君のいちばんに「本当にその格好で行くのかい」
目の前には黒を基調とした軽装の伊達男。対して私はカットソーとアンクルパンツとスニーカー。要は普段着だ。
「慣れない格好でぐずぐずするよりいいじゃん」
「それはそうだけれど、せっかくのお祭りだよ?ハレの日なんだから少しは、ね?」
苦笑いしたみっちゃんは、帯に挟んでいた笹を象った飾りを引き抜くと私が簡単に髪をまとめていた根本へ挿した。
「君は迷子になるから手を繋いでおいてと言っても聞いてくれなさそうだから、先に目印を、ね」
みっちゃんを見上げたほんの少しの動きだけで、しゃらしゃらと軽やかな金属の音がする。
「さあ、せっかくのお祭りだ、楽しんでいこう!」
差し出された手袋越しの手を軽く握った。伝わる体温と後ろから響く笹の葉擦れ。今年はいつもと違う予感がした。
「まだ日の高いうちから始まるんだね」
みっちゃんはそう言うけれど、日は既に傾いて青かった空は色褪せている。もう少しすれば宵闇に染まるのだろう。宵闇に抗うように祭りの中心になる社には提灯が連なって揺れている。喧噪の奥からは笛と太鼓の音が聞こえる。
「なんだか懐かしいな」
ふと呟いた声にみっちゃんが「ん?」と問い返す。
「子供の頃に近くに神社があってね。大きい所ではなかったんだけどその辺に伝わる奉納舞みたいなのがあって夏になると子供達が揃って練習したんだよ。まあ田舎の祭りだったし、上手じゃなくても誰も文句言わなかったけど」
「君も踊ったのかい?」
「いや、私は太鼓叩く方。舞手は毎年誰かが推薦されてなるんだけど大体パッと目立つ活発な子に回るの」
「へえ。見てみたかったなあ」
みっちゃんに見せるほど大したものではない。町おこしにもならない、地域だけの本当に片田舎の小さな祭りだった。今日来ている万屋街の祭りの方がよほど派手だ。
屋台の合間を二人そぞろ歩く。たこ焼きもかき氷も、きっといつも万屋に出ている専門店で食べた方がおいしいに決まっているのにどうしてこんなにおいしそうに見えるのだろう。
「一つくらい買っていくかい?」
「え、いいの?」
舌が肥えている上に普段なら無駄遣いを咎める側のみっちゃんが屋台の食べ物を買おうだなんて意外だった。
「ハレの日だからね。君と二人で分け合うんだったら、きっとおいしいさ」
そう言って笑うなんて顔の良さを逆手に取った犯行だ。おっちゃんたこ焼き一丁。
「はい、鰹節おまけしといたよ!」
おまけしてくれるならタコの量がよかったなあ、などと思いながらみっちゃんに手を引かれるまま櫓が組まれている中心近くに来た。盆踊りのお囃子は私が子供の頃にしていたのよりはずっと本格的だったけどどこか懐かしい響きだった。直後スピーカーから流れるのはいつかの時代の歌謡曲で調子が狂う。でも踊っている人たちは慣れっこみたいにお囃子とは全然違うテンポの曲でなじみのある手ぶりをしながら踊る。
「君の時代のお祭りもこんな感じで踊っていたのかい?」
「いや、これはちょっと異文化だなあ…」
異文化というのは言い過ぎたか、でもみっちゃんはくすくす笑っている。
軽いカルチャーショックを受けつつその場を離れ、社の本殿にお参りしたところでひゅるるる、という音から遅れて空に大輪の花が咲いた。
「きれい…」
「景趣で見る花火もいいけれど、こうして外で見るのもいいものだね」
次々と上がる花火に照らされたみっちゃんはずっと空を見上げていた。
「花火大会は死者を弔うために始まった、という由来があるようだけど、どうもあれ、眉唾らしいね」
え、そうなの?てっきりそうだと思ってたんだけど。
「元は花火屋の宣伝だったらしいよ。そこに後世の人間が尾ひれをつけて出来上がったのが花火=鎮魂って物語。ねえ、何かに似てるだろう?」
後世の人間が語った伝説が付与されたもの。刀剣男士もそうだ。みっちゃんは長船の古い刀工が打ったうちの一振りで、高名な武将の手に渡り青銅の燭台が切れる程と伝わり――震災で焼けた。
「そう、僕も最初は数ある光忠の刀の一振りだった。そこから語り継がれた物語が、今の僕を形作っている」
一度は焼失したと言われていた、実は蔵の中で大切に受け継がれてきた刀。
「そして今は、君の刀だ。ここにいる僕は、君の中でどういう物語を持っているのかな?」
夜空の向こうで色とりどりの花が咲く。隣でみっちゃんは蜂蜜色の瞳をこちらに向けている。
「みっちゃん、は」
「ん?」
「大倶利伽羅が、慣れ合いは光忠や貞宗とやれって言ってて、どんな刀なんだろうって思ってたらめちゃくちゃ見た目にこだわる人で、最初はちょっと怖かった」
「ひどいなあ、でもそうだろうなとは思ってたよ。僕が近づくと顔が引きつってたからね」
私はおしゃれが苦手だ。今日も夏祭りに普段着を着てくる程度には。
「でも、みんなそれぞれ譲れないものがあって、みっちゃんにはそれが格好良さなんだって思ったし、みっちゃんもこっちに無理やり押し付けないでいてくれたから」
戦の時に見せる強い圧を、本丸にいる時は、というか私の前ではほとんど見せない。
「みっちゃんは格好いい刀で、強くて、太刀の中でも一番に修行に行ってくれて」
「そりゃそうさ、短刀、脇差、打刀、ときて次こそは僕も名実共に君の刀に、と思ってたら槍、大太刀、薙刀だもんね。さすがに政府に文句を言いたくなったよ」
眉を下げてみっちゃんが苦笑する。僕の方が先に来てたのにさ、と挙げられた顔ぶれにこちらも力なく笑うしかなく。
「太刀の中では僕が一番先に修行に出られた。鶴さんには大分ごねられたよ。俺の方が先にこの本丸に来たのになんで光坊が先なんだ、ってね。でも僕にも譲れないものがあったから。君が顕現順でないと修行に出さない主義でなくてよかったよ。ひとつくらい、君の一番になりたかったからさ」
遠くで花火が弾ける中、甘い蜂蜜が溶けるみたいにみっちゃんが微笑む。
「あの、それは」
「うん、口説いてるよ。僕は君の一番になりたい」
待って。待ってほしい。そんなの、急に言われても。
「うーん、僕にしては外堀を埋めることに重きを置きすぎたかな。急に攻め込んで君に嫌がられないように、慎重に事を運んだつもりだったんだけど」
そういえば二人で出かけるのに他のみんなが黙認または協力的だった気がする。誰も一緒についていくなんて声が上がらなかったし。
「そこは気を使ったよ。でも肝心の君に通じていなかったのは、なかなか格好悪いな」
「みっちゃんは格好いいよ」
「あはは、そこですぐにその台詞が出るところが君らしいね。でも、他の男にそういうことを言っちゃダメだよ――僕だけにして」
次に上がった花火もきっときれいだったんだろう。でもその時、私の視界を占めたのはみっちゃんで。
ずっとずっと、私の中の特別な一振りだったと言えたのは、最後の花火が上がる頃だった。