船入り娘「名前、おれたちは暫くこの島を拠点とする」
「うん」
「降りるか、島に」
「……いいの?」
私とウタは基本的に船番。治安が悪くないとか、いい場所とか、そういうのが分かったらウタは船員と船を降りていく。遊びに行ったり、買い出しに一緒に行ったりしていた。私はずっと船の上。
箱入り娘ならぬ船入り娘。
ウタが降りるようになったのは、確か我儘を言ったからだ。降りると言って聞かなくて、一度シャンクスと一緒に降りてからは新しい島に着いてから「ウタも降りる」と毎回言っていた。そうしてウタは船を降りたいと言わなくても、誰かが「ウタ、降りるか」と聞くようになった。
私はその間降りたいと言わずに船にいた。我儘だって言わない。ウタが島を見たいと願うように、私は船から出たいと思われていないのだろう。誰も私に聞かない。私だって降りたいとは言わない。
「降りて、いいの……?」
「勿論だ」
「置いていかない?」
「置いていかないさ。名前はおれの女なんだろ?」
シャンクスの女。シャンクスがそう言ってくれた。初めて、言ってくれた。今までは笑って躱されていたのに、おれの女なんて聞いたことなかったのに。頬が勝手に緩んで、他から見れば私は笑顔になっているだろう。
シャンクスの手を取る。初めての陸地。揺れない地面。舞い上がる砂埃。
お姫様みたいだな、と思った。どんな宝石や金銀財宝をくれて、頭にティアラを載せたってお姫様みたいだと思ったことはない。こうやって、シャンクスに手を取ってもらって、一歩踏み出すことが何よりも物語のお姫様みたいだと思った。
「フーシャ村は平和な村だ。一緒に酒場に行くか」
「うん」
シャンクスを手を繋いで地面を歩く。道には所々草が生えていて足をくすぐる。カサカサ木の葉が風に揺れる音、虫の音、鳥の声。シャンクスと触れている掌以外は全部知らないものだらけ。思わずシャンクスの手をぎゅっと握りしめる。硬い皮膚に守られた掌はものともしない。
「怖いか」
「……大丈夫」
「強いな、名前は」
知らない音が鳴ると身体がビクッと震える。海の匂いが遠ざかっていく。嗅いだことのない匂いが怖い。ただ歩いているだけなのに体は熱くて、汗をかく。
「船に戻るか? 名前が嫌ならずっと船にいたっていい」
「大丈夫。シャンクスと一緒にいる。私はシャンクスの女だもん」
シャンクスの女だから、私は強い。赤髪海賊団の船長の女だから。シャンクスが舐められないような女でいないと。
日差しが強くて眩しくて目を細めた。シャンクスと手は繋がれている。大丈夫。心の中で呟いた。
「あら、新しいお客さん?」
シャンクスの後ろに隠れて酒場に入った。
「そうだ。こいつは名前。うちの船に乗っている」
シャンクスについて行って、私には少し高い椅子に背伸びして登って、座る。
シャンクスの目の前にお酒が出されて、酒場のお姉さんが「ジュースでいい?」と聞く。
「あ、え、うん」
上手く喋ることが出来ない。船の上で赤髪海賊団の仲間としか会っていないし、喋ったことだってない。
きょろきょろと辺りを見回す。酒場には知らない人たちがいる。
シャンクスを見ると、シャンクスはいつも通りだった。
「なんだ、緊張してるのか」
シャンクスが私の頭をわしわしと撫でる。そんな年じゃないとか、久しぶりにやってもらったとか、いろんな感情がごちゃ混ぜになって、何を言えばいいか分からなくて俯いた。
「シャンクスと名前が来た〜〜〜!」
ウタが走ってこちらにやってくる。ウタの近くには知らない男の子。
「赤髪海賊団の音楽家、ウタが今から歌を披露してあげる! ルフィ、ありがたく聞きなさいよ」
ウタが船員にステージを作るように指示する。私とシャンクスはウタの目の前の真ん中、特等席。私の横にはシャンクス。もう反対側には、ルフィと呼ばれた男の子。多分ウタより小さい。
「おれ、ルフィ」
「そこ、喋らない!」
ウタのリサイタルが始まる。ウタがルフィに注意してよかった。「わたしは名前」すら、上手く喋れる自信がない。ウタの周りを囲むのは船員と知らない人たち。この酒場のお姉さんとお客さん。沢山の人に囲まれて、ウタは楽しそうに歌う。ウタは歌が上手い。何度聞いても飽きない。初めて聞いた村人たちは歓声を上げたり拍手をしたり、とっても盛り上がってウタも嬉しそう。
「そうだ、名前! 一緒に歌わない?」
私が返事をするよりも早く期待の目が私にも向けられる。私はウタみたいに上手くない。ウタに向けられる期待が私にも向けられて、「嬢ちゃんも歌えー」とか、「楽しみだ」とかそういう声がいっぱい集まる。
「むり、だよ」
「お姉ちゃんと歌いたい〜〜! いいじゃんたまには一緒に歌ってくれたって」
こうなるとウタは聞かない。我儘モードでもうすぐ泣きそうで、目に涙が浮かんでいた。
「一曲だけだよ」
ウタが笑顔になる。
「やったー!」
ウタの隣、机のステージに私も上がる。沢山の人の目。歌が始まる。ウタが歌い始める。私の番、やっぱり上手くない。楽しそうに歌うウタ。周りの目ばっかり気になる私。さっきの時と観客の表情が違うことは分かってる。それでも楽しそうにウタが歌う。私に笑いかける。シャンクスも、楽しそうに笑ってくれている。
ウタの笑顔に拍手を送る。分かっているのだ。さっきとは反応が違うくらい。
「お前名前って言うのか〜」
隣にいるルフィが言う。私は頷いた。
「でも、私、ウタみたいに歌が上手くないから……」
恥ずかしくて、反応が怖かった。
「そうだな」
ルフィが私に言う。まっすぐこちらを向いて。
「知ってる」
知ってる。だから歌いたくなんかなかった。いつもだって歌わない。歌いたいとも言わない。悔しくて、泣きたくなんかないのに涙が溢れる。身体が熱くて、鼻の奥がツンとする。
「おいルフィ」
シャンクスがルフィに話しかける。私の歌が下手とか知ってるから、聞きたくない。走って酒場を飛び出した。太陽が眩しい。どこから来たのかも覚えてなくて、まっすぐに走った。息が苦しくて、鼻水は止まらないし、涙も止まらない。咽せて、転んで、その場で泣きじゃくった。起き上がることすらしない。
地面に溢れた涙で土の色が変わる。暑いからか落ちた涙はどんどん乾いていく。
「名前」
私の姿は大きな影ですっぽりと覆われた。シャンクスだ。
「聞きっ、たくない」
鼻を啜った。シャンクスの方は見れない。地面の影は覆われたまま。
「いつも我儘聞いてくれてありがとう。名前はちゃんとお姉ちゃんだな」
シャンクスが私を抱き上げた。背が高くなったって片手で抱き上げられるのだと思い知った。シャンクスの首に捕まって、顔を胸板に擦り付けた。顔を見られたくない。
「子ども扱いしないで」
「ちゃんとおれの女だって言っただろう」
知ってる。海賊扱いしてくれなくても、初めてシャンクスの女って、シャンクスが言ってくれたんだ。忘れるわけがない。
「ずっと側にいて。私、この村を離れる時もシャンクスと一緒にいるから」
膝がチリチリと痛い。転んで掌や膝から血が出ていた。
「おれは名前の歌、好きだ」
「じゃあもうシャンクスの前でしか歌わない。ウタにシャンクスからも言ってよ」
私とシャンクスは船に戻った。船長室でふたりきり。シャンクスは私が泣き止むまで背中を撫でてくれた。