事の始まりはラクーナがいつものように「打ち上げに行こう」と金鹿の酒場に誘ったところから遡る。
どうやらレンの故郷から酒が店に入荷したらしく、新しい酒のためにこしらえた食事がテーブルに並んでいた。ラクーナは酒の味を楽しみ、サイモンはその酒を使った料理についての知識を俺たちに語ってくれた。レンの故郷では調味料としても多用されるものらしい。
しかし、その酒が無色透明なのがいけなかった。
水が入っているコップと勘違いしてアーサーが酒を飲んでしまったのだ。
最初は機嫌良さそうにしていたアーサーだったが、次第に襲ってくる眠気に耐えかねたようでテーブルに突っ伏してしまった。
「急性アルコール中毒が出ているならともかく、眠いだけならメディックは付き添わなくても平気だろう」というサイモンの言を俺は論破することができず、フレドリカの視線を背に渋々アーサーをおぶって長鳴鶏の宿まで連れて行くこととなった。
「んぁ?ここ…?」
部屋を取る手続きを終えベッドに横たえたところでアーサーが目を覚ました。
「なぁエル、オレなんでベッドにいんの?」
俺は簡潔にアーサーが酒を飲んで寝てしまったこと、とりあえず宿に運んできたことを説明した。
「あーあれお酒だったのかー。どーりで熱いと思った。なんかふわふわするよなー」
年相応に大きい目が今は半開きだ。起こした上半身も前後にゆらゆらと揺れている。
「もう寝ろ。今日の予定はどうせ終わりだ。また明日から探索に戻るからゆっくり休むに越したことはない」
「ちぇっ、なんだよ一人だけ大人ぶって」
俺の言葉にアーサーは不満げな様子だった。構わず言葉を続ける。
「あの場で飲んでいたのはラクーナとサイモンだけだっただろう。第一、俺やアーサーに酒はまだ早ー…っ!」
刹那、俺は襟を掴まれ顔を上向きにさせられていた。
「子供扱いすんじゃねぇよ」
小さな体のどこにそんな力が残っていたのか、アーサーはベッドに膝立ちになって俺を見下ろしていた。眠気で焦点が合わないのか、顔がずいぶんと近い。
「お前はいいよな。背ェ高いし、サイモンにも認められてるし、もふもふだし」
アーサーが子供扱いされることを嫌うのは知っていた。以前酒場で冒険者に子供だからと軽くあしらわれ怒りを露にしたアーサーをサイモンが必死に宥めたところを見たこともある。
しかし、「まだ早い」という単語だけでこうも怒りのスイッチが入るとは思わなかった。
「おいエル。聞いてんのか」
俺からの返答がないことが気に食わないのか、両手で頬を挟まれる。アーサーの酔い方は絡み酒なようだ。ラクーナの絡みっぷりにはさすがに及ばないが。
頬を挟む力が抜け、そのまま頬に両手を添えるような形でアーサーは俺の顔をまじまじと見つめていた。何が楽しいのか。
「エルの髪の毛の色、やっぱキレーだよな。ボサボサのままにしてるのもったいねーよ」
そう思うのはアーサーの好きなコーディアルの色に似ているからじゃないのかーと返そうとしたとき、俺はアーサーの目の光が変わっていることに気付いた。あれはまるで故郷の村の男たちが狩りで獲物を仕留めるときのような、昂揚とした瞳の光ー
(ダメだ)
俺はそれを悟ってはいけない。彼にそれを自覚させてはいけない。
瞬時に言語化することを拒絶し、俺はアーサーの行動を遮るようにその頭を抱きこんだ。眠気のためか、抵抗する力はすぐに弱まりアーサーも俺の背中に手を回してくる。
「なあアーサー。これは誰にも言うつもりはなかったが…俺はまだ、部族の戦士としては半人前なんだ」
「ウソ…だろ…」
驚きで身じろぎしているのが頭越しに伝わってくる。
「嘘じゃないさ。ここでの依頼をやり遂げ故郷へ帰る。そうすることで初めて俺は一人前のハイランダーとして部族に迎え入れられるんだよ」
「だって…お前…すげー強いじゃん。あのケルヌンノスだって頭からズバーッといってザクッと刺してドカーンだったし」
「俺一人きりじゃあんな行動には出れない。お前たち全員で敵を引き付けてくれたからこそできたことだ」
抱きしめる力を緩め、硬い髪質の金髪を手で梳く。故郷の村の子供たちもこうしてやると安心してよく眠ったものだった。
「以前にも依頼を受けて遠出したことはあったが、こんなにも遠い地に赴くのは初めてだ。正直、少し心細かった」
「お前の口から心細いって単語が出てくるの、めちゃめちゃ違和感があんだけど」
「おい、今笑ったな?」
口調こそ咎めるようなそれだったが、俺もアーサーにつられて笑っていた。
「今でもあまり湿気の多い迷宮に馴染めている気はしないし、野営で一人起きているときにはふと不安に駆られることがある。敬愛する長、厳しく優しい両親、故郷に残っている仲間たち…そういったものが恋しい。そんな風に思ってしまうくらいには俺はまだ未熟で、子供なんだ」
子供、というキーワードに背中に回された腕が強張る。
「焦る気持ちは解る。でも、早く大人になりたいのなら結局俺たちは前に進んでいくしかないんだろうと思う。どうしようもなく、もどかしいけどな」
「んだよ…大人じゃんか、お前…」
「俺はまだ大人じゃないよ」
アーサーから掛かる重みが増したような気がする。眠気が限界に達しているのだろう。
「アーサー。この話は誰にもしたことがないんだ。どうかギルドの皆には黙っていて欲しい」
「ん…約束する…」
まだ記憶に新しい5日間の訓練で俺がした答えと同じ返事をアーサーは返してくれた。
もっとも、寝入り前のやりとりなので起きたときに約束を覚えているかどうか怪しいが。
アーサーの瞼が閉じた。張り付いたアーサーの体を引き剥がしベッドの毛布をかけてやる。彼が赤い普段着のままだということに今更ながら気付いたが、これ以上余計に自分の体を動かすのも億劫だったので襟巻きだけ取って枕元に置いておいた。
「エル…」
俺がベッドから離れることを眠りの淵にいながら察したのか、アーサーが俺のキルトを掴んできた。なかなか強い力で掴んでおりそう簡単には放してくれそうにない。サイモンが俺に介抱役をやらせた理由が理解できたように思う。毎回こんな寝かしつけ方をしなければならないのかと思うと溜息が出そうだ。
「おやすみ、アーサー」
頭を撫で続けているとキルトを掴む手がようやく緩んだ。その寝顔はとても幸せそうなものだった。