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    メルアメール・シャノワール 久方ぶりに開けた窓から、いつもと違う清浄な空気が入り込んでくる。心地よい風が頬を撫で、開いたままベッドに残された絵本のページを柔らかに捲った。
     今日は〝神に捨てられた村〟と呼ばれるこの土地が、どういう訳か、普段からはびこる悪意から開放され、いっときの自由を得る特別な日。なぜ今日という日が特別足り得るのかということに興味はない。関係もない。私(わたし)にとって大切なのは、その特別な日が、私にとっても特別な日なのだという事実だけ。昂ぶる気持ちをなんとか抑えながら、私はその時が訪れるのを今か今かと待ちわびていた。
     じきに、母が階段を上り、私に声をかけるだろう。私は冷静さを装い、そっとノックの音を聞く。
    「ミシャちゃん」
     おおよそ娘にかけるものとしては気遣いが過剰な声音が、扉の向こうから入り込む。私がその声に答えないでいると、母は一つため息をついたようだった。
    「ミシャちゃん、これからお母さんたち、行ってくるけれど……本当にいいの? きっと楽しいと思うわよ……?」
    「大丈夫ですわ。私(わたくし)、いつものようにきちんとお留守番をしていますから。どうぞお構いなく」
    「ミシャちゃん……」
    「……大丈夫です」
     母の心配する気配を感じるものの、私からはとりわけ伝えることもない。もう一度大丈夫だと伝えると、母の落胆した吐息が聞こえた。十分すぎるほど繰り返した、いつものやり取り。だからこそ、毎回飽きもせず誘い込もうとする母に、私はもううんざりだ。早く父を連れて出掛けて行ってくれと、布団に潜り込みながら散々に願う。
     しばらくすると、諦めた母の足音が遠ざかり、やがてもう一つの足音と合流すると、玄関の扉を開けた。外に出ても依然として娘を心配し二階の窓を見上げる二人に、私は小さく手を振った。そうすることで、ようやく二人は目的地の方角へと向き直り、歩み始める。その姿を、私は見えなくなるまで注意深く見送った。
     右、左、そしてまた右。二階の窓から確認する限り、見える範囲に人の姿はなくなった。ようやく訪れた〝その時〟に、私はたまらず歌いだす。
     いつもは部屋の真ん中で移動を邪魔する大きな柱も、この日ばかりは、私を外の世界へと送り出す大いなる味方となる。見つからないようしまいこんでいたロープはまだまだくたびれる様子はなく、頼もしい強度を保ったまま、私を家の外へと導いたのだった。

     なれた身のこなしで、二階の窓から階下の芝生へと降り立つ。逃亡劇の一部始終を見知った誰かが目撃しようものなら、〝私〟との印象の違いに度肝を抜かれることだろう。普段本ばかり読んでいると言っても、存外私は快活なのだ。こうして外に出たときには、目一杯走り回れるよう、普段から体力づくりも欠かさないのである。
     窓から降り立つその姿に、仮に〝なぜ玄関から出ないのか?〟を問われたとしても、私の回答はたった一つだと決めている。それは、あまりにも冒険ではないからだ。
     くだらない停滞した日常の中で、私は常に刺激を求めている。それがたとえ同じ道を歩くのだとしても、玄関と窓とを比べれば、そのワクワクの差は明確である。時には少し髪型を変えて。時にはお気に入りの靴を履いて。部屋の中で読み耽る絵本の中のお姫様に、私はなんだって憧れて仕方がないのだ。
     さて、今日はどこへ行こうか。鼻歌を歌いながら闊歩する私を咎めるものは今日はどこにだっていない。そんなちっぽけな事実があるだけでも、私はとても嬉しくなってしまうのだった。いつもならば、家の外に一歩出るだけでも、大人が一緒についていなければ誰にだって反対された。なぜなら、この土地には、人に害をなす存在がたんまりと溢れかえっているから。その者たちは、いつなんどきであろうと、構わず襲いかかってくる。唯一彼らが手を出せない家の中から外に飛び出すと言うことは、最悪の事態を招くということ。この身を案じ、守られているのだと言うことは百も承知だ。それでも、窮屈で仕方のない場所になんて一秒だって居たくはないのだ。
     しかし昨今、どういう訳か、人々が自由に外に出られる日が月に何度か訪れるようになったのだ。風の噂によると、廃教会を立て直した神父によるものだということだが――私は、神父の仕業だと言うことがわかった瞬間から、その情報を遮断してしまった。
     彼には、興味が無いのだ。悪意すら抱くのだ。そんな人間のおかげだなんて、嘘でも信じたくはなかったのだ。
     せっかくのいい気分を台無しにするなんて勿体のないことはしない。私は人の気配のない道の上を見渡すと、ふとあるものに興味を惹かれた。
    「確かあっちには……まだ行ったことがありませんでしたわね……」
     道を作る柵の向こう側。遠くに見える木々の隙間から垣間見える暗がり。その場所を見た瞬間、私の心臓は大きく跳ね上がった。
     あちら側へ行ってしまいたい。その気持ちで胸がいっぱいになった。普段から柵の外には絶対に出ては行けないと言われているけれど、今は。今は、誰も、私を咎めない。
    「……少しくらいなら……構いませんわよね?」
     ほんの少しだけ躊躇したけれど、私は自分に言い訳をするようにそう呟くと、自身の腰ほどの高さの柵を乗り越え、何故か興味を惹かれてやまない森の方へと足を運んだ。
     どこかしら、感じていたのだ。この先へ行けば、どうやっても帰っては来られないのだと。
     だけど私は、それでもいいと感じていた。少なくとも、ここよりかは。
     幸せになれると、そう感じた。



     金属が擦れ合う音が聞こえる。軽やかなリズムを刻むそれらが、閉じている瞳の奥で何事かを連想させる。食欲をそそるいい香りが鼻腔を満たし、私はまどろみに包まれながら舌鼓を打つ。
    「いい匂い……ベーコンエッグかな……」
     起き抜けに嗅覚を刺激するものとしては最上級の環境に置かれていることに、にヘにへとだらしない笑みをこぼしてしまう。
     多幸感をひしひしと感じながら、私はそっと瞼を押し開ける。きっと、朝食を待つ間に眠ってしまったのだろう。そう納得しそうになるも、視覚から入ってくる情報の違いに、私はおもいきり大きな声で叫んでしまった。
    「誰――!?」
     なぜかところどころ見慣れた内装の部屋の中に、全く知らない誰かが、さも当然かというようにそこに存在していた。私の叫び声に少しも驚く様子を見せないまま、彼はフライ返し片手にくるりと振り返る。
    「おお、ようやく目が覚めたようだな。構わん、座っているがいい」
    「……」
     さすがの私も、母と目の前の少年を見間違えるなんてことはしない。そもそも見間違えるにしても、もうずっと母が料理をしている姿なんて目にしてはいないのだ。私は自らが座っていた椅子から大慌てで飛び退くと、なるべく部屋の隅を意識して後ずさる。相手が何を考えてこんなことをしているのかわからない以上、下手に動き回るのも得策ではない。それくらいを考えるくらいの冷静さは、今の私にだってあるのだ。
     頭でそう考えるのとは裏腹に、私はぎゃんぎゃんと叫んでいた。心は平常でいようとあがいても、どうにも体のほうがついてこない。
    「ああー!? ここは一体どこですの――!? そして貴方は誰なんですの、誘拐ですのそうですの!? イヤ――!! 助けて――!!」
    「ええい煩い奴め……さっきまで静かに眠っていたと思えば唐突に叫びだしおって」
     少年は焜炉に向き直り、言葉の割には何も気にしていないという様子で、悠々と料理を続けるのだった。
     少年の物怖じしない態度に、私の中にもしかしたら自身が間違っているのでは、という疑念が生まれる。私は寝起きの頭を無理矢理働かせて、ここに来る前の自分の行動を顧みることにした。
     今日という日のこと。窓から飛び出たこと。誰もいない大地に喜び馳せたこと。柵を越え、未踏の森へ足を踏み入れたこと。どの行動にしても、見知らぬ少年の家へ招待される――招待されたのかはさておいて、だ――に至るものではないはずだ。
    「そうですわ、私はただお散歩を……そ、そうですわ、私は森をお散歩していただけのはず……それがなんでこんなところで眠りこけていますの……わ、私は……夢遊病でしたの……!?」
     頭を抱えてしゃがみ込む私に向かって、少年は呆れた声を漏らす。
    「ここは森だ馬鹿者」
    「は!? 何を仰るんですの、ここが森なわけ――……」
     私に何を言っても無駄だと思ったのだろう、少年は私に背を向けたまま、窓の方をくいくいと親指で指してみせる。訝りながらも、私は恐る恐る窓の外を覗いた。すると、そこにあったのは――彼の言う通り、紛れもなく、森。限りなく森であった。
    「……ほんとだ」
    「そうであろう。と言っても、外に見えるのは貴様が入ってきた森ではないが……まあ、どちらにしろ現在地に違いはないのだ。気にするな」
     なにか重要であるはずのことをのんびりと言ってのける少年に、私はなんだか一人で騒いでいるのが急に馬鹿らしくなってしまい、少しの沈黙の後、目が覚めたときに座っていた椅子へと元通りに着席したのだった。どうも彼からは悪意は感じないし、そもそも、そもそもだ。私はなにか変わったことを楽しみに、あの森へと足を運んだのだ。であるならば、今のこの状況はまさに自身が望んでいた〝わくわく〟に他ならないのではないか。
     もう一度、私はゆっくりと少年の後ろ姿を睨め付ける。楽しそうに鼻歌を歌いながらパンを振るうその様に、私はとうとう警戒心を投げ捨てて、その料理を楽しみにしはじめてしまったのだった。

    「よし、この程度でいいだろう。できたぞ、ミシャ」
    「待ちくたびれましたわよ。……ってなんで私の名前を知っていますの!? 私まだ自己紹介もしていませんわ!!」
     あまりにも少年が自然に私の名前を呼ぶものだから、私はてっきり名を知る機会を設けたのだと勘違いしそうになってしまったけれど、そんな場面は一切存在しなかったはず。また一歩仰け反るも、少年はおかしな顔をして言う。
    「この俺が人の子一人の名前も知らんと思っているのか? 全く無礼なやつだ……いや構わん、人と悪魔が分けられた昨今、俺の存在を知らないというのは最早当然の事だと言ってもいいであろう」
     何事かをブツブツと呟きながら、少年はうむうむと頷く。そして、まだパンに乗ったままのベーコンエッグとフライ返しを両手に掲げながら、朗々と語りあげたのだった。
    「さて、知らぬのならば教えてやろう。この俺こそが――全知全能の悪魔、メルアメールだ」
    「……はあ」
     私はメルアメールと名乗った少年の言うことがいまいち理解できず、首を傾げた。私の反応に気分を害される様子もなく、彼は冷めないうちに、と作り上げた料理を皿へと盛り付けていく。
    「……まって、悪魔、と仰いました?」
    「ああ、言ったが」
     惜しげもなく彼は答える、しかし、私は納得できなかった。
    「なんだかその言葉は信用なりませんわね。人間みたいに料理をして、フライ返し片手に名乗る悪魔なんて、私これまで見たことありませんもの。全知全能だかなんだか知りませんけれど、私、貴方を悪魔とは認めません。……証拠があるなら別ですけれど」
     その言葉を聞き、メルアメールは一瞬目を丸くする。「恐れ知らずとは言わんが……貴様、あの村で生きていてよくそんなセリフが浮かぶな。普通は人を見ても悪魔なのではと疑うところであろう……。まあいい、試したいのなら試すがいい。ただし、この料理が冷めない程度の時間で試せることだけだ」
    「……わかりましたわ。そうですわね……」
     お言葉に甘えて、私はほんの少しだけ考える。そして、手っ取り早くその存在を証明できることを思いつく。
    「じゃあ、メルアメール。部屋の電気を消して」
     メルアメールは一瞬黙りこくったが、絶妙に嫌な顔をしながら、なんの身振りもなく部屋の照明を一切消してしまった。テレビで見たあの興奮を直に目の辺りにした私は彼の方を見てその昂ぶりを伝える。
    「き、消えましたわ! ひとりでに電気が……!」
    「ええい貴様はドのつく田舎娘なのか、それとも都会に住む家電マシマシ女なのかはっきりしろ!」
    「失礼な! 田舎者でも外の情報くらいは入ってきますわ!」
     メルアメールの言葉に反抗するも、証明されてしまったからには仕方がない、私は悔しさをこらえるようにしながらも、彼に頷いて見せた。
    「仕方ありませんわね……貴方を悪魔と認めますわ。私に鱈腹食べさせて、太らせてから食べるつもりですのね。……わかりました。森に入る前の予感は、きっとこういうことだったんですわ……」
    「……一人で妄想しているところ悪いが、お前本体をとって喰おうなどというつもりは一ミリもないので安心したまえよ。というより、そろそろ食事をとらんか。すべて貴様のために用意したのだからな」
     そう言うと、彼は香り高い紅茶をこれまた高級そうなカップに注ぎ、私の前に差し出してみせる。
    「ど、どうして私のために食事なんて用意するんですの。それも悪魔が……」
    「何だ、ミルクのほうがよかったか?」
    「そういうわけではありませんけれど……。ど、毒とか入っていませんわよね」
    「故意の殺しはせんと決めている」
    「……」
     何かと理由をつけようとするも、並べられた美味しそうな食事を前に、私というただの人間がいつまでも抗えるはずもないのだ。私はフォークを片手に、ついに食事に手を伸ばしてしまったのだった。
     香ばしく絶妙な焼き加減のベーコンに、素晴らしい色艶のサニーサイドアップを絡めて口の中へ。まろやかな黄身の舌触りに思わず吐息が漏れてしまう。添えられている野菜はすべてもぎたてのように新鮮で、口の中でみずみずしさが弾けるのを感じられる。
    「……美味しい」
     率直な感想を漏らすと、メルアメールは気分良く笑む。
    「当たり前だ。俺を誰だと思っている」
    「料理職人でしたっけ。素晴らしい腕前ですわ」
    「全知全能の悪魔だ。わざとか?」
    「あら失礼、そうでしたわね」
     私はなんだかそのやり取りが楽しくてくすくすと笑う。
    「でもどうして私の食べたいものがわかりましたの? 焼き加減まで私好みのものですし……さっき名前を言い当てたのも同じ原理ですの?」
     フォークを迷わせながら単純な疑問として問うと、彼は優雅に紅茶を口にしながら首を縦に振る。
    「それが俺の能力なのだ」
    「全知全能の?」
    「ああ」
    「ふうん……」
     何事をも包み隠さぬ彼に、私は警戒どころかいっそ親愛さえ感じてしまう。出会ってほんの数十分の相手に何を絆されているのだと自らを叱責することこそあれど、受け入れるなどすべきではないのに。
     だけど心に反し、私はもう煩うことをやめて、目の前の現実ごと丸呑みする。
    「幸せか?」
     私が口元を綻ばせているのを見てか、彼がそう問う。なので、私は静かに答えた。
    「ええ。……とても」

    「ねえメル」
    「何だ」
     食事を続けるうち、私は妙な違和感に気づき、手を止める。それは自身の食べている食事に対してのものではなかったが、それが尚更気にさせるわけでもあった。
    「貴方、紅茶ばかり飲んでいて、食事には一切手をつけていませんわよね? 私ばっかり食べているのは、些か申し訳ない気持ちがしますわ」
    「いや構わん。俺は俺で食事中なのだ。気にすることはない」
    「そ、そうですか……」
    「……」
     私は言葉通り少し申し訳なくなり、食べる手を止めてしまう。するとそれを見て、メルアメール――メルは終始指をかけていたカップから手を離すと、少し体をずらして座っていた椅子に座り直し、自らもフォークとナイフを手にする。私は慌てて〝無理に食べようとしてくれなくていい〟という旨を伝えるも、彼はナプキンを広げて取り皿を自身の方へと引き寄せた。
    「何も無理に喰おうというわけではない。俺に食事は必要ないが――貴様が一人の食事よりもそれを好むと言うなら、俺はそうしよう」
    「メル……」
    「ぼうっとしている暇はないぞ。あとにはまだ三段重ねのパンケーキも控えているのだからな」
    「ぱ、パンケーキ!? て、テレビで見るあれが……食べられますの……!?」
     私が身を乗り出して聞くと、メルは可笑しそうに笑いながら指を振ってみせる。
    「恐らくな。貴様の理想通りのものを用意してやろう」
    「た、食べます! 私食べますわ!!」
    「お、おい急に掻き込むな! 喉に詰ま――」
    「ん、んぐー!!」
    「言わんこっちゃない……ほら、水を飲め」
     呆れながらもこちらに水の入ったグラスを寄越すメル。つくづく悪魔にはふさわしくない気遣いの数々に、こんな悪魔もいるのだなと感心する。
    「ふう……恩に着ますわ」
    「全く……勝手に死ぬのはやめたまえよ。心臓に悪い」
    「流石に私もこんな無様な形で死にたくはありませんわ……。兎にも角にも、料理はすべて食べ終わりましたわよ! 三段重ねパンケーキを所望します!」
    「貴様よくそんなハイペースで……ま、まあいい用意しよう。そら」
     メルが指を軽快に鳴らすと、光の粒がどこからか集まり、集束し、弾け、突如としてパンケーキがその場に姿を現したのだった。甘酸っぱいラズベリーソースで見事なデコレーションが施されているそれを目の当たりにして、私はこれでもかと言うほど鼻息を荒くする。
    「美味しそう……! でもなんでさっきと同じように調理しませんの?」
    「腹が減っているときは極力能力を使いたくはないのだよ。しかし貴様のおかげで、能力を使っても問題ない程度には腹が満たされたからな。これはお礼だ」
    「私のおかげ……?」
     私はコテンと首をかしげる。
    「さっきからわからないことの方が多いですけれど、私はただご飯を頂いているだけで、貴方に対しては何もしていませんわよ……?」
    「構わん。俺は幸福を喰らう悪魔なのだ」
    「幸福を……喰らう……?」
     頭上にハテナを浮かべるも、私はすぐにメルが出現させた華やかなデザートの皿を自らに向けて勢いよく寄せる。
    「わ、私のこの幸せの塊を奪うつもりですの!? パンケーキは差し上げませんわよ!」
    「それはいらん。というより自分で用意できる。なに、貴様から発生した幸福を横取りするわけではない。その幸福を観測できれば十二分に腹は満たされる」
    「随分とエコな悪魔ですわね……」
     つまりこの悪魔メルアメールは、最初から私を招き、好きなものを食わせ、幸福にし、自らの腹を満たそうと目論んでいたのだ。もちろん私も悪魔がなんの見返りもなく人間に好く振る舞うなんて考えてはいなかったけれど――散々食事をかっ喰らった今となっては言い訳に過ぎないが――私はなんとなく、自身が彼の餌となった理由が想像できた。
     私が――どうしようもなく、つまらない人間だからだ。
    「ねえメル」
     私は静かに彼の名前を呼んだ。私の少しの変化に気づいたのか、上げた顔にはわずかに警戒の色が滲んでいるようだった。
    「……? おい、貴様……」
    「私が幸せになれば、貴方も幸せになる。それってとっても素敵な事だと思います。利害の一致、世で言うところのwin-winですわ。なら、メル。もっと私と一緒にいて、たくさんお話をしてください。そしたら私、もっと、もっと幸せになれますわ」
     段々と冷めていく紅茶のカップを両手で包みながら、私は想う。
     久しぶりに、こんなにまともに他人と話をした気がする。きっと、私はずっと、こういうことがしたかったのだと。彼と出会い、会話し、食事を楽しみ――私は、遠くに忘れてきた宝物を取り戻したような気分だった。
    「なんだか……もう……」
    「!! ミシャ、やめろ!」
     メルが叫ぶように私を止める。しかし、私はその制止に応えず――口に、出してしまう。今の、最も切実な、その願いを。
    「帰らなくても、いいかもしれない」
     私の言葉を引き金に、何かが急激に動き出すのを感じた。はっとして顔をあげると、メルが怖い顔をしてこちらを見ていた。
    「ど、どうしましたの、そんな顔をして……」
    「貴様……一体どうすればそんな願いを口にできるというのだ!!」
     何故かメルは激高し、立ち上がり怒鳴った。だけど私は彼がどこに怒りをぶつけているのかわからず困惑する。
    「な、なんですの……!! まだここにいたいと願うことが、悪いことだと仰っしゃりたいの!?」
    「そうではない!! 何故、何故そんなにも……ッ」
     彼は切羽詰まった様子で、うまく言葉を紡げないでいる。急に訪れた環境の変化に戸惑っていると、先程まで穏やかな光を落としていたはずの照明が、次々と音を立てて破裂していく。幸い直接破片を被ることはなかったが、足元に破片が散らばり、外からの明かりでキラキラと反射していた。メルの方を窺うも、彼の仕業ではないようだった。彼の表情はまさに狼狽という言葉がふさわしいと思えるほどで、わずかに冷や汗をかいている。しかし強く首を振ると、落ち着け、落ち着けと自身に言い聞かせる。
    「すまん、俺ともあろうものがこんなことで取り乱してしまうとは……。ミシャ、お前の意思を尊重してやりたいところだが、ここでおとなしく死なせてやるわけにはいかん。なんとか考えを改められるよう努力してくれ」
     突然メルの口から出た言葉に、私はあっけにとられる。自身の聞き間違いでなければ、メルは今、死なせてやる訳にはいかないと言ったか。そして、意思を尊重することはできない、とも言った。その二つを単純に組み合わせると――おかしなことに、私がさも死を願ったように聞こえてしまうではないか。もちろん、私はそんなことを言ったつもりは一切ない。いや、一切ない、とは言い切れないと、心の何処かで思っていた。だけど、口では、メルの言葉に反抗していた。
    「わ、私……死ぬつもりなんてありませんわ」
    「……そうだな。そうあってくれなければ困る。しかしミシャ、……外を見るがいい」
    「……っ……あれは……あれは一体何ですの」
    「お前だ。ミシャ」
    「私……」
     メルが指し示す先にあったのは、絶望的な事実だった。いつの間にか夜になっていた森の中に、幾多の影がゆらゆらと揺れていた。それを、メルは私だという。
     彼は窓の外に視線を投げたまま、淡々と私に状況を伝える。
    「いいかよく聞け。ここは、俺の餌となった人間の願いが叶う場所なのだ。貴様がここにいたいと、帰りたくないと望んでいる限り――あの影は、お前を強引にでもここに止めようと動くだろう」
    「ど……どうすればいいんですの。私は……どうするべきなんですの」
    「……帰りたいと、心から望む。それしか方法はあるまいよ」
     今になって、彼の冷静な物言いが強く私の心を揺さぶってくる。メルは立ち尽くす私の肩を軽く叩き、言う。
    「しかし突然言われても無理なものは無理だ。幸い、まだ最終的な判決は下されていない。できる限り時間は稼いでやる。ゆっくりと考えるがいい」
    「……」
    「向き合え。逃げるな」
    「……っ」
     そんなことを言ったって、一体何と向き合えばいいのかなんてわからない。そんな甘えた答えを口にできるほど、状況は明るくなかった。それを言ってしまえば、きっと、終わりが来てしまうんだろう。
     私は椅子に座って項垂れる。どうしてこんな事になってしまったんだろう。いっその事大声でわめいてしまいたかった。だけどその様子を見たって、メルはただ私の答えを待ち続けるだけなんだろう。きっと、そうなんだろう。
     なんだか悲しくなってしまって、私はぐすぐすと嗚咽した。それに気づいたのか、メルは窓に向けていた視線をこちらへと向け直した。
    「何を泣いている」
    「……」
     答えない私に、メルは頭を掻きながら、元の通りに私の対面にある椅子に着席し、私の顔を覗き込むようにしてもう一度問うた。
    「どうした」
     その優しい声音に、私はもっと辛くなる。
    「……理由を言ったら、きっとメルは怒りますわ」
    「それは貴様が決めることではない。……言ってみるがいい」
    「……だって」
     メルは静かに私の方を見ていた。
    「だって、帰ってしまえば……また私は一人ぼっちになってしまいますわ……」
     私はポロポロと流れる涙もそのままに、至極落ち込んだ声音で言った。どうしようもなく寂しくて、悲しい。自分が一言話すたびに、自身が現実においてきた嘆きが浮き彫りになっていく。しかし、メルが望んでいるのはそういうことなのだ。現実を認め、解決策を見つけろと。そう、言うのだ。
    「ねえメル。現実での私は、いつだって一人ぼっちなんです。外は愚か、家の中にだって居場所はありません。……でも、ずっとこうだったわけではありませんのよ? 私だって、昔は人並みに幸せだったんです。でも、あの人が……神父様が教会で説法を始めてから、すべてが変わってしまいましたわ」
    「……」
    「あの人のお話しを聞いてから、両親は居もしない神様のお話ばかり。朝も夜も、時間が許す限りに祈りを捧げて。私はそんな両親が怖くなって……いいえ、億劫になって、自室にこもることで彼らから逃げました。月に二度ほど来る、外を自由に歩けるこんなような日にだけ……私は、自由になれるんです」
    「なるほどな……」
     メルは眉間に皺を寄せ、何かを考えているようだった。私は、あふれる言葉を紡ぎ続ける。
    「もう、嫌なんです。誰もまともな人がいないとさえ思えるあんな場所に帰るのは。私はずっとここにいたい。私のお話しをちゃんと聞いてくれる……対話をしてくれる貴方と一緒にいたいんです!! だから……ッ」
    「ミシャ、落ち着け。……俺は逃げん」
     もうなんともないと思っていた日常と化した苦痛も、夢のようなひとときと比べてしまえば、それは容易に、思い出すのも嫌になるくらいの現実へとすり替わってしまう。だからこそ、手放すのが怖かった。偶然手に入れたこの幸福を。それを察したかのようにメルが言うものだから、私は静かに口を噤むしかなかった。
    「俺は所詮悪魔だ。人間ほどに、人間のことを理解しているわけではない。貴様の心が読めたとして、そこから人間と同じ精度で察してやることはできないが故に――俺は、貴様の一番の願いを見誤ったのだ」
     メルはゆっくりと瞬きをする。
    「この場所は、貴様の幸福を引き出すために、貴様のためだけに、俺が自らの能力で作り出した空間だ。ここでは能力の使い手ではなく、餌となった者の意思が何よりも優先される。だから、貴様が帰りたくないと……ここにいることが一番の幸福だと感じた瞬間に、外に繋がる出口もなくなってしまうのだ。俺は古くから、人間がその望みを抱かぬよう、最大限に配慮してきたつもりだ。しかしお前は――俺の預かり知らぬところで、それほどまでに苦痛を感じていたのだな。……しかし、それとこれとは別だ。そんな現実が待っていようとも、貴様は戻らなければならん」
     メルは一度、窓の外をちらりと見やる。外にうごめく影が、こちらを向いた気がした。
    「ただただこの世界にいられるだけならいいが……そうではない。影は貴様としての意思を持たない。そして、貴様が自身であることにも気づかない。じきに奴らは、貴様を殺しにここへ来るだろう。それが一番手っ取り早い、貴様をここに留めておく方法だからだ」
    「……」
    「頼む、ミシャ。生きたいと願ってはくれないか」
    「メル……」
    「俺の力で……人を殺させないでくれ」
     メルは苦しげに呟いた。きっと、この悪魔は、何よりも人間を愛しているんだろう。本来なら、その力を持って、人一人殺すことなんて日常茶飯事のはずだ。少なくとも、私が知っている悪魔とはそういうものだ。人を襲い、殺し、甘い言葉を嘯くのは、利用するためだけ。
     狡猾で、下賤。そんな印象とは真逆のところにいるのが、このメルアメールという悪魔だった。幸福を与え、幸福を喰らう悪魔。私を救いたいと懇願するようにさえ思える彼の言葉に、されど私は余計に留まりたいと願ってしまうのだった。
    「それとだ、ミシャ!!」
     私がもう一度〝帰りたくない〟と口に出す前に、突然メルは大声で叫んだ。何事かと顔を上げた私の目に映ったのは、何故か憤慨する彼の姿だった。私がぽかんとしていると、彼はこちらに指を突きつけ、身を乗り出して言った。
    「貴様、話し始める前に俺が怒ると言っただろう。正直貴様の暗い過去や帰りたくないと宣う気持ちはどうでもいい。しかし俺は確実に腹を立てている。何故か分かるか」
    「わ、わかりませんわ……」
     メルの勢いに圧倒されながら、私は答えた。
    「わからないのであれば教えてやろう! 俺は貴様の付き合いの悪さに呆れているのだ! な~にが〝帰ればまた一人〟だ、貴様は人には一度しか会わん引きこもりか? ああすまん引きこもりは事実だったか……それにしても気に食わんのだ。いつにだって顔など簡単に合わせられるだろう! 馬鹿者が!」
    「な……え……?」
     とても、そんなことで怒っているのかと聞ける雰囲気ではなかった。が、メルは間違いなく、もう会えないのだと嘆いた私に対して激怒しているようだった。勘違いしてはいけないのは、恐らくメルは、私が自身に会う気がないのだと思いごねているわけではないということだ。さすがの私も、そこまで自惚れてはいない。メルは――そう。先を見ずに悲観している、未来を閉じきって、あるものをないと言っている私に腹を立てているのだ。
    「貴様は俺と知り合った時点で、もうどこであろうと一人などではない。明日も明後日も会うことができるのだと、当たり前にそう思え。俺とともにありたいと願うのならば尚の事……こんなところなどではなく、夢から覚めた現実で俺のこの手を握るがいい!」
     そう言うと、メルは力強くその手を差し出す。私は彼の顔をもう一度よく見つめ、答えを決めた。
     いいや、答えなんて最初から一つだった。彼とともにありたい、そう願った瞬間から。
     私は彼の言う通り、苦痛でしかない現実の中で彼の手をとるために――今は、現実ではない場所で、差し出されたその手を強く握りしめたのだった。



     最終判決が下され、何事もなく元いた場所へと帰れるかと思いきや、現実は殊更突きつけられるまでもなく甘いものではなかった。私の意思が残した影は消えることはなく、逃げ出そうとする私たちの後ろを執拗に追い回してくる。メル曰く、帰るための扉は確実に出現したらしい。しかし、どうにも開かないのだと言う。
     今私達は、迫り来る影から必死に逃げ惑っている。いつ開くかもわからない扉が、一刻も早く開くことを祈って。
     しかしやがて、私の体力も限界に近づいてくる。息を荒げ、とうとう私は立ち止まってしまった。
    「おいミシャ、大丈夫か」
    「あ、んまり……大丈夫じゃありませんわ……」
     そうしている間にも、影は足早に私達に立ちふさがる。すでにそれらは足止めではなく、明確な殺意を持ってこちらへと向かっているようだった。
    「……チッ!!」
     ひときわ大きな舌打ちをすると、メルは急に私の襟首を掴んだと思えば、そのまま私を後方へと投げ飛ばす。
    「ッうあ!! な、何をしますの――」
     思い切り地面に顔を打ち付けた私は抗議しようと体を起こすも、先程私が立っていた場所を、影が体を変形させて作り上げた鋭い鎌が薙いだのを見、のどを震わせる。メルが私を助けてくれたのだと気づくも、そのせいか影たちの狙いはメルに向いてしまったようで、無数の刃が彼を襲う。しなやかな動きでそれらを躱すメルだったが――流石に彼の堪忍袋の緒は、それらの猛攻に引き千切られてしまったようだった。
    「貴様ら……こちらが下手に出ていれば調子に乗りおって……。忘れているのなら思い出させてやろう。ここの主が誰だったのかをな。……消え失せろッ!!」
     聞いたことがないほどに冷たい声でそう呟くと、メルは勢いよく空を掻く。その動作に合わせ、凄まじい風が影を切り裂き、瞬く間に散っていった。刹那見せた冷酷さに身震いする暇もなく、メルが私の体を起こす。
    「き、消えましたの……?」
    「いや、散っただけだ。そのうちにまた再生して追ってくるだろう。しかし埒が明かんな……なにか方法はないのか……」
     メルはすでに万策が尽きたという顔をしており、つまるところお手上げ状態のようだった。かと言って、扉が〝なら仕方ない〟と開いてくれるわけもなく。いい案はないか、と問いかけるメルに、私はゆっくりと提案する。
    「メル。……私を殴ってください」
    「……は?」
     彼が思わず馬鹿面になってしまうのも仕方がない。私が彼の立場だとしても、きっと同じような顔をしていたことだろう。しかし私は、何も思いつかないからとうとう狂ってしまっただとか、冗談を言って笑わせようだとか、そういうつもりで言ったわけではない。大真面目な発言だった。
    「私、人より寝起きがよくありませんの。だから、もしかしたらひっぱたいてくださればなんとかなるかも……」
    「……眠っているわけではない、ということは理解しているな?」
    「ええ、もちろんです。でも……夢でしょう、この場所は」
    「……本気か?」
    「……ええ」
     今一度確認するメルに、私は強く頷いた。もちろん殴られるなんて嫌に決まっている。しかし、それで扉が開く可能性が少しでもあるなら、と。あと、メルなら少し手加減してくれるかもしれない、なんて考えも少しだけあった。
    「わかった。貴様がそれでいいというのであればそうしよう。……ふッ!」
     しかしそんな私の淡い期待は見事に打ち砕かれ、メルの全力の拳が私の顔面に突き刺さったのだった。



    「いっ…………たああああ――!! メル! 貴方全力でやりましたわね!?」
    「心配するな、現実に影響が出ないよう加減した」
    「できれば力の方も加減していただきたかったものですわね!! ……って……」
    「ああ。喜べ、無事に俺たちは戻って来られたようだ」
     メルはそう言い両手を広げてみせる。あたりを見渡すと、もうすっかり景色は見慣れたそれに変化していた。まだ時間はあまり経っていないようだったが、体に蓄積された疲労は計り知れない。くったりと座り込んでしまっていたそんな私に、メルは手を差し出す。
    「あ……」
    「?」
     彼の手を凝視する私を見て、メルは頭上に疑問符を浮かべる。彼としてはただの例え話だったのだろうが、私の頭の中では、メルの言った言葉が繰り返し浮かんでいた。
     ――俺とともにありたいと願うのならば尚の事……こんなところなどではなく、夢から覚めた現実で俺のこの手を握るがいい――。告白じみたそんな言葉に、私は柄にもなく照れくさくなってしまって、その手をとることを躊躇してしまう。しかし彼は、こちらの心境などお構いなしに、私の手をひっつかんで強引に立ち上がらせる。
    「わっ」
    「何をぼうっとしている。さっさと村に戻るぞ」
    「わ、わかっていますわ! わかっていますけれど……」
     村に戻る、という当たり前のことに、私はにわかに不安を覚える。またあの場所に戻らなければならないのかと。そんな私を見やり、メルは呆れたように言う。
    「何だ貴様、俺の手をとっておきながら、まだ一人だの何だのと宣うつもりか?」
    はあ、とため息をつきながら指摘され、私は自分の顔が真っ赤になっていくのを感じながら声を荒げる。
    「ん、んなぁぁ――! 貴方わかってやっていますのね!?」
    「なんのことだか」
    「きいい――! 私絆されませんわよ!」
     ブンブンと腕を振り回す私を見て、メルはからからと笑う。
    「ともあれ、貴様はまだまだ向き合うべきことを多く残していることを忘れるなよ。家族然り、神父然り……思い込みで相手の言うことを否定するのはあまりにも無礼だ。まあ、礼を尽くせとは言わんが、神父の話を一度きちんと聞いてみるがいい。そうすれば、自然と合点がいくはずだ」
    「……メルもあの人の味方をしますのね」
    「そう目の敵にするな。俺はあくまでも、あの小僧の行動が自身に利のあるものだから肩を持っているだけに過ぎん。恐らく多くの人間にとってもそうであると言えるだろう」
     不貞腐れ黙り込む私に、メルは言う。
    「人と話すのが苦手なら、俺がいくらでも練習台になってやろう。しかし、あちらでも言ったが、俺といることを目的にはするなよ。いずれ俺はいなくなる。その前に、きちんと自分のしがらみは無くしておけ。いいな」
    「……わかりましたわ。でも、明日は……明後日は、きちんと会えますのよね?」
    「信じろ」
     自信たっぷりな笑顔でそう言うと、メルは私を森の外へと送り出す。すると遠くから、今は少しも聞きたくない人間の声が聞こえたのだった。
    「あー! いたよーフリートヘルム! おーい、メルー!」
    「よかった……! 無事だったんだね……!」
    「……神父様……」
     自分より背の低いメルに隠れるようにして言うと、神父様はバツが悪そうな顔をしながらも、私に声を掛ける。
    「アイリ……この子が、君が森に入っていったって教えてくれてさ」
    「アイリが行っても驚かせちゃうかなーって思ってフリートヘルムのこと呼んだんだけど、メルのところにいたなら安心だね! ありがとメルー」
    「俺の空間は決して託児所ではないんだが……」
    「似たようなもんでしょ? シャルルも通ってたし」
     まるで緊張感のない悪魔たちの会話に、フリッツは苦笑を漏らす。
    「ははは……とにかく、ご両親が心配してるから、一度教会まで来てくれるかな。……ごめんね、僕のことが嫌いなのは知ってる。だけど――」
    「いいえ、構いません。だけど……まだ貴方とはお話ししたくありませんわ」
    「……そっか」
     残念そうに呟く神父・フリートヘルムに、メルが笑って付け足す。
    「なに気にするな、いずれミシャも小僧の話を聞きに来るだろう」
    「そうなるといいんだけど……」
     じろりと彼を睨め付ける私にたじろぎながらも、彼は優しげな笑みを絶やすことはなかった。
     わかってはいるのだ。悪ではないと。しかしやはり、すぐには受け入れられない。それは、きっと彼も理解していることだ。

    「ねえねえメル、そういえばなんでメルはフリッツをご飯にしないの?」
     少し離れたところで、悪魔の少女であるアイリがメルに問うた。
    「よせよせ、あいつの幸福は細やかなくせに甘くて敵わん」
    「そっかぁ。フリッツはご飯上手だし、快眠だし、えっちな欲求もヴェンツェルが強制的に満たしてくれるもんね」
    「……おいアイリ、それ、本人の前で絶対言ってやるなよ」
    「言わないよー、アイリまだもうちょっと死にたくないし。でもねでもね」
     改まるようにアイリは笑う。
    「やっぱりメルは、人を幸せにしてあげたいんだよね?」
    「……」
     とたん、呆気にとられたメルアメールだったが、次の瞬間には大きく吹き出していた。
    「ッ……あっはっはっはっは!! ええい笑わせるな腹が減るッ」
    「えーなんでー? その通りでしょ?」
    「寄ってたかって俺を善人に仕立て上げるのはやめろ。俺はただの、お前と同じ悪魔でしかないのだ」
    「そっかあ」
     アイリは納得したように呟く。そしてすぐに、フリートヘルムの方へ視線を向ける。
    「フリートヘルム、きっとうまくやれるよ」
    「ああ。いち早く極上のベッドを所望したいものだ」
    「もー、メルってばー」
     けらけらと笑う二人の会話は、誰に伝わることもなかった。

    「さて、それじゃあ僕らは一旦教会に戻るよ。ありがとう二人共」
    「ううん、いいよー! また遊ぼうねフリートヘルム!」
     アイリが元気に手を振るのとは反対に、私はまだ未練がましくメルの瞳を覗いていた。
    「明日……また明日、窓を開けて待っていますわ! だから……気が向いたら、来てください」
    「そうしよう。まあゆっくり待っているがいい」
     そう言ってメルは手を振る。その様がなんだか今生の別れのように感じてしまい涙ぐむけれど、さすがのメルにも手がつけられないと言われてしまいそうなので、ぐっと堪える。
    「行こうか」
    「……ええ」
     神父様が前を歩き、私もその後ろをついて歩き出す。ちらりと後ろを振り返るも、すでに二人の悪魔は帰路についたようだった。メルの言う通り、私ばかりが不安がっているのだ。なんだか片想いのようで腹立たしい。そんなつもりはすこしだってないのだ。……多分。
     やがて教会にたどり着き、両親にこれでもかというほど叱咤された私は、まだまだ他人のように離れてしまった心を動かすことこそできなかったものの、母親が強く自身を抱きしめた暖かさだけは、なんとか感じることができたのだった。いずれきちんと、彼らに向き合うことができるのだろうか。
     まだまだ遠くの未来より、今はたった数時間後の明日だって不安で仕方ないのだ。しかしそれでも、私は笑った。絵本を読み耽る私にのんきな声で挨拶をする、メルアメール・シャノワール。その人の声を、聞きながら。



    END
    一代螢 Link Message Mute
    2019/01/14 22:38:03

    メルアメール・シャノワール

    人気作品アーカイブ入り (2019/01/16)

    「幸せ」をくれたあなたの言葉に、私は背中を押してもらえた。
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    「自由を得る特別な日」。この日は私にとっても特別な日。窮屈な場所から、興味のない情報から逃げるように、刺激を求めるように、私は走り出す。そうして入った森で、私はとある少年に出会う。目の前の暗闇に押しつぶされそうになりながらも、彼は小さい光を与えてくれる……そんな、彼と私のお話。(キャッチコピー・紹介文/霜月彗)


    ※一話読み切りです

    #創作 #オリジナル

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    • ニウラカウラ様~~~~~ 久しぶりに絵を描いたから止めどきわかんなくてめっちゃ塗ってしまった 楽しかった #創作 #オリジナル #オリキャラ #女の子一代螢
    • 1-2 #オリジナル #創作一代螢
    • 2-1一代螢
    • 1-1それは、神々が同朋を犠牲に戦いを終わらせたあの日からわずかに未来の話。
       翠霊・エルクローザは、友人を失った悲しみに日々暮れていた。
       どうして、どうして。
       なぜあの子の不幸を終わらせてあげられないのだろう。
       嘆く神の声は誰にも届かない。それは、世界に対しても同じことだった。

       悲しみは繰り返す。
       どこかの誰かの愚かな行動により、彼女はまた現実へと引き戻されたのだった。

      #オリジナル #創作
      一代螢
    • マリアルフィーロ(←)とマリアルヴィーレ(→)
      立て続けにお絵かきなのだ 右が男で左が女だよ

      #オリジナル #創作
      一代螢
    • クラディルちゃんがお家帰るはなしそのまんまです #オリジナル #創作 #BL #読み切り一代螢
    • スクたゃ~~~ #オリジナル #創作一代螢
    • ニコに続いてエルクローザも描いた~ たのしい
      #創作 #オリキャラ #オリジナル #女の子
      一代螢
    • 翠霊ラストのアインストレイアくん #オリジナル #創作一代螢
    • 五月雨の花嫁さんな和翅さん #オリジナル #創作 #オリキャラ #女の子一代螢
    • 片道切符いつも通学中の車内で見る誰か。
       美しい容姿の完璧な――“美術品”と形容するのがまさしくといった彼に、俺はただ見惚れていた。

       触れるわけにはいかない。
       でも、もしも。それが許されるなら――

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      #オリジナル #創作 #BL #読み切り
      一代螢
    • 名もなき僕らの救世主私には魔法が使えた。それも、誰にも負けないくらい、とても上手に。
      だけれど、村を追われた私には、それだけしか残らなかった。
      それでも、誰かの涙を止めることが出来るなら。私は、そのためだけにこの手を伸ばそう。

      空っぽの手のひらだからこそ、あなたを抱きしめられるよ。
      どうかあなたが、一人になりませんように。
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      誰もが魔法を使える村に生まれた〝天性の才能を持つ魔法使い〟シャロン。
      空を愛する彼女は、同じ力を持つ親友であるテッシェとともに、日々楽しく暮らしていた。
      しかしある日を境に、シャロンは魔法以外のすべてを失ってしまったのだった。
      失墜の中流れ着いた、地図に載らぬ島。そこでは、とある自然現象により苦しむ人々がいたーー。

      やがて少女は、一つの鳴き声を聞くだろう。

      これは、捨てられた少女が、小さな世界を救う物語。


      #オリジナル #創作 #序章
      一代螢
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