酸味を抑えたコーヒーを、#2 そんな「思い出の店」にリトを連れていくことになるなんて、思ってなかったな!
今僕は、リトを抱えて走っているところ。抱え上げられたリトはフードをかぶって顔を隠していた。
さっき少し裏に入った道で、僕は知らない集団に襲われた。それだけならまだいい。僕一人くらい何とかなる。でもその時には僕のすぐ近くにリトがいたし、その後ろ姿に声をかけた後だった。
僕がターゲットだが、リトが僕の知り合いだとばれてしまった。だから今僕は、リトを抱えて逃げているんだ。
リトは僕の殺人衝動のことを知ってるし、それを仕事にしていることも知ってる。でも僕は、リトの前ではできるだけ殺しをしたくなかった。
……確かに、リトは殺害現場を見ても大丈夫かもしれない。そう思えてしまう落ち着きがリトにはある。
でも僕が嫌なんだ。リトに、僕が一番嫌いな僕を見せたくないんだ。
だけど逃げ続けるのには限界がある。僕は正直足が速いほうじゃない。それに相手は複数人いるから、回り込まれたら逃げられない。安全な家にリトを置いていこうにも、家から離れる方角に走ってしまったし、今の状態で僕らの家を知られるのもあまり良くない気がする。
だから僕は、あの店にリトを置いていくことにした。
肩に担いでいたリトを体の前におろし、耳に口を近づけた。
「お店の前で下すから、リトはその店にすぐ入って」
リトはフードから少し目を出して僕を見た。
「……大丈夫なの?」
「大丈夫。お店の人、僕のこと知ってるから」
リトは少し僕を見つめた後、ため息をつき、しがみついていた腕で僕の肩をぽんぽんとやさしく叩いた。
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カランとドアベルが音を鳴らす。
一応匿われたい身なので、不自然に見えない程度に急いでドアを閉めた。外の声が聞こえなくなる。
アディは大丈夫だろうか。私の見てないところでは化け物みたいに強い(らしい)から、一人にしたほうが本当の力は出せるのだろう。そう思って離れることを了承したけど、それでも心配は心配。
黄昏時も過ぎた頃。小さいけれど雰囲気のいいお店には、それなりにお客さんがいてテーブルも全部誰かしらがいたので、私はカウンターの端っこに座ることにした。なんだか他のお客さんに見られてる気がする。
気にしないふりをしながら店を進み、やけに高い位置にある椅子に座った。一見カフェのようだけど、カウンター奥にはいろんな瓶が並べられていて、多分カフェバーみたいなやつなんだろう。
っていうか、アディのことを店主さんが知ってるって言ってたけど、それって衝動のことも知ってるってことだよね?でそれを受け入れちゃってるってことは、それなりにヤバめの店なのでは?
ちょっと警戒しながらメニューを見上げていると、目の前、つまりカウンターの店側のほうに男の人が立った。この人が店主さんなのかな。
「こんな時間に外出歩いて大丈夫なのかい、お嬢ちゃん?」
注文しようとしたら先に声をかけられた。
「友達と待ち合わせしてるんです。一緒に帰るので大丈夫ですよ」
そう言いながらメニューを見ていて、コーヒーの種類がやけに充実していることに気づいた。
私は、血に混ざるコーヒーの香りを思い出していた。
「ふぅん、早めに来るといいな。とりあえず強めの酒でも入れとくか?」
「あ、そういうのいいんで」
なぜ連れを待つ間に出来上がらせようとするのか。っていうかこちとら未成年だぞ年確しろ。あれでもここ異世界だから関係ないのか?
メニューのコーヒーの種類の名前の下には、それぞれの特徴が書いてあった。しばらく読んでみたけど、なんとなくわかった気にしかなれなかった。こういうのはプロに任せよう。
「……それじゃ、酸味の抑えたコーヒーをください」
酒の件は冗談だと笑っていた店主は、私の注文を聞くと、少しだまって店の奥へ入っていった。
なにあの反応。
しばらく待っていると、店主が何か(豆かな?)持って戻ってきた。そして完成したコーヒーが、私の目の前に置かれる。
コーヒーの隣には、紙と、ペンと、小さな袋。
「…………えっ、なにこれ」
何かの注文票?もしくは日本で流行りの"キャラカクテル"ってのを作ってくれたりする店だったの?
私が戸惑っていると、店主が首をかしげていた。
「違うのか?」
「え、何が。いや、なんですかこれ?」
戸惑いながらも考えて、一つの可能性を思いついた。
「……酸味を抑えたコーヒーって、何かの暗号でした?」
「知らねぇなら知らないまま生きてな」
私の言葉で完全にこの「紙」の思惑のことを知らないと判断されたのだろう。コーヒー以外の物が下げられてしまった。そしてそのまま店主は、ほかの人の応対に向かった。
知らないなら知らないまま生きろ、か。
アディの家に居候するようになって、犯罪行為をしてたり何か後ろ暗い事情がある人と何人か会ってきた。その人たちと話す中で、何か隠語らしきものが飛び交うことがある。その言葉について聞いてみたとき、大抵似たようなことを言われた。
知らないなら知らないままでいろ。もしくはそれと似たような趣旨のことだ。
出されたコーヒーを一口飲んでみた。確かに酸っぱくないし香りがいい。ただなんていうか……ものすごいカフェインを感じる。有体に言えば、苦い。アディと一緒に住んでるうちに味覚まで似てきちゃったのかな。
「すみません、ミルク下さい」
ほかの人の応対が終わった店主を呼び止める。
にやにや笑いながら来られた。なんかむかつく。
「やっぱりお嬢ちゃんには早かったか?」
子供扱いをされている。まあ実際この国の標準からすると、私はとても小さいので、慣れてる慣れてる。
「友達が酸味ないほうがおいしいって言ってたんでお願いしたんですけど、やっぱ苦かったですね」
「友達って、待ち合わせしてるっていう?」
「そうです。よく来てるみたいですよ」
店主は、ふぅん、と軽く返し、またほかの作業に移っていった。
もっと突っ込んでくるかと思ったけど、と思いながらカフェオレと化したコーヒーを飲む。うん、飲める。っていうかこっちのほうがおいしい。
店主の手の動きを眺めながらコーヒーを飲んでいく。こんな小さなカフェバーでも結構忙しいのね。ワンマン運営だと飲み物の他にツマミも一人で作らなきゃいけないもんね。カウンターで飲み物を作ったり奥に引っ込んでったり、はたまたテーブルへメニューを運んで行ったり。
途中で飽きてメニューを理解しようとしてみたり、そういえば追われてるんだったと店のドアや他のお客さんに気を配ってみたりして。そうしてコーヒーを飲み終わったころ、横から誰かに声がかけられた。
振り向くと、店主がいた。
あれ?じゃあ今作業してるのは?と思ってカウンターの向こう側を見てみると、眼鏡をかけた男性がいた。っていうかこの人のほうが店主っぽいな。服とかきっちり決めてるし。あ、でも後頭部に寝癖がある。
「飲み終わったろ?ちょっとこっちに来てくれ」
店主……じゃないかもしれないから、眼鏡かけてないほうの、えっと、あ、首にスカーフ巻いてるからそれで呼ぼう。スカーフさんが、空いたコーヒーカップをカウンターの向こうの眼鏡の男性に渡して、店の奥のほうへ歩いて行った。
有無を言わさぬその言動に警戒したけど、アディの「お店の人はアディのことを知っている」という言葉を信じて、ついていくことにした。
連れていかれた先は、個室だった。設備が表と同じように結構きれいだから、バックヤードではなく特別な客室のようなものだと思う。
奥の個室に連れてこられたこと自体は正直ラッキーではある。アディを追ってた集団の誰かが来ても、ぱっと見ではわからないから。
先に座るよう促されたので、一番戸口に近い席に座る。一応、何かあったときに逃げられるように。まあ私の足で成人男性に敵うとは思ってないんだけどね……。
スカーフさんは私の斜向かいに座って、口を開いた。
「悪いな、突然こんな扱いしてよ」
「本当ですよ。これじゃ待ち合わせしてる友達が来ても気づけないじゃないですか」
「そう、その"友達"について聞きたいんだ」
スカーフさんはテーブルに頬杖をついて私を見た。
「本当にそいつは、うちの常連か?」
「……だと思いますよ」
雰囲気が尋問めいてきた。
どこまで話そうかと少し考えたけど、アディを信じて素直に話すことにした。
「お店の人が僕のこと知ってるよって言ってたので、そうだと思います」
「で、酸味を抑えたコーヒーを頼んでるんだな?」
「そのはずです。あの子酸っぱいのが嫌いなので」
……まどろっこしいな。
「アディっていうんですけど」
「名前は初めて聞いたな」
「えっうそ」
面倒くさくなって情報開示したのに、予想外の答えに戸惑う。
アディ、お店の人に名乗ってないの?!それ本当に「僕のこと知ってる」って表現して大丈夫?!
「……じゃ、見た目は?」
「それはわかるだろうな」
先を促される。そっかそれじゃあ、と特徴を挙げていく。
「でかくて前髪長くて、えーっと、黒い子です」
「雑だなぁ」
だってアディでか黒いもん。
「まぁ、お前のいう友達と、俺の思ってた男が同一人物だろうってのはわかった」
「こんな雑な説明でですか」
まあ、酸っぱいコーヒーが嫌いで、でかくて前髪長くて黒いなんて癖のある人が何人もいてたまるかってところではある。
「……お前、本当に彼と"友達"なんだな?」
「ええまぁ。……居候してるともいいますけど」
疑り深い人だな、とこちらから問題ない範囲で情報開示していく。
居候と聞いて、スカーフさんが少し反応した。
「一緒に住んでんの?」
「そうですね」
スカーフさんは何かちょっと考えてるみたいだった。
「どうやって二人分生活費稼いでるかも知ってんのか?」
「ええ……」
あぁ、なるほど。
「アディが危ないお仕事してることを私が知らないかもって、心配してくれたんですね?」
ほぼ確信して聞いてみると、スカーフさんは脱力して机に突っ伏した。
「なぁんだ知ってんのかよー……」
「まぁ現場に居合わせたことは無いんですけどね。夜中に血みどろで帰ってきたらそらわかりますよ」
つまり、「酸味を抑えたコーヒー」が好きな「殺人鬼」のアディと、見るからに一般人な私が「友達だ」って言うから、スカーフさんは私にアディのことをどこまで教えるべきで教えないでいるべきかを探ってたってことだ。もし私が何も知らないただの女の子だったら、うかつな発言をすれば今まで仕事のことを隠してたアディの努力が無駄になってしまう。
スカーフさんのこと警戒してたけど、ちょっといい人だったのかもしれない。
私がアディのこと大体知ってることを把握して、急激に部屋の空気が軽くなった感じがした。
「じゃあ教えてくださいよ。"酸味を抑えたコーヒー"って言って出てきたあの紙はなんだったんですか?」
「んー……まぁいいか。アイツの仕事知ってんだもんな」
スカーフさんは椅子の背にもたれてぎぃぎぃ言わせながら説明してくれた。
曰く、あれはアディに仕事の依頼をするためのものだそうだ。
そもそもこの店は表通りから結構離れた治安の悪いところにあり、まっとうな人はほぼ寄り付かない(異世界出身の私はそこをよくわかってなかった)。さらにこの国で「酸味を抑えたコーヒー」を飲む人なんてほとんどいない。だからこの店で「酸味を抑えたコーヒー」を注文することは「アディに殺しの依頼をする」という意味になる。そして一緒に出された紙にその人の情報を、紙袋にお金を入れるのだそうだ。決してカクテルを作ってほしいキャラの名前を書くのではない。
なんでもスカーフさんはアディの依頼人第一号らしくて、そのままこのお店がアディと依頼人の仲介を請け負ってるらしい。
ちなみに、そんな結構深めの関係にあるにもかかわらずアディの名前を知らないのは「お互いに名前を聞く機会を逃した」のだそうだ。コミュ障かよ。
「で、コーヒーの意味を教えたから、次俺の番な?」
「これターン制だったの?」
知らなかった事実に突っ込みながら、先を促す。
スカーフさんはニヤニヤしながら身を乗り出した。
「本当にただの"友達"か?」
「は?」
バァン!!!!!!!
セクハラですよ、と言おうとしたところで、部屋のドアが勢いよく開けられた。
「リトいる?!?!?!いた!!!!!!!」
「うわうるさ」
「体もデカけりゃ声もデケぇ」
ドアを開けたのは、180cm声の巨躯に黒コート、アディだった。
アディは私のほうに長い脚でずんずん歩いてきて、私の顔を両手で挟んだ。
「大丈夫?何もなかった?大丈夫?」
「大丈夫だよ。ちょっとこの人にセクハラされてたけど」
そういってスカーフさんを指さすと、アディはサングラス越しにスカーフさんをにらんだ。
推定戦闘後のアディだけど、どうやら顔と手はかろうじて洗ってきたみたい。でも髪が一部固まってたり、コートの隙間から見える服にはわかりにくいけど何かがこびりついてたりしてた。あと近くで見ると、手の爪の間に赤いものが挟まってる。これ職質されたらアウトでしょ。っていうかこの世界に職質とかあんのかな。
「……リト、見ててくれて、ありがとう…だけどさ」
おっ、久しぶりにみる人見知り警戒モードアディだ。声が低く、硬くなってる。
取引先の店員さんとはいえ、警戒はするんだね。
「常連とはいえお客さんが、女の子を奥に連れてくのは……どうかと思う」
……うん?
「アディ?この人、さっき店員さんしてたよ?」
「え?」
アディの服を引っ張って教えると、きょとんとされた。
「じゃあ俺はそろそろ店にもどるなー」
困惑してる私たちを面白がるように笑いながら、スカーフさんは部屋を出て行ってしまった。
腹いせに、スカーフさんに尋問されたりセクハラされたりしたことを悪意たっぷりにアディにお届けしようかと思ったけど、すぐ戻ってきてアディの血糊を拭くためにと布巾をくれたから、少し善意も混ぜてあげよう。
それから私たちは、カフェバーで晩御飯を食べてから帰ることにした。私はシチュー、アディはカルボナーラを注文。二人で分けっこしながら食べた。
私たちを追ってきた集団については、アディが「大丈夫」と言っていたからきっと大丈夫なんだろう。
そして、スカーフさんは店員かただの常連か問題の答えを聞いた。まず、スカーフさんと私視点で言うところの途中で出てきた眼鏡さんは、なんと兄弟らしい。スカーフさんが兄で眼鏡さんが弟。アディがこのことを知らなかった理由は、アディが店に行くときはいつも昼だかららしい。
昼はコーヒー好きな弟の眼鏡さんがカフェを、夜は兄のスカーフさんがお酒メインのバーを運営。眼鏡さんは日の出とともに起き日の入りとともに寝る生活をしているらしくて、今日は私のためにわざわざ起こしてきてくれたらしい。昼は後頭部に寝癖なんてありませんからね、と恥ずかしそうにして奥へ下がっていった。おやすみなさい。
それから話の流れで私は、もしもの時にはこの店に避難してきていいという許可をもらった。状況によっては、奥の個室を貸してくれるとも。
それから、危ない状況になったときの合言葉も決めた。