トロイの木馬
自分の事を、「頭がいい」とか「器用」とか「頑張り屋」とかエトセトラエトセトラ。
とにかく、そういう風に好意的に捉えたことがない。
それは、「自分」が何を求められているのか人より少しだけ敏感に察することが出来る──そういう処世術の副産物でしかないからだ。
世の中の通説では、人は五感の内持っていないものがあるとそれを補うように別の感覚が発達するらしい。自分の処世術も、そういうものだろうか。
人の意思を汲み取れるようになった。数多の悪意の中で溺れるように生きてきたから。
耳が良くなった。ちゃんと聴いていないと、自分の「声」にできないから。
頭の回転が速くなった。素早く「正解」を出さなければ自然には聞こえないから。
指先が器用になった。分かりやすい「特徴」だから。
はぐらかし方が上手くなった。──決して消えはしないから。
もし、世界がコンピュータのようにプログラムで出来ているのなら、謝られて生まれた自分はそのプログラムのバグなんだと思う。
謝られ、いつか叱咤に変わり、異常を起こさないように排除されていく。
排除されないようにトロイの木馬のように正常なふりをして生きていく。
でも
きっと自分は、
正常で、優秀なその木馬を脱ぎ捨てることはできないだろう。
珍妙で、小汚い木偶人形を押し込めて生きていくのだ。