怪異"銀砂"の以前の事件は10余年前まで遡る。
発見時刻は10時20分頃、定期的に廣瀬創史(34)宅に食料品の配達を行っていた食品店の店員によって事件は発覚し、間もなく通報を受けた警察が出動後、現場の異常な状況に間もなく資料課の出動が要請された。
廣瀬家で発見された遺体はほぼ全て、重篤な銀皮症を発症し、その皮膚の一部或いは全身が青灰色に変色していた。
捜査したところ、事件前日まで廣瀬家の人間は高血圧治療で通院の必要があった廣瀬はな(72)と虚弱者として度々医者の往診を受けていた少女以外、誰一人健康に異常はなく、銀皮症の症状や体内に銀が蓄積されている等の事実は存在しない。
廣瀬家の人々は前日から死亡時刻とされる8時前後までの間に、銀を大量に摂取し銀皮症を発症したということになるが、これは現実不可能である。
廣瀬家の遺体の直接の死因は肺に穴が開いたことによる気胸での窒息死が主であった。一部の遺体に脳溢血も見られたが、死に直結したのは気胸である。
気胸自体は珍しい疾患ではない。突然起こる自然気胸というものも存在する。
しかし廣瀬家の場合それらは該当しなかった。性別分布も半々程度、年齢も様々。そして自然気胸とは異なり、明らかに別の要因で肺が傷つけられて気胸が発生させられていたのである。
司法解剖により、気胸が発生したのは微細な金属片を吸引し、それらが肺を深く傷つけたことによるものと判明した。肺に残された金属粉ともいえる細かさの物質の性質は銀と判明。
しかし遺体の体内に残された物以外に物質は発見されず、その発生元も不明。また吸引したのみならば気胸は確実に起こるわけではない。
この事実の発覚から資料課はこの事件を怪異によるものと断定し、正式に捜査権を譲り受けた。
また、遺体の中で、上記の状況に該当しないものが発見されている。
自室のベッドに横たわった形で発見された遺体、廣瀬百合子(14)は、銀皮症の症状も全くなく、体内への銀の蓄積もなく、少女自身の死因は一切不明である。
しかし遺体として発見されるまで、少女は廣瀬家の中で唯一当時健康状況が芳しくなく、病弱者と認定され度々医者からの往診を受けている。
カルテに記載された内容には、銀皮症や銀中毒とこそ断定されていないものの、それに近い症状が記録されていた。
資料課は少女と原因怪異に何らかの関与があったのではないかと推測。
またこの際、当事件の原因怪異を"銀砂"と仮称。
廣瀬百合子の経歴調査と共に捜査が進められたが、原因怪異はその後事件を起こすことはなく、1年後未解決事件として捜査を終了することとなった。
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春の兆しは徐々に表れ始めていたが、日の姿は未だ早足に空の向こうへと去ってゆく。熱源がされば地はあっさりと元のように冷え切って、僅かな残滓すら風が浚う。人々は肩を竦め太陽に倣って足を速め、人工的な温かさに浸りながらのびのびと青天の元手足を伸ばせる春を、朝をまた待つのである。
さる少女は、そうして人々に目もくれられずに去ってゆく冬を、夜を好んでいた。ことさら、冬の空に冴え冴えと浮かぶ月を見上げるのが好きであった。一等好きなのは、明け方に消えてしまいそうに白く遠く見える月であったが、夜にくっきりと輝くそれも勿論美しい。防寒具はマフラー一つ。この夜の寒さには少々堪えたが、下ばかりを向いて歩くのは勿体ない。その日もまた少女は空を見上げながら家路を歩いた。
白い息を吐いた少女の視界にちかりと何かが瞬く。星であろうか、と思ったが、それにしては妙だった。
再び光った何かが、すいっと動いて消える。やはり星とは違うそれを追う様に首を動かして、少女は少しばかり驚いた。その時丁度、淡い月の光を雲が覆い隠し、少女に見えたそれは影のような輪郭のみであった。
道の端に、誰かが立っている。
比喩ではなく、本当に端だ。少女が歩いていたのは少しばかり高台にある家へと続く、左手は山へと続く木々が生え、右手は切り立った崖となっており転落防止の腰ほどの高さの柵が長く続く道であった。その柵の向こう、アスファルトから壁面を覆うコンクリートへ切り替わる境目のあたりにちょうど足があるだろう、というような場所に、立っている人影があるのだ。
少女はゾッとするような気持ちになった。今いる場所は、平地からは大分高い。柵に沿って歩いてきている少女からも、現状下に建てられてある家の庭までにどのくらいの高さがあるのかはよくわかった。少女のいるところで、既に2階分ほどの高さがある。転落すれば、死ななかったとしても骨折などは免れないだろう。
思わず声を上げようとしたところで、不意に風が吹いた。顔にぴしぴしと何かが当たり、思わず口を噤んで手をかざす。反射で細めた目に、人影の腰から下がふわりと揺れ動くのが見えた。何だか妙にかすんで見えたが、形状からして今自分が来ているのと同じタイプのスカートだろう。胸元からも何かがはためいている。もしかしてあれは、制服のスカーフではないだろうか。だとすればそこに立っているのは、同年代か、年上あたりの女子学生であるはずだ。そこまで考えが至ったところで、再び風。月を覆っていた雲が千切れ、流される。その時、目の前を何かちかちかと光る―――否、光を反射する、まるで砂かなにかのように細かい粒子が人影に流れていくのが感じられた。それを疑問に思う間もなく、少女は一瞬息を止める。
闇夜に溶け込むような色合いのセーラー服は、自分とさして変わらない型のはずなのにどこかおぼろげに感じられる。身にまとうそれとは対照的に、青白く光っている錯覚すら覚える足が伸び、袖から出た手が夜闇に浮いたように見え、その血の気のない面差しに色素の全くないような、瞳を隠して伺わせぬ白銀色の髪は人でない何者かという印象を強く与えた。その胸元の鮮やかな紅が、より一層浮世離れしたものを感じさせる。
サラサラと、砂が流れ落ちるような音が風に混ざり耳に届いた。薄靄のような、時折光る幻のような何かを纏ったそれがゆっくりと少女を振り向く。
真っ直ぐに少女を射抜いた瞳は赤く、それはうっそりとした笑みを浮かべている。
その耳元で、何かが月の光を反射して光った。
「 みつけた 」
―――その声を最後に、少女の記憶は一旦途切れる。
「なつかしい夢をみたんですよ」
ほんのわずか意識が浮上した時、記憶が途切れる前に聞いたものと同じ声が少女の耳に届いた。
「ええ、夢と言っても勿論、私達眠れませんもの。ぼんやりとしていた時に、何となく夢のように思い出したということです。以前貴女がいなくなった時の事です。その時、そう、その時は私は人でしたから、貴女が生きていてくださるなんて少しも知りませんでした。いなくなってしまった貴女を探しに行きたい、それもままならない身体が忌まわしくて仕方がなかった。そう、間もなく私の中にあったこの力に気付いて、身体無くともいられるようになり、全てを捨てて貴女を探しに出て、それから再び貴女にめぐりあった―――その時のことですよ」
声はまるで壊れ物を扱うようなそっとした音調で一つの名前を口にした。少女にはよく聞き取れなかった。状況が良く理解できなかったし、それ以前に酷く気分が悪く、恐らく横たわっている状態のはずなのに頭痛や眩暈のような感覚が襲い、倦怠感が重しの様にずっしりと身体に圧し掛かり、身動きもとることができなかった。
「あの時は、貴女には酷いことをしてしまいました。貴女があんまり、そう…随分、変わったように思えて、別の何かの様に感じられて…私の中の貴女を侮辱されたように感じたのです。本当に失礼なことです…貴女はいつだって貴女でしかないのに。…私は本当に、昔から、出来が悪い。貴女は否定してくださったけれど、私はいつもあの人の言うことは、少なからず当たっていると思うんですよ。だって、亡くなっていなかったとはいえ、貴女が最初に辛い思いをされた時、私何もできずに、その後だって貴女がいなくなるとはつゆ知らず横になってばかりでした。その上貴女の事を疑って、長いこと割り切れずに…」
この声は何を話しているのだろうか。今にもまた闇に沈みそうな意識の中、少女は漠然とその疑問を思い浮かべた。自分には見覚えの一つもないような事を、まるで語り掛けるかのように話しているのだ。或いは自分の他の誰かに話しかけているのかもしれないが、少女には事実がどうなのかはわからない。
「あろうことか、貴女を傷つけようとして、首まで…。…私は本当に駄目でした。身体を捨てても枷を捨てても、結局私はどうにもならない人間でした。母を失った時に、私はそこで止まってしまったままでした。嗚呼…。後悔してもしたりません。そう思うのも確かなのに、あの日貴女が私を許してくれて、傍に置いてくれると言ったことを思い返して喜んでしまうのですから、浅ましいものです。ねえ、そうでしょう?―――ねえ、みことさん」
今度ははっきりとその名前が聞き取れた。やはり話しかけているのは自分ではない、と思ったところで、何かに身体が揺らされた。触れたのは声の主であるようで、すこし身体を揺さぶった後にまた話し始める。
「眠った真似をしないでください、さ、目を開けて…私気づいたんです。あの日また貴女が消えて…貴女を愛していたのに、再開してからずっと貴女を心からは信じ切れていなかった、どこかで疑っていたことに。本当に馬鹿でしょう?だから、これからはもっと素直な気持ちで貴女の傍にいたいんです。今までの分まで、生きていた頃にもできなかったことを、貴女の隣でしたいんです。だってもう私たちの他に邪魔者なんていないでしょう」
邪魔者、というときに急に声色が冷えたのを感じた。制服を着るような少女らしからぬ、酷薄な声音であった。「ねえ、みことさん」声は再び知らぬ誰かの名前を呼び、少女の身体を揺する。揺すられる都度、頭痛や嘔気が増して喉の奥がえづく。どうにかやめてほしくて、けれども声は出そうにない。少女は声を聞きながら、ほんのわずかにでも目を開けられないかと苦心した。
「早く目を開けて、行きましょうよ。今度こそあの忌まわしい塵達を壊しつくしてあげましょう。前は意気地なしで、余り貴女の力になれなかったかもしれませんけれど、今度はきっと成功させてみせます。死体をたくさん操って、そう―――最初にあれを壊しましょう。貴女の身体を奪おうとした、貴女の偽物。ね、貴女もあれの身体が欲しいでしょう?できるだけ傷つけないように壊しますから、そうしましょう。そうすれば―――そう、すれば」
ようやっとのことで瞼をわずかに押し上げた時、声が止んだ。眼球の調子がおかしい。ゴロゴロとしていて、暗闇のせいかもしれないが、何も瞳に映らない。
「あ、…あ、あ、アアァァアアアァアアァアア!!」
それ以上開けていることもできず、瞼を下ろそうとした時、悲鳴が耳をつんざいた。
「違う違う違うこれじゃないこれじゃない違う違ういや違うそんなやだそんなやめてお願い違う違うの違う違う違う違う違う違うそんなわけない違うものそんな違ういやだやだやだやだやだ違うそんなのちがうちがわな」
再び悲鳴。物音。轟々と、風がなるような音がする。
「みことさんみことさんそうでしょうちがわないわよねねえ返事をしてねえ大丈夫でしょうあなたここにいるでしょうねえ私と一緒にいるわそうでしょ私一緒にいるあなたといるあなたはここにいるのそうでしょうねえあなたなんでしょうねえあなたいなくなってなんかいないでしょうわたしをまたおいていくなんてそんなことないでしょうねえみことさんみことさんみことさんみことさんみことさん」
狂ってる。痛みや苦しみで朦朧とする中、そう思うしかなかった。口にすることは叶わないまま、瞼を下ろして嘆きじみた声を聞く。
もうすこしで意識が落ちる、という時、わずかに意識が明瞭とした。何かが首元に押し当てられた。否、それは手であった。人の手の形をした何かであった。ひやりと冷たく、まるで金属のような、しかしどこか頼りないような、何かが少女の首を絞めようとしている。名前の連呼は、いつしか別の言葉に変わっている。
「許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許すものですかあの人を殺したあれをあの人に愛されてあの人に慈しまれてそれなのにあの人を奪った許せない許せない許せない許せない許せない許せない私はずっとそばにいたのにずっと守ってたのにどうして許さない奪うなんて許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない―――」
身体の感覚がしかとあればあがいたであろう。泣きわめき、そんな人は知らない、自分には関係ないと叫んで首を絞めるその手を掴んで足掻いただろう。それすら許されない少女は、絞め落とされていく苦しみを感じながらただその怨嗟を聞き続けることしかできはしない。震える事すらできず、少女はただ身体に、心に、その奥深くに、言葉と感情を刻み込まれ、深く傷となっていくそこへ苦痛を伴って刷り込まれていく。
そうして徐々に意識が白んでいき―――崩壊。
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はた、と。私は意識を取り戻し、同時に無気力感に襲われ、渾身の力を込めていた腕から力を抜きました。今まで掴んでいたものの本体が、弛緩してごとりと地に身体を委ねていました。その感触が、私に私を取り戻させたようでした。
私の下に横たわっているのは、一人の少女でした。セーラー服を身にまとい、背はそこまで高くはなく、茶髪のセミロングの髪は少し癖があり毛先が跳ねています。その特徴が彷彿とさせるものに、私はゆるく息をつきました。
「…ああ、また」
ところどころが青く色素沈着し銀皮症の症状が見られる彼女は、私が手にかけたのでしょう。
このようなことは、覚えているだけで3度目でした。探し始めてから、もうどれくらいが立ったのでしょうか。嘗てあの人が手にかけた人数からすれば、笑えるほどに少ないのでしょうけれど、それでも気分は良くありません。
私はするりと身体を解いて、その場から抜け出しました。森の中の小さなあばら家であったらしいそこの屋根の上に立つように身体を収束し、空を見上げます。はるか遠くに見える美しい月に、あの人を思いながら手をかざしました。けれども届くことはなく、またあくまで反射光に過ぎないその光は、私の空虚を満たすことはありません。
「…本物じゃあないと、意味がありませんのに」
そう。本物でなければ、意味がないのです。
それなのに、似ているものを見る度に意識が遠のき、洗脳されるようにそれだけで埋め尽くされてしまう。それは私が私として意識を保って行動できる限界を示しているのかもしれません。
生きる理由を奪われた私は、もうきっと長くはないのでしょう。空虚なままに生きるより、このまま詰まらない物質の一かけらとして自我を失い消えてしまうほうがきっと楽なのでしょう。あの人のいない世界で、息の真似事をし続けるよりは。
それでも私は、どうしてもまだやり遂げねばならないことがある。
「さあ、行きましょう…今度こそ―――」
愛しいあの人の為に、やらなければならないことがある。
私はそっと手をおろし、月に照らされる中身体を解いてまた空を渡りました。
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怪異"銀砂"は廣瀬家での事件後10余年沈黙し、別記載"死体操り事件"に置いて現れ、資料課職員の捜査を妨害。
附近で目撃された姿は死亡した廣瀬百合子の姿と似通っていたとされる。
当該事件の原因怪異討伐後、再び消息を絶つ。
数か月後、死体操り事件の現場から数十km離れた場所で被害を確認。
被害者とみられる女子中学生は現在も意識不明の重態であり、以前の事件と似通った症状から怪異"銀砂"の犯行であることが予測されていた。
また、"銀砂"の影響である症状に加え、被害者には扼痕が残されていた。
次の被害者も1件目と同じく女子中学生であった。
1件目とほぼ同様の症状であった少女は、奇跡的に回復し意識を取り戻したが、聴取は不可能。
深刻なPTSDを発症し、医師や親族との意思疎通も困難な状況に陥っていた。
ここで被害者の共通点が発覚する。
今回で2件目となるが、被害者の共通点は少なくなかった。両者とも同年代であり、また似通った制服を着用していた。背格好もほぼ変わらず、髪型もショートボブ~セミロング程度の茶髪であり、これは怪異"銀砂"が廣瀬家以来初めて姿を現した事件の原因怪異であった怪異"死揮者"とも共通している。
この件によって、怪異"銀砂"は討伐された怪異"死揮者"に執着していたのではないかと仮説が浮上することとなる。
怪異"銀砂"と関わりがあるとされる廣瀬百合子は生前、怪異"死揮者"の最初の被害者であり死後肉体に取り憑かれた少女との交友関係があったことが以前の捜査で判明しており、捜査員は怪異"銀砂"が廣瀬百合子本人であると仮定した。
後同一傾向の事件は完全に資料課管轄下のものとされ、捜査が進められる。
⇒to be continued...