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    【小説】雨の日の話スーパーでレジにたどり着いた時になってようやく、そこそこの強さで雨が降っていることに気付く。
    窓の外を呆然と眺めていると、レジ打ちをしながらマダムーーいや、私からしたらお嬢さんだーーが「急に降り出してきたのよ」と気の毒そうに告げてくるので、レジ打ちの邪魔にならない程度に少し雑談をして「お互い気をつけて帰りましょう」と締めた。
    すぐに止むようには見えないから、お嬢さんが仕事を終える頃にもまだ降っていそうだ。
    買った物の袋詰めをしながら窓の外を眺めて、少し悩んだがスマホを取り出す。
    買い物に出掛けると声をかけた時に、進まない原稿を前に唸っているだけだったロナルドくんはどうせ暇だろう。
    この雨を理由に荷物を持たせて…どうせなら醤油も買っておけば良かったかと後悔がよぎった。
    それよりもこれ以上雨が酷くなる前に傘を持って来てもらわないと、永遠のお別れになってしまう。
    今夜の夕飯を盾にすれば、腹減りゴリラならウホウホ迎えに来てくれるだろう。
    「え〜と…ゴリラゴリラ…ゴリラの履歴は、と…」
    「…おい」
    まだ呼んでもいないのに目当てのゴリラに声をかけられて、驚きのあまり耳の先がさらりと崩れるのを、気合だけでなんとか凌いだ。
    「や、やあゴリラ…」
    「人間じゃ」
    流石に外で人目が多いからか殴ってくることは無かったが、いつもならぶん殴られているところだ。
    「いやいや。しかし君…ちょうどいいところに!まさに今、連絡しようと思っていたんだ」
    手にしたスマホを軽く揺らしながらご機嫌で告げれば
    「そうかよ…」
    思い通りに動いたことが癪に触ったのか、不機嫌な顔をしながらも買い物袋を優しく奪っていく。
    それがなんだか面映くて、既に雨水で少し汚れているスーパーの床で泥まみれになることも辞さず煽ることにした。
    「いやぁ!まさか迎えに来てくれるとは!遂にこの私の偉大さに気付いたのかね?」
    歯を噛み締めたのかギリッという恐ろしい音がしたが、そのまま振り返らず店の出口へと向かって行く。
    それを追いかけつつ、反応が無いとつまらないので更に畳みかける。
    「今日のロナルドくんはおりこうさんでちゅね〜!それともお腹が空きすぎて我慢が出来なくなったんでちゅか〜?」
    「…ジョンが濡れたらかわいそうだろ」
    「え…?あ、うん。でも…」
    でも、ジョンは今夜は室内コートのあるサッカー場で練習中で、君も「日付が変わる前には帰って来てな?」と送り出していただろう。と言いかけたが、黙って傘を渡してくる男がジョンを探す様子はない。
    普段からアホだのなんだの馬鹿にしているが、本当に物忘れが激しいわけでもない彼が、ほんの数時間前のことを忘れるはずがない。
    ジョンがいないと分かっていて、それでも来てくれたのだろう。
    壊滅的なまでに言い訳が下手すぎる。
    あまりのことに煽る気力も無くして、渡された傘を大人しく開いた。
    それを見届けた男は、くるりと背を向けるといつもよりゆっくり歩き出す。
    その広い背中を、雨粒から傘で己の身を守ることだけに集中しながら追いかけていると
    「おい。そこ…水たまりあるから、こっち…」
    そんなことを言いながら振り返ったかと思うと、びっくりして死なない程度に腕を引っ張られる。
    暗いところは君よりも見えているよ。とか。
    どうしたの気なんかつかっちゃって、ゴリラから進化したの?とか。
    本当はこういう気遣いだって出来るんだから、ちゃんとしたらモテてしょうがないだろうにね。とか。
    私に道を譲ったせいで君の靴が濡れたんだけど、それ誰が奇麗にすると思ってるんだ。とか。
    色々と言いたいことはあったのに、そのどれもが言葉にならない。
    「…ロナルドくん」
    自分でもびっくりするくらい静かな、それこそ少し寂しげな声で名前を呼んでしまって口を噤む。
    そんなささやかな声なんて、雨音にかき消されただろうと思っていたら
    「なに?」
    同じく静かな様子で振り向いて立ち止まる。
    野生の勘というやつなのか、いつもと違う様子を察してか、穏やかに問い返された。
    「…寒いね」
    その穏やかさに引き摺られるように素直にそう告げると、無言でいつものジャージを脱ごうとするので慌てて止めた。
    その下は草臥れた薄手のダサいシャツ一枚しか着ていないし、そういう自己犠牲は自分には発揮してほしくない。
    「そうじゃなくて…帰ったら、あったかいもの飲まない?昨日焼いたクッキーがまだあるし…」
    買い物袋と傘に阻まれて腕に引っかかったせいで中途半端にはだけたジャージを、きちんと肩に戻してから、ついでにもう簡単には脱げないようにチャックも閉めながら提案する。
    「ああ、それいいな」
    「紅茶にする?それともコーヒー?」
    「牛乳たっぷりのカフェオレ」
    「いいね」
    「…牛乳、買ってくか?」
    「さっき買ってきたからいいよ」
    ほら、袋の中にあるよ。と言えば
    「…や、お前の…お前が飲むやつ」
    「へ?」
    「ヴァミマに…最近、ちょっといいヤツが置いてあって…」
    もにょもにょと言う内容は聞こえにくいが、それなりに長く居たせいか言いたいことはばっちり分かる。
    分かってしまうと、可愛いなぁという感想しか出ないのだから困ってしまう。
    子供が精一杯なにかをしようとしてくれているような、純粋な好意に笑みが深まる。
    「ああ…君が時々買ってきてくれる良い牛乳か…確かにあれ美味しいけど…今日はいいよ。君と同じので」
    「そっ、そうか…」
    ギクシャクとしながらも、水たまりを避けるよう体をそっと押しやってくれたり、水の反射で見え難くなっている段差を教えてくれたりする。
    (ああ…死にたくないなぁ…)
    珍しくそんなことを思いながら、徒歩数分の道のりを二人でゆっくり歩く。
    そんな丁寧すぎるほど丁寧な誘導のおかげか、いつもより慎重に歩いていたからか、無事に死なずに帰り着いた。
    死にやすい吸血鬼を死なせないように気を張っていたのか、筋肉で張った肩から少し力が抜けて、メビヤツに「ただいま」と声をかけて撫でている。
    その横を通り過ぎて居住空間へと入り、水槽の中の同胞へ「ただいま」と声をかけながら、ロナルドくんの為に電気をつける。
    ついでに暖房をつけてマントを脱いだ頃、湿気のせいでいつもより銀色の髪をふわふわとさせた男が玄関に現れた。
    「おかえり」
    「…同時に帰ったんだからおかしいだろ、それ…」
    今日はなんだか彼が優しいから、絶対に自分には向けて言われない「ただいま」をねだってみたくなった。
    「おかえり」
    辛抱強くもう一度声をかけると、少し濡れた靴に苦戦しながら脱ごうとしていた動きが少し止まって
    「……ただいま」
    唇をあまり動かさない、吐息だけの返答があった。
    「おかえり」
    「…何回繰り返すんだよ…」
    呆れたように告げて、冷蔵庫へと向かう背中に
    「迎えに来てくれてありがとう」
    今日の自分は自分でも気持ち悪いくらいに素直だ。
    一度、歩みを止めたロナルドくんは、無言で冷蔵庫へ食品を収めていく。
    別に何か期待していた訳でもないけど、無視されるのは流石に堪えた。
    それでも気を取り直して、カフェオレの準備の為キッチンへ入り、手を洗ってからミルクパンを取り出す。
    電気ケトルに水を入れていると、さっき買ってきた牛乳ではなく、ちゃんと使いかけの牛乳を冷蔵庫から持って来てくれたロナルドくんは、そのまま項垂れるようにシンクの縁に腕をついて
    「…なんか…やったのか?」
    「は?」
    「てめぇが素直な時は、何かしでかした時だろうが」
    それとも欲しいもんでもあんの?と失礼なことを言ってくる若造に、少しカチンときて
    「別に?今日は本当に困ってたから、お礼ぐらい言ってもいいかなって思っただけさ」
    そう吐き捨てるように告げて、牛乳パックを引き寄せる。
    思ったより軽かったそれを中途半端に残したくなかったので、全てミルクパンへ注いだ。
    まさか素直な感謝だとはカケラも思っていなかったらしく、気持ちを無碍にしたことに気付いて大いに慌て始める。
    こちらの日頃の行いのせいなのだから、そこまで気に病まなくていいのに、そういう善良なところは彼の美点だと思う。
    「う…わ、悪かった…」
    「…いいよ」
    珍しく素直に謝ってきたから、こっちも素直に許してやる。
    年長者として寛容なところを見せねば。
    「なぁ…」
    「ん?」
    「…これからも、雨の日は、呼べよ」
    言葉を選ぶようにゆっくりと告げる男の真意を図りかねて、暗がりでもーーいや、暗がりだからこそかもしれないーー輝いて見える青をじっと見つめると
    「絶対に迎えに行くから」
    ヒーローのような事を言う男が、それを確実に遂行することは分かっている。
    モテそうな見た目は、ともすれば軽薄に見えるのに、実は誠実すぎるほど誠実な男だ。
    「…君、かっこいいな」
    思わず飛び出た言葉に反応して、イケメンを台無しにする奇声を発しながら赤面する様子で、自分が何を言ってしまったか気付く。
    「死」
    「なんで死んでんだよ!!」
    せっかく今日は死なずに過ごせると思っていたのに、こんなことで死んでしまうとは。
    床が冷たいのでこのままだと何度も死んでしまうと、慌てて復活しながら独り言のように
    「いや、これは…初の死因だな…」
    「な、なんだよ!?」
    理由は分からないが原因が自分にあることは分かっているらしく、青褪めて泣きそうになっている様子がかわいそうなので、素直に教えてやることにした。
    「君がかっこよすぎて死んだ」
    「へ?」
    「それよりも、ほら…着替えてきなさい」
    なんだか普段の自分達とは違う穏やかな空気が照れ臭くて、ミルクパンを乗せたコンロに火を点けるも、隣に立った男は全く動こうとしない。
    それどころか、何か言いたげに唇を震わせていたかと思うと突拍子もなく
    「さ、寒くね…?」
    「は?だからあったかい格好してきなさいって。暖房つけたばかりなんだから…」
    そう言って軽く手を振って追いやろうとするが、ロナルドくんは怒るでもなくもどかしそうな顔をする。
    そして、こちらがびっくりして死なない程度の速度で、彼にとっては冷たいだけであろう手を掬い上げた。
    熱い手に驚き手を引きそうなのを耐え、なんだろうと思ってそのまま好きにさせていると、ぎゅっと優しく手を握り
    「寒くないか?」
    真剣な顔をする男を見つめ、帰り道でのやり取りを再現しようとしているのだと気付く。
    「…寒いね」
    仕方ないから乗ってやろうと苦笑を浮かべて答えると、ゆっくりと雨の匂いが近付いて来て、覆い被さるように抱きしめられた。
    冷たいジャージの向こうにある高い体温を求めて、自らも手を回して頬を擦り寄せる。
    「…寒い時は、こうしてやるから…」
    「君にメリットないでしょ?」
    辿々しくも一生懸命に伝えてくる姿が可愛くて、ちょっと意地悪をしてみたくなって茶々を入れる。
    体温の高い彼は良い湯たんぽだけど、人間より体温の低い吸血鬼は暖をとるのには不向きだ。
    「…俺、は…その…」
    わずかに身長の高い彼が背中を丸めながら喋るから、首筋辺りに熱い程の呼気が当たる。
    薄いシャツ越しに冷えた彼の高い鼻が当たるのが分かった。
    「…お前の、匂い…好きだから…」
    匂いを無遠慮に嗅がれる経験など無いし、ましてや匂いが好きなどと言われた事もない。
    少し恥ずかしいが特に悪い気はしなかったので、そっとコンロの火を消してから、筋肉質な肩へ鼻を埋める。
    「…君はちょっと汗臭いねぇ」
    「うるせえ」
    それでもパンチが飛んで来ないということは、向こうも離れがたいのだろうと都合よく解釈する。
    「…別に嫌な匂いじゃないさ…」
    「…そ、っ…そう、かよ…」
    そんなぬるま湯のような珍しい時間は、何を思ったか急に襟の境目に侵入してきた焼けるように熱い舌のせいで終わった。
    「ブァーーー!?」
    「ぶえっ!?ペッ!!オエッ!口に入った!」
    「なぁにしてんだ五歳児!!」
    「うううううるせえ!!美味そうだって思っちまったんだよ!!」
    「何でもかんでも口に入れようとするんじゃない!!赤ちゃんか!!」
    塵から戻りながら怒鳴りつけると、本当に自分でも分からなかったのか、涙目でパニックになっている青い瞳がオロオロと見下ろしてくる。
    その未練がましい視線は首から離れず、おもちゃを取り上げられた子供のような悲しげな視線に耐えられなかった。
    復活すると無言でクラバットを抜き取り、胸元までボタンを外してから
    「…はぁ…舐めてもいいが…美味くはないぞ?」
    「え?あ、う、うん…」
    今度は腕ごと拘束するように抱きついてくると、再度首へと唇が降りてくる。
    許可を得たからか先程よりも大胆な動きを見せ、喉仏を舌で舐め上げられた時にはさすがに肩が跳ねた。
    首筋は人間も弱点だろうが、吸血鬼のその忌避感は人間の比ではない。
    そんな吸血鬼が人間に首筋を差し出しているという不可思議な状況に徐々に笑いが込み上げてくる。
    相手は人間なのだから当然吸血される心配はないが、細い首を唇と舌を駆使して喰むように何度も触れてくる。
    (…これは…獣の甘噛みだな…)
    溢れて流れていく唾液もそのままに、熱い舌と吐息に炙られて上ずった声が出そうで焦った。
    急所を晒す緊張感が何か別のものに上書きされそうで、震えそうな腰から意識を逸らす。
    だがもう先程のように死んで逃げることも出来ず、ただそっと目を閉じて受け入れた。


    事務所のドアが開閉する音でジョンが帰ってきた事に気付き慌てて離れようとするが、離れがたかったらしいロナルドくんが、最後に一度首筋に齧り付くようにしたせいで、声は抑えられたが死ぬタイミングを逃した上に腰が抜けた。
    ゆっくりと支えられながらキッチンの冷たい床に座り込むのと、居住スペースのドアが開く音が響くのが同時で、慌てた若造はキッチンから飛び出して
    「ジョ、ジョ〜ン!お帰り〜!!」
    猫撫で声でそう言いながら、ジョンの気を引く。
    さっき床に崩折れた時より体が熱を持ったせいか、今度は冷たさで死にそうにならずに済んだ。
    体の芯が震える感覚をねじ伏せながら、首元を手早く正しつつコンロの火を再度点け、電気ケトルのスイッチを入れる。
    「…ジョン…お帰り。これからお茶にするけど…」
    キッチンから顔を出すと、ロナルドくんに足を拭いてもらって、そのまま抱っこされていたジョンがこちらを見て口元に前足を当てていた。
    言葉にするなら「あらいやだ」みたいな感じだろうか。
    血色の悪いであろう己の顔がますます熱くなって、側から見ても赤くなっているのかもしれない。
    普段、キッチンなんて冷蔵庫くらいしか用が無いのに、奥から飛び出してきたロナルドくんと、その後でひょっこりと顔を出した蕩けた顔の主人。
    ついでにジョンの嗅ぎ慣れた香りがロナルドくんに濃厚に移っているのがトドメで、立派な大人のアルマジロには何かがあったことが分かってしまったようだ。
    「…き、着替えてきなよ…」
    「え?お、おう…」
    ジョンを受け取りつつロナルドくんを追いやり、キッチンの内側で、若造が甘えてきたという体で必死に小声で言い訳を重ねる。
    ヌヒヒと笑った可愛いマジロは『でも、嫌じゃなかったんでしょう?』と核心を突いてきた。
    「そ、それは…」
    「…ジョン…なんて…?」
    ジョンからの評価をやけに気にするゴリラは、部屋着に着替えるとソワソワと近寄って来る。
    「ん、いや…あ〜…そうそう。今日は珍しくロナルドくんが迎えに来てくれたんだよ」
    話を逸らそうとジョンをカウンターへと座らせてから話せば、察してくれたらしいジョンはロナルドくんへ体を向けて
    「ヌヌイ!」
    偉い!と褒めると、何を言われたか分かったらしいロナルドくんは照れ臭そうに笑いながらダイニングテーブルの定位置へ座る。
    ジョンが体を精一杯伸ばしてロナルドくんのふわふわの髪を撫でると、見ていられないくらいデレデレしていた。
    ミルクパンをかき混ぜつつクッキーをお皿に乗せているとお湯が沸いたので、一人と一匹の為のコーヒーをドリップしながらその様子を微笑ましく眺める。
    マグカップの半分くらいまで淹れたコーヒーに、ミルクパンで温めた牛乳をなみなみと注ぎ、ついでに自分の為のホットミルクもマグカップへ注ぐ。
    カウンター越しにクッキーを差し出すと、真っ先にジョンが反応して全身を伸ばすが、ちょっと大きめのお皿に乗せてしまったので渡すのを躊躇った。
    すると、ジョンの後ろからロナルドくんがお皿を受け取ってテーブルへ置いてくれた。
    「…あれさ…なんつーか、衝動的なもんだったんだよ…」
    さっきまで蕩けそうな顔をしていたロナルドくんは、そんなことを言いながらジョンをカウンターからお皿の前へ移動させる。
    大喜びでクッキーを掴むジョンにならって自らも一枚クッキーを取るも、すぐに口に運ぶ気配はない。
    考えを纏めている様な雰囲気に、邪魔をしないようにカフェオレをジョンとロナルドくんの手元に置いてから、自分のホットミルクと砂糖壺を持って彼の目の前の椅子へ腰を下ろした。
    「もし雨で、お前が流されちまったら…って考えると…」
    クッキーのチョコチップを数えているのかと思うほどじっとクッキーを見つめた後
    「なんか…すげー怖くなった」
    勝ち目があろうとなかろうと、差し違えてでもという覚悟で吸血鬼に立ち向かう勇敢な退治人のこんな弱々しい声は初めて聞いた。
    「…俺、お前が思ってるより、お前のこと、好きなんだよ」
    本能だけで喋って動いているような男だからこそ、その言葉は真っ直ぐに届く。
    ともすれば冷たく見える青が、焼け死んでしまいそうなほどの熱量を持ってじっと見つめてくる。
    煽る言葉が全く思い付かず、耐えきれず視線を逸らした先でジョンが力強く頷いてくれたので、それに勇気をもらって
    「…そう思ってもらえて、嬉しいよ」
    「うん」
    言いたいことを言って満足したのか、さくりとクッキーを齧って頬を緩める。
    美味しいお菓子を食べてご機嫌になった子供みたいな顔を見ていると、なんだかつられて頬が緩んでしまう。
    「私も、君が思っているより、君のこと、好きだよ」
    せっかくの機会だから自分もちゃんと伝えておこうと思って告げれば、口の中のクッキーを咀嚼し、珍しく砂糖を入れなかったカフェオレを一口飲み
    「…おう」
    微かな声で少し照れたように頷く、その可愛い表情を見ていると、むくむくと悪戯心が湧いてきた。
    「…分かってる?あんなことされてもいいっていうくらいには…なんだけど?」
    拭う余裕が無かったので、べちゃべちゃにされたままクラバットを締めなければならなかった首筋を押さえる。
    彼の匂いが染み付いているであろう場所は、熱は失っていたが案の定まだ湿っていてシャツが肌に張り付いていた。
    今更ながらキッチンでのことを冷静に思い返したのか、奇声を発すると
    「ごごごごごめん!!」
    本当に何の考えもなしの行動だったらしく、同居している吸血鬼の首を恋人もしくは獲物に対する吸血鬼のような熱心さで舐め回していたことの違和感に気付いたらしい。
    思った以上のリアクションに溜飲を下げたので 、この辺りで勘弁してやろう。
    「…私は気にしないからいいけど…気をつけてね。誰にでもあんなことやっちゃだめだよ」
    あまりの素直さに心配になって心の底からそう忠告すると、憮然とした顔で
    「するか。お前にだけだわ」
    大きな口にクッキーを放り込み、もぐもぐと咀嚼する。
    「…う〜ん…それは、ちょっと…まずいね?」
    なにがまずいかというと、そう言われて悪い気がしない自分がいることだ。
    それよりも、首筋を舐め回すのが同居している吸血鬼だけと宣言するのもどうなのか。
    性的な意味合いが含まれていると思ったのだが、彼にはそのつもりはなかったのだろうか。
    「…なにがまずいんだよ」
    本当に気にしていない様子になんと言えばいいのか分からず黙り込んでしまう。
    「…さっき気にしねぇって言ってたけど、やっぱ嫌だったんだろ…悪かった…」
    先ほどまでの、クッキーでご機嫌だった様子から一転、相変わらずの自己肯定感の低さを発揮してしょんぼりするものだから慌てる。
    「そうじゃなく…本当に嫌ではなかったよ」
    吸血鬼が首筋を晒した意味については、悔しいので絶対に言わない。
    よもや自分の感覚がおかしいのではと思い始めると、藪蛇な気もしたが確認せずにはいられなくなる。
    「えと…人間って…ああいうことってよくやることなの?」
    「ああいう?」
    ジョンが目を閉じて「聞いていませんよ」と言わんばかりに背を向けてクッキーを食べることに集中している素振りをしてくれたので、そのまま
    「あの…首を甘噛みするというか舐めるというか…」
    「…しない」
    「じゃあ、なんで…」
    「…納得した」
    「おい。意思疎通する気はあるのか?」
    こちらの質問に答える気がないのか、一人で頷いている男に温厚な私でも声を尖らせてしまう。
    「なんで…お前を見てると、触りたくなるのか…ずっと、不思議だった…」
    まるで恋する乙女のように長い睫毛を伏せると、可憐と言えないこともない。
    ゴリラのはずなんだけど。
    「俺、お前のこと、そういう目で見てたんだな…」
    そういう目とは、劣情を孕んだものだということは、いつもより青が濃くなった目を見れば分かる。
    私はそこまで鈍くはない。
    「にぶルドくん…?」
    「…うぐ…言い返せねぇ…鈍いな、確かに…」
    普段なら殴ってくるであろうに、己の鈍さを素直に認め苦笑している。
    「触っていいか?」
    「え?あ…うん…」
    反射で答えてしまうと、ゆっくりと男らしい手がテーブルの上を這うように近付いてくる。
    待つ方が恥ずかしい気がしたので、自分からも手を伸ばそうとしたが、クッキーのカスがついた相手の手を見て一度手を引いてしまう。
    その逡巡をどう捉えたのか、美しい青い目が翳ってしまったので慌てて伸ばされた手に触れた。
    すぐに掌を上へ向けた相手の、ざらつくクッキーのカスとベタつく溶けたチョコに気を取られていると、優しく手を掴み親指で手の甲をくすぐる様に撫で
    「…もっと触ってもいいか?」
    「…いいよ、って言いたいとこだけど…一応、聞いておこうかな…え〜と…どこ、を…?」
    「全部」
    「ぜんぶ…?」
    ざっくりとした答えに子供のようにおうむ返しをすると、無駄にキリッとした顔をしたイケメンは大きく頷き
    「全身。お前の体、全部…中も外も、全部、触ってみたい」
    「ひぇ」
    「死ぬなよ…」
    死んだことで視線が下がり、ソファの方へ駆けていくジョンの背中が見えた。
    こんなやり取りを見せてしまい申し訳ない気持ちもあったが、今は「裏切り者〜!」と泣き叫びたい気持ちが上回る。
    徐々に復活していくと、テーブルの上に残った塵にそっと一度だけ触れ、名残惜しげに指を離した男は
    「…嫌なら、もう、絶対にしないから…出て行くな。ここにいてくれ…」
    「出ていくわけないでしょ。ここは私の城だ」
    「いや、俺ん家だわ」
    いつものやり取りで気持ちを落ち着け、塵から復活した手にはもう触れようとしない、怯えるように握りしめられた大きな手を眺め
    「だ、段階を踏んで…ゆっくり、なら、いいよ…」
    拒否をしなかったことに光明を見出したらしく、頬を紅潮させた若造は食い気味に
    「…じゃあ…手、は?握ってもいいか?」
    「うん」
    テーブルで投げ出したままだった手を、そっと覆うように握ってくるので、掌を上に向けて受け入れる。
    ざらつく手は後できちんと洗わせよう。
    「キスは?」
    「いいよ」
    あっさりと答えた自分に驚いたが、相手がそれ以上に驚いていると逆に冷静になる。
    握っていた手を持ち上げ軽く引っ張ったかと思うと、淑女相手にするように手の甲と指の付け根辺りに温もりが落とされた。
    別に挨拶のキスなら実際に唇が触れなくてもいいのだが、野暮なことは言わないでおこう。
    それよりも高過ぎる鼻の方が強く押されている感覚がして、キスというより犬がじゃれてきている感じしかしなかったが、童貞にしては紳士的だしまあ合格だろう。
    「口は?」
    「いいよ」
    目線を逸らさずに手を繋いだまま立ち上がるので、居た堪れなくなってしまい視線を少し落とす。
    テーブルを回り込んできたかと思うと、ぎこちなく上体を傾けながら顔を近付けてきた。
    少し俯いたこちらに合わせて下から唇を狙ってくるので、顔を上げてやればいいのだが、緊張からか俯いてしまう。
    それをものともしないで近付くものだから、真っ先にお互いの高い鼻がぶつかった。
    慌てて顔を傾けると、向こうも同じ方向に傾けていて何度かぶつかるのを無言で繰り返す。
    やっとこちらが動きを止めたことで狙いが定められたらしく、ゆっくりと唇が触れた。
    何度か触れ合った後、まだ唇がくっついているような距離で
    「抱きしめるのは?」
    「いいよ」
    両手を広げて受け入れる姿勢を見せると、ニヤけるのを必死に耐えているような微妙な表情をして
    「苦しかったら…言えよ…?」
    覆いかぶさるように伸し掛かってくる、中腰の中途半端な格好をした男の背中に、驚かせないようゆっくりと腕を回した。
    びくりと跳ねた肩に、こちらが驚きで死にそうになったがなんとか耐える。
    「もうちょっと、強くてもいいよ」
    「そ、そうか…」
    彼の馬鹿力で本気で抱きしめられると真っ二つになってしまうだろうが、ある程度の心の準備と殺されないという安心感があれば、成人男性のハグぐらいには耐えられるはずだ。
    そのような趣旨をオブラートに包んで伝えたが、普段のゴリラっぷりが信じられないほど、優しく大事に包み込んでくるだけだ。
    それはそれで悪くないし、いつか慣れてきたら情熱的に抱き締められてみたいものだ。
    熱いほどの温もりと、リズミカルな心音にリラックスしていると
    「…っち、は…?」
    「っん?なに?」
    湿った吐息のような声が思ったより耳の近くで聞こえて、変な声が出そうだったが、先ほどの経験が活かされたのかなんとか抑えられた。
    こちらが問い返した言葉に何かを答えようと、口が何度か開かれるのが耳元で感じられて、その微かな吐息にも反応してしまい少し首を竦める。
    くすぐったいのもあるが、意外と耳が弱かったらしく、じわじわと羞恥とは違う熱が耳に集まっていた。
    その間に深呼吸をして落ち着いたのか、今度ははっきりとした声で
    「えっち、は?」
    そう問われ、顔は見えないが相手も自分以上に真っ赤なのだろうと簡単に予測がつくと、くすりと笑みがこぼれる。
    「…それは、まだダメ」
    「まだ……えと、じゃあ…そのうち…なら、いい?」
    「…いいよ」
    「…いいのかぁ…」
    子供のようなどこか舌足らずな声が耳元で響けば、もう愛しさしかない。
    背中に回していた手に、ぎゅっと力を入れ
    「ゆっくり、進んでくれると、ありがたいかな…」
    彼より長く生きているのに、誰かと深く関わり合ったことが少ないので、あまり急に迫られると驚きで死んでしまうと思って告げた言葉に
    「おう。童貞ナメんな。お前が思ってるよりゆっくり進むわ」
    「う〜ん…それはそれで心配…」
    「なんだよ…がっつくとどうせ死ぬくせに…」
    「そりゃあね…君、自分で思ってるより体が大きいから、威圧感すごいんだよ…」
    「ぐっ…気をつける…」
    「まぁ普通にしてたら全然…むしろかっこいいよ」
    「んんっぐ…ぅ…」
    苦しげな奇声を発したかと思うと、抱き締める力が強くなる。
    「うん。このくらいの強さもいいな」
    中腰で辛そうだなと思ったが、お互いの胸を近付けるように抱き寄せる腕の力を強くした。
    そんな感じでずっとくっついて他愛のない話をしていたら、寂しくなったのかジョンが膝へよじ登ってくる。
    それを受け入れようと手を伸ばすより先に、抱きしめた腕を解いてジョンの背中を支えたロナルドくんが、そのままひょいとジョンを膝に乗せてくれた。
    お礼を言おうとするが、甘い笑みを至近距離で見てしまい息を呑む。
    ジョンを撫でることに夢中でこちらを見ていないのをいいことに、その顔を堪能していると
    「今度から、雨の日は迎えに行くな?」
    相変わらずの甘ったるい声でジョンにそう話しかけると、察しのいいアルマジロはご機嫌に頷いた。

    雨の日(が待ち遠しくなったにっぴき)の話。
    ひさめ Link Message Mute
    2022/05/31 0:25:22

    【小説】雨の日の話

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    まだ自覚なしの二人がくっつくお話。
    ロナくんが積極的(無意識?)
    #ロナドラ

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