鎮魂の華どん、と言う腹に響く音と共に夜空に大輪の花が咲き、地上からは歓声が上がった。
龍骨鬼禍を退け、再び地上には祭りの夜が戻ってきた。平和の再来を祝うかのように次々と打ち上げられる炎の華。夜空に咲いては消えてゆくそれらを眺めながら、俺は遠い昔を思い出していた。まだ我ら三兄弟が幼く、刀の重さも血も戦も知らなかった頃のことを。
まだ幼かった時のこと。俺は、長兄と次兄と共に密かに館を抜け出し、大人たちには内緒で近くの村祭りに遊びに行った事がある。……ああそうだ、村についた途端に見たことのない程の人波に揉まれ、危うく兄達とはぐれそうになったのだ。それを見て慌てた兄達二人が俺の両側に立ち、決して三人離れぬように、右と左の手をしっかり握っていてくれた……。
三人で賑やかな屋台を冷やかしてまわり、次兄が持ち合わせていた僅かな金子で水飴を買った。兄たち二人に囲まれ、浮かれながら甘い飴を舐めていた、その時。腹に響く破裂音と共に、夜の空が輝いた。
―ああ、花火だ。……綺麗だな。
傍らで、読書家の長兄が呟く声が聞こえた。
もちろん花火を見たのは初めてではなかったが、口うるさい大人たちから逃れ、愛する兄達とだけで見た夜空の華は殊の外美しかった。
両脇に立つ兄達の手を握り、口には水飴を頬張った情けない姿で花火に見惚れていた俺を見て、笑いながら服に流れ落ちていた水飴をぬぐってくれたのは、面倒見の良い次兄だった……。
花火は次々と打ち上げられ夜空を鮮やかに彩り、そのたびに地上からは歓声が上がる。
……三人で花火を見た後はどうしただろう。ああ、そうだ。血相を変えて俺たちを探し回っていた館の家臣たちに見つかって家に連れ戻され、怒り心頭の父にこっぴどく叱られ、皆で泣いたのだ。
だが、賑やかな屋台の灯りや口にとろける水飴の甘さ、二人の兄と共に見た夜空の華の美しさは、少しも薄れること無く俺の心に刻みつけられている。ずっと左右の手を優しく包んでくれていた、兄達の手のぬくもりも、その笑顔も……。
どん、という腹に響く音と共に、俺の意識は現実に引き戻された。
あの時と同じような祭りの風景、あの時と同じような人の波、あの時と同じように空に咲く華。……だが、俺はもう幼子ではなく、俺の両手を握っていてくれた兄達の姿も、今はもう無い。
花火は死者へ手向ける鎮魂の華なのだとは、誰から聞いた話だっただろう。ふと瞼を閉じて、俺は思った。武人でありながら学に造詣が深かった長兄からだっただろうか、世話焼きで面倒見が良かった次兄からだっただろうか。俺を支え、守り、様々な事を学ばせてくれた優しい兄達の姿が、眼の裏に浮かんでは消えていった。
その時だった。どん、という腹に響く音と共に、優しい声が聞こえてきた。
―風魔、我が弟よ。
大丈夫、お前ならきっと大丈夫だ。
―もう俺たちが教えることは何もない。
後はお前に任せたぞ、しっかりな……。
弾かれたように目を開け、周囲を見回す。いつの間にやら空は暗闇と静寂を取り戻し、祭りの終わりを察した町人達も、三々五々帰路につき始めている。先程確かに聞こえたあの懐かしい声は、俺の心が招いた都合のいい幻聴か。あるいは人を惑わさんとする物の怪か……。
花火は死者へと手向ける華なのだとは、爆ぜる音は語りかける言葉なのだとは、誰から聞いた話であっただろう。
俺は再び夜空へ顔を上げると静かに目を閉じ、黙祷する。心の中で呟いた。
……安心下され、兄者様方。
胸中に懐かしい兄達の笑顔が浮かび、そして消える。
祭りの夜は、終わろうとしていた。
fin.