【五七】おとぎばなしの男 世界を変えられる道具がほしくはない?
かかとを打ち鳴らせば空を飛べる靴、別世界へとつながるクローゼット、ひと振りで奇跡を起こす杖に神秘の獣たちを呼び寄せる書物、そしてすべてを統べるひとつの指輪……。
胸躍らせる冒険へと駆り出してくれる魔法の道具たち。おとぎ話で語られてきた、子どもたちが憧れてやまない不思議なひみつのアイテム。
だけど心する事実がただひとつ。
それに憧れるあなたには、なんの力も、ないのです。
◆ ◇ ◆
鉈の一閃に行く手を阻む呪霊の肉塊が飛び散る。
開いた視界にすかさず七海はふたりの幼子を抱き上げて走った。
地方の鄙びた小さな町ひとつを呑み込んだ恐ろしい呪い。土着信仰に外から持ち込まれたカルトが組み合わさって、閉鎖的な土地に狂いと憎しみはたちまち伝播した。
七海が踏み込んだとき、生き残っていたのは生贄にさせられかけた幼子と赤子のふたり。累々と屍の転がる集会所から救い出したが群がる呪霊に街からの脱出が叶わない。
呪霊の等級はせいぜい二級が上限、七海の相手ではない。ただ数が多すぎた。そのうえふたりの子を抱えている。
片腕にふたりの子どもを抱き、七海は右腕で鉈をふるう。振りかぶり、振り抜き、跳躍し走って、左右も背後も上下もすべて叩き潰す。
だが数は減ったように思えなかった。呼吸をすればそこに隙が生まれそうで七海は息すらも抑え込む。
あきらめるのも、無力に膝をつくのも、七海の流儀ではない。だから戦う。無心に走る。太陽に焼かれる人びとの死体しかない路上を駆けていく。せめて〝帳〟の外の補助監督へ子どもたちを託さなくては。
「……お、お母さん……!」
肩口で幼子が震える声で、背後へ叫ぶ。
「目を閉じて」
鋭い七海の声に、幼子が息を呑む。
「あなたが見るのは行く先だけでいい」
幼子は七海の肩にしがみつき、顔を伏せた。
ふいに目の前にどろりとなにかが落ちて形を成す。それは巨大な一級呪霊。さらに周囲に群がるのはあまたの呪霊。
七海は路上で傾く電柱の陰まで素早く引く。アドレナリンが切れたのか全身に負った痛みは凄まじい。どこをどう怪我しているのかもわからないぐらいに。
これだけ人間が死んでたったふたり、命を救ってなんになる――とは、七海は決して思わない。命は数ではなく、価値でもない。生きているならそれを生かす。それだけだ。
七海は血に汚れた手で鉈を握り直す。この身が動くかぎり、抗うつもりだった。
そのとき、
――術式反転「赫」。
ひとつの声が闇を払うように響いた。
強い衝撃波が子どもを抱いた七海の体を震わせた、かと思うとまるで視界を覆う闇をぬぐうように呪霊が一掃される。
「……出張の帰り道だったからさ」
向かいから歩む長身。黒い目隠しと銀に近い髪、悠然とポケットに手を入れてやってくるのはもちろん、最強の男。
「この数じゃさしもの七海にも手に余ったよね。お疲れ」
は、と七海は息をついた。
こんな安堵を覚えたくはなかった。けれど子どもが救われたなら、こんなささいな、皮肉に思う気持ちなど大したことはない。
「貴方は……まるで、おとぎばなしみたいですね」
苦笑のような優しい笑みで、七海は見上げる。
「奇跡を起こす存在だ。私たちのような凡人が夢に見る、ような」
というと、電柱に背を預ける体がゆっくりと沈んでいった。
満身創痍の七海の前で、五条は膝をつく。
「七海、お疲れェ」
返事はなかった。無理もない、これだけの傷と疲労、立っていられたのが不思議なくらいだ。
五条を奇跡といった七海を、どこか痛ましさを覚えながら見つめる。
そうだ、たしかに一掃はできた。
だけど僕は間に合わなかった。オマエがいなければ、たとえなにか拾えたとしてもその子たちの肉塊だけだったよ。
「僕はひとりなんだよ……七海」
MCUやDCEUを見ればわかるだろ。ヒーローだって群れるんだ。彼らを支える〝凡人〟もたくさんいるんだ。もっとも、僕にとってはオマエは凡人どころの話じゃないんだけど。
ねえ、七海、と五条は話しかける。
もしも子どもが憧れを抱く不思議ななにか、たとえばおとぎばなしの魔法のアイテム、奇跡を起こすひみつ道具みたいなものがあるならそれは……おまえなんだよ。
少なくともこの子たちにとって絶望の世界を変えた奇跡は、七海建人、おまえだったよ。
帳が上がり、補助監督たちが駆けてくる。子どもを彼らに預け、五条は七海を抱き上げて立ち上がる。補助監督に抱かれながらこちらを見返す幼子に、五条は胸のなかで語り掛ける。
さあ、生きて、育って、みなに語るといい。
君たちを救った男のことを。おとぎばなしに出てくるようなヒーロー、君たちに奇跡をもたらし世界を変えた、ひとりの男のことをね。
君らの行く手に、どうか祝福を。それがこの、おとぎなばしの男が唯一望む報いだよ。