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    推しだと言って何が悪い(五月ログまとめ)目次『無自覚アンサンブル』『感謝の言葉はディナーと共に召し上がれ』『愛と勇気だけが……これ以上いけない』『ストーカーにはご用心』『春のぬくもりを求めて』『空言の箱舟』『曲解のベーゼ』『犬と歩けばなんとやら』『Marea de stele(マレア デ ステレ)』目次
    1.『無自覚アンサンブル』(本ロド)
    2.『感謝の言葉はディナーと共に召し上がれ』(本ロド)
    3.『愛と勇気だけが……これ以上いけない』(読切ロド)
    4.『ストーカーにはご用心』(読切ロド)
    5.『蒼穹の瞳に映るのは』(本ロド)
    6.『春のぬくもりを求めて』(本ロド)
    7.『君に誓ってしていない』(本ロド→30年後ロド)
    8.『空言の箱舟』(マリンロド)
    9.『曲解のベーゼ』(本ロド)
    10.『犬と歩けばなんとやら』(Δロド)
    11.『Marea de stele(マレア デ ステレ)』(本ロド)
    『無自覚アンサンブル』本誌288死を読んで書きなぐったもの。ロ君のスーツをドが見繕いにとあるお店に訪れた時のお話。
    終始モブ視点です。
    ※288死ネタバレあり。話の捏造、モブあり。〇語は頑張って解読してください。

     深夜のスーツ専門店。人間と吸血鬼が共存しているシンヨコ(新横浜の略称)に建てられた雑居ビルの中にそこはある。
     さまざまな種族が住んでいる街の需要に合わせてオープンしたこのお店は立派な『正装服を取り扱っている衣料店』である。なんでも、オーナーこと店長が吸血鬼も住んでいるこの街では需要があると思い、このお店を開いたとか何とか。オープンした理由はどうでもよかったが、入社する前の私としてはお給金が良いという安直な理由でこの店で働いている。
     給料がいい。その理由は、コンビニエンスストアのように『深夜営業』しているという点にあったことを認知したのは、つい最近のことだ。吸血鬼の正装服も取り扱っているお店側からしたら当然の対応なのかもしれないが、それを知ったのは既に入社して六カ月が経過したときだった。最初の内は疑問にも思わなかったが、だんだんと勤務にも慣れて精神的に余裕が出てきた時に疑問を店長に投げかけたのを、私は今でも後悔している。
     日頃からこれといって趣味がなく、唯一の娯楽でもある深夜ドラマを楽しみにしていた身としては、なくなくリアルアイムで見られないという現実に枕をらしたものだ。せめて入社する際の事前説明で言わなかった店長を私は当時、強く呪い殺したくなった記憶がある。
     
    「はぁ……」
     さて。そんなをお客様も誰もいない衣料店内のレジ前で、ここの正社員でもある私は大きなため息を口から吐き出していた。
     今日は朝から人間吸血鬼を問わず、お客様の対応に追われていたせいか、肩に重しでも乗ったのかと思う位に重く、足も棒だ。明日が休みであればどんなに良かったことか。
     しかし明日も朝から出勤であり、なんなら今は週の半ばを過ぎた頃だから休みは遠い。少しでもそう思うと気が重くなりそうなので、現実から目を逸らすように、私は今日の売上表にペンを走らせていた。
     思えば、今日は散々な一日だった。
     突然、朝にヘルプの電話連絡が私の耳元に入り会社に出勤。本当は休日のはずなのに急に代わってくれと上司に懇願されてやむを得ない。仕事初めのころは困ったときにはお互いさまだと自分を無理やり納得させて、結果的に善人の心が勝ったので引き受けたが、フタを開けてみれば、上司である四十代女性が合コンにいくから、底の穴埋め要員だということだった。
     それを耳に入れた時には殺気を覚え、仕事連絡用の携帯端末を握りつぶしそうになったものだ。
    (弁償したくなかったので、やめたけど)
     このお仕事を三年は続けているが、ここまでブラック並だったとは。長時間の立ち仕事に、品出し発注とクレーム対応。衣料店だから接客業務にレジを打つ作業とやることは星の数ほどある。これを少人数体制でやれと雇い主から言われているものだから、お店は毎日てんてこ舞い。
     とはいえ。ここは某大手のスーツ専門店とは異なり、八畳ほどのこぢんまりとした店舗である。落ち着いた色合いの灰色をした壁に清潔感のある赤いふかふかのじゅうたん。自動ドアの出入り口を潜ると、向かって左壁側に色とりどりのスーツを着用しているトルソーが一定間隔で並べられている。中央部分にはワイシャツや小物類がきれいに棚に鎮座しており、出入口正面から向かって、右側には簡素なレジ台とその奥に着替える用のフィッティングルームが設置されている。
    「……疲れたなあ」
     早く退勤時間にならないかな。そんな淡い期待を持ちながら、誰もいない空間で独り言のようにぼやく。このまま長い時間が過ぎ去っていくんだろうな。そんなことを一考していると、左隣にあった出入り口がウィーンと音を鳴らして開いていく。
     おっと、お客さんだ。私は項垂れていた体を素早く起こし、出入り口前まで小走りしていく。
     まずい、疲れていて反応が遅れてしまった。完全に出遅れたかもしれない。
     店内に足を踏み入れてきた客人に向かって頭を丁寧に下げながらも、私はいらっしゃいませ。と伝える。どうやら間に合ったようで少しだけ胸をで下ろしていた。
     私は下げていた頭をゆっくりと上げ、お客様を一瞥いちべつする。
     一人は、銀糸色をしたフワフワ髪の男性だった。あおく澄んだ瞳に整った顔立ちから『雑誌のモデル』ではないか錯覚してしまう。そんな乙女心をくすぐるような外見とは裏腹に、これは何の柄だろうと思わざるを得ない色のスーツを着ていて、熱した心も瞬時に醒めた。
     いやいやいや。どこで買って来たんだよ、そのスーツ。お笑い芸能人でも目指しているのだろうか?
     そしてもう一人は吸血鬼だと見て取れた。青白い肌にとがった耳。肩パットを忍ばせているスーツ上下が似合う、スラっと細長い男性である。肩上には吸血鬼らしい紺色のマントを羽織っている。猫のような黒髪に前髪は後ろに流している姿は何とも吸血鬼らしいな。と薄っぺらい感想が頭に浮かぶ。
     そして、彼の胸元にはフワフワの綿毛につぶらな瞳のアルマジロがすっぽりと収まっている。ヌーと鳴いてこちらにあいさつしてくれた。かわいい。
     私がレジから距離を縮めてきたことに驚いたのか、ハンサムな青年は目を丸くしていた。
    「え、あ、その……いらっしゃいました?」
    「なんで疑問形なんだ若造。最近の小学生でもお店の人にあいさつしないだろうに。あ、ゴリラだから礼儀とかしらな『ドムッ』スナァ……」
    「ヌー!」
     何々なに、何が起こった。
     自然な流れで変な柄のスーツ姿の男性が吸血鬼をど突いて、お砂場みたいな感じになったんだけど!?
     アルマジロは泣きながら砂をかき集めているし。どういう状況。
    「まったく、唐突に殺し過ぎなんだよ君は。レディを引かせてどうする」
     そう諭すように銀糸髪の男性に言いながら、灰色のちりの中から細い姿の男性の声がした。程なくして、彼の体は形作られていく。
     あ、死んだわけじゃないんだ。良かった。私もシンヨコに住んで長いけど、音沙汰もなく目の前で殴られて、砂になる姿を間近で拝見するという珍体験はなかなかない。いや、慣れたくもないが。
    「余計なことをしゃべるな! え、あー、うちのが大変失礼しました」
     突然、砂になってしまった吸血鬼に思いがけず後ろに一歩下がってしまった私を気遣うように、銀髪の男性が優しく声を掛けてくれた。
    「……い、いいえ。こちらこそすみません。突然のことに驚いてしまいまして」
    「気にすることはありませんよ、お嬢さん。誰だって突然目の前でチリの山ができたら驚くものですよ」
     私の意思を肯定してくれるように、銀髪の男に続いて吸血鬼の男が口元をほころばせつつも、一段と柔らかい口調で話しかけてくれる。あんまり優しくされることが大人になってから早々なかったせいか、ほんのりと心がポカポカしてくる。
     この二人、優しいな。
     おっといけない。仕事に集中しなくては。私は彼らに悟られないよう静かに息をついた。
    「ありがとうございます。それでお客様、本日は当店にどのような御用でしょう?」
    「おっと、無駄話が過ぎました。えっと、彼のスーツを取り繕いたいのですが、この時間に空いているお店がなかったもので……。これから店内を拝見させていただいても、よろしいですかな?」
     彼とは、隣にいるイケメンのことだろう。吸血鬼の男の言葉に、私は素直にうなずいた。
    「問題はございません。何か不明な点がございましたら、遠慮なく私をお呼びください」
     それではごゆっくり、と簡単に会話を済ませた後にきびすを返す。これ以上しゃべりこんでいたりすると、オーナーからまだ嫌みを言われてしまう。それだけは勘弁してもらいたいものだ。
     ……とはいえ。あの銀糸の髪色をした彼に、青白い肌をした吸血鬼の男。何処かで見たような……。
     脳裏でなにかがつっかえている感覚を覚えながらも、私はすぐ近くの棚に積んでいた段ボールの中身を取り出して作業に戻ることにした。
     
     作業に入って数秒後。私は透明なビニールに覆われていたワイシャツを手に持ちながら動きを止める。
     ……気になるな。
     何が気になると言えば。あの二人。やけに距離が近かったなと記憶が過る。
     お客様方が入店したときには何とも感じなかったけど、よくよく考えてみれば、彼らの距離感は友人同士としては至近距離すぎるのだ。人間と吸血鬼がお互いに共存し合っている世の中からしてみたら自然な事なのかもしれないけど……いや、普通あそこまで距離が近いものか?
     あー……思い返せば返すほど意識が彼らに向いてしまう。
    (ちょっと遠目から眺めてみよう)
     じろじろ凝視してしまえば、それこそ不審者として扱かわれてもおかしくない。観察してみようと思い、私は彼らがいるフィッティングルームが見える位置まで移動し、商品を補充するフリをすることにした。
     ちょうどイケメンの彼は、フィッティングルームで着替えをしているらしい。それを吸血鬼の男性が待っているようだ。そして少し時間を置いて、白い箱を仕切っていたカーテンが開かれる。
    (……わあ)
     姿を現した彼は、はっきり言って見とれてしまうくらいに格好が良かった。
     紺色のワイシャツの上に純白のジャケットにズボン。もともと体格がいいからか、彼にはフィットしすぎているようにも感じられるが、先ほどのお笑い芸能人のような見た目とは打って変わっての風貌だった。思わず私の目は釘付くぎづけになってしまうところを慌てて首を左右に振る。
     まてまてまって。確かにモデルさんとか言っていたけど、これはこれで予想外に似合いすぎている。あれで雑誌とかアイドル番組に出ていても違和感がない。そんな番組があるんだったら私は見てみたい……ってこれ以上はいけない。
     店内はほのかにクラシックのバッグミュージックが流れてはいるが、静か過ぎるように感じていた。そんな中、相棒の方の彼がふむ、と満足げに声を出した。
    「さすが私。さっきのスカポンタン姿よりは様になったな」
    「一言、余計だ。後で殺す」
    「私を殺したらその商品、砂まみれになるぞ」
     こぶしを振り上げようとしたところの男性に吸血鬼が落ち着いた口調で話すと、彼の顔面前でぴたりと拳骨が止まる。そしてはぁ、と諦めのため息が銀髪の男かられた。
    「……なぁ、ネクタイってどうやるんだよ」
    「ネクタイも結べないのか、退治人なのに」
    「退治人なのは関係ねえよ! やることが早々なかったからやり方を忘れただけだ」
     客観的に聞いても、それがウソだとすぐに理解した。言った傍から変に狼狽ろうばいしていて、身ぶり手ぶりでごまかす。その慌て様がかわいく思え、思いがけずほっこりした。
    「仕方がないな。はい、ちょっと屈んで」
    「……ん」
     やれやれと肩をすくませながら吸血鬼がそう言うと、退治人と呼ばれた男は少し腰を落として首を前に差し出した。対して相棒の方は手慣れた様子で赤いネクタイを首に回してから、器用に結び始める。
     迷いがなさすぎじゃない?
     目と鼻の先まで近づいているのに、お互いに全く照れてもいなければ、平然と首を吸血鬼に差し出す退治人とか一体なんなんだ。
     見ているこっちがドキドキしてしまう。
     ますます二人の関係性が気になる中、キュッと布生地がこすれ合う音がやけに大きく耳に入る。
    「よし、こんなものか」
    「サンキュ。にしても、えらく首がキツイな……」
    「ロナルド君は首回りがしっかりしているからね。着る時にはシャツのネックを少しばかり緩めるだけでも違うよ。後で試してみると良い」
    「ん。サンキュ」
     ロナルド君。そう呼ばれた男性は吸血鬼からふいと目を逸らす。両頬が心なしか紅く染まっている姿が目に留まった。照れている姿もまた絵になるなー。
     すっかり傍観者気分になっていた私は、気を取り直して作業に入ろうと足元にあった段ボールに視線を落とす。すると気になる会話が耳に届いた。
    「まて。せっかくだから、おまえもなにか着てみろよ」
    「私が、かい?」
     彼のしらけ声に、銀糸髪の男は肯定するようにうなづいた。
    「そうだよ。俺ばかりが着せ替え人形なんて不公平だ。何か一着見繕ってやるから、着てみろよ」
    「いや、君に見立ててもらった服は絶対派手だから、嫌だ」
    「ハッキリ言うな、オマエ」
    「だって、シンヨコの街をあのスカポンタンの格好で出歩きたくない」
    「まって、俺の格好そんなに変だったか!?」
    「変もなにも。派手過ぎてどこのマツ〇ンサ〇バコンサートが始まるのかと思ったよ」
    「マツケ〇サン〇に謝れ」
     突如始まったとりとめのない漫才に耳を傾けつつも、私はそっと彼らに歩み寄る。
    「それでしたら」
    「スナッ!?」
    「うえっ!?」
     タイミングを見計らって声かけしたつもりだったが、彼らからしたら完全に気配を消していたようだ。一人は驚いて灰色のチリに化け、もう片方はビクンと肩を震わせ、こちらに向かって目を見開いていた。
     やってしまった。
    「あ、す、すみません! 突然声を掛けてしまいまして」
    「あ、いえ。大丈夫です。コイツ、すぐに復活しますから」
    「いや突然驚かせてしまったようで。それで……何か?」
     立ちすくんでいた私に、もう元に戻った吸血鬼が小首をかしげて話しかけてくる。もう復活したのか。早いな。しかし吸血鬼の男が姿かたちが変貌しても、このイケメン、びくともしないな。
    「突然話しかけてしまってすみません。試着でしたら、お客様にピッタリ合うようなものを見繕う事が可能ですが……いかがでしょうか?」
     お邪魔でなければですが、と私が付け加えると、ロナルドさんの顔が喜色に満ちていく。
    「ぜ、ぜひお願いします! なあドラ公。やってみようぜ。俺じゃなくて店員さんのご厚意なんだからさ、な?」
     ロナルドさん、急に食い気味になったな。よっぽど見たかったんだろうか。彼のスーツ姿。
    「……まあ、面白そうだから。やってみてもいいぞ」
     よっしゃ、顧客確保のチャンス到来。ありがとうナイスガイのお兄さん。
    「何かご希望の色はございますか?」
    「ふむ……そうだな。黒が好きだから、それ系を――」
    「あ、じゃあさ。店員さん、ちょっと」
     ドラ公、そう呼ばれた吸血鬼の言葉を遮って、チョイチョイ、とロナルドさんが私に手招きする。
     しぐさがいちいち子供みたいであざとい。だけど、イケメンだから許す。
     私が距離を詰めると、男は顔を近づけて小さく耳打ちした。
     やめて吐息がかかって心臓がギュンと握りつぶされる。砂になることはないけど。
    「コイツ、普段から黒ばっかり着ているから、なんつーか、その……彼が着なさそうな色のスーツを頼みたいんだけど、いいですか?」
     成程。ギャップをお求めですか。
     というか待って。
    『普段から』って言ったって事は、この二人――、付き合ってから相当長いのだろうか。それとも一緒に住んでいる、とか?
     このご時世、シェアハウスは女性だけでなく男性同士がしている事もある位だから、きっとそれで知っているんだろう。
     野暮な検索はしないでおこう。お客様の個人情報で騒がれる世の中だしね。言い足りないことを喉奥に押し込めるように、私は営業スマイルを彼に向ける。意識していると、顔が良すぎて、こちらの胸が締め付けられそうだからだ。
    「畏まりました」
     軽く会釈し、私はそそくさとその場から離れる。ふぅ。危なかった。さて、実は目に留めていたものがあったんだよなー。
     私はあらかじめ、目星をつけていたワイシャツやジャケット、そしてネクタイを見繕うと、再度彼らに声を投げた。
    「お待たせいたしました」
    「えらく早いですね。さすがはこのお店のスペシャリストといったところですかね」
    「あ、ありがとうございます……」
     この吸血鬼。ピンポイントで褒めてくるから調子が狂う。こんなに人に粛然とした態度を取る客人は久しぶりだから、称賛されるとこっちがニヤけてしまいそうだ。
     確かに同僚からは、お客様への提案が素早くできてすごいと感心されているけど。
     それとこれとは全く違う心地だ。
    「こちらの商品なのですが、いかがでしょうか?」
     両手で私は彼らの目の前にそれを差し出す。そうして一目置いてから、ロナルドさんはドラ公さんに言った。
    「いいんじゃねえか? 着てみろよ、ドラ公」
    「ふむ……。せっかくのご厚意だ。着てみようではないか」
     どうやらお気に召してくれたらしい。嫌がる様子もなく、いかにも楽しそうに小躍りしながら、ドラ公さんはそれを受け取った。ロナルドさんがいたフィッティングルームの隣に彼が靴を脱いで上がると、シャッとカーテンが閉じられる。着替えている間に、カーテン布の隙間からアルマジロさんがニョキッと顔を出し、私に並ぶように立っていたロナルドさんの右肩にのぼった。かわいい。
     ほどなくして、白い箱を仕切っていたカーテンが開かれる。
     ……うん。私が見立てただけのことはあるな。
     
     白のワイシャツに深紅のジャケットにズボンが細身の体にしっかりとフィットしている。左側には十字架のピンバッジが照明に照らされてキラリと輝いていた。ネクタイの柄はシンプルで赤と黒のグラデーションのものをチョイスした。
     先程のブラックのスーツ上下も素晴らしいと思うが、赤もなかなかに似合っている。
     ホルダーネックをきゅっとあげてから、ドラ公さんはぐるりと全身をぐるりと回した。
    「ふむ、どうかね諸君。あまりこういう色は着たことがないんだが」
    「ヌヌッヌヌヌヌ。ヌヌヌヌヌヌ」
    「おぉ、褒めてくれてありがとう、ジョン」
     ロナルドさんの肩に乗っかっているジョンと呼ばれたアルマジロが小さなおててで親指を立てて話し始めた。今の何語だろう。アルマジロ語だろうか。
     確かにジョンさんの言う通り、すっかり様変わりしたな。身のこなしがもともとスマートだから、フォーマルな衣装が似合ってしまうんだろうなと自分で選択しておきながら感嘆のため息を零した。
     あれ、そういえば。ロナルドさんから反応がないな。そう思って視線を彼に移す。ロナルドさんは目を見開いたまま、そのまま石になってしまったようだった。蒼天そうてんの瞳がより光り輝き、ドラ公さんに見惚みほれているのがすぐに分かった。
     私は胸の中で小さくガッツポーズを取る。
     うん? なんでだろう。別にこの人たち男性同士なのに。
    「ロナルド君……?」
    「お客様?」
     無反応な事にドラ公さんも気に病んだのか憂いしげな表情を見せている。これはいけない。私が彼らの間を取り持たないと。
     私はそっとロナルドさんの脇腹を小突く。彼はわれに返ったのか、しどろもどろに言葉を並べる。
    「え、あ、いや。べ、別にかっこいいとか悪いとかじゃないんだけど。えっと、その……余りの変わりっぷりにビックリしたとかなんというか」
    「……素直に言ってくれないと。今日の夜食リクエストは取りやめるよ」
    「正直カッコイイって思いました! これで満足かよクソ砂!」
     ドラ公さんが小悪魔のように小さくほほ笑みながら言うと、あっさりとロナルドさんは降参したように言い切った。
     私は何を見せられているんだろう。本当にこの二人、付き合っていないの? 会話の内容がちょっと前から『付き合い始めた恋人同士』みたいなんですけど。
     ドラ公さんは彼の反応を見て満足したのか、愉悦を覚えた顔で私に伝えてきた。
    「お嬢さん。これお買い上げで。あと、彼の分も一緒で。それとこのまま着ていきたいので、紙袋かなにかを持ってくれると助かるのですが」
    「畏まりました!」
     よっしゃ。お買い上げありがとうございます! これで上司にしばらく小言を言われなくて済むぞ。
     多分私、今一番良い笑顔を浮かべているんだろうなと思いながら、浮足立つのを抑えるように、足取りを早くして彼らのタグを丁寧に切り落としたり、フィッティングルームに置いてあった着替えを奇麗に紙袋の中へとしまっていった。
    「は、はぁ!? これを着たままで帰るのかよ!」
    「いいじゃないか。君、顔だけはいいんだし。たまにはロナ戦ファンにサービスしたまえよ」
    「うぐっ、し、仕方がねえな……。帰ったらすぐ着替えるからな」
     本当にドラ公さん、いい性格をしているな。まるで手のひらで彼を躍らせているようだ。手玉に取るのがうまい、というのだろうか。
     背後で会話を聞き取りながら、ご馳走様です。と胸の中で手のひらを合わせて合掌することにする。
     
     お会計を済ませ、私がありがとうございました。と彼らの背中を見送ろうとした時、ロナルドさんは再び私に告げ口をする。
    「本当に今日は助かりました。えっと……何から何までありがとうございます」
     あら、お礼を言われるのはとても嬉しいけど、それは違いますよロナルドさん。私は首を横に振る。
    「いえ、私もコーディネートに関して大変勉強になりましたから。お客様に満足していただけたのであれば、それで」
     半分、ロナルドさん達を見ていて時間があっという間に過ぎるくらいに楽しかったから。その言葉はそっとしまっておこう。
     すると、並んで立っていたドラ公さんも静かに胸に手を当てて会釈した。
    「本当にありがとうございました、お嬢さん。こちらのお店、ひいきにさせて頂きます」
    「いえいえ、そんな。お礼を言われるほどでは」
    「あ、ちょっと待ってください」
     ロナルドさんが思い出したようにそうボヤくと、紙袋に手を忍ばせ何かを取り出した。
     それは、小さな名刺のようだ。それには――
    『吸血鬼退治人事務所、吸血鬼退治人ロナルド』と文字が印刷されており、左下に住所が掲載されていた。
    「それ、俺の事務所の連絡先です。なにか困ったことがありましたら、遠慮なくここに電話してください。今日のお礼になるか分かりませんが、安くさせて頂きますんで」
    「え、でも私はなにも」
    「今日のスーツ代を見繕ってくださったお礼です」
    「……じゃあ。遠慮なく」
     店舗側の人間として当然のことをしただけなんだけど、感謝してくれているようだし、別にいいか。私はそっと懐にそれをしまい込む。
    「ありがとうございました」
     私は彼らを見送るように、その場で丁寧に頭を下げる。彼らは終始笑顔で私に手を振りながら、その場を後にしていった。
     自動ドアが完全にしまったことを目視し、知らずの内にその場にしゃがみ込み、顔を両腕に埋めた。
    「『付き合っているんですか』って聞かなかった耐えたよ偉い、私!」
     今まで言いたかった、胸の奥にしまい込んでいた言葉に耐え切れず、まるで吐き出すかのように、自分で自分をねぎらった。
     
     この後、私は帰宅する際に本屋にダッシュしてロナ戦を全て購入。そして彼らのファンになったのは言うまでもない。
    『感謝の言葉はディナーと共に召し上がれ』
    (付き合っていない世界軸)ドちゃん視点。
    『感謝の言葉はディナーと共に召し上がれ』
    疲れたドをロナ君が労ってくれるお話です。
    話の捏造が含まれております。シンヨコ駅の近くにお店が立っている設定です。

    人間、生きていれば誰だって疲れる時はある。それは吸血鬼を問わずして。
     それは生きている上で当然の摂理というものだ、とえらい人の言葉が頭の中を流れていった。
     
     いつもに比べて闇の密度が濃い夜。私とロナルド君とジョンは今、シンヨコ駅近くに隣接しているファミレス店内にいる。虹かなと思うくらいに黄色と緑、そしてベージュのストライプ柄の壁に、ファミリーレストランと赤太文字で大きく目立つように書かれた看板。わりと遠くから見ても目立つなーと心做こころなしかそう思った。
     木でできた一枚扉を潜れば、清潔感のあるタイル床にボックスで仕切られたテーブル席が一定間隔で置かれている景色が出迎えてくれる。白ワイシャツにズボン、腰元には黒のエプロンをした笑顔の女性店員に導かれるように、私たちは外の景色がよく見える窓際の席に腰を下ろしていた。
     
     どうしてここにいるんだっけ、とテーブル席にお行儀が悪くも右腕で頬づえをつく私は、ドリンクバーで飲み物を何にしようか和気あいあいしているロナルド君とジョンの背中を見取りながら、これまでのことを思い返していた。
     
     
     * * *
     
     今日は私としては珍しく死ななかった。正確には一回しかデスリセットをしていない。確か灰になったのは、事務所から現場に出る時にロナルド君を「迷わないで行けまちゅかね五歳児~」とからかった時だけだ。どこぞやの民族が鳴らす太鼓のように、ボコスカと殴られてその場でチリに変化したが、それを最後に彼から暴力を振るわれることはなかった。
     別に私も、ロナルド君も普段通りのはずだ。若造もいつもの口が悪いハンサムゴリラで、私はそんな彼の失態や様子を茶化していた。
     ただ日常と違うところを挙げるとしたら、オータム書店から頼まれたゲームコラムの原稿をやるために私がクソゲーをやり込んでいたくらいだ。かなり時間を要して終わったのが午前十一時くらい。棺おけの中にいたから、太陽の光を浴びて死ぬことはなかった。それから仮眠を取って起床したら、仕事だと若造に伝えられて出掛けた。今のところは体のどこにも異常は見られていない。至って健康(?)なはず。
     わがドラドラ城マークツーをつくづく見ながら今後の予定をシミュレートしていく。えっと、帰ったらため込んでいた洗濯物を片付けて、若造とジョンのリクエストであるオムライスを作ってあげて、それから……。
    「……?」
     おかしいな。いつもより考えが至らない。肩も頭も石が乗っかったように重い。若造に殺されていないからか? いつもよりも多く死ななかったからか。
     いや日常的に殺されているとか、傍から聞いたら狂った人みたいだな。
     ブクブク、ブクブクと。私の中で抱いた小さい疑問が大きな泡のように膨れ上がっていく。それらは一度触れてしまえば、瞬く間に割れてしまいそうだ。
     いや、だって。私はこれからやることが山ほどあるんだぞ。やりたいことも。
    「――……い、ド――……?」
     あれ、おかしいな。
    「――……い、どう――……おい」
     どうしてわたし、
     こんなに、体が、ふら、ふらし――
    「ドラ公!!」
    「ッ!?」
     グイッと私の左腕を引っ張る握力と、焦燥しきった男性の声に私の胸は大きく跳ね上がる。心臓が大きく脈打つとともに周囲の視界や音が戻ってくる不思議な感覚を覚え、私はロナルド君の方に首を向けた。彼の空みたいな瞳が、今は大きく揺らめいている。
     なんでそんな切なそうな顔で私を見ているんだ。心の中で戸惑いと焦りの感情が沸き上がってくる。
    「あれ、ロナルド君。どうしてそんなに心配そうな顔をしているんだい?」
     いま、何が起こったんだ。自分の置かれている状況が理解出来ず、変な汗を吹き出す私に、ロナルド君は不安げな表情を見せるばかりだった。
    「おまえ、疲れているのに無理しているだろ」
     ん? 疲れているって、私がかい? 身に覚えもないことを言われちゃったな。
    「無理って……なにもムチャはしていないだろう。心配するな。帰ったら君たちのリクエストを作ってあげるから。そんな顔をしないでくれよ」
     きっとおなかが空いているからグズっているんだろう。いつまでも子供だな、君は。
     そう内心呆れていると、唐突に若造は事務所のある雑居ビルからグルンと大きく回れ右をして歩み始める。私を配慮してか、ゆっくりと。私はそのまま引っ張られる形で彼の後に続いた。
     いや、本当に何をしているんだ君は。
    「まてまて若造、どこに行くんだ。手を離してくれ。帰る場所はそっちじゃないだろ」
    「食いにいくぞ、ドラ公」
    「は?」
     
     * * *
     
     
     それで……ここまで無理やり引っ張ってこられて、今に至る。思い返してみても、ただファミレスに来たかっただけではないのか。そんな疑いを彼にかけていた。
    「ほら、そんな顔してんなよドラ公。飲み物、トマトジュースで良かったのか?」
    「ん、ありがと。別に不貞腐れてなどいないがね」
    「自分で言っているじゃねえか」
    「なんのことかな」
     戻ってきたロナルド君は審議にかけたそうな目を私に向ける。私は知らん顔をしつつも、彼からドリンクを受け取った。グラス八分目まで注がれたトマト色をした液体は、チャプチャプと小さく揺れていた。緑のストローは、事前に彼が差してきてくれたものらしい。前にストローを差さないでで飲んだ際に吹き出して灰になってしまったことを覚えていたんだな。さりげなく気遣うところが彼らしいというか、無意識だというか。
     彼なりの施しを軽口をたたくわけにはいかない。私は静かにストローを口に加えて一口。トマトの独特の臭みは特になく、見た目の割には甘さは控えめな逸品だ。酸味もちょうどいいし、飲みやすい。
     どこのメーカーのものだろう。
    「……うまいな。これ」
     私の一言に反応してか、向かい側のソファに腰を下ろしたロナルド君が答える。
    「ここのファミレス、吸血鬼用のドリンクバーも充実しているんだってよ。これだったらドラ公も飲めるだろ?」
    「ありがとう。……君、やけに詳しいね」
    「あー、それは……その。なあージョン。美味しいよな、ここのオレンジジュース」
    「ヌ!? ヌ、ヌイヌヌヌ~」
     あ、窓際のメニュー側にいたジョンに慌てて話しかけた。彼の声は上ずっているようにも聞き取れる。ジョンも明らかにこちらから目を逸らして彼の方を見ていた。
     これは私が知らない間に、二人でこっそり外食していたな?
    「ふう。まあ、いいよ。今回のところは目を瞑ってあげるから。……それで? どうして突発的に私とジョンをここに連れてきたんだ?」
     ここに連れてこられた理由が、いまだに分からない私は、そう質問を飛ばすことにした。ロナルド君とは付き合いは長いはずなんだけど、彼は無意識のうちに行動しているところもあるから読めないんだよな。
     私の疑問に、それは本気で言っているのか、と言わんばかりに彼は目を点にする。
    「なんでって……今日冷蔵庫の中に作り置きとかなかっただろ。だから食べにきたんだよ」
    「突発的に遊びに行くから付いてこい、という父親か」
    「なんだよその例え。やっぱり今日は言葉の返しにキレがねぇな」
    「……頭があまり回らないんだよ。せめて食いに来た理由くらい教えてくれ。今日は察しがよいドラドラちゃんじゃないぞ」
     私はファミレスに来てから、疑問が拭いきれずにいた。私というものがありながら、どうしてファミ○スみたいなよくある味を求めてしまうのか。いや、あれでも美味しいところは美味しいからなんとも言えんが。こう見えて料理の腕は一流だと自負している。だけど若造がここまで露骨に別な所に食事に行く訳が思いつかん。
     ハァーと深いため息をついてから、ロナルド君は種明かしをするようにゆっくりとした口調で説明し始める。
    「……疲れている相手に無理させるほど、俺も落ちぶれてねぇよ。顔に出てるぞ、今日は家事も何もやりたくないって」
     え、顔に出ていた? 普段からパーフェクトな立ち振る舞いをしている私が?
    「冗談でしょ?」
    「……なんでそんなウソをつかなきゃいけねえんだよ」
     まさか、死ねない微妙な体調であることが、この鈍感な野生児にバレるとは。
    「……なんだよ。なんかムカつくことを考えているんだろ。お望みなら殴ってやろうか」
    「やめて暴力反対」
     こぶしを振り上げようとしている彼に、私が首を左右に大きく振る。少しの間、私の顔をじっと見つめた後にロナルド君は破顔した。
    「……フハッ、本当に嫌がっている時にはやらねえよ。本気にすんな」
     あらそういう顔もできるんだ。ドラドラちゃん、意外。
    「なんで分かったの? 確かに普段より疲れてはいたけど」
    「事務所を出る前までずっとゲームしていただろ。昼が昇るくらいまでさ」
    「なんで知ってんの怖ッ」
    「ジョンに教えてもらったんだよ。寝てくださいと注意しても、オマエは大丈夫、の一点張りだから代わりに見ていてほしい、って」
     もー、ジョン。心配なんて要らなかったのに。私はチラリと右側にいる使い魔に目配せする。彼は申し訳なさそうに手を合わせて小さな頭を下げていた。かわいいから許すよ。
     再び視線を戻し、私は質問を続けた。
    「それだけで分かったの?」
    「あとは、そうだな……。俺の仕事が終わって夜食の話をした時だな」
     夜食の話をしたのは確か、吸血鬼退治の帰り道だったから……今から三十分前くらいか。そんなに前の事を覚えているとは。記憶力は人一倍だな。
    「俺がオムライスがいい、って伝えたら明らかに嫌そうな顔をしたからすぐ分かったよ。それに……下等吸血鬼に襲われてた時、ボーッとしていたから気が付かなかっただろ。あれを見て確信した」
    「ウッ……そ、それは」
     痛い部分をつかれてしまい、思わず私はたじろいてしまった。彼の言うとおり、私は依頼に付き添っている道中、下等吸血鬼『デカい蚊』の強襲を受けていた。私は直前までヤツが近づいてきていることに気が付かなかったが、若造が瞬時に反応して退治してくれたから良かった。
     私が答えに迷っていると、先に口を開いたのは彼の方だった。蒼天な瞳をじっと向け、生真面目な口調で私に言った。
    「そんな時には言えよ。料理は……出来ねぇけど、その。食べに連れて行ったりとかはできるから……遠慮なく言え。調子が狂うし……これくらいしかできねぇから」
     最初はきりっとしていたのに、最後には尻つぼみになってしまったロナルド君はあからさまに視線を私から背ける。きめ細かいベージュの肌がうっすらと朱色に染まり、だんだんと汗がにじみ出てきているのが分かる。
     あ、照れている。かわいいな。
    「君、女性を口説くときなんかは苦労しそうだね」
    「おいそれはどういう意味だゴラ」
    「……プッ、ハハハ。そうそう、その顔の方が君らしいよ」
     見慣れない彼を直視するよりも、すぐキレて怒っている方が彼らしい。そんな妙な安心感を覚え、思わず吹き出し笑いをしてしまった。そんな私を見て、ロナルド君は何回か瞬きをした後に首をかしげていた。そしてジョンと視線を合わせて、さらに首を横に捻る。
     一しきり笑った後に、私は続けて言った。
    「……そこまで言うのなら、今日はお言葉に甘えようか。ここ、奢ってくれるんだろ?」
    「は!? ……仕方がねえな。ジョンも遠慮なく食べたいものを注文してくれ」
    「ヌッヌヌヌヌー!」
     ジョンも待ってましたー! と元気よく返事をする。どれにしようか、と二人でメニューを開いている姿を眺める。
     ――ありがとう、二人とも。
    「ん、何か言ったかドラ公?」
    「なんでもないよ。ちょっと、私にもメニューを見せて」
     私も彼らと一緒になって、メニュー表を一緒に覗き込む。窓の外はまだ暗い。ささやかなバッグミュージックの中で私たちのおしゃべりする声がにぎやかに、そしてやけに大きく聞こえてきた気がした。
    『愛と勇気だけが……これ以上いけない』
    読ロド(付き合っていない軸)
    ネタ提供、監修→旦那
    執筆→いふ。でお送りいたします。

    生暖かい心で見て頂ければ幸いです。
    ちなみに歌は各自脳内変換してお楽しみください。
    某S県にある、高等吸血鬼ドラルクの城にて。
     自伝の原稿を終えたロナルドが、ソファに座りながらコーヒーを飲んでいた時の出来事である。
    「なんのためーにーうーまれてー、なーにをしーてーよーろこぶー」
     上機嫌な様子で鼻歌交じりに歌っているロナルド。その光景を眺めながら、台所からコーヒー用のミルクを持ってきたドラルクは首をかしげた。
    「何を口ずさんでいるんだい、退治人ハンター君」
     吸血鬼である男性が彼に並んでソファに腰を下ろすと、ロナルドは彼に目配せする。ドラルクが持ってきてくれたポーションを受け取ると、彼は手慣れた様子でフタをペリペリとめくり、それを傾けた。コーヒーカップの中に入った真っ黒な液体の中に白い渦が作られていく。ロナルドはその様を観察しながら疑問に応じた。
    「某子供番組のオープニング」
    「あぁー、あの……パンの頭部をしたヒーローが悪人をしばく番組か」
    「誤解を招く言い方はよせ」
     ドラルクの身もフタもない一言に、ロナルドは鋭くツッコミを入れる。確かにその通りだと一瞬納得しかけたが、多分納得しちゃいけないと彼は頭を左右に振り、ミルクが入ったコーヒーを口にする。
     すると、吸血鬼の男が口を開いた。
    「あの歌って……どんな歌詞だったっけ?」
    「え、知らないのか。二百年近く生きてきた癖に」
    「だって私、テレビをあまり見ないからね。テレビゲームはよくやるけどさ」
    「おい、それでいいのか吸血鬼。それは完全に引きこもりゲーマーの発言だぞ」
    「せっかくだから聞かせてくれない? 興味があるんだよね。人間の作った歌」
    「……下手でも文句を言うなよ」
     期待のまなざしをドラルクから向けられたロナルドはまんざらでもない様子でうなずく。普段のロナルドであれば断っているところだが、なにぶん今日の彼はすこぶる上機嫌であった。
     ロナルドはゴホンと小さく咳払せきばらいをすると、低い耳ざわりの良い声で歌い始める。
     彼の滑らかな歌声は、彼らがいるホールに響き渡っていく。オペラ歌手のようにうまいわけではないが、聞いていて心地がよいと吸血鬼は思う。ドラルクは目を閉じる。しばらくの間、彼の歌声に耳を傾けていた。
     曲も終盤に差し掛かったときのことだった。
    「……ん?」
     ドラルクの脳裏でポンと突拍子もなく現れた、コブのような疑問。それはやがて、ドラルクの中で大きく膨れ上がってきたのである。高等吸血鬼は少しだけ考え込むしぐさをすると「あ」と単語を発した。
     一方、ドラルクの様子に気がつく様子はないまま、ロナルドは歌い続けていた。この男、今やノリノリである。
    「そうだーおそれないーでー、みーんなのためにーあーいーと、勇気だけがとーもだちさー」
    「スナァ……」
     あるフレーズを彼が歌った時にドラルクは死んだ。え、とロナルドが横を見た際には、隣に灰の山ができあがっていたのである。
    「待て待て待て待て。何で死んだ。どこに死ぬ要素があったんだよ!?」
     銀糸色の髪をした退治人が慌てた様子で灰色の砂山に聞けば、その中からきゃしゃな両手が顔を出す。
    「だって考えても見たまえよ。アン○○マンは、愛と勇気だけが友達なんだぞ。聞いていて悲しくならないかい?」
     ドラルクの問いに、ロナルドはに落ちない様相のまま口を開く。
    「いやそうかもしれねぇけど……。ドラ公、悪いことは言わねえから、一回作者に謝った方がいいと思う」
    「そうかね。私と似たようなことを考えている人は多いと思うが」
    「だとしてもだ。小さいお子様たちが見ているアニメだぞ? 歌詞の意味まで深く考えているやつは、いねえと思うが――」
     ここで、ロナルドはいぶかしんでドラルクを見やった。
    「……ん? ちょっと待て。オマエ、そもそも友達とかいたのか――……」
     ロナルドがそう伝えた瞬間。ドラルクは上半身が再生し終わったところで、
    「……スナァァァァァァァァ」
     再び灰の山へと変わる。この時、使い魔であるアルマジロは不在だったためか、沈黙がロナルドの体を突き刺してくるようだった。どうやら自分はあまりにも無情なことを言ってしまったらしい。そう肌身で感じたロナルドは、
    「あー……分かった。悪い」
     全てを察し、申し訳なさそうにドラルクだった灰に向かって頭を下げるのであった。
    『ストーカーにはご用心』読ロド(付き合っている軸)
    夢で読ドが襲われそうになっているところを読ロが助けにくるシーンを見たので、書き起こしました。
    終始モブ視点になります。苦手な方は注意。
    ストーカーって怖いよね……
    「デヘヘ……。君、ドラちゃんでしよ? ドラドラチャンネル、僕ちん見ているんだぁ。もし良かったら、これからお茶でもしない?」
    「ありがとうございます謹んで御遠慮させていただきますください!」
    「そんな恥ずかしがることなんてないのにぃ。素直じゃないなードラドラちゃんはー」
    「話を聞いてないの!? 嫌だっ……来ないでくれっ!」
     …どうしよう。
     皆様、どうも初めまして。シンヨコでしがないOLをしています、モブ子です。
     私は今……路地裏で、ドラちゃんが襲われている所を目撃しています。
     
     どうしてこうなった。
     
     仕事ですっかり遅くなってしまった私ことモブ子は、確か住宅街に面する歩道を歩いていた――はずでした。今日も上司から仕事を振られまくり、クレーム対応に終日追われたせいで、体力と気力はとっくに限界を迎えていました。
     はあ……早く帰ろう。
     帰ったらお風呂に入って明日の仕事の準備をして、と脳裏でひそかにシミュレーションを繰り返していた頃でした。どこからか絹を割くような悲鳴が空中を木霊したのです。
     ここ、シンヨコに住んでいるとポンチ吸血鬼達のおかしな術(?)によって、嫌でもどんちゃん騒ぎに巻き込まれるのですが、今日はそんな感じではなく。
     うっかり事件現場に遭遇してしまった時のような、そんな緊迫感が私の全身に襲いかかります。
     最初は疲れているせいだ、気のせいだ、そう思い至った私は、そのまま無視して歩こうとしました。けれども、歩く度に私の中で妙な胸騒ぎを覚えます。
     放っておいていいのだろうか。そう思った瞬間から、私は声がした方に無意識に足を動かしていました。今でも断続的に続いている悲鳴は、何かに追われているように聞こえました。
     それが男性の声だと気がついたのは、現場に到着した際のことでした。
     恐怖が混ざったわめき声は、雑居ビル同士の間にある路地裏から聞こえてきました。ここまで近づくと嫌でもハッキリと耳に届きます。
    「いや、来ないで!」
     ヒロインのような助けを求める台詞。それは心から嫌がっている様にも聞こえました。
     しかもこの声は確か……ロナルドウォー戦記の新刊のサイン会でロナ様に同席していたドラちゃんこと、高等吸血鬼ドラルクさんの声でした。
     これ、結構まずい状況なんじゃないか?
     助けないと。でも、どうやって?
     私は警察官でもガタイが良い男性でもない。非力な女性一般人だ。もしも犯人が男性だった場合、こちらが圧倒的に不利になるのは明確でした。
     だからといって、このまま立ち去ってしまえば、私は彼を見殺しにしたということになり、一生後悔しそうだ。頭の中にずっと罪悪感を抱えることになるのは……嫌だ。
     ひとまず様子を見よう。本当にやばそうだったら、警察を呼ぼう。
     私はいつでも電話できるようにスマホを抱えながら、建物で身を隠すようにそっと路地裏をのぞき込みました。
     そこは奥行が広い方ではありませんでした。ここからなら顔も姿もハッキリ見える距離に人影がありました。ここから大体五十メートルの地点だったと思います。裏路地はやや薄暗いが、雑居ビルの間に設置されている蛍光灯がチカチカと点滅していて、肉眼でも中の様子を伺うことができました。
     そこには、二人の人物が向かい合って立っていました。
     一人は、真っ暗闇の上下のスウェットにニット帽を被っていて年齢までは分からない。けれど、肥満の象徴である丸い体つきと角張った肩から男性だと見て取れる。身長は向かい側の男性よりも少しばかり高い。
     もう一人は確か……吸血鬼退治人ロナルド様にかつて倒されてたけど改心して、今は彼の相棒である高等吸血鬼ドラルク。略してドラちゃん。
    (ロナ戦を読んでいる同志がそう呼んでいたから、心の中で私もそう呼んでいる)
     私もロナルドウォー戦記だったっけ? 面倒だからロナ戦でいいや。それを友人から薦められて、読み進めていたらあっという間に全部の巻を読破していたのだ。今ではすっかりあの作品のファンの一人になった。
     さらに自伝の作家でもあるロナルド様は、このシンヨコの街に住んでいるという。私は間近で有名人に会えるんじゃないかという邪な感情を抱いて、このシンヨコの街に引っ越してきたんだったな。
     まあ、有名人に会うよりもポンチ吸血鬼の被害に合う方が多いんだけど。(今ではすっかり慣れてしまったが)
     それは置いといて。
     建物の影に身を隠していた私は探偵みたいだな。なんてのほほんと考えながら、彼からの言葉をかいつまみ、考察する。
     どうやら、男の方はドラちゃんが開設している某映像サイトに開設している『ドラドラチャンネル』のファンらしい。ゲーム実況をメインに行っていて、神ゲーからクソゲーと呼ばれるジャンルまで幅広くプレイしている。しゃべりながらもあっさりとクリアしていく様は『畏怖尊い』と言われているくらいだ。ゲームに疎い私でも知っているくらいに彼は有名な配信者の一人でした。
     そんなドラちゃん本人がこの街に来ることを、この男は事前に認知していたらしく、不審者姿の男性は相手が聞いてもいないのに、自分からペラペラと話し始めていました。
    「ドラちゃんに会うのに、どれほどの時間を費やしたか」とか「君の時間を僕ちんにくれないか」と告白にも聞こえる言葉を羅列させ、荒い息が交じった声でドラちゃんに話しかけ続けています。
     
     ここで冒頭に戻るという訳です。
     どうしよう。
     あの人、明らかにストーカー……だよね。普通のファンだったら行動パターンとか、SNSの動きとか全部把握しているわけがない。BGMの代わりに流していたテレビで見た『ストーカーの実態』の特集番組の内容に酷似しているのを思い出す。当事者じゃないのに『嫌悪感』でサブイボが全身に逆立ってきた。
    「き、君の気持ちはとてもよく分かったよ……ッ。わ、私は待ち合わせをしている相手がいるんだ。早いところ解放してくれ」
     ドラちゃんの声は小刻みに震えていて、明確に怖気付いているのが分かる。遠くで耳を澄ませている私も肝が冷え、ゴクリと生唾を飲んだ。
    「ンフフフ。ドラちゃん、照れているんだね?」
    「照れてなどいない……ッ!」
    「またまた~、こんな人気のない街中で待っていたのは僕ちんに会うためなんだろ~?」
    「だから、違うって……!」
     不審者ことキモイおっさんは欲望に駆られているのか、全身が打ち震えている。対してドラちゃんは目を潤ませながら一歩、また一歩とあとずざりしているようだ。どうやらビルの壁をを背にしながらゆっくりと彼から逃げるつもりらしい。
     お願い。キモイおっさん、気づかないで。
    「おーっと? ダメだよ、逃げちゃあ」
     肥満体の男性がドラちゃんの腕をパシッとつかみ、それを壁に押し付けた。コンクリートの板にはりつけでもされているかのようにドラちゃんの動きが封じられる。ちらりと見えた横顔で彼の顔面はハッキリと明らかになった。
     顔半分はマスクで覆われ、漆黒のサングラスを掛けているという、いかにもくせ者です、と全身が物語っているようだった。
    「イヤッ……離してくれッ……!」
    「なんで逃げようとするの? 僕ちんのこと、嫌いなの?」
     男が静かに口を開く。先程ヒートアップした口調とはうってかわって、淡々とした声だった。
    「だ、だから……私はなにも……ッ」
    「僕のこと、嫌いなの? なんで? ねえどうしてなのなんでなんでなんでなんで??」
    「あ、あの……?」
    「なんで? ねえどうしてなのなんでなんでなんでなんで?? なんで? なんでなんでなんでなんで??」
     あたかも壊れてしまったおしゃべり人形のように。男から同様の言葉が繰り返される。彼の声は笑っていない。冗談でもなんでもない。
     この男。本気だ。
     私はふいにラムネの玉が喉につかえたような感覚に襲われ、そして体が強ばって硬直してしまう。怖い。どうすればいい。
     こうしている間にも、刻一刻とドラちゃんが……ドラちゃんが……!
     早く、はやくたすけを。よばないと。
     お願い、うごいて。私の体、うごいて! そうしないと、ドラちゃんが……!
     だれか、たすけてあげて……!
     
     心の片隅で誰がの助けを求めた刹那。私の横でビュンと赤い人影が走り抜ける。
    ヒヤッとした風が頬をなでた。

     今のは――

     ハッとした私は視点を素早くドラちゃん達の方に向ける。
    その瞬間。体重はそれなりにあるであろう男性の体が、空に高く浮かんでいるように見えたのだ。
     目が疲れたのか? 自分自身の視界を疑っている間にも、彼の体は私を軽く飛びこえていき、そして道路脇の歩道へと男は乗り上げる。グエッとかえるがつぶれたような声がしたと思えば、真っ黒姿の男はそのまま動かなくなった。
     本当に何が起こった?
     頭の中が疑問符で埋め尽くされようとしていた中、私は視界を素早く移動させる。
     
     視線の先には、ドラちゃんの肩を抱き寄せた、真っ赤な退治人がいたのだ。
     
    「俺の恋人に触んじゃねえ。クソアマ」



     それからはあっという間だった。
     流星のように現れた銀髪をたなびかせる男性は、歩道に伸びていた中年の男をロープでぐるぐる巻きにしていく。どこからひもを取り出したんだろうと疑問符が浮かぶが、敢えて気にしないことにした。
     退治人が犯人をつかみかかり、殴ろうとしているところでハッと気づかされる。
    これ、止めないとダメだ。直感でそう感じた私は、その場で決死に彼を止めた。赤い退治人が、男をそのまま殴り殺してしまいそうな嫌な予感がしたからだ。私を一瞥いちべつした若い退治人の面相はゾッとするくらいに真っ黒で、ピリッとした空気をまとわせていた。
     銀髪の男性を見て、私は恐怖で体がすくんだが、このままにしていたらろくな事にはならない。自分の中の第六感がそう告げた気がしたのだ。
     退治人を説得したところで、即座にスマートフォンで警察に通報。ドラちゃんに迫り寄っていた男性は、駆けつけた警察の手によってあっさり御用となった。
    え、ドラちゃんや退治人さんたちに声をかけなかったのかって?
    かけられる訳がない。私は通行人Aみたいな存在ですよ?男性を捕らえた後に一目を気にせずイチャついている空間に飛び込んでいける猛者がいたら拍手を送る自信がある。いや、空気を壊すなと注意をする自信もあるな。

     さて。私は空気が読める方だと自負しているので、彼らに気づかれない内に大人しく退散しよう。
    不審者がパトカーに連行されていく様を眺め終えてから、私は帰路に着こうと一歩、足を踏み出した時。背後から聞き覚えのある声がした。
    「あの~……すみません」
    「ピャッ!?」
    突然のことに、私は奇声をあげてしまい、慌てて片手で口を覆う。ロナ戦のファンであれば、先ほどの声色が分からない人はいないだろう。
    この声は、ロナルド様の声……!?
    私は緊張で早まる鼓動を抑えるように、浅い深呼吸をすかさず繰り返した。そして意を決して振り向くと、赤いテンガロンハットに深紅の衣装に身を包んでいるイケメンこと、ロナルド様の姿があった。
    え、本物!?
    幻覚……じゃないよね。だって彼の自伝のサイン会で嗅いだことのある、ライムに似たさわやかで良い香りがする。
    って、私は変態か。
    さて改めて視線を移すと、ロナルド様の隣には小さな笑みを浮かべた吸血鬼ことドラちゃんの姿もあった。
    え、なに。私なにかした??もしかして助けをなかなか呼べなかった私に、文句を言いに来たとか。
    ……あり得る。
    ここは--……先手必勝。謝ろう。
    「ごめんなさい、私はただのしがないモブなんです。あの時、助けを呼べなくてごめんなさい許してください」
    「えっ……!?いや、ちょ、あの。顔を上げてください」
    アスファルトの地面に視線を落とした私の頭上で、ロナルド様の焦燥する声が耳に入る。
    あれ、怒っていない?
    あんまりにも予想とは違う反応にキョトンとしてしまい、おそるおそる頭を上げた。ロナルド様は不思議そうな顔で眺めているのが目についた。その表情は心から心配しているようだ。
    「ドラちゃんが襲われているところに助けに行けなかった私に、怒っているんじゃ……ないんですか?」
    「いやいや、どこに怒る要素があったんですか。女性のあなたがした行動は正しかったと思いますよ」
    彼の何気ない一言に、脳内を支配していた不安が取り除かれていくようだった。良かった……。
    まって。それじゃあ、どうして私のところにきたんだろう。疑問が頭から離れない私に対して、ロナルド様は被っていた帽子を手に取り、頭を下げる。
    突拍子もない出来事に私はぼう然とその場に立ちすくんでいた。
    「……コイツ、いや。ドラルクから聞きました。アナタが警察に通報をしてくださったんですよね?犯人逮捕にご協力してくださり、ありがとうございました」
    「私の方からも礼を言わせてくれ。ありがとう、すてきなお嬢さん」
    「……ふえ?」
    おかしい。日本語を話されているはずなのに、頭の中に全然入ってこない。宇宙の中に突然放り込まれたような感覚に陥っていく。
    一般人の私に、憧れのロナルド様が頭を下げている?隣に並んで立っているドラちゃんも私に向かって感謝の言葉を口にして彼に続けてお辞儀をしている?
    これは夢か?流れるように頬をつねってみるが、その跡がヒリヒリ痛むばかりだった。夢じゃない。
    ちょっとまって。これが夢じゃないとなると……まずくない?
    このまま有名人でもある二人に頭を下げてもらう光景なんて--……
    ロナルド様ファンに見られたら、血祭りにされかねない!!
    「いや、ちょ、ちょっと頭をあげてください!私、大したことはしていませんよ!?それに、ドラドラちゃ……いえ。ドラルクさんを助けてたのは、紛れもなく、ロナルド様ではありませんか」
    慌てるあまりに早口になってしまった。その言葉に、ロナルド様は姿勢を元に戻してから首を左右に振って否定した。
    「いえ。もしもアナタが止めてくれなかったら、俺はあのクソ……じゃなかった。犯人をボコボコにしてしまうところでした」
    あの男を許しきっていなかったのか、悪態をつこうとするが、私を気にして言い直すロナルド様。そのまま言ってくれてもいいのに、と喉元まで声が出かかるが、私はグッと抑えてこれに耐えた。ロナルド様の話は続く。
    「もしもアナタが止めてくださらなければ……。通報してくれなければ、俺はあのまま、怒りに任せて犯人を殴り殺していたかもしれません。それを、アナタが止めてくれたことで正気に還ることができました。本当に感謝しています」
    「いえ、私はそんな……」
     あの、いつもファンの前で堂々とした態度でいる吸血鬼退治人様が。敵に立ち向かっていく背中がカッコいいと思っていた彼が。現在、一般人の私に丁寧に感謝の言葉を伝えてきている。それは、めったに見られるものではない。
    けれど、私も大したことはしていない。ロナルド様が怒りに身を任せているところを止めたのも、肝心な時に何もできなくてぼうぜんとしてしまった私の--……
    せめてもの、償いのつもりだったからだ。
    「え、あの……私の方こそ、ドラルクさんを助けられなくて……すみませ--……?」
    謝罪の言葉を口にしようとした私に、押し黙っていたドラちゃんが私に人差し指を差し出してくる。手袋をしていながらもきゃしゃな指だと一目で分かった。少し力を加えてしまえば折れてしまいそうな指が、私の唇に向かって静かに向けられる。まるで『それ以上はいけない』と私の口をつむいでくれたようだった。
    ドラルクさんの、深紅をのぞかせた瞳は感謝の涙に暮れていた。
    「……あの男性に腕を抑えられたとき、君の姿が見えたんだ。君は真っ青な顔をしていながらもスマホを構えているのが見えたよ。その瞬間に、君の『助けたい』という思いがこっちに伝わってきた。私があの時……恐怖で死んでしまったら、そのまま持ち帰られてしまうところだったんだ。それでも、君がいたからと思って砂にならずに堪えることができた。ありがとう」
    ドラちゃんはそう説明しきった後に、再び私に会釈する。
    ありがとうー-。
    社会人になってから、この言葉を聞いたのはいつ以来だろう。何気ない言葉をかけられ、胸の中に暖かい何かが満たされていく。
    照れ臭く思いながらも、私は小さく、どういたしまして。と返事をする。その言葉を聞いて安堵したのか、ロナルド様とドラちゃんは私の方を見て、柔らかい表情を見せてくれた。
    この二人、本当に優しい。天使だ。帰ったらドラドラチャンネルもロナ戦も見直そう。
    そんなことを考えていると、ふと遠くから警察服を身にまとっている成人男性がこちらに駆け寄ってくるのが見えた。いくつかロナルド様と会話を交え、私に対しても警察官と名乗る男性が呼びかける。どうやらこちらにも事情を聞きたいらしかった。
    これは……しばらく帰れそうにないな。明日の仕事、事件に巻き込まれて事情徴収を受けたから遅れる旨、会社に伝えたら通用するかな。
    脳裏で明日寝坊したときの言い訳を考えていたら、そっとロナルド様が私に耳打ちをする。
    「……ここは俺らに任せて、早く帰った方がいいですよ。明日もお仕事があるんだろ?無理しない方がいい」
    「え?」
    何で分かったんですか?もしかして……エスパー??
    「いや、でも……」
    「大丈夫、私たちに任せておいて。仕事で慣れっこだから」
    今度はドラちゃんが声を殺して私に言う。何この空間。嬉しさで発狂しそう。
    でも、今ここで叫んではいけない。私はモブ、私はモブだ……!
    「ありがとうございます。それでは、私はこれで」
    失礼します、と私は平然を取り繕いながら小さくお辞儀をして、その場から駆け出した。
    背後では警察官が呼び止める声が聞こえた気がしたが、いろんな感情が爆発しそうだった私の耳には届かない。
    「--……ッ!!」
    ありがとう。それは彼らの社交辞令なのかも分からない。
    それでも。そのたった一言に、私の心は呆気なく天に昇る気持ちになった。
    あんなに二人が……私よりもずっと遠い場所にいる有名人たちに声を掛けられて、しかもお礼を言われるなんて……!!
    にやける口元と照れるあまりに火照った体を覚ますように、私は寒空の中を全力疾走していた。翌日、私は見事に会社に遅刻したが、翌日週刊ヴァンパイアに不審者を捕まえた私のことを言っているロナルド様のインタビュー記事がのったことで、上司にはあっさりと許してもらうことができた。
    本当、これからもファンでいさせてください。すてきな退治人さんと紳士の吸血鬼さん。

    後日。
    警察から任意で事情徴収を受けることになった私は、警察署でロナルド様とドラドラちゃんと再会を果たし、感謝のしるしとして二人のサインをもらって黄色い悲鳴をあげることになることを。
    このときの私は知る由もなかった。
    『春のぬくもりを求めて』ロド合評会提出作品。加筆修正済み。
    話捏造が含まれています。本誌ロドが桜を見に行くお話です。
    ※ロド両片思いの設定です(自覚済み)
    「……すげえ」
    「ふむ……見事なものだね」
    「ヌー」
     傘のように咲き乱れている桜を見上げながら、吸血鬼退治人ロナルドと高等吸血鬼ドラルクはそれぞれ感想を口にする。吸血鬼の使い魔であるジョンは、ドラルクの腕の中で同意するようにうなずいた。
     ロナルド、ドラルク、そしてジョンは現在シンヨコにある桜の名所と呼ばれている堤防道を訪れている。シンヨコ駅から徒歩数分の場所にあるそこは、一言で言い表すと『絶景』であった。すっかり陽が沈んだ夜空に桜色が映え、鮮やかなコントラストを成している。アスファルトの道に沿って建てられている街灯が、ほんのりと辺りを照らしていた。
    「しっかし、今年は桜なんて見られねえと思っていたけど……来てよかったぜ」
    「今日まで仕事尽くしだったからね」
    「あぁ、まさか三日連続で高等吸血鬼ヘンタイが現れるなんてな……」
     ロナルドは大きく肩を落とす。その様子から相当疲労がたまっていることが見て取れた。
     季節は春。シンヨコには、頭がポンチな吸血鬼の出現が相次いでいた。個人事務所を構えているロナルドの所にもギルドから緊急招集の連絡が入り、今までシンヨコ中を駆け回っていたのだ。それも今日でやっと落ち着いたのである。帰宅間際、満身創痍まんしんそういな様相をしたロナルドを気の毒に思ったのか、ドラルクとジョンはある提案をもちかけた。
    「お花見しようよ、ロナルド君」
     最初は乗り気ではなかったロナルドだったが、帰り道だし良いかと便乗して現在に至る。
    「しっかし、ずっと走り回ってたから疲れたな……」
    「ずーっとマラソンみたいに走り回っていたからね。私も疲れたよ」
    「テメェはギルドで待っていただけだろうが」
    「待っているだけでも体力は使うんだよ。変態退治人ハンター君」
    「殺すぞ」
     淡々とした口調で話すドラルクに、ロナルドが青筋を立てながら拳を振り上げた時だった。
     ブワリと大きな風が二人と一匹の間を通り過ぎていく。それにつられるように桜色の花弁が舞い上がり、紺色に染まった空に色をつけ、その場にいた全員がそれに目を奪われていた。一度空中に持ち上げられた無数の花びらはチラチラと舞い散っていき、まるで雪景色のごとく視界を淡いピンク色に染め上げていく。桜吹雪の見事な美しさに、一同は感動を覚える。さらにもう一風。ロナルド達の横を通り過ぎていく。それは先程よりも冷たく感じられたのか、ロナルドは無意識に腕を擦った。
    「さて、そろそろ帰ろうぜ。腹減ってきたしな」
    「君は本当に花より団子だなーーへ、ヘブシッ……スナッ」
    「クシャミで死ぬなよ、ぶりっ子おじさん」
    「おじさんは傷つくからやめろ」
     ドラルクの虚弱体質を目の当たりにして目を細めながらロナルドは言う。すっかり灰に変化した吸血鬼の男はすかさず反論した。程なくして再生したドラルクは話を続ける。
    「ふむ。確かに冷え込んできたね……って。なんだいロナルド君。おもむろに腕なんて差し出して」
     ドラルクの視界に映るのは、吸血鬼退治人の腕である。なぜ、突然腕を差し出してきたのか。そう思いながらドラルクは目を丸くした。彼の視線の先にいる顔面が整った男は、口をモゴモゴさせる。
    「えーと、その……お、おまえが風邪を引いたら……ジョンが悲しむから、その……か、帰るまでの間……俺の腕……貸してやるよ」
    「……十点」
    「え」
    「そんなんだから、いつまでたっても童貞ルド君なんだよ」
    「はあ!? ど、童貞は今は関係ねえだろ!?」
     ドラルクの辛辣しんらつな評価に、ぎゃあぎゃあと声を荒らげるロナルド。対して吸血鬼は顎に手を置いてから、まあ、いいかと小声で言った。程なくして、スルリと音もなく退治人のがっしりした右腕に手を添える。ジョンはというと、いつの間にかドラルクの左肩に移動していた。
    「アボヴァラッパ!? ……な、ど、どうしたんだよ突然……ッ」
    「いい加減に大声はやめた方がいいと思うぞ、若造。今宵はもう遅い。早く帰るぞ」
    「……」
    「ほーら、何をぼーっとしているのかね。行くぞ、ロナルド君」
    「え!? あ、あぁ……」
     ロナルドは言えるわけがなかった。腕を組んだ瞬間にふわりとお香にも似た良い香りがして、ドラルクを思わず抱きしめたくなったことを。その衝動を必死に抑えるべく、己と闘っていた事も。
     桜並木をゆっくりと歩きながら、己の欲情とひたすら脳内で大乱闘を繰り広げる吸血鬼退治人ヴァンパイアハンター。その様子に気がついていない振りをしている高等吸血鬼ヴァンパイアロード。彼らの耳元で騒ぐように鳴り響く心臓の音はどちらのものなのか。それを知る者は、この場にはいない。

    [chapter:『君に誓ってしていない』]
    ※本誌ロドがお互いに別な愛人がいると疑うお話。
    ※話捏造含む。
    ※本誌ロド→30年後ロドの流れになっております。
    「……ん?」
     
    『ロナルド退治人事務所』にて。
     居室スペースから出てきた高等吸血鬼ドラルクは仕事机に座っているロナルドに目が留まる。彼は仕事椅子に座ってスマートフォン画面を見つめていた。真剣そうな顔立ちをしている青年は黙っていれば絵になる。そんな関係ない思いを巡らせつつも、ドラルクはゆっくりと彼に近付いていく。
     彼は両手でお盆を持っていた。その上にはマグカップがひとつ。八分目まで注がれた黒い液体からはフワフワと白い湯気が立ち上り、隣にはミルクポーションが転がっていた。数秒前に吸血鬼退治人ヴァンパイアハンターに頼まれた珈琲コーヒーである。
    (何をしているんだろう)
     どうやら、ロナルドはドラルクが近づいてきていることに気が回っていないようだ。彼はドラルクの方に見向きもせず、携帯端末の画面に視線を落とし続けている。真剣そうな目付きの青年を一目見て、吸血鬼の男の心臓はより早鐘を鳴らし始めていた。フワフワとした銀髪と整った顔立ち、そして天空のような色をした瞳は見ているだけで吸い込まれそうな感覚に陥ってしまいそうになる。ロナルドの顔に見とれそうになったところで吸血鬼の男性はふと思い至った。
    (ロナルド君、一体何を見ているんだろう)
     普段から好奇心は旺盛で享楽主義のドラルクであったが、相棒である吸血鬼退治人の彼の携帯端末の中身をじっくりと見取ったことがないのだ。あんなに生真面目な顔をしておいて、もしかしたら茶化せるようなネタを見ているのかもしれない。今、彼のスマートフォンの画面をのぞけば、面白いものが見られるのではないか。そんな考えに達したのである。
    (もしかしたら、私が知らない間に、奇麗なお姉さんとやり取りしていたりして……)
     何気なく脳裏を過ぎった一言に、吸血鬼の胸中に奇妙な感覚が沸き起こる。黒いモヤのようなものが降りてきたような――、そんな感覚であった。
     もしかしたら……と。嫌気がさすような想像が頭の中で風船のように膨らんでいく。
    (……私に黙って、浮気……とか)
     その言葉にチクリとした胸の痛みを感じ取ったドラルクは、慌てて首を左右に振った。
    (……いや、そんな訳がない。この私がいながら浮気など……)
     ロナルドとドラルクはこれでも二カ月前から恋人という関係である。長年の両片思いを経て、つい先日ようやっとゴールインしたばかりなのだ。初期の頃の同居して間もない間柄であれば「やっと浮ついた話でもできるようになったか、童貞ルド君」と茶化すところである。
    (第一、あの根が真面目で素直で隠し事ができないようなロナルド君が、浮気なんてするはずがない)
     万が一にでもそんなことをされているようなものならば、彼を恋人に選んだ自分が、どうしようもなく眼が曇っていたことにもなる。
    (もしも、別の人とお付き合いをしていたら、私は速攻この城を出ていこう。いや、付き合って別れるRTAを開催してしまった方がいいだろうか? ……いや、落ち着きたまえ、真祖で無敵の吸血鬼ドラルク。らしくないぞ)
     ドラルクは不穏な考えを払拭するように静かに深呼吸をしてから、改めてロナルドの方を見やった。
    (……そうだ。後ろからこっそりのぞいてやろう)
     本当に浮気でないのか、自分で確かめればいい。ドラルクはそう結論を見いだした後に小さく息を飲みこんだ。ゆっくりと、音を立てないようロナルドの背後に回り込む。
     横顔もイケメンだな、腹立つ。そんな思考を頭の片隅に置きながら、吸血鬼の男はロナルドの背後からスマホ画面を垣間見た。
    (……よかった。仕事のメールだ)
     ドラルクは無意識のうちにホッと胸をでおろす。液晶画面に映っているのは、どうやらギルドに送る仕事のメールのようだ。
    「……何見てんだよ」
     さすがに至近距離で見られていることに気がついたのか、ロナルドは疑問のまなざしでドラルクを見つめた。
    「べつに~? なんでもないよ。ここまで近くまで寄ってきて、君は本当に退治人なのかって気になっただけ~」
     ドラルクは粛々と、マグカップが置いてあるトレイごとテーブルの上に置いた。自分の恋人の様子がおかしい。そう察知したロナルドは釈然としない面持ちで言う。
    「何をたくらんでんだよ」
    「何も~? ただチェックしていただ……ッ!」
     しまった、言い過ぎた。口を滑らせた事実を自覚したのか、ドラルクはハッとした表情で慌てて右手で口をふさいだ。もちろん、ロナルドがその様子に勘づかない訳がなく。吸血鬼退治人の彼はピクリと眉を動かして席から立ち上がると、グルリとドラルクの方を見やった。
    「怪しいな……。なにを隠しているのか白状しろやクソ砂。今白状すれば、半殺しで許してやる」
    「白状するも何もないが!?」
     ロナルドがなにか勘違いしている。そう察したドラルクは顔を真っ青にさせながら、首をぶんぶんと大げさに横に振った。彼はロナルドの迫力のある顔つきに若干灰になりかけるが、お尻に力を入れてこれに耐えた。
    「は? じゃあ、一体何が気になったんだよ」
     心底理解できない。そう言いたげな面構えを見せるロナルドにドラルクは観念したのか、大きくため息を一つ。
    「……君、前に変なサイトを踏んだって言っていただろ。だからエッチィはサイトとか踏んでないかなーってチェックしに来ただけ」
    「なんでテメェが気にすんだよ」
    「当然若造をからかうためブェーッ!」
     いつも通りに飄々ひょうひょうとした口調で話すドラルクに対し、ロナルドは「んなの踏むか!」と顔を真っ赤にしながら右のストレートを頭部に向かって放つ。当たり前だが、ドラルクはその風圧で灰に変わり、床に広がっていく。どこからか飛ぶように駆けつけたジョンがヌー! と悲鳴を上げた。
    ドラルクが持ってきた珈琲を口に運びながら、ロナルドは口を開く。
    「ったく、変なことを言いやがって。……コーヒーが冷めちまったじゃねえか」
    「君が変な事をしゃべったからだろ。新しいのに変えてこようか?」
     灰からすっかり元に戻ったドラルクが、席に着いたロナルドに尋ねる。彼は首を左右に揺らした。
    「いや、いい。仕事に戻る」
    「そう。頑張ってね」
     ドラルクの言葉を最後に、ロナルドは再びノートパソコンに向き直ると、キーボードへの打ち込み作業へと戻る。来月締切の出張原稿を書いているんだろう。先日ロナルドに言われたことを思い返しながら、ドラルクは邪魔にならないように居住スペースへと足を動かした。
     二つの空間を仕切る扉をばたりと閉めると、ドラルクは一枚扉を背にヘニャヘニャとその場にしゃがみ込む。一緒に付いてきていたジョンが心配そうにヌーと鳴いた。
     頭を抱え込みながら、ドラルクは小さくポツリとつぶやく。
    「……私も、ここまで嫉妬深くなってしまったのか」
     ロナルドの、恋人のスマホが気になってみてしまったことも、異性との会話だったらと思うと心がモヤモヤしたのも。
     全て……彼をとられたくなかったという胸中の思いだったのかもしれない。そうドラルクは思い至る。だてに彼も二百年近く歳を取ってはいない。長年の経験を積んでいたからこそ、自分の心境を受け止められたんだと感じていた。
     それでも、ここまで露骨に取られたくない、と思ったのは生まれて初めてである。そう再認識した吸血鬼はハァーと深くため息をこぼし、しばらくその場で恥ずかしさの余り、うずくまっていたという。
     
     *
     
     別日。『ロナルド吸血鬼退治人事務所』
     
    「フンフフーン」
     音程が相変わらずとことん外れている鼻歌を口ずさみながら、ドラルクは視線をスマートフォン(通称スマホ)に落としていた。膝元には彼の使い魔であるアルマジロのジョンが座っていたが、写経のような独唱を聞いたからか、ヌエッと声を出して丸くなる。吸血鬼の彼はそんな細かいことを気にしてはいないようだった。今は手が離せないくらいに没頭していることがあったからである。
     彼が両手で持っているスマートフォンの液晶画面には、先日投稿したクソゲーコラムについての打ち合わせの内容がつづられている。これをいち早く返信しなければならなかったからであった。ドラルクがスライド操作を素早くこなしていると、背後から突き刺さるような視線を感じたのだ。この熱を帯びた視線を向けている犯人を吸血鬼の男は察していた。
     それは、自分の恋人であり、吸血鬼退治人のロナルドである。初めの内はテーブルに座って雑誌を読んでいた彼だったが、恋人が触っている携帯端末の内容が気になるのか、ドラルクのことをジーッと見つめていた。それを少しだけしつこく感じたのか、ドラルクはため息をこぼし、首を銀髪の男の方に回して言う。
    「何してんの、さっきから穴が開くくらいにジロジロ見て」
    「な、そ、そ、そんなにじっとは見てねぇよ!」
     ロナルドはビクリと肩を震わせ、慌てて視線をドラルクから背けた。先に見ていたのはそっちだろうに。そうドラルクは考え付くが、メールを送信する方が先だと感じ、再び視線を元に戻す。返信を打ち終えて送信ボタンをぽちっと押すと、スマホの液晶画面に送信完了の文字が映った。ドラルクはフゥーとため息を付き、それを横に置くと、スクッと立ち上がる。ロナルドが座っているテーブルの方へと歩み寄りながら、ドラルクはゆっくりと口を開いた。
    「今日はどうした? 隠し事でもしているのだったら、さっさと吐き出してしまった方が楽になるぞ。犯人さん」
    「俺は犯人役の男じゃねえよ。べ、別に何も隠し事なんて……」
     恋人の向かい側に腰を下ろしながら、ウソだな、とドラルクは直感する。もしも、やましいことをもくろんでいなければ、気まずそうに視線を逸らしたりすることはロナルドの場合はないはずだ。彼と何年もコンビとして一緒に行動している訳ではない。良くも悪くも、彼は正直な男なのだということくらい、ドラルクにはお見通しであった。
    『思っていることがあるけど言い出せない』と顔に書いてあるようだ、とドラルクは思い、ふむ、と言葉を挟む。
    「仕方がない。今日の若造の夜食は、セロリだけにするしかないな」
    「それだけは勘弁しろください!!」
    「うっわ、声でっか」
     建物を貫かんばかりの大声にドラルクは一度灰になってから話す。
    「……それで、一体どうしたのかね? ウジウジしているなんて君らしくない。私は君の恋人なんだ。つらいこととか何かあったら、喜んで胸くらい貸してやろう」
    「……ドラ公ッ」
     享楽主義者である彼から想像がつかない程の優しい笑みを向けられ、ロナルドは思わず言葉を失った。相棒であり、恋人でもある彼が心から心配してくれている。それがヒシヒシと伝わってくるようで、ロナルドはキュンと胸が締め付けられる感覚に陥っているようだった。そしてついに観念したのか。彼は言葉を選ぶようにたどたどしく語り始めた。
    「……前にテレビ番組の特集で、スマホをしょっちゅう見ている人は浮気しているかもしれないっていうのを見て……えっと。ドラ公、最近俺と一緒にいる時も、よくスマホを見ているから、もしかしたら……って不安になって」
     目を背けながら言う彼の姿はかわいいな、と関係ない事を思索しながらドラルクは耳を傾ける。
    (つまり、テレビの影響をモロに受けたわけか……)
     本当に流されやすい男で愛おしい。そうドラルクは思う。自分は簡単に君のことを手放したりはしないのに。そんな考えを脳裏に巡らせながらも、吸血鬼の男はまんざらでもない様子であさっての方向に顔を向けた。
    「ふーん……。」
    「な、なんだよ……その態度」
     反対に何も言ってこない愛する人の態度に不安げになったロナルドは目を潤ませて吸血鬼の男の方を見ている。そんな彼を一瞥いちべつし、ドラルクは口を開いた。
    「……安心したまえ。さっきのメールはオータム書店から依頼されたクソゲーコラムの依頼についての確認だよ。嫉妬ルド君」
     突如向けられたドラルクの小悪魔のような笑みに、ロナルドの胸は大きく高鳴った。そして彼は細く長い息を吐きだしてから、胸を静かに抑えて言う。
    「……オマエが正直に話すなんて珍しいな」
    「たまにはいいじゃないか。さて私はさっさと夕飯の支度をしてくることにしようかね」
     早口でまくし立てるように言った後に、ドラルクは席から立ち上がると、さっさと台所の方へと小走りしていく。彼のとがった耳は――リンゴのように真っ赤に染まっていた。それは日頃から鈍感ルド君と(ドラルクに)茶化されている退治人でさえも気がつくものである。何かを察したロナルドは慌てて呼び止めようと背中を追った。
    「ちょ、オイ待てドラルク!」

     *
     
    「……なーんてことが昔、あったねー。あの時の君は実に初々しかったよ」
    『ロナルド吸血鬼退治人事務所』にて。
     長くなった黒髪を赤いリボンで結っている高等吸血鬼が、来客用ソファに座りながら思いをはせるように言う。その手には機種変更したばかりの手のひらサイズのスマートフォンが握られていた。その隣には、すっかり歳を取ってしまったが凛々りりしい顔つきをしている男性が一人。短く刈り上げた銀髪にたくましい腕がより色気を醸し出しているようにも見える、まだ現役の吸血鬼退治人である。彼は高等吸血鬼の肩に頭をポンと置きながら言う。
    「今はどう思っているんだよ」
    「教えない」
    「ケチ」
    「堂々とスマホの中を見てくる君には、言いたくはないよ」
    「いいじゃねえか。やましいものは何もないんだろ?」
    「それはそうなんだが……。まあ、いいか。私も君のスマホを見ているし」
    「ウゲッ。まじかよ……いかがわしい事とかできねえじゃん。まあやらねえけどさ」
     そんなたわいもない会話を交わし終えると、ダンディな風貌をしている男性が思い出したように口を開く。
    「そういやあ、俺たちがこうしてお互いのスマホを確認し合うようになったのって、いつからだったんだろうな」
    「ふむ……。確か私たちが付き合ってから十五年後くらいからだったんじゃないかい?」
    「あぁ~。あの時は記念日だっていう時に、しょうもねえことでケンカしたっけな」
     そうそう、と吸血鬼の男は相槌を打ってから続けた。
    「そのケンカした理由も『スマートフォンをチラチラ見て……俺以外にも男がいるのか!?』って君が言い出したからじゃなかったっけ。それで、言い争いをするくらいだったらお互いにスマホを定期的に確認する、っていう約束事をしたんだよね。あの時は女性じゃなくて男性なんだ……って思い出し笑いしちゃったよ」
    「あの時のことは忘れろください……」
    「やーだね」
     掘り返したくない黒歴史を呼び起こされて頭が痛いのか、銀髪の男性は顔をしかめながら頭を抱える。吸血鬼の男は子供のようにケタケタ笑い終えてから、より柔らかい口調で言い放った。
    「だって君との大切な思い出だもの。忘れるものか。だって……」
     頬を緩ませている高等吸血鬼の男のきゃしゃな左指の指輪がキラリと光る。
    「あの後に『一生オマエだけを愛するから結婚してください』って言ってくれたんだもの。ぜーったい忘れないさ」
    『空言の箱舟』海軍ロと水兵ドが船の上でお話している姿を書きたかったので…。
    ※ロやドちゃん、〇、そしてウスその他が海軍に所属している設定。
    ※海軍の階位設定とかワヤワヤです。心を広くしてみてね。
    波の静かな月明りの中、一隻の船が浮かんでいた。月明りに照らされている一隻。世間では『軍艦』とも呼べる鉄の塊は、穏やかな波によって静かに、時に大きく揺れていた。時折流れていく風も六月にしては湿気をまとっておらず、私の青白い頬を柔らかく撫でていく。寒さに弱い私としては、大変ありがたい限りだ。
     さて。甲板にある手すりに掴まりながら、私は一人の男を待っている。もちろん、私の愛らしい使い魔であるジョンも一緒だ。とはいえ、私が待っている時間もそう長くはない。体感時間でいえば、せいぜい十分程度くらいなものだ。
     月光でキラキラと瞬いている蒼く澄んだ海を遠目で見つめていると、コツコツ、とアスファルトの材質に近い堅い床を歩いてくる音が耳に届いた。それは足早ではあるが、だんだんとこちらに近寄ってきているのが分かる。
    「……やっときたようだね。遅いよ、海軍少佐殿」
    「ヌンヌン」
     振り向きざまに、私はわざとらしくため息をついた。それに同意するように、頭上に乗っていたアルマジロの彼も呆れ口調でつぶやく。
    「……その呼び方はやめろよ、ドラ公。ジョンも待たせて悪かったな」
     その呼び方で呼ばれたくはない。そう言いたげな様子で目を伏せた男性は、ジョンに目配せしながらそう伝えてきた。
    「私には何もないのかい、君は……まあ、いいんだけどね。そんな態度を取るようじゃあ、二人きりのときも少佐殿って呼び続けようかな~」
    「ウグッ……それだけはやめろください……待たせて悪かったな、ドラ公」
    「分かればいいんだよ、ロナルド君」
     洗練された顔をコロコロ変えちゃって。楽しいったらありゃしない。私の一声で、今度はどんな反応をするだろう。次はどんな形相にしてくれようか。それが楽しみで仕方がなかった。しかし、せっかく恋人と過ごせる貴重な時間だ。それをケンカで終わらせてしまうのは、私も嫌だしね。茶化す言葉を喉奥に引っ込めつつも、私たちはたわいもない会話を続けることにした。
     
     この会話を聞いてお察しだと思うが。
     私はこの若造――、もとい。ロナルド君と交際している。彼の希望もあって、この戦艦に配属されている同僚や上司には内緒にしているがね。
     
     今から数年前。先祖代々海軍に勤めているお父様の手筈によって、この船に配属された私は、まだ水兵だったロナルド君に出会う。第一印象は『イケメン』しかし、一度フタを開けてみてみれば『横暴で短気で暴力で解決するような男』だった。
     彼と一緒に船上での任務をともにするようになったのも、私がどんな衝撃にもあっさりと死んでしまうがためである。見かねたお父様が、ロナルド君と一緒に行動をともにするようにと命令が下ろされた。
     初期のころは、出会い頭に言い争いをしてばかりいて「少しは仲良くやってくれ」とお父様が頭を抱えていたっけ。
     簡単に灰になってしまうような私は『水兵』として任務をこなしていたが、やることと言ったらほとんどが雑用だった。
     この戦艦はそう大きくはない。設備は充実している方で、いくつもの船室に食堂、シャワー室に娯楽室まで兼ね備えられている。なんでも、海上に生息している吸血鬼の対処の任務に当たる船員たちのため、だと国のお偉いさんが言っていたような気がする。
     とにもかくにも、私はこの戦艦で訳があって食事当番を担っていた。すると、ロナルド君は訓練後に真っ先に食堂に入って来ては、昼食のカレーを子供のように目を輝かせながら、皿まで食べる勢いで食べていたっけ。彼は「おかわり!」と何度も空になったお皿をカウンターまで持ってきて、この若造の胃はブラックホールか何かか。そう疑ってしまう程に清々しいほどの食べっぷりを見せる。最終的に五皿分ほど平らげた後に私に言い放った。
    「ごちそうさま。また作ってくれよ、ドラ公」
     無邪気で屈託のない笑顔をロナルド君は私に向けた瞬間。お世辞とも取れるのではないかと思う、そんな些細なひと言に、私の心臓に矢のようなものがトスッと刺さった気がしたのだ。これが、私が恋に落ちた瞬間だったと思う。
     しかし、当時はその思いを告げようという考えに及ばなかった。
     水兵と、昇進が決まったエリート。人間と吸血鬼。月とすっぽん。世間の目から見ても、交際することに対して祝福ムードになるわけでもないのは、目に見えて明らかだった。胸に秘めたるこの思いは、私がこの船を降りるまで。海軍を止めるその時まで一生、背負っていこう。
     この時の私は、自分の思いに鍵を閉めた……んだけどね。
     その後、水兵として修業を積み、海軍として成績を重ねるためにロナルド君は、この船を一度降りる事となったんだけど――
     数年ぶりに、任務の途中でぶらりと立ち寄った街で偶然、再会を果たす。その刹那にまさか。ロナルド君が両手いっぱいの花束を差し出しながら、私の目の前で膝をつき「好きだ」と告白されるとは思わなかったけど。
    (当然だが、その場で即オッケーをした)
     そんな感動の再会を果たした数日後。海軍階級授与式で、このゴリラが『海軍少佐』になるとは。現実とは小説よりも奇なり、という言葉が頭を過ぎった。
     
     さて、話を戻そう。どうして私の恋人こと若造は正装服のままなのかというと――
     あの授与式終了後に即座にブリーフィングがあって、今の今まで着替える暇がなかったとの事だった。彼の息が少しだけあがっていたのも、私のことを思って足早に駆けつけてきてくれたかと思うと……口元が緩んでしまう。
     しかし、改めて達観してみると『黙っていればイケメン』だと他の隊員から謡われているのも頷けてしまう。
     海軍の正装でもある紺色に近い黒の上着とスラっとしたズボン。腰元には錨のマークが描かれたベルトをしていて、黒煙の色で染まったブーツが丁寧にズボンの中に収まっている。黄金色の肩章が月明りに照らされてキラリと輝いていた。制帽からはみ出ている蒼銀髪と、爛々と輝く青く澄んだ瞳が『美青年』であることをより強く物語っているようにも思える。
     この姿で何人もの女性を口説き落とせてしまうだろう。そう考えながらジッと彼を見つめていると、ロナルドはこちらの視線に勘づいたのか、身を引きながらも口を開く。
    「な、なんだよ……」
    「いや。君、顔だけはいいなと思ってね。君くらいの外見であれば、女性にさぞかしモテただろう」
    「顔だけは余計だ。……それに、俺はモテたことはねえよ。……一時間で振られたことはあったけど」
    「あー……ごめん」
     どうやら彼の地雷を踏んでしまったらしい。私の一言でロナルド君の顔は絶望に染まり、ガックリと肩が落ちていた。周りの空気がずんと重くのしかかってくるようにも思える。
     彼をこのままにしていたら、いろいろとマズいんじゃないかな。隊員たち(一部)に見られでもしてみろ。彼の上官としての面目丸つぶれだ。ここは――
    「自信を持ちたまえよ。君には、私が付いているんだ。この……究極でカワイイドラドラちゃんがね!」
    「……」
    「この、海軍の中でも最強だと謡われている竜の一族にして、カワイイ私がついているのだから。そう気を落とさないでくれたまえ」
    「…………フハッ。何回カワイイって言うんだよ。おっさんの癖に」
     憂いた瞳をしていた若造の目に光が宿り、破顔したロナルド君の顔を直視したせいか。私の顔がだんだんと熱を帯びていく。熱い。のぼせてしまったのか? この短時間で??
     彼に悟られたくない。見られたくない一心で、私は慌てて腕で顔を覆い隠しながらそっぽを向く。
     くそっ、この若造本当に天然タラシだな。私が知らない間に女性の一人や二人、ひっかけていそうだ。
     次に彼へかける言葉を迷っていると、知らぬ間に私の左側に歩み寄ったロナルド君が言う。私に向けている表情は真剣そのもので、彼の瞳はどこか心配の色をにじませているようだった。
    「……ドラ公、俺たち。このまま隠していて、いいのか? 」
    「――ッ!?」
     『隠している』その言葉を聞いて、私の肩が反射的に跳ね上がる。その一言だけで、額から変な汗が沸き上がってくる感覚を覚え、私は素早くロナルド君の方を見やった。
     え、隠していて、って……何が? 
     衝動的に言いかけた言の葉が飛び出さないように、口をつむぐ。大丈夫。彼には『あのこと』はバレていないはず。言葉を吟味しろ、吸血鬼ドラルク。
    「……隠していて、って何をだい?」
    「えっと、俺と……オマエが。つきあっていることをおやじさ……いや。海軍大将殿や部下たちに言わなくてもいいのかな、って思ってよ」
     あ、そっちね。よかった。重荷が降りたような心地になり、私は大きく胸を撫でおろす。
    「私は別に報告しても構わないのがね。ただ、君の立場というものもあるし、部下たちに配慮されては、君も心苦しいだろう」
    「それは、そうなんだけどさ。……騙しているようで申し訳ねえな、って思って……。オマエが、その……その辺の輩にとられるんじゃねえか、って心配で……」
     だんだんと眉を垂れ下げ、俯きがちになっていくロナルド君。なんだかウサギみたいに思えてきて、愛おしい。私の胸の奥がキュッと締め付けられるようだった。
     どこまでも優しいんだね、君は。だから私は、君に恋心を抱いたのかもしれないけど。手すりを掴んでいたロナルド君の逞しい手に私の手をそっと重ねてみる。潤んでいた青の瞳に私の姿が映りこんでいた。
     ああ。泣きそうな顔をしないでくれよ、ロナルド君。私の愛する太陽の子。
    「そんなに悲しい顔をしなくても、私はどこか遠くに行ったりしないさ。だから安心してくれたまえ」
    「ど、ドラ公……っ」
    「こらこら、泣かないの。私の恋人は、本当に涙もろい」
     これ以上、彼の泣き顔を見たくなくて。私はそっとロナルド君の涙を手の指で拭うと、彼の唇に音もなくキスを落とす。海上にいるせいで、すっかりガサガサになってしまっていたロナルド君の唇が私の薄い唇に当たって砂になりかけたが、ここはケツに力を入れて堪えた。灰になって海風にさらわれたのでは、元もこうもないからね。それからすぐに顔を離すと、目と鼻の先にいた若造の血色の良いベージュが、だんだんと赤く色づいていく。
    「まっ……!!」
    「フフッ、やっぱり君は見ていて飽きないね。キスだけでこの表情だもの」
    「え、あ、え、だ、誰かに見られたらどうするんだよ!」
    「その時はその時さ。ただ見せつけるだけだよ。『私の物に手を出すな』って」
     その時には容赦なく周りをけん制してやるさ。吸血鬼の執着心をなめてもらってはこまるよ、若造。
    「……ど、どらこ……」
    「どうしたの? 茹蛸みたいになっているよ、君の顔」
    「……もう一回、しろください」
    「……うん。いいよ。少佐殿」
    「ロナルドって呼べよ。……ここでは」
    「はいはい、ロナルド君」
     ロナルド君におどけて見せながら、私たちは甲板で唇を重ねた。今度は温もりを感じられるように、ゆっくりと。時間をかけて。
     頭上では「ヌヤン」とジョンの声がする。ごめんね、ジョン。後でプリンを作ってあげるから。
     今は――つかの間の彼とのぬくもりを感じさせておくれ。
     ===
     ◇
     
    「……いいのか。息子よ」
    「急に改まってどうしたのですか、お父様」
     それから数日後。急遽艦長室に呼び出しを受けた私は、重い扉を抜けてお父様ことドラウス海軍大将に会いに来ていた。扉を潜り抜け、日頃から疲れている私を気を遣ってくれているのか。お父様にソファに座るように促されて、それに素直に従うことにした。
     艦長室、といっても中はシンプルな構造となっており、白いカバーがかかったソファーが向かい合わせに置かれ、その真ん中にはこげ茶のテーブルが設置されている。白い壁にはいくつかの照明ランプと、さまざまな大きさをしている絵画が飾られている。その奥には、アンティーク調のテーブルと黒革のリクライニングチェアが床に固定されており、例え船自体が大きく揺れても動かないような仕様になっていた。
     リクライニングチェアに腰を下ろしているお父様は額に手を置いてため息をこぼす。そして渋々と口を開いてみせた。
     言われることの検討はついているが、ここで口答えするのも野暮だというものだろう。
    「……このまま隠し通していていいのか、と思ってな。いくら私でも、息子を下っ端の駒のような扱いをしているのが、耐えかねんのだ」
     やはりそのことか。
    「大将殿。その件については、ここにくる前に再三説明したはずです。私は水兵という立場になって、海軍に所属している船員たちのメンタルケアに当たる任務についているのですから。それはおじいさ……じゃなくて。海軍元帥からも、そう説明を受けた筈ですよね」
     以前、海軍のトップでもある海軍元帥から言われた任務を反すうするように、私はゆっくりとした口調で有り体を告げる。お父様はまだ何か言いたそうに言葉を挟んだ。
    「ドラルク……いや、ドラルク海軍准将殿」
    「ここでは水兵とお呼びください。お父様」
    「いや、しかし……」
    「でないと、今度お母さまに、任務の最中に同僚の付き合いで入った風俗店のこと、バラしますよ」
    「ウエーン! それだけは勘弁してくれえー!」
     土下座する勢いで頭を下げながら、お父様は情けない声を上げる。
     ありゃ、それは本当のことだったのか。廊下をすれ違った時に、お父様のポケットの中からどう見てもあっち方向の名刺が廊下に落ちていたものだから、まさかと思ってカマをかけてみたんだが……。あんまり知りたくなかった。
     当然のことだが、怪しい名刺については私がさっさと回収し、燃やして処分をしているので、お父様の面目がつぶれるなんていうようなことはない。
     さて。ずっと愛するお父様の泣き顔は拝みたくはないので、サッサと励ましてしまいますか。そうしないと、今後の業務に差支えが起こりかねない。
    「お父様、失礼。少しだけ言いすぎてしまいました。風俗店らしい名刺は処分しましたし、お母さまには公言しませんよ。このドラルク、ウソはつきません」
    「……本当か? 」
    「本当です。だから早く顔をあげてください。お父様は素晴らしいお方ですよ。数々の戦果をあげられている偉大な方です。私の誇りですよ」
    「誇り……ふっ。すまなかったね、ドラルク。情けない姿を見せてしまった」
     立ち直りハヤッ。本当にロナルド君にそっくりだな。ちょろすぎて心配になるという意味で。すっかり立ち直ったのか、机から顔を上げて両手をテーブルの上で組みながら、お父様は話を続けた。親らしい、心から心配しているような顔色を浮かべながら。
    「しかし、本当に大丈夫なのか? 別部隊の任務とかもあるのだろう?」
    「それについては、私の部下に事前にお願いしているので、何の心配もいりませんよ」
    「……つらくないか?」
     お父様の不安の顔色がより一層濃くなっている気がした。無理もない。この船では、私の階級は『水兵』という一番下っ端の位置だ。いくらら任務とはいえど、偽りの階級で船員たちと接していること自体が彼らを欺いているようにお父様は感じているのだろう。本当に優しい方だ。若造に。あの素直で正直な恋人に――、本当によく似ている。
     私は静かに目を閉じ、そしてゆっくりと瞬きをしながらほほ笑みかける。
    「大丈夫ですよ。お父様」
     このドラルク。それが苦しいなんて思ったことは全くないんですよ。
    「この船にきて、本当に良かったと思っていますし……。つらいなんて思ったことがないですよ」
     この船では、私のことを邪険に扱う部下はいない。『血族だからといってひいきにされているんだ』と嘲笑う上司はいない。今、この場にいるのは。私の周りにいるのは。
     気さくに話しかけてくれる同僚や、上司といった船上をともにする仲間たちと――私を思ってくれる愛おしい人なのだから。
     私の顔色を見て察したのか、お父様の頬は緩んでいた。
    「……どうやら私の思い過ごしだったようだな。下がりたまえ、水兵ドラルク」
    「はい、それでは失礼いたします」
     私は腰を上げてから、父親でもあるドラウス海軍大将に向き直る。そしてビシリと敬礼をした後に踵を返し、部屋を後にした。
     お父様には内緒だが――、
     彼に、ロナルド君に暴露したときにどんな表情を私に向けるのか、今から楽しみだなんてね。言えるわけがないな。
     その場でスキップをかましながら、私は再び元の業務へと戻っていった。
     
     それからさらに数日後。数カ月に一度開催される、海軍の定例会に参加したロナルド君と偶然鉢合わせになり、私の身分は呆気なくばれてしまうのだが、それはまた別のお話。
    『曲解のベーゼ』
    ※話捏造含む。本誌ロド(付き合っている軸)
    ※片方勘違いネタって美味しいと思います!!!!!!

    「なあ、ドラ公。き、昨日が何の日か知ってたか?」
     私が事務所ソファに座りながらスマホゲーム周回を嗜んでいると、左側からロナルド君の声がした。ゲームをいったんスリープモードに切り替え、おもむろに視点を彼に向ける。私を見下ろす若造の顔は紅潮していて、蒼い目が忙しなく泳いでいた。
     なんだ? 原稿をしている間に、私の知らないところでおポンチ吸血鬼にでもやられたか?
    「突然なんだね藪から棒に。原稿はどうしたの?」
    「いいから答えろよ」
    「だから、原稿はどうしたって聞いたんだが?」
    「いいから答えやがれください」
    「コミュニケーションってご存じ?」
     だめだ、全く会話にならん。ため息を交えて疑問をぶつけてみても、先程と同じ返答しか返ってこない。唇をへの字に曲げてこちらをじっと見て動かない。これは何度も聞いてみても同じだろうな。
     さてどうしたものか。わが愛しのジョンは町内会フットサル大会に行ってていないし、メビヤツはおやすみモード。デメキンさんや死のゲームに救いの手を求めようにも扉の向こうだしな……。
    「……頼むよ、ドラ公。答えてくれよ」
     こちらを凝視している蒼い瞳はわずかに揺れていた。ゆらり、ゆらりと透明な涙のようなものが彼の目尻に浮かび上がっているのが見て取れる。
     ……若造はどうやら、私から返答がないことに不安がっているらしい。顔に書いてあるようだ。彼を茶化すのは楽しいのだが、悲しそうな顔をされては、とてもそんな気分にはなれん。
     仕方がない。少々面倒ではあるが付き合ってやるとするか。両肩をわざとらしく下ろし、アゴの下に指を添えて思考を巡らせていく。
     確か質問は……昨日は何の日か、だったな。
    「存じているとも。キスの日だろ」
    「マッピャロパッ!?」
    「スナァ……突然奇声を上げるのはやめろ、近所迷惑ではないか」
     おかげでビックリ死してしまったではないか。目覚まし時計だって、そんなにけたたましく鳴りはしないぞ。そんなことを思っていると、私を灰にした犯人は狼狽した様子で声を発した。
    「そ、そ、それは……お、おまえが変なことを言ったからだろうが!!」
     別に変なことを言った覚えはないんだが。君が勝手に暴走しているだけのように見えるけど。
    「うわ典型的な逆ギレ……で、なにが言いたいというのかね、目覚まし時計ルド君」
     変なあだ名をつけんな、と前置きした後にロナルド君が再び尋ねてきた。
    「……えっと、おまえ、さ。その……それを……その、あの、」
     なんだ? 先程から言葉になっていない単語を羅列させて。ついに喋ることまで忘れるくらいに退化してしまったのか。
    「もしかして、言語能力を遥かかなたに置いてきちゃったんでちゅか~?」
    「誰が退化した猿だ!!」
    「ブェーッ!」
     そこまで言っていないが、音もなく飛び出してきた鉄拳の風圧で見事に砂になりながら私は思う。
     これは空気が読めるドラドラちゃんが空気を読んで答えるべきだな、と。顔は良いのにやる事なすことが不器用でかわいそうな若造に、話をしてもバチは当たらないだろう。そうでもしないと、このまま無限に殴り殺されるのが目に見えて明らかだ。
     えーっと……キスって、あれのことだろう。
    「先に言っておくが、経験は積んでいるぞ。最初は骨が折れたがね」
    「マッ……!? け、けい、け」
    「あそこまで熱中できることは、生きてきた上ではなかったよ」
    「あつ、く……?」
    「おい、大丈夫かロナルド君。さっきから調子の悪いモノクロテレビみたいになっているぞ」
     それにしても、先程から赤くなったり青ざめたりと忙しい男だ。ただそれを今指摘してしまうと後々に面倒な未来が垣間見えそうだ。やめておこう。
     ぽんやりとそんな事を考えながらロナルド君を眺めていると、彼はわれに返った表情をした後に頭をブンブンと左右に振ってから言葉を続けた。
    「……オマエ、どれだけの数をこなしてんだ?」
     彼の声は少しだけ震えているようだった。心なしか顔色も優れていない。血の気がだんだんと引いているロナルド君をみて、私の心の中で何かがざわつき始めた。
     本当に大丈夫か? まさか風邪でも引いたんじゃないだろうな。この話が終わったら体温計を持ってきてやるか。
    「ふむ。そうだね……少なくとも両手の指を折れるほどの数はこなしている」
    「……ま?」
    「こう見えても私、努力家だからね。最初はなかなかうまくできなくて諦めようと思っていたんだが……ジョンがどーしてもとお願いされたから断れなくてね」
    「は? ジョ、ジョンにもやったのかよオマエ……」
     ロナルド君はマジか、と言わんばかりに身を竦ませ、信じられないと言わんばかりに目を張っていた。なんだどうしてそんな顔をする。私何も悪いことをした覚えはないのに、胸の辺りがチクチク痛いんだが。
    「そんな信じられないみたいな顔をしないでくれたまえ。それに、私一人ではどうしようもなかろう?」
    「いや、それはそうだが……」
     若造が先程から怒ったり二度三度瞬きしたりと一人百面相をしていて面白い。油断すれば笑いが口からこぼれおちてしまいそうだ。とっさに片手で口をふさぎ、フフフと笑みをこぼす。本当なら思い切り爆笑したいところだが、今は深夜の二時過ぎだ。この時間にしたら近所迷惑になるだろうから、ここは我慢。
    「ゴホン。……えっとどこまで話をしたんだっけ。あ、そうそう。ジョンにも手伝ってもらって、何度も試行錯誤をして。努力が実を結んだって話をしたかったんだった。今では目を瞑りながらでもできる自信があるよ」
    「…………」
     私のセリフを皮切りに、若造は口をポカーンと開けたままで動かなくなった。まあ、放っておけばいずれ復活するだろう。私は構わず話を続けることにする。
    「あれほどまでに私を夢中にさせる体験はなかったよ。奇麗にできあがったものが、カラッと揚げられた時には本当にやってよかったな、と思ったものだよ」
    「……ん?」
    「最後には奇麗な色に色づいて、私としても満足な出来に、」
    「ちょっと待て」
     せっかく私が気持ちよく話をしていたところで、ロナルド君は焦りと驚きを隠しきれないような声で言葉を挟む。なんだね、人がせっかく教えてやっているところだというのに。少しだけイラッときてしまった。不満をぶつけるように、私は少し声を張り上げた。
    「今度はなんだね」
     視線の先にいたのは、懐疑心に満ちた瞳を浮かべたロナルド君である。彼はゆっくりと片手をあげながら何かを恐れているように私に尋ねてきた。
    「……オマエ、さっきからなんの話をしているんだ?」
     今更何を言っているんだ? 君から話を振ってきたんじゃないか。仕方がない。鈍感ルド君に教えてやろう。
    「聞いて分からないのか? キスの話だろ。天ぷらにしたらおいしいやつ」
    「……え?」
    「え?」
     お互いに視線を合わせまま、あっけらかんな返事をぶつけあう。おかしい、明らかに若造の反応がおかしい。今まで余裕をこいていた気持ちがぶっ飛んで不安という名前を帯びた感情がじわじわと迫ってくるようだ。妙な緊張感が体の中を駆け巡っていく。
    「えっ、何その反応。違うの?」
    「……そうか。そういうことか。はいはい、どおりで話がかみ合わないと思ったら……」
    「ちょっと。私を置いてけぼりにしないでくれたまえ。ちゃんと言葉にしてくれないかい? ……君、腐っても作家なんだろ?」
     このまま、私だけ置いていかれるんじゃないか。若造だけが分かっているような口ぶりをされてしまうと、心配という二文字が心に重くのしかかってくるようだ。
     ロナルド君はあー、とかうー、とか。そんな脈絡のない言葉を羅列したかと思うと、
    「……キスって、そういう意味じゃねえよ。その……キスっていうのは、」
     覚悟を決めたように、ロナルド君は小さく頷くと、私の前に片膝をついて右手を優しく両手で持つ。ポカポカした温もりが手套を通じて伝わってくるようだ。相変わらず子供体温だな。
     そして、ロナルド君は白手袋をしたままの手にゆっくりと顔を近づけ、手の甲にキスを落とした。布越しだからか、ふわりと何かが当たったような感触だけしか分からなかったが――彼の行動を一目見て、完全に理解してしまった。
    「……こういう、意味……なんですけど」
     耳まで真っ赤にしているロナルド君の蒼天色の瞳が私の心を貫いていく。
     あぁ……私、今どういう顔をしているんだろう。顔が火のように火照るようだ。熱い、あついなぁ……。
     別な意味のキスであると若造に聞かされたような心地になり、私はもちろん恥ずか死を遂げた。それはもう何度も、何度も。再生もできなくなるくらいに、体が言うことを聞かなくなっていた。
     もう……いっそ殺してくれ……。
     
     この後、私は意識を失っていて、気がついたら棺おけの中にいた。フタを押し開けて体を起こす。周囲を見てみれば玄関先で土下座するロナルドとお説教しているジョンの姿があったのだ。
     様子を見ていたデメキンさんいわく。事情を知らないジョンが私たちを見て悲鳴をあげ、ロナルド君の鳩尾に頭突きをしてきたらしい。
     
     ごめんねロナルド君、今度唐揚げを作ってあげるからね……!
     
     ヌン!!
    『犬と歩けばなんとやら』
    Δロド(付き合って間もない軸)
    ※ロドが住んでいるところの捏造含む。
    ※ドちゃんがケガしている部分あり。流血表現注意。

    シンヨコの街中にある、とあるマンションの一室。八畳くらいのリビングで書類整理をしていた男は、木でできた椅子に腰を下ろしていた。それほど広くないこげ茶色のテーブル上で紙の束をそろえるべく、ダンピールの男が紙の束を両手に抱え、トントンと軽い音を立てていた時。
    「イタッ」
     右人差し指にチクリと痛みを覚え、吸血鬼対策課隊長ことドラルクは思わず右手を離した。A四サイズの紙束をいったん机に置いてからゆっくりと手元に視線を落とす。ズキズキした痛みとともに、右人差し指の指腹からじんわりと赤いしずくが吹きあがってきているのが分かった。一センチ程度の小さな傷だ。大けがを負ったわけではない。だが隊長の場合は少し心境がちがった。なぜならここには、血を流せば異常なほどに心配してくる男がいるのだ。
     やってしまった。そんな後悔にも近い言葉が頭に浮かぶ。さっさと消毒しようとドラルクが思索した頃には、もう遅かった。
    「ドラ公! 」
     ドラルクの小さな悲鳴に反応したのか、テレビ前に腰を下ろしていたロナルドが慌てて駆け付けたのであった。彼は訳あって吸血鬼対策課の男と一つ屋根の下で暮らしている。
     
     尖った耳に血色の良い肌。吸血鬼なのに日光、ニンニクで死なない屈強な体の持ち主ロナルド。一度暴れれば手がつかない彼であるが、ドラルクのいうことだけは聞く。それを知った本部長が『オマエが面倒を見ろ』と隊長であるドラルクに対して彼を監視するよう命令を下したのが、つい先日の出来事である。そんなこんなで吸対の激務に追われることとなった隊長ドラルクは現在、自宅で簡単な雑務を片付けている最中であった。
     本当であれば彼は仕事しなくても良い非番の日。ロナルドは疲労困憊ひろうこんぱいしているドラルクに休んでほしいと考えていたが、この男。全く休む気配がないのである。
     というのも、彼以外に処理することができない重要書類があるからであった。吸血鬼退治の際には、司令塔の役目を負っている彼も緊急時は現場におもむくことが多い。その間にも、報告書や確認しなければならないものは増えていくものだ。
     その仕組みを何とかしなければならない、と関係ないことを考えながら作業していたためか。手元が狂ってしまったドラルクは切り傷を負った、というわけである。
     
     さて、ロナルドが突如駆けつけてきたことに驚いたのか。ドラルクはビクリと肩をふるわせた後に答えた。
    「あぁロナルド君。大丈夫、ちょっと手を切っただけだから――ってイッ!?」
     隊長の指に電撃が走る。なぜなら、ロナルドがなんの躊躇ためらいもなく、切り傷を負った右人差し指をパクッと頬張ってきたのだ。指先にペロリと生暖かい感触と痛みが彼に襲いかかる。思わずドラルクは片方の手で吸血鬼の肩を必死に押しのけた。
     不意にやられたからか。ロナルドの口はあっさりと離れ、彼は床に尻餅をつける。銀髪の男は痛みで顔をしかめてから、ドラルクの方に不満をぶつける。お互いの目尻にはうっすらと涙が浮かんでいた。
    「なにすんだよ! いてぇじゃねえか!! 」
    「それはこっちのセリフだ、手加減を知れよ怪力ゴリラ! 突然なにをする……イタタタ……」
     説明を求めるように言い放ったドラルクは、右人差し指をかばうように左手で覆う。唾液が傷口に染みたのか、彼はクシャリと顔をゆがめた。身を退けながら険しい表情を向けるダンピールに対して、ロナルドは断言する。
    「消毒してたんだよ」
    「そんなの当然だろう、みたいな風に言うな五歳児。ツバで消毒なんてできんぞ。私は昔の時代の子供かなにかか」
    「そんなことはねえって。吸血鬼のヨダレの力ってすげえんだぞ? 簡単な傷だったらすぐになおるし」
    「なにそれ初耳なんですけど」
     この男。口から出まかせを言っているだけではないのか。そう思ったドラルクは怪訝けげんそうに眉を潜ませる。確かにツバを付ければ傷は治るという迷信は本当のことらしいと、彼は以前耳にしたことがあった。しかし、吸血鬼にもそれがまかり通るのかについては確信が持てず、ドラルクはしばらく押し黙ってしまう。するとロナルドは眉をヘニャっと下げながら言った。
    「……俺、迷惑をかけてばっかりだから。少しでも助けになりたくて。それに……ドラ公が痛がっているところ、もう、見たくねぇよ……」
    「……ッ」
     まるで犬が悲しんでいるように見えたドラルクは息を詰まらせる。彼の心は罪悪感に苛まれていた。ロナルドのつぶらなあおい瞳で見つめられていると、彼の中で『傷口を舐めてもらう』という思いと『衛生上いけない』という葛藤が生まれる。
    「なあ、お願いだドラ公……血が止まるまでの間だけ、さ……いいだろ? 」
    「あー、えっと……ッ」
     ロナルドに上目遣いを向けられ、隊長を名乗る男はしり込みをする。最初はあー、うーと言葉になっていない単語を発していたが、ドラルクは銀髪の男の顔を見てため息交じりに言葉を返した。
    「……終わったら消毒するからな」
    「いいのか!?」
    「同じことは二度言わんよ。……はい」
     もうなるようになれ。そう感じたドラルクは投げやりな様相で、床に座ったままのロナルドに右人差し指を差し出した。一方で喜色に満ちたロナルドは、ゆっくりとドラルクの両足の間に入り込み、彼の指を口に加えようとする。その途端に何か思い出したかのか、吸血鬼の男はハッと目を見開いた。先ほどドラルクの指を口に含んだ時、痛がっていたことがロナルドの頭に浮かんだのである。
     痛がるようなことはしたくない。ロナルドは開いていた口をゆっくりと閉じ、ドラルクの指をペロペロと舌で恐るおそる舐めとっていく。
     突然どうしたというのだろう。そんな疑問が頭に浮かんだドラルクは、キョトンとした様子でロナルドを凝視ぎょうししていた。ザラザラとした感覚と生暖かい感触が指先から感じられ、まるで子犬がミルクを飲んでいるかのように隊長は感じ取る。その様子を脳内で想像したドラルクの顔が思わず緩んだ。
    「フフッ、まるで子犬みたいだね。ロナルド君」
    「……うるへーよ」
     あどけない笑みを向けられたロナルドは赤い液体を舌で舐めとりながら話す。その両頬はうっすらとピンク色に染まっていた。じっとその様子を眺めていた隊長の胸はどこかキュンと締め付けられる。それが一体何なのか、ドラルクには理解することはできなかった。
     程なくして、ドラルクの指からロナルドは離れていく。右人差し指からの出血は完全に止まっており、ドラルクも驚きを隠せずにいたがその表情もすぐに崩れ去っていた。
    「あはは…ありがとう、ロナルド君」
     止血されている事実よりも、手のベタベタとした感触が不快だと感じたからか、隊長は引きつった笑みを浮かべていた。
    「さあーてと、」
     消毒するためにも手を洗ってくるとしよう。そうドラルクが席から立ち上がりながら言いかけたと同時に、おもむろに立ち上がったロナルドの手によって動きを止められた。いや、じっと彼の指を舐めていた男が音沙汰おとざたもなくドラルクの腰を持ったかと思えば、その場でお神輿みこしのように彼を担いだ、と言った方が正しいだろう。さて、突然すぎて対処できなかった男は一瞬言葉を失うが、すぐ正気に戻るとロナルドに問いかける。その声はやや焦っていた。
    「あの~ロナルド君? なーんで私を担いでいるのか説明してくれないか」
    「――た」
    「……た? 」
    「……ドラ公がかわいくて……いろんなところを舐めたくなった」
    「……はあ!? 」
     しばしの間、吸血鬼の言葉の意味を吟味していたドラルクは深慮しんりょを重ねた後に声を大にして言った。このままでは非常にマズい。これから起こるであろう未来が手に取るように分かってしまった隊長は手足をバタバタさせ逃れようとするが、あいにく彼はそんな力を持ち合わせてはいなかった。血液錠剤を出そうとポケットに手を伸ばそうとするが、あと一歩のところで届かない。そんなドラルクをかえりみず、ロナルドは淡々と説明を加えた。
    「だってオマエの血、うまかったし……それに、ドラ公のことを見ていたら、もっといろんな表情を見たくなった」
    「どこにそんな要素があったのか、せめて言葉にしてくれ発情ゴリラ」
    「今日は非番だろ? それなのに……仕事しなくていいっていうのに仕事してさ。恋人である俺のことを放っておいて」
    「……えっと、それで? 」
    「オマエなかなか休んでくれないし。さっきちょろっと血を飲んだ時から……体がウズウズしてるんだよ。ちょっと俺の相手をしろよ」
    「ちょっと!? 」
     あ、これピンチだ。食うか食われるかの危機的状況だということを感じ取ったドラルクは、愛おしい使い魔の存在を思い出して声を張り上げた。
    「ジョン! 頼むからこのゴリラのことを、」
    「無駄だぜ。ジョンにはケーキバイキング食べ放題の見返りとして、今日一日外出していてほしいって頼んであるからいないぞ」
    「は!? 」
     それ今日初めて聞いたぞ、と言葉を返せば、いってねえもん。とはぐらかすようにロナルドは言い放つ。
     ジョンの姿を見かけなかったのは彼が原因か。どこまで手が早いんだこのゴリラは。ドラルクがそう思っている間にも、彼は無言でスタスタとベッドのある部屋へと足を動かしていく。
    「え、あ、せ、せめて! せめてさっきの書類を終わらせてからにしてくれあ――――――!! 」
     隊長ドラルクの抵抗は空しく部屋中に響き渡り、寝室の扉はロナルドの手によって、ぱたんと閉められたのであった。
     
    【この後の展開は亜空間に放り込まれました】
     
     完!!
    『Marea de stele(マレア デ ステレ)』 願いをかなえるツイタグで投稿した作品。
    ※付き合っている軸の本誌ロナドラ。
    ※夜空の星を眺めるロドのお話です。
    ※話捏造含みます。

    すっかり闇に染まり切った空のもとには、見渡す限りの海が広がっていた。三日月の仄かな光が明かりがない海岸を照らし出す。なんとも幻想的な雰囲気を漂わせているようだとつくづく思った。じっとしていると、海風にあおられて潮の匂いが鼻孔をくすぐってくる。最近猛暑が続いたせいか、ひんやりとした空気が何とも心地よく感じられた。アスファルトで舗装された階段に腰を下ろしながら、私とロナルド君は穏やかな波の音に耳をかたむけ続ける。
    シンヨコにある新横浜ナイトビーチ。私たちは依頼の帰り道にロナルド君に誘われて、このナイトビーチを訪れていた。普段は大勢の観光客で賑わっているが、今は人影も何もない。貸し切り状態であることに心が浮足立つようだったが、若造の顔は海を終始無言で見つめている。まるで意識をどこかに置いてきてしまったようにも感じてしまう。
    「海がみてぇ」
     依頼を終えた帰り道。若造が静かに言い放った言葉。彼からはあまり聞かない一言に私は驚きを隠せなかった。今からだと? なんだ突然と文句の一つをぼやこうとした時、疲れと思いふけっていそうな空色の瞳を一目見て、私の気持ちは切り替わる。これはきっと何か思うところがあったのだろう、と私は軽い気持ちでその提案を飲みこんだ。
    【腕の人】から急遽車を借り、若造が運転をすると耳にしたときには肝を冷やしたものだが。案外運転がうまくてホッとしているというかなんというか。ずっと口を結んでいたロナルド君の横顔には哀愁あいしゅうが漂っていて、普段と違う彼の姿に私自身もしり込みをしてしまって今に至る。

    さて、私のかわいらしい使い魔であるジョンも一緒に来ているが、今は少しだけ席を外してもらっている。いつもは短気ですぐ大声を出すような野生児が、到着してからしばらくの間、静かに地平線を眺め続けているのは珍しい。二人で話した方が話しやすいこともあるだろう。直感ではあるがね。
    「……そういや、ジョンはどうしたんだ?」
    今頃気がついたのか。鈍感にもほどがあるだろう。内心あきれ返りそうになりながらも言葉を押し込みつつ、小さくため息をつく。視界の端には、夜の帳がおりている砂浜で穴掘りをしているアルマジロの姿。ジョンは本当に穴掘りが好きだな。私は海岸を眺めながら言い放った。
    「近くに貝殻を集めに行ったよ。もう少ししたら戻ってくると思う」
    「……そうかよ」
    「……」
    チラリと若造の方に目配せをする。フワフワした銀髪が月の光でキラキラと瞬き、少し目を奪われてしまいそうになった。横顔は黙っていればカッコイイのに。私が好きだと愛してやまないブルーの瞳が少しだけ濁っているようだった。
    「……勿体ない」
    若造に聞こえないようにポツリとつぶやくと、私は座りながらもゆっくりと彼の方に近付いていく。そして若造のゴツゴツした手套の上にそっと手を添えた。
    「……ッ!? 何すんじゃクソ砂があああ! 」
    「ブエーッ!? 」
    たかが手を置いただけでこの狼狽っぷり。突如繰り出された若造の鉄拳によって、私は容赦なく砂に変えられた。私の姿を一目見てわれに返ったのか。紅潮した顔は一瞬で元に戻ったかと思えばロナルド君は目尻を下げ、今にも消えそうな声でぼやいた。
    「あ……わりぃ。驚いてつい……」
    「つい、じゃないわ。条件反射にも程があるだろうに」
    まあ、慣れているから良いんだけど。そう付け足すように私は言った。ナスナスと再生し終わった後に、もう一度彼の手の甲を覆う。今度は慎重にゆっくりと。そっと彼の手の甲の上に手をのせてから、指を絡ませて握ってみる。
    ふむ、今度は大丈夫そうだな。平均よりも高い熱が私の手にも伝わってくる。若造の手の甲は、まるでゆたんぽのようにポカポカとしていた。
    「私は、その……手を繋ぎたいと思っているのだが……ダメかい? 」
    あー、何言ってるんだ私は。雰囲気に酔っているのだろうか。顔にだんだんと熱がこもるのを感じながらもコテンと私が首をかしげて見れば、目線の先には耳まで真っ赤にして慌てる君の顔。ロナルド君の目が点となったと思えば、彼は視線を泳がせつつ言う。
    「だっ……し、しかたねぇな……ジョンが帰ってくるまでの間だけだからな」
    「はいはい」
    とげとげしい若造の言葉とは裏腹に、彼の体温がまたひとつ上昇した気がした。トクントクンとこちらに響いてくる心音は聞いていると落ち着くものだ。空気がひんやりしているせいか、彼の体温は安心してしまう、と。そう私が感じるには十分なものだった。
    定期的に波がネイビーブルーに染まった浜へと乗り上げていく音が耳元に届く。視線の先にあるのは濃紺に染まり切った海と雲一つない空に無数に浮かんだ星たちがあまたの輝きを見せていた。快晴だという事も相まって、金剛石や草の露やあらゆる立派を集めたような煌びやかな銀河が広がっている。
    「……見事な絶景だな」
    「……あぁ」
    お互いに水平線を見つめながらそれぞれ感想を口に出していた。少しの間だけ波の音がやけに空間で大きく響き渡っていく。そうだ。私はポンと浮かんだ一つの質問を若造に投げかける。
    「……ねえロナルド君。星って何でできているか、分かるかね? 」
    私の質問に、ロナルド君はきょとんと私を見た後に口を開いた。
    「え、星は星……じゃねえのかよ。違うのか? 」
    「疑問を疑問で返すな」
    さすがの知能はゴリラ並みと返したくなったが、喉奥にグッと押しとどめる。ここはしっかりと訂正してやらないと、後で大恥をかくのはロナルド君だろうからな。有難く思えよ、若造。
    「星はいわば、宇宙のちりやガスが渦巻いてできているのだよ。それが何百回、何億回とそれぞれがぶつかりあい、燃えだして、それが星になったのだ。肉眼で見えているものが全てではないのだよ」
    「お、おうっ……」
    若造が理解しているのかはわからんが、ひとまずゆっくりと説明することを心掛ける。まるで絵本を読み語るかのように私は言葉を続けた。
    「もっと分かりやすく言うのであれば、星と呼ばれるものはこの空に無数にあるし、ちっぽけなものだ。君がもっている不安も心配も。こんな広大な宇宙からしてみれば、小さなものなんだよ」
    「いっ……!? 」
    どうやら図星だったようだな。ロナルド君の肩はビクンと跳ね上がり、驚愕の目を見張って私を一目見た。蒼天の瞳がより私を大きく映す。それから銀色の眉毛をヘニャっと下げながら彼は続けた。
    「……何で分かったんだよ。ていうか、いつから気付いてたんだ……? 」
    「しいて言うなら……最初からだよ。君が急にどこか行きたいと言った時には、決まって悩み事を抱え込んでいるときだからね。何年君とコンビを組んでいると思っているのかね? 」
    「……それだけか? 」
    「後は……勘、かな。これでも君の恋人のつもりではあったんだがね」
    「鋭すぎんだろ、おまえのセンサー」
    ふいと私から顔を背けるロナルド君。口元をへの字に曲げる彼はまるで、隠し通せていたと思っていたら実は親にばれていて、どんな反応をしたらよいか分からない子供に似ていた。本当に愛らしい。表情がコロコロ変わる姿は見ていて飽きない。君を知れば知るほど、知らないことがどんどん出てきて……愛着が湧いてきて止まないよ。
    「せめて勘が鋭いドラルク様だと言ってくれたまえ。あと、ジョンが戻ってくるまでの間にその暗い顔をどうにかしておきなよ。君のこと、ジョンも心配していたんだ。これ以上心配させてどうする」
    「そ、それは……すぐには、戻れねぇよ……」
    私が彼の方に首を向けてみれば、ロナルド君は中に顔を埋めるように右腕で顔を覆う。
    ……このお人よしルド君は。君の隣には私がいるというのに、なんて顔をしているんだ。きっと若造のことだ。この暗い顔をしているのは例の【依頼】のせいだろうな。
    仕方がない、一肌脱いでやるか。私はわざとらしく息をついて彼の手をパッと離す。案の定、彼は私の方に慌てた様子で視線をこちらに向けてきた。そんな泣きそうな顔をしないでくれ。私のいとおしい昼の子よ。
    「……しかたがない。今なら私の胸を貸してやらんこともないぞ? 」
    「……」
    「いつまで意地を張っているんだ。思春期のお子様じゃないだろう。ほ〜ら、このままだと私だって寒くて死んでしまうぞ。さっさとしたまえ」
    少し彼を挑発するように言葉を並べれば、若造は無言のままこちらに上半身を向け、私に覆いかぶさるように抱きついてきた。まるで割れ物を扱うような絶妙な手加減。まるで太陽の日差しのぬくもりにも似た体温と、彼の少しだけ早まった心音がこちらまで聞こえてくる。ずっと海岸沿いにいたせいか、汗の匂いよりも潮の香りが強く感じられた。無言を貫く彼の背中にそっと両腕を回し、ポンポンと優しくたたいてみる。すると、ロナルド君は私の胸の中で静かに泣き始めていた。すすり泣く声とじんわりと熱を帯びた彼の涙が、私の左胸を熱くさせる。
    「……今日、……仕事でな」
    「……うん」
    「吸血鬼退治が終わった時に……俺が油断して……吸血鬼の残党が、うっぐ……、民間人を、子供を……襲いそうになって、いて……ッ」
    「……知っているよ。私も遠くから見ていたからね。あの時は他の退治人がカバーしてくれたから大丈夫だったじゃないか」
    「……うぐっ、エッグ……けどよぉ……俺が、油断しなければ……あの子も……怖がることはなかっただろうに」
    「……」
    海の音で簡単にかき消されそうな声に耳を傾けながら、私はできるだけ穏やかな口調で相槌を打つことを心掛ける。若造は嗚咽を交えた声で言い終わってから、しばらく涙を止める様子はなかった。本当に優しいんだね、君は。自分のことじゃなくて、相手のことを心配していてさ。
    君は神様でも仏様でもない。君も一人の人間なのに。全てを守ろうとするその背中は、いったいどれほどの期待を背負っているものかと想像に難くない。
    「……大丈夫だと言っていたではないか。あの子にも。君が守った子も礼を言っていただろう。君がそこまで気に病む必要はないさ。もっと自分に自信をもちたまえよ。……最も、私の自慢の恋人がこんなに泣く五歳児だとは思わなかったがな」
    「……うる、っせぇ……よ……」
    「……ここには私とジョンしかいない。人の目もないんだ。だから思いっきり泣いたって差し支えないぞ」
    再びポンポンと優しく背中をたたけば、彼のすすり泣く声はだんだんと大きくなり、私にすがるように嗚咽おえつしていた。わんわん、わんわんと。言葉にもなっていない単語の羅列を並べながら、彼はずっと泣き続けた。そんな彼を一瞥した後に彼の帽子に手を添えて優しく撫で上げる。本当に手がかかる子供だ。私が付いていないと本当に駄目なんだからな。ふふっ、困ったものだよ。
    早く泣き止んでくれたまえよ。いとおしい太陽の子。私は笑顔になった君と星の海を見たいのだからな。
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    2022/06/17 12:07:54

    推しだと言って何が悪い(五月ログまとめ)

    5月にTwitterに投稿した作品たちのログまとめ。
    加筆訂正済み。
    ページごとにワンクッション置いてあります。よく読んでからご覧いただくことを推奨します。

    #ロド #ロナドラ

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