかどうかは分からなかった。まあ、新しいもの好きなアメリカが持ってきたやつなんてイギリスの好みじゃないだろうしね。好みじゃないDVDやゲームの類はここしばらく会ってないので送り返すかどうかしているだろう。そもそもそれが何かを認識できるか怪しい。イギリスが用意したのは以前アメリカが泊っている間に細々とそろえてしまった衣服だった。少し大きめのその衣服がどうしてイギリスの屋敷にあるのかあの若造はまた悩むのだろうか。

    台所へ移って朝食の用意をする。イギリスに任せるとまた貧しいご飯になって可哀想だからだ。思っていたよりも材料はそろっていたので肉の下拵えを手早く始めた。ニンジンもジャガイモも常備されているようだ。まめな性格なのに、これで食品を加工すると消し炭になるのだから違う意味で器用な奴だ。

    鶏の胸肉を切って塩コショウする。鍋に入れて白ワインをひたひたになるまで入れると火をつけた。玉ねぎの皮を剥いてざっくりと切る。同じく切ったニンジンを煮ている間にジャガイモの皮を剥いておいた。

    コンソメは市販のやつがあった。小麦粉とバターを取り出し、ホワイトシチューのルーを作る。それなりに使いこまれた鍋は内側の加工が削れたようになっていた。何度も焦がしては躍起になってこそげ落としたのだろう。何をしたらそんなになるのだろうね、と火にかけた鍋にバターを落とした。

    「おい、何作ってる?」

    「ホワイトシチュー。お前みたいに黒くないやつ。アメリカはどう? 起きた?」

    「着替えさせたら客間でぼうっとしてる。っつーか。……あんまり具合が良くないみたいだから大人しく横になってる。あの体力馬鹿がどうしたら調子崩すんだ?」

    毛布をかけてやったらそれにも反応したらしい。どれだけ優しさに飢えてるんだとぼやいていたが彼の気持ちは解らなくもなかった。(それ、お前だからだよ、馬鹿なイギリス)

    「――お前が相手してくれるのが嬉しいって、可愛いよなあー。あれ俺にもしてくれたらいいのに」

    「うっせえな。あいつにちょっかい出したらしめるぞ」

    「ならなんでお兄さん呼びつけたのよ」

    非情に不本意ですという顔でイギリスがむっつりと黙った。小麦粉を足した鍋が焦げないように手を忙しく動かしていると「だって」と柄にもなくしおらしい態度のイギリスが口を開く。

    「あいつ、妙に強がってるわりには実際世話焼くといちいち過剰反応してなんか俺じゃ落ち着けないみたいだから」

    「お兄さんは緩衝材ってわけね」

    強がってる、強がってるねえ……。まあその解釈は間違ってないだろうな。牛乳を足して伸ばし始めるといい匂いがさらに増した。イギリスなら確実に焦がしているだろう。

    「本国に帰りたいって言ってるけど、飛行機の概念がどうやら分かってないみたいなんだ。ドーバーから船が出ないかって言ってた」

    「こっちに来たことない感じだった?」

    「詳しい地名がほとんど出てこないみたいだったしな。そう渡英していないなら大戦前だな」

    うーん、と考えながら鍋を混ぜ続ける。その横でニンジンと玉ねぎを煮込んでいる鍋がぐつぐつと音を立てていた。イギリスが牛肉の固まりを取り出す。

    「まあ、あいつが所望してるんだから俺は止めないけど、食材への冒涜だからあんまり焦がさないでやってね」

    「ああ? レアが好きって聞いてないぜ?」

    「その気持ちでやった方が丁度いいかも」

    ウェルダンすぎて肉汁も油も抜けたぱっさぱさの肉は牛さんに可哀想よ、と注意するがどうせいつものように右から左にスルーだろう。お兄さんは一応注意したからな。

    「大英帝国って言っても動じなかったな」

    「いつもなら笑われるはずだったけどな」

    「ということは」

    そのくらいの時代の可能性が高いということだ。イギリスは徹底的にアメリカとの個人的な仲を排除していたし、お互いに互いを嫌われていると思っていた。

    「しっかしまあ、このタイミングでなるとはね、さすがに同情してやらなくもないよ。普段の行いのせいだな。ざまあみろ」

    「うるせえ」

    「結局何? この家にいたってことはまたくっついたの? そういや一周忌だって言ってたっけ。俺は関係ないから参加しなかったけど」

    「まあ、な」

    一時期ある理由でアメリカとイギリスの恋人関係が破たんしたことは知っていた。お互いに納得済みなら仕方ないとフランスも触れないようにしていたし、もともと二人の仲を知っていたのは彼らと関係のある国くらいのものだ。

    「――ちょっと喧嘩してな」

    不承不承に明かしながらイギリスはオーブンの火を点けた。やけに古いそれが正常に機能するのか甚だ怪しいのでフランスは使わないことにしている。ダイヤルを回しているその手つきに危うさはないがこれで温度が狂っていたらイギリスじゃなくても失敗するだろう。

    「お前って喧嘩しないと生きていけないわけ? マグロと一緒? 呼吸できないの?」

    「うっせえなてめえが存在しなかったら俺はもっと心穏やかに生きられたよ」

    「アメリカも可哀想に……」

    素直に同情する。勿論アメリカにも色々と性格上問題が多々あるが、イギリスを相手にするときの彼は分が悪い。今となってはくっついただの離れただのそういう会話ができるが、イギリスがアメリカを『そういう』意味で相手するようになったのはここ最近のことなのだ。それまでアメリカは空気が読めないわりには苦労して想い人を振り向かせようと努力をしていたし、空回りしては失敗していた。

    「あいつ、お前のこと好きだぞ。勘だけど」

    「……まじで?」

    「マジマジ。なんか俺のセンサーが反応した。愛の国なめんな」

    「もう嫌われてるとばかり思ってた」

    その根拠はどこから出てるんだと問いただしたかったがそれはむしろ当時のイギリスに忠告した方が幸せの道に繋がっていたのだろう。まあ、敵に塩を送る気はないから知っていてもしなかったけどね。フランスはこう見えても完全なヘタレでもないし、全世界公認でイギリスとぼこり合いする仲なのだ。

    (ご飯に毒を入れないのは俺の作品を穢したくないから。お兄さんの手料理くらいは世界平和のために存在しててもいいからね)

    いくら相手が顔を合わせば殴り合うイギリスでも、ご飯を食べさせればちゃんと美味いと言ってくれる。相手を料理で懐柔するのは快感だ。

    「……下味くらいつけたら?」

    「自分の好みで味付けした方がいいだろ。黙ってろ」

    肉の固まりを昨夜飲んだエールの瓶でガンガン叩いていたイギリスが「よし」とでろりとしたそれを鉄板の上に乗せた。

    「オーブン、そろそろ熱くなってるんじゃね」

    「言われなくても知ってる」

    「可愛くないの」

    「俺が可愛くてたまるか」

    実に可愛げのない態度だが、幼いアメリカを前にしたときの豹変っぷりは凄まじかったのを憶えている。きっとアメリカにとっては聖母に近いイメージがあったのだろうなと推察しつつ、それを見事にぶち壊して元弟の幻想を地に落としたのも彼自身だった。

    (まあ、冷たくした理由も分からないでもないけどね。お兄さんそんなこと言って眉毛の株上げたくないから言わないけど)

    世界の頂点に君臨していた当時のイギリスは国の威力に比例して態度がでかく、それなのにどこか憂鬱そうな陰気な空気を併せ持っていた。話しかけようとする気も失せるほどだ。喧嘩らしい喧嘩にもならず、機嫌を損ねては一方的に殴られていた嫌な記憶まで蘇ってきた。

    (嫌だわあこいつ。本気で怒ると黙って殴るんだもん。殴るっていうか、蹴るっていうか)

    そこそこ頑張って力をつけてきたアメリカに対しても全く素顔を見せなかったのはイギリスなりのけじめのつけ方だったのだろうか。下手に甘くしてもアメリカは一人で強くなれなかっただろうなというのは結果論だ。フランスは、イギリスに拒まれて空回りした挙句涙をこらえている若いアメリカを何度となく見たことがある。その弱っている心に付け込んで良い目を見せてもらったのもフランスだからだ。(基本的に眉毛の不幸は俺の幸せだしなー)今でこそ世界のお兄さんだが、愛の施行者フランスは聖人ではないのである。

    「アメリカの上司には連絡つけたの?」

    「一応、本国に異常はないか探りを入れた。特に何もないみたいだけど、一晩経っても元に戻らなかったからどうにかして話をつけるしかないな。数日でなんとかなれば怒られずに済む。それ以上になったら無理やり休暇を取るしかない」

    フランスもイギリスも普通に仕事があるのでこのままアメリカの面倒をずっと見ているわけにはいかない。さっさと戻れと念じながらミネラルウォーターを新しく開封した。炭酸がきつい。

    「肝心の妖精さんがなー。あいつと一緒に飛んだみたいで姿が見当たらないんだ」

    「ああ……そう……妖精の仕業ってことで納得しなきゃならないわけね」

    「お前さっきから何聞いてたんだよ」

    理不尽なことが起こるとそういう解決の仕方になってしまうのはイギリスの自己防衛機能なのかなあと鍋をかき回して様子を見ながら考えた。確かに非科学的な分野はイギリスのお家芸だ。アメリカがそれに巻き込まれたのは妖精を信じないものとして可哀想だが自分が被害に遭わなくてよかったと一安心してしまうのは別に悪いことではない。

    「それで? 様子見で一晩寝かせて戻らなかったんだけど。これからどうすんの? 俺仕事あるから帰るぞ」

    「てめえごとき数日いなくてもなんとでもなるだろ。スト起こしまくりのくせに」

    酷い言われようだ。お兄さんは別にスト起こしたりなんてしてないぞ。見た目はちゃらくても仕事はちゃんとこなすタイプなので非情に遺憾だ。

    「……アメリカって最近どうなの? 忙しかったりするの?」

    「あー。……少しは融通きくな。3日くらい休みとったって言ってたし」

    「その間に治るといいんだけどねえ」

    「使えそうな魔法探すから試してみるか?」

    真面目に提案するイギリスは常に真剣だ。ふざけているわけではないのだから手に負えない。

    「あのさ、……若返りしたアメリカが今度はカエルに変身してもお前愛せる?」

    「俺の愛なめんな」

    「カエルだぞ? あのげろげろ鳴いて両生類で虫食うやつだぞ? セックスの相手にするにはちょっと難があると思わね?」

    「う、うう、……犬なら……可愛いし」

    「そうだよなあカエルっつったらもう食料の域だもんなあー。……ってか、犬でも獣姦だっつの」

    同意した瞬間、イギリスの顔が引きつった。ん? 食料ガエル知らないのか?
    「まあ、これ以上事態をややこしくさせるのは止めろっつーこった。せいぜいその妖精ってやつを説得して返してもらえ」

    「お前、ようやく妖精さんの存在を信じるようになったんだな。信じるものは救われるぞ」

    「とても複雑な気分だよ」

    肉を蒸し焼きしている間、タイマーをセットしてイギリスはまた客間に戻っていった。これは何か? 俺に任せたってことか? まあ呼べばいいかと鍋の火を弱火にしてシチューの仕上げをする。勘だが、やはりオーブンの温度は設定よりも高い気がした。



    「パン焼けたぞー」

    「おし運べ」

    「お前がだ。お兄さんはシチューにしか責任持てません。ローストビーフっていうか、焼けた肉っていうか、可哀想な肉は二人で食べてね」

    「誰がてめえになんざやるかよ! でもそのシチューは食べてやる。シチューに罪はないからな!」

    うるさいイギリスをいなしてアメリカの前にシチューの深皿を置いた。湯気が立って美味しそうな香りが部屋中に広がる。アメリカの表情が少し和らいだ。ぐう、とお腹が鳴って、恥ずかしそうな顔になっている。

    「おら、俺のも食えよ」

    切り分けたローストビーフをイギリスが皿に盛って出した。素直に受け取るアメリカがそれをじろじろ見る。

    この味覚オンチが! 思わず舌打ちした。見るからに美味しそうなシチューを横に、アメリカが手をつけたのは赤いところなどまったくない縁が黒く焦げた固い肉だったからだ。ナイフとフォークで切り分ける手つきはさすがイギリス仕込みだというべきか、それにしては対象の肉が可哀想な出来だった。がつ、と食いつくと少し苦労して噛み、黙ったままもぐもぐと咀嚼している。ごくん、と飲み込んで、また食らいついた。

    「ど、どうだ?」

    「……ぱさぱさして固い」

    「うっ」

    「イギリス、まだ料理できたんだ」

    「それ、料理じゃないからな。食へのテロ行為だからな」

    親切に注釈してやっても目の前の味覚オンチ二大国は自分たちの世界に入ってしまってフランスは肩を竦め、自分の分のパンとシチューを味わうことに決めた。

    「俺だって料理くらいするぞ」

    「そんなの、昔のことだと思ってた。きみ、偉いひとだから」

    もともと俺に作ってくれたのもきみの趣向だったんだろう? アメリカが訥々と続ける。そうか、このアメリカの知っているイギリスはそんなに偉そうなやつだったのかと推察すると、やはりイギリスが頂点を極めていた時代から来たようだった。今頃飛ばされた現代のアメリカは無事だろうか。あの当時、今となりで細々と世話を焼いている甘々のイギリスはアメリカに対する態度を硬化させていたし、全く相手にしていないことを隠そうともしなかった。

    まあ、ちょっとは可哀想とは思ってたけどね。でもそれがイギリスの家族を辞めたってことなんだから世俗に塗れていないアメリカも思い知ったんじゃないの?
    基本的にフランスも他人事なのである。

    「どうかしたか? や、やっぱ不味いか? 無理しなくてもいいぞ?」

    珍しくイギリスがおろおろとしているのを余所にアメリカはもぐもぐと肉を噛み締めていた。シチューも冷えないうちに食べてちょうだいねと声をかけるもひたすら肉の固まりを片づけるのに集中している。そんなに熱心に食べるとイギリスが勘違いして調子づくんじゃないかなあとフランスは遠い目でパンにバターを塗った。もそもそと食べるアメリカを前に、イギリスは確かにうっとりしているようだった。

    「お、お代わりいるか? ていうかシチューも食えよ。あったまるぞ」

    「フランスはなんでイギリスの家にいるの? そんなに仲良いの?」

    「なっ仲良くなんかねえよ! お前が大変なことになったときに付き合ってくれそうなやつがこいつしかいなかっただけであってな! 日本は巻き込むの悪いし!」

    「日本?」

    「俺が巻き込まれるのは構わないってわけね……まあ、今さらいいけどさ……」

    相変わらずの扱いだが、可愛い時分からイギリスごと餌付けしていた仲だ。まあお兄さんそんなに良い人じゃないけどね! 元に戻ったらこれをネタにしばらくはつつけそうだ。アメリカが腐れ縁の自分とイギリスのやり合いを見ては冷たい目でじっとりと嫉妬しているのは知っている。ざまあみろと思うわけだ。力だけは立派についた若造と、それになんだかんだと付き合っているプライドの高い老大国の両方に。

    「朝っぱらから重いもん食ったな……」

    「お前はいいよ貧相だから。もっと太れ太れ」

    「――仲良いね」

    やり取りをじっと眺めていたアメリカが細く呟いたのでイギリスも吃驚していた。

    「おい、勘違いするなよ! 何度も言うが俺とこいつはぜんっぜん仲良くなんかないからな!」

    「俺とも?」

    「あ、アメリカは……まあ、何ていうか……」

    途端に言葉を濁してしまうイギリスに何を思ったかアメリカは悲しそうな顔になって目を伏せた。なんかこいつしおらしくてアメリカじゃない! 

    「いやー、喧嘩しながら結構立派に付き合ってるから安心しなよ、アメリカ。こいつなんだかんだでお前に甘いからさ」

    「もう弟じゃないのに?」

    「大丈夫大丈夫こいつ真性の変態だからさ! グフ」

    思い切り腹に重い一発を決められてフランスは悶絶した。黒い顔のイギリスがバキボキと指を鳴らす。

    「……イギリス、やっぱりきみ、俺を騙してフランスと一緒に何か企んでる?」

    「疑り深いなあてめえ」

    「そう仕込んだのはきみじゃないか。言っておくけど、きみに習ったことで実戦に使えたのは教育だけじゃなくて独立してからのきみの態度も大きいんだよ」

    「俺の天使……」

    ほろりとイギリスが涙を落とすがアメリカはまだ警戒を緩めなかった。

    「きみの天使はもういない。思ってもいないこと言わないでくれる? 俺が何も知らないからって、不愉快だ」

    さあこれをどう料理してくれよう?



    食後にアイスを与えると単純に喜んだ。イギリスはどうやらアメリカのために宅配させたらしい。こんな大人しいときくらい身体に悪いのはどうかと思ったが餌付けには向いているようだった。

    「ストロベリーアイスだ」

    有機栽培がどうの、無添加がどうのと書かれた素朴なカップを貰いアメリカが目を輝かせた。嬉しそうにスプーンで掬いせっせと食べ始める。

    「大丈夫、お前今はそんなに目方ないからちょっとくらい食べても許容範囲だ」

    イギリスが目を細めて愛しそうに笑った。

    「この服がぴったりになるくらい大きくなるのかい? 俺、もっと大きくなれる?」

    「ああ、特に横にな。生活習慣病で倒れたくなかったらハンバーガーの過剰摂取に気をつけろよ」

    「きみのご飯に比べたらまだマシだと思うけど」

    あっという間に空になったカップを名残惜しそうに見つめ、スプーンを咥えるアメリカは可愛かった。「スプーンを噛むな」と即座にイギリスの教育的指導が行く。

    「イギリスイギリス」

    「ん?」

    ちょいちょいと指で呼んで、アメリカに聞こえないところに移動した。なんだよと親子水入らずの邪魔をされたイギリスが鼻を鳴らす。

    「あそこにあった写真、隠したの? ほら、皆と撮ったやつ以外にお前らの惚気の固まりみたいなのあったじゃん。……あとアメリカの私物とか」

    「感づかれたらやばいだろ? 全部隠したよ」

    「じゃあ入れ知恵だけど、当たり障りのないやつだけ出してやりな。少しは自分の気配が残ってないとあいつもお前とそこそこやり取りがあるってこと認められないだろ」

    「……着替え以外で? 歯ブラシとか?」

    「お前に似合わないとびきり悪趣味ったらアレだろ。星条旗のクッション。あのでかいやつ」

    あれだったら自分の涎もついてるだろうし安心するんじゃね? と提案した。イギリスも少し考え、顔を顰める。まずはアメリカを馴らすのが先決だとお兄さんは思うぞ。

    「俺の美観を損ねるから出したくないんだが」

    「でもあいつはお前のとこに居場所がほしかったんだろ。必死で可愛いじゃねえの」

    「それはお前の家のソファに星条旗の悪趣味なクッションが陣取ってるのを想像してから言え」

    「うーん……悪夢」

    だろ。イギリスは嫌そうな顔をしながらも不承不承頷いた。本当、アメリカのことになったら底抜けに甘いんだから、この坊っちゃんは。

    これで恩を売っておけば、戻ってきたアメリカも頭が上がらないかもね、と唸るイギリスを慰めたがあまり効果はなかった。

    「ちょっと待ってろ、とってくる」

    「ついでにDVDとかないの? この際天使にラブソングをでもサウンドオブミュージックでも構わないからさ」

    「歌で問題を解決して最後は大合唱でハッピーエンドなのは好みじゃねえ」

    お前の好みを聞いてるわけでもないのよ、この眉毛が。

    「じゃあ変態村」

    「あいつが泣き喚かなかったらな」

    ああ、あの物議を醸し出した狂気の純愛を理解できる歳じゃあなさそうね。フランスもアメリカを泣かせたいわけではなかったので大人しく引いた。

    「ハッピーエンド好きそうなのになあ……」

    「今度ディ○ニーでも借りてくるか?」

    「喜ぶかな?」

    知るか、言い捨ててイギリスが消えた。きっと寝室あたりに大事にとっておいているのだろう。あいつは変に律儀で大好きなアメリカのためなら手段を選ばず取っておくタイプだ。きっと昔もらった花なんかも押し花にして色が褪せて刷り切れようとも保存していることだろう。どんな乙女だ。

    「アメリカ、何か飲むか?」

    「フランス、まだいたの?」

    「言ってくれるねえ……。まあ、その気持ちは分からなくもないけどさ。今日の夜の便で帰るさ。そんで、お前が長引きそうだったらまた様子見にくる。あの眉毛だけじゃ心配だ」

    美味しいコーヒーがいいなと呟いたのでおしと頷いた。イギリスが淹れるコーヒーはやけに不味い。それよりかはまだ俺は美味しいのができる。気だるげにソファに埋もれているアメリカを置いて台所へ行こうとしたときにその悪趣味な物体が視界に入った。

    「うわ……」

    思わず目を背けてしまう。アメリカはばっと身体を起こし目を見開いて立ちあがった。見事な食い付きの良さだ。イギリスが抱きかかえると前が見えないくらいの大きなクッションを放られ、受け取る。

    「お前のだ。テディベア代わりにこれでも抱いとけ」

    「どうしてこんなのがイギリスの家に?」

    「マジ趣味悪いなそれ……」

    「俺の星条旗に文句ある?」

    キッと睨みつけられるがフランスは肩を竦めるだけに留めた。イギリスもその様子に苦笑している。

    「お前が勝手に俺の家に持ち込んで勝手に寛いでたんだよ。別に足置きにしてたわけじゃねーからな」

    「この服も、全部この世界の俺がイギリスの家に置いていたの? 本当だったの?」

    「俺がそんな嘘言ったって何も得にならねえよ」

    あ、いい加減イギリスも鬱陶しくなってきたなというのが伝わったのだろう、びくんと身体を揺らすと、顔を強張らせたままアメリカはまたソファに沈んだ。

    「おい、言っておくが、いくらお前が勝手にここに来てたっつっても俺はお前の家政婦じゃねえからな! 飯と洗濯くらいはまあ、してやってもいいがここにいる以上掃除くらいは手伝ってもらうぞ」

    「客じゃないっていうのかい?」

    「誰がてめえみたいな傍若無人、客扱いするか」

    ふん、と鼻息を荒くして言い放った家の主にちょいととフランスが声をかける。

    「掃除機とか、使えると思う?」

    「……」

    イギリスが黙った。こまめに掃除をするのが好きな彼は掃除機も色々と最新式を買うのが趣味だ。ダイソンがお気に入りということで、吸引力がどうの、機動性がどうのとあれこれパンフレットを見たことがあるが、フランスはあまり詳しくはない。電源を入れてゴミが吸えればそれでいいのだ。

    「……でも、野生の動物じゃねえんだしよ」

    「野生のアメリカじゃないの」

    またイギリスが考え込んだ。機械関係はほぼ全滅かもしれないと思い当たったらしい。電話はまだ可能として、パソコンは教えないと理解できないだろう。余計な知恵を付けさせない方がいいからそれでいい。

    「もし、こいつがなかなか戻らなかったとして」

    重々しく口を開いたイギリスがクッションを抱きかかえて大人しくしているアメリカを見下ろす。

    「今の上司も同僚も知らないわけだよな」

    「それは昨夜詮議し尽くしたことじゃない?」

    「いや、……下手に本国に戻して、重要人物の歴史を知ったらこいつがどういう行動に出るかなと」

    「ヒーロー……だったなあ」

    「これって軟禁っていうのか?」

    その言葉にびくりとアメリカが肩を揺らした。

    「……俺は本国に帰れないの?」

    「勝手に人間どもにあれこれされたら困るのはある」

    「未来の情報見てショック受けられてもアレだしな。ああ、大丈夫大丈夫、お前はそりゃあもう、立派にでかく育って小憎たらしいほど元気だから」

    「イギリスと仲良い?」

    「……」

     フランスとイギリスが黙って、顔を見合わせた。イギリスが苦笑して肩を竦める。

     「お前の大好きなイギリスは、お前が大好きでたまらないってくらい、仲良しこよしで会議があるたんびにいちゃついてるよ」

     「そ、そうな、の?」

     「憶えてろよクソヒゲ」

     「だっていちゃいちゃじゃん。まあ、若干こいつが口うるさくてお前が空気読めない馬鹿ってのはあるけどな。お前、折角昔は良い子だったんだから何とかなんないの?」

     ん? 促すと殊勝な顔つきだったアメリカが頬を膨らませて横を向いた。ガキめ。

     「良い子でいるのはもう辞めたんだ」

     「ママが泣くわよ~ォ」

     「うっせえヒゲ黙れ」

     容赦なく足を蹴られたのでフランスはそれ以上言わず微妙な空気の二人をニヨニヨ観察していた。



     「そんじゃあ、俺がいなくなっても喧嘩するなよ? イギリスの料理に耐えきれなくなったらもうこの際ケータリングでも使っちまえ。経費で落ちるかどうかは分からんけど」

     「俺の手料理をこいつが食べないわけないだろ」

     「お前のその自信がどこから来るかお兄さんホント知りたいわ」

     じゃあねと手をひらひら振ってフランスは可哀想なアメリカを残して帰ってしまった。

     「……上司に連絡が取りたい」

     「別にいいけど、お前は頭が退行してるから俺の管理下に置くってあのヒゲと意見が一致したぞ」

     「それ、本国も了承済みなのかい?」

     イギリスはアメリカのために備え付けの電話を紹介した。国際電話で勝手知ったるアメリカの上司に繋いでもらう。その間アメリカはそわそわしていたが、電話口に出た上司に代わってもらうと息せききって喋り出した。

     一応、国としては本国に戻してやった方がいいんだろうな。見慣れない人間ばっかりで戸惑うだろうけど。

     頭では理解しているのだ。しかし、過去の自分がその後どうやって歴史を歩んでいくのか、知られてはまずい情報ばかりというのは困る。それは欧州を(勝手に)代表しての総意でもあった。アメリカに都合のいいように動かれても困るのだ。

     「アメリカ」

     「なんだい?」

     電話で上司に説明を聞き、実際イギリスが敵ではないことを教えられて納得したのか、アメリカがこちらを向く。彼の手から受話器を取るとイギリスも電話口のアメリカの上司(向こうも重々こちらのことを承知なのでこの後のアメリカの処遇について、とにかく返還してくれと本人に対していたよりも少し強い語調で言ってきた)に相対すると、「国同士のことはやはり国同士でなんとかしたい」旨を再び伝えた。アメリカは不安そうな表情で見守っている。やはり彼も帰りたいのだろう。確かにイギリスが彼を保護する理由を彼は知らない。

     「……お前はここで療養することになったら嫌か?」

     「そりゃ、……知った顔が全くいないのは心細いけど、俺はアメリカだし」

     「お前に余計な情報を渡す輩がいないとも限らない。できれば俺の保護下において穏便に事を済ませたいのだが」

     「それは、イギリスが俺を監視するってこと?」

     「お前は、俺の傍にいるのは、嫌か?」

     アメリカの問いには答えず、ゆっくりと穏やかに喋りかけると目を瞬かせて彼は黙った。まるで獲物を捕えようとする瞬間に似ている。精一杯強がっていたあのときのアメリカを思い出して、ああ、こうしてイギリスにたてついてお互いに牽制し合っていたのだと過去のやり取りが蘇ってきた。アメリカがそういう態度をとれるように甘く接しなかったイギリスもイギリスだ。それが長引いて結局最近に至るまで二人の仲が交わることはなかった。アメリカに世界の頂点を譲ることになっても、彼に心の奥底を許さなかった。もう、深くを共有しあって、笑顔を交わしてキスをして一緒のベッドで仲良く寝る時代なんて二度と戻らないと信じ込んでいたからだ。

    だから、アメリカから好きだと告白されたときにすぐには応えられなかった。彼の好きは自分の好きとは違っていたからだ。イギリスがアメリカと恋に落ちたのはごく最近の話だ。だから、目の前に所在なげに佇んでいるこのアメリカは、イギリスの今の気持ちを知らない。

    「――イギリスは、俺が傍にいても、許せるの?」

    今のアメリカを知るものならば誰もが驚くであろう、気弱な声で彼が呟いた。ああ、そんな捨てられた子犬のような目で見つめないでほしい。思わず抱きしめたくなってしまう。彼に必要なのはこれから持つべき強さなのに。イギリスの恋人という座を手に入れるのはまだ先なのだ。自分にストップをかけながら、それでも彼の緊張している頬に手を添わせるのを止められなかった。

    「お前は、大事な元弟だからな」

    「……そう」

    何を想っているのか、目を伏せて少し考え込んだ後、アメリカは自分より背の低いイギリスの緑の目を懐かしそうに覗きこんで口唇を開いた。

    「俺に知られちゃ都合の悪いことがたくさんあるんだろう? きみが俺に不利なことをしないと誓ってくれるなら、ここに居るよ」

    「すぐに元に戻れると思う。悪いようにはしない」

    「きみが約束を守ってくれたことなんか、なかったけどね」

    不意に自虐的な笑みを洩らしたアメリカはそれでもイギリスの真摯な目に納得したらしい、頷いた。

    「ゲーム……もお前できないだろうしな、俺も教えられないし。本ならそこそこあるから読むか?」

    「英国文学傑作集? シェークスピアとか俺、読まないよ。プリンキピアもだ」

    「読めよ。頭良くなんねーぞ」

    「それよりイギリスと話してる方がいい」

    真顔で言うなよ。思わずイギリスは黙ってしまった。

    強がりたいくせに、跳ねのけられないと分かるとどうしても縋りたいようだ。心細いなら無理もないのだが。

    「……お前、俺に甘えてると後で絶対後悔するぞ」

    「だろうね。俺の知ってるイギリスはきみみたいに優しくないし。本当の世界に戻ったらまた一人できみを振り向かせようと苦労するんだ」

    弱ってるなあ。クッションを抱きしめぼろぼろ本音を漏らしてしまうアメリカを前にイギリスは少し戸惑って頭をかいた。それほど自分は甘くしてるだろうか、いや、してるのだろうなと生ぬるい気持ちになる。

    本当は、一年と数カ月、とある事情でアメリカと離れ離れになっていたのだけれど。(その間、イギリスは独りでそつなく仕事をこなしながらも知らないうちにストレスは溜まっていたようだった)

    「……アメリカが過去に飛んだのは、もしかすると俺のせいかもしれない」

    こんなことを本人に言うとまた訴訟だのなんだの文句をつけられるので確証がでるまで告げられないけれど。過去から来て右も左も分からないアメリカ相手になら懺悔できるのかもしれない。自分はきっと、ずるい。

    「きみが、その、……妖精? ……ていうののせいにしたんでしょう? まあ超常現象をそういうので片付けるのってどうかと思うんだけど」

    「それだけじゃないんだ」

    どこまで彼に告白してしまおう。彼にとってはイギリスの家にいるというだけでも圧迫感があるかもしれないのに。しかし他の耳があるところでは話せる内容ではなかった。

    「俺はアメリカの好意を知って押し付けてしまった。そりゃあ、一人の人生が関わっていたから、酷いとかそういう言葉では言えないけど。……あいつが断れないの、知って、俺から頼んだんだ。俺じゃなくて、違うやつを……求められたある命を愛してやれって」

    「それ、本当?」

    「本当だ。俺もどうしても頭が上がらない事情があってな。条件つきで、とあるレディがアメリカを欲しがった。残り少ない命で「アルフレッド」がほしいって言ったんだ。……悪いタイミングってのは重なるもんで、いつもみたいに断れたらよかった。……美談っていうのは、憎いよな。薄幸の女の子がアメリカに恋をしたら、もうそれだけで元兄で男の俺なんか口を出せないくらいに。……俺の国民だったんだ」

    英国のさる筋の女の子が前途揚々のアメリカに恋をした。彼女は病を患っていて、余命数カ月と宣告されていた。それが関係者筋に話しが回ってしまったのがお終いだった。イギリスは愛する国民のために、アメリカに頭を下げなければならなかったのだ。「イギリス」として。

    「――あいつも情にもろいところがあって。ヒーローと自称しているところもあって。……俺の頼みを断らなかった。俺が断れなくしたんだ。でも、それは俺とあいつの仲を決定的に裂く致命的な悪手だった。たぶん、俺は、皆から、アメリカから非難されても、断って欲しかったんだ」

    「……きみは俺に自分が嫌だと思うことを強いたの?」

    「そう、かもしれないな。そうだろう」

    アメリカの言葉に直されると実にシンプルだった。くどくどと言い訳をしていたイギリスがぱしぱしと瞬きをする。いつの間にか緊張していた。

    「俺はそれを呑んだんだね」

    「ああ、彼女が亡くなって、一周忌に久々に会った。少し前より痩せていて、それでも笑ってた。俺に愛想尽かしてもおかしくはなかったんだ。でもあいつは違った」

    「だって、きみはイギリスだもの。俺は解かる気がするよ。アメリカが求めるのはイギリスだ。優しくしてくれるきみにだから言えるけど、俺の知ってるつれない彼には簡単には晒せない、本心」

    本当の心を知られるのは恐い。それを掴まれて、痛めつけられるのが嫌だから。アメリカが呟いた。イギリスは吐息だけで微笑った。アメリカはやっぱり、アメリカだ。この素直な心がどうして愛しくないといえよう。

    「ずっと我慢してたんだろうな。自分でも気付かないうちにストレスになっていたとも思う。アメリカを取られることがどれだけ苦痛になるのか、本当のところは予想できなかったのかもしれない。俺は今まで通り、離れてても愛せると信じていたから」

    「違ったの?」

    アメリカの純粋な瞳が眩しかった。独占欲というものは恐ろしい。一度手に入れたアメリカを味わってしまった途端、それを手放せなくなるのだから。

    「結論から言うと、――俺は離れている間ずっとアメリカを愛し続けて、でも昔のようには上手くいかなかった。こういう想いってのは、澱のように溜まるんだ。どこまでも消えないで積もり続ける。そして最後には――」

    そこで言葉を切った。アメリカが固唾をのんで見守ってくる。その手を繋ぎたくて、そっと手を伸ばした。

    アメリカは少し躊躇って、それでも素直にイギリスの手を取り包みこんだ。今のイギリスがかつてそうであったように、武器を取り扱い慣れている荒れた手。短く切り揃えられた爪に、もう昔の柔らかな手の記憶など残していない無骨な男の手。

    「――アメリカを過去に飛ばしたのは、妖精の悪戯だけじゃなくて俺のそういうどろどろしたものなのかもしれない。俺、一応魔術とか使えるし」

    「イギリスが俺に振り向いてくれない世界だよ?」

    「俺がお前を手に入れていない時代。俺がお前と『そういう』仲じゃなくて、……離れてても愛せていた時代」

    「……きみは、本当に……」

    アメリカが嘆息した。

    「――イギリス、俺はそういう、非科学的なファンタジーは認めないことにしてるんだ」

    「現にお前がここにいるだろ」

    「きみの、そういう気持ちはたぶん、ちょっと嬉しい。執着されてるんだなっていうのは、その子には悪いけど、俺は嬉しい。誰だって清らかな子どもなんかじゃないんだよ。……俺はきみがそういうことで苦しんでいたら、どうして独りで抱えているのって言いたくなる。俺は、言えないから」

    このアメリカはそういうことを考えていたのか。突き放して、突き放されて、アメリカとは顔も碌に合わせていなかった時代。彼が強くあればそれでよかった。離れていても、心の奥だけで愛せていた。惨めな気持ちなど何の足しにもならなかったから、決して見せなかった。そのアメリカが言うのだ、この醜い執着が愛しいと。

    「きみが原因でも、俺はこうしてきみに会えたことが嬉しいよ。だってずっと会っていなかったんだ、イギリス」

    「また元の世界に戻らなくてはならなくてもか」

    「うん。きみが優しくしてくれる、それだけで嬉しい」

    なんてことだ。イギリスは息を呑んだ。少しでもお節介な真似をすると拒否をしてきた今のアメリカとは似ても似つかない若さだ。どうやってこの青年は成長し図太さを身につけるのだろう。それに至るまでの彼の心の変化を想うにつれ、愛しさが募った。

    「――午後に一雨来る。それまで庭を見てみるか?」

    「イギリスの庭?」

    「興味ないなら別に構わないが」

    「……ちょっとだけなら」

    「そうか」

    頭を撫でてやると複雑そうな顔をしていたが、手をはねのけられることはなかった。そんなに人恋しそうな顔をするなよ、アメリカ合衆国。世界を統べる俺の前でお前は弱みを見せてはならないんだから。



    「イギリス、雨やまないね」

    「どうした?」

    夜、またバスタブに湯を張ってアメリカを風呂に入れた。そういえば髭はあたってるのだろうかとカミソリを出した。なんとなく甘やかしたい気分が強い。たまにアメリカの髭をあたったり、髪を洗ったりすると許されている感じがして心地が良かったなと思いながらイギリス手自ら面倒を見てやる気になった。若い彼でもうっすらと金色の産毛のような髭が生えているのを昼、明るい庭で触れたときに知っていたので、シャボンを泡だてて迫る。裸で湯船に浸かっていたアメリカはイギリスに近寄られて少し戸惑っていたが、問答無用で顎に泡をつけ始めるとじっと目を閉じた。心なしか頬が赤いのはきっと湯に浸かっているからだろう。イギリスはアメリカの裸など見慣れていたし、それくらいで反応する気もなかったので淡々と髭をあたった。

    「……濡れたな」

    このまま俺もシャワー浴びるか、と言った途端アメリカがボタンを外そうとした手を掴んできた。どうしたよ、と必死で見あげるテキサスを外した空色の目に問いかける。「よしてくれよ!」彼が悲鳴を上げた。

    「イギリス、きみがそれを知らずにやろうとしてるならきみは鈍感だ! 知っててやろうとしているなら、性格が悪いぞ!」

    「――はあ?」

    「俺はこれでも、きみの子どもじゃなくて、男なんだからね!」

    いやいやいや可愛いじゃねえか、と混ぜっ返すのは心の中だけに留めて、イギリスは殊勝に頷いてみせた。

    「……無神経だったな」

    「俺は、これでも、きみのことが好きなんだからね!」

    「ならいいじゃねえか」

    「よくないよ! 俺とイギリスは『そういう』関係じゃない!!」

    あまりに必死な顔で全身赤くなっているので、イギリスは思わずにやにや笑いながらアメリカの上に覆いかぶさりキスをした。――目の前の青い瞳が見開かれるのをじっと見つめながら。

    「……どうして?」

    「さあ、どうしてだろうな」

    「はぐらかさないでくれよ、俺はもう子どもじゃないんだからな」

    「ざまあみろ」

    「イギリス?」

    「――って言いたかったんだ。たぶん。俺ばっかり想いを抱えて、なんともない顔して笑ってるアメリカを見て苦しかった。あいつなんか、相手にしなくても平気で笑って立っていられた自分に戻りたかった」

    イギリス、と目の前の少し幼い顔をしたアメリカが口唇だけで呟いた。自嘲しながらイギリスは彼の目を覆った。こんな顔、見られたくない。アメリカの真っ直ぐな瞳が恐かった。

    「知ってる、あいつもきっと苦しかった。でも、もう何が正しくて正しくないのか、そういうんじゃないんだ。俺はわりと理性が強いって言われるけど、感情がだめだった。……だめだったんだ。」

    離れていても愛せるって、大口叩いておいてざまあねえよな。苦い笑みを見られたくはなかった。

    急にアメリカの腕が伸びて、掴まえられたと思った途端引っ張られた。不意打ちにそのまま湯船に突っ込んでしまう。ばしゃりと派手な水音がした。

    「うわっ! てめっ」

    底に手をついて顔を上げる。裸のアメリカの腹の上に上半身が被さっていてその肌の色に頭が熱くなった。

    「――イギリスが優しいと、勘違いしちゃうよ」

    ずぶ濡れのイギリスの顔と同じくらい、アメリカの顔も濡れていた。くしゃりと顔を歪め、苦しそうなその目は熱で潤んでいた。

    「優しくできなかったんだ。今くらい大人しく構われてろ」

    「それだってきみの自己満足じゃないか。騙されないんだからな。……ありがとう」

    彼からのキスは額にそっと口唇を当てるものだった。濡れて張りついた前髪を指でかきわけ、湿った口唇が触れてくる。その柔らかい感触が泣きたいほど愛しかった。

    「お前、戻ったらこんな夢すぐに忘れろよ。じゃねえと生き残れない。俺はフランスの馬鹿とか、他のろくでもないやつらと戦争ばっかしてて、お前はそれに巻き込まれずに利用だけしてろ。俺も、お前を、……利用して生きてきたんだから」

    情だけでは生き延びられなかった。国と国とのやり取りなどそんなものだ。幼いアメリカとの春の日々が特別だっただけで、そんな奇跡などそうそうないのが現実だ。

    濡れて肌に張り付く服が鬱陶しかった。

    色を濃くした蜜色の髪の毛を撫で、額に優しく口吻けをしてやる。湯船から出るイギリスにアメリカはもう何も言わず黙っていた。



    夜、ベッドで眠りにつくイギリスの意識を浮上させるものがあった。控えめなノック。

    「誰だ、……アメリカ?」

    「イギリス」

    許されて入ってきたアメリカは暗い中あの青い星条旗のクッションを抱きかかえていた。ベッドサイドの明かりを点ける。白熱灯のぼんやりとした薄明かりでアメリカの強張った表情が浮かび上がった。

    「どうした」

    「――恐くて眠れない」

    ここに俺の居場所がない、と彼は続けた。昼間のまだ気丈に振る舞っていた様子とはがらりと変わっていた。

    うっすらとした太陽の下、イギリスの冬枯れた庭を見て回っていたアメリカの白い頬は健康的で、白い息を吐きながらもイギリスの傍を離れなかった。いつもならそんなものつまらないと尖らせる口が笑みを浮かべていた。まるでそれが手に入らない愛おしいものであるかのように。

    「きみが言っていた、昔俺に何度も自慢していた庭だね」とまるで賢い子どものような顔をして言うので「緑が芽吹いて花がもっと増えたらこれの比じゃねえよ」と笑ってやったものだ。イギリスの短い夏をこのアメリカは知らない。

    「ここにいる間だけは俺に気を許しても大丈夫だ。ただし、俺にだけ」つい、そう甘い言葉で束縛してしまいたいくらいにアメリカはイギリスを見ていた。

    「やけに甘えてくるじゃねえか、アメリカ合衆国」

    「甘えさせてくれるんだろう?」

    庭で言った言葉を復唱される。今ここで拒絶すればきっと傷つくのだろうなと笑いかけながら残酷な考えが頭をよぎる。

    確かに、この状態のアメリカに優しくしたいと思うのは俺のエゴだ。それでも、どうして辛くあたる心の余地がある? 本当は余命の少ない花嫁だろうと、ヒ―ローらしくない感情でそんなもの知らないと跳ねのけてほしかった。自分だけだと言ってほしかったのだ。それを望むことすら矜持が許さなかった。ようやく彼が手元に戻ってきたのは僥倖だった。また再び寄り添えると知ったときの喜びといったら! 些細な喧嘩など、一過性のものでしかなかった。涙がでるほど悲しくても彼を失うことに比べればどうということもなかった。

    「……恐くて眠れないんだ」

    頼りない子どものような顔をするんじゃない。もう大きくなったじゃないか。そう小言をいうのは簡単で、けれどいつも干渉を嫌うアメリカのそんな殊勝な態度はいとも簡単にイギリスを骨抜きにした。

    「お前、そんなんで元に戻ったらどうするんだ」

    「元に戻るだけさ。……こんな夢みたいな馬鹿な非日常の中でも俺はきみに強がってなきゃいけないのかい」

    「ガキが」

    「ガキさ」

    アメリカが顔を上げ、視線を合わせてくる。熱っぽい眼差しは子どもの持つものではなかった。

    「――ガキだよ。どうにもならなくてきみから独立して、それでもまだきみに少しは優しくしてもらえるなんて、……甘えられるなんて勝手に勘違いしてた。きみが目隠ししていたんだ。世間知らずの俺を」

    「アメリカ」

    「俺の知ってるイギリスには死んでも言わないけどね。優しくしてくれるなんて奇跡的なイギリスにはふらふらつられて甘えてしまうような馬鹿なガキなんだよ」

    目の前で空色の瞳が曇って、涙が滲んだ。クッションを抱えたまま、テキサスの間に指を突っ込んでアメリカは零れる前に滴を拭った。

    「……育てた奴の顔が見てみたい……」

    呆れた口調になってしまっても許せるだろう。甘ったれのアメリカは最後まで残っていた気負いさえもどこかに落としてきてしまったらしい。

    「この家に鏡はないのかい?」

    「うるせえな。べそべそ泣くな。俺が泣かしてるみたいで落ち着かねえじゃねえか」

    「――一緒に寝てよ、イギリス。何もしないから」

    まるで一生のお願いのようにかき口説かれて、眠気が半分飛んでしまったイギリスは頭をぼりぼりかいた。

    「……まあ、そんなお前に押し倒されたら大英帝国の名が泣くなあとは思うが」

    「きみは大人なんだからそういうの、ちゃんとかわせるだろう? 俺はやっぱり、イギリスだったらどうしてもどきどきしてしようがないけれど、きみは俺の現実じゃない」

    小さく点いたランプの光でぼうっと辺りが浮き上がっていた。アメリカがふとチェストに目を留める。

    「――俺、きみと仲良くなれたんだ? なれるんだね? そう自惚れてもいいの?」

    指差したそこにはイギリスとアメリカが個人で撮った写真が飾られていた。二人とも笑顔で、イギリスはなんとなく恥ずかしそうに頬を染めている。誰が見ても親しい間柄なのだと判るものだった。恋人たちの肖像。

    「お前が頑張れば、どうにかなるかもな。世界のヒーローなんだろ? 俺が応えるかどうかはお前次第だ」

    ガキなりに足りない頭で色々考えてるんだなあと若干失礼なことを思いながら根負けしたイギリスが手招いた。羽毛布団を捲くるとさっさと入れと促す。本当に受け入れられるとは思っていなかったのか、少し戸惑いながらもアメリカは入ってきた。

    「大人しく寝ろよ。……ったく、お前は図体がでかいのに寝相が悪いんだから」

    「悪かったかい?」

    「俺は抱き枕じゃねーっつの。挙句放りだすわ乗っかるわ……自分の体重考えろってんだ」

    ぶちぶちと一連の文句をため息とともに唱えるといつもの気分に戻ってきた。うん、このアメリカが妙にしおらしいのがいけない。ついつい構ってしまうが元に戻ってしまえば喧嘩別れした馬鹿でいけすかないメタボなのだ。今のうちに散々悩ませて脳味噌の皺を増やしてやった方がいいのだろうか、とつらつら考えている間にそっと背中に温もりが触れてびくりと身体が震えた。

    「――明日になったら」

    「おい、何もしねえって言ったろ」

    「明日になったら戻るかな」

    イギリスの警告を無視してアメリカが籠った息を吐く。背中にすりつかれて戸惑った。温かい。

    「優しいイギリスが夢になるのかな」

    「……寝ろ」

    うん、と今度は素直にこたえが返ってきた。おやすみと優等生の手本のような挨拶を繰り返して、アメリカは大人しくなった。




    結論からいうと、翌日になってもアメリカは元に戻らなかった。その翌日もだ。休暇が終わっても戻らないアメリカの様子に本国の上司も困惑していて、とにかく返せと煩かった。現代の余計な知識を仕入れて過去に戻られても困るのでイギリスは一切の拒否権を施行し、そしてアメリカ自身にも屋敷の敷地の外に出ることを禁じた。持ち前の好奇心で多少脱走はしたが、概ねアメリカは自分に甘いイギリスの言うことを聞いていた。

    アメリカも電話で知らない顔の上司とやり取りはするものの、自分の意思でイギリスの傍にいることを伝えると時の止まっているかのような屋敷の中でイギリスの帰りを待ちながら散策をしていたり、たまにふらっと来るフランスの相手をしていたりした。

    「――なあ、身体だけでかくなったガキんちょ」

    「なんだい、髭の生えたおっさん」

    「『傷の舐め合い』って言葉知ってる?」

    テラスで冬の庭を眺めながら温かいショコラ・ショをフランスに淹れてもらって飲んでいたときだ。のほほんとした空気のまま、のんびりとフランスが「あ、ロビンだ」と近くに飛んできた小鳥を指差した。

    「誰がこまどり殺したの?」

    フランスが不意に歌いだした。なんだいきなりとアメリカはカップを置いて小鳥を眺めているフランスの横顔をまじまじと見る。

    「わたし、とスズメがいった」

    フランスは昔から歌がうまい。しかし気まぐれだなあと眺めながら、彼がその前に何気なく言った言葉が頭の中をぐるぐると回っていた。

    「弓と矢使って、わたしがこまどり殺したの」

    「スズメがロビン殺して葬式する歌がどうかしたのかい」

    「んー? こまどりってあの胸の赤いの、イエス・キリストが磔になってる前で歌ってたから血が移ったとか諸説あるよな」

    「……いばらの冠を外そうとして血がついたっていう話もあるね」

    話が飛ぶなと思いながらも適当に話を合わせる。目の前でちょんちょんと危機感なく近くまで来ていた小鳥はフランスが足を組み替えた動作で少し遠くへ飛んで行った。

    「まあ、スズメにも、ハクトウワシにだって殺されるタマじゃねえけどな、あいつ。実際死ななかったし」

    「神の子の前で歌うようなガラでもないし、葬式を総出で上げてくれるような友達はいなさそうじゃない?」

    「確かに! ……まあ、喜ぶやつはいっぱい、……いっぱいいるのよ?」

    フランスが盛大に噴き出した後、嫌な笑みになる。ああ、そういう考え方もあるよねと投げだし気味に生返事をした。

    「で」

    「きみ、いい加減その要領を得ない話の展開はどうにかならないのかい?」

    「焦るなよ、若造。こちとらあの馬鹿の留守狙ってわざわざドーバー越えてきたんだから」

    「老体を労えっていうのかい? 性欲だけは有り余ってる老人は引退して可愛いメイドに囲まれてればいいんだ。きみなら愛人作り放題だろう?」

    辛辣なアメリカにそれでこそお前だとフランスが鼻で笑った。

    「イギリスの前では借りた猫みたいに大人しくなるから傍で見ててやってらんねー。お前、独立したくせにまだママのおっぱいしゃぶりたいのかよ」

    「おままごとがしたいわけじゃないよ。好きな人が優しくしてくれるのにどうして応えちゃいけないんだ」

    「『お前の』イギリスには辛く当たられてるから?」

    少しは痛いところがあるらしい、アメリカが居心地の悪そうな顔でカップの中身をごくりと飲んだ。

    「イギリスが馬鹿だよなー。うん、あいつが悪い。俺がソドムならあいつはゴモラだな」

    「きみ、それ適当に言ってるだろ」

    「……イギリスの対応だよな、問題は。兄貴面全開だったらまだお前もイラッとしただろ」

    「――うん」

    「そこは即答すべきところだぞおい。どうしたんだ合衆国さんよ。愛しのイギリスに腑抜けにされたか? もしかしてもうタマまで握られてる?」

    「おっさん、下品だぞ」

    さすがにアメリカが顔を顰めたのでフランスは片眉をひょいと上げるだけに留めた。小馬鹿にしたような顔は止めない。相手をイラッとさせる技においては彼は一流だ。

    「馬鹿だよなー……まあその様子だとキス以上の関係には至ってないみたいだけど。お前、非日常に放り込まれて夢うつつなのは分かるけど、相手は未来のイギリスだからね? まだ手に届かない儚い希望みたいなもんだからね? 夢から覚めたらまた仏頂面の氷の仮面が無慈悲な極悪道突っ走ってるの見てがくーっとくるからね? これいくら日本でもギャップ萌えとか言わないよなあ」

    「きみが俺に釘をさしたいのはよくわかったよ」

    甘いショコラ・ショはとっくにべったりとした甘さになってしまっていた。フランスが折角繊細な味わいを心がけてくれた作品が台無しだ。

    「……でも、頑張れば未来にこんなイギリスが待ってくれるなら、俺はやり遂げると思うよ」

    「ゴモラめ……」

    フランスが頭を抱え始めたのでアメリカはどうして当人じゃないのにこの人は本気になってくれているのかなあなどとフランスが聞いたら可哀想なことをつらっと思った。

    「どっちみち俺の気持ちは変わらないし」

    「どうしてあの天使がこうなったのかなあー……やっぱ食育? あいつの愛って歪んでるからなあ」

    「あのひとの愛が歪んでようが正しかろうが別にあんまり気にしないよ。それとも何? やっぱりイギリスとフランスって俺に黙って付き合ってるの?」

    途端にフランスが真っ青になって悲鳴を上げた。なんなんだとアメリカが顔を顰めるがフランスにとっては大問題だったらしい。落ち着け俺、落ち着け俺、ヒッヒッフーと謎の呪文を唱えて自己暗示に努めているようだった。未来に来てもフランスはあんまり変わらないなと残り少なくなったカップの中身を舐める。

    「――あー、おい、アメリカ」

    「なんだい?」

    ようやく落ち着いたと思ったらやけに改まった表情で片手を取られた。まるでプロポーズでもするような格好で変だなとアメリカはふと笑いが零れる。

    「お前な。俺のためにもなるんだったら言っておくわ。アメリカ、そんなにイギリスが好きなら、絶対浮気も脇見もせずにひたすらイギリス追っかけてろ。あいつはほら、問題ありまくりだし恋愛のれの字も信じてないような冷血漢になり下がってる残念な子だけれども、あと残念な舌だけども」

    「う、うん」

    フランスはアメリカの手を握りしめ、情熱的に語り始めた。まるで恋の告白のようだった。

    「空気読めない問題児だけどお前ならなんとかなる。わかったか、まあ、ちょっとくらい浮気してもあいつが何とか思うようなタマじゃねえよ、でも本命は絶対あいつにしとけ。そんでアタックしてアタックして何度も玉砕しながらとにかくハートを射止めるんだ」

    「攻撃して心臓を射止めるの?」

    馬鹿、とフランスが額に手を当てる。とにかくだ、と彼は拳を振るって熱弁した。

    「イギリスのこと好きなんだろ? お前がなんとかあいつをモノにしちまえば俺は嫉妬に狂ったお前に冷たーい視線で攻撃されることもなくなるしダークサイドに堕ちたあいつもちったあマシな隣人になる。そんでここからが重要なんだが」

    フランスが身を乗り出してくるのでアメリカは少し引いて相槌を打った。彼は相槌を打とうがうとまいがもうどうでもいい感じにテンションが出来上がっていた。

    「お前とあいつがくっつけばこの麗しい俺様フランス様があの眉毛の性格ブスとくっついてるだのそんなあり得ない幻想超大国に抱かれずに冷たーい攻撃されずに済むんだよ!!」

    「――フランス、フランス」

    「ん? なんだ? 今お兄さんは言い遂げた達成感で胸がいっぱいなの。ちょっとこのままのテンションでいさせてくれる?」

    「いや、ちょっと」

    アメリカが控えめな声になっていることにフランスはこのとき気付くべきだった。――もうすべてが遅かったが。

    「ダークサイドで問題ありまくりで冷血漢の性格ブスで悪かったな……?」

    ベキバキと指の骨を鳴らす音が聞こえた。やけに手慣れた音だ。フランスが止まった。その背後にはにこやかな笑みを浮かべたイギリスが仕事から帰った姿のまま立っていた。

    「うーん、よくわからないけど、フランス」

    ぎゃああああと悲鳴が上がるのを前に顔色ひとつ変えずアメリカがショコラ・ショの最後の一滴を飲み干した。次は美味しいコーヒーが飲みたいんだぞ!
    「俺とイギリスがくっつこうが離れてようが俺、きみに対する態度は改めないと思うなあー」

    能天気な声は悲鳴とは絶妙にマッチしていなかった。



    その後また数日、朝目を覚ましてはそこがイギリスの家だと認識してベッドに沈没する日々が続いた。夜寝るときに今度こそ目を覚ましたらアメリカのここに来る直前までいた我が家に戻っていると念じても無駄だった。イギリスは「帰りたいと強く念じれば」云々とアイディアを出してくれたが、どれだけ懐かしいアメリカの我が家を、親しくしている仲間や上司を思い浮かべても駄目だった。朝、起きて身支度を整え顔を合わせるたびにイギリスは一瞬で見抜いて「そうか」と淡々とした声で挨拶をしてきた。

    情報もろくに渡されず、天気も悪いと途端にやることがなくなってしまう。アメリカが暇そうにしているとイギリスはしょうがないなと映画のDVDをいろいろ借りてきた。順応性の高いアメリカはテレビに映る映像に初めのころこそ驚いていたがすぐに慣れてイギリスの選んできた恋愛ものやドキュメンタリーもの、ホラーものといったいろいろなジャンルを見た結果、「これって俺あとあと損するんじゃないかい!」と言いだした。

    「んだよいきなり」

    「だってこれ、全部俺が未来で経験するものだろう? そのときのワクワクがなくなっちゃうじゃないか!」

    「お前、意外と頭使ってるんだな」

    「真剣に感心しないでくれよ」

    イギリスはできるだけ家でできるものは家で済ましてくれるようになったらしい。一人彼の帰りを待つのを嫌がったアメリカの機嫌を取るように時間を割いては構ってくれる。それでも忙しいのは変わりなく、毎日あれやこれやと出かけているのが現状だ。家の裏庭から繋がっている森はあまり深くまで入り込むなと言われているので散策程度にしか見ていない。もう少し暖かくなったら案内してやるという約束も果たされぬままだ。

    まあ、じめじめした森は恐いからあんまり興味ないけどね、と強がりながらイギリスが適当に選んでくれた映画を観る。アメリカだったらこんなのが好きなんじゃないか? と言っていたセレクションのうちの半分くらいは子ども向けっぽい作品だったのが気になった。彼の中で自分は何歳くらいに思われているのだろうと遠い目になりながらもアメリカ作品が多いところに気遣いを感じる。

    最初ここへ来てしまったときは恐慌していたものだが、こう何日も経っても元に戻らないと途方に暮れたまま現実逃避をするしかなくなってしまう。毎日、ああ今日も戻れなかったのだなとがっくりして、そして落ち込んでいるのを隠してもイギリスには見抜かれる。甘い言葉はなくとも何となく優しく接してくれるのだから、ついほだされる。

    イギリス以外にも最近知り合った日本という引きこもり国家も仲が良いのだと教えてもらって来てもらったり、フランスが気軽に来てはイギリスに殴られたりしていた。それくらいだ。

    世界会議とやらが数週間後に迫っていて皆その準備に追われているらしく、アメリカの対応をどうしようかとイギリスとフランスが話していたのを憶えている。

    アメリカが元に戻らないのならば教育するしかないなと一歩踏み込んだ意見をしたのがフランスで、イギリスは一番のがみがみ屋のくせに難しい顔で「今、国をあげて過去の記録と魔術の文献にあたってる。あと妖精にも……」と現実逃避した解答をして呆れられていた。

    彼はアメリカを自分の中に繋ぎとめておきたいのだろうか。目隠しをしたまま自分を頼ってくるアメリカを。

    (なんだか、弟にしてるみたいだ)

    もう弟なんかじゃないと彼も分かってくれているようで、それでも態度は甘い。弟として扱われることに限界を感じて彼の元を離れたのに、何故か神経が苛立つことはなかった。やはり自分は寂しかったのだろうか。

    フランスがちくりと刺した棘が心臓に伝わって、無視していた痛みが大きくなってくる。

    それでも、ふとした瞬間に接触するとイギリスが少し妙な間を作ってしまうのが変だった。固まる、というのだろうか。以前ならあり得た親愛のハグも一瞬ぎこちなく身体が止まって、過去のアメリカだと確認するかのように声をかけられる。フランスの証言とイギリスの様子だと未来のアメリカは復縁して恋愛めいた仲になっているようだが、この『好き』は駄目なのだろうか。

    『傷の舐め合い』、なのだろうか、これは。

    「……だって、未来のアメリカはイギリスを泣かしたりするんだろう? 今笑ってくれてる彼は俺に優しいんだ。俺はもう二度と泣かしたりなんかしない」

    イギリスの優しい腕の中にぐずぐずとたゆたっている、そのぬくもりは、甘い毒のようだった。



    ふと火の爆ぜる音がして、意識が浅いところまで来ているような、それでもまだ眠りの中にまどろんでいるような、宙ぶらりんな状態でソファに横になり寝ていたのに気づいた。最後の記憶はイギリスの貸してくれたミステリー小説の探偵が謎を追っている途中で、そのぽつんと途切れた後を夢が補完して彼はアメリカの夢の中で何故か殺された男の家の絨毯を捲くっては染みを調べていた。染みがない、と彼が言うのでそれはおかしいねとアメリカが言ったそのときだ。扉が開く音がして、犯人が現場に戻ってきた。探偵が咄嗟に隠れてアメリカも慌てて隠れる。が、何故かアメリカの体はふわふわと宙に浮いて物陰に落ち着いてくれないのだった。その間にも小さな足音が近づいてくる。恐慌状態になり思いきって見あげた顔は、これまたどうしてか分からなかったが、眉毛の太い、とてもよく知っている顔だった。夢の中ではよく見かける表情豊かではない、どちらかといえばあまり知りたくない無表情な彼が近づいてくる。

    アメリカの体はふわふわと漂いソファに深く沈みこんでいた。仰向けになった顔を真顔のイギリスがまじまじと見つめてくる。犯人に殺される! 消される! 必死で逃げようとしたが声にならず身体は動かなかった。その心の声が届くこともないようで、恐い影を背負ったイギリスの緑の目はそのままじっとアメリカの顔に向いている。

    殺されて頭から食われる! 身体は動かない。必死で動かした口がなんとか「イギ、リス」と発音して、やっと耳が音を拾った。そのときだ。じっと動かなかったグリーンアイのモンスターが次の瞬間、ぐしゃりとなんとも形容できない表情になった。

    恐い? 違う。悲しい? ちょっと違う。疲れた? ああ、似ているかもしれない。泣きたい? ……もしかすると、そうかもね。

    『失いたくない』、と『返して』、その両方。

    もの凄く年寄りな表情をする子どもみたいな、なんだかこちらが居たたまれない顔をしてのけて、涙をぽろっと零した。頬に当たって、ああ、イギリスが泣くのは見たくないんだけどなと犯人なのに思ってしまう。

    頬に何か触れる感触があって、温かいそれがイギリスの指だと気づく前に口唇に少しかさついたぬくもりが当たった。じっと触れて、ちょっとだけ食まれて、離れて。動かないでいたらまた口唇が塞がった。ああ、キスされてるんだなと思ったら恐さはどこかへ消えてしまった。イギリスにキスされてる。嬉しい。いつの間にか先ほどの夢はなくなってしまって、意識がすうっと今度は完全に浮上してきた。イギリスにこんな愛しげにキスをされるのは今までになかった。彼は口唇にだけは許さなかったから。いい夢だ。うっとりとしながらも身体がぶるっと震えた。暖炉であったまっていたはずなのに、何かに遮られて少し寒い。

    ぱちり。急に目が開いた。

    「え」

    今度こそ本当に目が覚めた。ソファの上、天井をバックに本物のイギリスが覗きこんでいて、吃驚して声をあげてしまった。あまりに直前の夢と連動していたからだ。

    「お前、こんなところで寝ていたら風邪引くぞ」

    イギリスは夢で見たような、あのこちらが困ってしまう顔ではなくていつもの世話焼きの顔でブランケットをかけてくれた。起き上がる。彼の口唇をじっと見つめるが、それに触れて確かめる勇気はなかった。

    「どうした? ぼうっとしてるな」

    「イギリス、ずっとここにいた?」

    「今来たばっかだぜ」

    そうだよね。頷いて、ソファに座りなおすとその横に軽い動作でイギリスが腰かけてきた。また暖炉の炎が当たって身体にオレンジ色の光が当たる。

    「その小説、読み終わったか?」

    「ううん、まだ途中。……ネタばれはしないでくれよ」

    「誰がするかよ」

    彼はいつもと変わりない様子で、少し雑談をした後、もう遅いからベッドで寝ろと頬にキスをしてくれた。

    一緒に寝てくれよと言いたくて、言えなかった。



    「――暇なの?」

    「いやいや、お兄さん結構忙しいひとなのよ~?」

    その日はイギリスも在宅していて、どうやら珍しくフランスが来ても殴られない日だった。アポイントメントはちゃんと事前に取ったのよ、とどっかの馬鹿と一緒にしないでくれる? をセットで言い放った彼が持っていたのは綺麗にラッピングをした箱だった。

    「何これ」

    「いやあ、日本がバレンタインはショコラの日だっていうからさ、ショコラ好きとしてはたまには便乗ってね。予行練習で作ってきたのさ」

    「バレンタインって恋人の日じゃないのかい? フランス相手いたんだ?」

    「おいおいおい俺は世界のお兄さんだぜ? 一人になんか絞れないほど愛されちゃってるわけよ」

    気障に肩を竦めているが、彼が実際どうなのかは深く突っ込まないことにした。フランスは昔から皆に愛されたがるわりには本当の特別を作らない気がする。

    まあ髭が生えておっさんになった彼に用はないので美味しそうなケーキを単純に喜ぶことにした。フランスのガトー・ド・ショコラはイギリスのケーキとはまた違った感じで、彼も珍しく何も言わずに人数分の紅茶を用意している。カップに透き通った茶色が注ぎ込まれるとふわりとあたたかい香りが広がった。

    「ダージリン」

    「美味いだろ」

    「お兄さんのも食べて食べて」

    うん、と切り分けてもらったケーキを齧るとチョコレートの濃厚な味が口中に沁みわたり、涎が溢れた。

    「フランスー」

    「んー?」

    「幸せの味がするー!!」

    「そうかそうかー」

    幸せの製造者もその反応にいたく満足の様子ででれでれとした顔で頭を撫でてきた。――次の瞬間にはイギリスによって叩き掃われていたが。

    「どう? 美味いだろイギリス」

    「お前の料理だけは評価してやらんでもない」

    「どうしてお前に伝わらなかったのかが悲しいところだね。食育に失敗した結果がこれだよ」

    「え? どうしたのフランス?」

    夢中で食べていたアメリカはいきなり指差されて小首を傾げたが食べるのを止めなかった。

    「あ、そうだ。妖精が見つかった。今知らせが届いた」

    紅茶を飲みながら遠い目をしていたイギリスが「午後から天気が崩れそうだな」と続ける言葉とまるで同じレベルの口調でさらりと宣言した。え、と二人が止まる。

    「アメリカ、お前帰れるぞ」

    「ほ、本当かい? タイムマシンとやらかい!!」

    「や、だから、妖精」

    今言ったじゃねえかと真顔で訂正するので正常な頭を持っていると自負している二国は頭痛を堪えながら付き合った。「妖精、妖精ね……」フランスまでもが遠い目になりながら繰り返す。軽んじられたと思ったか、少しムッとしながらもイギリスはまた何もない宙を見つめて何か囁いた後、ふ、と微笑った。

    それがまた綺麗な笑みだったりするのだから始末に負えない。アメリカも可哀想なイギリスがそういうのだから慌てて最後のひとかけを飲み込んだ。美味しいものはなくならないうちに食べないといつまであるか分からない。生き残る術の初歩中の初歩だ。

    ちりん、と何か小さな鈴のような音がした。ガラス細工のような、儚い音。気になって周りを見渡すが何も変化はない。フランスもちらちら視線を泳がせていた。

    「――アメリカ、もう一杯飲んでいけ」

    空になったカップにダージリンが注がれる。薄い色が量を増し綺麗な水の色からはチョコの甘い香りをはねのけるほどフレッシュな瑞々しい香りが再び立ち上った。

    「お前のために淹れたんだ。ダージリンの、ファーストフラッシュ。――日本は割と好いてくれる」

    「ちょっと薄いとか青臭いとか文句つけてあまり飲まないやつもいるからなあ」

    「黙れヒゲ」

    少し冷まして、それでも慌てて飲んだ熱い紅茶は確かにイギリスが淹れた最高級の味だった。

    「きらきらして、……幸せの味だ」

    「お前の紅茶だけは評価してやらんでもないぜ」

    「黙れヒゲ。俺の幸せに水を差すんじゃねえ」

    「美味しいよイギリス。――でも、俺、コーヒーも好きなんだぞ!」

    「それは流石に保証できかねるな」

    喉を鳴らすようにイギリスが笑った。目を細めて、愛おしそうに見つめられる。「あーあー」とフランスがやってられないといった顔をしていたが無視することにした。イギリスの紅茶は魔法がかかっていると以前教えてもらったことがある。きらきらした魔法は身体の中に入るとスパークして熱くなった。頭がぼうっとする。

    「イギリス、そういえばあの推理小説……」

    「ああ、読みさしの? それはお楽しみにとっておけ。今さら逃げたりしねえよ。犯人も、俺もだ」

    「頑張んなさいね、アメリカ」

    「未来で、待ってる」

    ひらひらとフランスが笑顔で手を振ってくる。ちりん、とまた鈴の音が聞こえ、それがだんだん増幅して光が煌めき始めた。妖精は視えたことがないから、きっとイギリスの魔法だ。目がちかちかする。

    魔法のお茶とチョコレートの甘い味を最後に、アメリカは意識を白い光に埋め尽くされた。


        ***


    「――まあ、これで世界会議にもなんとか間に合うな」

    「しばらくあいつの上司に嫌味を言われ続けると思うと憂鬱だ。というか、訴訟沙汰にされそうで鬱陶しい」

    アメリカが元に戻った数日後、フランスの作ったキッシュをつつきながらイギリスがため息を洩らした。

    「なんだよ独断専行も嫌味も口八丁もお前のお家芸じゃないの。……幸せなんだろ?」

    「――かな」

    二人は昼間からワインを開けていた。フランスがせっついたので以前強奪してワインセラーで大事に寝かせていたとっておきのを出したのだ。シャトー・マレスコ・サン・テグジュペリの1855年、深みのある赤だ。

    「星の王子様は俺の専売特許だっての」

    「たまにはあいつに貸してやってもいいだろ」

    「お前意外とロマンチストだよなー。あれが王子様なガラかね。ハンバーガー大好きなメタボなんて王子様とは認めませーん。お前、マイフェアレディ失敗だな」

    「――ヒーローだからね、身体ごと戻ったぞ」

    振りかえった二人の目に入ったのは頭を押さえている奇跡の生還者だった。体調不良を言い訳に仕事を抜け出してきて、寝ていたのだ。頭がぼうっとするんだぞ、と呻くアメリカを余所に、二人がまた乾杯をする。

    「……それ、俺が無事に戻ってきたお祝い?」

    「そう不機嫌になるなって! 折角可愛こちゃんが消えてメタボが戻ってきたんだ、ヒーローの生還に乾杯くらいはさせてもらってもいいだろう? キッシュ残してあるぞ。お前には物足りないかもしれんが」

    あり合わせのチーズとサラミが適当に切られて皿に盛ってある。くいっとグラスを空けたイギリスが近寄ってきたアメリカの口元に「おう」とサラミを運んだ。

    「いらないよ」

    「……そうか」

    少ししゅんとなりながらも彼はキッチンに姿を消す。やがて戻ってきたイギリスは新しくお湯を淹れたポットを手に持っていた。

    「コーヒーないかい? 昼間っから酒くさいんだぞ」

    「あ? んなもんあると思うか?」

    「こいつのコーヒーなんぞ、絶望の味しかしねーだろ」

    「ははははは死ねクソヒゲ」

    笑顔でイギリスがフランスの足を蹴る。ぎゃあと悲鳴が上がった。座らされてアメリカが砂時計を見守る。

    「――よし。アメリカ、ダージリンのセカンドフラッシュだ。お前憶えてるだろ? ……おかえり」

    カップに注がれた紅茶から懐かしい香りが広がった。
    透古
  • 6今日から君とごて。 #腐向け #アルアサ #aph修行@S
  • 23ついろぐギル菊とアルアサが普通に混ざっています。
    苦手な方はご注意下さい。 #ギル菊 #ヘタリア #アルアサ
    わしかい
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