創作居酒屋「鶴」 ピロン、と機種デフォルトの通知音がショートメッセージの到着を告げた。
「創作居酒屋『鶴』、今週出店予定です。お客様のご都合の良い日にご予約願います」
そこへ「今度の金曜、19時に」と返信すると了解を示す愛想のいいキャラクターのスタンプが返ってくる。店の宣伝にしてはやけにフランクだと思われた方はお目が高い。これは知人と私との宅飲みの連絡だからだ。
「鶴」のマスターこと五条国永氏とは行きつけの酒屋が店の隅で営んでいる角打ちで知り合った仲だ。酒屋の若大将と彼と私とは同年代で、若大将が酒屋の宣伝のためネットをもっと活用したいと言っていたところに詳細は知らないがクリエイティブ系の会社にお勤めの彼と当時たまたま似たようなマーケティングの会社にいた私とで酒屋のブログ進出を後押しした形となった。ブログからSNSに移行しても未だに関連の相談は受けていて、時々スタッフのふりをしてペンネームで記事を書くこともある。彼のペンネームは「鶴」だ。
「古来から鶴はめでたいもんだと相場が決まってるんだ、少しでもめでたい要素はちりばめとけばいい」
なんて台詞が白皙の美青年から出てきた時はそのギャップにくらくらしたものだけど、まあなにぶんにも軽妙洒脱とは言いえて妙、どの系統のクリエイティブ企業だかはまだ知らないのだけれど文は簡潔にして完璧、時折載せる画像は達筆な筆文字と味のあるイラスト、更に彼が勧めた商品は必ず売り上げが倍近くまたはそれ以上伸びるとあって若大将は彼を手放す気はないようだ。
そんな彼が「立ち飲みもいいがたまには腰を据えて飲みたい」と二軒目に誘ってくれるようになり、何回かご一緒した後でこうのたまった。
「店を出す気には毛頭ならないが、月に一度くらいなら俺がそんじょそこらの店より美味しい肴を出せる」
それが先程の「創作居酒屋『鶴』」である。前職にいた頃は二回に一回は心ならずもお断りすることがあったのだが、フリーの仕事について多少は時間の融通も利かせられるようになってからはこの月一で開催される「鶴」が楽しみで生きているといっても過言ではない。
白状すると、私は彼が好きだ。そして彼が作る料理も好きだし彼の見立てた酒も好きだ。いい年をした大人が下手な恋慕で血迷ってこの場を失うことがあればQoLは下がるしダメージは大きい。そんなわけで今日も想いは秘めたままで、彼のマンションへと向かっているのである。
「まずはゆばとキャベツの和え物だ」
ほのかに山椒の香る小鉢はしょうゆベースの味付けで、しゃきしゃきのキャベツととろとろのゆばが絶妙にマッチしている。あっという間になくなってしまった。
続いてゆばと大根のお吸い物。汁を含んだ大根はジューシーなのに口の中でほろりと崩れ、ゆばのとろとろ感はまるでとろみ汁のようだ。
「今日のテーマはゆば? 京都にでも行ったの?」
「いや、日光だ。あっちにちょっと山男の知り合いがいてな」
確かに日光もゆば料理が有名だけど、日焼けの痕跡もない彼の知り合いに山男がいるというそれだけで少しおかしみを覚えてしまうのはなぜだろう。
「まあそいつにうまいゆばを出す店を教えてもらってな、酒のついでに少々多めに仕入れてきたってわけさ」
ちなみに日光ではゆばはこう書くんだ、と筆ペンでメモ紙にさらさらと「湯波」の二文字が記された。
「葉っぱじゃないんだ?」
「葉っぱをお望みならこちらはどうだ」
と言って出されたのは三つ葉が多めに入った具沢山のかき揚げ。こちらのゆばはかき揚げになっているからかなんだかスナッキーで食感が楽しい。
えびと生ゆばの炊き合わせに刺身ゆばに揚げ出し豆腐風ゆば巻きに、まさにゆば尽くし。
「本当、こんなおいしいお料理が食べられるなんて居酒屋『鶴』様様だわ。おいしいお酒に美味しいごはんに、五条さんの彼女は幸せだよね。まあ彼女がいたらこんな風にお呼ばれしなくなるから残念だけど」
「そりゃそうさ、俺は難攻不落の女を口説いてる最中でな。他の女に目移りしてる暇も余裕もないのさ」
あ。突然彼に意中の人がいるとわかって少なからずショックを受けている自分がいる。でも仕方ないか。彼と飲むようになってから数年は経過しているけれど、それまで不思議と彼はその手の話題に踏み込まなかった。あれだけ男前だと女性の方が気後れしちゃうのかな、なんて若大将は言っていたけれど私もその意見には賛成だ。現にここに気後れしたまま数年も片想いを空費した女がいる。
「へ、へえ。五条さんがそれだけ肩入れするんだからお相手も素敵な方なんだろうな」
「知りたいかい? まあその前に〆を提供するか」
豆乳白味噌出汁の椀にこんもり入ったゆばとつやつやに茹で上がったうどんは、付け合せのちりめん山椒でさわやかな味変もできる絶品だった。提供する品もなくなった五条さんはカウンターの向こうからこちらに回ってきて、隣の椅子の背もたれに腰だけを載せるようにして自分の杯を傾けている。
「は―……お腹いっぱいで幸せ。ごちそうさまでした」
それで、お相手の話は。水を向けると五条さんは口元だけで淡く微笑んだ。さあ運命の瞬間よ来い、散るならいっそ華々しく散ってしまえ、年甲斐もなくはしゃいだ恋心よ。
「彼女とは数年来の付き合いでな。なにかと馬が合うし食の好みも合ってる。あちらもいける口だしなにより話をしてて飽きない。この上なくいい相手だとは思わないか?」
私だって数年来の付き合いだし、彼とは気も合うし食の好みも合うし話をしてると時の流れが速いくらいに楽しい。それなのに私じゃないんだなあ。
「だがなあ、彼女には致命的な欠点があってな。どうしようもなく鈍いんだ。いっそ朴念仁の唐変木とでも言ってやりたいくらいだが、惚れた弱みってやつだろうなあ、今日まで言えずじまいさ」
ああもったいない。私がお相手だったら一も二もなく飛びついて絶対チャンスは逃がさないのに。
「はは、そうか、そう思ってくれるのかい、きみは」
淡い金色の瞳がとろりと情を濃く宿した。伸びてきた手が私の髪に触れて、優しくさらりと撫でられて。ああもう、いっそお相手が私だったら、なんてはかない夢を抱いてしまう。
「なあ、きみは俺が他の女に懸想していながらきみを毎月部屋に呼ぶ男だなんて、本気で思っているのかい?」
そんな、まさか。私はもうそんなに酔いが回ってしまったというのか。
「もういい加減観念してくれ。俺をそんな目で見るんだったら、俺の想いも受け入れてくれたっていいだろう」
なにせ、鶴は一途だからな。他の相手など欲しくないんだ。とろりととろけるような声の後、酔いが回るような接吻が落とされた。