香ばしくて甘ったるい関係香ばしくて甘ったるい。いい匂いが漂っている。動物性たんぱく質が焼けるにおいだ。
わずかに刺激臭がある。
生魚じゃない。生臭いっちゃ生臭いが海産物の場合は持続する。
ツンと一瞬だけ。くどくて苦い、自然界のものじゃない。
病室のような……。
思い出した。
抗生物質の特有の、強烈にくっさい。それが隠し味みたいだ。
鶏か? 間違いなく鶏だろう。抗菌剤まみれの餌が骨髄にしみている。ブロイラーの肉。
もちろん、こんな宇宙の果てに焼き鳥なんか在り得ない。
これは低酸素状態がおこす症状だ。
研ぎ澄まされた嗅覚が感じる、体臭。
俺の、におい。
ああ、余談をメモっている場合じゃない。船は絶賛減圧中だ。スペースデブリに当たってどこかに穴が開いたらしい。
治す機材も時間も体力もない。
空気が無くなる前にボイスメモしておこう。
どうしてこうなった
地球が滅びたきっかけは些細な事だ。
俺の番組に一通のメールが届いた。
「カネ乞い」の方法があったら教えてくれ、という突拍子もない内容だ。雨乞いならぬカネゴイだ。
そりゃあ、天から金が降ってこないかという成句は昔からある。今どき、昭和生まれのお笑い芸人でも言わない。
しかし、実例が皆目ゼロというわけでもない。
世界は広い。
1995年2月、イギリスでは空から大量の10ポンド紙幣が降ってきた。翌月にはマサチューセッツ州に7000ドルもの大金が舞い落ちた。
発信者は膨大な資料を添付して力説していた。ぜひ、原因を突き止めてほしいと。
彼は身分を明かした。元科学者だという。学部内の論文捏造スキャンダルに巻き込まれて引責辞任したらしく、仕事にあぶれている。
原理が判れば、それを制御することも可能だというのだ。
その熱意をくみ取ってやることにした。「ミッドナイト・サン」はどんなに些細で馬鹿馬鹿しい案件にも体当たりする番組だ。高視聴率を十年以上も維持して数え切れないほど表彰された。
取材してみるとオカルト分野では研究が進んでいるらしく、ファフロッキー現象という名前までついている。落下物は多種多様だ。川魚やカエルといったものから地球上にない金属まである。発生原因にはいくつか仮説があって、竜巻が有力な候補だという。
例の科学者は湾の内陸部に住んでいて、専門家の話では気象条件が整っているという。
「とにかく、その線で取材を続けよう」
俺は製作費を浮かせるためにシミュレーション動画をメインに据えた。
ところが放映一週間前になって依頼主から特ダネがもたらされた。あきらかに航空機と思われる部品が落ちてきたのだという。その日は雲一つない快晴で付近を飛ぶ機体もなかった。
俺は番組クルーを従えて現地へ飛んだ。
ひなびた漁村に船がもやってある。漁船は朽ち果てていて何年も操業していないようだ。
よくある海外ソース番組のようにカメラが玄関をくぐると気さくそうな老科学者が出迎えた。
「こんな辺鄙な場所にどうして?」
さっそく移住した理由をたずねると、一年ほど前から奇妙な現象が目撃されているという。
「見せたいものがあります」
彼は金庫から厳重に包まれた塊を取り出した。いびつな長方形で真っ黒に焦げている。
同行の専門家がひとめ見るなり、こういった。
「レンガですね」
すると老人は顔をほころばせた。
「そうですよ。レンガです。冗談半分でインターネットオークションに出してみたところ、飛ぶように売れましてね」
なんと、彼は空から落ちてきたレンガで食いつないでいるという。
「はぁ。ちなみにどんな客層が?」
その答えに俺はぶっ飛んだ。保温材だという。熱して真っ赤になっても素手で触れる。そしてかなり持続する。
「朝炊いたご飯が夕方までホカホカなんですよ」
「ぜいたくな使い方だ」
専門家が揶揄したこれは耐熱タイルだ。スペースシャトルの外壁に使われていて大気圏突入時の熱から機体を守る。
「でも、シャトルは二十年も前に引退した筈でしょう。在り得ませんよね」
だから、俺たちを呼んだのだと老科学者はうちあけた。
アメリカのNASAも流出するはずがないと断言したそうだ。耐熱タイルを入手する方法としては博物館か墜落現場から盗むしかない。どっちも無理ゲーだ。
「スペースシャトルのチャレンジャー号とコロンビア号は爆発して広範囲に四散した。耐熱タイルが今ごろ降ってくるわけが無いんだよ」
俺が指摘すると、老人は笑った。
「だから、その仕組みを調べようというんじゃないですか」
とにかく、世の中おかしなことだらけだ。まるで解明できていない。彼によると科学とは妥協の産物だそうだ。現象ありきで、屁理屈をこね上げる。それで矛盾なく説明できれば良しとする。
「そんなええ加減な姿勢でいいんですか?」
「あんたの番組だって同根じゃないかね?」
まったくだ。ぐうの音も出ない。
俺たちが議論している間に骨付き肉が焼きあがった。煉瓦のうえでじゅうじゅうと肉汁を垂らしている。
「スペアリブはいかがです。長旅でお腹が減っているでしょう」
「ああ、ありがたい」
俺は焼き肉醤油のたれよりも、ゴマ油とにんにくのすりおろしが好みだ。
ぷりっぷりの肉をハフハフとぱくつく。男の胃袋を鷲掴みする料理とはこういうものだ。
「ちなみに何の肉です?」
専門家が余計な気を利かせた。
こういう地元の珍味は正体を知らない方がいい。お互いの平和のためだ。
「それが、何の肉かわからんのです」
俺はトイレに走った。喉に指を突っ込んで吐きだそうした。
おかしなことに気分は悪くない。
それどころか満腹中枢が不満を訴えている。
もっと欲しい。
俺が席に戻ると老人は力説していた。
「毒も黴菌もありませんよ。清潔そのものだ」
そして番組クルーが持参した検査機器で立証して見せた。
アレルゲンも有毒なウイルスも検知できない。それが食える成分であることははっきりした。
さすがに手間ひまかかるDNA鑑定まではできない。
「2、3か月前ほど前からかな。新鮮な肉が降り始めたのは」
「よく食えますねえ」と呆れる俺。
「地元の子供たちも食っとるよ。わしが貪り食うまでは口にもしなかったが」
返す言葉もない。
今にして思えば、この時点から俺たちは狂っていたんだ。ミッドナイト・サンのスタッフともあろうものが謎肉を追及しない筈がない。
そんな不安も食欲には勝てなかった。
次に振る舞われたのは血のしたたる臓物だ。
「血? 血って食えるんですか?」
若いクルーが目を白黒している。ぱっと見にはレバーのような色だ。触感もプリプリしている。それをサイコロ大に切って鍋にいれる。
塩を一握りいれて弱火で煮込むと牛肉のような何ともいい香りがしてきた。
「猪血湯と言ってですね。台湾でも血の塊を食べるようです」
恐ろしいことをさらっと言ってのける。しかし、俺たちは老科学者の魔法にすっかりやられてしまっていた。
じっさいに口にしてみるとジューシーでとろけるような味わいがひろがる。
「こいつはいける」
俺は赤ワインといっしょに飲み下した。
やがて宴は朝を迎えた。二日酔いもなく、気分は爽快だ。
俺たちは散歩がてら、カメラを担いで近くの海岸に出かけた。
形だけでもロケしておかないと局のお偉方がうるさいのだ。
「では出発しましょう」
取材のペースはすっかり老科学者に握られていた。彼は嬉しそうに浜辺を案内する。
「それで、今日はどんなファフロッキーが?」
俺たちは天から授かりものが降ってくるという現場に案内された。そこは地元関係者以外は立ち入り禁止らしく、有刺鉄線や監視カメラで厳重に警備されている。
老人は腕時計を見ながら、空を仰いだ。
「今日はハズレかな?」
まるで漁師のような口ぶりでいう。空模様だけで成果が予測できるとは、いったいどれだけの収穫があるのだろう。
「あっ?」
クルーの一人が奇妙な物を発見した。
防風林の根元にカラフルな襤褸切れが引っ掛かっている。
「さわっちゃいかん!」
どこからか屈強な中年男性が集まってきた。俺たちの眼を遮るようにブルーシートをかぶせ、追いたてる。
「さっさと先生についていくんだ」
カメラマンが怒鳴られている隙に俺はチラ見した。気のせいだろうか、ボロ布にアルファベットが記されていた。
「たまーに降ってくるんですよ。あれは外道だ。何の価値もありゃせん」
老人はそういうと、先を急いだ。
ブルーシートとフェンスの要塞を超えると、テニスコートほどの空き地があらわれた。既に地元民たちが収穫をはじめている。
ピンクがかった半透明の薄い物体を懸命に拾い集めているようだ。
その合間を縫って女性たちが地面を掃いている。
そして、俺は見てしまった。
箒に絡みついた、黒や茶色や銀色のモジャモジャな物体を。
どしん、と誰かに体当たりされた。
目の前に煎餅が差し出される。村娘だろうか。二十歳ぐらいの女が無理やり作った笑顔を向ける。
「外道なんかより、美味しいですよ!」
確かに旨そうだ。パリッパリの生地に泥ソースを塗りたくる。いや、これは昨夜に出された猪血湯だ。
ひとくち食べて病みつきになった。
「うまい。もっとくれ」
「もっともっと!」
取材クルーはカメラを放り出して「それ」を貪り食った。
その時、「ビュウ」と南から突風が吹いた。もうもうと砂が巻き上がり視界が完全に失われる。
「こっちへ来て」
細い腕が俺の袖をつかんだ。女とは思えない怪力だ。
俺はその持ち主に心当たりがある。
「シズクやん! 東海ドロップスの!!」
大阪弁で呼びかける。
「せや! 東海林シズク。でも、本人とちゃうねん!」
ノリノリのリアクション。
そうだ。俺の知っているシズクは5年前に乳癌で亡くなっている。その彼女がどうしてここにいるのか。
すると心を読んだかのようにシズクは答えた。
「説明する時間はありません。私はクーネルフの敵対勢力から派遣された使者です。ミッドナイト・サンのクルーなら『おわかりいただけただろうか』」
あっ、と俺は短い声をあげた。
つまり、そういうことだ。彼女は人間ではない。
俺たちはクーネルフとかいう侵略者の罠に落ちた。ここはおそらく彼らの前線基地だ。
そして、正義の使者シズクが俺たちを救いに来たという次第だ。
わお。なんてB級なファーストコンタクトなんだ!
シズクはムッとしたように言った。
「違います。私たちとクーネルフは停戦状態にあります。それを維持するに値するかどうかは、あなた次第です」
どういうことだ。すると俺は人類、いや宇宙の平和を左右するリトマス試験紙にされているということか。
「戦争?! ああ、もちろん真っ平ごめんだ。平和がいいに決まっている!!」
俺は即答した。
考えるまでもない。
平和を愛する心は万国共通、いや、宇宙の普遍概念じゃないか。
するとシズクは悲しそうな顔をした。
そして、くしゃくしゃに丸まった白い布地を取り出した。
「広げてみてください。それでも答えは変わりませんか?」
言われたとおりにする。
襟に青い縁取りがついたシャツだ。破れていて胸に名札が縫い付けてある。
胸のあたりに赤い花が咲いている。
「3くみ。なかしろ ゆうこ?」
「これはさっき、防風林から飛んできたものです」
つまり、地元民が言っていた「外道」の正体って、これか。
うわーっ。
俺は猛烈な吐き気に襲われ……る、筈だった。
喉の奥からこみ上げてくるものは、胸の焼けるような液体ではなくて、さわやかで、すっきりした柑橘系の味だった。
どういうことだ。逃げ出したい気分なのに、食欲がモリモリわいてくる。
喰いたい。何でもいいから口にしたい。
「おう。あんた、こんな所にいたのか?」
「お、お前?」
砂塵の中からよろよろとカメラマンが出てきた。胸いっぱいに煎餅を抱えている。
どっかりと俺の横に腰をおろす。
「なかなかオツなものだぜ。こいつに合う」
彼をほおばりながら、ミニボトルを置いた。
赤ワインだ。
「一杯やれよ。仕事なんざ関係ねー」
「よせ!」
俺はボトルを払いのけた。
それはゆっくりと宙返りして、俺の顔に中身をぶちまけた。
「うえっ……?? うまい??」
完熟トマトのみずみずしさが乾いた喉を癒してくれる。
「おいっ、おかわりだ。もう一本、無いか?」
俺が催促すると、カメラマンは空中からボトルを引っ張り出した。
「おおっ、やるじゃねえか」
「だろ? 依存しちまうだろ?」
「するする。もっと、もっとだ」
「ほらよ」
「もっともっと、もっとだァァァ!」
癖になる味だ。俺はサルのように求め続けた。ボトルは無限に湧いてくる。
「もっとだああああ」
「うひゃひゃひゃ。ほらよ」
「キーッ!!」
乱痴気騒ぎを冷ややかな目が見守っていた。
シズクだ。
「貴方はなかしろ ゆうこさんのためでなく、自分を優先するのですね? 本当に、本当に?」
シズクが何度も念を押すが、俺の耳には届かなかった。
「そろそろ時間切れだ」
カメラマンの顔がどろりと溶けた。かわりに巨大な肉の塊が盛り上がってくる。
「何だよ、何なんだよ、これは!」
「この姿は仮の姿です。本当の私ではありません。でも、信じて下さい。あなたの味方です」
シズクはそういうと、肉塊の中に飛び込んだ。
ぐにゃり、と景色が歪む。
俺は必死でカメラを構えた。しかし、レンズ越しの世界はいつもと変わらない。
カメラマンもシズクもいない。
「おい、どこだ」
俺は叫んだ。
「ここですよ」
シズクはすぐそばに立っていた。
「ここはどこだ」
「ここは精神世界です。あなたが見ているのは私の記憶です」
「記憶だって?」
「ええ、私はクーネルフに造られたアンドロイドです。肉体を失ってもなお、魂の情報をコピーして存在し続ける存在なのです」
「SF映画みたいな話だが、信じるしかないようだ」
「では、これをどうぞ」
シズクは小さなカプセルを手渡した。中には黄色い粉が入っている。
「なんだ、こりゃ?」
「なかしろゆうこと融合したクーネルフのコアです。それを飲めば、なかしろゆうこさんの意識が覚醒します」
「そんなことをしたら、俺はどうなる?」
「死ぬでしょう。魂が消滅すれば、元に戻ることはできません。しかし、それがあなたにとっての幸せだと思います。このまま、クーネルフに忠誠を誓えば、永遠に生きられます」
「断る」
「なぜですか?」
「俺には家族がいるんだ」
「奥様と娘さんがいますよね。お子さんは病気がちだと聞いていました」
「ああ、そうだ。あいつらにはまだ、父親が必要だ。だから、俺は戻らなくちゃいけないんだ」
「理解に苦しみます」
「そうだろうな。俺にもよく判らない」
「……」
「とにかく、俺は戻る。そのためにはこの薬が必要なんだ」
「いいでしょう」
シズクが手を差し出すと、俺の手に持っていたはずのカプセルが握られていた。
「これは私が預かります」
「待ってくれ。俺はどうしても……」
「無駄ですよ。もうじき、あなたは死にます。それとも、彼女と共に生きる道を選びますか?」
「俺は……」
「もう時間がありません。さあ、決めて下さい!」
「頼む! 助けてくれ!」
「残念ですが、私の使命はここまでです。あなたがクーネルフに忠誠を誓うなら、命だけは助けましょう」
「誓う! 誓ってもいい!」
「ならば、行きなさい」
「わかった。行くよ」
俺は目を覚ました。そこは病院のベッドの上だった。
傍らに妻が座っている。
「ユウちゃん、大丈夫?」
「ああ、俺はいったい」
「急に倒れたって聞いたから」
「心配かけてすまなかった」
「ところで、あのね」
妻は何か言いかけたが、思い直したように口をつぐんでしまった。
俺は「ん?」
と聞き返す。
「ううん、何でもない」
シズクは俺の願いを聞き届けてくれたのだ。
俺はシズクに感謝しながら、なかしろ ゆうこを抱き寄せた。