努力の怠りの話 私のことが聞きたい? 旅人さんも特異な方ですね。
先日、倒れたと聞いたと。お恥ずかしい。今は、この通り。問題ありません。ですが、皆が心配するのでこうして木漏茶屋で息抜きをしています。
そうですね。何から話しましょうか。旅人さんは不思議な方。うっかり話す気がないことまで話してしまっていけません。どうか、ここでの話は内密に願います。
・・・・・・できたら、生誕したときからの話がよいと。そんな話を聞きたがるのはあなたくらいのものです。
私は、神里 綾人。没落しかけの神里家の嫡男として生を受けました。神里家の者たちはとても喜んだと聞き及んでいます。実際、私は神里家次期当主として皆に愛されながら育ちました。
どうされました? 次期当主としてという所が気になった、と。それは仕方のないことです。私は神里のために生まれ、神里として生きて行かねばなりません。私がいなくなったら今度は綾華がそれを担うことになります。しかし、兄としてはそれでは情けない。兄として、妹の成長を見守ることも両親から託された願いですから。
ですが、たしかに私は・・・・・・、どこか人と違っていたかもしれません。
綾華をみていればわかります。子どもらしい子どもが成長していく過程というのはおそらく、特殊な環境下においてもあのようになる。綾華は健やかに成長してきているさまをみるのは兄としてはうれしい限りです。
だからといって私の感覚が少しおかしいというのは聞き捨てなりません。そのようにお思いなら弁明の機会をいただきましょうか。
今は、そんな風に思っていない? ならば結構。
はぁ、綾華の話はいいから私の話を聞きたいとは、私はそういうのが少し苦手なのです。実際、旅人さんのような方は珍しいと思いますよ。
・・・・・・どこが人と違っていたのか、ですか? その話はもういいでしょう。
・・・・・・・・・・・・わかりました。お話しします。そのかわり、後ほどお願いしたいことがございます。よろしいですね? もう。あなたという方は。そんなにあっさり了承されないほうがよいですよ。いつもそんな感じだから大丈夫、ですか? ふふ。本当にあなたは面白い方ですね。
その手元の扇であおいでほしい。いえ、これは、特に暑いわけではないのですが、旅人さんは暑いのですか? 冷たい飲み物でも用意させましょうか。いらない? あおいでほしいと・・・・・・。仕方ないですね。すこしだけですよ。
そうですねぇ。わたしは物心がついた頃から、家の者が私に対して話し出すといつまでもずっと正座をしたまま耳を傾けていました。興に乗って話すその様子が好ましくて。ですが、すべて記憶してしまうので気味悪く思った者もいたようです。それから神里家次期当主として恥ずかしくないようにと求められたものはすべて修めました。
その、ですから、こどもらしい行動は一切せず、こどもらしい遊びも全く経験がなく、本当にいわれたままに動く行儀のよい人形のようだったと聞いています。両親としては初めての子育てで、祖父母もすでに亡く、気づかなかったようですが、このままではこの小さな若様は早逝すると震え上がった者たちがおりまして、今の私があるのです。
神里屋敷にいるばあやの古田と、そこにいるじいやの中西ですね。祖父の代から神里家に仕えてくれている者たちです。
二人は、神里である前に私が人間であること。人より何倍も自らが人間であることを自覚しなければならないということ。生きることを諦めてはならないこと。そのための努力を怠ってはならないことをそれはもう、口を酸っぱくして、手をかえ品をかえ私に伝え続けました。
それから、そうですね。旅人さんは、守破離という言葉をご存じですか? 流派の技をひたすら正しく修得し、他流派の知識も取り入れ、新しい流派を作るように新たなものを創造することが極めるということである、というような思想のひとつですが、私は神里流の宗家でもありますので離はないものの、一考に値する考えだとは思います。ですが、教本の始めから終わりまでをただなぞるように表現することが守ではないのです。
旅人さんは料理が大変お上手だと伺いました。これはばあやがよく幼い私にもわかりやすいようにお話していたことなんですが、料理や掃除、あらゆる雑事にすら、押さえなければならない点が複数存在し、押さえなければならない順番が部分部分に存在する。そこさえ押さえれば、完璧な仕上がりでなくとも求める結果が最低限得られるのだと。おわかりですか? 個人的には料理が一番わかりやすいと私は思っています。さすがにだしから取り始めるというような余裕はないので、目的の料理に仕上がれば私は満足なのですが。コツ、でしたか。段取り力を調整するには手早くて結構気に入っているのですよ。ですが、料理をすると若様がやることではないとばあやが怒るのです。ですから、夜中にこっそり息抜きに試みることがあります。
息抜きといえば、旅人さんは将棋や対戦型のボードゲームは嗜まれますか? 璃月千年でもかまいません。そうですか。トーマかそこの中西に手ほどきしてもらってはいかがです? 綾ちゃんがいい? それは綾華のことですか? 綾華でもてほどきは受けられるとは思いますが。え。私? 綾ちゃんというのは私のことですか? 綾さまでもいいと。・・・・・・。綾華のことはなんとお呼びになられておられるのですか? ・・・・・・綾華、と。でしたら、私も綾人とお呼びください。綾華とお揃いがよいです。兄妹ですから。旅人さん、よろしいでしょう?
どうされました? 暑い? はい。あおいで差し上げます。でも、私のことはどうか綾人と。ふふ。お願いしますね。
あぁ、はい。私は将棋と読書はじいやから教わりました。しかし、私も子どもながら多忙の身、神里家の務めを果たすための技能の修得が優先されますから、一局通しで指すことはほとんどできず、合間合間を縫って少しずつ進めました。神里家嫡男として相応しいよう文字の練習をしながら、遠目に将棋台をみながら指したり、棋譜はもちろん覚えていますから、会話をするように進めたこともあります。結局、途中で終わったこともありましたが、それでも構わないことを教えてくれたのがじいやです。
そういえば、その少ない隙間時間でじいやと将棋を指している姿を母上がふとした時に目にされたそうで。いえ、お叱りを受けたわけではないのです。私と遊びたいと奮起して、将棋のルールを覚えられたのだとか。対局は、そうですね。記憶のなかでは1度だけ。まだ、綾華が母のおなかの中にいた時の話です。
先ほど、物事にはすべからくコツがあるとお話ししたでしょう? ばあやは、効率重視でことにあたり、まとまった時間を作ったら、なにか新しいものを目にしたり体験したりして人間であるように努めなさいと私に言いました。そしてじいやは、いくら周りが注意しようとも、命の危険にさらされるときは大抵おひとりの時を狙って向こうからやってくるのが常なのだから、身を守るすべには磨きをかけ、逃れる経路や連絡する手段を確保することを忘れてはならないと常に言っていました。
ですから、私が部屋を片づけようとすると、ばあやがやってきて、あとはばあやがやりますから、と部屋から追い出すんです。そうするとじいやがやってきて、あまりお時間がないようでしたら一局いかがですかとくる。まとまった時間ができたときは、外出のための着替えを手伝ってくれたり、まだ小さな時は一緒に外に出たりもしました。それで、外出の準備をしていた時、おなかの大きな母がやってきて私を呼ぶのです。そして対局を申し込まれました。
いつものような途切れ途切れの一局ではなく、母も一生懸命で、お可愛らしいご様子でした。そうしたら父が帰ってきて、自分も私と将棋を指したいとおっしゃられて、・・・・・・最後に父と母が対局されたのですが、お二人ともそんなに強くないものですから、交互に次の手を聞かれまして、引っ張り鮹とはこういうことをいうのだなと子どもながらに思ったものです。ふふ。それで私がボードゲームが好きと思われたのでしょう。限定版の璃月千年は父が私のために取り寄せたものです。届いたのは父が亡くなった後ですが。そういうものが神里屋敷の中にたくさんあります。
私は愛されていました。ですが、誠実で真面目な、ある意味手抜きをしらない方々でしたから、実行する時間が取れなかったのです。
あぁ、申し訳ございません。時間が来てしまいました。読書の話などはまた今度にいたしましょう。
トーマ、供をするか、使いをするか選びなさい。供ですか。では、中西、お使いを頼まれてくれますか。わかっています。人である努力を怠り、過労に陥るような無様はいたしません。本当です。信じてください。じいや。
旅人さんはこのままごゆっくりなされてください。おや、同伴されたいと。構いませんよ。どうぞこちらへ。
・・・・・・頼みたいことはなにかと。旅人さんも律儀な方ですね。・・・・・・そうですね。塵歌壷というものがあるそうですが、一晩、私とトーマに空間を貸していただくことはできますか?
もう。綾ちゃんではありません。私のことは、綾人、とお呼びください。ふふ、約束ですよ。ありがとうございます。それでは参りましょうか。