どうしてくれるんだよ、きみ「きみからの愛は気持ちが悪いよ」
率直な言葉に、傷つくのを通り越して笑ってしまった。きっときみならそう言うと思っていた。
笑った立香を見てオベロンは眉間の皺を深く刻んでいく。
「は? なに? 俺のこと騙したわけ?」
「そんなわけないでしょ。オベロンじゃないんだから」
「ああそう。それはそれで失礼だと思わないのが厚かましいきみらしいよ」
「そう。でも私はきみが好きだよ」
オベロンは苦々しいと言わんばかりの顔をしている。立香の部屋にて飲んだばかりの紅茶を今にも吐き出しそうな雰囲気だ。ここまでの嫌悪感を引き出したのは初めてではないだろうか。
だがそれくらいで傷つきべそべそする立香ではない。
なにせ、彼に対して一つを口にすればいくつもの皮肉を返される。それに、このような状況下でずっと引きずるようなメンタルではいられない。どうしようもなくへこんでも、すぐに立ち上がらなければならない。
それが今の藤丸立香の在り方だ。
オベロン。オベロン・ヴォーティガーン。長い間、立香たちを旅を共にしながらも誰にも心を許すことはなかったオベロン。
なにせ彼は異聞帯のブリテンを滅ぼした奈落の虫。世界をも欺くプリテンダー。このときの縁により、オベロンはカルデアへと召喚されてきた。二度と会うはずのなかった存在だ。お互いにそう思っていたはずなのだけれど、人理はそんな事情など関係なしに手繰り寄せてしまった。
二人の再会は異聞帯を攻略してから約一週間後のことであった。
カルデアに馴染み始めたオベロンはいつしか立香の部屋を無断で使うようになっていた。疲れたーとぐったりして部屋に戻ってくればベッドには大量の虫に覆われたオベロンがいた、ということがあり腰を抜かしたこともある。それがツボに入ったらしく、オベロンは度々、立香のベッドを占領するようになった。
なかなか懐くことなかった野良猫が、いっときの宿として気に入られた感覚だ。
とある日、何となく紅茶を二人分テーブルに置くようにしてみた。最初は口をつけなかったものの、何度か同じことをしてみるととうとうオベロンは口をつけるようになった。誘っていないうちに静かに椅子に座っている。「すごく美味しくはないけどまあいいんじゃない?」と感想を頂戴した。ついでに鼻で笑われた。
あまりにも悔しかったのでブーディカに教えを請い、練習を重ねてお墨付きになった紅茶を淹れられるようになった。それを飲んだオベロンは何も言わない。心の中でしてやったりとほくそ笑んでいると、「お茶菓子の一つもないの?」とオベロンは更に図々しくなっていた。
誘ってもいない、誘われてもいない。そんなお茶会が日常の一つになり始めていた頃のこと。
これはそんなときに、立香が口にした言葉だ。
「私、きみのこと好きだよ」
好意を告げた矢先、オベロンがこの世の終わりみたいな顔をしていた。
それからぱたりとオベロンは立香の部屋に寄ることはなくなった。艦の中を歩いてもすれ違うこともない。確実に避けられている。これでまあ仕方ないか、と綺麗に諦める立香ではない。
翌日からおびき寄せるためにバナナをすり潰しお酒と混ぜたものを艦のあちこちに設置する。これでばっちりだと満足していると、全て回収したオベロンにしこたま怒られた。
今は立香の部屋で部屋の主が正座をさせられている最中である。
「あのさあ、ばか? ばかなの? というか、さり気なく虫扱いするのはやめろ。いや真面目な顔してばかなことやるのは知ってたけど、そこまで突き抜けてるとはこっちも思わないわけ。分かる? いや何が何でも理解しろ、ばか」
「でもやっと現れたからこれはこれで良かった気が」
「えい」
チョップされた。理不尽。
「令呪でも使えばよかっただろ、死ぬほど最悪だが契約は交わしているんだから」
「そんな強制力ないよ?」
「は」
「きみが本気で隠れられたら私は勘で探し回るしかないんだよ」
「そこまで底辺のマスターだったのかよ、マジか」
うわ、と冷たい眼差しが注がれる。そこまで言わなくても、と思ったが事実なのでぐうの音も出ない。
項垂れる立香を見て少しは溜飲が下がったのだろう。再び、オベロンは口を開いた。
「それで? 何だよ、あそこまでして言いたいことあったんだろ」
椅子に座るオベロンに立香はまっすぐに伝える。
「返事、聞いてなかったなって思って」
「は? 言っただろ。きみからの愛は気持ちが悪い、ってさ」
「それは感想でしょ」
「……」
オベロンは何かを考え込んでいるのか、これ以上の言葉を口に出すことはしなかった。
二人の間に静寂が続いた後、微小特異点が発見されたことによりアラートが鳴り響く。考えるよりも先に立香は体が動き、管制室に走っていく。この話は結局、有耶無耶になって終わってしまった。サーヴァントたちの協力を得て解決をした後、部屋に戻って泥のように眠りにつく。
夢も見ないほどに眠るはずだった。
立香は立っている。燃えるように色づいた紅葉の中を。これはまるで、妖精國で見た秋の森みたいだ。マスターとサーヴァントとして契約を交わすと、そのサーヴァントの夢に迷い込むことがある。ここはオベロンの夢の中なのだろう。こんなことを知ったらきっとただでは済まされない。
気が重くなっているところで白い羽が羽ばたくのが見えた。成長した蚕によく似たブランカがオベロンの元で羽を休めている。彼に代わって羽を動かし続けたブランカ。オベロンは帰ってきた彼女に労うことはしなかった。遠くを見るばかりでブランカの方に目もくれない。
だが、指先は彼女に触れていた。疲れ切って休むブランカに声はかけない。だって、声などかけてしまったら。
休んでいるのを邪魔してしまうから。
あ、駄目だ。これは、私が見てはいけない夢だ。
覚めろ、覚めろ、覚めろ、覚めろ!
これは駄目、これは一番やわくて、もろくて、あたたかい、秘密にすべきはずのことだ。知っていいのはオベロンとブランカだけ。
屈み込んで目を瞑る。これ以上、この光景を見ないように強く瞑る。だってこんなこと、こんな大事な記憶を覗き見するようなこと。立香がされてしまったら踏みにじられたのと同じことだ。
これはオベロンの、ブランカの、やさしい一時の夢なのだ。
「その態度に免じて許してやるよ」
聞き慣れてしまった声が聞こえる。
パン、と弾かれた感覚がして目を開けた。そこは見慣れた部屋の天井で、ああ、と言葉にならずに涙が溢れていく。何度も何度も目を擦り、それでも涙が溢れて止まらなかった。更に目を擦ろうとしたところで手首を掴まれた。
鋭く長い爪、手首から真っ黒に染まり人の手を模したもの。
「いい面してるじゃないか、マスター」
にたりとオベロンが立香を見下ろして笑っていた。
「悪趣味だよ」
「はっ、きみの地獄を最前列で見に来たんだぜ。俺は」
「でも好きだよ、きみのこと」
大きなため息をついて、呆れたようにオベロンは口にした。
「何もかも嫌いな奴を好きなった奴の末路は知ってるか? 無様で、どうしようもないんだぜ」
「でも、それってきみに関係ないでしょ」
「……は」
「それはきみに関係がないことだよ、オベロン。わたしがきみを好きでも、それはそれ。私の末路は私のものだよ」
「そんなわけないだろ!」
立香が言ったことが信じられないのだろう。手首を今にも折りそうなほどの力で握り、怒りのあまり瞳孔が開いていた。オベロンの感情に呼応するように虫の羽音が大きくなっていく。纏う影が更に濃くなっていく。
かつての旅ではなんとなく察し、カルデアで共に過ごすうちに確信を得た。彼がとても真面目であることに立香は気づいている。でなければ彼はカルデアになどやってくるはずがない。
命を尽くすまで付き添っていたブランカに意味を与えたかった。彼女の生が満足のいくものだったのか。オベロンに、この答えは永遠に分からない。答えてくれる相手はもういない。だが、意味を与えたくて彼はやってきた。これは他の誰でもない、オベロンにしか出来ないことだから。
嘘をつきながらゲームセットした、立香とは異なりようやく荷を下ろすことができた。でも、心残りがあった。縁に引っかかってしまうくらいの心残りが。
そういうところが、好きだと思った。献身的と言ってもいい真面目さを愛しいと思った。
オベロンは立香を好きになることはないだろう。
もし、万が一、好きになってくれたときは彼がよく口にする一時の夢に他ならない。
「振り向いてもらえたら嬉しいけれど、好きになってもらいたくて好きになったんじゃないんだよ。私が好きになったのが先。好きになってもらいたいのは後のこと」
「綺麗事を言うじゃないか」
「そうかな、……そうかもしれない。でも好きとか愛とか人それぞれだよ。私の好きは、オベロンにとって綺麗事だっただけで」
「ははっ。本当に、気持ちが悪い」
大きくなっていたはずの虫の羽音がおさまっていく。再び夜の静寂が訪れて、オベロンは立香の手をぱっと離した。
「俺に愛は分からないよ、ばかなマスター」
「そう」
「俺はきみを好きにならない」
「……うん」
知っている。知っているとも。全てが嫌いなオベロン。
「きみは俺に何も残さないし、夢にもずかずか土足で踏み込むくらい図々しいし」
「いや、本当に、あの夢は不可抗力で」
「どうしてくれるんだよ、きみ」
どうしてくれる、とは。
聞き返そうとして目を片手で覆われた。額に柔らかいものが落とされる。立香の瞼は自らの意志とは異なりゆっくりと落ちていく。とうとう意識を手放した。
オベロンは立香が眠ったことを確認してからベッドの端に座り込む。重みで沈んだものの、それくらいで起きるようなものはかけていない。
嘘をつきながら今もなお走り続けているきみ。背負わされた荷物は未だに抱えたまま。
魔術師ではないただの人間。血を吐くほど活性アンプルをたくさん打たなければ魔力すら賄えないきみ。ブラックバレルという代物まで持ち出して、あとどれくらい生き永らえて走れるのかさえ分からないきみ。
それでも、あの綺麗な青い空の元で駆けずり回るのだろう。
「やっぱり汎人類史、滅ぼすべきだったなあ」
諦めたように愛を乞うきみ。きみの愛は気持ちが悪い。おかげで、この感情だけがいつまでも宙ぶらりんだ。
──ああ、本当に。