【首輪よりも】SSまとめ
トモダチ(ローザ過去話)
あたしには昔呼ばれていた名前がある。
ミント
それがあたしの昔の名前。頭が良くって群れのリーダーをしていた父さんが付けてくれた。
でも今は、昔のあたしを捨てたくて、捨ててしまった。
そして、今こんなに苦しいのは、あたしの罪に対する罰だ。
きっと解放されることなんてない。
あたしが傷付けてしまったデイヴィッドもきっと許してくれない。
あたしは森の縁まで行って、木の無い広い場所を眺めるのが好きだった。
もちろん、父さんから森の縁にはあまり近付くなって言われてたから一人でこっそりと。
その日のあたしは狩りで失敗して落ち込んでいて、ぼんやりとと木の無い広い場所を眺めてた。
気を抜いて景色を眺めていたから、パキッていう枝を踏む音がするまでそこに人間が居ることに気が付かなかった。
すぐに警戒して音のした方を見ると、あまり強くなさそうな人間の雄だった。
でも、人間は見た目が弱そうでも武器とかいう道具で強くなっているから警戒は怠らない。
着ている服も、あたしが今まで見てきたどの人間よりも綺麗な服を着ていて他の人間と違うみたいだし。
逃げる為にじりじりと後退するあたしに人間の雄は声をかけた。
「待って。私は武器など持っていないし、あなたに危害を加えるつもりは無いよ」
両手を上げて笑うそいつは、敵意や悪意は無さそうに見えた。だから、そいつの言葉を信じることにした。
「私はデイヴィッド、見ての通り人間の雄だよ。あなたの名前は?」
逃げるのをやめたあたしを見て人間の雄、デイヴィッドは自分の名前を名乗った。
「あたしはミント……あたしに何の用だ?」
「用という程ではないんだけどね。私はミントと友達になりに来たんだ」
デイヴィッドとトモダチとかいうのになって人間の知識を得られれば、もっと狩りに役立てるんじゃないか、そんな浅はかな考えを持ってしまった。
「いいよ。そのトモダチとかいうのになってやる。その代わり、あたしに知識を寄越せ」
「分かった。まずは何から知りたい?」
こうしてあたしはデイヴィッドとトモダチになった。
デイヴィッドはあたしに、読み書きや数の計算だけじゃなく、ここの森がオースティン領とかいう所にあることとか、森の中じゃ絶対に手に入らない色々な知識を教えてくれた。
もちろん、トモダチの意味も。
「えっと……ここは、こうか?」
「うん、正解」
デイヴィッドは優しくて、あたしが何かを覚える度に頭を撫でてくれた。
たった数日であたしはすっかりデイヴィッドを仲間だと、トモダチだと本気で認識していた。
だから、人間を食べられなくなった。
人間を食べようとする度にデイヴィッドの顔がチラついて、デイヴィッドを食べるようで怖くなったんだ。
でも、それから一週間後、その恐怖は現実になった。
この数日、狩りの獲物は人間ばかりだし、自分一人で狩れる動物も中々見つけられなくて、あたしは何日もまともな食事をしていなかった。
それでもデイヴィッドに会って色々教えてもらえると思ったら嬉しくて、その日も空腹を水で誤魔化してデイヴィッドに会いに行った。
デイヴィッドはいつも通りあたしに知識を与えてくれた。
でも、あたしは水で誤魔化されてくれなかった空腹に負けつつあって、デイヴィッドの腕を見て美味しそうだと思ってしまった。
思ってはいけないことだと空腹と戦いながらデイヴィッドの話を聞いていた。
デイヴィッドもあたしの様子が変だって気付いたんだろう、中断してあたしに左手を伸ばしてきた。
肉ダ。
アア、美味シソウ。
コレデ腹モ満タサレル。
あたしはその時、もう理性なんて残ってなかった。
だから──
──ブチィッ。
嫌な音をさせながらデイヴィッドの左腕を引き千切り。
食ベタ。
空腹が僅かに満たされ、食べているものがデイヴィッドの腕だとようやく認識した時、あたしは絶望した。
だってあたしは、仲間を、トモダチを食べたのだ。
父さんだって言っていた。仲間を食べたら戻れなくなると。
恐る恐るデイヴィッドの方を見ると、引き千切られた腕を押さえて顔を歪めていた。
デイヴィッドはあたしが正気を取り戻したことに気付くと、あたしを責めるでもなく痛みに歪めていた顔を笑顔に変え、こう言った。
「私の腕は美味しかった?」
まだ冬じゃないのに冬みたいに体の毛が逆立ち、震えた。
きっとデイヴィッドは怒っている。
「あ……」
あたしが声を絞り出そうとしたら、パアンッっていう乾いた音がした。
右胸が熱い。なんだかすごく痛い。
あたしの右胸から赤い血が流れていた。
デイヴィッドはすごく驚いた顔をしてた。
「デイヴィッド様!!」
焦げ臭い武器をあたしに向けた、デイヴィッドより年を食った人間の雄が居た。
逃げなくちゃ。
本能なんだろうか、そう思う前に体は勝手に逃げ出していた。
父さんの所へ逃げようと森に入ったけど、あたしの所為で群れに迷惑がかかると森の外へ出た。
走って、走って、走り続けて、森から遠ざかった先に、また人間の雄が居た。
今度は何匹も。
人間の雄達はあたしを捕まえようとしてきたけど、あたしも捕まりたくないから必死に抵抗した。
でも、人間を攻撃できなかった。
人間に牙や爪を向けたらデイヴィッドの「美味しかった?」っていう声が頭の中で響いて、体が震えたから。
人間の雄達もそれに気付いて、あっさりあたしを捕まえた。
あたしを捕まえた人間の雄達は、あたしを鎖でぐるぐる巻きにするだけで殺さなかった。
胸の傷は中に入っていたものを取り出すと汚い布で押さえてきた。
何日か馬車で移動した後、別の人間と何かやり取りをした後、あたしとお金を交換したみたいだった。
初めて見た人間の買い物というのが自分を物として扱うものであっても、何も思わなかった。
でも、人間を見ているとデイヴィッドの腕を食べたことを思い出してしまう。
だからあたしは、人間が嫌いだと威嚇することにした。そうしたら、人間の方から近寄らない。
それから、何度もあたしはお金と交換されて、色んな人間の所に売られるのを何年も繰り返されていた。
その中で、威嚇するあたしに優しくする人間が沢山現れた。
なんで威嚇するあたしに近付くんだ?
なんで威嚇するあたしに優しくするんだ?
これじゃデイヴィッドみたいに、いつかあたしはお前を食べてしまう!
……ああ、そうか。今まで人間を食べてきたから、だから優しい人間まで食べてしまうのか。
なら、《人間を食べていたあたし》なんて捨ててやる。
その為なら父さんから貰った《ミント》って名前だって捨ててやる。
でも、あたしはまだ弱いから、また空腹に襲われたら負ける。だから、威嚇の手は緩めない。
本当は優しい人間に威嚇なんてしたくない。
本当は優しい人間とトモダチになりたい。
けど、いつかまた罪を犯すくらいなら、人間とトモダチにならなくていい。
威嚇はあたしに近付くなっていう警告なんだ。
だからどうか、威嚇するあたしを避けて。
そう思いながら、何度もなんでこんなに苦しい思いをしているんだろうって考える。
いっそ、優しい人間を含めた全ての人間を本気で嫌いになれたら、本気で食料として見れたら、こんなに苦しまなかった。
でも、そんなことが本当になったら、あたしは大事なものを無くす。そんな予感がする。
きっと苦しいのは、デイヴィッドの腕を、今まで人間を食べてしまった罰なんだ。
いや、きっとじゃない絶対そうだ。
苦しみながらも人間を威嚇し続けていたら、いつの間にか奇妙な奴隷商の所に居た。
その場所で人間の若い雄があたしを買った。
あたしはそいつを威嚇したし、「近付くな」とも言ったというのに、そいつはあたしを避けるどころか近付いてブスだのと言ってきた。
でも、あたしに名前が無いことを知ると《ローザ》って名前を付けた。
新しい名前は嬉しいけど、近付かないでほしい。
だって、あいつは口は悪いけど、あたしが嫌がることはしてこない優しい人間だから。
あいつがあたしを他の人間に売るまでの間、あいつを食べてしまわないようにやり過ごさないと。
あたしに食われる前に、早くあたしなんて売ってしまえ。
あとがき
ローザが人間を嫌いと言う理由とデイヴィッドとの過去でした。
ちょっと分かりづらいと思うので解説を入れます。
人間を嫌いと言うようになった切っ掛けはデイヴィッドの腕を食べたことを思い出さない為でしたが、デイヴィッドのように自分に優しくしてくれる人間と出会って優しい人間が沢山いることを知り、自分自身から優しい人間を守る為の手段に変わりました。
人間が嫌いと言いながら攻撃せず大人しく従っているのも、本気で人間が嫌いな訳ではないからです。
ローザの右胸には服で隠れていますが、銃創があります。
指突っ込まれて弾を抜かれたので傷口は広がっていて歪んでます。
最後に登場した人間の若い雄は言わずもがな、アレックスくんです。
アレックスくんはローザを手放すような真似はしないと思いますが、毎度転売されていたローザは《自分を買った人間は必ず他の人間に売る》と覚えてしまったので、いつかアレックスくんも同じことをすると思ってます。
友達ごっこ(デイヴィッド過去話)
私は物心ついた時から少々おかしかったのかもしれない。
その頃から私は《何か》が欠けていたのだと思う。
両親はそれに早く気付いたから私にオースティン家次期当主としての役割を与え、厳しくしたのだろう。
それは正しかった。
私は、野心も欲も何も無い、役割を果たすだけの存在になったのだから。
もっとも、私がそれに気付いたのは随分と成長してから、あるウェアウルフの少女と出会い、そして別れ、更に少し経ってからなのだけれど。
私がまだ領主になる前、私が領主になる為の勉強を兼ねてある村に長い期間滞在していた。
そこは人喰い人狼の森と呼ばれる森が近くにあったが、人喰い人狼は森から出てくることはなく、領地の中心街から近かった為、私の滞在先に選ばれた。
私はそこの村で酪農や畜産がどんな風に行われているか村人に話を聞きながら、領主になった時に何が必要なのかを勉強していた。
人喰い人狼の森に近付けるチャンスを伺いながら。
村に滞在して数日。
護衛も暇を持て余し緩み切っていた頃合を見て「しばらく一人になりたい」と言い残し、村から抜け出して人喰い人狼の森へ近付いた。
村から見た時は結構近いと思ったけど、徒歩でかなりの距離があった。これは体力を落とさない為に丁度良いかもしれない。
あと少しで森だという所で遠目だけど森の中に人影が見えた。
あれが噂のウェアウルフなのかとよく観察しようと近付いたら逃げられた。
なんであんな所に居たのか見当もつかないけど、獲物でも探していたのかな?
それから、私は何度も人喰い人狼の森に近付いた。
それで分かったことは、森の縁に現れるウェアウルフは私と年が近そうな少女であること。少女は獲物を探していた訳ではなく、森の外をただ眺めているというだけであること。
その事柄から私は、一つの策を思い付いた。
うまくいけばウェアウルフを利用して領に役立てる。
私はずっと疑問だったのだ。父が、歴代の領主達がこの人喰い人狼の森を放置していることが。
人喰い人狼の森は入ってはいけないと領民であれば子どもでも知っているが、実際に毎年被害は出ている。なのに父は何もしない。
こんなに被害を被っているのならば、私がウェアウルフを懐柔して利用してやろうと思った。
それが単なる私の浅知恵で、後に手痛いしっぺ返しを食らうなんて予想もせずに。
その日、ウェアウルフの少女はなんだか様子がおかしかった。
いつもなら逃げられる距離まで近付いても逃げなかったんだ。
もっと近くで見られるかもしれないと更に近付いた瞬間、小枝を踏んでしまった。
音で私に気付いた少女は、警戒してじりじりと後退を始めていた。
「待って。私は武器など持っていないし、あなたに危害を加えるつもりは無いよ」
両手を上げて武器を持っていないことをアピールし、安心させる為に笑いながら少女に声をかける。
どうやら、逃げることはやめたらしい。
「私はデイヴィッド、見ての通り人間の雄だよ。あなたの名前は?」
「あたしはミント……あたしに何の用だ?」
これ幸いにと自己紹介をしたら少女の方も名乗ってくれた。
これはいけるかもしれない。
「用という程ではないんだけどね。私はミントと友達になりに来たんだ」
友達になりたいという私にミントは少し考えているようだけど、いきなり友達はまずかったかな。
でも、友達なんて居たことがないから作り方とか分からないんだよね。
「いいよ。そのトモダチとかいうのになってやる。その代わり、あたしに知識を寄越せ」
ミントの返答に心の中でにんまりとする。
「分かった。まずは何から知りたい?」
こうして、私とミントの友達ごっこが始まった。
私はミントに約束通り知識を与えた。
読み書きや計算の他、ミントの住む森がオースティン領内にあること、手持ちのお金や石を利用して買い物の仕方なんてのも教えた。
友達とはどんなものか聞かれたから、私の知っている範囲で答えもした。
「えっと……ここは、こうか?」
「うん、正解」
私は正解したらミントの頭を撫でた。
弟妹の勉強を見ていた時にやったら薄気味悪いと不評だったけど、ミントは嬉しそうだった。
それが数日続くとミントは私に懐いたようで、聞きたかったことを聞いてみた。
「ミントの名前って誰が付けてくれたの?」
「ん? 父さんだ」
「そうなんだ。素敵な名前を付けてもらえて良かったね」
名付けができる程に賢いということは、群れのリーダーかな。ミントを利用すればその群れを操れるかもしれない。
私はミントに知識を与えながらこれからのことを考えた。
一週間後に破綻してしまうことも知らずに。
ここ数日、ミントの様子がおかしかったけど、その日はミントの様子が一段とおかしかった。
本当は帰して休ませた方が良いと思うものの、ミントが早く教えろとせがむから少しだけのつもりでミントに知識を教えた。
途中、ミントは何かに耐えるようにしていたから風邪を引いたのかと話を中断して、熱があるか確認する為に左手を伸ばした。
──ブチィッ
一瞬だった。
最初は何が起きているか分からなかった。
遅れてやってきた左腕の激痛で、私は自分の左腕が肘から先を失っていることに気付いた。
そして、ミントを見ると私の腕と思しきものを貪っていた。
どうやらミントは強い空腹感と戦っていたようだ。
ミントは我に返ったのか自分が貪っていた腕と腕を無くした私を見て、顔が色を失い、絶望した表情になる。
何故か胸がざわついた。
左腕は痛いけど、それは強い空腹の時にミントに手を出した私が愚かなんだから、ミントの所為じゃない。
ミントがそんな顔をする必要なんて無い。
ミントを安心させる為に笑顔を作った。
「私の腕は美味しかった?」
私の言葉を聞いた途端、ミントは体を震わせて怯えだした。
何故? 私は言葉の選択を間違った?
それとも笑顔が歪だった?
何にせよ、ミントに話しかけないと。
何て話しかければ良い?
痛みで思考がままならない中、ミントにかける言葉を探していたら、銃声がした。
弾がミントの右胸に命中したのだろう。血が吹き出していた。
「デイヴィッド様!!」
私を呼ぶ護衛の声が響く。
ああ、バレたのか。
そんなことを考えていたら、ミントは森の中へ逃げ出していた。
これでもう二度とミントと会うことはない。そう考えたら、また胸がざわついた。
護衛から応急処置を受け、村に戻ったら流石に大騒ぎになっていた。
手当てを受けながら護衛や村長の謝罪を聞いていたけど、全て勝手に村を抜け出して森に近付いた私の責任なのだから、謝罪はしなくて良いと告げた。
数日後、知らせを受けた父がやってきた。
父と茶番ともとれる親子の会話をいくつか交わした後、父は険しい顔で私を見る。
「父上、今回の件は全て私に責があります。護衛や村には処罰を与えないでください」
「分かっている。お前への処罰は……もう受けているか」
父からは何も処罰をしないということらしい。
でも、片腕を無くしたから、オースティン家の次期当主から私を外して、弟のどちらかを指名するくらいはするかな。
今後の身の振り方を考えなければ。
「デイヴィッド、一つ聞いても良いか?」
「はい、私が答えられる範囲でしたら」
「何故、ウェアウルフと接触をした」
父のことだから察していると思ったけど、違うのかな?
でも良い機会だから、全てを話してしまおうか。
「理解ができなかったからです。被害を出しているにも関わらず、人喰い人狼の森を放置していることが。ならば、私がウェアウルフを懐柔し領の役に立てよう、そう考えたのです」
「……驕りだな」
父の言葉が胸に重くのしかかる。
確かに私はウェアウルフという存在を、ウェアウルフであっても少女であれば御せると侮っていた。
その結果がこの有様では間抜けという言葉がお似合いだ。
「はい、私はウェアウルフという種族を侮っていました」
「それだけではない。お前は、あの護衛のことも侮っていた」
父の言葉に少し驚いた。
まさか護衛が、私がウェアウルフに会っていたことに気付いていたとは。
迂闊だったな。
「……私がウェアウルフに会っていたことを知っていたなら何故護衛は私を止めなかったのでしょうか」
「デイヴィッド、お前はウェアウルフの少女と共に過ごしてどう思った?」
父の質問の意図が分からない。
でも、父は少し期待をしているようだった。
「彼女をうまく利用すれば彼女が属する群れを操れるかもしれない、とは思いました」
「他には?」
「彼女は御しやすい、ぐらいです」
「……そうか」
父は溜息を吐き、僅かに落胆していた。
また、言葉を間違えた。
最近、間違えてばかりだ。どんな言葉が正解だったのか分からない。
「……お前の質問の回答だが、護衛がお前を止めなかった理由は今のお前に言っても理解でないだろう。いずれ、お前自身が気付く」
「はい」
返事はしたけど、訳が分からない。
私一人で調べろということなのかな。
他に優先すべきことがあるから後回しだけど。
「父上、一つよろしいでしょうか?」
「何だ?」
「先程、私は人喰い人狼の森を放置する理由が分からないと言いました。それに関してお聞かせ願います」
脱線していて聞きそびれていた話をしてみたけど、父は少し呆れた様子だった。
オースティン家当主になればすぐに分かることだろうけど、私は次期当主から外されるのだから父に聞くしかない。
「それは、お前がオースティン家の当主になれば分かる」
「私は片腕を失った身、次期当主から外され、弟のどちらかが次期当主となるではないのですか?」
「誰が言ったのかは知らんがそれはない。そうなるのはデイヴィッド、お前が死んだ時だけだ」
幼い頃から父が理解できなかったけど、今までで一番父が理解できないと思った。
戦いで腕と引き換えに功績を上げたのならともかく、間抜けな理由で腕を無くした者を自分の後継者に指名するなんて理解に苦しむ。
「ああ、そうだ。お前に言っておかなければならないことを思い出した」
白々しい。
私と話してから私の耳に入れるか判断しようと思っていたに違いない。
「人喰い人狼の森に住むウェアウルフの掃討作戦を四日後に行う」
父の報告ともとれるその言葉に心臓を鷲掴みにされたような衝撃が走った。
掃討作戦? 四日後?
何故か胸がざわつき、ミントの顔が頭をよぎるけど、思考の邪魔になるからとそれを片隅に追いやる。
そうか、人喰い人狼が森を出てまで人間を襲うようになったという噂は広まっているということ。
そして、掃討作戦を四日後に行えるということは、随分と前からいつでも行えるように準備していたということ。
父は決して人喰い人狼の森を無視してはいなかった。
「……申し訳御座いません」
「いや、いい。遅かれ早かれこうなった」
父は勝手な行動をした私を責めることはなかった。
四日後、予定通りに《人喰い人狼の森掃討作戦》が行われた。
ウェアウルフは抵抗したそうだけど、たったの一日であっさりと討伐された。
ただ、小さい十数頭の群れは抵抗せず、オースティン家に忠誠を誓うことで生き延びたらしい。
掃討作戦を終えた父や作戦に参加していた私兵に、赤みのある灰色の髪とミントの葉のような色の瞳を持ったウェアウルフの少女の遺体が無いか聞いてみた。
全員見ていないと言ったが、父は同じ色を持った壮年の男のウェアウルフを見たと言う。
「何故、気にする?」
「分かりません」
父に問われるが本当に分からない。
ミントの遺体を見たのかわざわざ全員に聞いて回ってまで知りたい理由が見当たらない。
けど、私はミントを心配なんてしていないし、ミントの遺体が無いと知って生きているかもしれないと安堵なんてしなかった。本来は知り合いの安否を心配して、知り合いの遺体を見ていないと聞いて生きている可能性があることに安堵するのに。
ああ、そうか。
今まで自分と他人を比べた時に感じた、自分への違和感の正体にやっと気付いた。
私には《何か》が欠けている。
でも、それに気付いてもその《何か》が分からない。
ミントに、或いは他の種族に会えば分かるのかな。
あれから数年経ち、私は二十歳になった。
父は引退をして私がオースティン家の当主を継いだ。
未だに自分に欠けている《何か》が分からないけど、当主になってからはそれを考える時間なんて無かった。
ただ、当主の仕事をしている中で分かったこともある。
一つは、父は人喰い人狼の森のウェアウルフと繋がっていたこと。生き残ってオースティン家に忠誠を誓った十数頭の群れは、父と協定を結んでいた。
現在、それは私に引き継がれた。
もう一つは、父が人喰い人狼の森に手を出さなかった理由。悪事を働こうとする人間が森に潜伏できないようにすること。
領内で森はあそこだけだから、森に潜伏して奇襲を仕掛けられる危険を回避できると考えていたと思う。
現在は森にウェアウルフは《居ない》ということになっているから、それを利用することもできる。
こうして真実を知ると、もっと早い段階で気付けたんじゃないかと思うくらいに呆気ないものだった。
実際は、徹底的に隠されていたから当主にならないと気付くことは不可能に近かったのだけど。
私がオースティン家当主になってから二年が経った。
領地経営は順調だし、時間的にも余裕が出てきた。
噂のあの奴隷市場に行ってみても良いかもしれない。
なんでも多様な種族の奴隷を売る奴隷商が居るのだとか。
雇っていた片腕の代わりが屋敷の物を盗んで売るような奴だったからそれ相応の罰を与えてクビにしたし、丁度良い。試しに奴隷を買ってみようと思う。
そうしたら、私に欠けている《何か》が分かるかもしれない。
噂の奴隷市場に来た。
従者を外に置いて一人で奴隷を吟味していたら、一人のウサギの獣人種が目に止まった。
周りの草食動物は怯えている中、彼女だけがのんきに毛繕いしていた。
少し話をして見定めてみるのも良いかもしれない。
「こんにちは、初めまして」
私はにこやかに彼女に話しかけた。
彼女と話している内に、楽しいと思う自分が居た。
彼女と共に居れば、分かるのだろうか。
それが分かるなら、例え彼女に殺されても構わないと思うくらいに私は彼女を気に入っていることに気付いた。
そして、彼女は私の人生を見せてくれと、私の無くしたもの以上になると、守らせてくれと、言ってくれた。
それがこんなに嬉しいものだとは思わなかった。
ならば私は、嬉しい言葉をくれた彼女に報いるよう、自分を、彼女を大切にしよう。
そう思った瞬間、自分に欠けている《何か》が分かりそうな気がした。
あとがき
デイヴィッドの過去話でした。
分かりづらそうな部分に解説を入れていきます。
デイヴィッドとローザ(ミント)が出会った時に居た護衛は、実はデイヴィッドの父親が協定を結んだウェアウルフに会いに行く時の護衛だったりします。
デイヴィッドがミントに知識を教え始めた辺りで気付き、仲が良さそうなのでローザを協定を結んだ群れの子だと思い密かに見守っていました。実際は全く違う群れの子でしたが。
タイミング良くローザに発砲できたのも、二人をずっと見守っていたからです。
デイヴィッドの父親がデイヴィッドを次期当主の座から降ろさなかったのは、デイヴィッドの実力を高く買っていたからです。
ただ、デイヴィッドの情を理解できない欠点を懸念していて、デイヴィッドにちょっと情を理解してほしいと思って質問などでほのかに促してます。
最後のウサギの獣人種は言わずもがなキディアちゃんです。
交流の補足というか、デイヴィッドの心の中書き出した感じです。