6/2更新【地下チル】SSまとめ
月に手を伸ばす愚者(ギルバート) ギルの独白
ぼくは君と出会い、二度目の恋をした。君と一緒に過ごしたくて、一度だけのつもりで君の時間をお金で買ったんだ。
君と過ごす時間は心地良くて、気付いたら両手で数え切れないほどに回数を重ねていた。後に残るのは虚しさだけだと理解していてもやめられなかった。
過ごせば過ごすほど君への思いが大きくなっていくのに、臆病なぼくは気持ちを伝えることなんてできなかった。言える訳ないじゃないか、臆病で自分本位なぼくに思いを告げられたって迷惑なだけなんだから。
それに気付いてしまったんだ。君が特定の誰かに思いを向けていることに。君を照らす太陽のような存在が居るってことに。
その人と上手くいってほしいと願いながら、どうか上手くいかないでと思うぼく自身に虫唾が走る。どうしてぼくはいつもそんな風にしか考えられないんだろう。どうして君の幸せだけを願えないんだろう。
もう頭の中が、心が、ごちゃごちゃしてきて思考を放棄してしまう。不意にまた君と一緒に過ごしたいと思ってしまう。
本音を言えば、ぼくはお客としてでもいいから繋がりが欲しかった。好きな君と過ごせるなら、どんな形でも良かったんだ。
それもいつかは終わらせなければいけないけど、それまではこのままでいたい。そして、たとえお金で買った時間だとしても、君と過ごせた喜びから、ぼくは笑顔でこう言うんだ。
「素敵な時間をありがとう。ヤート」
あとがき
エトワールさん宅のヤートくんのお名前お借りしました。
出会いとか考えてましたが、ヤートくんこんな行動するのかと不安になったのでばっさりカットしました。
失ったものと得たもの(竜胆) 竜胆の過去話
一部、非人道的な表現を含むので閲覧注意
これはオレと《アタシ》の人格がに二人に別れる前の話だ。
正直、二人になる前の記憶がどっちのかなんて、アタシ達にはどうでもいいんだけどね!
オレ達は昔、虐待を受けていた。オレ達を生んだらしいあの人達に罵られたり、殴られたり、蹴られたり。満足な食事なんて夢のまた夢だったな。それに加えて、本来は学校に通える年齢だったのに学校にも通えなかった。
あの時のオレ達には抵抗する力が無かった。だから、ただただ怯えて、隠れることしかできなかったんだ。
そんな幼いオレ達が今のオレ達になる切っ掛けとなった事件は、唐突に訪れた。
その夜はねー、いつもの罵声とか暴力がなかったんだー! あの人達が静かで不思議だなーって思ったんだよね! アタシ達に笑顔を向けて「面白い場所へ連れて行ってあげる」とか言ってきてさ! 今思い出したら薄ら寒いなー!
ちっちゃい頃のアタシ達は馬鹿だからー、嬉しくてあの人達と一緒に夜の街へお出かけしたんだよ! 今はなんで嬉しかったのか分からないけどね!
着いた場所は当時のオレ達には分からなかったが、街中にある使われていない倉庫の一つだろうな。そこには確か三人の男と一人の女が居た。そいつらはオレ達を値踏みするような目で見てきていたと、当時を振り返って思う。あの人達と何か確認をしているようだったな。
その後に突き飛ばされて、男達がオレ達のズボンを脱がしにかかった。あの人達に助けを求めても、あの人達はオレ達を見て嘲り笑うだけだった。
ズボンを脱がされると男三人がかりで取り押さえられて、口に布を詰め込まれた。それからすぐ、股間にヒヤリと冷たい感触がした。女がオレ達の目の前で恍惚な表情を浮かべて……悪いがこれ以上は話したくない。だが、股間に当てられたのはナイフだったことは言っておく。
その後、男達は激痛で暴れるアタシ達を押さえつけて殴ってくるんだよ! 痛かったなー! しかも、アタシ達が暴れるの止めたらー。
「もう男の子じゃなくなっちゃったね。お兄さんが女の子にしてあげる」
「いやいや、女の子にはならねぇだろ」
とか言ってお子様には見せられないことしてきたんだよ! 痛かったし、すっごく気持ち悪かった! しかも、しながら拳銃を見せびらかすようにアタシ達に向けてきたの!
外も中もすっかりグチャグチャになった頃にはもう諦めてたけどー、さっき見せびらかしていた拳銃が手に当たってさ! なんとなく拳銃を持ったら男がキレ出してー、拳銃を寄越せって奪おうとしてきたの! そうして揉み合いになった時に銃声がしたんだー! そしたら、さっきまで揉み合ってた男が倒れてきてさー!
その後は流石に拳銃を奪われてー、殺されそうになるんだけど、その時にアタシ達のヒーローが現れたの! そのヒーローは自主的に夜の街を巡回していた警官でー、銃声を聞きつけて駆けつけたって後から本人に聞いたんだー! あとは失血から気絶しちゃったみたいで覚えてないなー! 後から知ったんだけどー、アタシ達を生んだあの人達を含めて全員捕まったって!
目覚めたのは病院のベッドの上で、その時には《二人》に別れる兆しがあった。そして、先に目覚めたのは《アタシ》の方だった。
色んな検査を受けて、色んな刑事に事情を聞かれた。それが始まって間もなくオレが目覚めて、完全に《二人》になった。
しばらくは入院生活を余儀なくされたが、オレ達を助け出してくれた警官がお見舞いにやって来て「家族にならないか?」と言ってくれた。もちろん二つ返事でOKをした。
この日からオレ達は「衛闇竜胆」になった。
衛闇竜胆って名乗るようになって少し経ってからかなー?
テレビって興味なかったんだけどー、たまたま目に入ったとあるアニメを観たの! タイトルとか覚えてないけどー、勧善懲悪の話で目から鱗って感じだった! それで、悪い奴をたくさんやっつければ正義の味方になれるって思ったの! そして、正義の味方は、ヒーローは、アタシ達を助けてくれたおとーさんで、おとーさんは警官!
退院したら《オレ》がたくさん勉強してー、十歳で警官になったの! 拳銃の扱いも習えたよー!
でもね、警官になってすぐに、法律じゃ裁けない悪い奴がたくさん居るって気付いたの! それなら、おとーさんみたいに夜の街を見回りしてー、悪い奴を見つけたら退治しちゃえばいいよねって考えたの! おとーさんは退治までしてなかったけど!
まあ、そんな感じでアタシ達の正義ができてきたの!
アタシ達が《二人》になる過去の話と!
そして正義を形作った話はこれでお終いだ。
あとがき
竜胆の主人格に関しては匂わす程度に留めました。
お互いが対等だと思っているのでどちらかが主人格かどうでもいいんですよね。二人にとっては。
壊れて歪んでいてもなお進む(竜胆) 楽曲イメージ一週間チャレンジに投稿したものです
冷たい雨が自分達に降り注いでいた。
それはきっと、自分達の体温を奪い、さっき正義を執行した男と同じくらい冷たくなっているのだろう。
不意に《アタシ》と《オレ》どちらからともなくこんなことを思った。
自分達はどこまで異常なのか
さっき正義を執行した男が家族が居ると命乞いをしてきたからかもしれないが、本当の理由は分からない。
今までこの疑問が浮かぶ度に答えを求めたが、答えが出ることはなかった。
◇ ◇ ◇
アタシ達って壊れてるのかなー?
壊れてるだろ。正義の為に罪を犯しているんだから……それが必要悪だったとしても。
それでもアタシ達は自分達の正義を貫くんだろーね! 例えそれが社会にとって正しくないことだとしても、悪い奴はやっつけなきゃー!
そうだな……そんなオレ達は歪んでいるのかな?
歪んでるでしょー! 罪を犯して正義を執行してるんだから! 普通は正義の為に殺人なんて方法採らないもん!
それでもオレ達は正義の為に殺人を犯すんだろうな。法は悪を裁ききれないから。
誰にも理解されなくても、疲れても、悲しくても進むしかないんだよー!
それがオレ達の選んだ道で、もう後戻りなんてできないからな。
◇ ◇ ◇
結局、今回も答えが出ることはなかった。
自分達は誰かに与えることも、正義を失うことも、あの過去を忘れることもできない。
誰かに与えるものなんて持ち合わせていない。
正義を失うことは今までの自分達を否定する行為だ。
あの過去を忘れるということは悪を憎む気持ちを失うことだ。
自分達を理解してくれる人に出会ったことはないが、孤独と思ったことはない。
お互いERRORだらけでも、自分達は《二人》で〈衛闇竜胆〉なのだから。
それでも、冷たい雨は止まない。
テーマソング
-ERROR niki feat. Lily
あとがき
冷たい雨は理解者が居ない寂しさの暗喩です。
竜胆は二重人格者でなかったら孤独感で今より精神を病んでいたかもしれません。
雨よ、どうかやまないで(ギルバート)
お客として会いに行った夜、その帰り際、ぼくは好きな人に告白した。それはぼくにとって思わぬ形ではあったけれど、告白できて良かったと思ってる。
ぐるぐると煮詰まってしまった思いに終止符を打てたから。
ああ、でも、覚悟はしておかないといけないな。
ぼくはきっと振られるんだから。
告白して数日後の夜、同じ場所で彼の返事を聞いた。
「ごめんね。君の気持ち、僕は同じように返せそうにない」
予想通りの返事だった。
返事を待つ間たくさんのシミュレートをして覚悟していたのに、それでも悲しみは胸を貫く。その痛みはとても苦しくて、今すぐ泣き喚きたかったけど、ぐっと堪える。
ぼくの思いを真剣に考えてくれた彼に涙を見せたくなかった。
涙を堪えるのに必死で素っ気ない態度になっていたかもしれない。でも、涙を見せるよりはマシだと思ったんだ。
「君にはきっと、僕よりいい人が見つかるよ」
ぼくが帰ろうとすると彼はそんなことを言った。
「そうかな……そうだといいな」
そんな日は本当に来るのかな? なんて疑問を抱きながら返事をして、強がって微笑んでみせた。
部屋を出てドアを完全に閉めてから、ぼくは弾かれるように駆け出し、建物を出て、夜の街を全力で駆け抜ける。
体力がない所為かすぐに息が切れ、走れなくなり立ち止まる。すると、せきを切ったように嗚咽が漏れ出してきた。
ずっと我慢していた涙が後から後から溢れ出てくる。
ポツリ、ポツリ。
ぼくの頬から雫が落ちるのと同時に、空からも雫が落ちてきた。それはすぐに本降りとなり、ぼくの体を濡らしていく。
今なら雨が涙を隠してくれる。
それなら、思い切り泣いてもいいよね?
雨が降る夜の街でぼくは独り泣きじゃくる。
あとがき
という訳でフラれました!
ギルはすぐに切り替えられるほど器用ではないのでしばらく引きずります。それをひた隠しにしますが。
償いと感謝-俺が犯した罪の話-(茶也) 茶也の過去話
血、グロ、化け物表現注意
苦手な方は閲覧をお控えください
妹の抹美が生まれたのは俺が三歳の頃。
妹の誕生を今か今かと待っている俺に父はこう言った。
「兄妹仲良く、協力して生きろ。そして、抹美を守るんだぞ」
俺はその言葉に頷き幼いながらに誓いを立てると、父も俺達の祖父に当たる人から譲られたというドックタグを貰い、無邪気に喜んだ。後に犯す罪も知らずに。
抹美が生まれて一年経った、なんてことない穏やかな日に事件は起こった。
俺は抹美と一緒に折り紙で遊んでいた。その最中、俺は突然酷い頭痛に襲われ、呼吸もままならなくなった。そして、苦しくてのたうつ俺の目に一体の化け物が映った。
ぶよぶよとした赤黒い肉の塊が、無数に付いた目をこちらへ向け、全身の肉を波打たせながらこちらへ這い寄ってきた。
当時、その肉塊がなんなのか分からなかった。それに加えて、頭が割れるような痛みと上手く呼吸ができなくなった苦しさでまともな判断ができなくなっていた。
俺は自身の身を守ろうと近くにあったハサミを手に取り、化け物に振り下ろした。ブチュッ、という肉を裂く独特な感触と共に、化け物が耳障りな悲鳴を上げる。
ハサミを抜くと血飛沫が辺りに飛び舞い、俺の顔にかかった。もう一度肉塊にハサミを突き立てると再び耳障りな悲鳴が聞こえた。
「茶也!!」
あの時は幸いにも今よりサイコセルの進行が進んでいなかったのだろう、母の怒号で我に返れた。だが、目の前で起こった惨状に凍りつくことになる。
自分が持っているハサミが、抹美の首に突き刺さっていたのだ。
俺は放心状態で父に抱き締められていた。無意識に母に抱き抱えられた血まみれの抹美へ手を伸ばそうとしたが、その途中で意識は途絶えてしまった。
目を覚ました場所は病院だった。傍には母が居て、その目には涙があった。
抹美が無事かどうか聞きたかったが、そんな暇もないほどに慌ただしく医師がやってきた。医師に一通り診察されると、俺は覚えていること全てを話した。医師曰く、俺のサイコセルが重度化していて症状も変化してしまった可能性があるのだという。
診察が終わると母は俺に、抹美は無事だから今は休め、と言った。それに安心し切って俺は呑気に療養を始めた。
全て後で知った。本当は抹美の命が危なかったこと、喉の傷が深くて声帯が傷付き声が出せなくなってしまったこと。
俺が抹美を殺しかけたのだ。そう考えるようになってから、抹美を呼ぶ声と抹美の顔で、抹美を殺しかけた日の出来事がフラッシュバックするようになった。酷い時にはサイコセルの症状が出て暴れることもあった。
俺のフラッシュバックの所為で、抹美は両親から抹茶というあだ名で呼ばれるようになった。
両親は病気だったのだから仕方ないと言う、抹美はあんなことをした俺を未だに慕ってくれている。三人とも傷付けてばかりの俺を気遣ってくれた。
俺は、どうすれば俺から家族を守れるのか、ずっと考えていた。
そして両親の死後、俺は答えを出した。抹美と離れて暮らす、これが一番良いのだと。自分から遠ざけることで抹美を守れると思った。寂しい思いをさせるかもしれないが、俺と一緒に居て取り返しのつかないことになるよりずっといい。
抹美と離れる日、俺は父から譲られたドックタグを抹美に渡した。亡くなった両親がきっと抹美を守ってくれる、そう祈りながら。
あれから随分と時が経った頃、従兄弟の勝之助が現れた。抹美と会ってくれないか、という勝之助の言葉に首を縦には振れなかった。そんな俺に勝之助は、暴れた俺を止める、と力強く言ってくれた。その言葉にどれだけ救われただろうか。自分は勝之助の言葉を信じ、再び抹美と会うことへの踏ん切りがついた。
久しぶりに会った抹美は、優しい子になっていた。そして、言葉を話せるようになっていた。その声で俺がことある毎に郵送で送っていた贈り物の礼を言ったのだ。言葉を途切れさせてしまうのは後遺症なのだろうか、だがそれでも抹美の声が再び聞けるとは思わなかった。俺が泣き出してしまい、抹美と一緒に居た勝之助を困惑させてしまったのは恥ずかしかったが、会えて良かったと勝之助に感謝した。
抹美と再会してから三人でちょくちょく会うようになった。しばらくすると勝之助が居なくても会うようになり、今まで郵送でしか送れなかった贈り物も、直接手渡しで贈れるようになっていた。
そんな日々が始まって季節が巡り、俺は十七歳になった。もうすぐ寿命が訪れて死ぬ。それまでに少しでも抹美への償いと、抹美と再び会わせてくれた勝之助への恩返しができるよう尽力していくつもりだ。
あとがき
優しい家族の労わりが優しい茶也を苦しめた、という皮肉が入った話でした。そして、欲しい言葉をくれたのは今まで会ったことのない、抹美から話を聞いていただけの勝之助というね。
両親もとにかく茶也のサイコセルを軽くしなくてはと躍起になっていたのでそこまで頭が回らなかったというのもあります。一概に誰が悪いという訳ではないです。
心の穴(ギルバート) 彷徨うギルバート
ヤートにフラれてから数日が経った。あれ以来ヤートとは会っていない。ヤートのお客でいられる図太さを持ち合わせてはいないから。
それでも寂しいのは変わらない。むしろ、今までヤートと共に過ごした時間が尊いものだった分、心にぽっかりと空いた穴が広がったようだった。だから明かりのない夜の街を歩いてしまう。
ふと、また体を売ろうかな、という気持ちが浮き上がってくる。以前、ぼくがそういうことをしていた頃に、お客との待ち合わせで使っていたLibertà(リベルタ)というバー、そこに行けば以前のお客に会えるかもしれない。淡い期待を胸にぼくはLibertà(リベルタ)へ向かった。
地下への階段を降りてLibertà(リベルタ)への扉を開く。中に入ってざっと辺りを見回すけど、ぼくが知っている人は居なかった。
がっかりしながら空いていたカウンターの端っこの席に座る。少し顔の怖いマスターにノンアルコールカクテルをおまかせで注文した。
マスターは鮮やかな手つきでぼくの注文の品を作り、綺麗な色のカクテルが入ったグラスをぼくの目の前に置く。この色からシンデレラというカクテルかな、なんて予想しながらカクテルを楽しんだ。
飲み終わるとカウンターにチップを含めた多めのお代を置いて店を出る。
カクテルは確かに美味しかった。でも、それだけじゃ心の穴は埋まるわけがなかった。やっぱり体を売るか、誰かを買うしかないのかな。
分からない。どうすればこの心の穴を埋めることができるのか。
分からない。ヤートへ向けていた思いをどこに捨てればいいのか。
分からない。自分がどうしたいかでさえ。
あとがき
ギルこれ大丈夫かね?
まあ、楽しいので好きにさせます。
エトワールさん宅のヤートくんのお名前お借りしました。
実験体No.M-128Aの末路(朔) 朔の過去話(改訂版)
朔はかつて、実験体No.M-128Aと呼ばれていた。この名にいい思い出はない。痛くて、苦しい。それだけ。
時期は把握しかねるが、実験の過程で黒かった髪が銀に、右目と同じ緑だった左目が赤になった。この変化により体の隅々まで調べられた。
最終的にM-128Aの脚が壊死した。壊死した部分を切断、その後実験が続行可能か検査をされた。
下された結果は続行不可能。M-128Aは廃棄処分となった。
まだ息がある状態で廃棄場へと捨て置かれ、M-128Aは餓死を待つだけになった。逃げ出す気も、逃げ出す脚もなく廃棄物の上で初めて空を見た。狭い天井しか知らないM-128Aは自分を吸い込むような空に恐怖した。
そんな中、足音が聞こえた。その足音の正体は、後にロボット技師の師匠となり、番となる空だった。
空の手でM-128Aは廃棄場から抜け出した。その先にあったのは、様々な人間の様々な感情が入り交じった視線だった。
M-128Aは感情を知らない。ずっと物を見る目で見られていた。自分へ無遠慮に向けられる、得体の知れない感情がこもった視線に恐怖した。
M-128Aは〈岩戸朔〉という本来の名前を知り、空の保護下に置かれることとなった。空は朔を自身の弟子とし、ロボット技師としての技術を教えた。
朔は日常生活がままならない上に視線への恐怖から引きこもり、空の世話になることが多かった。空は嫌がることなく朔の世話をしてくれた。
空だけが恐怖を抱かず接することができた。その後、空のお陰で優しい眼差しを知った。愛おしむように向けられる視線を知った。怖いものばかりではないということを理解した。一部の人間だけだが、空以外に接することができるようになった。
そんな生活が続いていたある日、空が番になってくれないかと懐中時計を差し出してきた。一般的に番になる相手に贈るのは指輪だと書物で読んだが違うのかと質問すると、空は笑って一般的には指輪だけど朔と一緒の時間を刻みたいからと言った。断る理由は無く、朔も空が大好きだから受け入れた。
番になって一年程経った頃だろうか。空はサイコセルの影響で常に難聴になり、今までのような仕事ができなくなった。朔は空の仕事を引き継ぎ、空は朔を抱き締めることが多くなった。
空の仕事を引き継いでから一年経った頃、空が死んだ。寿命だった。朔は空の年齢を知らなかった。
空が死んでから自分のことがどうでもいいと思うようになった。でも空から引き継いだ仕事は手を抜きたくない。それに仕事に集中していれば何も考えずに済む。
あれだけ恐怖していた人の視線が気にならなくなった。あれだけ色付いて見えた世界が味気ないものに見えるようになった。
でも、ソイルと一緒に居る時だけは心が安らぐ。朔の唯一の友人は、きっと朔が塞ぎ込まないように気遣っている。それが嬉しい。
空の死は、朔から多くのものを奪った。その喪失感は朔が死ぬまで続くだろう。
それでも残ったものがある。その残ったものが、後ろばかりを向いてしまう朔に前を向かせてくれるのだろうか。
あとがき
朔の設定が変更になったので以前書いたものに大幅な加筆修正を行いました。
朔が名前で呼ぶので師匠に名前があります。
師匠が亡くなったのはつい最近のことで年齢のことは朔に隠してました。
ゼンさん宅のソイルちゃんのお名前お借りしました。
心の穴、未だ埋まらず(ギルバート) 未だに捨てられないギルバート
ある日、Libertà(リベルタ)に行ったら男に声をかけられた。男はフィッシュと名乗り、話をしてみるとどうやら自分の売り込みみたいだった。
ぼくへの接し方を見て、ぼくはフィッシュの時間を買うことに決めた。今思うと本当は誰でも良かったのかもしれない。寂しくて眠れない夜を終わりにしたかったから。
ぼくは本名じゃなく、以前売っていた側だった頃に使っていた名前〈シャイン〉と名乗って、フィッシュに導かれるままホテルへと足を踏み入れた。
一通りのことを済ませ、フィッシュと共にホテルを後にする。
率直な感想を言うとすごい良かった。ぼくの様子をよく見てそれにすぐ対応してくれるフィッシュが心地良くて、一瞬でも寂しさを忘れられた。
でも、心の穴は埋まらなかった。やっぱり一度だけの遊びで埋まるわけないよね。
フィッシュと別れた後の帰り道、今回の報酬を払った時にフィッシュから貰った紙を思い出す。確か、あの紙には連絡先が書いてあった。
またお願いしてみようかな。次も同じかそれ以上のサービスを受けられるようにチップを弾んだんだから。
何度も遊べば、いつか心の穴は埋まるのかな。
何度も遊べば、いつかヤートへの気持ちを捨てられるのかな。
お金を出したら、フィッシュはそれに付き合ってくれるかな。その為に利用してもいいのかな。
Libertà(リベルタ)で前にぼくの顧客だった人に会えたら、遊んでくれるかな。
誰か助けて。ぼくの心が完全に壊れる前に。
誰かぼくと遊んでよ。ぼくに寂しさを忘れさせて。
あとがき
ギル、あらぬ方向へ思考が飛びましたね。親としてはなんかギルらしいなーで落ち着いてますが。
名前に関して、ニトロさん(フィッシュさん)にはシャインと名乗りましたが、ヤートくんにはファーストネームのギルバートのみ名乗ってる感じになります。つまりヤートくん、ギルのファミリーネームは知らないかと。
ゼンさん宅のニトロさん(フィッシュさん)、エトワールさん宅のヤートくんのお名前お借りしました。
それは残酷で甘やかな(ギルバート) ギルバートの選択
「あ、あの!」
ぼくが勤めている病院で突然呼び止められた。
呼び止めたのが誰かなんて声だけで分かる。
ヤート。会いたいと渇望するのに、会いたくなかった人。
本当は今すぐにでも逃げ出したかった。でも、他の人が居るから逃げ出せなかった。この後のことを思うと、逃げ出せなくて逆に良かったのかもしれない。
「あっと……話がしたいんだけど……時間ってあるかな?」
丁度、休憩中だったから大丈夫だと返事をした。
その後、ヤートの同意を得ると、あまり人が来ない非常階段の踊り場に案内する。外だけど、上の階の踊り場で影ができるからヤートでも大丈夫だし。
目的地に着くと、ぼくの方から話を切り出す。
「あのさ、この前の話……の事なんだけど」
ヤートが言った〈この前の話〉それだけでぼくが告白した時の話だとすぐに分かった。
今更、ぼくに何を言おうというのか。
あの時の痛みを思い出すと悲しみが胸に広がってくる。泣きそうになるのをぐっと堪えた。
ぼくが相槌を打つとヤートは更に続ける。
「こんなこというの、すごく図々しいかもしれないんだけど……あの返事ちょっとなかったこと……なんてできる、かな?」
ヤートの言ったことが一瞬、理解できなかった。訳が分からない。ヤートが何故こう言ったのか意図が分からない。
困惑しながら意味を問う。
「えっと……僕と、ちゃんと友達になって欲しいんだよ、っていえば、いいの、かな……」
友達? ぼくの気持ちを知っているのに友達になってほしいの?
受け入れるときっとぼくの心はすり潰されるだろう。
でも、ヤートから差し出された手を拒むことなんてぼくにはできない。
ぼくは、残酷だけど甘やかなヤートの申し出を受け入れた。
ヤートがぼくの返事に驚いていたところを見ると、きっとぼくが断ると思ってたのかもしれない。ぼくがヤートの立場だったとしたら、そう思うし。
お互い改めて自己紹介をすると、ぼくはそろそろ戻らなきゃいけない時間になった。
「じゃあ、また休みの日にでも遊びに行こう」
ヤートの言葉に胸が踊った。夜じゃない、明るい昼の時間にヤートと一緒に居られる。
嬉しくて、プライベート用にしているメインの連絡先を書いたメモをヤートに渡した。
きっとぼくはこれからまた沢山泣くかもしれない。
例え心が千切れたとしても、ぼくは友達としてヤートの傍に居る道を選んだ。
ヤートが好きだから。
それに、いつかヤートへの思いが風化して純粋な友達になれるかもしれない。そんな日が来ることを祈ろう。
あとがき
ギル、ヤートくんとお友達になりました!
ただ、ヤートくんとお友達になったことでヤートくんへの思いは死んでも風化しません。残念だったな、ギルバート! 祈ってもそんな日は来ねぇぞ!
エトワールさん宅のヤートくんお借りしました。また、交流でのヤートくんの台詞を引用しております。
同じ色(ギルバート、柘榴) ギルバートと柘榴の出会い
一組のとある男女の番がおりました。
その番は子どもが欲しいと思っておりましたが、一向に授かる気配がありません。
そこで番は体外受精による代理出産という方法を選択しました。
しかし、今度は別の壁に突き当たりました。自分達の子を産んでくれる女性が中々見つからないのです。
外出禁止時間に自分の体を売っている娼婦にまで候補を広げ、ようやく代理出産を引き受けてくれる女性を見つけました。
番は女性に報酬金額の半分を前金として渡し、出産までの衣食住を保証することを約束しました。
そして、女性に生まれた子とは一切会わないことを条件に出し、女性はその条件を飲みました。
番の受精卵が女性のお腹の中ですくすくと成長し、女性のお腹が目立ち始めた頃、事件が起こりました。
なんと女性が忽然と姿を消してしまったのです。
女性は自分のお腹で成長していく子に母性が芽生え、お腹の子を番に渡したくないと逃げてしまったのです。
番は女性の裏切りに嘆き、怒り、他人は信用できないと不妊治療に切り替え、不妊治療をしながら我が子を捜すことにしました。
そして、その四年後。同い年であった番が揃って十七歳になった時、捜していた最初の子を見つけることはできませんでしたが、待望の子どもを授かることができました。
番は男の子である我が子に《ギルバート》と名付け、ギルバートが十歳の誕生日になった時に届くよう手紙を出しました。
そして、ギルバートが一歳になる前に寿命で亡くなりました。
一方、女性は逃げ出した後、自分が居た場所に戻り、娼婦仲間の手を借りて娘を出産しました。
女性は生まれた娘に《柘榴》と名付け、娼婦をしながら柘榴を育てました。
そして、柘榴が四歳の頃、女性は柘榴を遺して寿命で亡くなりました。
──それから十数年の時が流れました。
◇ ◇ ◇
ぼくは知っている。
ぼくには姉が居るということを。
それを知ったのは十歳の誕生日に届いた両親からの手紙。
そこに書かれていた内容から、ぼくの姉は《艮》という名字を名乗っている可能性が高いと推測した。
でも、そんな推測は本人を目の前にしたら無意味なものに変わった。
今、ぼくの目の前に居るマント姿の人物はぼくと同じ色を持っていたから。
「あ、えっと……君の名字って……艮、かな?」
無意味なものになってしまったのに思わず聞いてしまった。
目の前のマント姿の人物は、表情の読めない顔で口を開いた。
◇ ◇ ◇
目の前の白衣姿の少年の色と白衣に付いている名札を見て、思わず舌打ちをしたくなった。
木舟ノアが《ギルバート・ジョンソン》という名を愉しそうに教えてきた理由を悟ったからだ。
ノアは気付いていたのであろうな。
ギルバートが我輩と血縁関係にあることを。
そして、反応から察するにギルバートも気付いたようだな。
「あ、えっと……君の名字って……艮、かな?」
ギルバートがそんなことを聞いてきた。
何故姓のみ聞くのか疑問に思ったが、ギルバートは我輩の名の方は知らぬのだろうと推測する。
「確かに我輩の姓は艮だ」
我輩が肯定すると、ギルバートは表情を喜色に染め、希望に満ちた目をして我輩を見上げてくる。
「! じゃ、じゃあ……」
「例え、血が繋がっていたとしても、我輩はお前と仲良くする気はない」
遮るようにそう言うとギルバートの表情はたちまち悲哀の色へと変わる。だが、我輩の知ったことではない。
此奴が真っ当な人間であれば、我輩のことを知った時点で我輩と血縁関係にあることを悔やみ、我輩を正そうとするだろう。そうなったら色々面倒だ。
面倒事の芽は早い内に摘んでしまわねば。
「我輩は行くぞ。もう二度と会うこともないだろう」
マントを翻しその場を立ち去る。
次に会った時、ノアに聞きたいことが出来た。覚悟しておけ。
あとがき
柘榴、「二度と会うこともない」と言ったけど今後は割とよく会うぞ。
あとノアは気付いていたんじゃなく全て知っていたから怒っていい。
ギルと柘榴、二人の解説すると、性格の相性は悪くないのですが柘榴は絆されにくいので今後仲良くなれるかは微妙なところだったりします。
君は幸せ?(晏) 晏の後悔と晏がちょっと救われた話
ボクが学生の頃、所属していたクラスでイジメがあった。
イジメの標的とされたのは、《ギルバート・ジョンソン》という半分イギリス人の血を引いているという少年だった。
最初は無視から始まった。それを始めたのはクラスの中心になっているグループだったから、ギルバートとそれなりに仲良くしていたクラスメートも離れていき、ギルバートは独りぼっちになった。
そして、段々とギルバートへのイジメはエスカレートしていった。
掃除を押し付けるのは当たり前、ギルバートの物をギルバートの目の前で壊すことも日常と化していた。
最終的にギルバートへの直接的な暴言や暴力に発展していった。
ボクはギルバートのイジメが始まってギルバートが独りぼっちになった頃、ギルバートに話しかけようとした。でも、意図的にギルバートに避けられ、友達に止められた。
そのあとボクは、ただ黙って見ない振りをした。
ギルバートへのイジメがエスカレートしていくと、ボクは「ギルバートと関わらなくて良かった」とホッとしてしまったんだ。
そんな自分にショックを受けた。自分はそんなことを思う最低な人間だったのだから。
最低な自分を誤魔化すように誰にも見ていないところでギルバートを助けるようになった。
こんなことをしても無意味だと、なんの罪滅ぼしにもならないのだと、単なる自己満足だと分かっているのに。
あれからギルバートは医学科へ進んだ。
ギルバートを見かけることはなくなったけど、イジメの終焉は呆気なく訪れた。
これでギルバートは解放される!
ボクはそのことを大いに喜んだ。
でも、ボクはボクの罪を忘れない為に何かで自分を戒めようと思った。
それで始めたのが女装だった。
ボクは女装をしたい訳でも、女になりたい訳でもない。心だってちゃんと男だ。
本来の自分に反することをすることで、自分を戒めようと思ったんだ。
学校を卒業して、探偵事務所に就職して、見習いからやっと一人前になった今、女装を利用するくらいに馴染んでしまったけど。
ギルバートは今幸せなのかな?
ボクはそれだけがずっと気がかりだった。
またどこかで苛められていたら、今度は助ける。それだけの力が今はある。
でも、一番はギルバートが幸せで笑っていたら良いなあ。
気付いたら、疑問の答えを知るチャンスが転がってきた。
だって、目の前をギルバートが歩いていたのだから。
「ギルバート!」
「へ? あ、えーと?」
ギルバートに声をかけたら、ギルバートは困惑していた。
まあ、髪を伸ばして女装していれば分からないよね。
「城木晏って言えば分かる?」
「あ! ……随分と変わったね?」
「うん、まあ、色々あって……っていや、そんなことより」
ボクはギルバートに向かって深く頭を下げた。
「あの時、ギルバートを庇えなくてごめん!」
「え? あ、ああ……いや、でも晏が謝ることじゃ……ぼくは晏に救われてたし」
ギルバートがボクに救われてた?
ボクはギルバートに何もしてあげてない。
だって、やったのはただの自己満足なんだから。
「ボク、自己満足の為の中途半端なことしかしてない……」
「自己満足で中途半端だったとしても、それでも救われたんだ。だからサイコセルも重度になるまで悪化しなかった。ありがとう、ぼくを助けてくれて」
「な、んで……お礼、なんて……」
ポロポロと涙が溢れてくる。折角のメイクが崩れちゃうのに。
ギルバートはボクが泣いていることに気付くとハンカチを差し出してくれた。
それに甘えてハンカチを借りて目頭を押さえる。
ずっとずっと不安だったことが溶けていった。
ボクの自己満足がギルバートを更に追い詰めていたらどうしようって不安だったんだ。
ひとしきり泣いた後、ギルバートから借りたハンカチを見る。
案の定、ハンカチにメイクが付いていた。
「ハンカチ、ごめん。買って返す」
「別にいいよ」
「そういう訳にはいかないよ!!」
「分かったから静かに。ここ病院だから」
ギルバートの言葉にハッとして辺りを見回す。
誰も居ないけど、結構響くから静かにしなきゃ。
「ごめん……」
「人が居ないから良かったけど、気を付けてね。はいこれ」
ギルバートはメモ帳に何か書くと書いたページを破ってボクに渡してきた。
メモを見たら、電話番号とメールアドレスが書かれていた。
「ぼくの連絡先。ハンカチ、買って返してくれるんでしょ?」
「うん! ありがとう!」
ギルバートの言葉に嬉しくて笑顔になる。
「……あ、そろそろ戻った方が良いよ」
「分かった……あ、ねえ、一つ聞いても良い?」
戻る前にずっと気になっていたことを聞いてみようと思った。
「何?」
「ギルバートは今幸せ?」
「幸せといえば幸せだし、幸せじゃないといえば幸せじゃないかな」
「何それー」
ギルバートの答えに思わず吹き出しちゃった。
「そう言う晏はどうなの?」
「ボクはまだ自分の幸せとかいいかなぁって思ってる」
「……他人の幸せばかり気にし過ぎていると、いつか本当に欲しいものが無くなるよ?」
ギルバートの言葉に思わず口角がつり上がる。
「それは分かってる。それでもボクはまだ自分の幸せを必要としてないから」
ギルバートは理解できないって顔してるけど、ボクはまだボクを許せない。
ギルバートが胸を張って幸せだって言えるようになったら、きっと……
それまでは、ギルバートが幸せになれるよう祈ろう。
あとがき
晏の後悔と晏がギルと再会して少しだけ救われたという話でした。
ギル視点だと割と早い段階で助けてくれたのは晏だと気付いてました。
学校を辞めずに休まず通うことができたのは、晏のお陰だとも思ってます。
二輪のチョコレートコスモス(竜胆)目撃した竜胆
バレンタインから数日後。
オレ達はゲイルの店の前に立っている。
バレンタイン当日は仕事だったから来れなかったけど、世話になっているからという理由で渡すんだから別に当日じゃなくても問題は無い。
告白する訳でもないのに、どうしてこんなに緊張しているのか分からない。きっと《アタシ》もそうだろう。
意を決して店に入るとミキという名前の店員が「い、いらっしゃいませ……」と声を掛けてくれた。
「こんにちは」
「ん? 竜胆か。いらっしゃい」
ミキに挨拶していると、店の奥からゲイルが出てきた。
「ゲイル、一日遅れたけどバレンタイン。いつも世話になっているから。四つあるからミキと食べてくれ」
ココア生地のチョコマフィンとプレーン生地のチョコマフィンが二個ずつ入った素っ気ない紙袋をゲイルに渡す。
「ああ、ありがとう」
ここで《アタシ》と変わろうと思う。
節目だ、《アタシ》も何か話したいだろ?
うん! 《オレ》、ありがとー!
「えへへー、どういたしましてー! それでねー、今日はチョコレートコスモスを二輪欲しいんだー!」
「分かった。すぐに用意する」
ゲイルは店内にあるチョコレートコスモスを二輪、包んでくれたよー。
これは今のアタシ達に相応しい花だからねー!
「ゲイル、ミキ、ばいばーい!」
お金を払ってチョコレートコスモスを受け取って、二人に手を振って店を出ると、チョコレートコスモスの匂いを嗅ぎながらお家へ帰ろー!
アタシ達はゲイルに告白する気なんてこれっぽっちもないんだー。
それで、ゲイルが誰かを思っていても大丈夫って思ってたんだー。
だが、オレ達は見てしまったんだ。
ゲイルが一緒に居た青い髪の女の子に向ける眼差しを。
ショックだったよー! こんなにショックを受けるなんて想像もつかなかったもん。
それで悟っちゃたんだー。
ゲイルが幸せならそれで良いと思っていたのはオレ達の強がりだったんだと。
オレ達の気持ちは誤魔化せない。
なら、アタシ達の恋を終わらせないといけないよねー。
告白する気は無いし、ゲイルに幸せになってほしいのは本心だしねー。
だから、オレ達はチョコレートコスモスを買った。
ああ、でも、これからもゲイルの店には通うだろうな。
ゲイルが幸せかどうか、確かめる為にねー!
ゲイルの幸せに青い髪の女の子が必要なら、協力しちゃおうかなー!
協力できるのは、オレ達の恋が完全に終わってからだけどな。
まあ、頑張って終わらせてみせるさ。
あとがき
竜胆の片思いの終わりです。厳密にはまだ完全に終わってないですが、諦める方向になりましたので。
本当は竜胆に告白させたかったのですが、どちらの人格も頑なだったので竜胆の中だけで完結してます。
でも、ゲイルくんのお店にはこれまで通り来るので誰も気付かないと思います。
誰にも気付かれずに始まって、誰にも気付かれずに終わる密やかな恋でしたね。
親として一番驚いたのは、どちらの人格も泣かなかったことですね。正直、泣くと思ってました。
あ、お分かりの方が多数だと思いますが、チョコレートコスモスを買ったのはバレンタインだからではないです。
ゼンさん宅のゲイルくん、八月一日さん宅のミキちゃんとお名前出てないけどアヤメちゃん、お借りしました。
綺麗な桜を貴方と。(ひよの)
はらりはらりと桜が舞う道はとっても綺麗なのです。でも桜に気を取られてばかりではいられないのです。お弁当が傾かないように気を付けなくちゃいけないのです。
お洋服は昨日の夜にひなのに相談して決めた黄色いワンピース、シフォン素材で気に入っているのです。髪型はいつものサイドテールですが、コテでゆるく巻いて少しだけいつもと違う感じにしてみたのです……左手が傷だらけなのは見ないフリするのです……
待ち合わせ場所にはミエドくんが居て、いつも通りのミエドくんのカッコ良さと会えた嬉しさでゆるんじゃいそうなお顔を引き締めてお声を掛けるのです。
「お待たせなのです」
ミエドくんが気付いて手を振ってくれて、早く近くへ行きたくて小走りでミエドくんの所へ向かうのです。そうしたらミエドくんがひよを見て笑ったのです。それを見て思わずほっぺを膨らませてしまうのです。
「何を笑っているのです?」
「……悪い悪い。可愛いなぁって思った」
ミエドくんの言葉に少し照れちゃうのです。どうしよう、すごく嬉しいのです。
あ、自分が言ったことが恥ずかしかったのか「何でもねぇよ」と言うミエドくんもお顔が赤いのです。そういう所は可愛いと思うのです。
ミエドくんは咳払いを一つするとひよの右手を掴んで、綺麗な場所に案内してくれるみたいなのです。そこでお弁当を食べようと提案してくれました。
ミエドくんに手を引かれて歩き出しました。ミエドくんは少し先を歩いて、歩幅が違うからひよは小走りで必死について行くのです。
大きくて立派な桜がある公園に着いたのです。小川に浮かぶ桜の花びら、えっと、確か花筏と呼ぶと思うのです。それがとても綺麗なのです。
大きな桜の下にミエドくんがレジャーシートを敷いてくれて、更に隣にハンカチを敷いたのです。ハンカチの意図が分からないでいたら、ミエドくんがハンカチをトントンと叩いて、ようやくひよの為に敷いてくれたのだと理解してそれに甘えることにしたのです。ハンカチは洗って返そうと思うのです。そうしたら、それを理由に少しの間でもミエドくんに会えるのです。
「よしっ、飯食おうぜ」
「……無理はしないで欲しいのです」
デートの約束をしてから、ひなのや翔お兄ちゃん、職場の先輩達にお願いして付き合ってもらって沢山練習したからきっと大丈夫、と自分に言い聞かせてお弁当を広げるのです。
ハンバーグとミートボールはちゃんとタネから作って、タレも出来合いじゃなくてちゃんと自分で作ったし、おにぎりも小さいけど沢山握って、玉子焼きは甘いのと出汁巻きと両方作って……ちょっと焦げてる所があるけど、今までで一番上手に出来たのです。左手は犠牲になりましたが……
「すっげー美味いよ!!」
ハンバーグを食べたミエドくんが笑顔でそう言って、ミエドくんの口に合って良かったと表に出さないようにホッとしたのです。でも、「料理の才能がある」は大袈裟だと思うのです。
ミエドくんは次々と勢い良く食べてくれて、それが可愛いという思いとお弁当を美味しそうに食べてくれたことへの嬉しさが混ざり合って、ついクスクスと笑ってしまうのです。
「ごちそーさんでした!! ほんと美味かったよ」
「お粗末様でした」
空になったお弁当箱を片付けてゆったりとした時間の中、舞い落ちる桜を見上げるミエドくんを盗み見たら、ミエドくんは夢の世界に旅立っていたのです。
ミエドくん、お仕事多めに頑張っていたみたいですし、このまま寝かせるのです。
……でもミエドくん、その体勢だと体が辛いと思うのです。
膝枕、とかした方が良いのでしょうか? ……ミエドくんが後で辛い思いをしないようにするべきですよね?
ミエドくんを起こさないようにそっとひよのお膝にミエドくんの頭を乗せたのです。あ、膝枕するとミエドくんの寝顔が見放題なのです。
ミエドくんの寝顔、とっても可愛いのです。でもミエドくんが起きた時に目が合うと恥ずかしいから、少しだけにするのです。
薄暗くなってきた夕方。そろそろミエドくんを起こそうかなと思っていたらミエドくんがガバリと起き上がったのです。
「わっ……わりぃ。寝ちまうとは思わなかった」
ミエドくんがお仕事を沢山頑張って疲れちゃったのだと思ったことを言っても、ミエドくんはデートを台無しにしてしまったと思っているようで落ち込んでいるのです。
好きな人と同じ時間を過ごすことがデートだとひよは思っているから、これも立派なデートだと思うのです。それにひよは楽しかったのです。でも、それを言ったらひよが気を遣っていると優しいミエドくんは思っちゃうかもしれないのです……
そんなことを思っていたらミエドくんの手が差し伸べられたのです。有難くその手を借りて立ち上がって、ミエドくんにレジャーシートを片付けてもらっている間に荷物をまとめていたら……
パッって桜や花筏が綺麗に照らされたのです。
光を纏って舞う桜に、水面を泳ぐ花びら達に目を奪われて思わず「綺麗」と口に出していました。ミエドくんも歓声を上げて桜に魅入っているみたいなのです。
ああ、今日は素敵なものが沢山見れて幸せなのです。でも、それはきっと……ううん、きっとじゃなくて絶対にミエドくんと一緒だからなのだとひよは思うのです。
あとがき
八月一日さん作の『とても綺麗な桜を。』のひよの視点でした。
ミエドくんとのデートを欲望のままに書きました。
ミエドくんが寝落ちした時に膝枕するという目標はクリアしたので大満足ですね。
ひよのが使ったミエドくんのハンカチはしれっと回収して「洗濯して返します」と言っていると思います。
八月一日さん宅のミエドくんお借りしました。
八月一日さん作の『とても綺麗な桜を。』の台詞を一部引用させていただきました。