オメガバ続き そんなある日のことだった。いつもは日暮れ頃に学校を出るのに今日はまだ空が青いうちに帰路につくことができた。もうそろそろ龍馬が推していた案が通ろうとしている。それは大体がオメガバースのことについての案だった。中学の時もそうだったが、ヒート休暇の間に勉強が進み置いていかれる子が多くいたり、またヒート休暇自体取得するのに大変手間がかかり、結局普通の欠席と扱われることが多かった。そのため掛かる手間を半分以下にし、またαにもヒート休暇を取れるように申請もした。取り分けそういったものが必要ないβには月に数日自由に休める日を設けてみてはどうかと提案したのも龍馬だった。今の生徒会長は龍馬の考えに理解が深い人で、いいじゃないかと賛同してくれ、生徒会一眼となって改革を進めていたのだ。これできっと以蔵さんが来ても過ごしやすくなるだろう。
自分がやってきたことが上手く行きそうなため龍馬の機嫌は非常に良かった。人目がなければスキップをしていただろう。
しかし家に近づくにつれて熱っぽくなっていく。
(ああ、以蔵さん、もうすぐヒートか)
家が隣同士であるから匂いを嗅ぐだけでも影響を受ける。ここ数年は以蔵と触れ合う機会が極端に少なくなっているため、以前ほど龍馬が乱れることはなくなっていたが、それでもヒート期は当てられてしまう。
また暫く保健室通学だろうかと苦笑いしながら家に入れば、母親のおかえり、と言う声と共に別の女性の声も聞こえる。聞き覚えのある声にリビングへ向かえば以蔵の母親が出された紅茶を握りしめながらそわそわ落ち着きがなく座っていた。
「おばさん、いらっしゃい」
「ええ、龍馬くんもおかえり」
なぜ龍馬の家に以蔵の母親がいるのか分からず肩にかけたかばんもそのままで「以蔵さんに何か?」と問いかけた。眉を下げた以蔵の母は実は、と話し始める。
「あの子いつもヒートの時でも普通に過ごしとるろう? やから今回も大丈夫だと思っちょったけんど、どうも違うみたいで」
「え」
思わず目を瞬かせた。違う、というのは具体的にどういう事なのだろう。ぽかんとする龍馬を気にせず以蔵の母は続ける。
「うちには龍馬くんの物少ないでしょ? やから辛そうやし貴方のお母さんに頼んで少しだけ貸してもらおう思うて。あ、勿論洗濯はちゃあんとしますからね」
「おばさんちくっとまっとうせ。え、どうぎっしりと違うんじゃ?」
「巣作りしちゅうのよ、以蔵」
巣作り。一般的にΩが行うものだとか。原因は解明されてはいないがヒート時不安に思うことがあったり落ち着かないときに行うことが多いと聞く。αの匂いのついた物をかき集め、その匂いに包まれることによって愛されていることを実感し、不安な気持ちもなくなるのだとか。
以蔵がヒート時に巣作りをしたことなどない。それなのになぜ今になって、と考え始めて龍馬はここ数ヶ月以蔵と会話していないことに気付いた。確か最後にちゃんと顔を合わせたのは以蔵のヒートが終わる頃だ。
都合のいい考えかもしれないが、もしかして以蔵は番である龍馬と会えていないストレスで巣作りをしてしまっているのではないか、そう考えてしまう。
思わずニヤけるのを隠そうと口元に手を当てた。
「おばさん、あの、ワシが行ってもえいですか?」
抑制剤もちゃんと飲んでいきますき、ヒート中の以蔵さんに絶対襲いかからんと約束しますから、と詰めるように言えば、勢いに驚いた以蔵の母は「でも龍馬くんの方が辛いんと違う?」と首を傾げる。確かに平時なら以蔵のヒートに当てられて大変なのは龍馬だが、番持ちのαとして巣作りを見ないなんて考えられなかった。そもそも慣れない巣作りをするほど以蔵が苦しんでいるのに番の龍馬が行かなくてどうする、といった心境だ。
以蔵の両親も龍馬の両親もβであるからその辺の事情には詳しくない。最終的には絶対妊娠させないことを条件に龍馬は以蔵の部屋へ入室する許可を得た。
とにかく最近自分が着た服をかき集めて以蔵の家へ行く。玄関に入る前からΩ特有の甘い、しかしけして不快ではない匂いが龍馬に襲い掛かる。先ほど通常より二倍の量の抑制剤を飲んできたからきっと大丈夫だろう。そう信じるしかない。おじゃましますと家のドアを開ければリビングから心配そうな顔をした以蔵の弟がこちらを見ていた。
「兄やんなら自分の部屋にいますき」
「ありがとう」
正直大量の服で足元など見えない状態だが何とかこけないよう階段を上がる。ふらつきながら以蔵の部屋の前までやって来、大量の服をいったん床に置く。甘い匂いはすでに龍馬のキャパシティーを超えていて頬に流れた汗を拭いながら違和感に首をひねった。
(たしか以蔵さんの部屋の前にはネームプレートがあったはずだけど)
小学生のころ龍馬が工作で作って以蔵に送った不格好な字で『いぞう』と書かれたプレートがあったはずだ。少なくとも数か月前来た時にはあった。なんだかんだ以蔵も便利だからと部屋の前に付けていてくれたはずなのだが。
「以蔵さん、大丈夫?」
返事はない。いままでヒートでもけろりとしていた以蔵だ。返事もできないほど弱っているとなると確かにこれは心配である。ごくりと唾をのみ込み絶対我慢すると心に再度誓って龍馬は声を掛けながらドアノブをひねった。
「以蔵さん、」
ぐ、と扉越しなど非でない匂いに一歩足が後ろに下がる。抑制剤を飲んでいないのだろうか。口にやけにおおく分泌される唾液を飲み込んでベッドで丸くなる以蔵を見た。
ぐるりと猫のように丸くなり荒い息をもらす以蔵の周りには点々と小物が置かれていた。夏祭りで見るような光物のおもちゃや花がところどころちぎれた不格好な押し花、いくつかの字の薄れた手紙、昔はまっていたキャラクターものの絆創膏、折り紙で作られた指輪が以蔵を囲むようにして置いてあった。そして以蔵の手にはドアにかけてあったはずのネームプレート、顔をうずめるようにして顔に巻かれているのは、去年龍馬がプレゼントしたマフラーだった。
ぎゅうと胸が締め付けられて顔をしかめた。おおよそそれらすべてには龍馬のにおいなど付いていないであろうに巣作りの材料にするけなげさや慣れない巣作りをさせるまで以蔵の事を置いてけぼりにしてしまった自分の不甲斐なさに泣きそうだった。
「いぞうさん」
もう一度声をかけてゆっくりと丸くなる以蔵に近づく。小物らを壊さないよういったんどかしてからその場所に衣服を置いていく。αは巣作りなどしないし、他のΩの巣作りすら見たことがないのでこれでいいのだろうかと思いながら以蔵を囲むようにしてせっせと服を並べていく。そのあいだ以蔵はというと誰が部屋に入ってきたのかわからないといった風にぼんやりと龍馬を眺めていたがやがて置かれた服に顔をうずめ始めた。
「いぞうさん、大丈夫?」
龍馬の服に埋もれる以蔵に声をかける。先ほどの辛そうな表情とはうって変わりふにゃふにゃとゆるく笑う以蔵の頬を撫でた。
「りょうま……?」
「うん、巣作り、してくれたんだね」
「ん……」
いまだ頭がぼんやりとするのか、ふわふわと「りょうまのにおいじゃ」と頬を撫でていた手に触れてほほ笑む。
「りょうまあ」
「どうしたの?」
ぽた、と龍馬の顎から汗が落ちた。それが服に染みその部分だけ色が濃くなる。正直龍馬としては部屋にいるだけで辛いのだがぐっと堪えて、以蔵を怯えさせない様にほほ笑んだ。
「来とうせ」
ぱふぱふと以蔵は自分の隣を叩く。つまりそれはΩが自分の巣にαを呼んでいるという事で。龍馬は以前巣作りについて調べたことがあったとき、こんな話を聞いていた。Ωが巣を作るのはストレスがあるから安心できる場所を本能的に作ろうとする。そしてその安心できる場所に呼ばれるということは相手を信頼しきっているということだと。これはもしかしなくても以蔵にとって龍馬は信じられる存在だと言われているのと同意義なのではとΩのフェロモンに浮かされた状態で考えた。
以蔵の身を本当に案じるなら、今すぐこの場から離れたほうがいいのはわかっていた。まともにΩのフェロモンにあたりいつまで自分の気合が持つかはわからない。
けれど、それでも、以蔵の巣の中に呼ばれたという事実が嬉しくて、おじゃましますと声をかけて以蔵の隣に寝そべった。
熱を持った以蔵すり寄ってきて龍馬の胸元に顔をうずめる。ふへへ、と平素の以蔵なら絶対しないであろう気の抜けた笑い声をもらした後、すうすうと寝息が聞こえた。
龍馬も以蔵の結われていない髪に顔をうずめて息を吸い込んだ。翌日の反動が怖いが、抑制剤をたくさん飲んできてよかったと心底そう思った。