ss 少女漫画みたいなチャリアを読みたい 引退して、受験も合格発表も終わった。
3年生は一足早い春休みを迎え、あとは卒業を待つばかりだったが、緑間は留学に必要な書類を受け取りに登校した。
授業中の校内はしんとしていて、シューズロッカーを閉める音が玄関によく響く。書類を受け取るだけの用事は早々に終わり、ついでに中谷監督に挨拶でも、と職員室を覗いたが、授業に出ているようで不在だった。
生徒指導の教員に引き止められ「今日はいつものアレがないな。いいぞ」とにこやかに褒めたが、緑間が鞄の中から、黒いボールに乗った蛍光色のゾウを取り出すと呆れ顔になる。「卒業式は小さくて大人しいものにしろ」と釘を刺されたが「おは朝次第です」と答えて職員室を後にした。
もう帰るか、と玄関に戻れば、緑間のシューズロッカーの前に人影があった。
スマホでカードゲームをやりながら、緑間が来るのを座って待っている。3年間、何度も見た光景だ。
「高尾」
声をかけると、驚きもせず、ちらりと緑間を見た。
「よう」
と、答えてすぐ、目はスマホに戻る。
緑間が靴を取り出してロッカーを閉めると、高尾はゲームを続けたまま、少しだけ横にずれて言う。
「もう終わったのかよ。マー坊いた?」
「いや、授業中だった」
「なんだ。いたら顔出そうかと思ってた」
緑間が靴を履いてる横で、高尾は不満そうに続ける。
「つか真ちゃんさぁ、俺が送ったメッセージ見ろよ」
「メッセージ?」
靴を履き終え、ポケットから携帯を取り出すと、たしかに高尾からのメッセージが一通。
『もう家出た?』
「この時間にはもう出てた」
「今返されても意味ねーから!」
「うちに寄ったのか?」
「いんや、返ってこないってことは出たんだろうなと思って行かなかった」
ゲームが一区切りついた高尾は、うしっと呟いて緑間を見上げる。目が合うと嬉しそうに笑った。
「すれ違わなくてよかったわ。んじゃ、帰ろうぜ」
「帰るのか? お前、何しに来たのだよ」
「えっ、わかんねーの?!」
立ち上がろうとしていた高尾は、目を丸くして動きを止めた。
「部活を見に行くんじゃないのか?」
「ちげーから! つーか、まだやってないだろ」
昨日の高尾との電話を思い出す。そもそもコイツは学校に来る予定はなかった筈だ、と緑間は首をひねった。
緑間の用事はすぐに終わり、終わり次第母方の親戚の家に行く予定はあらかじめ伝えていた。高尾はその時、学校に行くなら部活に顔くらい出してやれよ、と言っていたのだ。だからてっきり、高尾だけで後輩のコーチへ出向いたのかと思ったのだが。
わからない、
と緑間が考えていたのは顔に出ていたようで、高尾は一瞬だけ批難の目を向けたが、すぐに気まずいのだか悔しいのだかよくわからない表情になり、うつむいてしまった。
モゴモゴと何かを喋っているようだったが、高尾は座ったままで、足元で囁かれる声は緑間の耳に届かない。
「ちゃんと話せ。いつものデカい声はどうしたのだよ」
緑間が腕を組みながら言うと、高尾はやっと顔を上げたが、視線は地面に向いたままだった。
「お前さぁ……」
「なんだ」
「あー、ハズいなこれ。……えっと、だから、真ちゃんに会いに来たんだよ。わかんだろ」
緑間は息を呑んだ。
こんなに歯切れの悪い高尾は滅多に見ない。いつもの軽薄さは鳴りを潜め、茶化して誤魔化そうとしない声は弱々しかった。
緑間は返事もせずに、高尾の赤くなった耳を凝視した。
「……なんか言えって」
目だけでこちらを見上げる視線に刺され、組んでいた腕に力が入った。深く息を吐く。
「オイ。人の顔見てため息ついてんじゃねーよ」
「うるさい。帰るぞ」
鋭い目つきで睨んでくる高尾に、手を差し伸べる。
高尾は緑間の手をとったが、重心はかけず、ほとんど自分の力で立ち上がった。
握った手の熱さだけが伝わる。
手が熱いのは、顔が赤いのは、高尾だけだろうか。緑間は、自分もきっと同じに違いないと思い、握った手を離すのが名残惜しかった。
そしてこみ上げてくる愛おしさに際限がないことに驚く。不意を付く言動は呼吸が止まるほどだ。
緑間はふいに、小学生の頃から大事にしているラッキーアイテム達を思い出した。ガラス棚の一番いい場所に飾り、いつ見てもそこにあると安心した。壊れないように、大人になってもずっと使えるように丁寧に手入れをしてきた。妹にだって貸すのが嫌で、自分だけの特別だった。
高尾のことも同じように大切にしたい、愛おしい。度し難い気持ちはやり場がなく、もどかしいが、悪くはなかった。
なるほど、これが恋人になるということか。 揃って昇降口を出ながら、一人納得して、もう一度息を吐いて、心を落ち着けた。
「なあ、そのため息は何?」
高尾はわざとらしく刺々しい声を出した。この不機嫌さが照れ隠しであることは明白で、緑間はまた心臓が掴まれる心地だったが、押し殺してぶっきらぼうに答える。
「ため息じゃない。深呼吸だ」
「ハァ? なんで」
「お前といて、落ち着かない日が来るとはな」
「なんだそれ。和成クンと一緒にいるとドキドキしちゃう♡ みたいな?」
普段よりも4オクターブ高い声を出した高尾は、いつもの調子でふざけているつもりだったが「ふざけるな」と眼鏡を正しながら言う緑間の顔を覗きこみぎょっとした。
「え?! マジ照れ?」
指摘された緑間は調子を取り戻そうと、ますます低い声を出す。
「気色悪い声をやめるのだよ」
「いやいやいや。オマ、え、何その顔。マジ? え?」
玄関から校門までの道のりは、二人きりだった。高尾はどきまぎしながら、指先で緑間の手の甲を撫でたが、遠くのグラウンドからホイッスルが聞こえると、ぱっと手を引っ込めた。体育をしているらしい男子たちの野太い声や勝利を喜ぶ声が遠くこだまして響く。
少しの沈黙の後、高尾がしみじみと言う。
「俺ら……付き合ってんだなぁ……」
「告白してきたのはお前なのだよ。何を今更」
緑間は信じられないという視線を高尾に浴びせる。
「俺の『付き合って』をちゃんとわかってんのが意外だったつーか」
「わかるに決まっているのだよ」
自信満々に言い放つ緑間を、高尾は疑り深く見つめた。
「本当にわかってんの?」
「しつこいのだよ」
「じゃあ、どこまで想定してる?」
「……想定?」
「例えばさ、俺が真ちゃんに『今週、親も妹といないからうちに泊まりにこない?』って言うとするだろ?」
「旅行か? お前は行かなくていいのか」
「行かなくていいんだよ。つーか例え話な。そんで、俺は付き合ってる奴が、誰もいない家に来るならそーいうことをしたいワケ」
「そういうこと」
「うん。そういうこと。わかる?」
つまりそれは。
高尾の言わんとしてることを理解し、緑間は一気に体温があがって行くのを感じた。汗をかきそうなくらいだった。
足を止めて、高尾を真っ直ぐに見て、眉を寄せながら言った。
「お前がしたいなら、構わないが」
努めて冷静に、落ち着いて返すつもりだったが、少しだけ声が上ずった。
聞いた高尾は足を止めて「わかってるぽい…」と天を仰ぐ。
「わかるに決まってると、言っただろう」
「なあ実は今週、マジで親も妹もいないんだけど泊まりに来る?」
焦ってるように、被せ気味で早口に言った。
「例え話ではなく?」
「例え話じゃなくて、全員留守」
緑間は、学校でする話じゃないと諌めたかったし、例え話で保険をかけるなと指摘もしたかったが、取り留めのないことが次から次に溢れてどれも言葉にならない。
「……わかったのだよ」
どうにか絞り出して頷くと、高尾はほっとしたように、控えめに笑った。また歩き出したので緑間も続いた。
「土曜日でいいのか?」
「そう、明々後日な。……なんか照れるわ」
「そうだな」
後ろの校舎で、終業を告げるチャイムが鳴る。
高尾は「既に懐かしいな」とたった数週間前の日常を懐かしんだが、緑間はあと4日間でできるセックスの準備は何か?と考え込んでしまい、チャイムの音は聞こえなかった。