進藤やないか「残念やな、せっかくの第二回北斗杯前の取材に進藤がおらへんのは。」
棋院のエレベーター内で隣に立つ塔矢にそう話しかけると、まっすぐ前を向いたまま塔矢は答えた。
「だが今回は専門誌ではなく一般の雑誌の特集だ。全員で臨む必要もないだろう。正直進藤が羨ましいくらいだ。」
「まぁ取材が決まった後から名古屋出張での対局の日と重なったとあっちゃ勝ち上がったってことでめでたい話だし角を立てんと仕事断れるもんなぁ・・・。せやけど一般誌やからこそ顔を売るチャンスとも言えるで。」
「試合の内容を勝ち負けでしか理解できない層に顔を売る必要もあるまい。」
塔矢はにべもない。
軽く音を立ててエレベーターの扉が開いた。
廊下を歩きながら塔矢が呟く。
「もし週刊碁だったらぜひ進藤の秀策への思いを掘り下げて欲しかったが。」
「・・・いや気になるならそんくらい自分で聞ったらええやん。」
「ボクが聞くと警戒されそうで。」
「何を?」
塔矢は答えない。
「おまえら遠慮なく諸々やり合うとるように見えてたまに変なとこで躊躇するよな。」
「そうかな。」
塔矢の返事はそっけへん。
インタビューなぁ・・・
ふと、第一回北斗杯後に内々で行った打ち上げでの話を思い出す。
『おまえらっていつ知り合ったん? やっぱりプロになってから?』
いつもなら酒より食事派の倉田さんが珍しく酒をかっくらって酔いつぶれた後なんとなく聞くと、淡々とした調子で塔矢が答えた。
『出会いは小学校六年生だ。ある日ふらりと碁会所に現れて、こども同士じゃないと盛り上がらないと言って無邪気に対局相手にボクを指名し、碁石を知らないまろやかな指先で、初心者のたどたどしい手つきで、ボク相手に指導碁を打ってきた。それが進藤だった。』
『初手指導碁?!』
素っ頓狂なおれの叫びと
『塔矢!!』
悲鳴じみた進藤の叫びが重なった。
『それは言わない約束だろ?!』
『そんな約束キミと交わした覚えはないが。』
『そうだな、確かに交わしちゃないけど・・・っ!』
黒歴史を暴かれたこどものような顔をしとる進藤に冗談やないことを悟りおれは唖然とした。
『ええっ、小六の頃には大会には出てこおへんけどめちゃ強いらしいって関西でも噂になってたで塔矢。その頃は進藤の方が強かったんか? ・・・いやでもそんな進藤との話聞ぃたことないな。』
『聞かれないから話していなかっただけだよ。ボクがその時進藤に敗北を喫したことは父も緒方さんも知ってる。』
『これからもしなくてよかったんだよその話は・・・っ。』
バツの悪そうな顔をしながら進藤が言うた。
あの感じだと二人の馴れ初めを深堀りしてもおもろそうやけど進藤がおらんんじゃなぁ。
まあええか、それも今日の取材なんかやなくて自分で聞ったらええ話や。
そうこうしているうちに今日の取材を行う部屋についた。
記者はショートカットの可愛らしい女性と眼鏡をかけた厳格そうな壮年の男性やった。
「社さんは高校生なんですよね? 学生生活で彼女とかできましたか?」
そんな質問に思わず苦笑いした。確かにこれは週刊碁では聞かられへんやろう。
「いまへんね。学校と家の往復みたいなもんなんで。それに恥ずかしながらまだ親にプロ棋士になることを反対されとるので・・・一刻もはよ成果を上げて親を納得させへんかったらいけない時にそんな余裕はあらへん。」
今恋人なんて作った暁には
「そんなやくざな職業で将来お相手さんを養えるんか! それとも養ってもらう気なんか?」
などと両親からやいやい言われそうで想像するだけでげっそりした。
「塔矢さんは・・・? 今お付き合いされている方とか、好きな人とか・・・」
おずおずと記者に聞かれ、
「いえ、ボクも碁に邁進したいので。」
とやらかい笑顔で塔矢は返す。
「では、好みのタイプとか・・・街中などでつい目で追ってしまう人などは。」
食い下がるなこの人。もしかすると今回おれたちの恋愛事情を掘り下げたいのかもしれへん。
「目で追ってしまう・・・」
塔矢は反芻し、ふむ、と顎に手を当とった。
「進藤ですね。」
「しんどう?」
記者はぱあ、と顔を輝かせた。記事にしたい内容の方向に持ち込めそうっちゅう顔や。
「その方はどんな方なんですか? 幼馴染とか中学時代のクラスメートとか?」
「ご存知、ないのですか?」
すっ、と先ほどまで穏やかやった塔矢の顔から表情が消えた。
(進藤を知らない? 仮にも記者なら今回の取材対象からは外れていても北斗杯メンバーの下調べくらいはするべきだろう。貴方は事前準備のひとつもせずこの場に臨んだのか? 記者としての矜持はないのか)
表情が抜け落ちた塔矢の後ろに弾幕のように流れては落ちる独白を空目してしまい、慌ててから笑いをしながら間を取り持った。
「この文脈で出てくるとは思いまへんでしたよね! 北斗杯日本代表の一人進藤ヒカルですわ!」
「あっ・・・ああ! 進藤プロ!」
記者も慌てた様子で話を合わせた。
「こら塔矢! 日本に進藤さん何人いると思うとるんや?」
そう肘で小突くと、少々憮然とした様子ながら表情を取り戻した塔矢が答えた。
「すまない、出会ってからボクの中の進藤は彼一人だったから。」
「お、おう・・・」
何ぞさらりとどでかい感情を目の当たりにした気がしたが気にせぇへんことにして前を向く。取材はまだ始まったばかりや。
「対局日が同じだとつい確認してしまうんです。今日もちゃんと手合いに出ているか。彼がプロになった当初、数ヶ月手合いを休んだ時期があって。心配になってしまうんです。彼がまた休んだりしていないか。何か行動に不穏な予兆はないか。」
彼がまた休むようなことがあれば公式戦で戦う機会が益々遠くなってしまうので。と微笑みながら塔矢は言う。
「そうですか・・・」
記者は戸惑った様子やったが気ぃ取り直して質問を続けた。
「で、では気づいたらついその人のことを考えてしまっているような・・・頭を占めている人とか。」
「進藤ですね。」
淀みなく塔矢は返す。
「出会った頃から、彼のことを考えるとボクは冷静でいられません。」
「そう・・・ですか・・・」
記者はペンを握ったまま手元の手帳と塔矢の顔に視線を往復させたった。
「その人のことをもっとよく知りたいと思っている・・・」
「進藤ですね。」
打ったら響くように塔矢は返す。
「彼のことを一番知っているのはボクだと自負していますが、彼には謎が多くて。いつか話してくれる日を心待ちにしています。」
たじたじしとる記者の向かいでおれは目をみはっとった。
サブリミナル進藤や・・・!
どんな話でも進藤の名前を上げることによって記事は進藤の名前で溢れるやろう。進藤がここにおらんことを感じさせへん・・・! 考えとるやないか塔矢・・・!
反動で塔矢めっちゃ進藤好きな男みたいになっとるけどええか! ・・・いやええんか? おまえはそれでええんか??
「あっ・・・甘えたくなる人は・・・?」
小首を傾げながら緊張した面持ちで記者が食い下がる。
「甘えたい・・・?」
塔矢が眉を寄せる。
「進藤ではないですね。甘えるどころか弱気になっている所は一切見せたくない。」
「せやな、1年前の北斗杯合宿で徹夜で早碁した時疲れてない! って進藤に食いついてたもんな。あれたぶん誰でもふつーにしんどいからしんどいって答えてええところやと思うで。」
そう返しつつおれは内心で語りかける。
落ち着け塔矢。記者さんは進藤か進藤やないかの二択を聞いてきてるわけやない。
「抱きしめたくなったりはしますか?・・・進藤さんを。」
女性記者がおずおずと聞く。
記者さんも落ち着いてくれ、塔矢の進藤二択に引きずられへんでくれ。
「抱きしめたいですか?」
目をぱちり、と瞬かせて塔矢は言う。
「考えたこともなかったです。もともとハグの習慣もないですし、人に触れる機会すらそうそう・・・進藤と言い争いはしてもお互い手は出さないですし。ああでももし北斗杯で優勝したら・・・いえ、囲碁競技で勝ったからといって抱き合って喜ぶのはなんだかあまり品がない気もしますね。それに前回の優勝国もそんなことはしていなかったから。」
どう思う社、と問われてせやなぁ。やけど去年のビリケツから今年優勝なんてことになったら浮かれてハイタッチくらいしてまうかもわからんなぁ、と答える。記者のそういうことを聞いてるのやないとフォローしてもらいたそうな瞳には気づかないフリをした。
記者は諦めたのかこほんと咳払いをした。
「失礼しました。そうですね、そうそう触れる機会なんか」
「滅多にないので印象に残っているのは中学生の頃でしょうか。夏休みの終わりに後ろから進藤の肩を」
「いやあるんかい。」
「夏休みの終わり・・・?」
「進藤・・・さん・・・?」
記者達からもそれぞれ声が漏れる。
女性記者は、抱いた・・・? 後ろから・・・? あす・・・なろ・・・? と両手を交差させ呆然としとる。
いや待てまだ早い。まだ早い。肩叩いただけかもしれんやん。
「何があったん・・・?」
つい聞いてしまうと塔矢はどこぞ遠くを見つめるような目をした。
「あの日、ボクがずっと追い求めていたのはやはり進藤だったのではと彼を探して街中走り回ったんだ。ようやく見つけて問い詰めて、彼には否定されて。・・・でも今でも思う、あれは本当にボクの勘違いだったのか。」
そう呟くように言うと、塔矢は存外長い睫毛を伏せて何事か物思いに耽った。
沈黙が室内を満たす。
待って塔矢。一人で長考せんといて。おれを置いていかんで。
(夏休みの終わり・・・! 自覚した淡い恋心を否定された少年がその後このプロの世界で運命の少年と再会した・・・?) と手元の手帳に殴り書きながら目を輝かせる女性記者と何を考えとるのかわからんその隣の男性記者、ほんで何も気づいておらへん塔矢とどないしたらいいかわからんおれ。
もうこれはこの一連の話を切り上げるしかへん。
おれはそう判断した。
「まあ塔矢のプライベートな話はこの辺で。」
少しおどけたように聞こえる声音でそう提案すると
「プライベート・・・?」
眼鏡の男性がぽろりと口に出した。
しもた。
これまでは仮にも、不在の仲間を気にかけてしきりと話題に出しとる塔矢っちゅう見方もできたのに、おれもそう思っとったのに、おれがうっかりプライベートなどと口を挟んだせいで塔矢が個人的に進藤のことむちゃくちゃ気にしとる男になってしもた。
いやでもこれ悪いのはおれか・・・? ほんまにおれなんか・・・?
「そうですね、個人的なことはこの辺で。」
我に返った塔矢もほっとした様子でおれの言に乗る。
乗らんといて・・・! これに乗らんといてや塔矢・・・!
脂汗止まらんおれに塔矢は気づかへん。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「今日はお時間を頂きありがとうございました。」
記者達が頭を下げる。
「いえ。」
爽やかに受け答えをする塔矢の隣でこわばった笑みを浮かべつつどうしても疲労感の拭えへんおれ。
しんどかった。今なら最初の塔矢の台詞がよぉわかる。ここにおらへん進藤が羨ましい。
いや進藤がいさえすればこうはならんかったんやろか。
「塔矢さんの進藤さんへの熱い想いがわかってよかったです。」
顔を赤らめながら女性記者が言う。
「大好きなんですね。」
「大好き?」
塔矢は訝しげな声を上げた。
「そんなのではないです。ただ彼はボクの生涯の・・・」
「生涯の・・・?」
周囲が息を呑む。
おれもぎこちない動作で塔矢の方を向いた。
塔矢は何ぞ言いかけた後、思い直したように口を噤んだ。
「いえ、まだ本人にも言っていないことなのでそれはまた。」
記者が勢いよく頷く。
「そうですね! 一人のことではないですからね!」
ううん・・・
おれはぐぎぎと首を戻した。
生涯・・・ときたら塔矢。ここで止めたら塔矢。
進藤の、『伴侶』、疑惑、が。
「おつかれ!」
取材を受けとった部屋から出ると、廊下に設置されたソファに座って手元の詰碁集を読んどった男が朗らかに手を上げた。
「進藤!今日名古屋で対局やなかったんか?!」
「結構早めに終わったんだ。ほら、これ土産のひつまぶし! 夕飯まだだろ?」
おれと塔矢にずっしりとした紙袋を渡してくる進藤に
「いたんならはよそこの扉開けてインタビュー一緒に受けてくれや!」
とつい非難がましい声を上げてしもた。
「だってここでオレが乱入したらさ、インタビューの内容がまた変わるだろ? 2人で写真ももう撮ったろうからカメラマンさんに悪いし、折衷案でオレだけ遠足集合写真の欠席者みたいな写真の載せ方されるのも嫌だし。それに今帰れば塔矢と一局くらい打てるかなと思って2本前の新幹線飛び乗って帰ってきたんだ、ここで乱入して仕事が伸びたら意味が・・・」
ほんで記者達がまだ近くにおることに気づいた進藤が慌てて自分の口を抑えた。
「進藤。」
塔矢がたしなめるような声を上げるが正直まんざらでもなさそうや。
記者達はいやに爽やかな微笑みを浮かべると会釈をして帰っていった。
「・・・聞こえたよな悪いことしちまった。でも優しいな、笑ってくれるなんて・・・」
進藤が記者達の背中を見つめながら眉を下げる。
おれは女性記者が踵を返した瞬間に流れるような動きで胸ポケットから手帳を取り出し、何か元々書いてあった文字の上から大きなハートマークを描いていたのがとても気になっていた。
まさかやけど進藤と塔矢の名前纏めてハートで囲ってへん? さっきの進藤の発言で両想いを確信しとらん・・・? 勘ぐりすぎやろうか。
「ま、まあ終わったんなら碁会所行こうぜ! それか棋院の対局室でも・・・いや飯が先か」
「進藤。」
塔矢がまっすぐな声で進藤を呼んだ。
「何?」
進藤が首を傾げて塔矢を見る。
「いきなりですまないが聞いて欲しい。キミはボクの!」
塔矢が声を張る。
「生涯の・・・」
ただ途中で恥ずかしくなってきたのかだんだん声が尻すぼみになってゆき
「・・・ライバルだ。」
と口にした時には近くにおる進藤やおれでようやっと聞き取れる程度の声量になっとった。
ぱぁ、と進藤は目を輝かせた後、顔を引き締めて力強く頷いた。
「ああ!」
ふと嫌な予感がして振り向くと、その様子を遠くから見つめとった記者達が祝福するような満面の笑みを見せ、その後それぞれの肩を叩きながら去っていくところやった。
うーん・・・これは・・・
諸々・・・確信に・・・変わっていそうな・・・
「で! 今回のインタビューはどうだった?」
とワクワクした様子で尋ねる進藤に
「どうもなにも。」
とそっけない塔矢とは対照的におれは物々しく口を開いた。
「記者さんがどう調理するかわからんけど記事読んだらびっくりするかもな。」
「えっ」
「紙面を埋め尽くすかもしれへん・・・塔矢の放ったサブリミナル進藤。」
「サブリ・・・何?」
「ほんでもしかすると誌面上で塔矢の想い人が発覚し・・・最後に想いが成就しとるかもわからん。」
「はっ? どんな話してたんだよ? 塔矢そんなすました顔でオレと囲碁三昧しておいて好きな子いたのか?」
前言撤回やっぱり乱入しとくべきだった! と臍を噛む進藤の隣で塔矢が目をつり上げた。
「どういうことだ社! 身に覚えが全くないが? 話を捏造されるということか?」
「捏造っちゅーか・・・」
もごもごと口ごもりながらおれは遠くを見つめる。
「まあ、記事が出たら読んでみたらええと思うで。おれの杞憂かもしらんし。」
杞憂やなかったのは・・・
また別の話や。