イラストを魅せる。護る。究極のイラストSNS。

GALLERIA[ギャレリア]は創作活動を支援する豊富な機能を揃えた創作SNSです。

  • 1 / 1
    しおり
    1 / 1
    しおり
    神里なくして残るもの 後編① まだ空に朝焼けがのこる早朝、鳴神大社の大鳥居をくぐり、そのまま立ち尽くしている青年の姿があった。
     白い上衣に薄鼠色の袴、腰には帯留めのようなひもに青色にきらめく神の目が引っかかっている。鍛錬の後なのか、たすき掛けをしたままだが、手には何も持っていない。
     神里家当主 神里 綾人こと若である。
     いや、この時、若はまだ当主ではなかった。とっても美人さんなのはそうだけど、幼さが少し、顔の輪郭に、袖からのぞく肘から下のラインに、今よりもさらに華奢な肩や腰に、まだ延びきらない背丈に残っている。

     あ~。また、この夢か。

     神里家で家司をやってる俺ことトーマは、鳴神大社に所用で出向いた後、なぜかいつもこの夢を見る。
     最初は声だけだった。ぼんやりしてよく見えなかったものが何度もこの夢を見る度に鮮明になってきて、今ではこんなにはっきり若の、綾人の姿を観察することができる。
     ちなみにここに立っている若は、おそらく社奉行家の仕事で用があって来たのでも、神里家嫡男としてきたのでもない。装束には神里家の紋もはいっておらず、ほんとうに着の身着のままなんとなく来てしまったという様子で、どこかぼんやりとしてのんびりとしている。つまり、素の綾人なんだと思う。
    「おや、雛鳥ではないか。何をしておるんじゃ。早う、こちらへ来ぬか。社奉行家の若造なら願い下げじゃが、そなたならいつでも遊びに来てかまわぬぞと言うておったであろうが」
     社の奥の方から八重宮司の声が聞こえた。俺はその声に思わず身がすくむが、綾人は小さく笑ってひょいひょいと奥に進む。
    「神子さま、おはようございます」
    「うむ、おはよう。なんじゃ? 茶でも淹れに来てくれたのか? 早く淹れるがよい。ただし、なんとか流とかいうのはなしじゃ。わかったな」
    「ふふ。わかりました。神子さまの仰せの通りにいたしますね」
     拝殿の裏の板間になぜか略式の茶道具一式が用意してあり、綾人はすっと用意された席に座ると流れるような手つきで茶を淹れて、「どうぞ」とだけ言って対面に座った八重宮司に差しだし、自分の分も淹れて両手に持った。
    「うむ。上出来じゃ」
    「そうですか。よかったです」
     いつも思うんだけど、素の綾人って、隙があるわけじゃないんだけど、そこらの綺麗な女の人よりも美人でかわいいんだよな。とくにこの時はまだ子どもっぽさがほんの少し残っててかわいい。なんかもう、ちょっと表情が動いただけで花が開いたかのような錯覚に陥るというか。いや、まぁ、普段もそうといえばそうなんだけど。
     絶対、八重宮司もそう思ってる。なんか端から見ていても上機嫌な様子がわかるし。
    「して、いかがした? 雛鳥よ。妾に会いたくて来てくれたのじゃろうがいささか元気がないではないか」
    「いえ、神子さまのお顔が見れて力が抜けたというか・・・・・・。すみません。朝早くから申し訳ないとは思ったのですが、神子さまにお会いたいと思って来てしまったのは本当なのです」
     そういって若は手の中の湯飲みに視線を下げてしまい、八重宮司の指摘通り、花がほころぶような雰囲気はあるもののすこし元気をなくして黙ってしまった。
     珍しく宮司はその様子を黙って見守り、姿勢を正して座り直す。
     若は何かを言おうとして口を小さく開きかけて、きゅっと唇を結び、また押し黙ったが、宮司が座り直した様子を感じたのか若の方も視線をあげた。
    「・・・・・・・・・・・・。父上がまもなく身罷られます。母上も家のためと隠していますが長くはないでしょう。これは不甲斐ない嫡男の不徳のいたすところでしょうが・・・・・・」
     若の瞳がうるんで、若はまた少し視線を下げて数度まばたきした。涙の珠はできることはなく、また宮司の方を見て若はほほえみさえ浮かべた。
     夢の中とはいえ、俺はなんかいつもここで号泣してる。
     若は、神里屋敷では泣いたことがない。まぁ、表情が抜け落ちることはある。そんな若を冷酷だという輩もいるけれど、若は日常のほとんどを社奉行家当主あるいは次期当主として相応しくあるように整えてしまっていて、そういう感情表現を表に出すことすらご自分に許していないんだと思う。
     それにしたって、この時の若は未成年なんだ。それでもすでに次期当主として仕事もしてて、まぁ、たしかに今はお嬢がやってるような社奉行家の事務については奥方さまがされていたけど、それを差し引いても不甲斐ない嫡男とかどの口が言うんだってつっこむ俺がいる。
    「これは、神里家の者として、言ってはならないことだとは承知しております」
     あ。来た来た。これ、もう、俺だめ。見てられない。強制的に見せられるんだけど。
    「それはさておき、・・・・・・綾人という者には両親の他に妹がひとりおりまして。神子さまもご存知でしょう? とてもかわいい子なんですよ」
    「うむ。たしかにかわゆい子じゃな」
     若も八重宮司の反応がうれしいかったのだろう。にこにこ笑う。
     その後に、若は少し姿勢を改めて言うのだ。
    「ですから、もしも家がなくなることになったら、兄としては心配でいてもたってもいられないのです。神子さま、その時は妹に、神子さまの御慈悲を賜ることはできますでしょうか」
    「聞き入れよう」
     八重宮司の返答は素早く短かった。それを覆い隠すように宮司は言葉を続ける。
    「しかしのう。そうは言っても社奉行家の若造はこんなにちいこいころから我が道をいくようなやつじゃ。あやつがみすみす家がなくなるようなへまをするわけがないと思うがの」
    「こんなにちいさい・・・・・・」
     八重宮司が座った赤子ぐらいの高さに手を止めるのをみて、若はころころ笑った。
    「それは強情な赤さんですね」
    「ほんとうにのう」
     いや、それ、若のことだよな?
    「ところで、雛鳥よ。もし住処の籠が壊れたら、雛鳥ぐらい受け入れる場所ならいくらでもあるのじゃが、どうじゃ?」
     強情な雛鳥は、宮司の申し出に小首を傾げてすこし考える素振りを見せた。
    「そうですか。ありがたいお話ですが、実はその雛鳥には異国から来た友人がおりまして。もしもそのような災難が訪れてしまった時には、友人にその場所を譲ります。よろしいでしょう? 神子さま」
     そこでおねだりするように微笑みかける若。
     いや、よくはないです。若。かわいく笑ってもだめです。
    「しかたがないのう」
     仕方なくないです。

    「・・・・・・・・・・・・。あぁ」
     夢見最悪。


       ***


     実は昨日、1週間神里屋敷に帰還されなかった若に堪えきれなくなったお嬢と俺は、いてもたってもいられず鳴神大社にお参りに行った。
     別に八重宮司に会いに行ったわけではなく、若の無事を祈りに行ったのだ。いや、ご無事なのはわかっているけど、健康祈願というか、なんというか。
     でもなぜか八重宮司と遭遇し、なんだかんだあって素直になるんだか幼くなるんだかというよくわからない効能の謎の薬液の入ったガラス瓶をもたされて、次に来るときは雛鳥と3人で写真機をもってくるようにと言われてしまった。
     それであの夢だ。
     お嬢も同じ夢をみたようで、顔を合わせた時に瞼が腫れていた。
     だから、これは仕方ないと思う。

     若は本日午前中にお帰りになられた。

     若が神里屋敷の社奉行府の奥にある居住区に入られた途端、俺とお嬢は若に二人で抱きついて泣いた。いや、泣いている。今。
    「どうしたんだい? 二人とも」
     俺とお嬢に挟まれている若は優しく問いかけてくれるが、なんかいろいろな感情が混ざって言葉にならない。
    「困りましたね・・・・・・」
     若は懐から出した扇を開かないまま、扇の先を口元に近づけて小さくため息をついた。そして、ふと何かに気づいたようにお嬢と俺に顔を近づける。
    「あぁ、神櫻・・・・・・。なるほど。心配をおかけしてしまったようでごめんなさい。綾華。トーマ」
     若が優しい声で言うので、俺たちはますます若にしがみついた。
    「・・・・・・そうですね。本日の執務は午後から、こちらの社奉行府で行うことにします。それでよいでしょう? ほら、トーマ、着替えを手伝ってください。綾華も、この兄にお茶を淹れてくれませんか? みなでゆっくりしましょう。ね?」
     久方ぶりに帰られた若の、要約すると休みたいという言葉に、俺たちははっとして、当然、即行動に移した。

    「さて、どうしましょうか」
     神里家の方々の茶の間というべき角型の卓袱台が置かれたお部屋に俺たちは集まり、お嬢の淹れた茶を飲みながら袴姿に着替えた若が言った。広めのお部屋なのに、若の両脇に俺とお嬢が座っているものだから、若はなんとなく窮屈そうである。でも若はどこか楽しそうな様子こそあれ、不満そうな素振りは見せていない。
    「そうですね。実は旅人さんに塵歌壷をお借りできる算段がついたのですが」
    「「 !!! 」」
     お嬢と俺はびっくりして若の袖にしがみついた。
     塵歌壷とは、旅人が璃月の仙人から贈られた壷の中につくられた洞天であり、旅人は中を整えてテイワットにおける自宅としていると聞いている。当然、閉じられた空間ではあるので、刺客などは入りようがなく、たとえば社奉行などの個々人のしがらみなども持ち込めるはずもない空間だ。
    「普段寝泊まりしている空間をお借りするのですから、こちらからはこの屋敷の離れをお使いいただこうと旅人さんにお話したんです」
     若はそこまで言って、とんとんと扇で喉下を叩きながら嘆息する。
    「旅人さんはどのようにお返事されたのですか?」
     お嬢がすこし緊張した面もちで尋ねた。
    「先祖の話では大御所様もその昔お泊まりになったこともある由緒あるお部屋なんですよとお話ししたら、・・・・・・茶器ひとつすらどのように扱っていいのかわからない豪華すぎるお部屋は困ると」
     あぁ、わかる。それはわかるな。誤って割ってしまったり、傷がつきでもしたら、殺されるかもしれないとか思うよな。実際は殺されるなんてことはないけど。
    「お夕食は烏有亭から人を呼びましょうともお話ししたのですが、恐縮されてしまって」
    「それは家司の俺が・・・・・・」
     思わず言って、きょとんとする若に俺も察した。この話を俺とお嬢にしているということは、若の中では俺とお嬢も若と一緒に塵歌壷に行くことになってるってことだ。
    「あー、えーと、その・・・・・・俺たち3人で貸し切りにというお話だと思うんですが、何時のご予定なんですか」
    「それなのですが、非常に広い空間で見応えもあるとおっしゃるので、2週間後に2晩お貸しくださることになりましたよ」
    「2週間後・・・・・・。あっ・・・・・・」
     お嬢が目に見えてしょんぼりした。
    「わたくし、お仕事が・・・・・・あります・・・・・・ので、せっかくですが・・・・・・」
     どんどん声がちいさくなるお嬢の手を取って、若が微笑みかける。
    「綾華、大丈夫ですよ。まだ2週間あるのですから、すべてとはいかなくてもせめて最後の1日ぐらいは一緒に過ごしましょう。旅人さんのお話によると、塵歌壷の中のお時間は実際とすこし異なるようです。ですから、調整次第によってはお泊まりもできますよ。綾華ならできるでしょう? この兄も多少の知恵ならお貸ししますから」
    「お兄様・・・・・・」
     甘やかしで一度任せたお嬢の仕事は取り上げないのが若であり、もし仮にそのような提案をしようものなら怒るのがお嬢である。
     そもそも若はお嬢だけではなく、神里家に所属する者たち、末端の使用人に対しても信頼を優先する。神里家を一歩でると若は過程より成果を優先するきらいはあるけれど、神里家の中ではすこし違う。
     それは若の祖父の代に起こった事件で、大御所様の怒りを恐れて神里家から人が離れる中、残ってくれた者たちへの恩返しのようなものかもしれない。けど、その細やかさがなんともいじらしい。
     先日、神事で使う用具をやっと開拓した他島から船で輸送するとなった折に、その輸送船が嵐にあって沈んでしまった。
     開拓したのは8割方が若ご自身で、あと少しの失敗しようのない美味しいところは家人に任せた。
     それでも船は沈んでしまい、結局、他から調達することになったわけだけど、いろいろと家人の対応に問題があったことは否めない。
     でも、若は叱責はしないんだ。
     若は週に一度は、外に出せば国宝級の茶器や掛け軸などの調度品を何点か手入れをする。それに対するお手伝い役として一人、立候補制、立候補者がいなければ当番制にして、神里家家人に付き添わせる。それはもう、それこそ身分を問わず、必ず順番が来るように決められている。しかも立候補者がいる場合は、立候補者の番と当番とで2回も行う。今回、1週間も若は屋敷に帰られることはなかったけれど、そのためだけに立ち寄りはされてたんだ。
     何をしているか。それは家宝とも言うべき調度品の手入れではあるんだけど、それに触れさせることで、自然に神里家家人に審美眼と取り扱いを学ばせることと、世間話。
     世間話、若はとてもそれが巧い。
     件の神事用のしくたらかしの件でも、若はその世間話の中で、担当者を叱責せず、問題点に気づかせ次回への改善へと誘導してた。本人が気づかなくても、それで若は怒ったり、落胆したりはしない。裏でなんか手配しているときはあるけどね。あ、これは内緒にしてくれよ。無事に済めば、若は用意したものを後々活用はしても表に出すことはないんだ。本当だよ。でも、本当はそれも減らしてほしい。若の仕事が増えすぎるだろ。本当に若の仕事量は人外だよ。やってもやっても沸いてくる。
     ちなみに手入れ当番の効果で、神里家の面々は審美眼だけはすごく高い。若が懇切丁寧に説明するのでその影響もあって、興味も持っているから普段からいろいろ観察して吟味する癖がついてる。考えてみなよ。あの若が、手取り足取り穏やかに最良のお品について講釈されながらお部屋に二人きりで手入れするんだぜ。自分が取り入れた情報を若に披露しても、若はにこやかに聞いてくれるんだ。はまるよな。
     ・・・・・・あぁ。その、当番と若のやりとりは、お手入れ中に俺が部屋の外に待機していることがあるから知ってるだけだよ。若はお忙しい方なので、手入れ時間が終わればまた政務に戻られるか、外出されるのが常だから、必要なものをご用意して控えてるんだ。またお品をしまわないといけないしね。
     でも審美眼はともかく、神里家の面々は策謀とか交渉力みたいなのは全然でさ。裏表がないというか。困ったものだよな。
     えぇ? 当番が週1回なんて少なすぎる? 多いよ。若には本当に休んでもらいたい。ちなみに若の神里屋敷内の執務机には紙片がいっぱいだ。用があれば、だれでも紙片にメッセージを書いて置いておいてよい決まりになっているからね。それも緊急性があるものは1両日中に机から回収されてる。俺がお届けすることもあるけれど、多分、終末番のひとが若に届けに行ってるんだと思う。
     また話が逸れたね。えーと、そう、休暇の話。
     いや、でも、若が2泊3日の休暇に本気なのはいいことだ。ここ1週間お帰りにならなかったのも、若は若でなんとか算段をつけていたのだと思うとなんだかうれしい。いや、でも1週間お帰りにならないのはよくない。それはともかく・・・・・・
    「木南料亭ならいかがでしょうか。彼女とは旅人も顔見知りですし、以前、市井おでんをたべてみたいと言っていましたよ」
     俺の提案に若は少しだけ思案して、にっこり笑った。
    「いいですね。璃月のご友人も何名かお越しになるそうなのですが、目に見えて魚介とわかるものはできるだけ避けてほしいというお話でしたので、そのことを踏まえた上で手配をお願いできますか? トーマ」
    「お任せください、若」
     どんと俺が胸を叩くと、若とお嬢が笑顔で頷いてくれた。
    「あの、お部屋のお花はわたくしが生けてもよろしいでしょうか」
     お嬢の申し出に若がぱっと花を咲かせたような笑顔になる。
    「それは素敵ですね。お願いします、綾華」
    「ふふ。お任せください。お兄様」
     若とお嬢が仲良く笑い合っていて、俺としては眼福だったが、ふとした瞬間に若の表情に翳りが生じる。
    「それで、離れの調度品の件なのですが、どうしましょうか。大事なお客様なのですから、それ相応のお品がよいと私は思うのですが」
     概ね普通に見えて、頑丈で、実際は高価なお品というのが一番難しい。が、実は若は政務で移動中に骨董市などに遭遇した際に、ひょいと陶磁器などを買われては屋敷に送ってきたり、窯元を訪れて直接依頼したりするので、骨董品に限らずわりといいお品の皿などはあったりする。掛け軸なども同様にあるにはある。作家がまだ現役なものもあるから、壊れても、それはまぁ、惜しいが問題ない。
     それよりも、掛け軸ならここに神里流の宗家とその妹さまがいる。どちらも書画の依頼が神里家にちょくちょく入り、お二人ともお忙しい身の上なので断れるものは断っているのが現状だが、いうなればプロである。特に若は、書画が手に入らないなら若の手書きの書状ならなんでもいい。政務関係なら受け入れられるだろうという魂胆が見え透いた依頼が来やすい人である。
    「若!」
    「お兄様!」
    「いやです」
     3人が3人とも同時に口を開いた。
     否定の言葉が聞こえた気がするが俺は構わず続ける。
    「若の水墨画を飾りましょう」
    「・・・・・・」
     若が扇を開いて顔を隠した。そしてゆっくりと噛み砕くように言ってくる。
    「装丁は見事ですが、あのような素人絵は人目にさらしていいものではありません」
    「若ぁ・・・・・・」
     実は神里流の書画は、書で魅せる形態で、書と画を一体化させたものではないんだ。
     でも、昔、神里家に俺が若の友人ということで客人としてお世話になっていた頃、モンドでは硬筆が主体で筆で字を書くことはなかったから、書道具をお借りして字の練習をしていた時期がある。
     書道具を広げたまますこし席を外して戻ってみると、若が広げた紙の前で何か考えていて、筆を取って何かを書き始めた。不思議なのは、普段字を書かれるときは正座して姿勢良く文机に向かっているのに、その時に限っては文机に片足を乗せたり手をついたりして、まったく座る気配がなく、さらさらと何かを書いていたことだった。若はそして墨をすり、また筆を滑らせ、墨をすり、筆を走らせた。
     それなりの時間が経っていたが、中西さんと古田さんに静かに止められてそのようすをじっと眺めていた。なぜだかわからないが妖精の密やかな悪戯を見ているようでとても楽しかった。
     若が紙に向かうのを止め、こちらに気づいた時のびっくりされた表情がかわいかったのを覚えている。
     若は、広げられていたのが画紙だったかららくがきした、とおっしゃられていたが、黒墨で描かれた山並みは霧にかすれた玄妙な姿を見事に表現していて、子どもの描く絵や素人の絵とはとても思えなかった。
     だから、神里家御用達の表具師を紹介してもらい、当時は外国人扱いだったのも幸いしたのか、弟子入り体験みたいなことを許してもらって、若干不格好にはなってしまったものの、若の絵に表装を施し、今も自室に飾ってある。
     それだけじゃない。
     若は仕事では絵は描かない。でも、俺が若の隙をついて、紙に合う大きさの台を用意して、画紙を広げ、墨をいくつかの濃さにすり、作務衣と硯といくつかの太さの筆と絵皿と水差しを用意すると、いつの間にか描いてくださっていることが多い。運が良ければ描かれている姿を見ることはできるが、大抵、仕上がった絵と墨でよごれた作務衣がきちんと畳まれて若のかわりに残っている。そしてその絵に関しては、俺が表装を施し大事にしまっておくのだ。たまに出しては部屋に飾るが、若に見つかると呆れた顔をするので、一応隠しておく。お嬢もたまに見に来るくらい見事な作品なんだ。
     だから俺の給金の1/3は、実は墨と紙と装丁に使う材料とたまに硯と水墨画用の筆に消える。作務衣も俺が縫っているが、それを気に入られた若が、お屋敷内で書画の制作をされている時にもお召しになられるようになり、経費になったので、俺の給金からはでていない。結構、墨と紙と硯と筆って奥が深くて値段もぴんきりなんだよな。高価だからよいというものでもないし、ほしい性質のものがものすごく値が張るものの場合もある。いい加減、そういったことに無駄遣いするのはやめなさいと若は言うが、もうこれは俺の趣味で、若もつきあってくださるだからやめない。おかげさまで表具師の先生にもお墨付きをもらうくらいには俺も表装の腕は上達してるし、あれ、結構楽しいんだ。年に2~5枚得られるかどうかの幸運なんだから、大目に見てもらいたいものだよな。そういった俺の宝物を友人に自慢したいと思うのは当然の欲求だと思わないか?
    「トーマ、よからぬことを考えているでしょう」
    「わたくしもお兄様の描かれる水墨画は素晴らしいと思います。旅人さんにお見せしたいです」
     そうだ。そうだ。お嬢、もっと言ってやってくれ。
    「だめ。お願いですから、兄に恥をかかせないで、綾華。トーマも」
     あ。これは、描いていただけなくなる可能性の方が高いかもしれない。飾るとしても一点ぐらいをこっそり忍ばせるくらいしか道はないかもな。
    「トーマ」
    「そうだ。メインに先代の書画をお使いになられるのはいかがですか?」
     念押しをされる前に俺は代替え案を提案した。
    「父上の・・・・・・」
    「まぁ。それはよい案ですね。お兄様」
    「そう、ですね。先代宗家の手も、とても素晴らしいものです」
     本当は、若の手がけたものがあるのなら、現・宗家の作品を飾るのは歓迎の意を表すのにもよいとは思うが、若は社奉行としての仕事が忙しすぎて、若の作品は、お嬢の作品すらも、できあがる度にすべて持ち出されてしまい、屋敷に作品として残されているものはなかった。
    「茶器などは若のお気に入りの現代作家のものをお出ししましょう。いくつかお持ちしますので、選びましょうか」
    「あ、はい。そうですね。お願いします。・・・・・・?」
     若はどこか腑に落ちない様子ながらも、俺がお持ちした陶磁器を手に取りながら、お嬢と和気藹々として午前中を過ごされた。
     つまり、俺は若の水墨画を飾らないという念押しを免れることに成功した。
    駒嶺くじら Link Message Mute
    2022/06/08 20:47:37

    神里なくして残るもの 後編①

    #gnsn #若トマ #トーマ視点 #二次創作

    more...
    Love ステキと思ったらハートを送ろう!ログイン不要です。ログインするとハートをカスタマイズできます。
    200 reply
    転載
    NG
    クレジット非表示
    NG
    商用利用
    NG
    改変
    NG
    ライセンス改変
    NG
    保存閲覧
    NG
    URLの共有
    OK
    模写・トレース
    OK
  • CONNECT この作品とコネクトしている作品